コルラで高熱
1995.9.5〜7.
コルラへむかうバスは、交通賓館の隣のバスターミナルから 出る。朝の8時半。これは北京時間だから、実際の感覚的な時間では6時頃になる。だから僕等にとっては早い。眠い目をこすりながら荷物をまとめてターミナルに急ぐ。とは言っても隣の宿はこう言う時に楽賃だ。ホテルの前のベンチでオスマン君が寝ている。ちょっと声をかけて切符売り場の窓口へ。コルラまで70元。外国人料金だ。バス料金に外国人料金が厳密に適用されているなんてこれは結構中国も末端まで監理が行き届き始めたということか。
一つ前で切符を買っているのはどう見ても日本人だ。しかし、英語を流ちょうに話している。聞けば両親が日本人の日系カナダ人なのだそうだ。一緒にいた旦那さんは当然バリバリのカナダ人でした。彼らもコルラに向かうようだ。
ちょっとで遅れた我々の席は最悪の後輪の真上。だけども、敦煌からのおぞましきあの道に比べて天国のような綺麗に舗装された道でさしたる苦痛もなくバスは走る。周りの景色は目まぐるしく変わり見応えも十分である。隣の席のおじいちゃんが中国語で話しかけてくるがさっぱり解らない。とにかく俺はコルラまで5元でこのバスに乗れるのだ、と言うことは解ったが、それが何故なのかはいまだに解らない。
途中前方を走るトラックがのろかったのでバスの運転手はたまりかねてクラクションを派手にならした。これは追い越すから脇に避けろと言う合図らしい。ところがいくらならしても前のトラックは避けてくれない。本当に頭にきたんだろう、少しして道が広くなったところでバスはトラックを追い越し、その鼻先にでかい車体を停めてトラックの運転席めがけて怒鳴り込んでいった。勢い余ってトラックのドアミラーをもぎ取ったバスの運転手はそれを遠くへ放り投げてこちらに戻ってきた。ウイグルの人達はなかなか荒っぽいようだ。
目まぐるしく変わる景色を楽しんでバスは峠を越えた。周りの人の口からから”コルラ”と言う言葉が漏れる。眼下に見える一つの街。あれがコルラなのだ。王さん達の住む町なのだ。何だかどきどきしながらさらにバスに揺られて、コルラのバスターミナルにたどり着いたのは夕方の6時をまわっていた。
バスターミナルは小雨。宿探しも大変だ。バス付きのホテルで紹介されている中で一番安いところへ急ぐ。コルラの街はビルが立ち並ぶ近代的な街。小雨に降られながら15分くらい歩いて博斯騰賓館にたどり着く。立派なホテルでバストイレ付きの二人部屋が250元。今までで一番の宿だ。英語も通じる。疲れていたうちの奥さんと僕はここに決めて部屋をとった。
今日の夕飯は外の屋台で五目火鍋。これが本当に美味しくて4元。安い。部屋に帰って早い時間にベットに潜り込む。
体の調子がおかしいと思って目を覚ました。起きあがろうとすると目眩がする。いやな予感。疲れが出たんだろうと無くなっていた食欲を降り起こして昨日買ってきたリンゴを食べて布団にまた潜り込む。王さん宅を探すのは明日にすることにした。
夕方になっても調子は変わらない。回復の見込みが無いと思いホテルのフロントで病院を紹介してもらおうと下に降りて行く。
うちの奥さんがノートで筆談を交わしてどうやら通じたらしくて、そこにいた人が連れていってくれるという。黙って付いていってみると、野戦病院のような中国の田舎によく見る小さな病院に連れて行かれた。
土壁の建物は網戸代わりの簾が入口にかかっていて蝿が何匹か飛んでいる。先生は落ちついた感じのおばさんで手にした蝿叩きで一匹殺していた。この先生の顔がとても良くてこれだけは信頼がもてる。先生から手渡された体温計で熱を計ると40度。恐ろしい高熱だ。丁寧に丁寧に診察をしてくれたあとで、とにかく熱をとることが重要なので点滴を打つが良いかと聞いてきた。ここまでくると藁にもすがる思いだ。この先生を信じるしかない。
