年 | 月日 | 民間 | 軍事 | 空以外 | 出典 |
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昭和2年 (1927) | 4月 | 帝国海防義会の「第一義勇號」「第二義勇號」、日本一周の第二航程として小樽から新潟に到着。新潟からは金沢へ。 | 年表世界航空史 | ||
昭和4年 (1929) | 5月 | 新潟市に万代島飛行場建設。 万代橋竣工を記念して朝日新聞社が社有機による記念飛行を申し出たことによる。 | 新潟地方航空機乗員養成所 | ||
7月 | 朝日新聞社航空部の酒井憲次郎飛行士(中蒲原郡金津村大字古津 出身)、1928年度のハーモントロフィーを受賞。飛行時間315時間、飛行距離45,319kmを飛んで無事故。 | 昭和航空史 新聞報道通信機編 | |||
8月15日 | 朝日定期航空会、東京(立川)−新潟(万代島飛行場)線を開設。夏季毎週3往復。ただし、万代島飛行場に不備多く、焼島飛行場(沼垂飛行場)にすぐに移転。 | 日本航空史年表 | |||
8月 | ツェッペリン伯号の日本寄航に際して、毎日新聞社はシベリアから日本海を南下するコースと予測、10式艦上偵察機(大蔵清三操縦士、山中カメラマン)を新発田にまで進出。 | 日本昭和航空史 新聞報道通信機編 | |||
10月 | 帝国海防義会の「第四義勇號」「第五義勇號」による全日本都市訪問飛行の東日本一周の祭、高田に飛来。 | 年表世界航空史 | |||
昭和5年 (1929) | 6月 | 北蒲原郡松ヶ崎浜(現新潟空港地)に、新潟市営飛行場建設。開場式は9月。 | 新潟地方航空機乗員養成所 | ||
昭和6年 (1931) | 8月25日 | 羽田飛行場、開設。 | 羽田空港の歴史 | ||
昭和7年 (1932) | 1月10日 | 東京の代々木練兵場にて、愛国1号、2号の命名式。 | 航空大写真帖、他 | ||
4月10日 | ![]() | 東京の代々木練兵場にて長岡市民献納の愛国11「長岡」号(八八偵2型) の命名式。他に愛国9「河野」号、愛国12「立山」号。 | 航空大写真帖、他 | ||
6月3日 | 朝日定期航空会、東京(立川)−新潟間定期郵便飛行の昭和七年度の第一日。機体は、DH.80プスモスで、酒井憲次郎飛行士(新潟市出身)、片桐庄平機関士(長岡市出身)。7:55、立川発〜11:45、新潟、着。帰路は、14:23新潟発〜長野県上田経由〜17:51、立川着。 | 航空年鑑(昭和8年版) | |||
8月18日 | 小千谷町で、わが国初の町有飛行場起工。 | 航空年鑑(昭和8年版) | |||
9月11日 | ![]() | 新潟県民献納の愛国51「新潟県」号(九一戦)、9/9に、小須戸町出身の横山八男中尉の操縦で、所沢より新潟市営飛行場に飛来。同飛行場で9/11の10:00より命名式。 式後に横山中尉により県内披露飛行をおこなったが、不具合を生じたため、その試験飛行に今川一策大尉(新潟市出身)の操縦により飛行。その着陸の際、砂中に車輪を突っ込み逆立ち、プロペラ、方向蛇を大破、大尉は軽症を負う。機体は所沢での修理のため、分解・陸送。 | 航空年鑑(昭和8年版) | ||
9月15日 | 酒井飛行士、片桐機関士、朝日新聞社機(DHプスモス,J-BBAA)で、日本海隠岐島近海にて遭難。 | 航空年鑑(昭和8年版) | |||
10月20日 | 新潟県民献納の愛国52「新潟縣」号(九一戦)、愛国56「新潟学生」号(九二偵)、愛国57「新潟消防」号(九二偵)、高田市の中田ケ原練兵場にて10:00より命名式。 | 高田日報 | |||
10月22日 | 小千谷町の小栗田飛行場開場式。 | ふるさとの思い出写真集〜明治大正昭和〜 小千谷 | |||
11月2日 | 故片桐機関士の納骨式(飛行機の破片)、長岡市正覚寺にて挙行。 | 航空年鑑(昭和8年版) | |||
12月4日 | 小千谷小学校にて、中越飛行協会の発会式。講演者に、田中館博士、四天王中将。 | 航空年鑑(昭和8年版) | |||
昭和8年 (1933) | 5月7日 | ![]() | 新潟県民献納の報国19「新潟」号(九○艦戦)、新潟市で命名式。 | 航空大写真帖 | |
5月8日 | 報国19「新潟」号、高田に飛来。 | 高田日報 | |||
