2010年7月・8月・9月

ブログもあります。ブログの方が早く更新される場合があります。


2010年9月27日

「いらない人間」を作り出したのは何処のどいつだ?

先刻、NHKテレビで職のない30代をレポートした番組をやっていた。

こんな内容

ミドルエイジ・クライシス  30代 ひずみ世代の今

 『“自信が持てない” 〜就職氷河期世代のいま〜』

1990年代半ばから始まった就職氷河期に社会人になった世代は、現在、30代を迎えている。バブル崩壊後の長引く不況、グローバル化、規制緩和、リーマンショックなど、この世代は厳しい経済環境の変化をまともに受けてきた。30代のなかには、いまも安定した仕事についていない人も多い。彼らには「自分に自信が持てない」という特徴があるといわれる。番組では、時代の波にほんろうされた30代の声に耳を傾け、その心のうちに迫る。さらにこの状況を変える希望の道を探る。

そこに描き出されていた当事者は自分に自信がなく、世の中から「いらない人間」として扱われているのではないかという焦燥感と諦めで満ちていた。

円高やリーマンショック云々で雇用が途絶え、もがき苦しんでいる30代にスポットを当てたいようだが、そもそもそんな「いらない人間」を作り出したのはどこのどいつだ?

それはマスコミそのものであり、国の無策であり、その犠牲者であるはずの彼らを恰も「自己責任」の如く描く姿勢である。

また、当事者も「悪いのは自分」という内罰的スパイラルに陥り、その打開を自分自身に追い込み、ますます出口のない絶望に追いたてている。

これほどの自虐的国民も珍しいのではないか?

経済大国と言われながら自殺者年間3万人も出すという現実は、どうみても病的だろう。

悪いのは自分と内罰的に慎ましく生きた挙句、職を失う。

そんな慎ましさが美徳と信じていたのにこの国は己を救おうともしない。

そんな中、隣の覇権主義国家が土足で乗り込こんで来た。

こともあろうにこの国の行政府は失職して彷徨う自国民は放置する一方で「侵略者」のほうに救いの手を差伸べようとしている。

この現実を見たとき、日々内罰的に生きてきた己が如何に愚かであったかを悟るであろう。

先日、ネットでこんな集会があるのを見つけた。

こういった集会は決してマスコミは扱わないので存在自体知る者は少ないし、自分もついさっき知ったばかり。

またどんな団体が主催しているのかも定かでないので普通は参加を躊躇う類のものだ。

以前、『憂国忌』という三島由紀夫追悼集会なるものに一度だけ参加した事がある。

どことなくアングラっぽくて自己完結した雰囲気で、得るものは少なかった記憶がある。

が、しかし、もう今の日本ではそんな胡散臭い「右」っぽい集会、デモですら「救いの場」に見えてしまうほど劣化してしまった感じがする。

見捨てられた日本青年にとって積年の苦痛を己の内ではなく外に見出したとしても、その思いを訴える場など、この日本には存在しない。

リアルな世界に1960年代的自己主張の場はないのだ。

己を見放してきた行政府とマスコミは、中国国民感情は気にかけるが、自国の虐げられた青年に対しては見向きもしない。

ならば、たとえ胡散臭くともこんな集会に参加して溜飲を下げてやろうと考えても不思議はあるまい。

果たしてこのような集会に本当に「虐げられた青年」が大挙集うかは知らない。

参加したとて、期待を裏切られるだけかもしれない。

正直、何があっても自己責任だ。

だが幾ら内罰的になろうとも己の立場は変わらない。

家の中に篭っても誰も救ってはくれないのだ。

見捨てられた30代は呟く。

「日本の行政府は自分たちの雇用よりも「覇権主義国」の脅迫要求を優先させる。

己がこんな虐げられているのに隣国の犯罪者を優遇している。

こんな理不尽があるか!

そうだ!自分が虐げられているのは「亡国」行政府に巣食う「売国奴」のせいだ。

奴らを倒さねば己に未来はない。

もはやいつまでも内罰的に引き篭もっている場合ではなくなった。

生きるための闘争を始めよう!」

もし彼らが覚醒して立ち上がれば、面白い事になる。

その内の一人位が官邸に突入し、官房長官の首でも執ったら本当に日本は変わる。

近代日本はそうやって「成長」してきたのだ。

幕末然り、2.26事件然り。

「いらない人間」として見捨てられ孤独死するか、英雄として処刑台の露と消えるか、その差はさして大きくない。

「見捨てられた30代」が自らを救いたければ、己自身の行動で世界を変えて行くほかない。

この類の集会に参加したところで何も変わらないかもしれぬ。

実際、何も変わらないだろう。

オリンピックの如く、1週間もすればこんな騒動忘れて平気で「メイドインチャイナ」製を買い漁っているかも知れぬ。

だが、己の存在を知らしめるには、このリアルな社会で自己表現する以外に策はない。

中国はそれを実践して東シナ海の小さな孤島の領有権を勝ち取った。

何もしなければ存在しないと同じ。

だから内罰的に引き篭もる日本青年は無視され続ける。

見捨てられても文句は言えないのだ。

何もしない人間は勝手にくたばるがいい。


2010年9月24日

無能な働き者

以前の日記でも引用したけれど再びここに記しておく。

昔のドイツ軍人ゼークトが言った有名な「組織論」。

「軍人は4つに分類される。

有能な働き者。これは参謀に向いている。

理由は勤勉であるために自ら考え、また実行しようとするので、部下を率いるよりは参謀として司令官を補佐する方が良いからである。また、あらゆる下準備を施すためでもある。

有能な怠け者。これは前線指揮官に向いている。

理由は主に二通りあり、1つは、怠け者であるために部下の力を遺憾なく発揮させるため。そして、どうすれば自分が、さらには部隊が楽に勝利できるかを考えるためである。

無能な怠け者。これは総司令官または連絡将校に向いている、もしくは下級兵士。

理由は自ら考え動こうとしないので、参謀や上官の命令どおりに動くためである。

無能な働き者。これは処刑するしかない。

理由は働き者ではあるが、無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし、更なる間違いを引き起こすため」

まあ、軍人を政治家に置き換えても似たようなものだろう。

昨今の尖閣諸島を巡る日本の対応を見ていると、まさしく「無能な働き者」の面目躍如といったところか。

「尖閣諸島は我が固有の領土」と意気高らかに侵犯中国漁船を拿捕してみたものの、逆に中国から強烈な制裁処置を食らってにっちもさっちも行かなくなる様は滑稽でもある。

素人目に見てもこの「侵犯中国漁船」は意図的に日本側を挑発して敢えて「拿捕」されるような状況を作り出すために送り込まれた工作船だ。

先に手を出させ、敵を術中に嵌める技はアメリカ、ロシア等、かつての「帝国主義国家」お得意の侵略手法である。

真珠湾攻撃然り、トンキン湾事件然りね。

それをきっかけに「戦争状態」を作り出し、「正義」の名の下に侵略戦争を展開する。

中国はその手法を手本に領土拡大を展開しているのだ。

そんな「挑発」にまんまと乗っけられた日本行政府の「マヌケ」ぶりは見ていて清清しい位だ。

日本が「領土」という面子に拘れば拘るほど、中国はあらゆる手を使って日本に圧力を掛けられる「駒」がたくさんある。

ところが日本にはなんにもない。

軍事力は中国の足元にも及ばず、はたまた経済や資源も「中国依存」で手も足も出ない。

中国にとっては日本の「用心棒」であるべきアメリカとの関係もギクシャクしていたから、今が「仕掛け時」と考えたのだろう。

その上、こんな稚拙な挑発にすらまんまと乗っかってしまう「無能な働き者」しかいない日本だから、中国にとっては笑いが止まらない。

因みに、先の改造内閣で外相になった政治家は、運輸建設大臣だったとき、後先考えずいきなり北関東あたりに建設中のダムプロジェクトを中止させたが、単に混乱を招いただけで誰も得をしなかった。

今回の件も似たようなもので領土を守る軍事力も外交戦略も皆無のくせに「尖閣は固有の領土」という原則に固執したものだから、案の定、中国の激しい制裁圧力に何一つ手を打てない。

まさに「無能な働き者」の典型であろう。

以前記した日記の如く、旧大戦時のインパール作戦を指揮した無能将軍を髣髴とさせて背筋が寒くなる。

もし、本気で「領土と主権」を守りたいならば、相手につけ入れられない「国家戦略」を構築するほかない。

そんな戦略すら立てられない無能に「国家主権」なんて守れるか。

中国はその気になれば日本を属国に出来る「国家戦略」を持っている。それを実践出来る程の力を持つに至った覇権主義強国だ。

その紛れもない「現実」を日本人は知らぬふりをして「現実逃避」している。

隣国が「いつでも攻め込む準備は出来ているぞ」と明らかなサインを送っているのにも拘わらず、まるで他人事のように愚鈍な日々を過ごしているのは滑稽ですらある。

テレビは相変わらず、どうでもいい芸能人の薬物ネタを垂れ流し、ガールズトークで時間を埋める。

たまにこの「尖閣問題」が話題に出ても「隣国なんだから仲良くして欲しいですね」みたいな寝言の類でお茶を濁す。

ネットはネットで愚にもつかない駄文で溢れ、危機感の欠片すらないか、諦めで満ちている。

相手は本気でこの国を脅かそうとしているのに「現実」を見ない日本の行政府とマスコミと国民。

もうこれは「国」ではないのだ。

そんな自尊心の欠片もない、ただのサンドバックみたいな「存在」だから南シナ海の孤島の主権すら守れない。

中国どころか近海を泳ぐエチゼンクラゲのほうがまだ尖閣の主権を有する権利があるというものだ。

アメリカの妾として弄ばれた奴隷根性が染み付いているのか、今度は遅かれ早かれ中国の「下男」として身支度でも始めたいらしい。

政治家も国民も「無能」は「無能」なりに立ち振る舞うのが身のためということか。

「無能な働き者」はどこまで行っても「無能なまま」である。

「無能」に主権はない。固有の領土なんて持つ事は出来ない。常に誰かに隷属されるしかない。

「無能」「馬鹿」が動き出せばみんなが迷惑する。

今の日本無能政治家、経営者、国民は下手に動かず中国に土下座する練習でも始めればいいのだ。

それに比べ、中国若人の意気揚々はどうだ?

