2005年10月・11月・12月


2005年12月31日

コミケット69来場感謝。

今年の冬コミも無事終了。寒い中、我がスペースまでお越し頂きこの場を借りて御礼申し上げる。

今回で22回連続サークル参加。来年はコミケ(自費出版活動)12年目で干支がひと回りである。

課題は販売アイテムが増えてスペースに納まらなくなってきたことだ。今回も棚を用意して工夫したが、もう平積みは目一杯だ。ブックエンドを利用してスペースを有効に活かそうと試行錯誤中。

このような情況だからスペース設営にも手間と時間が掛かるようになってしまった。

11年前の初参加の時は、机の真ん中に単品で20部ドンっと置いただけなので、ほんの2〜3分で設営など終ってしまった。ところが今回は頒布アイテムが17種類に増えてしまい設営にかなりの時間を取られてしまう。

今回は8時ちょっと過ぎに会場に着いて比較的余裕があったにも拘わらず、開場10時になってもまだバタバタやっていた。特に冬はお手伝いの確保が難しく(今年は30日も平日なので尚更。行きの電車には通勤客が多くいて何か違和感があった)、独りでの設営には限界を感じる。

さて、オープニングの午前10時になった。何故かいつもよりお客さんの出足が早く、10時代がら忙殺状態。ありがたい事にスケッチブックの依頼も相次ぐ。だがスケブと接客を同時にこなす事は難しく、お客さんにはかなり御迷惑をお掛けしてしまった。スケブを描く手で、お釣計算したりで目が回ってしまい、知り合いが目の前に立っていても気が付かない程。値札が付いたままの本もいくつか売ってしまう。スケブを依頼された方にも、随分とお待たせしてしまい申し訳なかった。

終盤には他のスペースでお手伝いされていた知人に少しだけお願いして、何とか事なきを得た。

気が付けば閉会のアナウンス。一歩も自分のスペースから離れる余裕もなく、ペットボトルのお茶だけで7時間過したが、たくさんのお客さんに来て頂き感謝の限りである。

最近は、自費出版活動開始当初のお仲間が仕事等で同人誌イベントから足が遠退き、疎遠になるというお話もよく聞く。ただ思った程にその影響は少ないようだ。結局は入れ代わり立ち代わり皆コミケには通い続けている感がある。今日も平日の30日ということで参加者減が懸念されたが杞憂に終ったようだ。

ところでいつもジャンルは「少年創作」で参加しているのだが、今回配置されたスペースは周りが評論等を扱うサークルさんが多く、若干いつもと雰囲気が違った。スペース内でカルトっぽいアジテーションしながら本を売っているサークルもあって奇怪だ。まあこれもコミケならではの風景か。

閉会後、黄昏の中をりんかい線国際展示場駅へとひとり歩く。身体は疲れているが一仕事終えたという充実感で心地よい。日本各地から集いし猛者達の流れが延々と続く。各々の日常に還っていく参加者。振り向いてビッグサイトをカメラに納める者もいる。

また来夏の「聖地巡礼」再会を夢に抱いて。

まもなく今年も終る。

2005年は公私共に、逡巡多き年だった。創作に集中出来る環境をもっと積極的に構築する努力が必要だったか?年初に目標にした原画展も結局足掛かりすら掴めず、1年過ぎてしまった。各方面からいろいろアドバイス頂いたのにそれを活かせず無念だ。

今年はバイオリズム的に下降ぎみだったのかも知れない。こういう時は下手に動くよりも静観して情況の回復を待った方がよいだろう。是非来年は実りある充実した年にしたい。

よいお年を。


2005年12月29日

コミックマーケットあびゅうきょサークルの御案内。

すでに最新情報等でもお知らせしているように、明日30日コミックマーケット69(12/29〜30・東京ビッグサイト午前10時〜午後4時)にて、今回もあびゅうきょサークルが出店します。

販売スペースは東4ホール”ヤ”49b。

新刊は阿佐谷お伊勢の森覚醒巫女。及び別ペンネームの新刊。他既刊オフセット、コピー本等頒布予定。

会場の東京ビッグサイトへはJR山手線大崎駅経由りんかい線国際展示場駅下車が便利です。

お誘い合わせの上、御来場いただければ幸いです。


2005年12月25日

時のサイクル。

商業誌次回作絵コンテやハードディスクに貯まった原稿データのバックアップのためにCDーRを焼いたりとバタバタ忙しい日々。

クリスマスに限らず、祭日等のイベントは以前なら生活の節目となるものだったが、時の流れが早く、まるで車窓をあっという間に通り過ぎる風景のごとく、気が付くと時の彼方に消えている。