10月1日 | 新潟飛行場(焼島飛行場?)竣工。 | 日本航空史年表 | |||
昭和9年 (1934) | 4月7日 | 報国19「新潟號」、不時着海没。 | 航空情報(84-2) | ||
5月20日 | ![]() | 中越飛行場にて、長岡市の神谷正治氏献納の報国54「神谷號」の命名式。 | ふるさとの思い出写真集〜明治大正昭和〜 小千谷 | ||
7月12日 | 新潟県民献納の愛国117「新潟」号(九三単軽)、新潟市営飛行場で命名式。 | 新潟日報 | |||
7月15日 | 愛国117号、新潟県下の防空演習に参加後、長岡から新潟への帰還途中、与板にて不時着大破。 | 新潟新聞 | |||
9月5日 | 村上町で岩船郡飛行大会、アブロ504(登録記号は末尾がO)が飛来。 | ![]() | |||
9月12日 | 報国54「神谷號」、千葉県館山上空で空戦訓練中に墜落。 | 航空情報(84-2) | |||
昭和10 (1935)年 | 5月8日 | 朝日定期航空会による新潟−東京間の定期航空の功績に対して、小柳新潟市長から東京朝日新聞社の美土路社長に銅製花瓶を贈る。 | 航空年鑑 昭和11年版 | ||
5月15日 | 朝日定期航空会による新潟−東京間の夏季定期便の郵便・貨物輸送を開始。長友飛行士操縦の郵便機(プスモス)は午前10時33分に新潟を発って羽田に向かうも、信越国境付近の密雲のため新潟に引き返す。 | 新聞報道通信機編 航空年鑑 昭和11年版 | |||
6月5日 | 朝日定期航空会の大阪−富山−新潟間定期飛行は、朝日新聞社の飯沼飛行士操縦のモノスパー機(朝日109号)にて、午前9時に大阪飛行場を発、午前10時52分に富山飛行場に着、午後0時40分に新潟着。飛行、 | 航空年鑑 昭和11年版 | |||
7月20日 | 梨本宮殿下の中越飛行場視察(22日)を奉迎のため帝国飛行協会総務理事四天王中将は、オイローパ号にて午前11児半に東京飛行場を出発、午後11時5分に中越飛行場に着。 | 航空年鑑 昭和11年版 | |||
8月20日 | 東日本都市訪問飛行の秋谷マリエ夫妻のサルムソン機は、午前6時半に東京飛行場を出発、9時47分に仙台着、午後3時25分に新潟着。 | 航空年鑑 昭和11年版 | |||
8月21日 | 午前9時23分に新潟飛行場を発、11時25分に富山飛行場へ着。その際、脚を破損。 | 航空年鑑 昭和11年版 | |||
10月16日 | 朝日定期航空会の東京−新潟飛行は104回、232時間25分、39,520kmで、大阪−新潟間定期飛行は16回、77時間54分、9,600kmで終了。 | 航空年鑑 昭和11年版 | |||
昭和11年 (1936) | 7月19日 | ![]() ![]() | 西蒲原郡民から献納の報国87「西蒲原號」(九五水偵)、巻町鎧潟にて命名式。山本五十六航空本部長(当時)臨席。 | 航空情報'84-2 | |
10月1日 | 日本航空輸送梶A東京−新潟−富山−大阪線、営業開始。使用機種は、フォッカー・スーパーユニバーサル。初便は、J-DBVO。 | 日本航空史年表,新潟新聞 | |||
昭和12年 (1937) | 3月18日 | 日本航空輸送の東京−新潟−富山−大阪線のフォッカー・スーパーユニバーサル、吹雪のため中頚城郡は春日村藤巻(現上越市藤巻)に墜落。乗客なしも、搭乗の士松崎弥十郎一等操縦士、森田延治一等機関士は殉職。 | 新潟新聞 | ||
4月1日 | 朝日新聞社の「カミカゼ」号、羽田飛行場にて出発式。 | 羽田空港の歴史 | |||
昭和13年 (1938) | 9月21日 | 電力業会編成に伴う会社清算における余剰金の献納による、高田の中央電気株式会社からの愛国244「中央電気」号、羽田飛行場にて命名式。 | ながれ | ||
昭和14年 (1939) | 8月26日 | 毎日新聞社の「ニッポン」号、世界一周に出発。10月20日、日本帰着。 | 羽田空港の歴史 | ||
昭和15年 (1940) | 4月28日 | 帝国飛行協会、朝日新聞社主催の紀元2600年奉祝、日本学生航空連盟創立10周年記念「学生鳥人国土2600km飛行」に参加に甲乙両班各3機は、午前6時47分に都城飛行場を出発。甲班は福岡、米子、金沢を経由して午後6時35分、新潟に着。飛行距離1270km。(乙班は、大分、加古川、名古屋を経由して午後5時5分、東京飛行場着) | 航空年鑑(昭和16・17年版) | ||