たとえ、彼らがニートの身であっても、己の世代に「小日本」を屈服させられる現実を得られる喜びはそれを補って余りあるものがあろう。

「日本人が我が中国人民に土下座する」姿は、たとえ無職でも人生の喜びに繋がるのだ。

嗚呼、なんと羨ましいか!中国人民ニート。

ナショナリズムというものは日々己が置かれている絶望からすべてを解き放ってくれるのだ。

彼らはナチスドイツ下のヒトラーユーゲントの如く「魂の祭典」を味わう事となろう。

日本人奴隷を天安門広場で引きずりまわし、「愛国無罪」を叫ぶ。

港に行けば、中国の誇る正式空母の雄姿に胸躍らせ、世界の強国となった中華人民共和国の一員である事に誇りを持てるだろう。

そう、彼らには自尊心がある。

自尊心あればニートだろうと生きていける希望がある。

中国は今や、希望の国となりつつある。

何よりもやっつけるべき敵、屈服させるべき敵がいるからだ。

その敵は「無能」で「馬鹿」だからいっくら攻め立てても有効な反撃が出来ない「木偶の坊」日本である。

もし少しでも反抗すれば核兵器で焼きはらって仕舞えばいいのだ。

奴らは身を守るための核兵器を自ら放棄しているから、反撃される必要もないし、用心棒のアメリカからも見放されているから恐れるに足りぬ。

チベットみたいに併合して、金目の物を奪い、日本婦女子は陵辱し放題。日本男子は奴隷にして、役に立たぬ奴は皆殺しだ。

中国若人ニートはその権利が与えられているのだ。

これが国家主権の行使であり、この闘争の世界で唯一生き残る手段なのだ。

それを当たり前のように実践する中国を誰が責められようか。

アメリカもイスラエルも欧米もロシアもそうやって生き延びてきたのだ。

そのために彼らは「有能な働き者」を国家の軍事、経済、科学技術の中核に据えて「生き残る闘争」をしてきた。

その「闘争」を放棄した国に未来は与えられないのだ。

戦後、65年にして「無能」と「馬鹿」と「老人」と「石女」しかいなくなったこの日本に未来があるとはとても思えない。

「無能な働き者」がせっせと己の国民から自尊心を剥ぎ取り、奴隷根性を植え付け、世界中から袋叩きになってもへらへら笑っている知的障害か痴呆として振舞うしかない惨めな存在にしたこの日本。

そうだ。

「無能な働き者」に拘わるのはまっぴら御免である。

そんな連中の口車に乗ったらとんでもない事になろう。

こんな国は一度破壊して1から出直すしかない。

でももう、一度壊したらもはや立ち上がる体力など日本にあるとは思えない。

中国が核兵器を行使するまでもなく、京浜地帯に大地震が来れば一巻の終わり。

いや、この少子高齢化では放って置いても自滅は時間の問題。

東京スカイツリーが墓標となって無人の廃墟東京に突っ立っている姿が目に浮かぶようだ。

今はもうこの「無能な働き者」がどんな失敗を重ねるかだけが楽しみである。

中国側の「強烈な報復」も見物だし、それに右往左往するすべての「無能な働き者」馬鹿日本人をとくと拝見してやる。

そういえば、この間ラジオからこんな曲が流れていた。

命は一つ 人生は1回 だから命を捨てないようにね

あわてると ついフラフラと お国のためなのと 言われるとね

青くなって尻込みなさい 逃げなさい隠れなさい

お国は俺たち 死んだとて ずっと後まで残りますよね

失礼しましたで 終わるだけ 命のスペアはありませんよ

青くなって尻込みなさい 逃げなさい隠れなさい

命を捨てて 男になれと 言われた時には震えましょうよね

言われた時には 震えましょうよね

そうよ 私しゃ 女で結構 女の腐ったので構いませんよ

青くなって尻込みなさい 逃げなさい隠れなさい

死んで神様と言われるよりも 生きてバカだと言われましょうよね

きれいごと 並べられた時も この命を捨てないようにね

青くなって尻込みなさい 逃げなさい隠れなさい」

検索してみると加川良という人の「教訓 l」という曲らしい。

1971年、全共闘がまだ「死語」になっていない時代の曲だ。

「反戦歌」というジャンルが存在したこの頃の歌には虚構ながらも「希望」があった。

そんな時代の産物に今更共感するつもりもないが。

果たして65年前の総力戦で死んだ者が「犬死」だったかは知らない。

だがしかし少なくとも「国」は残った。

それは紛れもない事実だ。

しかしこれからの「戦争」なるものにはそんな大儀は存在しない。

なぜなら「戦争を否定」した「無能な働き者」に嗾けられた「死」は、どう転んでも「犬死」となるからだ。

それもまた、紛れもない事実であろう。

少なくとも中国には「有能な働き者」が国家の中枢で機能している。

そんな中国が本気になって「愛国無罪」を叫び「戦争」を仕掛けてくるのに、その「戦争」を否定した「無能な働き者」しかいない日本に何が出来ようか?

だから妙にこの歌の詩は心に響く。

「青くなって尻込みなさい 逃げなさい隠れなさい」

そう、もはや生き残るにはこの手しかないのだ。

穴倉に篭ってひたすら逃げ隠れる以外に何が出来よう?

己を守る「戦争」を選択出来ない哀れな民は逃げ隠れする惨めな存在として世界中から嘲笑されるのだ。

惨めの極みである。

もうこの国はおしまい。

命を掛ける価値など微塵もないし守るべき家族も愛する存在もないのだ。

たとえあったとしても守りべき手立てがない。

どうしようもないじゃないか。

だから

「青くなって尻込みなさい 逃げなさい隠れなさい。女の腐ったので結構」

そして行き着くところは中国人の奴隷にされて嬲り殺されて終わり。

なんだ。どっちみち「犬死」じゃないか?

馬鹿馬鹿しい。




2010年9月20日

「ストライクウィッチーズコミックアラカルト」アンソロジー漫画発表

25日に発される角川書店「ストライクウィッチーズコミックアラカルト」に8ページのアンソロジー漫画を描かせていただいた。

角川の仕事は「エヴァ4コマ」以来だろうか?

その見本誌が送られてきたので一読。

自分の作品に関しては、兎にも角にも「加筆したい!」「直したい!」の気持ちが一杯で直視出来ない。

今回はあまり空とかの背景を書き込まないでキャラクターを理没させないように努めたが、それが何だか裏目になってスカスカの絵になってしまった。

見ていると変な汗が出る・・。

あと、公式設定ではハルトマンとかの武装はMG42だが、あえて旧式のMG34を持たせてみたりと天邪鬼な事をしてみたが、素直に設定どうりに描けばよかったかなと反省ばかり。

考証的にもごまかしがいっぱいあるし・・。

今からでも書き直したい位である。

他の執筆陣は皆上手い方ばかりで恐縮だ。

反省多き仕事であったが、このような企画に参加させていただき幸いである。

次回があればまた参加してみたい。

よろしくの程を。



2010年9月13日

野反湖1泊記

先の週末、野反湖に行く。

群馬県吾妻郡中之条町(旧六合村)に位置する。

昨今ニュースで話題になっていた八場ダムの更に奥地。

野尻湖ではなく野反湖だ。

35年前、高校1年の夏休みにクラスの有志で湖畔のバンガローに泊まったことがあった。

当時、クラスの担任は自分が所属していた美術部の顧問。その担任が企画したと記憶する。

ツッパリ、ズベ公が全盛期の4流私立高校にあって石の下の虫のような存在だった自分。

どうでもいい3年間だったが、何故かこの野反湖キャンプだけは記憶に残った。

そういえば、初めての漫画作品(学漫の機関誌)もここの風景をモチーフにしたっけな?

珍しく拘りがあったのだ。

めったに出歩かず、飛行機すら未だ乗った事もない自分が何故か再び訪れたいと思っていた稀有な場所。

ネットで検索していたら急に行きたくなって趣味の実践も兼ねて赴く事にした。

上野から特急で長野原草津口へ。そこから1日2便のみの村営バスに乗り換える。目も回りそうなワインディングロードをひたすら北上。

そして5時間かけて辿り着いた富士見(野反)峠。

晴天に恵まれ、そこから見下ろす野反湖はまるでチベット高原のごとき絶景である。

実は野反湖は人造湖で、東京電力が昭和31年に作った野反ダムが堰き止めて出来た湖。

元は尾瀬ヶ原みたいな湿原が広がっていたという。今ほど環境問題に煩くなかったので、戦後のどさくさに紛れてやっつけで作ったダムらしい。

群馬県内なのに野反湖の水は日本海に流れ込んでいる。

要するにここは本州の分水嶺なのだ。

恐ろしいほどの僻地なので開発の手から免れて、人工的なものは殆ど見えない。

送電線、民家諸々視界に入ってこないし観光地にありがちな、ボートや売店施設もない。
あるのは湖北端に位置するロッジ位なもの。

キャンパーにとっては「知る人ぞ知る」秘境らしい。

だが、天候の変化は激しく、あっという間に曇ってきた。

今日、泊まるバンガローまでは湖畔の遊歩道を1時間半かけて歩かねばならない。

バスはすでにない。日が暮れる前に辿り着こうと、ひたすら歩く。

週末というのに誰一人出会うことのない遊歩道。

音は笹原を抜ける風だけだ。異様な静けさに人恋しさと恐怖を感じる。

実はこの辺り熊が出るらしい。

そんな山深い場なのに何故か風景は多摩湖を彷彿とさせる。

近くで見ると西武ドーム周辺と変わらないのだ。だからこの遊歩道を上がればすぐに西武多摩湖線で家に帰れると錯覚してしまうのだ。

白樺の木が妙にショーウインドーのディスプレーに見えたりして奇妙。

ふと、一人で歩いているのに誰かが後ろから付いてきている気配がする。

しかし、振り返っても誰も居ない。周囲数キロは無人なのに。

恐ろしい。

とにかく、この本州奥地で一人とぼとぼと歩いているとどんどん寂しさが込上げて来る。

「なんでこの歳で己は一人なのだ?」と。

そんないつものネガティブ妄想がより増幅され、ガクガクブルブルしてくる。ラジオから流れてくる加藤登紀子の曲もまたそんなネガティブ志向を助長する。

恐ろしい。

それに、いつ笹原から熊が飛び出すか解らないのだ。熊除けの鈴など持っていないし。

失禁しそうになりながら這い蹲って歩く。

もうどうにでもなれだ。

湖畔に立つ二つの樹が仲のよい夫婦に見える。

マトモな人間ならこの歳になればパートナーがいるはずなのになぜ自分は独りなのだとますますネガティブ回路に電流が流れ出す。

湖面がグニャっと曲がって己を嘲笑する幻覚が現れた。

これはまずい。

35年ぶりに訪れた野反湖でこんな思考に陥るとは思いも寄らなかった。

いや、寧ろ必然が?

己の立ち居地を考えれば何処へ行っても考える事は同じなのだ。

悔しかったら家族連れで来て見ろ。惨めな自分!と己が己を罵るうちにやっとロッジに到達する。

時刻は18時前。

カウンターでチェックインしてバンガローの鍵を預かる。

その前に食事をしなければ。

朝から何も食べていないのだ。

キャンプ場だから食堂など当然なかった。

無論自分は一切キャンプの用意などしていない。なぜなら元々持っていないから。食事をどうするか一切考えずに1泊を決めた事にここで気が付いた。

とにかく旅行など殆ど経験がない。学校の修学旅行程度しか記憶にない。

あと、せいぜい誰かが企画した旅に付いて行くだけ。

自分が企画した独り一泊旅行は、半世紀生きてこれが初めてだった。

さあ、困った。どうしよう。

無飲無食で2日間過ごすか?流石にそんな訳にもいくまい。

途方に暮れていると、幸いロッジの売店にキャンパー用のカップラーメンが置いてあったのでこれで凌ぐ事にした。

お湯は自由に使えるらしいので、ロッジの休憩所で独りカップラーメンを啜る。

そもそもキャンプ場に来て、カップラーメンをロッジで食べる客など皆無に等しいのでカウンターの管理人も不思議そうにこちらを見ていた。

もしかすると自殺志願者と思われたかもしれない。

時々、家族連れで来た子供たちが通りかかり、独り寂しくカップラーメンを啜る惨めな男をじっと眺めている。

恐ろしい!

50で独身だということがどれだけ惨めか、そのイタイケな視線が突き刺さる。

ちくしょう!

俺は見世物ではない!

否!

これは見世物なのだ!

絶望独身男性が如何に惨めかということを後世に伝えるための教育的シチュエーションなんだ!

そう自分に言い聞かせる。

もそもそと食べ終わったカップラーメンを片付けると、自分の泊まるバンガローへと向かう。

当然、35年前の面影はなく、皆新築されたものだ。

途中の炊事場で、楽しそうな家族連れの姿を見る。

自分よりずっと年下の父親が子供と少し遅い夏休みの思い出を作っているのだ。

楽しそうにはしゃぐ子供。美しく優しい母親。そして頼もしい父親。

まさに幸せな家族のカタチがここにある。

男人生50生きればこの位は当たり前に所有出来得る「無形財産」だ。

しかし、そのすべてを自分は持っていない!

