1998年1月29日
一 司法試験改革に法曹三者が合意した。試験科目の点では、民事訴訟と刑事訴訟を必修にして、かわりに法律選択科目を廃止するのがその主要点である。両訴訟法を必修にすることは必要であろうが、選択科目を廃止することは、その一つである行政法を学ぶ法曹が激減することである。
二 行政活動は法律に基づき、法律の範囲内で行われなければならない。これは「法治国家の原理」(法律による行政の原理)である。戦前はこれを担保する行政訴訟を専門に扱う行政裁判所があった。通常の司法裁判所は、行政事件を扱わず、違憲審査権もなく、民事刑事の紛争を裁くだけであった。戦後は、行政裁判所が廃止され、違憲立法審査権が導入されたので、裁判所は、下級審も含めて、民事と刑事の紛争を裁くことのほか、憲法の定める三権分立の原理に基づき、立法・行政を適切に統制するという重要な任務を担っている。現在の裁判所は、司法裁判所のほか、実質的には憲法裁判所と戦前の行政裁判所という三つの機能を兼ねそなえているのである。
この行政活動の規範となり、行政訴訟の基準となるのが行政法である。これは国家と国民の間の法律関係に関し憲法を具体化し、憲法を支えている一群の法制度で、私人間の利害調整規範である民事法、処罰に関する刑事法と並ぶ、国家の基本的な法制度である。これは、情報公開法、地方自治法、行政事件訴訟法、行政不服審査法、国家賠償法など、国民に身近な法律であるとともに、さらに、社会保障法、土地法、環境法、税法など、国民にとっても利害関係の深い、実用的な応用法の基礎法となっている。
以上の制度を念頭におけば、行政法の知識を抜きにした法曹試験は原理的に考えられない。さらに、実質的にいっても、憲法、行政法について深い知識を有する法曹がある程度必要である。
三 行政法については、それを運用し、多くの場合、その立法にも携わっている行政官と国側の代理人である法務省訟務局の検事が非常に詳しい。これに対して、裁判官と弁護士は、今でも必ずしも行政法に精通していない。行政訴訟が十分に機能していない原因は種々あるが、その一つとして、こうした行政法に関する法曹内部の知識経験の差を挙げることができる。
今日ようやく、先進諸国並みに、行政の活動を透明なものとし、事後に司法の場でコントロールすることが強く求められるようになっている。行政手続法の制定、情報公開法制定の動き、規制緩和、地方分権の推進による国と地方公共団体間の訴訟の導入などがその例である。こうした法治国家の推進のためには、行政法に精通した裁判官、弁護士の増加が求められている。
しかし、司法試験から行政法を廃止すれば、裁判官、弁護士と国の行政官との知識経験の差は現状に比してきわめて大きなものになることは必定である。裁判官、弁護士になってから勉強すればよいという意見もあろうが、裁判官や弁護士が、民事法とは原理を異にする行政法を簡単に修得できることは期待できない。行政法を学ぶ学生や行政法に精通した弁護士はますます少なくなり、行政訴訟を提起する者も減って、救済率がますます低下する悪循環に陥る。これでは、すでに脅威にさらされている日本の法治国原理は風前の灯火になる。これは法治国家を目指す今日の国家的課題に正面から衝突する矛盾である。
四 他方において、裁判官が、事件を受理してから行政法にとりかかるようになるとすれば、それを適切に解釈・運用できずに、不当に行政を敗訴させたり、訴訟を長引かせて、公益を害することも十分ありうる。三権の一つである行政権についてこのような裁判が行われれば、由々しき事態である。
五 以上述べたように、司法試験から行政法をはずすことは、日本国憲法における裁判所の機能にかんがみると、原理的・実質的に重大な疑問がある。もともと戦後しばらくは行政法は商法とともに選択必修として重視されていたことでもあり、法曹三者は、合意のさいに、行政法規の適切な執行と法治国家の重要性に配慮されたはずとは思われるが、以上の問題をどう考えているのか、代替案はどうなのか、説明していただきたい。また、立法府におかれても、試験科目の改正のさいに、行政法を残すという前提で、他の改革案を工夫していただけないものか。法治国家の危機を憂慮する立場から、お願いする次第である。