街は相変わらずクリスマスの喧噪で賑わってはいるが、いよいよ日本の人口が減っていく時代に入ると考えると、この賑わいも年々寂しくなっていくのだ。

1950年代後半生まれ世代は、この年をピークとしてジェットコースターの下り坂を急速落下するごとく、日本の衰退と共に老いていかねばならない。

今まで成長と拡大の中で半生を生きた世代としてはかなりきつい現実だ。

最近、旧日本海軍戦艦「大和」を題材とした映画が公開されている。

これでふと思ったのだが、あの「宇宙戦艦ヤマト」がブームとなったのが1970年代半ば。そして今回の映画が2005年。

現実の「大和」が沈んだのが1945年だから、ちょうどこの間隔が30年サイクルなのだ。

しかし、妙な事に「宇宙戦艦ヤマト」の映画を観る為に映画館前に並んだあの頃が「戦後30年」であったにも拘らず、「宇宙戦艦ヤマト」から現実の旧日本海軍大和を深く洞察する事など想像にも及ばなかった。

それほど隔世の感だったのだ。

それと比べて「宇宙戦艦ヤマト」と今回の映画は、感覚的に殆ど「同じ時代」のモノだ。

つまり現実には同じ30年間隔なのに、本物の大和沈没と「宇宙戦艦ヤマト」の時差は、まるで100年以上経っているかの隔たりを感じる一方で「宇宙戦艦ヤマト」と今回の大和映画は時代変化の感覚が乏しい。

同じ30年間でも、その間に詰め込まれた事象の密度が余りにも違い過ぎるのだ。

前半の30年間には価値観の大逆転、東西冷戦や団塊の世代というマンパワー爆発、そして気が付くと人類は月にまで行ってしまったという事実がある。貨幣価値や所得も物凄い変化があった。1945年と1970年では共有する価値観は殆ど皆無だ。それと比較したら後半の30年間は何もないに等しい。

1970年代、「大和」は空想科学の対象にされる「歴史上の遺産」に過ぎなかったが、2005年の日本ではむしろリアリティーな国家シンボルとして描かれている。

文化、サブカルチャーの世界でも「老化」が始まっているのかも知れぬ。

次の30年間は、変化はもっと希薄なものとなり時差すら感じなくなるのか?

来年から、何もかも縮小、後退、減少、冷却に向ってまっ逆さまの時代が来る。

時計が逆回りするがごとく、むしろ再び時代の急激な変化がやって来る可能性もあろう。

それも負のベクトルで。

次の30年間はまた価値観の大転換が起きて、60年後は江戸時代の水準で生活しているかも。

ヒエとアワを食って生き長らえる生活が待っているのだ。


2005年12月20日

『黒船レディと銀星楽団』

先日の寒波ですっかりケヤキが落葉して落ち葉の山がそこら中に出来ている。自転車で乗り上げ暫し戯れる。昔、中学の校庭で落ち葉の山にリヤカーごと突っ込む遊びが流行った事を思い出す。

落ち葉の独特の感触と匂いが心地よい。

阿佐ヶ谷某BARでの恒例ライブに久々に行く。

今回は、店のBGMで流れている曲が気になっていたジャズグループ『黒船レディと銀星楽団』

切ない歌詞と温かみのあるボーカルが心地よい気分にさせる。

厳寒の12月に暖炉に佇むがごとし。


2005年12月18日

亀有と亀戸。

先日、東京葛飾の亀有に所用があったのだが、間違って亀戸へ行ってしまう。

頭の中では亀有と亀戸が同じものだと思い込んでおり、亀戸に着いた時点でも間違いに気が付かなかった。

それにしても秋葉原や上野以東の城東地区鉄道路線は複雑で分かりにくい。普段利用しないという理由も大きいが常磐線の乗り継ぎや、相互乗り入れの私鉄、地下鉄、更に快速、特急、各駅停車のホームが複雑に入り組んでおり、目的地までどうやったら辿りつけるか、まるで迷路である。