右を見ても左を見ても楽しそうな家族連れがはしゃいでいる。

「パパ!ママ!ご飯が炊けそうだよ!」

「よし!ボウズ!お前が火から降ろしてみろ。おーい!ママ。食器の準備だ!」

「パパさん。おいしそうね。楽しみだわ」

そんな家族団欒を眺めていると炊事場の飯ごうがグニャッと曲がって、己に語りかけてくる。

「お前は何しに来た?ここは幸せな家族連れが幸福を確認するために来るところだ!お前のような絶望独身男性が赴くところじゃない!家で引き篭もってネットでもやってろ!さもなくば熊に食われて死んじまえ!この人生の敗北者!ガチョーン!」

自分は「ひい!」と叫んで、その恐ろしい妄想に追われるようにバンガローに飛び込む。

バンガローの中は薄嫌い裸電球のみ。

備品はゴザと寝具だけ。

キャンパーであれば、それで十分であろうが、自分はキャンプ用品何一つ持ってきていないから素で泊まるだけ。

携帯も繋がらない(auのみ可能)場で気晴らしのメールすら出来ない。

もっともメールする相手も殆ど居ないのだが。

コンセントもないので、たとえノートパソコンがあったとしても大したことは出来ない。

これじゃまるで独房だ。

この薄暗い「独房」の中で三角座りをしてじっとしているだけ。

一泊6000円を払って「刑務所」体験か?

やりきれない。

35年ぶりに訪れた野反湖。

独りになれば何か画期的な発想や閃き、感慨などが満ち溢れてくるかと期待したが、出てくるものは自室に引き篭もっている時と同じネガティブ妄想のみじゃないか!

そうだ!

どんなに離れても「ココロの中」の禍々しいモノは自分と一緒に付いて来る。たとえ何万光年旅したところで結果は同じだ。

さっき、遊歩道で感じた「追跡者」は自分そのものだ。

情報ネットから隔絶された場所にくるとますますその「自己完結」したネガティブ思考がこの「独房」のような閉塞状況で増幅され耐えがたきモノになってくる。

独り旅なんてものは「青臭さ」が残る20〜30代で済ませておくものだ。

それ以降は妻を娶り、子を作って家族で行くものである。

あるいは、人生の通過儀礼をすべて済ませ、子育ても一段落した初老の紳士淑女が悠々自適にハイキングと洒落込むためにこのような場所が用意されているのだ。

それが真っ当な人生じゃないか。

この歳で男一人一泊なんてそれこそ自殺志願者だ。

誰からも必要とされていない者が死ぬために来ているようなもの。

ここにくれば、いつものネガティブルーチンから解放されるかも思ったら逆に増幅されるとは皮肉なものだ!

「独房」の肌電球の下、おぞましい思考に苛み、時間がゆっくり過ぎていく。

野反湖は標高1500m以上なので夜半になると夏でも冷え込んでくる。上着など用意していないから惨めさが増幅される。

悶々としていても埒が明かないから寝る事にする。

電球を消すと真っ暗だ。

静寂がすべてを包み込む。

暫くすると夢を見た。

自分の下半身に見たこともない巨大な水疱がブツブツと発疹している。

なんだ?これは!と起き上がるとバンガローの隅に会った事もないOL風のスーツを着た知らない女性がニヤニヤ笑って座っているのだ。

恐ろしい!

「グギャアア」と叫んで起き上がるが、無論夢なので誰も居ない。

35年ぶりに訪れた美しい野反湖畔で見た夢が「病気」と「恐ろしい知らない女性」の姿だったとは何と情けないか。

自分には霊感なんてないので「お化け的恐怖」は感じなかったが、ただ情けなかっただけ。

これが予知夢だったら最低だ。

もっと自分の人生をポジティブに向かわせるような経験をしたかったのに、結局はネガティブを増幅させるために来ただけだったのか?

なんなんだ!ちくしょう!

嗚呼、絶望。

やがて夜明けが迫るとソラリスステーションのごとく窓の外が輝きはじめる。

朝焼け。そして日の出。
 
 しかし、自分の人生には日の出は来ない。

高校時代に見た同じ野反湖の朝とはあまりにもかけ離れた「辛い」朝だった。

晴天もつかの間、暫くすると雨が降ってきた。

冷たい雨だ。

もはや、この場に長居する意味もないと悟り、11時半の村営バスに乗り込む。

乗客は自分独り。

夏休みも終わったのでお客が少ないのか、あるいは殆ど自家用車利用のお客ばかりなのかは知らない。

バスの運ちゃんが手持ち無沙汰に話しかける。

聴けば自分と同じ50前後の人。

ちゃんと結婚し、娘もいるとか。

そんな世間話をしつつ、長野原草津口に到着。

「下界」は猛烈な残暑。

これから日常に戻っていくのだと書きたい所だが、結局何処へ行っても同じだと悟ったのでそんな感想もなし。

これだけ拘りがあった場所であったのに、得られたものは「絶望の再確認」。

お土産もなし。買ったものは空腹を凌ぐためのカップラーメンと飴のみ。

そこら辺のコンビニで売っているようなものでね。

我ながら素晴らしい。

結局、自分は旅の楽しみを得る事のない人間なのだ。

何処へ行ってもヒキコモリの延長でしかない。

己の惨めな人生を確固としただけの野反湖一泊記であった。



2010年9月2日

2010年8月の気象衛星連続画像

2010年8月の気象衛星連続画像を見つけたので貼り付けておく。

記録的猛暑を作った太平洋高気圧に注目。

12〜14日前後に日本海を進んで秋田辺りに上陸した台風4号を除いて、主だった悪天要素は関東周辺には現れず、むしろ8月中盤からますます高気圧勢力ははっきりしてきたようだ。

特に17日以降からは、北海道の一部を除いて終日宇宙から日本列島が丸見えの状態が続いているのは凄い。

雲が多い日本列島周辺において晴天域がこれ程大きく長期間に渡って続くというのは珍しい。

偏西風の蛇行も全球画像で見ると著名で雲の流れが日本海から北海道南部のほうへと北上している。この波動が少しずれただけで猛暑か冷夏の分かれ目になろう。

この夏、日高地方で遭難が目立ったのもこのせいだろう。ずっとこの辺りに雲の道が出来ており、前線帯となって恒常的に激しい雨を降らせていたのだ。

普段の夏ならこんなところに「豪雨帯」など出来なかったから登山者は油断したと思われる。

台風もこのラインに沿って北上して北太平洋に抜けている。

実に興味深い。

これだけ同じ場所に安定した高気圧が留まるのは何十年に一度の割合なのかもしれないので記憶に留めておこう。

因みにこの気圧配置は9月半ばまで続くらしい。



2010年9月1日

気象衛星画像から見る今年の猛暑

新聞に気象衛星画像が掲載され始めた頃、毎日のようにそれを切り抜いていた事があった。

1980年前後だったか。10年ぐらい続けた記憶がある。

それを連続撮影してアニメにしようかと考えた事もあったが、結局膨大な作業量になるので止めた。

以前、LDで気象衛星画像の1年を連続したシリーズがあって購入したこともあった。

残念ながらプレイヤーがすでにないので再生できないが。

今や、気象衛星画像などネットでいくらでも見られる。

しかし、1年を通した動画を探しても意外に見つからない。

気象庁のサイトも最長24時間しか観ることが出来ぬ。どこかにアーカイブされているのだろうが場所がわからない。

さて、今年の猛暑を気象衛星画像で振り返ろうと探していたらこんなのがあった。

7月の天気図と気象衛星画像を繋いだもの。

まだ8月のものはアップされていないようだが、先々月の画像を見ても興味深いものがある。

梅雨前線や梅雨明け、太平洋高気圧の縁を時計回りに周り込んでくる寒気や夕立の雲がよく解る。

8月の猛暑は本州東海上の太平洋というか、ほぼ関東を中心にぐるぐると時計回りに広大な晴天域がどっしりと腰を下ろしているのが覗える。

これは8月31日前後の気象衛星画像でも解る。恐らく1ヶ月以上に渡ってこの状況が続いていたのだろう。

まるで中央アジアの砂漠地帯に構えた高気圧の如くである。

これだと局地的雷雨はあっても広域に降る雨は期待出来ない。

こういった画像を見れば素人でも直感的に気象の状況を把握できる。

ところが最近のテレビ天気予報は、殆ど気象衛星画像を活用しない。ちらっと出てくるだけ。

単純図式化された天気図でああだこうだ解説されてもピンと来ない。

なんだか担当している気象予報士の無能さを隠すために敢えて気象衛星画像を活用しないんじゃないかと穿った見方をしてしまう。

特に女性気象予報士の解説が胡散臭い。

ガイアの政に「穢れた存在」である女があれこれ口を出せば、いずれ神罰が下るのではないかと恐ろしくて耐えられない。

天気予報なんざ気象衛星画像の動画を何回かリピートさせて、「自分で判断しろ」で済むんじゃないか?

いずれにしろ、今年のような夏らしい夏は、気象衛星画像でもメリハリがあってスカッとする。

関東中心に時計回りにぐるぐる周る最強高気圧に『ガリガリ君』も感謝せねばなるまい。


2010年8月31日

「いらない人間」が過ごした夏休み

8月31日は夏休み最終日。

この歳になっても幼少の頃のサイクルが染み付いて諸々の下らなくて情けない記憶が甦る。

劣等生で何の取柄もなかった小学校3年くらいまでは、夏休みの宿題なんて一切やっていなかった。

プール教室をボイコットし、仮病を使っても「嫌な事」から逃げ出す位が夏休みの「最大行事」だった。

東海大相模が高校野球決勝に進出したのが40年ぶりだということだったが、その当時、テレビの前で無邪気に観戦していた記述が、夏休み絵日記帳に残されていた。

その頃、親に買ってもらったグローブは今でも使う事が出来る。

まさか、40年後、これでキャッチボールしているとは夢にも思わなかったろう。

残念ながらキャッチボールの相手は息子ではないが。

いずれにしろ、当時の絵日記を紐解くたびに、己の情けない幼少の頃が甦り、いたたまれなくなる。

こんな知的障害のような役立たずの小学生に将来の夢なんかあろうはずもない。

まったくもって出来損ないの自分の子供時代に無性に腹が立つ。

クラスメートの女子に集団で馬鹿にされ、成績も殆どの科目が「劣っている」の欄にチェックされ、担任の女教師からは「足手まとい」「迷惑な存在」「役立たず」とあからさまに罵られたのを、今でも鮮明に覚えている。

今日の絶望の源泉はあの小学校5〜6年時の女担任教師の賜物である。

現在、生きているかは知らぬが40年後、自分が担任した教え子にこんなふうに蒸し返されているとは思いも寄るまい。

人の欠点ばかり論ってねちねち責めてくるタイプの女性に標的にされやすかったから、その典型的なタイプの教師である彼女は水を得た魚の様に自分を突き回してきた。

今から思えばまさに精神的リンチのようだったが、幼少の自分には解るはずもない。

あんな教師の下で過ごさなかったら、もう少しマシな人間になっていたかもしれない。

小学生時代にどんな教師につくかで人間の出来不出来が決まってしまうかを如実に物語る経験だった。つくづく先生なんかになりたくないと思った。

嫌な事があったら「逃げ出す事」しか思いつかなかった幼少の自分。

蝉時雨の中、ただひたすら逃げて逃げて逃げ回った。

だがその感情を表に出す勇気もなく、絵日記には親に媚びていたのか「これからはちゃんとやろうと思う」なんて嘘八百を並べていたのだ。

挙句、40年後はこの有様である。

幼少の自分を嫌悪するのと同じく、当時の自分が2010年、50になったこの「絶望独身男性」たる自分をみたらどう思うだろう?