点滴を打つことを了解すると先生はゆっくりと準備を始めた。
スチールパイプのベットの下から500ml位はあるような薬の瓶を二つ出した。一つの方の口のふうを開けて、そこを使い込んで先が黒くなってしまった綿棒で消毒を始めた。注射針を密封してある袋から取り出してそのビンの口に差し込んで取り付けた。ビンをつるして注射針を僕の手の静脈に差し込んだ。
点滴は二本のビンに詰められた薬をゆっくりと僕の体に流し込んで3時間後に終わった。その間に僕を襲ったショック死しないだろうかという恐怖は点滴が終わる頃には無くなっていた。体温も38度に下がっていた。3時間で3度も熱を下げてくれたこの町医者のおばさんと中国の薬に驚きと感謝の気持ちで一杯になってこの病院を後にした。治療費と薬代として請求された35元を残して。
ホテルの人は僕のことを心配してくれて熱いスープに柔らかく煮た麺が入っている特別食を夕飯にとつくって部屋まで持ってきてくれた。この特別食は本当にありがたかった。コルラの人に感謝。
翌朝になると熱は35.5度になっていた。おそるべし中国、である。
体調を整えて王さん探しに街にでてみた。
住所は聞いている。持っていたガイドブックの地図でおおよその場所も解っている。そこにおもむく。
確かにそこにはアパートがあった。ただし、入口の門のところには変なおじさんがいて我々に用はなんだと聞いてくる。
これこれこういう人を捜しているのだが、このアパートにいるはずなんだが、と言ってもらちが開かない。そうこうしていると周りにアパートの人が集まってきた。その中の一人が王さんを知っていると言う。やれやれ助かった。そこに一人のおばさんがやってきてこっちに来いというので付いて行く。アパートの一室に通された。ひょっとして、と思って聞いてみるとやっぱりこの人、王さんのおかあさんだったのだ。すぐに娘は帰ってくるというので部屋で待っていると美味しいハミ瓜を切ってくれた。本当に美味しい瓜でこんなに美味しいのは何処へ行ったって食べることはできまい。
美味に堪能しているところに王さんが帰ってきた。なつかしいあの笑顔が目の前に現れて僕等は嬉しくなってしまった。旅の途中で仲良くなった現地の人と再び会えること、それもその人の生まれ育った街で会えることなんて滅多にあることではない、そうじゃあないですか?僕等は本当にラッキーなんだよ、そう思った。

王さんは列車の中で話してくれた無花果を買ってきていた。瓜でお腹はいっぱいだったけれどもこの無花果も美味しくて最高でしたね。
その後夕飯を食べようと街にでた。露天で美味しいものをつまみ食いしようと言うのだ。ところが今日は夜店のでる辺りの一斉消毒の日で一つも露天はでていなかった。しょうがないので徐さんのところに行こうという。彼は今軍隊の施設の中にいるのだそうだ。日本人の我々が入って良いところなのか聞いてみるが全然かまわないというので面白がって付いて行く。僕等を乗せたタクシーは軍の施設の中には行って行きとある建物の前で止まった。ここが徐さんのいるところか。大声で徐さんを呼ぶ王さんに答えて部下の人が現れて徐さんを連れてきてくれた。久しぶり。握手も固い。その後楽しく夕食をご馳走になり今日はこれまでとおやすみを言った。我々は明日のバスでカシュガルに向かうと告げると、また明日会おうと言う。我々のホテルまで迎えに来るというのだ。バスターミナルまでは確かに遠いから迎えに来てくれたらこんなに有り難いことはない。断るのも失礼かと遠慮無くOKする。本当に親切な人達である。感謝。

翌朝約束通り彼らはやってきてくれた。ホテルの前で強引に路線バスを停めてくれた少尉の徐さん。バスターミナルでバスの時間までつき合ってくれた彼ら。なんだか情の深さに心が洗われる。中国人にもいい人達がいるのだ。そう思うと少し幸せになった。
バスは午後の3時にカシュガルに向けて出発した。