アンサンブル





「チェック・メイト。」
ジュリアスが低い声でそう呟く。
「あ……っと、はあ、残念、もう少しだったのに。」
「これで……12勝か。」
「……『10敗』ね。」
「……うむ…まあ、今回も危ない所だったな。」
「ふー、力は互角。あとは勝負へのこだわり、ってとこかあ。」
「…互角、か。」
「……互角、でしょ?」
「まあ、そうなるだろうな。まったく、そなたにはじめて勝負を挑んだときはそなたがそのように強いとは思いもよらなかったぞ、オリヴィエ。」
メタリックブルーに爪を染めた指を、ひらひらさせながらオリヴィエが笑った。
「んふふ。だってさ、私の故郷の星は寒くって、雪ばかり降ってて、おもてに行くのがつい億劫だったんで、たいがいの人はこうやってテーブルゲームやカードゲームをしてたんだよね〜。私はそう言うジジくさいのがいやだったけど、どうしても覚えてた方がいろいろ得だったし、楽しかったんでね。」
「…そう言えば、そなたの故郷は冬の惑星だったな。」
「そ〜そ。もう、ウチの星で30度と言えば零下30度のこと。冷蔵庫は物を凍らせないために使ったってくらいだもんねえ。」
「……ふむ。想像もつかぬな。」
「今だったらいろいろ暇潰す方法があったんでしょうけど、私の頃はさ、まだテレビだビデオだパソコンだって、なかったもんねえ。だから、メイクと、こう言うゲームと、あとは音楽ってわけ。」
「そう言えば、そなたの楽器の腕もなかなかのものだったな。リュミエールばかり目立って、そなたが演奏するということをつい忘れがちだが。」
「うふふ、リュミちゃんはやっぱりゲージツ家ってイメージが強いものねえ。そこ行くと、私はやっぱり極楽鳥〜。」
「ん、そういえば…ストレリチア、という花を知っているな?」
「もっちろん。極楽鳥花ってヤツでしょう?結構派手で、イイ感じだよねえ。」
「名前の通り、そなたに似合いそうな花だな。」
「あはは、あんがと。さしずめ、あんたは真っ白な蘭か、おっきな百合の花だねえ。」
「……私を花にたとえても……しようのない気がするが?……そうだ、そなたさえ良ければ、私にリュートでも聴かせてくれるか?」
「……いいよ。……ん〜、そだそだ、弾いてあげるからさ、こっちに来てくれる?」
そう言うと、オリヴィエは立ち上がって部屋のドアを開け、ジュリアスを手招きした。



「この部屋なんだけどさ。」
オリヴィエはジュリアスをチェスの勝負のために午後の空いた時間に私邸に招いた。
最初はジュリアスを敬遠しっぱなしで、執務のとき以外はあまり好んで接触したがらなかった彼だが、ジュリアスに化粧をしてみたいという邪な動機で初めて一戦交えたのだ。
そしてその勝負に勝ってしまってからというもの、オリヴィエはそう言う時にジュリアスの見せるきわめて人間的な雰囲気と、それに到るまでの過程の面白さに、ハマってしまったようだ。
どちらからともなく誘い誘われ、もう何度も勝負をしている。
「ここは、音楽室、と言うところか?」
「ま、そんなモンかな。」
オリヴィエは私邸の奥まった部屋にジュリアスを招じ入れた。
「ほう、いろいろな楽器があるのだな。」
ジュリアスが部屋の中を見渡すと、そこにはオリヴィエのよく演奏する飴色をしたリュートのほか、小さな笛や、弦楽器、民族楽器のようなものがたくさん置かれていた。
「時々ね、出張先でお土産に買ってきちゃったりもするんだよね。珍しくって、綺麗な楽器とか。」
「なるほど。これなどは珍しいな。弦が二本、か。細工も美しい。」
「ね、いいでしょ、結構。」
ジュリアスは目を輝かせてそれらの楽器に見入っていた。オリヴィエは、そのジュリアスの様子を嬉しそうに眺めると、再び口を開いた。
「ね、なんか弾いてみない?」
「……私が?」
「あんたも貴族の出なら、なんかたしなみに楽器とかやってるんじゃないの?…私が聖地に来てからはそう言うの見た覚えないんだけど、あんたってさ、なんか楽器とか出来そうな気がするんだよね〜。違う?」
ジュリアスは少し驚いたような顔をした。そして少し考えた様子でゆっくり口を開く。
「ピアノ、なら少々……たしなんでいる。」
「やったぁ〜。上等だよ、ジュリアス。ちょっと、ここで弾いてみてよ。…もしご幼少のみぎりからご無沙汰…って言うんじゃないならば…ね?」
「……む…ここで、か?…もうだいぶ長いこと弾いておらぬし、もともとそう人に聞かせるような演奏ではないのだが…」
「いいって、いいって!さあ、……ド・レ・ミ〜♪…よしよし、音は出るね。」
オリヴィエはきちんと磨きこまれた、装飾の施されたウォルナット製のアップライト・ピアノの鍵盤の蓋を開けると、鍵盤を覆っていたフェルトの布を取って、歌いながらキーを叩いた。そして演奏用のイスの背を引いて、ジュリアスに勧める。
「はい、ジュリアス。ここに掛けて。」
ジュリアスは素直にそこに掛けた。そして少し緊張の面持ちで象牙色の鍵盤に指をそっとあてがう。
ポ――――ンンン……。
明るい部屋に澄んだピアノの音色が響き渡る。
「……なにを弾くのだ…?…最も、私の弾ける曲というのも限られているが……」
「何でもいいよ、あんたの好きな曲を弾いてよ。」
「うむ……では……」
ジュリアスは目を閉じ、しばらく記憶を辿っているような様子であったが、やがてあるメロディーを奏で始めた。
それは多少たどたどしいながらも、瀟洒な、華麗な旋律であった。オリヴィエは思わず目を閉じる。瞼の裏に、華やかなサロンが見えてくるような気がした。

