2009年7月・8月・9月

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2009年9月22日

シルバーウイークに想う

世間はシルバーウイークだそうである。

5月のゴールデンウイークに掛けている様だが、雰囲気としては敬老の日も挟んでいるので「老人週間」というイメージで鬱々とする。

月曜日に墓参りのため多磨霊園に赴く。高齢者の親族に同行したので武蔵小金井駅からタクシーを使う。しかし渋滞に嵌ってこれまた歩くより遅い。

例によってETC休日1000円祭りらしい。

この忌々しい制度は何とかならぬか。もっとも自分はめったなことがない限り、車には乗らないので普段なら関係ないのであるが、高速料金廃止したら、その分、車に乗らない人間にまでこの忌々しい渋滞の尻拭い分を負担させるつもりかと思うと無性に腹が立つ。

渋滞に嵌りたいのなら受益者だけでやってろといいたい。

それを含めてもシルバーウイークは陰々滅滅としてまったく気分が落ち込む。

夏が終わっていきなりまた「連休」なんて、そんなに就業者は「休み」が必要なのか?

自由業で引きこもっていると、決まった時間に外出する必要がないので、ほぼ毎日が「休み」のような感覚なので世間が矢継ぎ早に「休日」を取っていると、だったら365日、いっそ全部休みにすればいいんじゃないのか、と感じてしまう。

高速道路も終日365日無料になるんだから、毎日行楽に勤しめ。

どうせ先が短い日本なのだ。

何のために働くのだ?将来なんてもう存在しないのに。

一部の子供を設けた家族持ち以外、働いたって何の意味もなかろう。

今日、起きてテレビをつけたら読売巨人軍の長嶋、王ON全盛期ドキュメントみたいな番組をやっていた。

長嶋が現役を引退したのが1974年か。

後楽園球場が存在していた頃だ。

あの頃は、殆どの者に「将来」が与えられていた。

テレビの前で王、長嶋の活躍を眺めつつ、学校へ、職場へと勇んで出かけたのだ。

そんな象徴的プロ野球戦士は、今、見事に窶れ、人生の最終コーナーへと吸い込まれている。

長嶋は脳梗塞で満足に話せない。

王は癌でガリガリに痩せた。

これが、今の日本の姿だ。

ONを継ぐ者は結局現れず、昭和は遥か過去のものとなった。

もう、おしまいだ。

シルバーウイークと共に、僕らは白骨と化す。
多摩テックの廃墟に、その亡骸を焼く巨大火葬場を建てよう。

巨大煙突から立ち上る煙が関東平野を覆う時、すべてが終わるのだ。

来年はもしかすると365日、シルバーウイークだ。

もう、目覚めても学校や職場に行く必要はない。

放っておけば己のベッドが棺桶となる。

楽になろう。


2009年9月18日

国立メディア芸術総合センターが意味するもの

国立メディア芸術総合センター

誰がこれを「アニメの殿堂」「国営漫画喫茶」と言い換えたのかは知らない。

マスコミだとか、選挙前に「野党」だった政党が「与党」批判のために使い始めたと言われるが定かでない。

この国立メディア芸術総合センターは「メディア芸術の国際的な拠点の整備」として日本のコンテンツ産業の根幹を占める漫画、アニメ、ゲームなどの作品を保管収集情報発信する拠点として整備が進められているそうだ。

「箱物」「土建屋のための公共投資」と批判されていたとはいえ、日本コンテンツ産業に多少でも拘わる者にとっては、やっと「国」が我々(?)のために公共の「空間」を提供する事業が展開されはじめたと信じたい。

その建設発想が如何なるものであれ己の地位向上にプラスになる事はあっても、マイナスになることはない、と考えるのが普通ではないのか。

しかし、このセンター建設をを批判する声は、与党、野党、マスコミに限らず、その受益者たるコンテンツ産業に関わる者自身からも多く上がっているのは意外だ。

曰く「こんなものを作るより薄給に苦しむ現場に補助金を回せ」だとか「既存の施設や出版社が管理すれば事足りる」とか「国が保護に乗り出せば産業として堕落する」等等。

まず、反対理由の一つに上がった薄給に苦しむクリエーター達に補助金みたいなものを支給したほうがよいという意見についてだが、おかしいとは思わぬか。たかだかこの事業費117億円分をばら撒いたところで、それがコンテンツ産業の保護育成に繋がるとはとても思えない。
それにクリエーターに補助金を与えたところで日本コンテンツ産業のレベルが高まるか?

否。

所詮、ハングリーな精神がないと成立しないこの世界に「生活保障」は無縁だ。

過酷な人気商売故、売れない者が「貧窮」するのは避けがたい掟。

才能のないものにお金をばら撒いたところでその産業が伸びるわけがない。

結局、この世界は「実力」がすべて。

実力さえあれば自然と収入は増え、質の向上が図られる。版元はその才能に多額の報酬を支払う。

そこに国が首を突っ込む理由は何もない。

この構図があるからこそ、日本コンテンツ産業は伸びてきたのであって、才能や実力のない者に補助金をばら撒いたら、それこそ凋落してしまうだろう。

少子化対策で母子家庭に金をばら撒いたところで、その補助金が必ずしも「育児」のために使われるとは限らないのと同じ。

いくら金をばら撒こうと、子供を産まない者は産まないし、クリエータが価値ある創作物を造るとは限らない。

それに今の時点でクリエーター育成のために恒常的な補助金を支給するのはセンター建設よりもっと膨大な財源が必要。となるとこちらのほうがより困難。

というより、センター建設はそのための布石として必要なんじゃないのか?

だから「こんなものを作るより薄給に苦しむ現場に補助金を回せ」という反対理由は説得力に欠ける。

国立メディア芸術総合センターはすでに創造されたコンテンツソフトを如何に管理整備するかが目的な訳で、個人がこの職業に就けるかどうかを手助けするのは別問題なのだから混同するとおかしなことになる。

クリエーターの生活改善を言うのならば文部科学省ではなく、厚生労働省が担当すべきことだ。

また「既存の施設や出版社が管理すれば事足りる」に関しても実情を知らな過ぎよう。

これまでのコンテンツ産業におけるソフトの管理業務は、常に2次的なものとされてきたのは事実。

利益追求に忙しい作家自身も版元もソフト保存管理にエネルギーを割く余裕がなく、製作されたソフトはその営業目的が終わるとずさんな管理下に置かれたり、紛失、破棄される事が多かった。

また、作家自身が管理保全に努めたとしても、故人となれば、それを受け継ぐ者や場がない限り、後世に受け継がれることはない。一方、営利集団である版元が経費にしかならぬ原稿保管を積極的に乗り出すことはありえない。

昨今、漫画家と出版社との間で原稿管理でもめる事例が多い事を見れば解ろう。

つまり、クリエーターにしろ版元にしろ、ソフト管理に関してはなかなか手に負えない状況になっていることは事実。

それを一括して管理保護整備する目的として国がこのセンター設立を進めるのならば、これに反対する理由は、果たしてあるのか?逆に疑問に思う。

次に「国が保護に乗り出せば産業として堕落する」という理由だが、コンテンツ産業が芸術に値するかどうかは別として、如何なる文化、芸術も最初は大衆の中に発露があり、それが次第に国家の庇護の下、成長発展してきた例は数多く存在する。

現在「伝統芸術」と言われる歌舞伎や能、その他諸々の文学、絵画、演劇、スポーツ含め、国が関わって保護管理情報発信させることによってより広範囲に周知させる事が可能になった。

今、漫画、アニメ、ゲームなどのコンテンツを今後如何に成長発展させるかに国が関われば、これまでの自由度は失われるかもしれないが、また別の可能性としての成長発展が見込める。

少なくともこれまで「日陰者」扱いされてきた地位からは抜け出られるかもしれない。

「能」も「歌舞伎」も、恐らくは当初、現在のコンテンツ産業がもっていた役割を担っていたかもしれない。もし国家がそれを庇護しなければ今日まで継承されることはなかったろう。

漫画やアニメが日本の歴史上、継承されるべき文化かどうかは解らない。

それは恐らく後世の者が決めることであろう。

しかし、今の時点でこの国立メディア芸術総合センターで保護管理整備しなければ永遠に失われてしまう貴重なソフトもまた存在することも確かだと思う。

これに反対するものはその機会すら「いらない」というのか?

少なくともこの世界に30年間細々と従事してきた自分からすれば、自分の可能性を後世に残すチャンスがわずかでもあればそれを活かすべきと考える。

己の残した創作物が「本当に残すに値する」ものかどうかは知るよしもない。また、このセンターに委託できる権利や資格があるかも解らない。

しかしそれが出来る可能性があるということは、クリエーターにとってわずかながらでも「希望」に繋がることは間違いない。

この世界に生きて50年。そしてこの世界で創作し続けて30年。

今でもなお、漫画、アニメに関わる者は「日陰者」「蔑視」の対象としてこそこそ生きていなければならない。

政治家やマスコミが国立メディア芸術総合センターを「アニメの殿堂」とか「国営漫画喫茶」なんて平気で蔑視するのがいい現れである。

もういい加減うんざりだと思わないのか。

文学などは「文壇」とかいうアカデミックなステージを獲得し、あらゆる分野で発言権を獲得しているが、漫画、アニメはいつまでたっても地位が低い場所で汲々としている。

それは売れようが売れまいが同じだ。

たとえ、売れたとしても多忙は変わらず、人生に余裕はなく、日々原稿に追われ続け、結局のところ「漫画界」全体の未来のことなど考える余裕もない。所詮は版元に依存する人生。

だからみんな勝手に、いや自分のことで必死で、だからいつまでたっても漫画家は身をすり減らすだけに存在している。

売れっ子ですらこうなのだから、それ以下は言わずもかなである。

それでいて、せっかく地位向上に寄与するかもしれない千載一遇のチャンスである国立メディア芸術総合センター計画が発表されても「足の引っ張り合い」。

そんなに日陰者で居たいのか?

何処まで貧乏根性が染み付いているのか?