慣れない城東地区の鉄道を利用する時は、細心の注意が必要だ。思い込みだけで行動するのは間違いの元。

にしても、亀有と亀戸は紛らわしい名前である。字画も似ているし、きっと間違えた人が多くいたであろう。


2005年12月13日

寒い。

コミケ頒布用新刊原稿を全て入稿。カタログも買う。

それにしても寒い。一昨日は東京でも雪がちらつく。

気象衛星の画像を見ると寒気に伴う筋雲が日本海にぎっしり。東シナ海まで覆っている。例年なら1月中旬に見られる情況なのだが、今年は早すぎる。鹿児島でも雪が降っているらしい。

紅葉も変だ。

ケヤキ系の落葉樹は葉が落ちる事なく、枝に付いたまま茶色く変色してまるで枯れ木のよう。

おそらく晩秋まで暖かかったのに急に厳冬の寒さに襲われたので、落葉のタイミングを逃したのだろう。

人生の納め所を逸した独身中年男性のようで美しくない。

やはり散る時は潔く散らぬと醜いだけだ。

JR阿佐ヶ谷駅構内のベーカリーで売っているジャムパンが妙に旨い。

最近はこればっかり食べている。


2005年12月11日

コミックマーケット69(12/29〜30・東京ビッグサイト)あびゅうきょサークル頒布御案内。

最新情報に新刊情報アップ。

別ペンネームでの新刊予定もあるのでよろしくの程を。


2005年12月9日

寒気。

コミケット用自費出版原稿誠意執筆中にて日記更新滞る。

さて、今年の11月後半から12月前半は、例年より寒く感じる。特に昨年と比べると対照的だ。2004年は12月初頭、台風崩れのような低気圧が通過して、東京で25度近くになった日があり扇風機を回そうかと思った程。

今年は偏西風の蛇行の影響で寒気が南下しやすいパターン。ヨーロッパでも大雪が観測されたようだし、日本も豪雪の冬になるか。ただ、案外初冬が寒いと、後半暖冬になる場合もあり。

東京は澄み切った冬晴れが続いて視界が良く、300ミリ望遠レンズでのぞくと富士山山頂に舞い上がる雪煙まで見えるのには感動。

でも数年前から富士山レーダードームが無くなってしまい違和感あり。


2005年12月1日

最後の楽園。

原稿描きのBGMで久しぶりにPSY・SのCDを聴いていた。

アルバム「ホリディ」の中に「最後の楽園」という曲があって結構好きだったことを思い出す。

そのフレーズにこんな詩がある(作詞は森雪之丞)。

「だんだん窓から空が見えなくなる。

天国にまで鉄やガラスの塔が伸びていく街。

・・・路地裏のマンションは

『輝く泉』が昔あった場所なの。

恋する楽園 キスで開いた

最後の楽園 あなたの心

緑が枯れても 鳥が死んでも

二人はずっと愛し合える

夢のように」

テレビのニュースは今日も「見えない嘘」を追い掛けて人々の不安を煽り立てる。

鳥インフルエンザ、偽装建築マンション、幼児殺害等など。

皆「見えない嘘」だ。

偽装建築を見破ったことを訴えて正義漢ぶる建築士がテレビに出ていた。確かに偽装を企てた者の罪は重い。だがこれは特定の当事者だけの罪であろうか?

否。

偽装建築などパチンコの換金行為と同じ。

建前上、賭博行為は禁止だ。だからパチンコは建前上、賭博ではない事になっている。でもそれを信じる者は誰もいない。

「パチンコ屋の近くで玉を換金している」と告発して誰が驚くか?

偽装建築もそれと同じ事。

鉄筋が絶対的に足りないものを作ることが彼等の「常識」なのだ。この「常識」を責めたところで誰も正す者はいない。

結局は一番弱い者が損をする。

それが資本主義だ。

「見えない嘘」を巧みに操作して利を得る。この件を告発した者もそれを知らぬはずはなかろう。

震度6クラスの地震が来たらどうなるだろう?

案外今回問題になっている建物も大丈夫かも知れない。あるいは予想を超えて耐震強度がクリアされているはずのマンション、ホテルさえホットケーキのようにぺしゃんこになるかもしれない。