そう、例えて言えば、少し背伸びをした少年と少女がメヌエットを踊っている。
……時々ドレスの裾を踏んづけてよろけたりはしているが。

その音色には、ジュリアスの見かけどおりの華やかさと、見かけとは裏腹の暖かさという相反したものが滲み出ているような気がした。
オリヴィエは、改めてジュリアスが好きになったような気がする。
短い演奏を終えて、ジュリアスは小さくホッと溜息をつく。
「ブラボー!ジュリアス、ステキだったよ。今度、アンサンブルしようよ、リュミちゃんも呼んでさ。」
「……まだまだ、人と一緒に演奏するのは……」
「練習すればいいじゃない。あ、ピアノがなかったらこっちの……」
「いや、ピアノは、ある。」
「あら、あったの?あんたの私邸に?」
「……まあ、時々調律しているだけで、まともに使えるかどうか、わからぬがな。」
「…それって…あんたこっそり弾いてたでしょう。何年も弾いてなくってこんな演奏出来やしないって。ま、いいや。やんなさい、やんなさい。ねっ、決まり決まり。よお〜し、明日、リュミちゃんに言おうっと!」
「……リュミエールに……言うのか?」
ジュリアスは浮かれるオリヴィエに渋い顔をする。
「あ、大丈夫、大丈夫。大魔王には内緒にしておくようにきつく申し添えておくから。」
「……大魔王?……ああ。いや、しかし…」
「今の演奏聴いた限りじゃ、あんた十分行けるからさ。まあ、毎日忙しいだろうけど、ちょっとやってみなさいって。」
「……時間があればな。当分は無理だ。」
「あら、時間って言うのは、『ある』もんじゃなくって『作る』もんだって〜。」
「………まあ、なんとか、やってみよう。当てにせずに待っていてくれ。」
「はいは〜い。……ところでさ、ピアノはいつ教わったの?だれに?」
「あまり…はっきりとは覚えていない。もう、遠い昔だ。そういえば先日、例の城に行ったときに…」
例の城、というのが外界の、聖地の近くにあるジュリアスの実家だった城だと言うことはオリヴィエにもすぐ理解できた。
「やはり音楽室があって、グランドピアノを小さくしたような楽器が展示されていた。鍵盤の色が今と逆なのだな。あれが…たぶん私が教わったときに使われたものだろうが、あまりよく覚えてはいない。聖地に来てからは今のピアノとだいたい同じようなものを教わった。実家のそれのほうは、……そうだ、たしか、あれは母だ。」
「え、なになに?」
「自分で弾いたことは覚えてはおらぬが、だれかの弾いているのを見た覚えはある。
……そうか、私はずっと、魔法のように動く指先ばかりを見ていた。
あれは、たぶん…いや、きっと母だ。母が弾いていたのを見ていたのだ。」
「へえ、お母さん、上手かったんだ。」
「技術の良し悪しは覚えてはいない。だが、その細い指先が……本当に魔法のように動いていて、私は見とれていた。…曲は…何であったか。」
ジュリアスは目を閉じて、再び記憶を辿り始めた。
オリヴィエはそんなジュリアスを黙って見つめていた。
しばらく、ジュリアスはそうして母の思い出に浸っているように見えた。
……が、それを振り切るように、突然楽しそうな顔をしてこう言った。
「……そうだな、オリヴィエ。私に聖地でピアノを教えてくれたのは、たしか当時の夢の守護聖であった。そなたとはまた違ったタイプの明るい男であったな。」
「あらま。それって、私の前の…?」
「いや、もうひとり前の守護聖だ。」
「へえ、さすがは生きた聖地の歴史!」
「………なんだ、それは。」
さすがにむっとした顔をしたジュリアスに、オリヴィエは言う。
「まあまあ、褒めてるんだからさ。じゃあ、お茶でも入れるから待っていてね。」
そう言ってオリヴィエは部屋を出ていった。