いい加減に目を覚ませと言いたい。

新政権になって、この国立メディア芸術総合センター計画を事実上、見直してこの予算分を「母子家庭」にばら撒くそうで
ある。

それが本当に日本の将来のためになるかは知らない。

まあ、民主党のマスターベーションとしては「気持ちいい」のであろうがね。

いずれにせよ、117億円ごときで財源に汲々とするのなら、もう日本は終わっている。

馬鹿か。

だが、このコンテンツ産業に関わる者たちが「足の引っ張り合い」した事も、この計画が頓挫する理由の一つになっているかもしれない。

そもそもこの計画が、底辺のクリエーター自身から上がっていった事業ではなく、トップダウンの事業であったことに問題があったのかもしれないが。

しかし、だからといって今のクリエーターたちが一致団結してこのような施設建設を国に要請するかといえば、おそらく永遠にしないだろう。

新政権も馬鹿だが、クリエーター自身も己だけの事を考えているからどうしようもなかろう。

だが、今からだって遅くはあるまい。

実力あるクリエーターたちが自分たちの地位向上のためにこのような施設を作れとアクションを起こせば状況は変化するかもしれない。

この計画を完遂しなければ、儲けた分の税金は中国やアメリカに納税するぞ、とかね。

おそらく、お台場にこの国立メディア芸術総合センターが実際建ってしまえば状況は一転する。

事業内容が怪しければ、ソフトはいくらだって変更出来る。当事者はこちらなのだからね。

官僚や政治家の中にだってコンテンツ産業に詳しい若手もいるだろう。

むしろ、己の才能を発揮できる部署が出来たとほくそえむ「ヲタク」系官僚や政治家と手を組めば面白いことになる。

産業構造が変革する機転になれば、もうコンテンツ産業に従事する者は「日陰者」から解放されよう。

たとえ、土建屋のために造られようと、それを「利用して」生き残っていくのが賢者のやることだ。

「そんなに上手くいくわけがない」と哂う者もいるだろう。

だがこのままではいつまでも「日陰者」のまま。

何もせずに「日陰者」で終わりたければ好きにすればよい。

国立メディア芸術総合センターが頓挫すれば、コンテンツ産業も打ち捨てられ、そのうち「児童ポルノ法」が強化されて、まともな漫画家は誰一人この国で創作活動出来なくなろう。

「日陰者」どころか「犯罪者」だ。

漫画が商売どころか趣味ですら描けなくなってしまってもよいなら勝手にすればよい。

だが、その時は悲惨な日々が待っていよう。最低限の人権や自尊心すら守れない過酷な使役を強いられるかもしれないが、
それも自業自得。

かといって、簡単に死ねるものでもない。

己の権利は己で獲得するもの。

権利は誰からか与えられるもんじゃないんだ。

もうこれ以上「日陰者」は真っ平御免である。


2009年9月17日

世襲総理大臣に期待すること

ふと、テレビを点けるとニュースで「新政権誕生」の事をやっている。

相変わらず世襲議員が総理大臣だというのに、恰も日本の政治が刷新されるの如く報道するのは何かの冗談のつもりだろうか?

かつて万年野党だった政党の議員が閣僚に選ばれているのを観ると、結局、政治の場すら「談合」で決められるのだなと解る。

日本が破産する前に、元「万年野党」の人たちや元「与党」から飛び出した「はみ出し者」にも万遍なく戦後日本の繁栄分はお零れとして貰っておこうと。

まあ、そんなところであろう。

「国家戦略局」なる部署を作って、日本の政治を「官僚主導」から「政治家主導」にするとか言っているが、そもそもその政治家が旧態依然とした者達で構成されている以上、何が期待できるんだ。

むしろ、無能な政治家が馬鹿な指示をごり押しすれば、国民に禍が降りかかる。

「国民のため」とか言っているが、その「国民」って誰のことなんだ?

少なくとも、政権をとった政党のマニフェストや主張の中に、自分のような絶望独身男性が共感できる「政策」は一つも入っていない。
そんな政党が「国民」のためと称してアクションを起こせば、自ずと結果は見えている。

それに元々、財源もないような「絵に描いた餅」のごとき政策を実践したらどうなるか?

あれだ。

太平洋戦争末期、旧日本陸軍が実行した「インパール作戦」と同じ匂いがする。

この作戦も、食料弾薬の補給が困難であったのも拘わらず、それらを「現地調達」という無謀で楽観主義に基づいた手段に頼ったために壊滅的敗北を招いた。

すべては無能な現地司令官のなせる業だったのであるが、今回の「政権交代」で出来た「国家戦略局」も似たようなもの。

財源がないのに「無駄を省いて財源に充てる」というのは、つまりインパール作戦での「現地調達」と基本的には同じなのだから先は見えている。

新たな「白骨街道」の誕生だ。

死屍累々である。

まあ、これも日本の「伝統芸」かもしれないから、今のうちに「犠牲者」にはお悔やみをお伝えしよう。

この「お零れ頂戴新政権」に期待するものは何か?

もう日本に未来がなくなったからこそ自民党が潰れたのであって、これからは日本の後始末のために政治が存在しなければならない。
にも拘らず、出来もしない「美辞麗句」を並べるのは大概にしたほうがよろしい。

これからの日本政治行政に必要なのはなにか?

そう、終戦直後の「第二復員省」みたいな機関だ。

高齢者を素早く処分し、自殺志願者をスムーズに自殺させ、大量の死体処理のための火葬場、墓所を如何に確保するか。

これが「新政権」が最初に取り組まなければ成らない命題である。

少子高齢化がここまで進んでは、もはやこの国に未来はない。

他国に迷惑かけずにこの国を終焉させる。

それ以外に何が出来ようか?

役に立たない日本男子は速やかに自決、自殺を促し、婦女子は中国辺りに妾として輸出提供する。

そして高齢者は速やかに処分する。

高速道路を「無料排気ガス自殺センター」として開放し、八つ場ダムあたりを巨大な死体処理場とすれば1000万人ぐらいは埋められよう。

「国家戦略局」はこれを基本方針として実践するのが最も現実的な政策なのだ。

最近よく、高齢者が登山で遭難するが、あれは遭難ではなく「死ぬ場所」に自ずと赴いた「自殺」であることは周知の通り。

有権者の大半は、その高齢者。

高齢者が自民党に変わる政党を選んだのも「自分たちの死ぬ場所」をちゃんと提供してもらうがために一票を投じたのだ。

だから、その期待に応えなければ何の政権か?

その真の意思表示を勘違いしては困るのだ。

元「万年野党」や元「与党」からのはみ出し者にポジティブな政策など誰が期待しよう。

勘違いしてはならない。

「終わりの始まり」のために彼らが選ばれたのだ。

おっぱいを揉まれた役で映画に出演したり風俗ライターの経歴がある女性も当選したというが、別にそんなことは大したこ
とではない。

どうせこの国は中国、ロシアに切り売りされ、婦女子はその国の男たちに売られるのだから寧ろ相応の経歴と言うものだろ
う。
率先して見本を見せてもらいたいものである。

世襲総理大臣よ。これから来る受難の時代に「美辞麗句」を並べるな。

新政権の仕事はこの国の「お墓つくり」。

それ以外に何を期待するのだ?


2009年9月13日

第26回百里基地航空祭レポート

第26回百里基地航空祭が、先日の9月13日に茨城県小美玉市航空自衛隊百里基地にて開催されたので出撃してみた。

今回で4回目の参加。

この基地祭の名物といえば、特産品販売・・ではなく、驚異的ともいえる渋滞だ。

2004年の時はJR石岡駅より往路シャトルバス内に6時間閉じ込められ、基地に着いた時にはイベント終了後。

会場に流れる「蛍の光」が印象的であった。

2007年開催時には暑さのため飲料ドリンクが完売してしまい、1キロにも及ぶバス待ちの列に渇きに魘されながら2時間近く炎天下に立たされるという酷い目にあっている。

「陸の孤島」と揶揄される百里基地は、公共交通機関によるアクセスが極端に悪く、少しでも一般車両が集中するとまったく動きが取れなくなってしまうのだ。

地元のバス会社も抜本的に対策を考える様子はなく、毎回のように「難民」を発生させている。

唯一バス以外の公共交通だった鹿島鉄道も廃止され、状況はますます悪化。

こんな劣悪な場所に民間の茨城空港を併設する発想は何かの冗談にしか感じないが、実際作っているらしいので驚異の極みである。

ということで、毎回直前まで行くのを躊躇うのだが、首都圏で唯一の戦闘機部隊が配置され、機動飛行も見られるので、その魅力は捨てがたい。
天候や体調を天秤にかけて、とり合えず今回も参加に傾いた。

前回、交通費捻出をATMに頼ったあまりに帰りの交通費が足りなくなるという失敗に懲り、今回は余裕をもった金額を財布に確保する。

地元JR中央線阿佐ヶ谷駅を午前5時15分発の東京行き各駅停車に乗り込み、出発。

神田から山手線経由で上野駅へ。

上野より常磐線快速午前6時4分発水戸行きに乗り換え、一路石岡へ。

石岡には午前7時20分頃到着する。片道料金1620円。

まあ、ここまでは順調。

問題は石岡駅から百里基地までのシャトルバスである。

毎回、過酷な「難民ドラマ」を演出してくれるから、今回も何が待っているか戦々恐々。

まず、駅に降りてみると、幸いにもバス待ちの列はそれ程でもなく、流れもスムーズ。

列の途中で往復チケットを購入。

なにやら抽選引換券も付いて料金は1600円。

電車料金も合わせると自宅から百里基地まで最低往復6440円掛かる。

入間基地だと往復720円(因みに所要時間はわずか50分足らず)だから、料金の上でも百里詣ではキツイといえる。

余談だが今回、バス停にて先着順に特製団扇がもらえた。

さて、百里基地行きバスには午前7時55分頃に乗り込むことが出来た。

ほぼ30分前後しか待たなかったのは、これまでで最短だったかもしれない。

滑り出しは好調だ。

石岡駅を出てしばらくバスは快調に走る。

このまま行けば午前9時前には到着することが可能かもと期待が膨らむ。

しかし、やはり百里はそんな甘い「世界」ではなかった。

20分ほど走ると突然渋滞に捕まる。

そして殆ど動かなくなってしまった。

そう、シャトルバスは毎度お馴染み「難民バス」と化したのだ。

30分くらい経つと、バスを諦め、歩きはじめる乗客が出始める。

車列は完全に徒歩より遅くなっていた。

自分も1時間ほど我慢していたが、交差点でどんどん車が合流してくるのを見て午前9時45分、遂にバスを降りることを決断。

バスの運転手に徒歩でどのくらい掛かるか尋ねたが、道に慣れていないらしく解らないとの事。

とにかく行って見なければ話にならない。

幸い、「徒歩難民」がたくさん歩道に居たのでそれについて行けば大丈夫だろう。

渋滞に捕まっている車をどんどん追い抜きつつ、百里までの「徒歩行軍」の始まりである。

退屈しのぎに車のナンバーを調べる。

やはり、地元の「水戸」「土浦」が多い。

この辺りは車以外の移動手段がないから、何処へ行くのも車なのだろう。

それに休日ETC1000円とかいう制度で、国がますます自動車利用を促すからこんなことになるのだ。

何処が「地球にやさしく」だ。

排気ガスに咽ながらもひたすら歩みを進める。

この辺りは田畑以外は鬱蒼とした雑木林が点在して心地よい。

穂を垂れた稲が黄金に輝き、普段23区内では目にしない光景が新鮮だ。

40分ほど歩くと、専用バスレーンが見えてきた。

ここからはバスがすいすいと走れるようだ。

「早まったかな」考えるが、自分の乗っていたバスは遥か後方。歩きはじめてから自分を追い抜いていった車は皆無だったから、いずれにせよ徒歩のほうが早い。同じような境遇の客が「ここで再びバスに乗せろ」とごねている。