それは誰も解らない。「神のみぞ知る」だ。

解っている事は一つ。

誰も責任は取らない。建築主もデベロッパーも審査会社も国も銀行も知らん顔を決め込むだろう。

死ねばもろともなのだ。

この件一つとってもお判りだろう。

もし、この国が戦争や大災害に巻き込まれたとしたら、今回の事例とまったく同じく誰もが責任放棄して逃げ出すのだ。これは今から覚悟しておいた方がよかろう。

一方で、幼児殺害の件も要注意だ。

犯人が捕まった際、ある女性テレビコメンテーターはこう述べた。

「オタクの犯罪とばかり思ってましたが虚を突かれた感じです」

さもオタクが容疑者でなかったことが残念だったと言いたげだ。

これも「見えない嘘」を巧みに操作して誰かを陥れたかった事例である。

メディアは子供の安全確保を声高に叫ぶ。

だが現実には子供の安全は過去に比べて格段に向上しているのだ。

朝日新聞の数日前の紙面にこんな統計があった。

都内で年間交通事故死の学童数は1959年は200人余を数えたが、2004年はわずか14人程だと言う。1/10以下である。一方で学童が誘拐殺害された件数が当時と比べ10倍に増えたなどという話は聞いた事がない。おそらく、このような事件も当時と比較して著しく減っているだろう。

にも拘らず、メディアは気狂いのように学童保護を喉から血が出るがごとく叫ぶ。

果ては生け垣のある公園は見通しが悪いから全部とっパラってしまえ云々とがなりたてる始末。

まるでベトナム戦争時に米軍が実施した「枯れ葉作戦」だな。

それで効果が上がったとは聞いていないが。というより戦後の薬害の悲惨さは語るまでもない。

得をしたのはアメリカの農薬会社だけ。きっと国から膨大な受注を受け、懐が潤った事だろう。

おそらく「鳥インフルエンザ」騒ぎだって(以下略)・・。

このような「弱者保護」をお題目としたキャンペーンは全て裏があると考えてよかろう。

過去の日記にも記したが、「女性の権利」というのは過去も現在も、そして将来も権力者の身の保全に使われる欺瞞の道具でしかない。

同じく「子供の権利」もまたその目的のために存在しているに過ぎぬ。

「女性」や「子供」を守るという口実のもとに既得権を持つ者が「見えない嘘」を利用しているだけのこと。

現実の女性や子供を守る気など毛頭ないのだ。

因に交通戦争最盛期の頃、都内各所に歩道橋が設けられた。しかし今や無用の長物と化しているそうだ。

今回もまた「子供の安全」を口実にとんでもない愚行が繰り広げられよう。

メディアも視聴者も聖人君子ではない。

「誰も責任取ろうとしないのはけしからん」と怒ったところで、結局自分も多かれ少なかれいい加減な事を誤魔化し誤魔化しやっているのだ。

当事者になったら誰もが、あの国会での参考質問人のごとく醜態を曝すのだろう。

行き着く結論は「弱肉強食」だ。

強いものが笑い、弱いものが泣く。

これが現実なのだ。

「最後の楽園」のフレーズの続き。

「恋する楽園 キスで開いた

最後の楽園 わたしの心

サカナが消えても 街が燃えても

二人はずっと愛し合える。

夢の中で」

街から森が消え、その街が燃えても、誰も責任は取らない。

そういう国なのだ。

夢の中に逃げ込む事が、我ら「弱者」にとって唯一の「最後の楽園」なのだ。


2005年11月26日

『憂国忌』

先日、25日東京九段下にある九段会館で行われた『憂国忌』という催しに参加してみた。

これは作家三島由紀夫が35年前の1970年11月25日、市ヶ谷の自衛隊施設内でクーデターを呼び掛けて自決した日に毎年行われている追悼会だ。

正直、自分は三島由紀夫のファンではない。

著書も殆ど読んでいないし思想信条に傾倒している訳でもない。

このような集いが毎年行われていることも最近まで知らなかった。

では何故赴いたのだろう?

昨今のやり場のない憤りの捌け口を求めたのかも知れぬ。

あるいは、45歳で自決した三島に自分の年齢を重ねて人生の「落とし処」を模索したかったのか。

いや、それだけが理由ではないと自問自答する。

自分の名前は父方の祖母がこの三島由紀夫に肖って命名したという。漢字は違うが確かに発音は同じだ。

命名の由来など意識すらした事がなかったのだが、実はそれを最近知る。

妙なインパクトを受け、心の隅っこに引っ掛かっていたのだ。

でなければ敢えてこのような集いに足を運ぶことはなかったかもしれない。

いずれにせよ、自己の「心の補完」を期待すべく単身で九段下へと出陣す。

午後4時半頃、会場の九段会館に到着。

『憂国忌』の開場は午後5時から。入場料2000円。参加資格は特になく、チケット購入すれば誰でも入れる。すでに15人程の参加者が当日券チケットを求めて並んでいた。

三島由紀夫程の大作家なのだから長蛇の列でも出来ているのかなと予想していたので、やや拍子抜け。

参加者は年配の男子が過半数を占めていた。しかし三島の傾倒者だろうか、若い女性もちらほら見かける。微妙にアブノーマルで異質な雰囲気の者もいる。自分もその範疇に入るのだろうか?