結婚もせず、子供も設けられず、煮え切らない日々を送っている「50歳の自分」を観たら、恐らくは卒倒してしまうだろう。

こんな大人になるなんて絶対嫌だと泣き喚くだろう。

だがもう遅いのだ!10歳のお前!

泣こうが喚こうが「人生の敗北者」とはこういうものなんだ。

当時のお前と同じく、屈辱に塗れ、誰からも必要とされない「いらない人間」として朽ち果てるしかないのだよ!

ざまあみろ!当時の自分。

ダメな人間は幾つになろうともダメなんだ!思い知れ!

夏休みが終わる。

宿題も何もやっていないが、否応なしに8月は終わって結果を迫られる。

なにもやっていない自分は例の如く、先生から叱咤され、クラスメイトからは嘲笑を浴びるのだ。

同じようにまもなく人生の黄昏が迫るというのに、結婚も子供も設けられず、男として成就したものはなにもないまま、年貢の納め時がやってくる。

恐ろしい!恐ろしい!

劣等生はどこまで行っても劣等生のまま。どん底人生救いなし。

ヒグラシとツクツク法師が合唱する夏の黄昏。人生の黄昏。

明日が9月1日ではなく「8月32日」に続く分岐点があったなら、迷わず自分は「8月32日」に進んだだろう。

その結果が「今」だとしても、もはや9月1日への道はとっくに閉ざされている。

「人生の閉経」

「8月32日」のなかでひとり寂しく朽ち果てるしかないのだ。

2010年8月30日

コミティア参加お疲れ。そして夏の終わり。

コミティア参加各位には猛暑の中、各員奮闘のことだったろう。

当あびゅうきょ工房ブース来訪の紳士淑女にはこの場を借りて御礼申し上げる。

一人参加の上、昼夜逆転の生活パターンで、14時過ぎには自分のブースで居眠りしてしまった。

撤収もバタバタして、チラシと一緒にせっかく描いたアンケートも捨ててしまった。不覚。時々やってしまう。


やや反省多きコミティアであった。

8月週末は今年もコンプリート。3週続けてのビッグサイトであった。

今年は晴天に恵まれ猛暑も相まって夏らしい夏として記憶に刻まれるだろう。

ところで帰りのJR中央線がやたら混んでいた。

どうやら高円寺の阿波踊り客。

阿佐ヶ谷の七夕祭りと双璧を成す高円寺の阿波踊りも、いつの間にか集客100万人だとか?

子供の頃は近所のイベント程度のお祭りが今や「東京名物」である。

七夕も阿波踊りもこの地域以外の人々を巻き込む祭りにまで発展してしまった。

これは今年の阿佐ヶ谷七夕祭りの風景。

さて高円寺駅周辺を少し歩いてみたが人だらけで身動き取れない。通行規制がなされるが収拾がつかず、阿波踊り本体など見えはしない。

以前にはなかった出店が道の前に並び、人の流れを堰き止めているのも一因かもしれない。

それにしても何かに取り憑かれたように人々が集まってくるのはなぜか?それも若い人間が多い。

七夕も阿波踊りも今の若い者を引き付ける嗜好など何もないのだが。

思うに希薄化された人間関係を埋め合わせるためではないかと思う。

もはや地域の結びつきどころか核家族を通り過ぎ、同居親族間のコミュニケーションすら希薄化した時代。

意思の疎通はメールや携帯だけ。仕事場は割り切った建前で成り立っていて、直接身体で魂を触れ合う場など日常にはない。

特に東京はそれが著明だ。

だが所詮「生身の人間」がそんな環境で正常な精神を維持しつつけることは不可能だ。

だからこういう祭りの日に普段の希薄化を埋め合わせるために、一気に出てくるのではなかろうか?

敢えて「祭り」という場に身を晒し、人込みに洗われて「穢れ」を落すのだ。

東京生まれ、東京育ちの世代が台頭し、東京山の手土着の者が「祭」の場を模索すれば自ずと地勢的に高円寺や阿佐ヶ谷という中央線沿線が選ばれる。アクセスしやすいということもあるだろう。

結局、いつの時代になっても「祭」は人を呼ぶ。

そしてその「祭」のなかで自分の存在を確認するのだ。

自宅に帰ると、風に乗って唸るような阿波踊りの音が聞こえてくる。

これを耳にすると、いよいよ夏も終わりだ。


2010年8月29日

明日はコミティア

COMITIA93(8/29東京ビッグサイト西2ホール)のスペースは「こ」13aです。

宜しくの程を


2010年8月27日

余計なお世話的ニュース

暑さで目が覚める。

トタン屋根の2階が仕事部屋兼寝室なので締め切ったままにすると暑い。

特に今年のような猛暑だと、昼間40C近くになる。

だが、昼間は極力クーラーはつけない。15年くらい前までは冷房機すらなかったので暑くて眠れぬほどだったがそれでもなんとか凌いでいた。
乾燥した晴天の夏日は風がある。

結構気持ちがいい。

汗をかくということは心地よい事に最近、気が付く。

サウナと同じ理屈で40Cの部屋も「住めば都」なのである。

最近、テレビを灯すと「熱中症!熱中症!」と煩い。

「熱中症」云々は花粉症と同じ。メディアが騒ぐからなる。

昔は熱射病はあったが「熱中症」なんて聞かなかった。

誰かの悪知恵だろう。

暑さで死ぬのはいつの時代にもいたし、今になって増えたわけでもない。

暑かろうが寒かろうが弱った人間は死ぬ。

放っておけばいいのだ。

「熱中症」以外にも最近、余計なお世話的ニュースが多い。

早期がんを大々的に「公示」する芸能人が目立つが、これは新たな「宣伝戦略」かとも思えてくる。

本人の意思で「公示」しているのかは知らないが、胡散臭さが鼻につく。

有名人なら治療する金も余裕もあるが、巷の「人生の敗北者」からすれば、罹ったら終わりである。

計算立てて己の病を「宣伝」する有名人には辟易する。

いちいち計算しながら生きる人生など真っ平御免。

公表するのは死んでからにしろ。

若くして鬼籍に入ったアニメ監督のように。

不妊治療の結果を「公示」する50代の女性代議士も嫌な存在だ。

そんなのは己のプライベートな事柄であり極力外に漏らす事ではなかろう。

金も地位もある代議士だからこそ出来る事を巷にばら撒いてどうする?

高齢出産など母体にも産まれてくる子供にも不幸で危険なのだから、妙な「希望」を持たせて高齢不妊女性を苦しませるな。

そもそも若い女性から出産の機会を失わせる「男女共同参画」を奨励しておきながら、自分だけ外国で不妊治療をうけて子供を設けようなんてどれだけの裏切り行為なんだ?

未婚のまま子も産まずに40代を迎える独身女性に「お前の人生は間違っている。やっぱり20代に結婚し、子を産むのが女性としての幸せ。ご愁傷様」と言っているようなもの。

20〜30代で結婚して、子を出産する女性が「勝ち組」ということは語るまでもない。

それに気が付かなかった者が後悔する。

この代議士の「裏切り行為」は「現実」を改めて証明したに過ぎないのだが、あまりにも露骨すぎるし痛々しい。

男女問わず、50を過ぎて「若い頃に成すべき通過儀礼」を求める姿は酷だ。

己の失敗を悟り「孤独死」を甘んじて受け入れる覚悟をするしかない「人生の敗北者」に失礼極まりない。

どっかの民間治療法に対し、「権威ある」機関が科学的根拠がないので止めろといったとか言わないとか。

実際のところこれが本当に科学的根拠がない治療法なのかは知らない。

確かに「飴玉」ひとつで万病が治せるとは思えないが、所詮「病は気から」である。

メンタル部分が大きく影響しているのは事実だ。

単に水しか入っていない薬を「特効薬」と言い聞かせて服用しただけで病状が改善したという例はよく聞く。

昨今のインフルエンザも花粉症も7割方は「暗示」や「洗脳」によって左右されているに違いない。

もし、春先に一切「花粉症」の話題をマスコミが流さなかったら、患者数が大幅に減少するのは目に見えている。

それをしないのなぜか?

薬が売れなくなるからである。医者の儲けがなくなるからである。

メディアと結託した「新手の商法」で潤っている連中が「怪しげな民間治療法」を否定している姿は滑稽でもある。

どっちも似たようなものだろう?

昨今様々な「病」の早期検診を呼びかける宣伝が煩い。

これも「花粉症」宣伝と同じく、医療関係企業と従業者の「金儲け」のためであろうことは想像できる。

早期検診ばかりされて逆に体調を壊すんじゃないのかと思う位、煩い。

自然治癒に任せる考え方は間違っていないし、西洋医学が万能なんて思わない。

だが、叩かれている民間治療法もまた「怪しげな飴玉」を提供する時点で、胡散臭い。

自然治癒なんて人それぞれ道程が異なるものだ。

そんなものを「薬」や「飴」ひとつで何とかなろうはずもない。

西洋医学もなんたら治療法も大きなお世話なんである。

所詮は患者から搾取する分け前が減るので邪魔しあっている痴話喧嘩。

相手にするだけ馬鹿馬鹿しい。

勝手にやってろ。

結局、一番の健康法は「知らぬが仏」だ。

自覚症状がないのならいいじゃないか。手遅れにならないうちにとかいうが日々ビクビクしながら生きるより余程「健康的」だ。

人は皆「運が悪けりゃ死ぬだけ」の存在。

死の直前までそれを知らないのが「真の幸せ」。

それを引っ掻き回して「生きるための醜い執着」などしたくもない。

本当に大きなお世話である。


2010年8月24日

夏の夕暮れに聴く楽曲

渋谷にあった老舗のCD屋が閉店してしまったそうである。原因は売り上げ不振とか。

今や「音楽」はネットで曲名とアーティストを検索すればあっさり動画サイトで聞けてしまうらしい。

それもデジタルな高音質で。

試しにやってみたら、確かにあっという間に出てきた。

魔法みたいなものか。

よくブログなどで自分のお気に入り楽曲としてその動画サイトをリンクしているのを見かけるが、こんな簡単にアクセス出来るとはびっくりである。

だからみんな率先してやるのだろう。

よって試しに自分もやってみる。

このシーズン、夏の夕暮れに高いところから街を見下ろしているとこの曲がBGMみたいに頭の中で聴こえ始める。

高層ビルの展望ロビーから眺める黄昏の街や、幸せそうな恋人同士の客のシルエットをロンリーに眺める己の琴線に触れた曲だった。

オフコースは学生時代よく聴いてた。

この『哀しき街』は歌っているのが小田ではなく、別の人だった記憶がある。

あまりメンバーの名前を覚える事はしなかった。

結局レコードは一枚も買わず、後にCDになっても買わなかった。

唯一、1983年頃、NHKFMで放送された「オフコース特集」かなにかをエアチェックし、カセットテープに録音したものが何本かあるだけ。その中にこの曲もあった。

今でも再生可能だ。

無論、デジタル録音でもなく、アナログの、それもヒスノイズやどこかのイグニッションノイズが紛れ込んだ代物。経年変化もあろう。

だが、今こうして動画サイトから高音質で聴いたからといって、四半世紀前にアナログ録音した「音」に勝っているとはとても思えない。たまたまこれには付いていなかったが「動画」も余計である。己のイメージと合致する事は100%ありえない。