気持ちは解らんでもないが、揉め事は面倒なので「行軍」を続ける。

そろそろ基地に近いはずなのに、午前中に予定されている展示飛行の轟音が聞こえてこない。

まだ遥か先なんだろうかと不安になった(実際は天候不良で午前中のフライトは延期になっていた)。

携帯のGPSを使って現在位置を確認する手もあったが、パケット代が馬鹿にならないのでやめた。

バスを降り、歩き始めて約1時間。

遥か向こうに管制塔らしき影が見え始めた。

そして道沿いに「セブンイレブン」が。単なるコンビニがオアシスに見えた。

しかし、トイレは長蛇の列。気温も上がりつつあったのでここでドリンクを購入。

コンビニ横の細い路地を進んだらやっと「歓迎門」を発見。

石岡駅を出てから約2時間。午前11時少し前、百里基地になんとか到着出来た。

滑走路北側、ランウェイ21あたりだろうか。

すでにたくさんの客がシートを敷いて陣取っている。、目立つのは地元高齢者団体。

原則として、シートとかの持込は禁止なのだがお構いなし。それは車も同じで案内には「駐車場は殆どないからパークアンドライドをご利用との事」とは記してあるが、結局「正直者は馬鹿を見る」のか、早朝に自家用車で「殆どあるはずのない」基地駐車場に泊めた人が得をする。

茨城県のような「車至上社会」では、建前の案内や公共交通をあてにする人は生きていけないようである。

自分はとても茨城県に住む勇気はない。

それはさておき、朝のうち霧がかかり靄っていた天候も昼前には回復。予報どおり青空が広がってきた。

11時半ごろ、F15が機動飛行開始。

やはり戦闘機の爆音は心を揺さぶる。

しばらく滑走路北側にてF15を撮影した後、正午から管制塔下へ。

途中、警備犬の訓練展示エリアがあったので見学する。入間基地でもやっているのだが場所が遠かったので観るのは初め
て。

子供は戦闘機よりもわんこを観るほうが楽しそうである。

警備犬訓練展示を見終わると、地上機展示あたりをうろうろする。

日差しも強くなって喉が渇きを訴えてきた。すでにコンビニで買ったペットボトルは半分消費。

売店に向かおうかと思ったところで、F4ファントムがエンジンをかけ始めた。

13時頃からF4とRF4の機動飛行が始まるようだ。F4の部隊は確か沖縄から引っ越してきたと記憶する。

次々と離陸するF4を滑走路際から撮ってみる。

入間ほど人垣がないのでなんとか撮れた。

対地射撃機動飛行は凄まじいもので鼓膜がどうにかなりそうな爆音。地上ではバルカン砲が唸りを上げる(勿論空砲)がここからは見えない。

高速で通過するF4の姿をカメラに捕らえようとするが難しい。300ミリで追っかけるが大抵はファインダーからはみ出してしまう。ただ、デジカメは撮り具合がその場で確認出来る。失敗はすぐ削除出来るのでフィルムカメラよりは効率がよい。

F4機動飛行が終わるとすぐに売店でドリンクを買う。ペットボトルなぜかみな100円と安い。

お土産も考えるが、ただでさえ交通費が嵩むので無駄遣いは出来ない。

あと、ブルーインパルスとか帰りの時間が気になってどうしても百里は余裕がない。

結局、弁当も焼きそばもキャンセル。百里で買ったのはペットボトル2本のみ。

そうこうするうちに、ブルーインパルスの飛行展示が始まりそうになる。

あわてて、ランウェイ21のほうへ歩みを進める。

今回は滑走路北側の端で見ようかと思っていたが、結局いつもと同じ糸杉が植えてある場所にまでにしかたどり着けず。

これでは毎回同じ構図。だが石岡駅行きのバスを考えると、自ずと此処が安心できる場所なのだ。

14時半よりブルーインパルスに曲芸飛行開始。

空は所々に積雲がぽっかり浮かんでいて濃い青空とのコントラストが絵になる。一昨年の2007年もこんな空模様だった。まだ夏の気配が残っているのだ。

百里で好天下にブルーインパルスをデジカメ撮影するのは初めて。

フィルム交換の煩わしさもなかったので、どんどん撮る。

BIだけで150枚近くシャッターを切ったろうか。

視界も良かったのでソコソコ撮れたが、やはり上手い構図に収めるのは難しい。

演技の後半でオリンピック招致を意識したのか空に五輪を描いていた、と思ったがどうやらこれは「梅」か「桜」らしい。

「お約束」の「バーチカルキューピット」はなぜかあまりにも大きく描きすぎてよくわからなかったが。

15時半、プログラム終了。

今回は遅くならないうちに素早く石岡行きバス停へと向かう。

すでに列が出来始めていたが、2007年の時よりはまし。バスも順調にやってきて、それ程待つことはないという雰囲気
だった。

バス停の前で隊員が何やら配布しているのに気が付く。

バス往復券に付いていた抽選券引き換えである。こんなところでやっているのか?

券には「石岡駅」と記してあったが?

まあ、告知されていることと食い違うのは百里ではよくあることだ。

列にバッグを置き、あわてて抽選券と景品を交換。貰ったのはBIのクリアファイル。

15時45分頃、石岡駅行きのバスに乗り込むことが出来た。予想より早いし座ることも出来たのでほっとする。

しかし、此処からが大変だった。

これまでシャトルバスは往路は難儀するが、帰路はバス待ちを除いては比較的順調だった。

だが今回は違ったのである。

バス発着所を出てすぐ、滑走路脇の基地内の道でまったく動かなくなってしまったのだ。

目の前で帰投するBIやC1を横目に立ち往生のバス車列。

こんなことならしばらく基地内に留まって居たほうがましだった。バスの運転手もバスから降りて辺りをを窺がうも埒が明かない様子。

情報がまったく入ってこない。

所持していたラジオにはNHK水戸FMと茨城放送位しか聴こえてこない。IBSの交通情報では石岡市内国道6号線5キロ渋滞とか。でもいくらなんでもこんなところで全然動かないのは変だ。


1時間半位殆ど同じ場所で足止めである。

陽が西に傾きかけた17時15分頃になってやっと車列が動き出す。

真偽は定かでないが、情報によると基地の出口辺りでドライバー同士のトラブルがあったとか。

いったい誘導員とか警察は何をやっていたのだろう。

トラブルを1時間半突っ立て眺めていたのだろうか?

それ以前の問題として、毎回常識を逸する渋滞を引き起こして居るのに、抜本的対策を考えようとしない主催者や警察、自治体に「学習能力」はないらしい。

もはや怒りすらなく滑稽である。

だから1時間半、車列が動かなかったとしても、もはや驚くには値しない。

これが「百里クオリティー」なのだ。

自家用車やバイクを巧みに操って「建前」に翻弄されない者だけがこの「災難」から逃れられる。中には車に自転車を搭載して百里に挑む賢者もいる。

馬鹿正直に公共交通機関を使ってこの百里航空祭に赴く者は、この毎回のように繰り返されるこの非常識極まりない苦行を強いられる「百里クオリティー」洗礼を覚悟しなければならないのだ。

車がゴキブリのように湧いて出てくる休日の車至上社会でのイベント会場周辺はこれがおそらく「当たり前」の光景なのであろう。

それはさておき、基地を後にしたバスは嘘のように順調に走行する。

朝、苦労して歩いてきた道もあっという間に走破。

黄昏迫る百里原野の美しい車窓を眺めていると、疲れも癒される。

しかし、順調に走ることが出来たのは石岡まで6キロの地点まで。

国道6号線でまたもや渋滞に引っかかる。

土浦に向かう帰りの車の列に巻き込まれたのだ。

流石に帰路なのでバスを降りて歩きだす人はおらず、ひたすら待つしかない。

それにしても、この渋滞に嵌っている車中の人たちは渋滞による時間や燃料の損失をどう思っているのだろう。鉄道が整備されている場所に住んでいる人たちと比べると何だか痛々しい。

これほどの渋滞は年に数回位であろうが、この「陸の孤島」に茨城空港が完成しても羽田からハワイに行くよりも時間が掛かる状況を果たしてどう解釈するのだろうか?