午後5時から入場が始まる。テラスには「憂国忌」の旗が掲げられ壇上には『楯の会』の制服を着た三島ともう1人の隊員の遺影が飾られている。そしてスピーカーからは生前、三島が愛したワグナーの「トリスタンとイゾルテ」が厳かに流されていた。いつしか場内はほぼ満員に。

午後6時より追悼会が始まった。

式の前半は、神式による法事だ。完全なる宗教儀式である。参加者は儀の度に起立して頭を垂れる。

後半は生前に撮られた三島の写真集スライド上映、そして三島研究者によるシンポジウムと続いた。

予定より40分押して、午後9時半に閉会となった。

結局、自分の期待していた「心の補完」はこの『憂国忌』で満たされる事はなかった。

魂の鼓舞もなく、憂国の憤りの捌け口にもならなかった。

自分は三島のファンでもシンパでもない。更に時代の価値観を共有するにはあまりにも生きた環境が違い過ぎる。

すなわち、場違いだったのだ。

『憂国忌』は三島を弔って追悼する場であっても、彼の檄文を実践する場ではないのだ。

無論、そんなことを最初から期待している訳ではなかった。『憂国忌』は右翼の政治集会でも、決起大会でもない。もしそんな場であったならば胡散臭いだけで近寄る気も起きなかったであろう。

だが同時に『憂国忌』はこの国の現状を憂い、魂を鼓舞する「前向きな」意欲を喚起してくれる場ではないことも事実だった。

『憂国忌』はちょっとアナクロイズムな「神式カルト」の三島ファン集会といったら失礼になるだろうか?

確かにシンポジウムでは、昨今話題になっている「皇位継承改革案」について議論が交わされ、「万世一系」を損なう案に断固反対する主旨の発言等があった。

三島と同世代と思われる大学教授がこんな事を言っていた。

「もし三島由紀夫先生が今、ご存命であったならばこの法案に反対して自決されたでありましょう」

場内に拍手が巻き起こる。

だが、自分はひどく醒めていた。

壇上に居並ぶ他の大学教授も、主催者達も概ね三島由紀夫の世代に近い。35年前、自決した三島が当時45歳だった訳だから、今存命であれば80歳である。

すでに体力、気力、精力等あらいるものが枯れてしまう年齢だ。

仮に、三島が生きていたとして尚も「憂国」の気概溢れる烈士でいられたろうか?

否。

人は歳老いれば保守的になり権力に縋り付き、感性に鋭さを失う。三島が80歳まで生きたとしたら、恐らく文壇の重鎮として胡座をかき老醜を曝していたろう。35年前の事など「若気の至り」と一蹴してさっぱり忘れ、俗世に迎合し周りから煙たがられる「嫌われ老人」と化していたかもしれぬ。

それを予感していたが故に、三島は45歳で人生を完遂させたのだ。

三島が自決した1970年は奇しくも「大阪万博」の年。

あの重厚長大で「人類の進歩と調和」を謳い上げる事の出来た超ポジティブな時代。アポロが月へ行き、若者は街でデモを繰り返し、米ソ冷戦で核ミサイルが対峙していた時代。何もかもが熱く沸騰していたのだ。

そんな時代に自ら芸術家としての「完成儀式」実践とも語られる自決を敢行した三島は、やはりあの時代を頂点と悟り「現世」に見切りをつけたのだ。

結局、自分はこの『憂国忌』に大阪万博当時の夢を重ね、その挙げ句に愛知万博と同じ落胆を味わったのだ。

シンポジウムの最中、三島の小説を翻訳したという白人の教授が流暢な日本語でこんな事を呟いた。

「もう9時過ぎてるんですからそろそろお開きにしましょう」

延々と三島に関して「机上の空論」を説く老人教授の話に退屈していた時だったから、実に上手いタイミング。

『憂国忌』で最も的を得た発言の一つである。

そうだ。もはや老いたる者達に「45歳当時の三島」を語る資格はないのだろう。

三島の気概は別のカタチにメタモルフォーゼして、新たな今を生きる「憂国の烈士」たる45歳絶望独身男性達に受け継がれるべきだ。

彼等にこそ三島が抱いた「憂国」を実践する資格がある。

そのための『憂国忌』でなければ意味がないのだ。

そんな憶いを胸に、九段会館を後にする。

帰りの電車の中で聞いていたラジオからニュースが流れる。

日本国家の誇りとして讃えられるべき科学軍事技術の結晶である小惑星探査機『はやぶさ』プロジェクトの成功よりも、欠陥マンションや幼児殺害等というスキャンダラスな痴話が優先されるという、愚かにして救いがたいニュースの順列。