自分の世代において「ダウンロードして楽曲を聴く」という行為は、「音楽」を堪能するということとは程遠い感じがする。

多分、物心ついた頃からネットがある環境に生きている世代であればそんなこともないのだろう。

CDが出てきた頃はアナログレコード派にとって認めがたい音楽媒体だったはずだ。

そして、レコードが発明された頃には「蓄音」された音楽など許しがたい存在と反発した者も多かったろう。

技術革新が音楽媒体の環境を変えていき、聴く側の姿勢も必然的に変わらざるを得ないのだ。

そういう意味では、もはや自分は現在のネット環境についていけない世代になってしまったのだろう。

いずれにしろ、お気に入りの音楽に辿り着くまでは、ラジオにしろ、CDにしろ、ネットにしろ諸々の「過程」が存在するわけでネットの時代になったからといってその「過程」自体が変異した訳ではない。

所詮、聴くのは「生身の人間」だ。

それぞれ心の喜怒哀楽に刻み込まれた人生を経由して、それが「忘れがたい楽曲」となる。

受け取る者によってその楽曲のイメージは全部違う。

そして瞬時に得られる情報は瞬時に忘れられる。

途中の過程をショートカットする情報取得は、いわば熟成されないワインの原液を飲んでいるようなものだ。

アルコール分ゼロの「お酒」を飲んだつもりになっているだけ。

時間を経なければ得られない「旨味」というものがある。

芳醇な香りに辿り着くまでには幾星霜を要する。

ネットといえど、その「工程」を圧縮する事は不可能だ。

ネットは巧みに人からその重要な「工程」を盗み取っていく。


2010年8月23日

夜の横田基地友好祭2010

今年も横田基地友好祭に赴く。

今回は16時位から参加する。流石に日中は暑すぎてしんどい。

もっとも、ここの基地開放は飛行展示も殆どなく、地上展示メインなので昼間行くメリットはあまりない。

2日目は花火の打ち上げもあり、21時まで開放しているので夕方から行ったほうが楽しめる。

この日も猛暑だったが風が心地よく、比較的凌ぎやすい。

昨年に引き続いてラプターが来ていたが、他は目立った外来機もなく駐機場所も同じだったので写真を撮っても同じような構図ばかり。

しかし夕方だったので陽の当たり具合が順光となり撮影には適していた。

更に月が出ていたのでキャノピー越しに月を加え写真にアクセントを加える事が出来た。

夕景はインパクトのある写真になる。但し駐機場の立ち入りは18時まで。

それ以降は追い出されてしまう。以前は軍用犬で入場者を「追い払って」いたが、最近は地元警察の白バイに代わっている様だ。

出店のあるエリアに戻って食料と水分を補給。

1200円のステーキと200円のゲータレードを購入。

ぱさぱさの肉と色水みたいなドリンクがいかにも「アメリカン」である。ここでなければとても食べれない。

広々とした3000m滑走路脇で広大に開けた夜空を見上げられるのは首都圏ではここ位だ。

駐機場もライトに照らされて趣きがある。

20時25分から花火開始。

場所を選べば駐機された飛行機をバックに写真が撮れたのだが、三脚を持ってこなかったので今回は裸眼で楽しむ。

周りは小さい子供が居る家族連ればかりが目立つ。親はみんな自分より年下だ。

夏休みの思い出みたいな感じで過ごしているのだろう。

一方、自分はまるで「8月32日」に迷い込んで抜けられないまま半世紀の絶望独身男性。

このギャップが恐ろしい。

でもその小さい子供を連れた父親の風貌を見ると、髪を染めていたり、金のブレスレッドやピアスをしていたりスキンヘッドだったりと「近寄りがたい」タイプばかり。

「堅気」な父親はあまり見られない。自分たちが子供の頃イメージしていた典型的な「父親」はもうどこにもいないのだ。

もっとも横田基地近郊の福生や瑞穂町あたりはこんな感じの人間が多いので単に地域差なのかも知れないが。

21時に花火打ち上げ終了と共に横田基地祭も閉会。

お客がどっとゲートに進む。

出口の第五ゲートが国道20号線を跨いでいるので信号待ちでネックになっているため基地から出るのに時間がかかる。

最寄の牛浜駅に着いたのは22時近くであった。

2010年8月16日

コミケット78終了。来場感謝。

本日、コミケット78あびゅうきょスペースにお越し頂いた方にはこの場を借りて御礼申し上げます。

今回配置された場所が西館とあって、それも「少年創作」ジャンルがメインの西2ホールではなく「少女創作」や「JUNE」メインの西1ホールにはみ出た「辺境の地」。

午前中はとてもコミケとは思えないほど閑散としていた。

いつもなら午前11時から13時位に来客が集中する時間帯なのだが、その気配なし。

ようやく、14時を過ぎて多少の人垣が出来始める。

おそらく、やっと東から回ってきていただけたのだろう。メインは東なので、西はどうしても後回しだ。

だが時すでに遅し。

軍資金も体力も尽きて多くは脱落し、西まで足を伸ばせない。

その上、ここは「少年創作」メインの西2ホールからも離れている。

「少女創作」や「やおい」「JUNE」が隣接する場まで足を運ぶ「少年創作」目的一般参加者は少ないのではないか。

結局、売り上げは前回に比べ、かなり減ってしまった。

昨年の夏も「少年創作」ジャンルは西だったのだが、それほど来客数は落ちなかった。おそらく西2ホール真ん中辺りだったのが良かったのかもしれない。

しかし2000年に西に配置された時は東に比べ、半分くらいしか売れなかった時もあり、西館は鬼門である。

加えて、今回この周辺は覇気があまりみられないサークルが目立ち、「過疎感」が更に増幅された。

向かいの島スペースの列を眺めると、僅かばかりのコピー誌を並べただけのサークルが殆ど。立ち止まる人も少ない。大手の本を買いたいがためにサークル参加している訳ではないだろうが、自己表現アピールがメインだったらもう少しちゃんとした本を作ったら如何であろう。

配置を考えるのは準備会であって、一サークルがあれこれ言える立場にないが、やはり配置されるなら覇気のあるサークルが林立する元気で活気ある場所がよい。

いずれにせよ、西館だとコミケという感じがしない。東の3個ホール分筒抜けの壮観さは西では得られない。

特に今回は閑散とした場所だったので、中小イベントと殆ど変わらない感覚。

恒例夏コミ風物詩「濡れた1000円札」が飛び交う興奮も今ひとつ。

出来れば「少年創作」は東に固定してもらいたいものである。

今回はちょっと寂しいコミケであった。


2010年8月13日

コミックマーケット78あびゅうきょ新刊告知

コミックマーケット78新刊告知。

東京ビッグサイトにて開かれているコミックマーケット。

あびゅうきょスペースは15日(日曜日)西ね11bとなっておりますので何卒よろしくの程を。

新刊は今回のコミケ合わせが2本(冊子1、音楽CD1)。

5月のコミティア初売りの1冊。

他、既刊本多数。

よろしくお願いいたします。

新刊/『ラジオアイドル妄想記2』

サイズ/A5版24P

頒布予価/350円

1970年代後半から1990年代半ばまでのラジオとアイドルを私的妄想したイラストエッセイの第2弾。
   
 
波の数だけAIR CHECK with 初音ミクCD

音楽CD

頒布予価/1000円

作曲/ゆーま

作詞/あびゅうきょ

市川FM人気DJゆーまさんとのコラボによるあびゅうきょ作詞の楽曲『波の数だけ1985』の音楽CDが遂に完成。

オリジナル曲『火葬場くん』も収録。


2010年8月11日

『借り暮らしのアリエッティー』監督を取り上げた番組を観る

先日、NHKで現在公開中のジブリ映画『借り暮らしのアリエッティー』を担当した若手監督密着レポートみたいな番組をやっていたので観る。

宮崎駿氏の後継者育成みたいな視点から捉えた構成。

演出がどの程度入っているか定かでないが、額面どおり受け止めて見た限り、なんだか監督というよりも宮崎駿氏の「下請け」責任者というイメージで痛々しかった。

もはやジブリそのものがブランド化している訳でジブリ=「宮崎アニメ」なのである。

だから、宮崎氏以外の人が監督をやったとしても結局は「宮崎アニメ」を踏襲しなくてはいけない。

いわば、宮崎駿氏のイエスマンとして忠実に動かねばジブリに在籍している意味がない。

今回、宮崎氏はあまり口を出さず、この新人監督に任せたというが、ジブリに居る限り、たとえ総本山が口を出さなくとも「無言の圧力」で「宮崎アニメ」を忠実に描かねばならないのだろう。

その「無言の圧力」でこの新人監督はほとほと参っているようで、見ていて痛々しかった。

だが、宮崎アニメブランドがこれだけ確立した以上、この作風を維持することは重要だ。

ジブリスタッフにとって最大の使命は「宮崎アニメ」を如何に忠実に継承していくかのみである。

たとえ宮崎駿氏がこの世を去ったとしても、このブランドは死守しなければならぬ。

だから、この新人監督もそのためにのみに全精力を尽くす。

命をすり減らしてでも「滅私ジブリ奉公」しなければならなかった。

誰が「2代目宮崎駿」を襲名するのか解らないが、ジブリはやがて能や歌舞伎と同じく日本の伝統芸としての道を歩む宿命なのだ。

動き、情感、カット割り、キャラクター設定他ありとあらゆる「宮崎アニメ」的手法が明文化され、寸分違わずそれを未来に継承することがジブリの使命なのだ。

「サザエさん」と同じく、原作者がこの世を去っても継承していかねばいけないものがある。

それにしても、宮崎駿氏は元気だ。

後継者の方が先に鬼籍に入るほどのバイタリティーはどこからくるのか?

いや、若い世代があまりにも脆弱すぎるのか?

『借り暮らしのアリエッティー』の監督も独身なのか?

家族や妻や子の話はまったく出てこない。

やはり妻子を持たぬ男子は生命力が弱いのだろう。

団塊の世代が持つ卑しいほどの生への執着がないと、ジブリ後継者は宮崎氏よりも先にばたばた死んでいくばかり。

だけどそんな生命力旺盛なアニメーターは、おそらく宮崎駿氏が君臨する下で仕事しようなんて思わないかも。

ジブリの中で宮崎色に染まるだけなんて面白くないだろうしね。

でもそんな血気盛んなアニメーターがジブリと競うように創作できる環境が、今の日本アニメ界にあるという話は聞かない。

総てにおいてどことなく元気も覇気もないまま。

薄給の中でのた打ち回るうめき声しか聞こえてこない。

今回の新人監督のようにどこか弱弱しく、痛々しい姿は、日本アニメ界の将来をみるようで辛い。

彼もあと何年生きられるだろうか?

頑張って欲しい。

でもジブリで監督を担当し、こうしてNHKテレビで密着レポートまで取り上げられた時点で彼の人生は成功したも同然。

たとえ「宮崎アニメ」踏襲作品だとしても、多くの人に自分の作品を見てもらえたのだからクリエーターとして本望だ。

これで死んでも思い残す事はなかろう。

羨ましい限りである。


2010年8月10日

過去志向ニッポン

昼のテレビで長崎で被爆したキリスト教会の廃墟が1958年頃に解体された話題をやっていた。

広島の「原爆ドーム」は残されたのに、長崎のこれはあっさり解体され同じところに新たな教会が再建された。

どうやら過去に拘るよりこれから未来の人間を救済する事を優先したとか。

現代までこの廃墟の教会が残っていれば「世界遺産」に指定されてもおかしくなかったが、はたしてこの選択は間違っていたのか?