常盤自動車道につながるアクセス道路や、つくばエクスプレス延長も計画されているとは聞くが、それがいつになるのかさっぱり解らない。

結局、この「百里クオリティー」は暫く続きそうである。

さて、シャトルバスが石岡駅に到着したのは19時20分。百里基地を出て約3時間半である。

2004年程ではないにしろ、今年もまた苦行であった。

朝から何一つ食事していなかったが、お金が勿体ないので何も買わずに石岡駅内へ。


ホームではバスに閉じ込められたのであろう親子が駅の売店で買った菓子パンを無言で食していた光景が印象に残った。

19時48分。石岡発の土浦行き普通列車に乗る。

20時過ぎには上野行き特急があるのだが、特急料金を払う気すら起きなかった。

結局、阿佐ヶ谷に着いたのが22時過ぎ。

百里基地を出て6時間15分である。駅前のロッテリアでハンバーガーとフライポテト〆て250円分購入。

いつもは買わないファーストフードがこれほど美味しいと感じたことはなかった。

石岡駅前にもファーストフード屋はあったのだが、同じものなら家の近くで落ち着いて食事する方がよい。

ところで後で知ったのだが、16時頃百里を出たバスは何と17時には石岡駅に着いていたとか。

つまり自分の乗ったバスより遅く発車したほうが2時間以上も早かった訳だ。

そういえば基地内で渋滞に嵌った時、後続のバスは1台もなかった。

恐らくバスのルートが複数あって、それがすべて「気紛れ」で運行されていたのだろう。渋滞情報が共有されいていないからバス運行当事者もお客も、またバスの運転手すらも状況を殆ど理解していなかったのかもしれない。

まったくもって恐るべき「百里クオリティー」である。

しかし、それすら「楽しい」思い出と化してしまう「百里基地航空祭」。

この「苦行」に耐えうる体調さえ維持できれば、究極の「自虐テーマパーク」として日本最高の地位を獲得出来るであろう。

是非、お試しあれ。

ただし、すべて自己責任で。


2009年9月11日

「エロティクスf」10周年記念パーティー

先日、漫画雑誌「エロティクスf」10周年記念パーティーの案内を頂いたので、恐縮ながら会場に足を運んでみる。

ここしばらく商業活動が停滞気味。そろそろ打開を図らねばと思っていたので営業活動も兼ねるつもりで赴く。

とはいえ、普段から引きこもり状態の自分からすると、いきなりこのような場所に行ったところでどうなるものでもなく、見識がある方は今年一度だけピンナップイラスト依頼の時にお会いした編集の方のみ。その方も来賓の応対に忙しく殆ど相手にしていただけない。

案の定「ひとりポツン」状態。

ぼうっと会場の片隅で一人ワイングラス相手に妄想していると、不憫と思ったのか向かいに座っていた漫画家さんが声を掛けてきた。

参加者は皆、受付で名札をつけて貰うから名前だけは解る。

柘植文さんという方だった。

同業者の事にまったく疎いから何を話してよいかわからなかったが、パソコンでの作画作業に関していろいろ質問されてきたので自分の環境などを説明したりする。

お陰で最悪「ひとりポツン」状態からは解放される。

それにしても奇特な方だ。向こうもこちらのことは全然知らないらしく、とりあえず目の前に居たから声を掛けたらしいのだが、もしかして氏の漫画ネタの素材としてアタックしたのかもしれない。

この後、担当さんを仲介に松本次郎さんとちょっとだけお話しすることが出来た。

この方の描く低空飛行のB52は萌える。どうやらこの日記も御覧になった事があるようで吃驚。氏に「こちらに来てお話しませんか?」と誘われたのだが引っ込み茶碗の自分は恐縮してしまい早々に元の「ひとりポツン」席に戻ってしまう。

まったく何のためにこの宴に赴いたのか解りゃしない。あほか自分。

周りには有名な漫画家さんもたくさん居られたようだが、とてもこちらから声を掛けるような状況にはなく、ただぼうっと見ているだけ。

予め「エロティクスf」を読んで予習しておくべきだったのだろうが後の祭り。

まあ、いつものパターンである。

誰か声を掛けてくれるのを待っている内は何の進展もなかろう。いや、声を掛けてもらってもこの有様なんだから「治療不可能」。

これじゃ何処へ行っても同じ。

存在感ゼロ。

とり合えず料理とかケーキを貰ってきて独りもしゃもしゃ食う。

2次会もあったので流れで行ってみる。

席の近くにはスーパーバイザーの山本直樹氏などがいらっしゃったのだか、例によって自分は周りの会話をぼうっと眺めているだけ。新人の編集者が隣に来て映画「サマーウオーズ」の話を振ってくれたが、観ているにも拘らず盛り上がりに欠ける会話しか出来ずにいる自分に自己嫌悪。

いや、そもそも自分のことばっかり考えているからそうなる訳で、もっと場を盛り上げるとか、そういうコミュニケーション能力がないとどうしようもないだろ、とまた「自分」のことばかり考えている自分に自己嫌悪するというスパイラルに入って抜け出せなくなる。

そのうち飲みすぎたのかシャックリが止まらなくなってそろそろ限界。

柔な自分の体調にまたまた「自己嫌悪」。

もう「自己嫌悪ループ」に切りがなくなったのでこの辺りでお暇する。

なんだかいきなりこのような場に出たところで美味しいことが転がっているわけでもなく、ただ自分の非力を改めて確認するだけなのだが、この宴の案内を貰っただけでもありがたいと思わねばなるまい。

担当さんに未発表作品絵コンテ3作を渡して帰途に就く。

福満しげゆき氏辺りであれば、この体験を漫画にして己の糧に有効利用出来そうだが、自分はただ一銭にもならないこの日記に「漏電」させて終わり。

嗚呼、まったくもって絶望である。


2009年9月7日

虚しい反芻

東京MXテレビでは、かなり前のアニメやドラマを再放送していて、週末夕方には「未来少年コナン」や「赤毛のアン」などの1970年代後半の作品が見られる。

再放映を待つまでもなく、今やDVDやネット上の動画サイトなどで幾らでも過去、琴線に触れた作品を視聴出来る環境が整っている。

1970年に日本で放映された「謎の円盤UFO」もその一つ。


自分が小学5年生の頃、洗礼を受けたイギリス製本格的SFドラマ。「新世紀エヴァンゲリオン」キャラクターの元ネタにもなっている名作だ。

動画サイトでそのオープニングを久しぶりに見たが、やはりカッコいい。

10歳の頃初めて観た感覚と同じだ。

この世に生まれて10年しかたっていないのに、これをカッコいいと理解する感受性がすでに出来上がっており、そして50歳近くになった今でもその感覚は変わっていないことに軽い脅威を感じてしまう。

何なのだろう?

ここに「時間差」は存在しないのだ。

「未来少年コナン」や「赤毛のアン」を観た時の感覚もまた同じように時を跨いで感性が時空を超えて繋がっている。

その頃あった他諸々の出来事は遥か記憶の果てで忘却の彼方に打ち捨てられているというのに、これらの作品群の記憶はまったく鮮明に己の中で生き続けているのだ。

これは懐かしさとは違う。事あるごとにそう思うのだ。

ネットが普及する前は往年の名作を含め容易にリピート鑑賞できるプラットホームなどなかったから大抵は記憶に上書きされてしまうものだが、現環境下ではどんな時代の創作物も瞬時に呼び出すことが出来てしまう。

だからいつまでも「忘却」が起こらない。

エリス中尉が月面基地で着替えたりするシーンがこんなにセクシーだったことを再確認出来るのも然り。

流石に小学校5年の自分には劇中コスチュームのエロさに反応するほど「覚醒」はしていなかったのだが、それは別問題だとしてもSONYのコンポステレオCMや小森のおばちゃまの解説シーンを含め、40年の時空を超え、捕らえ方は今と一緒なのだ。

まだテレビは一家に一台の時代。無論、家庭用ビデオなんかない。

おそらく兄弟と親父で居間のテレビで観ていたはず。土曜の午後8時、日本テレビだ。

その頃のくだらない出来事や学校家庭での稚拙なエピソードはどっかにすっ飛んでいるのに、この作品から受けた影響だけはやけに高尚だった。たった10歳の時に本格的SFを丸ごと飲み込むことが出来たなど信じがたい。

学校のクラスメートの中にもこの作品に夢中になっているのが居て、自慢げに俳優エドビショップやらの名前を全部記憶するほどの熱の入れようだった。

その部分だけはもういい大人が「新世紀エヴァンゲリオン」に夢中になった時の振る舞いとそっくりだった。

そんな、本来ならば記憶に上書きされるものを同時間帯に並列に置き換える行為とはいったい何なのだろう。

そこには通過儀礼は存在せず、ただ永遠に「反芻」が繰り返されるだけ。

そのうちどちらが過去でどちらが未来の作品か解らなくなってしまい、時間の感覚すらなくなってしまう。

10歳の自分と50歳の自分がクロスオーバーする。

もしかすると「謎の円盤UFO」を夢中になって見ていた小学校5年生の自分は己の「未来」の姿かもしれない。

成長を止め、通過儀礼を止めた絶望独身男性にとって、40年前は過去ではなく、これから反芻する「未来」なのだ。

「謎の円盤UFO」の公式サイトには当時のスタッフ俳優が同窓会みたいな感じで集っている映像もあった。皆老け込んでいて、もはやかつての姿はない。

しかし、ネットや記憶の中では、時間の経過は存在しないのだ。

この差は果たして何なのか?

実世界では必ず人は老い、死んでいく。

この生命の法則に逆らう奇妙な感覚は、単に打ち捨てられた人間の儚い妄想でしかないのか。

虚しい反芻はどこまで続くのだろう。


2009年9月2日

『サマーウオーズ』

アニメ映画『サマーウオーズ』を観た。

場所は吉祥寺。大学時代の学友から誘われたので3人で観る。全員独身男性。年齢合わせて150近い。

夏休みが終ってもお客は結構多く、やはり学生とか制服姿の女子高生とかが目立っていた。

それはさておき、映画の内容はオーソドックスな勧善懲悪というか、どんどん巨大化する悪をヒロインとヒーローが協力して倒すという「お約束」なストーリーなのだが、それを「仮想現実」とリンクし現代風にアレンジしてなかなか美味しく仕上げてあり安心して観賞出来た。

作画も綺麗で満足出来る内容。食べ物のシーンが豊富で空腹状態で観るとより楽しめる。

またこの作品では、古なる親類同士の絆が描かれているが、自分は生まれも育ちも東京なのですでにこういった絆は失われて久しい。

子供の頃はよく親類同士で集まったものだが、最近は余程の事がない限り顔を出せる機会がない。というより出す顔がない。つまり居場所がない。

だから、この作品に描かれている「親族」なるものはすでに「絵空事」であって、あくまで空想世界としてしか楽しめないのだ。

その一方で「仮想現実」内でのコミュニケーションも、自分の世代からするとまだ抵抗があるしよく解らない。ゲームもまってくやらないし。

要するに自分のような昭和30年代半ば生まれの独身男性からすると、親族の絆からは見放され、仮想現実の世界にも受け入れられないという真に中途半端な世代なのである。

『サマーウオーズ』を観て『サマー絶望』を感じた9月の始まりであった。


2009年8月31日

終わりのはじまり

8月最後の朝、テレビをつけると選挙の結果が出ていて、それは大方マスコミの予想と変わっておらず、大した感慨もなかったのでテレビを消して二度寝した。

自分の選挙区には「児童ポルノ法」に異を唱えていた議員が立候補していたので投票したが、残念ながら議席は守れなかったようだ。

それはさておき、民主党なる政党が議会で過半数を占めて政権が交代すると大きなニュースになっているけれど自民党に変わって民主党が政権を摂ったところで本当に何か「変わる」と本気で信じている人はいるのだろうか?