いまさらそれに嘆いても始まらぬ。

全ては遅すぎたのだ。

この憂国の事態に憤怒し、三島の檄文を実践する「憂国烈士」は、もはやこの國にいない。

45歳を過ぎても生き恥を曝すしかないのだ。


2005年11月20日

日溜まり。

気が付くと冬の陽射しになっていた。

近年、夏と冬の境の曖昧さが増大して感覚が追い付かなくなった。

ついこの前まで暑さを凌いでいたのに、今は暖を取っているのには吃驚だ。

陽射しもいつしか低い位置から照るようになり、影が長く伸びる。

先日、散歩していると、野良猫が日溜まりでひなたぼっこしていた。

お腹を撫でると気持ち良さそうに目を細める。

人にしろ動物にしろ、撫でるという行為は愛情交換であると共に、安らぎの共有でもある。

撫でる対象、撫でられる対象があるというのは幸いな事なのであろう。

突然、撫でていた猫がピヨーンと飛び起きて行ってしまった。猫は気紛れなので同じところに留まることをしない。

撫でられて気持ちがよかった事よりも、好奇心が優先したのだろう。

しっぽを振り振り遠ざかる猫を見送ってとぼとぼ歩き出す。

短い時間だったけれど、撫でる感覚を与えてくれた猫に感謝しよう。

取りあえず、早いところ冬物のセーターとか出さねばならぬ。

マフラーの季節がきた。


2005年11月17日

『COMBAT!』

1960年代に放映されていたテレビドラマ『COMBAT!』。

最近、NHKBSが初期の何話かを紹介しているのに気が付く。

子供の頃、再放送を含め随分と観たものだ。全部で150話近くあったのだな。

当時、ミリタリー物の映画やドラマは、テレビで頻繁に放映されていて、その中でも『COMBAT!』は最も印象に残る作品だった。同世代の子供達は、皆このドラマに影響されて馬鹿みたいに「戦争ごっこ」に興じていた。当時はエアガンのようなリアルな玩具はなく、精々銀玉鉄砲。それを持って庭を駆け回りサンダース軍曹気取りになっていたものだ。

ここ姑くは『COMBAT!』を観る機会がなかったが、久しぶりに接すると、あのモノクロームのドットアニメーションから始まるオープニングが猛烈に新鮮に感じる。

懐かしいのではなく、新鮮なのだ。

ストーリーも人間ドラマが重厚で、近年のアメリカ映画のように「アメリカ=正義」の単調さはない。40年前の作品のほうが「知的」である事に改めて吃驚する。

そしてモノクロームの彫の深い映像は、今では絶対撮る事は出来ないだろう。

あの時代の一瞬一瞬のフイルムの重みは、CGでいくら1960年代を描いたとしても再現不可能である。

『COMBAT!』はあの時代の空気を運んでくる。1960年代のテレビは「男のロマン」がメジャーな地位を締めていたのだ。

あれから40年。

少し前まで『COMBAT!』は、記憶の果てに消え去るべき古きドラマのはずだった。ところが最近、むしろ当時の作品が尚も輝きを失わず、むしろ再び輝きを増して感じられるようになったのは自分だけだろうか?

つまり、近年『COMBAT!』のような作品を上書きしてしまうような「名作」がまったく出現せず、結果的に過去の作品が皮肉にも新作を凌ぐ地位に返り咲いてしまったのだ。

近年のテレビドラマは「女男均衡」「フェミニズム」思想漬けされた作品ばかり。

現「思想統制下」で戦争ドラマが新たに作られる可能性は100%ない。海外で制作されたとしてもこの日本でゴールデンタイムに放映される事は絶対にあり得ない(因に『COMBAT!』本放送はウイークデーの午後8時からの放映だったと記憶している)。