発起人 石川正(弁護士)、稲葉馨(法政大)、浦田賢治(早稲田大)、兼子仁(都立大)、神長勲(青山学院大)、木佐茂男(北大)、小高剛(名城大)、小早川光郎(東大)、芝池義一(京大)、浜川清(法政大)、濱秀和(弁護士)、原田尚彦(早稲田大)、平田和一(専修大)、福井秀夫(法政大)、保木本一郎(國學院大)、宮崎良夫(東大)、室井力(名古屋経済大)、山田二郎(東海大、弁護士)、山村恒年(関西学院大・弁護士)、阿部泰隆(神戸大)
賛同者
<大学研究者>
五十嵐敬喜(法政大、弁護士)、池田敏雄(関西大)、石島弘(岡山大)、石村善治(長崎県立大)、磯村篤範(大教大)、稲葉馨(法政大)、尹龍澤(創価大)、碓井光明(東大)、占部裕典(神戸学院大)、荏原明則(神戸学院大)、海老澤俊郎(名城大)、遠藤文夫(札幌学院大)、大石眞(京都大)、大木満(大経大)、大久保規子(群馬大)、大隈義和(九州大)、大村謙二郎(筑波大)、岡田雅夫(岡山大)、奥平康弘(ICU)、奥正嗣(関西大)、乙部哲郎(神戸学院大)、小幡純子(上智大)、折登美紀(広島女学院大)、恩地紀代子(関西大)
梶哲教(大阪学院大)、金子正史(獨協大)、金井恵理可(文教大)、紙野健二(名古屋大)、亀田健二(関西大)、川上宏二郎(西南学院大)、北野弘久(日大)、北村喜宣(横浜国大)、木村弘之亮(慶応大)、黒川哲史(帝塚山大)、後藤安子(関西大)、小西秀樹(関西大)、小林博志(東洋大)
佐伯祐二(広島大)、酒巻匡(神戸大)、潮海一雄(甲南大)、清水睦(中央大)、下井康史(鹿児島大)、杉原泰雄(駿河台大)、隅野隆徳(専修大)
高橋信隆(立教大)、高柳信一(東大名誉教授)、滝川あおい(東大、司法書士)、竹内重年(明治大)、武田真一郎(愛知大)、谷口勢津夫(甲南大)、玉国文敏(明治学院大)、田村悦一(立命館大)、常岡孝好(明治学院大)、東條武治(呉大)、戸波江二(早稲田大)
中川丈久(神戸大)、中西又三(中央大)、成田頼明(横浜国大名誉教授)、西澤眞紀子(芦屋女子短大)、根岸哲(神戸大)、野口寛(摂南大)、野本敏生(大島商船高専)、野呂充(広島大)
原野翹(岡山大)、人見剛(都立大)、比山節男(大経大)、平岡久(大阪市大)、広岡隆(関西外大)、廣瀬一(神戸大)、藤田宙靖(東北大)、藤原静雄(國學院大)、外間寛(中央大)、保木本一郎(國學院大)
前嶋匡(関西大)、真砂泰輔(関西学院大)、松井宏興(甲南大)、見上崇洋(龍谷大)、南川諦弘(大阪学院大)、南博方(成城大)、三吉修(和歌山大)、ムカディ=ンゴイ(関西大)、村上博(香川大)、森口佳樹(和歌山大)
山内敏弘(一橋大)、山口純夫(甲南大)、山下淳(神戸大)、山下竜一(大阪府大)、山代義雄(大経大)、山田二郎(東海大)、山田洋(東洋大)、吉川正史(近大)、吉崎暢洋(福山平成大)、吉田律子(関西大)、米丸恒治(立命館大)、米田健一(神戸大)。由喜門真治(札幌学院大)
渡辺幹典(関西大)、亘理格(金沢大)
<弁護士>
秋山泰雄、浅野晋、荒尾幸三、池上徹、大川真郎、大本力、折田泰宏、上谷佳宏、川村俊雄、坂和章平、重成薫、白井皓喜、須田正勝、関哲夫、豊川義明、西岡宜兄、細川俊彦
<不動産鑑定士>
梨本幸男、廣内禎介、矢野統一
<司法書士>
西尾末廣
<官庁> 伊藤裕一郎(自治省)、高橋信雄(神戸市役所)、山野岳義(人事院)
(発起人は当初、阿部泰隆が個人の電話その他依頼した方が多く、賛同者のなかにも発起人になってよいといわれる方は多いと思われる。肩書き、所属は判明の限りにおいて掲載した。大学は、名誉教授以外は、階級を記していない。呼びかけた範囲は、阿部泰隆の個人的な知り合いの範囲から始めているので、決して広くはない。行政法研究者の大部分は賛成である。むしろ、怒っている者も少なくない。そのほかの分野の法学研究者、弁護士、司法書士、不動産鑑定士などの方については、一部しか呼びかけていないが、それでも上記のように賛成されている。これは中間報告で、これからも増えると思われる。)
上記共同意見のほか、注目すべき意見が多数寄せられた。その一部を抜粋する。
<研究者>
・「税理士試験に、所得税法、法人税法、など法律の試験が課されていますが、出題者は会計学関係の人が命ぜられて事実上法律の試験はなく、税理士業務に税法についての『争訟』(不服申立)があるが、試験の対象とはされていない。行政法は軽視されるべきではない。」(石島弘)
・「行政争訟のうち、税務争訟の占める割合は極めて高いのが実情ですが、弁護士をはじめとして実務家は必ずしも十分にその知識を持ち合わせておりません。税務争訟法は当然のこと、租税実体法は、租税手続法もその基礎法たる行政法の理解が不可欠であり、このような知識は実務に就いて一朝一夕に修得できるものではありません。このような行政法廃止の方向は、ひいては納税者の権利救済を阻害する恐れがあると思料されます。」(占部裕典)