ジュリアスは黙ってピアノを見つめている。
母の思い出。
この年になって急にいろいろな理由で思い出すことが増えた、もうすっかり遠い日に別れた母の、微かな思い出。
柔らかな光の中に顔のぼやけた…肖像画を見て、顔は思い出したはずなのに、それはいつも何故かぼやけてる…金の髪の女性。
母の香り。
母の指。
そしてその記憶は、いつしかアンジェリークへとつながる。

暖かい部屋でピアノにもたれながら、いつしかジュリアスは眠りの世界へと誘われていた。

「ごめんごめん、すっごくお待たせ!」
ジュリアスの眠りは、オリヴィエの大きな声で覚まされた。
「あら、寝てたんだ。めっずらしい、ジュリアスってば。」
「そうでもないのよ、オリヴィエ。うふ。」
オリヴィエの後ろから、聴き慣れた鈴を転がすような声がした。
「へ…陛下!?」
「うふ。オリヴィエに呼ばれちゃいました!」
そう言えば、オリヴィエの館は宮殿に近い。しかしだからといって…。
「陛下!何故このような所に……」
「あら、このような所で悪かったね、ジュリアス」
長いショールの先をくるくる回しながらオリヴィエが言い返す。
「そなたもそなただ、オリヴィエ。陛下をむやみに宮殿の外にお連れするとは!」
相変わらず型どおりの反応のジュリアスに、オリヴィエは言う。
「もう、ジュリアスってば、いいかげんに諦めなって。今度の女王陛下はそう言う陛下なんだって、好きにさせてあげなさいよ。旦那。」
オリヴィエの後ろで黙って会話を聞いていたアンジェリークも言った。
「そうそう。私ひとりで外出したわけじゃないんですもの。ロザリアだって承知してくれたのよ。どうせもう、暇だったし、執務も終わり!あなただってこんなところでサボっていたくせに、ね〜。」
「サボ…っ…いや、私は……申しわけありません。」
アンジェリークはジュリアスのところに駆け寄ってさり気なく肩を抱いた。
「いいのよ、ジュリアス。あなたが執務時間中に他のことをするなんて、私はかえって嬉しいくらいなのよ。ね、オリヴィエ。」
アンジェリークはうしろのオリヴィエにウィンクをする。
オリヴィエもそれに応えウィンクを返してから言った。
「相変わらずお暑いねエ。…さてさて、陛下も呼んだことだし、ここでトリオを結成しようじゃないの。はい、陛下はこれ持って。」
オリヴィエは美しい細工の、道具箱らしき大きな箱からタンバリンをひとつ取り出してアンジェリークに渡した。そして自分はいつもの飴色のリュートを持つ。
「……何を……いや、何ができるというのだ?まだ練習もしていないのだぞ。」
「なんでもいいよ。私はあんたに合わせる。陛下はリズムを取るだけだものね。」
「うふ。ジュリアス、何を弾いてくださるの?」
ジュリアスは少し絶句して、それから溜息をつき、ピアノの上に数冊ある楽譜を手に取ってパラパラとめくってみた。
「……これを……。」
「ああ、これはいいね。でもさすがだねえジュリアス。楽譜、読めるんだ。」
「……何とかな。」
それは小さな舞踊曲。『優しい愛の歌』と副題の付いた曲。
「じゃあ、行こうか、ジュリアス。陛下もちゃんと合わせてね。一拍目でシャン、と鳴らせばいいからさ。」
「は〜い、先生。わかりました。」
楽しそうな二人を尻目に、ジュリアスは真剣な顔で楽譜を見つめていた。


演奏が始まる。
美しい金の長い髪を揺らす、三人のアンサンブル。
演奏者の性格そのままに、真面目なピアノの音、華麗で楽しげなリュートの音、可愛らしく嬉しそうなタンバリン。
そして流れ出したその旋律は、開け放たれた窓から聖地の青い空に融けて行った。


FINE



ゼフェルの話とうって変わって、他愛もないお話。
オリヴィエのシリアスなのって、彼が主役だと出来ないのかも。
でも人のいいとこ引き出すの得意そうなヴィエだから、こんなのを。
ジュリさまのピアノ、はトロワネタですが、
何故か私、かなり初心者の頃、『ジュリアスは左利きで、ピアノをたしなむ』
と言う設定が刷り込まれていたのです。……いったい、どこで??
夢でも見たか、私。