今や、その時間帯は全て「韓流ドラマ」のごとき「使用済み生理用品」の匂いが漂う女子トイレの汚物入れ状態。

そこに「男のロマン」など一瞬たりとも描かれることはない。

そんな情況では、1960年代ドラマが新鮮に思えてくるのは、むしろ自然なのかもしれぬ。単に自分が歳を重ねたという理由だけではあるまい。

白黒テレビにしがみついて、深夜『COMBAT!』の再放送をコタツの中で観ていた中学生時代。

テレビからロマンを享受出来た最後の時代だったのかも。

今、「コンバット」で検索すると、ヒットするのはこのドラマではなくてゴキブリ殺虫剤である。

情けない時代だ。


2005年11月15日

清子内親王妃殿下御成婚。

天皇家の長女清子妃の婚礼シーンがテレビで流れていた。

披露宴も質素で、神々しさの欠片も無く、一昔前の山の手のありふれた結婚披露宴という感じ。皇室関係の婚礼の場とはとても思えぬ。

率直に、二人にとってこれは「幸せな結婚」なのだろうか?

花婿は40歳、花嫁は30代後半。

もはや初々しさの片鱗も無く、中年期を迎えようとしているこの男女に「花嫁、花婿」の名は似つかわしくない。

むしろ「父兄代表」といったほうがよい。婚礼の場の「主人公」であるはずなのに、この地味さは何なのだろう。あまりにも地味過ぎて気の毒にすら思える。

この二人は結婚によって得られるよりも、失う方が多かろう。

多分、清子妃も内心、こう思っておられるだろう。

「なんで結婚して、平民になんなきゃいけないの?」

一方、花婿の男性も思う事だろう。

「ときめきがない。これから共同生活する人が『やんごとなき地位』にいた方だ。息が詰まる」

これは、結婚ではなく、ただの同居受付事務に過ぎぬ。

そう、結婚というものは、二十代前半までに契りを結ぶモノなのだ。

心身共にお互いを結び付ける力、それは「若さ」だ。

結婚において「若さ」は絶対条件である。特に女性においては必須条件だ。

若さこそ未来を切り開く無限の力を持っている。子供を設けるにしても若い程条件は有利だ。

30代、40代の結婚は地味で醜い。生物として、生殖期間として旬を過ぎた者同志が結び合っても、残された未来は僅かなのだ。子息を作るチャンスも少なく、たとえ設けられたとしてもその子供は高齢の親の下、育っていかねばならぬ。

だから今回のような、高齢者同志の結婚は見ていて痛々しい。

気の毒である。

無論、これは皇室という特権的階級が絡んでいる婚礼であるので一般人の常識観念とは異なろう。

とはいっても、初々しさのない婚礼は誰も歓迎しないだろう。

もっと早くに結婚すべきだったのだ。でなければ一生しないほうがまだマシかもしれぬ。

今、この国には結婚しない30代以上の未婚女性が溢れている。

独身男性の方は、もはや人間扱いすらされていないので結婚はおろか死んだ方がマシと考えているが、独身女性の方は30を過ぎても「人間らしい幸せ」を得たいと考えているので始末が悪い。

結婚もせずに単身で社会的地位だけを追い求めた挙げ句、気が付いた時には老いが迫っている女性が「人間らしい幸せ」なんて得られる訳が無い。

ただ醜いだけだ。

そんな女性は、諸星大二郎の漫画『暗黒神話』に出てくる「餓鬼」と同じ。

ただの化物である。

いずれこの国は、結婚出来ないゴミのような独身絶望男性と、「餓鬼」という化物に堕ちた高齢独身女性が徘徊する「見せ物小屋」のようなおぞましい場と化そう。

老いは絶望だ。老いは醜い。

その絶望と醜悪を認識出来ない30代以上の独身女性は、一種の「病」である。

「病」を背負ったまま、高齢期を迎えた時に、彼女達の悲劇が始まる。

「人間らしい幸せ」なんてそこには微塵も無い。ただの「社会のお荷物」として捨てられる運命だけだ。

それを自覚していないところに、彼女達の罪がある。

男は、すでにそれを覚悟している分、まだ幸いなのだ。

この日の東京は、薄ら寒くてどんよりとした天気。まるでお二人の重々しい未来を暗示しているかのよう。

幸せな門出とは程遠い灰色の婚礼であった。


2005年11月10日

ニート、引き蘢り担当大臣。

自民党新人若手議員の1人が、ニート、ひきこもりを集めて何やら相談役を買って出たというニュースが流れた。

安楽死の方法でも教えてあげるのかと思ったがどうやら違うようだ。

例によって可も不可もない、毒にも薬にもならない事を語ってお茶を濁したのだろう。

この議員の経歴はよく知らないが、少なくともニート、ひきこもりと称される者達の心情をよく理解出来る立場にいるとは到底思えぬ。

売名行為のパフォーマンス以外の何か?