4月29日 | 「学生鳥人国土2600km飛行」に参加の甲班は、午前7時18分に新潟飛行場を発、青森、川内を経由し、1040kmを飛んで、午後5時37分、東京着。乙班は、午前7時32分に東京飛行場を発、仙台、青森経由で新潟に向かったが、1機がエンジン故障で山形県西田川郡念珠ヶ関村沖合いに不時着。他の2機は午後6時32分。新潟に着。 | 航空年鑑(昭和16・17年版) | |||
4月29日 | 「学生鳥人国土2600km飛行」に参加の甲班は、午前7時2分に東京飛行場を発、名古屋を経由して午後1時25分に、乙班は午前8時39分に新潟飛行場を。午後2時25分に、目的地の大阪飛行場へゴールイン。 | 航空年鑑(昭和16・17年版) | |||
5月24〜26日 | 日本一周曳航飛行「オリンピア号」来県。26日高田着。 | ||||
10月27日 | 航空日制定を記念した、大日本飛行協会・朝日新聞社主催の「新潟航空大会」は午後1時から新潟市の寄居浜海岸で開催され、陸鷲18機が出動して、午後2時半閉幕。 | ||||
昭和16年 (1941) | 4月11日 | 既存の仙台、米子に加え、熊本、新潟、印旛の各地方航空機乗員養成所開設。本科第一期生徒及び第三期生徒、各60名づづ、各所に入所。 | 陸軍少年空輸兵物語 | ||
12月8日 | 太平洋戦争、始まる。 | ||||
昭和17年 (1942) | 4月 | 地方航空機乗員養成所の本科第二期生徒、新潟を始め各所に入所。 | 陸軍少年空輸兵物語 | ||
4月18日 | 米軍機B-25、本土初空襲。県下にも数機が飛来。1機は新津市郊外羽越線鉄橋付近に投弾。高田上空にも、1機通過。 | 高田市史 | |||
9月 | 仙台、米子、熊本、新潟、印旛の各地方航空機乗員養成所本科第一期生徒は、操縦と機関に分かれ、機関要員は新潟に集合。 | 陸軍少年空輸兵物語 | |||
昭和18年 (1943) | 4月 | 各地方航空機乗員養成所、各航空機乗員養成所に改称。 | 陸軍少年空輸兵物語 | ||
昭和19年 (1944) | 3月 | 地方航空機乗員養成所の本科第一期生徒、卒業。 | 陸軍少年空輸兵物語 | ||
4月 | 各航空機乗員養成所、各地方航空機乗員養成所に再改称。 | 陸軍少年空輸兵物語 | |||
4月25日 | 小田島工業株式会社講堂にて、愛国「小田島工業」号の命名式。愛国番号不明。 | 新潟日報 | |||
5月1日 | 柏崎市国民学校運動場にて、愛国3143「柏崎市民」号の命名式。 | 新潟日報 | |||
5月3日 | 高田市大手町国民学校にて、報国2778「上越木材號」,報国2800,2801「第一/第二高田市民號」の命名式。 | 新潟日報 | |||
5月16日 | 高田市大町国民学校にて、愛国3352,3353「第一/第二高田市民」号の命名式。 | 新潟日報 | |||
6月17日 | 柏崎市柏崎国民学校において、下記報国号の命名式。 ・報国3063「丸新號」(艦戦) ・報国3064「寺泊號」(艦戦) ・報国3288「柏崎市民號」(艦爆) ・報国3329,3330「第一/第二直江津號」(艦戦) | 新潟日報 | |||
6月20日 | 直江津町国民学校にて、愛国「直江津町民」号(2機)の命名式。愛国番号不明。 | 新潟日報 | |||
9月 | 地方航空機乗員養成所の本科第二期生徒、繰り上げ卒業。 | 陸軍少年空輸兵物語 | |||
昭和20年 (1945) | 4月13日 | B-29、県下に初来襲。 | |||
5月26日 | 新潟港に機雷投下。 | ||||
5月 | 新潟を含む地方航空機乗員養成所に、本科第七期生徒入所。 | 陸軍少年空輸兵物語 | |||
7月20日 | 新潟市上空にて1機のB-29、高射砲にて撃墜される。 | 新潟地方航空機乗員養成所 | |||
8月1日 | 長岡、大空襲。 | ||||
8月8日 | 長野空襲。艦載機数機が高田上空へも飛来。 | 高田市史 | |||
8月15日 | 終戦。 | ||||
8月23日 | 「暁星」と名称が改められ新潟飛行場で終戦を迎えた「ニッポン号」、羽田が雨で使用できなかったため所沢飛行場に回送される。 | 日本昭和航空史 新聞報道通信機編 |