記念録の献品一覧(鉄兜、鉄砲から軍用機までの総一覧)を見ていて気付いたのですが、愛国号に次の付記がありました。
「朝鮮」号の完全装備というのも分かるようで分からないです。爆弾架とか照準器付き ってことでしょうか。 流石に献納金額は記載していなかったので、幾ら違うのかは分かりませんが、同じ献納機でも こういう違いがあるんですね。知りませんでした。 |
気づいたことの2点めです。献品一覧での献品順序と愛国号の番号が一致していないです。 愛国6号までは一致していますが、一覧表での記載順に見ていくと、
この不一致がどういう理由によるものかは不明ですが、案外、陸軍省の内部でも出身地や関係地から先取り争いがあったのかもしれません。 |
愛国号献納王の小布施新三郎氏(当時60歳)のことも、
やはり同書に出ていました。一月末か二月初めの某日、商人風の老人(小布施氏)が陸軍省徴募課を訪れ「飛行機を献納したいのだが、価格はいくらくらいでしょう」と尋ねたので、「戦闘機でも七万円位です」と答えたところ、突然2月5日の朝になって15万円を陸軍省に持ち込んで来たのである。これにより、陸軍省は91式戦闘機と88式軽爆撃機の献納を受けることになったのですが、15日氏はまたまた8万円を投じて88式偵察機1機を献納しようと申し出ました。この3機(愛国3号、4号、5号)は昭和7年3月6日に代々木練兵場にて命名式が行われた後、満州方面に送られました。 |
然るに越えて4月上旬第5号機は北満方正地方で匪賊討伐作戦参加中不幸遭遇したので小布施氏はまたまた4月11日朝陸軍省に来訪、「愛国5号機は献納してからお国の為に働いた期間が短かく焼かれてしまったのは残念です。5号機に代って更に働いて頂きたい為今一機新鋭機を献納したいと思います」と三度価格7万円の戦闘機1機の献納を申し出られたのです。これが愛国37号(91戦)です。 5号機の方は東京朝日新聞(4/9付)によれば、3月30日の朝にハルピン飛行場を飛び立って消息を絶ち、4月8日に焼却されているのが発見されたもので、 この記事では搭乗者の生死は不明となっています。 |
また、愛国9「河野」号の献納者河野 義(よしのり) 氏(当時36歳)のことも載っていました。
氏は「ラジウム温灸器」の発明者で、東京理学療院の院長さんとのでした。先日日本橋の小布施氏が飛行機を献納した時に、俺も何かをと思った。 |
その時で初めからやり直すこととし、兎に角この際財産一切の処分を付けておきたいと考えて飛行機その他に寄付することにしたのです。ずいぶんと潔い方も居らしたのですね。 この河野氏は戦争を生き抜かれ、百歳長寿を達成されて、平成10年3月24日に物故されました。 |