そもそも、民主党は元自民党の派閥が割れて出てきたもの。党首は自民党でかつて宰相を勤めた子息。民主党の実力者小沢という議員も「ミスター自民党」みたいな人物。

自民党の総裁も民主党の党首も世襲という身分は変わらないし、取り巻きも似たり寄ったり。

世襲批判があった中でも、世襲議員はそこそこ当選しているしね。

根本は何も変わっていないのだ。

かつて、社会党と自民党が切磋琢磨した1960年代のようなイデオロギーを軸とした対立があるわけでもなく、要するに自民党だろうが民主党だろうが基本どっちが政権とったってやることには変わりがない。

自民党が歴史的大敗だとか騒いでいるが、民主党と似たり寄ったりなんだから落選した自民議員もいっそ明日から民主党に鞍替えすればよろしい。別段、誰も困りはしない。

実際、新潟辺りの元宰相の娘が民主党から出馬して当選したんだからいいんじゃないの?

しかし皮肉なことに、地元の有力者や重鎮の立場だった古参の自民党議員が居なくなったことで官僚が自由気ままに行動出来る様に成った分、実は官僚支配は今よりも進む気がする。

それになんだか得体の知れない民主党新人女性議員が大量当選してしまい、本当に大丈夫なのか?

中国あたりから「逆ハニートラップ」を仕掛けられて国家機密やら重要政策なんかを洗いざらい持って行かれる危険性が危惧される。

中国の「日本愛人化工作」によりスイーツ女性議員はみんな中国諜報部員の妾と化すかもしれない。

こっちのほうが八つ場ダム建設中止よりよっぽど現実味がある。

ドサクサ紛れに当選したスイーツ女性議員と超高齢有権者に支えられた世襲議員しかいない国会で果たしてまともな国政が出来るとは、とても思えない。

民主党のマニフェストも怪しげなものが多く、現実味に乏しい。

実際のところ、結局は官僚の力に押され、自民党政権時代に決められた政策はそのまま通ってしまうのがオチだろう。

要するに、日本の政治というものがますます弱体化するのだけは確か。

それに相反して官僚の力が増大し実質的には日本は戦後最大の官僚支配国家となろう。

そんな狡猾な官僚が牛耳る既得権益に抗える程の度量など世襲の民主党党首にあると信じるほうがどうかしている。

官僚は内心こう思っているだろう。

「身の保全しか考えない世襲と自己判断能力のない依存体質のスイーツ女性に日本なんか任せられるか。こっちで勝手にやらせてもらうよ」

もはや官僚を支配出来るような腰の据わった無頼漢みたいな政治家などもう消えちまったんだから官僚さんはそりゃあもう手かせ足かせから解放されていい気分だろう。

勿論内政だけじゃなく日本外交もまっとうな政治家が居ないのだから超大国の言われるがままに動くしかない立場に凋落するのは目に見えている。

もしアメリカがアジア外交で日本を重要視しているならば自民党を敗北させるようなことはしなかったろう。それを放置したのは、もうアメリカにとって日本は「お払い箱」ということだ。

アジアにおいては中国がイニシアティブを握っているわけで、もう日本などどうでもよい存在。

スイーツ女性と既得権に縋るだけの世襲議員ばかりの日本に世界は何も期待していない。
堕ちるに任せるだけ。

よって、唯一民主党が実行できるのは「アニメの殿堂」とレッテルを貼られた施設建設を中止に追い込むことくらいだ。

恰好の「生贄」にされてしまい不憫でならない。

日本の未来を見据えれば有望株と思われたコンテンツ産業育成の象徴だった施設を自らぶっ壊すくらいしか、今の民主党には能がない。同じようにコンテンツ産業に力を入れているといわれる中国、韓国からすれば実に「ありがたい」事だ。

自分で自分の首を絞めているのだからね。

結局、「アニメの殿堂」を派手にぶち壊すパフォーマンスをしただけで、あとは自民党政権時代の既得権益は温存と、まあそんなところだろう。

結局、守旧的な既得権に縋る事以外に世襲党首の生き残る術があるとは思えない。

内政では官僚に頭が上がらず、外交では中国、ロシア、アメリカのいいなり。

その上、己の存在感を示すためだけに独身女性優先の人迷惑な政策を実践して日本絶望独身男性をますます窮地に追い込むような事態が発生しないとも限らない。

人口減、少子高齢化の中で民主党の掲げたマニフェストが実践できる訳がないし、無理にしようとすればどこかに大きな歪みが生じてとんでもないことになろう。

自民党だろうが民主党だろうがもはや世襲とスイーツ女性に頼っているような政治では高が知れている。

遅かれ早かれジリ貧になっておしまいだ。

これは「終わりの始まり」に過ぎない。

政治はただの形骸。飾り物だ。

生き残りたければ、これまで蓄積したモノを最大限有効活用して「持久戦」に備えるしかない。

結局は既得権がものをいう時代なのだ。新たに生まれる有益な価値観などこの国では絶対に育たない。期待するだけ馬鹿馬鹿しい。

あと女に生まれなかったことを悔いるしかない。

いつの時代にも得をするのは「権力者とそれに縋る女」である。

その原則が如実になっただけ。

スイーツ女と世襲から見放された者にとっては受難の時代が来る。

権力のない男はもう居場所がなくなってきた。

あと何年生き残ることが出来るだろうか。




2009年8月29日

とらのあな通信販売開始

夏の新刊『渋谷宮益坂妄想』「とらのあな」でも委託販売が始まっている。またCOMIC JINでも扱って頂いている。

こちらも御利用下さい。


2009年8月26日

『僕の小規模な生活』というマンガ

先日『僕の小規模な生活』というマンガを少しだけ読んだ。

この作者さんとは10年ほど前、兎菊書房という小さい出版社の打ち上げで少しだけ話したことがある。

「これからメジャーに成るにはどうしたらよいか」みたいな話をした記憶があった。

作者さんは持ち込みのノウハウとか、自費出版の仕方とかをいろいろ尋ねてきた。

それに対して「取り合えず出版社を片っ端から持ち込みしたら?」とか「自分の人生掛かってるんだから編集者には自分の作品をそのまま載せろといってみるのもよい」とか返したような。その頃、永嶋慎二氏と接点があったのでその受け売りみたいなことを取り合えず伝えた事を憶えている。

彼がそれをまじめに聞いていたかは知らない。

おそらく向こうは当時のことなどとっくに忘れていると思うが。

あれから10年。

その人が何やら今モーニングあたりで連載しているとか。

その作品が『僕の小規模な生活』らしい。

これを読むと同じような経験が甦ってきて妙に鬱々としてくる。

編集者とのやり取りがリアルだ。

「打ち合わせのための打ち合わせ」、「言っている事がくるくる変わる」、「何が正しいのかわからない」、「意思疎通が不透明」等など思い出しただけでもうんざりすることばかり。

この伝統はずっと変わっていないというかこれがメジャー誌の新人作家に対するルーティンなのかもしれないが、これで作家生命を潰される人もいた訳で、もうなんだか思い出したくもないものが下水道から逆流してくる思い。

もっとも、これは漫画家として成功するか否かの通過儀礼であって、これで潰される位ならプロ失格ということだろう。

この作者さんは難航しながらも取り合えず成功しているようで結構なことだ。

もし失敗していればこんな経験描けないし、描く気も起きないだろう。

だからこの作品は「小規模な生活」というよりは「徐々に成功しつつある俺の人生」と改題したほうがよいのではなかろうか?

もとより、この作品でも描かれているように「いい女」を嫁に迎え独占出来る地位にあること自体、すでに男として「成功」している訳だからこれ以上何を望むと言うのか?

伊集院光もそうだがキャラクターとして「ダメ人間」を標榜してはいるが、彼もアイドルを妻に娶っている訳で基本「ダメ人間」どころか「人生の勝利者」なのである。

だからそんな「人生の勝利者」が自分の「小規模な生活(失敗)」を語ったところで洒落にしかならない。

それを「商売のネタ」に出来る地位にあることが、もはや「失敗者」ではないことを証明している。

酒井法子の旦那然りね。

勿論、娶った「いい女」が未来永劫側にいる保証はないし、一人では生きていけない脆弱さはあるものの、大半の絶望独身男性は一瞬たりとも「いい女」と時を過ごすことが出来ない訳で、それはもう「小規模な失敗」どころか「最初から最後まで全部ダメ」という救いがない人生なのだ。

自分の人生を洒落にする余裕すらない。

だからこの『僕の小規模な生活』を読むと羨ましくてしょうがない。

なんだか最近は、自分とこの世界との境界線が妙に曖昧になってきて、以前自分の中にあった自己エネルギーの爆発、すなわち創作意欲の減退に悩まされている。

自分からこれを取ったら何も残らないのにも拘らず、そのエネルギーが減退している事は、すなわち「生きる価値なし」である。

この「小規模な生活」の主人公のようにコンビニでバイトするとか、その可能性はまったくゼロだ。

コミュニケーション能力マイナス400パーセントの自分が接客業など絶対に出来ない。

お釣りの計算も、慣れているはずの自分の同人イベント時ですらすぐに処理できないような人間が、ましてや迅速さを求められるコンビニマニュアルに従った料金計算など毛頭無理。

まったくの赤の他人に自分の承知しない製品を笑顔接客で販売するなど、途方もないことだ。

なぜ人はそんなことが出来るのだ?