多分、当時の日本人は今日よりも「被爆」という概念はさほど深くなく、それよりも明日の日本をどうするかが急務で、遅かれ早かれ「被爆」の存在は過去のものとなると考えていたのだろう。

だから被爆教会もあっさり解体され、そのようなものには価値などないと判断したのかもしれない。

広島の「原爆ドーム」だって当時からすればさっさと再開発して「戦争の悪夢」とおさらばしたかったのかもしれない。ただ解体するには大きすぎたので放置していたらいつの間にか「反核の象徴」にされて壊すに壊せなくなってしまったというのが本音ではなかろうか?

年月が経つにつれ、「被爆」「反核」という概念の価値観が増し、「被爆者」はある意味、ステイタスとなった。

かつては忘れ去られるべき「忌まわしき過去」が、「記憶にとどめるべき過去」となった。

好むと好まざるに拘わらず、今の時代は未来よりも過去を振り向くことが利益に繋がる「過去志向」の時代だ。

65年も前に終わった戦争を「都合よく」解釈すれば、いくらでも「お金」を得る事が出来る。

アメリカの大使まで引っ張ってきて「謝罪」紛いなことを要求すれば、アメリカからも「甘い汁」が吸えるという期待もあろう。

原子爆弾で何十万人もの非戦闘員が虐殺された。

それは戦争を選択し「敗戦」したという結果であり、その歴史は変えられない。

賠償を得られるのは勝者だけだ。

勝てば官軍。負ければ賊軍。

アメリカに謝罪を求めるなど笑止千万であり、あわよくば「賠償金」を頂こうなんて権利は敗戦国にはない。

むしろ、長崎の被爆教会を解体した頃の日本人のほうが潔く未来志向があった気がする。

「負けは負け」と悟っていたからね。

だから「被爆」の過去に拘るより、自らの手で未来を構築する選択をしたのだ。

毎年8月、「反核」の象徴「原爆ドーム」に巡礼し、「念仏」のようなメッセージを唱えるだけの姿を見ていると、1950年代の日本人のほうがよっぽど賢く思えるのは自分だけか?

過去に縋るしかないだけの日本人。

人もモノも「過去」にしか価値を見出せない国。

だが逆説的に言えば、「原爆ドーム」とか「軍艦島」のような廃墟にこそ、高い価値があるというのは事実であって、長崎の被爆廃墟教会だって、建築物としては残したほうがよかった。

「再開発」するごとに劣化する日本はどう転んでも「過去の遺物」に縋る以外に生き残る道はないのだ。

今の日本に価値あるものといえば廃墟位なもの。

過去志向ニッポン万歳。


2010年8月6日

50過ぎて「青春の夏」

今年の4月頃は偏西風の蛇行で寒気が日本に入り込み猛烈に寒い春だった。

この傾向が夏まで続いて記録的冷夏になるなんて予想もあったが、蓋を開けてみると猛暑。

東太平洋やインド洋の海水温が高く、そこで上昇気流となった気団が日本付近に下降気流となり安定した高気圧を形成した結果らしい。

結局鉛直方向から「夏」が降りてきたのだ。

夏らしい夏を楽しみたいなんて想うようになったのはここ10年位のもの。

子供の頃はプール教室から如何に逃げるかで一杯だったし、青年期になっても「夏の淡い思い出」なんて殆どなかった。

精々、大学生当時のサークルで合宿時の悶々としたネガティブな記憶位しかない。

数多のドラマ、小説、漫画、映画には夏に「恋愛」が絡むものが定番だが、「もてない男」にとってそんなものは御伽噺。

伊集院光がラジオで喋っていたが夏の思い出に「恋愛」を絡めるなんて邪道である。

自分も振り返るに、20代から30代半ばまで、いや40近くまで異性との「夏の思い出」なんて皆無だった。

人間として最も若々しく活性化していた時期に一切異性との関りゼロだった自分の人生を顧みると、ある意味凄いと思う。

デートはおろか、特定の異性と食事や会話すらした記憶がない。

ひたすら家に篭って漫画を描いていただけ。

だからといって女性に興味がないわけでもなく、いや人一倍興味があったのだがヒキコモリ状態では出会いの場などあるはずもない。

学生時代のトラウマを引きずり、それを悶々と自分の中で発酵させるだけの日々。

物欲もなかったので家庭用ビデオすらなく、「おかず」は古本屋で漁ってきたり拾ってきた昭和50年代の雑誌グラビアのみ。

『写真時代』とか『GORO』とかね。

アラーキーの撮った今だったら児童ポルノで一発でアウトみたいな写真で己のリビドーを慰めていたのだ。

驚くなかれ、大学を卒業してから「男盛り」の15年間近くずっとこれで過ごしたのである。

ネットもDVDも何にもない時代、ビデオは自ら選択せず、ひたすら紙の媒体のみでね。

朝から晩までこれだけで15年間(精通から含めれば25年間!)凌いで来たのだ!

さて、童貞を捨てたのは確か35歳か36歳の頃。それも風俗だったと記憶する。

あまりの性リビドーの高まりに頭がおかしくなりそうになったので流石に童貞は維持不可能になった。

大学の後輩に風俗の行き方を教えて貰い、独り人目を忍んで早朝「お店」に向かった。

ところが自慰行為がスタンダードになっていたので、いざ初めての行為に至ったら「こんなものか」と愕然とした。

現実より妄想が卓越してしまっていたのだ。

結局、自慰行為期間があまりにも長すぎたのである。

よく「童貞を捨てた時期が遅い有名人」のエピソードなどが雑誌とかラジオ、テレビで紹介される事があるが、大抵は幾ら遅くとも20代前半。

そんな「甘っちょろい」経験談を聴く度、鼻で笑わせてもらった。

「何が遅いだよ。俺と比べりゃ干支が一回り早いじゃねえか。アホくさ」と吐き捨てたものだ。

伊集院光とどこかのエッセイストが「童貞」について語った本があったと記憶するが、これまた「童貞」を売りにして標榜する彼らも、実際の童貞を捨てたのは20代前半か、いや、もっと早かったか?

それで「童貞」を語るとは笑止!と思ったものである。

何処を探しても素人、有名人に拘わらず「30半ば過ぎで童貞」という話など一つも出てこない。

今ではあまり珍しいことではないかもしれないが1950年代後半生まれの男子が30代半ばまで童貞なのは相当奇特なのだ。

なぜならこの世代は別に女性にモテなくとも、結婚はスタンダードな通過儀礼なので「自動的」にその位の年齢であれば童貞は捨てることが出来た。また東京なので風俗も充実していた訳だからその気になればいつでも童貞とおさらば出来るはず。

にも拘らずズルズルと30代半ばまで「童貞」を引きずった己の人生はある意味「快挙」ともいえよう。

もっとも、その頃に「女性」を知らずに過ごした事は幸いだったかもしれない。

「女は魔物」という言い伝えもあるから20代に女を知っていたら己の人生が滅んでいた可能性だって否定できない。

いずれにしろ、青春期の「淡い夏の恋愛事情」なんてものは己の人生の記録に何一つ刻まれていない。

だから今、必死になって「あの頃の夏」に餓えていたりするのだ。

還ることなど出来ないのは解っているのにね。

50過ぎて「青春の夏」を取り戻そうなんて笑止千万だ。

そんなものはどこにもない。

真っ青な夏空に浮かぶ積雲の如く、儚くも風に流されて消えていった己の「夏」。

我ながら惨めである。


2010年8月1日

111歳の即身仏と貯蓄税

足立区のほうで111歳の「即身仏」に年金が支払われていたとか。

死んだのは30年以上前のことらしく、でも上手い事隠し続けられたので遺族はずっと年金を貰えていたらしい。たぶん、よく調べればこんな事例は他にたくさんあるのかもしれない。

今や高齢者こそ日本で最も優雅な暮らしが出来て資産もある世代である。

身内や家族に健康な高齢者がいればその年金を頼りに生きながらえよう。

特にニート、ヒキコモリにとっては唯一の「生命線」。

寄生してる高齢者の年金が途絶えたら、ニート、ヒキコモリはTHE ENDである。

だからなんとしても「生きていること」にしなければいけない。

彼らにとって元気な高齢者イコール「ATM」である。

望むと望まざるに拘わらず、こんな社会になってしまった以上、生き残る術を考えれば寄生出来る高齢者には死んでもらっては困るのだ。

これからは即身仏にも年金が支払われる時代が来る。

高齢者を即身仏にして永遠に「生きてもらう」術を獲得した者がニートヒキコモリ界の勝者だ。

高齢者は「金庫」のようなもの。

これほど「オレ俺詐欺」が蔓延するのもそこに「資産」があるからに他ならない。

高齢者は貯蓄率も高い。

それを見越して、なにやら「貯蓄税」なるものを設定し、高齢者の貯金を掠め取ろうと画策する輩も出てきた。

その「窃盗団」曰く、日本には「死んだ貯金」があって、これを動かす必要があると説く。

貯金に税を掛ければ、株や不動産にお金が回って経済が活性化し、資金が外国に流れ円安になって輸出産業が復活し、日本の財政も好転するとか。消費税アップも必要なしだと。

一見もっともらしい事を言っている様だが、「おれおれ詐欺」とどう違うのだ?

老人を騙くらかして資産を掠め取ろうという点では同じようなもの。

それをテレビで喋っていたのは、どこかの外資系証券マン。

胡散臭さ満点だ。

ついこの前「リーマンショック」やらで世界的な恐慌を引き起こし、どれだけの破産者を出したか忘れたのか?

その張本人が「貯蓄税」の効用を説いても説得力ゼロ。

これも組織的な詐欺と変わらないな。

そもそも外資の証券マンに人様の貯金を「それは死んだ貯金だから手放せ」なんて言われる筋などあるか。

不動産や株に信頼がもてないから貯金というカタチで資産を管理しているんじゃないのか?

なのに、わざわざリスクの伴う資産運用に手を出す馬鹿はいない。

1億円の貯金だろうが1円の貯金だろうがみんな「生きた金」だ。1銭たりともお前ら「ハイエナ」の口車に乗せられるかと。

「貯蓄税」なんか始めたら全額引き出されて「箪笥預金」になるだけだ。

喜ぶのは窃盗団くらいなもの。

あれだ。サマータイム制度と同じ。

サマータイムを実施すれば経済効果何兆円とか喚いていたがそんなものは「机上の空論」。

組織的かつ世界的に貯蓄の多い高齢者から資産を「騙し取る」手段に過ぎない。

不動産も株も結局「胴元」が儲かる仕組みになっているのだ。

手を出したら身包み剥がされるのがオチだろう。

結局、外資にすべて奪われ、人生破綻だ。

いずれにせよ、資産を持っている高齢者はありとあらゆる「ハイエナ」から狙われていることだけは事実だろう。

今や健康な高齢者は「宝の山」。

その資産を何とか剥ぎ取ろうと有象無象が蠢く。

国を挙げて「貯蓄税」を推進する連中から比べたら足立の「即身仏」など可愛いものである。

高齢者が溜め込んだ貯金をどうするかなど本人の勝手であろう。

現状をみたら、貯蓄がベターなんだから溜めているだけなんだ。

国とか外資系企業に資産運用を任したらどうなるか。数年前の新聞を見れば誰の目にも明らか。

彼らは正真正銘の「詐欺集団」。

信用に値せずだ。

だから日本の高齢者は悟った。

「詐欺集団」に貯金をくれてやる位なら死後「即身仏」化して子や孫に「肥し」として存在し続けたほうが成仏出来るとね。

この国にはもう他に若い世代が生きていく糧はない。

即身仏の脛をかじって生きることしか残されていない。

足立の事件は、これからの若者に生き残る術を教えてくれた。

111歳の即身仏は日本のニートヒキコモリに救世主の在り処を知らしめた。

彼は死して我らに「未来」を説いたのだ。

「貯蓄税」は日本の未来を奪おうとしている。

警戒せよ・・と。

即身仏から学ぶべきところは多い。


2010年7月27日

『Aさんの庭』公園完成

おとといの日曜日に、近所に造園中だった『Aさんの庭』公園(通称「トトロの棲む家」)の開園式があった。

隣接する中学校の校庭で行なわれた式典には宮崎駿監督の姿も。

先着400名に鉢植えがプレゼントされるということで開園式が始まる10時頃に行ってみたがすでに整理券は配布済み。残念。

『Aさんの庭』は古い西洋風民家とバラが咲き誇る庭が印象的で、保存運動もあって数年前に杉並区が買い取って公園化することが決まっていた。

ところが昨年に放火と見られる火災で民家が焼失。

庭の保存が危ぶまれたが、宮崎駿監督が公園の設計を申し出て、杉並区も賛同。

この日、正式に開園と相成った。

肝心の民家が焼けてしまったので存在意義は薄れてしまったが取りあえず庭は公園として生き残った。

宮崎駿氏はこういった事例には俊敏に動く人なので、行政も公園化に前向きになったのだろう。

宮崎氏を直接見るのは今回が初めてか。

風貌はテレビでお馴染みだが、印象的だったのは右手。

激しく皺が寄ってボロボロという感じ。この右手から『未来少年コナン』や『カリオストロ』『ナウシカ』『ラピュタ』、そしてジブリ作品の数々が生み出されて来たと思うと感慨深い。

それはさておき、この『Aさんの庭』公園は果たしてどうなっていくのだろうか?