・「憲法を廃止するか、叉は憲法・行政法を包括した(国内)公法という形にするとの提案もありうることと存じます。」(大石眞)
・「『行政法』科目の重要性については、今日の行政国家状況、行政権の肥大化にともなう『行政裁判』の重みもひとつの理由にはならないでしょうか。(むしろ、『行政法』をいっそう必要としているという点で)。」(大隈義和)
・「試験範囲を行政手続法(および行訴法)に限定し、かつ奇問を出題しないこと。受験生が増大しなければならない。」(木村弘三亮)
・「本学出身の弁護士と話していても、行政法に関する基本的知識不足を強く感じることがあり、また、恐縮ながら大学の運営に関しても、学校教育法、私学法等の行政関係の法律の基本的知識や構造の理解がほとんど欠如し、種々困難を来しております。
本学からの受験者は、私などの力不足もあってか、従来より行政法自体を大学で受講するものが少なく、満足に実務を果たしていけるのか、寒心に耐えないところです。」(中西叉三)
・「司法試験についても実務法曹の占める割合がだんだん増えており、Academic Lawyerの地位全体が低下してきていることも問題だとおもいます。また、そもそもこういう問題が法曹三者の合意だけで決められるという意思決定のあり方自体が問題です。」(真砂泰輔)
・「法曹三者の合意といいますが、どのような審議を経て、どのような理由で廃止が決まったのか、私どもには一切知らされていません。これを明らかにし、日本公法学会なり、学術会議の意見なりを聞き、十分に審議してほしいと思います。韓国では、確か行政法は司法試験の必須科目であるはずです(台湾・中国その他の国の例をお調べください)。
今や純粋のタイプの民事事件は減少し、行政がらみのものが増大してきており、行政法の知識は、民事事件の審理に当たっても、必要不可欠となっています。
私は、行政法の試験科目を廃止するのではなく、むしろ『憲法・行政法』という試験科目を設け、行政法の研究者を考査委員に加えるべきだと考えています。」(南博方)
・「行政活動に対する国民の権利の裁判的保障が充分でない現状からすると、ぜひとも行政法を司法試験科目として残していただきたいと思っています。」(村上博)
・「選択がなくなったので必須科目として取り入れる方向で運動をすすめる方向になると思います。ただ、行政法全体にするのか、各論は除く方向なのか今後検討しあいたいと思います。」(山村恒年)
<弁護士>
・「小生としては、先生のご指導は全面的に正当だと考えますし、少なくとも、もっと十分に論議してから決める必要があることだけは明きらかであろうと思いますので、声明に賛成します。」(秋山泰雄)
・「今日の社会で、行政法の知識、行政法の考え方はいよいよ重要性を増していると思います。私は行政法で司法試験を受験しましたが、この知識が実務上も市民活動の上でも大変に役立っています。」(浅野晋)
・「行政法廃止反対声明の呼びかけ、拝受いたしました。先生の声明文のとおりであり、行政法を廃止することは暴挙であると考える一人です。是非とも反対声明に組したいと思いますので、よろしくお願い申しあげます。」(荒尾幸三)
・「最近、法律選択科目で行政法をとって合格するものは少なく、破産法や刑事政策ばかりが目立つのが、法選廃止の引き金かも。さらにいえば、現在の法曹は、行政法をパスして合格した者が圧倒的なことが、行政法の軽視につながっています。
法曹三者とは別の切り口から(たとえば国会請願)進めることを考慮されては如何でしょうか。」(池上徹)
・「司法試験科目から行政法を除外することにつき、誠に憂慮しております。これを考えた実務法曹の感覚を疑っておりますが、ここまで受験勉強中心の志願者が増えてきたことも淋しいことです。
おもいますに、修習生と話しますと、大学時代に勉強してきた科目が余りにも少なく、しばし『君は本当に大学で法律をやってきたのか。』とまで言うような齢になってしまいました。
確か、行政法は米国では一年生から学ぶ必須科目であった筈です。記憶間違いとしても、最も基本的な科目の一つであることは確かです。我国で行政法がマイナーな科目に落とされることのなきよう、法治国家建設のために、願っております。」(細川俊彦)