もしコンビニでレジをやったとしても客から「あの商品は何処にあるの?」と聞かれてもこう答えるしかない。

「私はその製品を作った会社の人間でないから解らない。僕に聞かないでください」

そして一目散にレジから逃げ出すだろう。

自分がやっている諸々の事務処理すら満足に出来ないことが常であり、いつも自分に対して「お前は全然使えねえ。なんでお前50年も生きてんだ!」と己自身に罵声を浴びせかけている位だから、そんな自分が誰かの下で働いたとしても推して知るべし。3分でクビだ。

それに自分の代わりに働いてくれる律儀な奥さんもいない。

いるはずがないのだ!

それが解っているから、己の創作意欲減退は、すなわち人生の終わりを意味する。

生きていくにはお金がいるが、単純労働すらNGということは生きる術がないと同意語。

バイト代よりも己の尊厳を大切にするような人間は底辺に堕ちたら生きていけないのだ。

その恐怖がひしひしと迫ってきて時々寝床で「ぎゃあああー」と叫んで飛び起きることがある。

これはもう末期症状だ。

『僕の小規模な生活』は自分のライフスタイルと似ているが大きく欠けている部分がある。

それは以下の点であろう。

パートナーたる奥さんがいない。

コンビニでバイトする能力がない。

メジャー誌から仕事が来ない。

エロマンガを出版社に持ち込む気概もない。

この要素を『僕の小規模な生活』の主人公に加えたらどうなるか?

そんなマンガのタイトルはこうだ。

『生きる屍!早く死んだら?うんこ製造機』

だがこんなマンガは誰も読まない。

なぜなら救いも希望もないからだ。ただ単に何にも出来ない、誰からも必要とされない、人望もない男を描いたとして誰が見るか?

正直、この『僕の小規模な生活』という作品は、もともとこの世界でお呼びでない絶望独身男性を上から目線で見下ろし「まだ俺は恵まれているほうなんだ。かわいい奥さんもいるし。メジャー誌から仕事も来るし。うへへへへ」と吐露する意味合いを持っているからある意味残酷なのだ。

いずれ、ドラマにでもなったら印税がっぽり。奥さんもブランド品に囲まれ、セレブの仲間入り。

ドラマになったら誰が主人公役になるだろう。どうせジャニーズの誰かなんだろうね。

この本の所有者から「読むなら全巻貸すけど」と言われたが遠慮した。

読まなくても解る。この作品の主人公が持っている「せめてもの財産」すら持ち得ない人間を知っているからだ。

それは自分。

だからこの作品の主人公をもっと悪化させたものなら描けそうだが、それは結局自分であってそんな私小説みたいなものを50近くになって描いたところで結果は知れている。

自分そのものを晒しても一銭にもならぬのだ。

似たような「絶望人生論」を抱いていても、一方はそれを漫画にしてメジャー誌で人気を獲得し、一方では大したアクセス数もない己のブログに漏電させるだけで貴重な時間を浪費し愚行に明け暮れる。

この差はなんだ?

ふとももむちむちの奥さんを娶っている分、人徳の差が出るのであろう。

結婚出来ない50男は何をやってもダメである。

この漫画以下の水準で燻っている自分の人生に救いがたい絶望を感じた。


2009年8月25日

ラジオ番組でテーマになる。

ラジオ関西で毎週木曜2530〜2600放送の「眠らない大学at神戸芸工大」内のコーナーであびゅうきょの事がテーマになったらしい。

10分にも満たないコーナーで、内容も昔の単行本に関してだけなのだが興味ある方はどうぞ。

今、この大学で教授をしている大塚英志氏が担当する「俺の話を聞け!」のコーナーで取り上げたもの。

自分がデビューした徳間書店「リュウ」の時の担当であり、最初の単行本企画も大塚氏であった。

「プチアップルパイ」以降、お会いしていなかったのだがこんなところで話題に取り上げて頂き恐縮である。

とはいえ「誰も知らない漫画家」というお題らしいから喜んでいいのか解らぬが。

いずれにせよネットラジオとは違い、実際ラジオ電波に乗ったという所が味噌だ。

8月6日放送分でアーカイブがここでも聴ける。

ラジオ関西はこの時間帯、アニメ漫画関連の番組を集中させているようで興味深い。

関西方面の人は要チェック。


2009年8月24日

コミティア来場感謝

23日のコミティアも無事終了し、この夏の同人イベントも完遂する事が出来た。

この週末は3つのイベントが重なってしまいその全てに参加したので各々が少々消化不良になってしまった。

土曜日は横田基地へ行ったのだがそのレポートはブログを参照。


2009年8月18日

コミックマーケット76無事終了

昨日のコミックマーケット三日目にあびゅうきょスペースにお越しいただいた紳士淑女各位にはこの場を借りて御礼申し上げます。

夏の好天に恵まれた16日、朝8時に会場着。

あとから大学サークル時代の後輩二人がサポートに来てくれた。

アイテムが増えてスペース内に収めることが難しくなってきた。全アイテムを平積みするのは困難なので、一部は止む終えず棚に乗せたり、奥に方にひっこませている。

さて、今回「少年創作」ジャンルは西館配置。2000年夏以来であった。

あの時は来客数が少なく、西館での開催は若干の不安があった。東館と比べスケールも小さくなんとなくテンションも上がらない。

東館での壮大な人の波の中で洗われるような感覚が今回は味わえないのは寂しい。

しかし、結局のところそんな不安は杞憂で終わってくれた。

前回の西館配置のような過疎感はなく、かなりの人波が押し寄せ、「汗で濡れた1000円札」も手に出来た。

頒布数も例年並だったのでほっとする。

また、東3ホールで行われた私がカバーイラスト担当の「マンガ論争2」の特設スペースでの販売も順調だったようだ。遥遥、西から訪れて写真を撮ったり、執筆者に挨拶したり。

結局、自分のスペースを離れたのはこの時だけ。

本来、もっと挨拶周りをしなくてはいけないのだが。

今回もおなじみの方、懐かしい方が足を運んでくださり感謝の極み。

相変わらず、お釣りの計算等で失礼してしまい申し訳ない。年々頭の回転が鈍くなっているのを実感。

あと、女装コスプレも結構目立ち、なんともいえない空気を醸し出していたのも一興。

いずれにしろ、今回もイベントを無事に終えることが出来た。

来週は同じ場所でコミティアが開かれる。


2009年8月15日

コミックマーケット76『あびゅうきょ』スペース御案内

明日16日、東京ビッグサイトで開催中のコミックマーケット76に参加します。

スペースは16日西「さ」10b「あびゅうきょ」。

詳しい情報は下記の8日の日記を参照して下さい。

東京ビッグサイトへは山手線圏内ならりんかい線が便利です。

16時まで開催中。

興味ある方は是非宜しくお願いいたします。


2009年8月8日

ブログのほうに阿佐ヶ谷七夕新刊サンプル画像情報をアップ。

また、最新情報なども更新。

また『とらのあな』C76サークル情報にもインフォメーションあり(サークル名「あびゅうきょ」で検索可能)。

コミックマーケット76では、自分のスペース以外でもあびゅうきょ関連の作品提供頒布アイテムあります。

『漫画の手帖』サークル(16日西「ち」09)/漫画の手帖57号表紙

むらかわみちお党(16日西「さ」10b)/宇宙戦艦ヤマト本ゲストイラスト(むらかわ氏のブログ参照)

信吉茶屋(西2ホール-こ36a)/東京本ゲストイラスト

東3ホールガレリア側スペシャルブース/マイクロマガジン社刊『マンガ論争勃発2』表紙

宜しくの程を。


2009年8月5日

1982年「YOU」の頃

NHK教育で1982年に放映された若者討論番組「YOU」の第一回放送を放映していた。

タイトル画が大友克洋で司会が糸居重里と青島幸男の娘。

何やらサラリーマンがテーマ。

その頃、大学卒業したら就職するのが当たり前の時代。無論ニートなんて言葉もなかった。

当時、自分は同じように大学卒業したばかりだったが、結局就職なんてものはしないまま。

自分が会社という組織の中では何ら役に立たない人間であることを悟っていたので、他に選択肢はなかったのであるが、この「YOU」を見ていると、当時の「サラリーマンになることが必須」であった時代の空気がひしひしと伝わってきてなんだかザワザワしてくる。
同期でちゃんと就職した者の多くは結婚し、子育てに勤しみ、その子息すら二十歳を迎えんとしている、その出発点の時代が正に1982年だった。

髪型もファッションも顔立ちも、今の同年代と比べて妙に老け込んで見えるのはなぜか?
それはもしかすると否応なしに「大人」にならなければいけないという切迫感があったからだろう。

放っておいても「右肩上がり」の経済成長が約束されて「終身雇用」というレールがまださび付いていない時代だから、誰もが就職、結婚、子育てという通過儀礼で人生を成就出来ると信じれたし、それ以外の人生は考えられなかった。だからみんな「必死」になってサラリーマン業にしがみついていたのだ。

1990年代にバブルが訪れ、その「神話」が崩壊し、少子高齢化の中で衰退し始めたこの国に「必死になれば成就」出来る人生などどこにもない。

前の世代が残してくれた財産で食っていくしかないから、世襲が好まれ、食いつぶす財産がない者はただ静かに己の破滅に身をゆだねるしかない。そんな時代から1982年の「YOU」をじっと凝視している理由は、やっぱり「あの頃」が「未来が見える」最後の時代だったからに他ならない。

テレビでは何やら「裁判員」制度が始まり、その「実況中継」みたいな事をやっている。

いつから司法は素人による「吊るし上げ公開処刑人民裁判」になったのか?

