昭和6年度、7年度の愛国号
 昭和18年に出版された仁村 俊 著の「航空五十年史」(鱒書房)に、次のことが書かれています。
 昭和7年一月十日、代々木練兵場に於いて愛国第一号(爆撃機)、愛国第二号(患者輸送機)両機の命名式が行われた。式は畏くも閑院宮、梨本宮両殿下の御台臨あり、荒木陸相以下将星も参列、航空本部総務部長長堀少将委員長となり、十万の監修野前で厳粛に行われたが、式後所沢、下志津、立川各飛行場から集まった数十機の陸鷲は、民間機数機と飛び乱れて空から祝意を表した。 その中を一号機は迷彩を施した機体で悠々旋回して立川に向かい、二号機はコバルト色の美しい機体で仙台へ飛んだが、両機は加藤尹義少佐指揮も下に十二日立川発、十五日奉天に於いて関東軍へ授受を終ったのである。
 昭和六年度の献納機は第三愛国号(九一式戦闘機)、第四愛国号(八八式軽爆撃機)、第五愛国号(八八式偵察機)以下
 
第三十三号(32の誤植?)愛国号までであるが、 その中には第二十三中学生号、第三十女学生号、第三十一児童号があり、また第七の九一式戦闘機は愛国群馬号、第十の八八偵察機は朝鮮号、第十一岡山(これは長岡の誤植だと思われます)、第十三石川、第十七岡山の各愛国号も入っている。また昭和七年度の献納機は第三十三の福山号(九一戦闘機)から第七十四の山梨号(九一式戦闘機)までの四十機であった。
 この著者は大正二年に陸軍士官学校を卒業、昭和13年に陸軍大佐になってますので、直接見分したものかもしれませんが、参考資料に帝国飛行協会の「日本航空史(乾、坤)」をあげていますので、同誌を引いたものかもしれません。以前、同航空史を古書店で見つけた時、この辺の記載があったと覚えています。その時に購入出来ればよかったのですが、2冊で\56,000也と高額だったため躊躇し、次に行った時にはもう売れていました。今度、図書館で調査です。
 
 
婦人団体による献納機
 お気づきだと思いますが、献納機に「愛婦xx」、「yy国婦」「zz日婦」という名称があります。 例えば、
 ・愛国594 「愛婦全国」, 602-603「愛婦福岡」,
 ・愛国470 「国婦石川」,1113 「日向国婦」
 ・愛国3579 「栃木日婦」
などは婦人団体の献納機だと思われます。
 
 戦前戦時下には官製の4大婦人団体(愛国婦人会、大日本連合婦人会、大日本国防婦人会、大日本婦人会)が置かれており、その活動の中に軍用機の献納運動があったと思われます。「愛婦xx」は愛国婦人会が、「yy国婦」は大日本国防婦人会が献納した機体でしょう。「zz日婦」は大日本婦人会に思えます。大日本連合婦人会の献納機は、まだ見つけていないだけでしょうか。(はたまた「大日本」というのがそうなのでしょうか・・・)
 
 4団体の中で最も古い愛国婦人会は明治34年に出来ており、創立40周年を記念して40機が陸海軍に献納されています。(陸軍に22機、海軍に18機)。番号が近い愛国594,602,603,610号はその時期に献納されたものでしょう。
参照 愛国婦人会の献納機一覧
  海軍の報国号も昭和16年9月にまとまって献納されています。機体番号が連番だとすると、横井氏の調査による報国494〜511がそれにあたると考えられます。 また、早い時期では、(未調査なのですが)同志社大学に「軍用飛行機献納記(1938.7)、愛国婦人会兵庫県支部」が所蔵されており、昭和12年11月に同報国号が献納されていることから、支部単位でも献納していたことがうかがえます。
 
 その他の団体は、大日本連合婦人会が昭和5年12月に、大日本国防婦人会(慰問袋はここが作っていたようです)が昭和7年に大阪で設立されています。
愛国婦人会と大日本国防婦人会、それに文部省により設立された「大日本連合会」(この婦人部会が大日本連合婦人会だと思われます)は、支部の競争や会員の取り合いなどで対立していたため、昭和17年2月に軍の主導で大日本婦人会に統一されました。
 
 古書店で婦人団体が発行している書籍(年史、報告書 等)を見つけるのですが、大抵は数万のオーダーで手が出ません。
これらも図書館での調査対象です。
 
 
献納機の調査方法
 献納機はどうやって探し出せばいいのでしょうか。
これは航空情報で横井氏も書かれていますが、やはり、地元資料をあたるのがいいと考えられます。 県史、市史、町史などが手始めとして手頃だと思いますが、どうもこの手の本になると、意識的に避けているように感じられるくらい、ちゃんとした記述はされていないことが多いです。記載があっても、昭和初期の頃の話で終っていることが多く、戦争後期の記述にはお目にかかったことがないです。私の地元は、昔陸軍が居た、所謂ところの軍都でしたが、それでも市史には新潟県民号の記載だけです。 他に書くことがいっぱいあるというのは分かりますが、どうも戦争の被害者という立場で市民生活が書かれることが多く、献納していたという事は記載方針と合っていないのでしょうか。
 但し救いは写真集で、「写真で見るxx市のyy年」という類のには比較的写真(絵葉書)が掲載されていることが多いです。
  出身地の愛国3352/3353「高田市民」号もこういう写真集で知りました。愛国717「行田足袋被服」号や1596「埼玉隣組」号、3496「引本町民」号などもこの手の本で知ったものです。
 また地元新聞の切り抜きが図書館等に残されていることもあります。戦争後期の海軍報国号はこれで見つけ出しました。
 
 このページをきっかけに、「自分の地元が、昔、飛行機とどういう関係があったか」を調べられてはいかがでしょうか。飛行場なんて近くにないというところでも、意外と繋がりがあるものです。 航空機部品を作っていた工場があったとか等から、思わず献納機にたどり着くことも有りそうです。 そして新しい機体や詳細なことが判明されたなら、是非、ご一報下さい。
 
 
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