民家のあったところにはベンチが置かれ、井戸もある。葺かれていた瓦を再利用したトイレもある。

庭は整備されて遊歩道が設置されている。夜は常備灯が灯り、雰囲気は良い。ただし夜間は立ち入り禁止になるが、管理人が常駐しているわけではないので些か不安。

民家が放火されたのも区がしっかり管理していなかったのが原因だったので、またキチガイの標的にされる可能性もある。だからといって24時間誰かが見張っている訳にも行かないだろうが。

いずれにしろ、このような民家や庭はかつてはこの周辺にたくさんあって、何も珍しい存在ではなかった。

それが「保存」される対象になってしまったこと自体が、どこかおかしいのだ。

美しい庭は潰され、マンション、駐車場と化し、挙句放火魔が徘徊する病気社会日本。

どうせなら放火された民家をそのまま残して『Aさんの廃屋』公園としたほうがよかったかも。

愚かしい人間の所業を知らしめるため「原爆ドーム」みたいなコンセプトが欲しかった。

訪れた人は焼け落ちた廃屋を見て、人間の絶望を垣間見るのだ。

そんな絶望の庭にはアリエッテイーなんて居る訳がなく、木の根に人の白骨が絡んでいるオブジェがあるのみ。

とりあえず開園記念に一枚イラストを描く。



2010年7月17日

Gofa『かわいい展』ショップにて原画販売

本日から始まるギャラリーGofa『かわいい展』ショップにて、透明水彩の原画一点を販売します。

サイズははがき大。額付きで頒布価格は45000円。

よろしくお願いいたします。

2010年7月16日

1972年のドラマ『ありがとう』

BSで1970年代前半のドラマを放映していたので何となく観る。

タイトルは『ありがとう』。

なんだか院長一家と看護婦たちの話のようだ。

石坂浩二とか相良直美とかチーターとか出ている。初放映当時は視聴率50パーセントを超えたときもあったとか。

サッカーワールドカップ並だ。

当時、自分はまだ小学校6年か中学に入ったばかりの頃。

家ではなぜか民放ドラマに縁がなく、この番組もまったく観ていないし、その後何回かあったであろう再放送の記憶もない。

だから自分にとっては「新作ドラマ」と同じ感覚だ。

あの頃、13歳の自分から見ればドラマの中の「若者」や「大人」は当然ながら年上で、これから自分が歩むであろう人生の先輩であり、いずれ似たような経験をするんじゃないかという対象であった。

そして、今、50歳の自分からすると当時の石坂浩二も相良直美もみんな「年下」。

過ぎ去った「自分の青春時代」の物語として観ているのだ。

でも何一つこのドラマに出てきたような体験はしなかったけどなあ。

思えば遠くへ来たものである。

それはさておき、40年近く前の日本のドラマを観るたびに思うのは、やっぱりテンポが速いというか余裕がないというか、選択肢の限られた狭い通路を無理やり駆け足でよじ登っているような閉塞感で一杯となり、とにかく息が苦しくなる。

特に色恋沙汰が香ばしい。

貞操観がまだ支配していた頃だから、恋愛即結婚だ。

当時は処女信仰が当たり前の時代。初恋が結婚相手も多かったろう。

「好きな人」できたらそれ即ち「プロポーズ」であり、結婚が若者と親の絶対的終着点で、そのためだけに日常がまわっている感じ。

更には人のプライベートに土足で干渉し、人間関係を引っ掻き回す。

意思疎通不足が誤解を生んでそれがまた物語を盛り上げたりする。

子供は子供であり、大人は大人であり、男は仕事であり、女は家庭であり、貧乏人は貧乏で、不幸者は不幸で、金持ちは金持ちという「格差」が明確で、厳格な「通過儀礼」がすべての登場人物に試練を与えるというか・・。

片親だったり、訳ありだったりする一方で、お手伝いのいる裕福な家庭では人を顎で使ってみたり、もうなんか容赦ないのだ。

適齢期を過ぎた独身女性が「結婚相手はいないの?」と同僚女性に尋ねられ、絶望の淵でさめざめと泣くシーンなど今では「貴重な記録映像」である。

小道具や舞台も貧相で、今のレベルで考えると部屋の中の備品も貧弱極まりなく必要最小限。

黒電話のみが通信ツールとして孤高の輝きを見せているのが印象的。

それに20代が今に比べ異様に老けて見え野暮ったい。

みんな「おばさん」だ。

そう、40年前はこんなものだったのだ。

スポンサーがカルピスだったのか、場面場面で全員カルピスを飲む滑稽なシーンもあったが、考えてみると当時はソフトドリンクなんて数えるほどのアイテムしかなかった。

あと、朝飯を作るシーンで揉めたりするが、当時は3食いちいち自炊するのがスタンダードで食事準備の場面が結構キーポイントだったりする。

だが、しばらく観ているとなんだかすべてが滑稽に見えてきた。

40年後の今、実はこれらすべての事象は「必要のなくなった」ことばかりだということに気づく。

2010年。

もはや、貞操観など日本の女性から完全に喪失しているから、恋愛イコール結婚などいう図式は存在しない。

恋愛と結婚を直結して悩む若者がいたら、それはもはや絶滅希種だ。

核家族すら崩壊してしまったので親が子の結婚や将来を思い悩むことすらなくなった。

「縁談」なんて死語に近い。

結婚が人生において必須科目でなくなったのだ。

だからそんな忌々しい「通過儀礼」に悩む必要もない。

人のプライベートに首を突っ込むような愚かしい行為は廃れたし、下手をすれば訴えられるから「関知せず」がディフォルト。

携帯メールが必須の今日において「行き違い」や「誤解」は生みようもない。

必要な情報はネット経由で入手出来るので「無知」故の騒動は成立し得ない。

大抵の事は家の中で一人で処理できるし、お腹が空けば近所のコンビニやファーストフード店に行けばよい。

24時間営業のスーパーもある。

自販機には多種多様のドリンクが並び、カルピス系飲料も数え切れない。

今時、原液を水で薄める者など稀だ。

「不幸」も「幸福」もいつしか曖昧となり、人生の大きな目標は喪失して「夢」など誰も抱かなくなった。

ぬるま湯のような日常に一人でもなんとか生きていける時代に詰まらぬことで齷齪したくはないのだ。

「幸せな結婚」など御伽噺の世界。

そう、結局のところ、1970年代前半にこのドラマの如く葛藤していたすべての事象は、今、まったく無意味となった。

故に今、『ありがとう』の様なドラマは一切成立しない。

最初の5分で終わってしまおう。

こんなふうに。

病院院長の息子石坂浩二、きょうも13時に起床。

 まずはメールチェック。コンビニで朝食を買い、部屋に引きこもり1日中パソコン。

 時々メールチェック。家族とは一切会話なし。

寝る前にメールチェック。アダルトサイトで性欲処理。

そして寝る。

相良直美もチーターも自分の部屋で同じような日常を過ごし、少しづつ老いていく。

この繰り返し。

台詞は一切なし。勿論、会話、歌も唄わない。

その代り、時々「舌打ち」「ため息」「奇声」が何回か入るが。

これが2010年版『ありがとう』だ。

1972年当時、50パーセントもの視聴率を稼いだ悲喜交々の人間ドラマの根幹要因が、40年後にはどうでもよい馬鹿馬鹿しい徒労の類でしかなかったと悟ることになるとは誰が予想したろう。

でも世の中、そんなものである。

情報革命によってメンドクサイ雑事が全部とっぱわれてしまったのだ。

まあ鬱陶しい人間関係なしでやっていけるのならこれでいいじゃないか。

これこそがリアルな2010年ホームドラマの根幹であろう。

40年の歳月が日本を如何に変えていったかが如実に解るドラマ『ありがとう』。

そういう意味では正に「ありがたい」。


2010年7月15日

「ゲゲゲの女房」とあすなひろし展

NHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」は、興味深く見続けている。

特に漫画家と編集者を描く考証は実に研究されていてリアルだ。

この辺りの描写が原作にあるのかは知らないが、少なくともかなり正確に描いている事は間違いない。

たとえば、出版社の中で漫画雑誌編集部の立場が文芸関係より下に見られているとか、人事の描写とか。そして漫画家と編集者とのやり取りも上手く作ってある。

ドラマではちょうど水木しげるが大手出版社からの依頼に応えて作品執筆するところなのだが、観ていて感慨深い。

水木の担当者はタイミングよく編集長に抜擢された男。

そう、編集長が直に担当するところに味噌がある。

だからこそ水木はここで大成するのだ。

もし、これがペイペイの平編集者であったなら、このような「ザラッとした」マイナー漫画家の作品などメジャー誌に採用される可能性は万に一つもなかったろう。

結果第一主義の編集長なら有無を言わせず「没」にする。

常に「売れる事」第一に考える大手出版社は最初から売れ筋の漫画家を起用し、海のものとも山のものとも付かないマイナー40代漫画家には絶対依頼しない。

それでも依頼が来るのは、絶大な権限をもった編集長の「眼力」以外に考えられぬ。

そんな奇特な「眼力」を持った編集長に見初められた漫画家だけが水木のような「唯我独尊」的世界をメジャー界で発揮できるのである。

そう、マイナーな世界をひたすら描く漫画家がメジャーの道を切り開くには相当の実力を持った「奇特」な編集者との出会いなくしては成しえないのだ。

そのあたりの描写は実に上手く作ってある。

他にも興味深いシーンが見受けられた。

水木が細かい網線をペンで入れている様子を編集者が見て「これは印刷では潰れてしまいますね」というと、水木は「それは判っています。でも描かずにはいられない。これが自分の描き方だから」みたいな台詞があって、なんだか他人事には思えなかった。