俄かには信じがたい「稚拙」な制度や法律が実行され、ますます日本は末期的断末魔に引き込まれつつある。

法律が遡ったり、人間の健全な欲望までとりしまる状況を作りだし、既得権者しか富をえられないシステムを繰り出しているこの時点でこの国は終わっているのだ。

1982年の「YOU」では、大抵の者が出世を望み、その果てにおぼろげではあるにしろ、成功が約束されていたけれど、2009年の今、出世したところでそれは既得権者の「尻拭い」役でしかなくなった。

そんな役職ついたところでただの貧乏くじに過ぎないから誰も出世を望なくなった。

就職も結婚も出産、子育てもバブル以降、既得権者以外、ただのリスクでしかなくなってしまったのも同じ理屈。茶番劇みたいな「裁判員制度」で裁かれるのはそんな「負け組」達。

素人の「化けの皮」を被った既得権者が上から目線で被告席に居る哀れな「負け組」を裁くという構図自体がもう、まともな社会ではない。

こんな馬鹿げた社会はとっとと逃げ出すに限る。

どこかで逃げ出さなければ哀れな子羊として生贄にされてしまうから、みんな逃げ出すのだ。

まともに付き合えば気が狂う。

1982年は別に逃げ出さなくても良かったし、逃げる場所もなかった。

だが今は逃げよう。

逃げるが勝ち。

逃げ場がなくなったら死ぬだけだ。

「最後に死ぬのは希望だ」と誰かが言った。

ところがこの国にもう「希望」なるものはないに等しいから困ったものである。

だから年間自殺者は3万人を超えた。これからもどんどん増えよう。

最後の逃げ場は己の人生のリセット。

これも一興だ。

2009年の「YOU」では観覧席に白骨を並べ、青島幸男の娘がこう質問すればよかろう。

「ナウい死に方みつけました?」

まさにナウいね。

「ARE YOU HAPPY?」


2009年8月3日

『タッチ』

東京MXテレビで朝6時半よりアニメ『タッチ』を放映している。昨年『巨人の星』をやっていた時間帯だ。

『タッチ』は原作漫画もアニメ初放映の時も観ていない。作品自体は有名なのでタイトルは知っていたが内容は殆ど知らなかった。

先日、たまたまこの時間帯に『タッチ』を観た。

なにやら主人公らしき高校生男女がテレビを観ながら留守番をしている。どうやら幼馴染み同士。

突然、女の子が少年に抱きつく。しばらくすると地震が来た。

部屋のタンスから茶筒が落下する。外出中の親から電話。

テレビで地震速報。震度は4。

この他愛のない時間の流れが妙に上手く作られていて見入ってしまった。

作画の質も良くて、こんな作品が当時あったんだと感心してしまう。

『タッチ』はもう何度も再放送されているから、多分断片的にどこかで観ていた筈なのだが。

本放送は恐らく1980年代半ば位だと思うが、とにかくこのくっつきそうでくっつかないラブコメスポーツモノは興味がなくて一回たりともチャンネルを合せなかった。というより、当時日曜日の夜7時に民放を観ていた記憶がない。

主題歌やヒロインの声優はかなり有名なので流石に知ってはいたが、ストーリーは今もって解らない。

だが、この朝MXテレビで再放送されている『タッチ』は何だか面白いのである。

『泣いてたまるか』といいMXテレビの再放送ドラマ、アニメは絶妙のタイミングで己の琴線に迫ってくる。

不思議だ。

その『泣いてたまるか』の再放送であるが、この前の作品も凄かった。

冴えないサラリーマン2人が若い頃の軍隊時代を懐かしみ、動物園で戦争ごっこに興じる。そう1960年代現役会社員にとって大平洋戦争は「ついこの前の事」だったのである。

「戦争はまっぴら」と言いながらどこか郷愁に駆られる台詞は面白い。

その「取り残された」2人の前に大勢の母親に引かれる乳母車に乗った乳児達が通り過ぎる。

主人公の渥美清はそこでこんな台詞を吐露する。

「自分達は戦争でえらい目にあったが、この子供達が大人になった時に戦争の痛みを理解出来るだろうか」

歴史は新陳代謝し次々に世代が受け継がれていく事を象徴するシーン。

だが、2009年の今、このシーンは作りようがない。

なぜなら受け継ぐべき「子供達」が存在しないから。

代りにやってくるのは、当時と逆に若い子供達に車椅子で引かれる後期高齢者の群れだ。

もし、当時と同じようにサラリーマン役の渥美清が居たとしたら、こう呟くだろう。

「もう、この国はおしまいだ。戦争の心配する必要なんかどこにもなかった。子供がいない国に将来なんてあるか」

今、こんなドラマを作れば結構な名作になろうが、もはや2009年のテレビに「現実」を直視する作品の制作能力も気概もない。

だから本当におしまいなのである。


2009年8月1日

新刊告知

来る8/14〜16に開かれるコミックマーケットでの新刊告知をこちらに記した。宜しくの程を。

さて今回のスペースは久しぶりに西館配置となった。

たしかビッグサイド開催で「少年創作」ジャンルが西になったのは3回目である。1996年と2000年。

ということは9年ぶりか。

最初の1996年はコミケットが初めてビッグサイトで開かれた年でもある。エヴァブームもあってこの時は比較対象にならないかも知れないが1996年の時は東館と比べ極端に空いていた。

ずっと売り上げデータを折れ線グラフで記録しているのだが、この年だけ「ひのえうま」みたいにがくっと落ち込んでいる。

つまり、西館は人が回ってこないらしい。西館は「隔離」された場所と言う人すらいる。西館に配置されるとてっきり「不参加」と勘違いされたりもするとか。

コミケというイベントは、あの酸欠になりそうな程の雑踏の中で本を頒布する緊迫感が醍醐味。

大河のような人の流れに異様な匂いと濡れた1000円札。全身汗びっしょり。それが夏コミの「風物詩」でもある。

ところが西館だとまったりと退屈な時間だけが流れる。手持ち無沙汰のサークル参加者。人によってはこちらの方が楽と感じるようだがかなり寂しいものがある。

ということで今回は祭りの雰囲気を味わえるか不安である。

もっとも毎回配置されるジャンルが違うので必ずしも西館が過疎化と決まった訳ではないのだが、壁大手サークルと違って島サークルは「男性向け」から回ってくる一般参加者の流れも大切な「顧客」だったりする。その流れが西館の方に回ってくる事は殆ど期待出来ない。

配置に関しては準備会が決める事だから仕方ないのであるが。

取りあえず当日を待とう。


2009年7月31日

コミケ新刊入稿終了。

取りあえず一仕事終える。明細は後日。

22日に入手して放置状態だったNERV官給品を開封。

詳しくはブログにて。


2009年7月22日

日食

この日、首都圏では部分日食が見れるので観測してみた。

生憎の天候で殆ど太陽は雲の中。僅かに覗く時間帯に何枚か写真を撮ってみた(ブログ参照)。

国内で皆既日食が見れるトカラ列島も悪天候で観測不良との事らしかったが天候に左右されるイベントは正に「運を天に任せる」しかない。

数年前、アメリカ空軍のアクロバットチーム『サンダーバーズ』が来日した時、百里と浜松基地で展示飛行イベントが組まれていたのだが両日とも雨でキャンセル。遠路遥々現地に赴くも丸一日バスに閉じ込められたり滑走路脇でずっと雨に打たれずぶ濡れで殺伐とした中で待たされた挙げ句、中止の発表。とぼとぼ帰るだけだったりと踏んだり蹴ったりであったが、それでもそれなりの「思い出」は残った訳で全て無駄ではなかった。

だが、それにしてもNHKで紹介された小笠原近海での日食クルーズを選択した人達との差は如何程か。

鏡のような凪の洋上で真夏の陽射しの中、最高の条件下で皆既日食を存分に味わえたクルーズ組。

一方、皆既日食時に暴風雨に襲われて観測どころではなくなってしまった悪石島組。

僅かに条件がずれただけで立場が逆転していたかもしれないこの「天の気紛れ」。

だが、それ全て含めて天体ショーなのだ。

100%確実なものは逆に面白味がない。


2009年7月19日

遠い花火。

久しぶりの日記更新。

最近は数カ月前に導入したウインドウズのモバイルパソコンでネット閲覧や日記更新をするようになったためマックG3はフォトショップなどの画像処理にしか使わなくなる。

この日記はそのG3に入っているホームページアプリケーションからしか書き込めないので更新間隔が開くようになってしまった。

ブログのほうが書込みやすいのだが、なんとなく雰囲気が違い、こちらの日記でないと馴染まない事柄もあったりする。

最初は全く同期させようかと考えていたのだが難しいものである。

さて、気が付くと7月中旬。夏真っ盛りになっていた。どうも自分の季節観が遅れ気味。

昨日の土曜日、調布のほうで花火大会があったらしく、ここ杉並でも遠雷のように音だけ聞こえてきた。

ちょうど地元のコミュニティーFMが実況中継していて、その30秒くらい後に実際の音が伝わってくる。

この微妙なタイムラグがなんとも趣があったりする。

今年は果して花火見物に行けるだろうか。

現在、夏コミ新刊製作中。

締め切りも近い。


2009年7月8日

御中元のカルピス

先日、所用で某百貨店の御中元売り場に足を運んだ。

半世紀近く生きたがこのような場所に行ったのは記憶にない。

子供の頃、毎年盆暮れに親父の仕事先や親族から贈られてくる諸々の品々。それは当時の家庭にとっては「ごく有り触れた慣例風習」なのだが、お年玉同様、大人になった自分には縁がない。

結局、独身のまま世間から離反した生き方を選択した者にとって「御中元」はお呼びでないのだ。

それはさておき、御中元会場には諸々の贈答品が並べられて平日にも拘わらず比較的混雑していた。

殆どが年配者か家族連れ。当然秋葉系の姿は皆無。

こういった世間体を重んじる風習の場から最も離反しているのが秋葉系。自分の趣味以外にお金は使わない(使えない)のだ。

この場違いな会場を暫く彷徨うとカルピスの詰め合わせを見つけた。

そう、子供の頃、夏といえばカルピスだった。

特にフルーツカルピスは御中元に特別に貰うものという感覚があって、めったにお目にかかれないレアドリンクであった。

そのフルーツカルピスは今でも健在で、それも瓶入りのまま。

現在、市販されているカルピスはみんな紙パックになってしまったらしく、瓶入りは贈答用のみらしい。

まだ、黒人のイラストがトレードマークだった頃から慣れ親しんだカルピス。

水で薄めるオーソドックスな飲み方は久しくしていない。カルピスウォーターが一般的になってしまったからだ。

でもやっぱり水玉模様の瓶入りカルピスは平成の世でも御中元の定番として健在であった。

何故かほっとする。


2009年7月4日

オワル セカイ

ずいぶん前の日記にも記したことがあったが、1960年代後半、一世を風靡した「ゲバゲバ90分」というバラエティー番組があった。

その中で、国際反戦デーか何かの学生デモを見下ろしながら生放送するという企画があったそうだ。

そんな企画が通り、実際に放送され、高視聴率を稼ぐ。作り手にとってはとてつもなくやり甲斐のある時代だったろう。

デモ隊が東京の町を大規模に練り歩き、それを公共の電波で生中継する。

それもゴールデンタイムだ。何が起こるか解らない。これがきっかけで「革命」や「クーデター」が起こるやもしれぬ。

それでも放送は中断されなかった。

現状が破壊されることを恐れなかったのは、恐らく捨てるものより得るものが大きいと確信出来たからだ。

「大きく食べて50円とはいいことだ!」

森永エールチョコレートのCMで太った指揮者は叫ぶ。

すると何百人もの若者が一斉にチョコを突き出し「50円!」と応える。

前のめりに押し出す若いエネルギーは不器用で粗雑ながらもとにかく新しい価値観を強引に押し出す勢いがあった。

社会も政治も文化も芸術も何もかも壊れる以上に何かが作り出されていた気がする。

あれから、40年。

地上波テレビは低視聴率にあえぎ、新聞は発行部数を減らし続け、出版社は次々に潰れているという。

世は現状が壊れることを恐れ、何も作り出そうとしない。


挑戦することを止め、些細な危険を恐れ、規制を広め、それが更に萎縮を強めるからますます先細りスパイラルを招く。

観て見よ。今の地上波テレビの凋落ぶりを。

かつてその画面から垣間見えた「生きた映像」、すなわち勝敗に一喜一憂した巨人戦中継や危ないトークで満たされたバラエティーやいかがわしい11PM等の深夜番組。

そんなものが一切ない消毒液に浸かった屍骸のような「当たり障りのない」出来損ないの食品見本みたいな「死んだ映像」を誰が楽しめると言えるか?
それでも新しい挑戦を試みようともしないのはもはや既得権だけに縋り付く以外に生き残る術がないからだ。

遂には新しい胎動を極端に恐れ、その兆しすら片っ端から排除し始める。

かつてテレビに噛り付いている民衆のことを識者は「一億総白痴」と揶揄した。

だがそんな「白痴」からも見放されたテレビに何の価値があるのか?

こうなったら、もうおしまいだ。

警察はダガーナイフ取締りを声高に叫ぶ。だが回収は一向に進まないらしい。

現実と離反した取り締まりや法律だけが一人歩きしても誰も従おうとはしない。

「傘を差しての自転車運転は禁止」とテレビは言う。

だが、この日も多くの者が傘を片手に自転車に乗って職場に急ぐ。

人は思う。

「そんなことまでいちいち指図されねばいけないのか?」

なるほど、傘をさしての自転車走行は確かに危険には違いない。

ダガーナイフだって普通の包丁より殺傷能力があるかもしれない。

中古電化製品は火を噴くかもしれない。

だがそれを取り締まったところで著しくこの世が「正される」というのか?

この世界ではもっとするべきことがあるはずだ。

人々から権利や自由、財産権までも奪って「得られる」ものってなんなのだ?誰が得をするのだ?

1970年代初頭、テレビから流れてきた妖精のような歌声。

かつて香港からやってきたアイドル歌手が40年後、どこぞの「慈善団体」広報として「児童ポルノ」なるものをこの世界から追放しようと訴えている。

この元アイドルが如何なる経緯でその立場に成れたのかは知らない。

しかしこの歌手が日本でデビュー出来たのは「ゲバゲバ90分」同様新しい価値観が惜しげもなく投入可能な時代だったからに他ならない。

TBSラジオ、林美雄のパックインミュージックに出演したり、大学に進学したり等リベラルな活動が彼女に出来たのは何ゆえか?

彼女に進学する権利や活動の自由が与えられたからこそ、今の存在がある。

この国で守旧的な価値観しか与えられなければ、今頃香港で寂しく過ごしていたろうに、そんな彼女が今度は日本の純朴なる男子から権利、自由を奪い、財産権まで剥奪しようと日本の行政府に働きかけているのは如何なる所業か?

お前を支持した者に「恩を仇で返す」事を一切の呵責なしにいられるのか?それともその自覚すらないのか?

「児童ポルノ」単純所持を罰していないのは先進国で日本とロシアだけだという。だから日本も単純所持を取り締まるべきと推進論者は言う。

しかしそんなものは詭弁でしかない。

だったら先進欧米諸国の大半が「捕鯨禁止」を訴えているのだから日本も当然「捕鯨禁止」すべきではないか?

ところが日本はあくまで捕鯨を「推進」する。なぜならば捕鯨が水産業者の既得権に関わっているからだ。だから欧米各国の反発や捕鯨を実力で妨害する反捕鯨団体の行動に対しても頑なに譲らない。

「内政干渉だ」「海賊行為だ」とね。

一方、同様に世界の趨勢に反する「児童ポルノ」単純所持に反発しないのは、そこに既得権がないからに過ぎない。

既得権が絡めばパチンコという賭博だって平然と許可されてしまうのを見ても解るだろう。

アメリカ合衆国で銃が自由に取得できるのも「全米ライフル協会」という既得権組織があるからである。

それで大量に人が死のうとお構いなし。「地獄の沙汰も金次第」だ。

元アイドル歌手はそんな既得権者の都合の良いスポークスマンな訳で、いわば反捕鯨団体の「シーシェパード」と同じ。

最前線の旗振り役である。

元アイドル歌手がもし反捕鯨を掲げたら国会どころか入国すら許可されないだろう。

今や既得権者にとって最大の武器は「子供と女性の権利」という常套句。

これを錦の旗とすれば一切の反論を封じ込め、意のままに世を操ることが出来る。

そんな意味からも「児童ポルノ改正」により単純所持まで禁止すれば既得権者にはマコトに都合の良い状況が完成するのである。

このような硬直した社会は、しかし、一握りの既得権者以外にとってはあらいる自由と権利、そして財産権を奪う形として現れ極端な抑圧社会を生み出す。

その結果はいちいち論ずる必要もなかろう。

歴史の本を少しでも読み返せばいくらでもその事例は転がっている。

数多の可能性や選択肢を奪うことは、すなわち文明の衰退である。

自分らが若かった頃、少なくとも1990年代までは価値観の選択肢の幅は右肩上がりだった。

当時はこんな呟きで満たされていた。

「昔は禁止されていたこんな表現も許されるようになった。自由な時代になったものだ」

ところが2009年はどうか。

「昔は普通に使えた表現も今じゃ無理だからな。使えば犯罪者だ。不自由な時代になったものだ」

人々から表現の自由と財産権を奪わなければ維持できない社会とは何か?

それは「セカイのオワリ」である。

少子高齢化が急速に加速し、新しい価値観を生むことの出来ない「セカイ」。

こんな「セカイ」は必ず終わる。

「焚書」を容認する時点で「セカイ」に未来はないだろう。

テレビも新聞も雑誌も遅かれ早かれ「終焉」が訪れる。

己の棺桶のごとき意味合いにも等しい「児童ポルノ法改正」の動向を見て見ぬふりで一切伝えようとしないテレビ、新聞、雑誌は実際「死んでいる」に等しい。

規制で己の首を絞めるのに、それを認めなければ生き残れないテレビ、新聞の状況は末期がん患者の終末治療の様相だ。

いつしかテレビ、新聞は「空っぽの器」となり不要なものとして捨てられる。

「セカイ」は終わり、やがて混沌がやってくる。

そんな「カオス」の中で再び新しい価値観が生まれるかは知らない。

もうテレビから浅間山荘事件や王貞治756号の瞬間やアポロ11号月面着陸みたいな「世紀の瞬間」は永遠に流れない。

デジタルテレビになれば真の「ライブ中継」は存在しない。すべて「検閲済み」の画像でしかなくなる。

そんなものに観る価値化は微塵もない。

「欺瞞と嘘」で塗り固められた情報で満足するほど人は愚かではなかろう。

猥雑なモノでも人は「生」の情報に渇望する。

「児童ポルノ法」もかつての「禁酒法」と同じ道を辿るのは論を待たない。

いくら規制を強めようとも情報はネットに流れ、離合集散しながら蚊柱のように彷徨する。

「児童ポルノ」なる存在はその欲求が人間の中に普遍的に存在する限り、永遠になくすことは出来ない。

この日本は建前上、軍隊も賭博も売春も存在しないことになっている。

ところが自衛隊が軍隊じゃないなんて誰も思っちゃいないし、ちょっと駅前に行けばパチンコという「賭博」が楽しめるし、ソープランドは事実上の売春施設である。

法律で禁止されているモノがこれほ堂々と存在する国も珍しい。

この「いい加減さ」がないと生きて来れなかったこの国に本気で「規制」なんて始めること自体、この国の「オワリ」を暗示させている。

これからの日本人は如何に「オワラセル」かを生きる流儀として心得る必要があるだろう。

この先細りの流れは決して変わらない。

自由と権利、財産権はさまざまな口実によって著しく損なわれていく。そのうち行動の自由すら奪われよう。

かつて人口比で大多数を占めた若年層が健在だった時代は、それでもその「オワルセカイ」の混沌から闘争して勝ち残り、新たな「セカイ」を作っていった。

「座して死ぬか」あるいは「抑圧者と刺し違える」という選択肢だって今よりは容易に決断可能だった。

この「終わりありき」の「オワルセカイ」に生きている以上、覚悟しなければいけないことだ。

しかし高齢者が大半を占め「戦争」すら遂行できない時代となった今、ただただ「セカイ」は終わるに任せるのみ。

縮んでいく風船のような「セカイ」の中でどう人生に決着をつけるか。

いまや誰も照らし示すことが出来ない。

そう遠くない未来、テレビは究極の「自主規制」によって画面が真っ白か真っ黒のモノトーンしか映らなくなる。

「有害で危険なものは一切排除」という規定を厳密に守った結果である。

「こんなの誰が見るのか?」という心配はご無用。

テレビの前には誰も居ないから。

その代わり、町中の監視カメラが24時間、君を撮ってくれるているだろう。

誰が見ているのかは知らないがね。

オワルセカイに乾杯。


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