効率よりも自分の信じる描き方をひたすら踏襲する姿勢があるからこそ、「貧乏神」にも打ち勝つ事が出来る。

NHK朝の連続ドラマにしてはよく出来すぎているほどの完成度だ。

原作がよかったのか脚本がよかったのかは知らぬが、リアリティーに関しては脱帽である。

たまたま先日「あすなひろし」原画展に足を運んだ。

「孤高の漫画家」と謳われているが、原画を鑑賞すると漫画の基本技法に忠実で決して特殊な描き方をする人ではない。

応用が独特なだけだ。

現役中に描いた枚数は万単位らしく、つまり大量生産大量消費に対応出来る「高度成長的ガンバリ」時代の申し子だ。

この時代の漫画原稿は右から左へ消費され、忘れられ破棄されるのが当たり前だった。

だから1960年代の漫画原稿を今、こうして鑑賞出来ることだけでも貴重な体験に繋がっている。

その原稿から溢れ出る「高度成長的」エネルギーはパソコンで処理される今のデジタル原稿とはステージが違う。

すべて生身の人間による筆圧のこもった「タイムカプセル」のようなもの。

修正跡や下書きの鉛筆さえも貴重な遺産になっている。

おそらく「ゲゲゲの女房」で描かれている水木もまた同じく、大量生産大量消費時代の中で「高度成長的ガンバリ」を実践してきた漫画家。

決して「芸術家」ではないのだ。

生活のために身を削る姿勢は、当時の「モーレツサラリーマン」と変わらないだろう。

だから、現代のマイナー漫画家とは「似て異なる」存在だ。

もはやモーレツに突っ走る目標も養う妻子もない己の如きマイナー漫画家が水木のような「サクセスストーリー」を獲得することは夢のまた夢。

一方、当時はコミケのような自費出版市場など存在しなかったので、プロの道を絶たれたら即都落ちするしかなく、ネットもないから他に自分の作品を公に発表する場も皆無だった。

しかし、それだけ選択肢がない厳しい世界だったからこそ皆必死になった。

単純にどちらがよいかは判らない。

ただ「歴史」を刻むことが出来るのは間違いなく1960年代に創作に没頭していた水木のような人々だ。

紙の原稿にひたすらペンを走らせる。

「描くべし!描くべし!」

それが未来への唯一の扉だ。

この原則は、今も昔も変わるまい。


2010年7月12日

自ら動き出さなければ己は守れない

選挙の結果が確定したので、ある政党の比例代表名簿を覗く。

上位2位までが当選。

自分の推した「漫画規制反対派」の論客候補は名簿順位3位で惜しくも落選。

名簿の1位はマスコミにも頻繁に登場する党首だから知名度も抜群。当選に疑問を挟む余地はない。

一方、名簿2位の候補者は元地方県議らしい。

党関係者や相当に近い間柄でない限り、名前すら知らない人。

その人が13万票余りを獲得して滑り込み当選した。

因みに名簿1位の党首は38万票余り。

で、名簿3位の「漫画規制反対派」候補者は7万票弱だ。

どれ位の「漫画規制反対」を支持する漫画出版関係者がこの人に票を投じたかは知らない。

この7万票弱の票のすべてが「漫画規制反対」に賛同して投じられたというわけでもないだろうし、また「漫画規制反対」の有権者すべてがこの人に投票した訳でもないだろう。

だが、この7万票弱という数字がいわゆる「オタク」票の「基礎票」と考えてもよさそうだ。

一連の都議会での規制反対論議の直後だったからそれを踏まえて投票した人も多かったはずだろうし。

無論「漫画規制」に反対の「ヲタク」や関係者はこの国にもっとたくさん居るだろう。だが実際に投票行動に出る人数はこのレベルなのだ。

全国に7万人弱。

これが多いのか少ないのか?

毎年、コミケには延べ50万近くの参加者がある。延べ数だから実数にすれば半分と考えても25万人だ。

すべてが有権者とは言えぬが殆どは二十歳以上であるから、彼らがすべて投票行動に出れば20万以上の票が見込める計算となる。

コミケ参加者が己の既得権を守ろうという明確な意識があるかどうかは判らないが、彼らが「行動」に出れば自分たちの既得権を守れる議員を国会や地方議会に送り込む事は容易だろう。

だが、「ヲタク」たる存在は得てして「社会参加」から最も縁遠いところで生きている。

選挙という地域社会、縁故にべったりの世界とは対極の「孤独な世界」の住人なのだ。

だから、今の選挙形態が続く限り「ヲタク」が投票行動に出る可能性は限りなく薄い。

以前、自分の知り合いに区議がいて、その選挙活動を手伝った事がある。

それはもう「ドブ板」で地道に協力者の所を回り、個別に電話をかけ、毎日駆け回っていた。

選挙というものは結局「縁故」「組織」が基本であり、マスコミでの「知名度」云々は一部の有名タレントや党首クラスの国会議員を除いて関係がない。

知名度があったって落選する候補者は幾らでも居るからね。

投票行動の基礎は如何に昔から「お世話になった」とか「組織に貢献した」とか「知り合いからのお願い」であって、政策云々は二の次に過ぎない。

結局は「組織」がモノをいう。

だからこの政党の比例名簿2位の候補も、一般の知名度は皆無にも関わらず13万票あまりを獲得できたのだ。

地道な「ドブ板選挙」を展開しない限り、いくらネットで漫画規制反対議論が盛り上がっても票には繋がらない。

票に繋がらなければ、自分たちの権利を国政に反映出来ない。

「ヲタク」が意識改革して「必ず投票行動に出よう」と立ち上がらない限り、状況は変化しない。

もしくは電子投票が可能になり、リアル社会で「行動」しなくとも1票を投じられるシステムになるかである。

もし、仮にネットで投票が可能だったらば、この漫画規制反対派候補者の得票は一桁違ったものになったかもしれない。

「ヲタク」の権利をリアル社会に反映させるためには「旧態依然」としたドブ板選挙システムに生活様式を改めるか、電子投票制度しかないだろう。

いずれにしろ、自ら動き出さなければ己の権利は守れないのである。

これを踏まえて、これからの同人イベントでは参加者に「政治参加」を促すことも大切になる。

もはや「誰かが何とかしてくれる」時代は終わったのだ。

己の祭りの場を守りたければ己が動くしかない。



2010年7月11日

選挙に行く

雨の中、近所の中学校へ投票に行く。

比例区とか東京選挙区とかややこしい。昔は全国区というのがあって青島幸男が当選して・・という感覚が残っているから馴染めない。

取りあえず入れたのは漫画表現規制に反対している候補者と党。

自分の表現活動に直接影響するから他人事ではない。

だが、漫画の表現規制の有無など選挙の争点になっていないし、一般の有権者からすればどうでもよい事だ。

「ヲタク票」なるものがどれ程の影響力を持つかは知らない。

だが、開票の状況を見るにつけ、「ヲタク」が著しく存在感を発揮した様子は覗えない。

これほどネットで議論が沸騰しているにも拘らず、規制反対派候補や党が躍進しているとか、規制推進派が尽く落選とか、まったくそのような流れは見られない。

「ヲタク」なる有権者は実際、大した影響力を持たないのか?

単に投票所に赴かなかったのか、はたまたそもそも「ヲタク票」なるものは国勢に影響を与えるほどの存在ではないのか?

どこかの党の比例区に漫画表現規制を推進する弁護士の候補がいるという。

だがこの候補者がそのような政策を掲げて立候補しているという事実を一般の有権者はどれだけ知っているのか?

いや、殆ど9割9分知らないだろう。

なぜならそんなことをマスコミは一切伝えていないから。

知っているのはネットから頻繁に情報を得ている僅かの者だけで、大多数の高齢有権者はそんな事まったく知らないのだ。

また、仮に知ったところで漫画表現規制に反対だからこの候補者に投票しないとなるだろうか?

否。

そんなことはない。

一般の有権者からすれば「いたいけな青少年から過激な性表現が描かれている漫画やアニメを規制」することに疑問を挟む者は少ないだろう。

寧ろ、高齢有権者からすれば賛成する者も少なくあるまい。

結局のところ、どう足掻いても漫画表現規制を阻むことは難しいのだ。

国勢に関与出来るほど「ヲタク」有権者は多くないし、事実、選挙結果にはまったく反映されていない。

また、仮に「規制反対派」の候補者や党が優勢になったとしても、本当に「規制反対」を貫けるのか甚だ疑問だ。

宮崎勤事件と似たような事例が仮に発生したとして、マスコミが世論操作みたいな事をすれば規制賛成派が勢いづくことは間違いない。

「規制反対」派であるはずの政党や候補者も世論の声を無視出来なくなって規制賛成に寝返るということも十分に予想される。

結局あっという間に、規制強化条例が成立する。

規制推進派はいつでも「世論」を味方に付けることが出来るが、規制反対派にとって「世論」は常に逆風なのだ。

おそらく、この流れを止めることは出来ないかもしれない。

寧ろ、現時点で規制強化条例が通っていない事のほうが奇蹟みたいなものだ。

時代はあらゆる事象が萎縮し、表現の自由よりも日々の安全を優先させる。

遅かれ早かれ「表現の自由」なんて言葉は死語になろう。

焚書も日常茶飯事になろう。

以前にも記したが、日本のアニメ漫画などのコンテンツ産業が将来の基幹産業として明確に位置づける政党が出てこない限り、自分たちの未来はないといってよい。

コンテンツが基幹産業となれば膨大なお金が流れ込み、政治家も無視出来なくなる。

当然、そこに既得権益が生れるから政治家にとっては美味しい。

その権益を阻害するような「表現規制」などを叫ぶ政治家は一切居なくなろう。

テレビも新聞もネガティブな報道は一切しなくなるのは間違いない。

賭博で何万人が不幸になろうともパチンコ産業に不利な報道はされないし、銃で何万人が命を落そうと全米ライフル協会がある限り、銃の所持はアメリカ市民の権利だ。

それと同じ事。

漫画家やアニメ、ゲームに携わる創作者が今後生き残るには己の権益を国家レベルにステージアップするしかない。

この方策以外に未来はありえない。

だが、今回の選挙でも雨後の筍の如く現れた新党にコンテンツを基幹産業に掲げマニフェストに取り入れた政党はあったか?

否!どこにもない。

既成政党にも新しい政党にもだ!

結局、「ヲタク」なる存在は自国の政党政治にまったく関与出来ないままなのだ。

この時期に及んでも、自分たちの未来を託せる政党や政治家はどこにもいないのだ。

誰一人!

情報革命が進み、ネットや携帯でコミュニケーションすることがスタンダードになりつつある今日。

にも拘らず、未だに選挙は自分の足で投票所に赴き、鉛筆で候補者を書いて投票箱に票を投じる。

また選挙活動も旧態依然の街頭演説や縁故が主流。

この形態が続く限り、「ヲタク」の声を国政に届ける事は出来ない。

永遠に!

自分たちの「声」を国政に反映させる代議士も政党もどこにもいないという事実。

既成政党から分裂してきた政治家も殆どは「規制強化」に賛成の輩ばかりが目立つ。

己の味方はどこにも居ないのだ。

どこにもね。

投票に値する候補者が皆無なのだ。

このことを真摯に考えない限り、「表現規制」のうねりを止めることなど不可能だろう。

いずれにせよ、既成政党に「表現規制」云々を託すしかない現実はこの上なく不幸である。

彼らの大半は日本のコンテンツを「ポンチ絵」程度にしか認識していないのだからね。

国家運営の手段として位置づけられる政治家が出てこない限り「ヲタク」の存在や主張はいつまでたっても世論に反映されないままだ。

希望はどこにもない。


2010年7月3日

報道 あびゅうきょ工房オリジナルチャリティーTシャツ通販開始

お待たせしていた「とらまつり2010」あびゅうきょ工房オリジナルチャリティーTシャツが通信販売で購入出来るようになりました。

売り上げ金の一部は宮崎県口蹄疫対策募金になります。

頒布価格1部2100円。

詳しくはとらのあなサイトを参照の事。

あびゅうきょオリジナルTシャツ購入サイトはこちらです。

思いつきで描いた「黄昏の入間基地を離陸するファントム」という萌え度0パーセントのTシャツではあるが、よろしくの程を。


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