相談役というならば、千葉の方で警官を刺した「瓦投げ男」のほうがよっぽど適役だ。

彼の心の叫びを聞けば、多少なりとも今の自分の生活を変えたいと思うかも知れぬ。

ニート、引き蘢りは社会、歴史の必然だ。

彼等が「非社会的」というならば、1960年代に街頭でデモ行進し、火炎瓶を投げ、大学をロックアウトし授業を放棄した当時の「若者」はどうなのだ?

彼等だって、学生本来の学業を放棄し、社会を騒乱に陥れた「非社会的」存在として糾弾されなければならない。

そんなデモやってた連中も大半は「マトモな人間」として社会の中心にいる。

ニート、引き蘢りも然りである。

彼等はこの理不尽な社会に「サボタージュ」という抵抗を示しているに過ぎない。

使い捨ての仕事を押し付けられて、誰が率先して就くか?

既得権を獲た者の奴隷として屈服したい奴が何処にいる?

この若手自民党議員はその既得権の甘い汁を吸わんとする「ニート、引き蘢りの敵」の最たる者だ。

そんな人間に、ニート云々語る事自体、笑止千万である。

どこぞの「チルドレン」と称するならば、いっそ碇シンジのコスプレでもして秋葉原のメイド喫茶にでも彼等を接待せよ。

接待受けるばかりが議員じゃないのだ。


2005年11月9日

貧者の楽園。

先日、ラジオを聴いていたらネットを話題にしたトークの中でDJがこんな事を言っていた。

「ネットは全てを並列な薄っぺらいモノにしてしまう。ネットは貧者の楽園だ」

貧者の楽園、インターネット。

インターネットはいつしか存在して当然の「コミュニケーション・ツール」となった。

力無き者でも、ネットにアクセス出来れば全世界にメッセージを放つ事が可能だ。

自らの存在を謳い上げる道具としては最強である。

と同時にネガティブなメッセージも、同じくらい容易にネットの海に流れ出す。

結局はそれが相殺され、残るのは「無」である。

貧者はこの連鎖から逃れる事は出来ない。

それ故に、ネットは貧者の楽園なのである。

見方を変えれば元々、力あるもの、権力者にとって、ネットは自らの既得権益を守れるありがたいシステムでもある。

ネット上にある不利益な情報で損害を被るのは、常に貧者だけだ。未だかつて強者がこのシステムによって倒れた事はないし、今後ともあり得ない。

もし、ネットに強者を倒す力があったとすれば、明日にでもネットはアクセス不能になろう。

ネットが巨大な通信会社の存在あってこそ成り立っている事は、誰もが先刻承知の筈。

貧者がいつ何時でもネット接続可能なのは、その巨大なる存在が造り上げた「釈迦の手」の上で踊らされているからに他ならない。

貧者が貧者を潰し合い、食い合うシステムだからこそ、権力者はネット上のあらいる情報を看過する。

ブログも掲示板もすべて、そのシステムの一部に過ぎない。

貧者の楽園、インターネット。

貧者が真の力を獲たいのならば、ネットを捨て、リアル世界で足元を固めよ。

賢明なる者はネットに近づかないのだ。

目の前のケーキに手を出すな。


2005年11月8日

「恐怖」と「不安」

夜半、天頂近くに火星が煌々と輝く。

ゆらゆらと揺らめくのは、上空に寒気が流入し始めた証だ。

10月30日、2年2ヶ月ぶりに最接近した火星。前回の「世紀の大接近」程ではないが、澄んだ秋空に高く輝く火星は、前回とはまた趣が違う。

ここ半月程、バイオリズムが低下ぎみなのは火星接近のせいだろうか?

思い込みもあるのだろうが、火星が接近すると何やら心にザワつく事が多い。

因に、火星を回る二つの衛星の名は「恐怖」と「不安」である。

恐ろしい。


2005年11月6日

コミティア74来場感謝。

スッキリしない天候の中、東京ビッグサイトで開かれたコミティア74の我がスペースにお越し頂き、この場を借りて感謝申し上げる。

単行本発刊直後とあって、本持参の読者の方も多く訪れて下さった。中には自費出版本を全部買って下さる方もいて感謝の極み。

当日の新刊は単行本発刊記念恒例『影男4コマ集』第3弾コピー本。用意した分はほぼ完売。

年末の冬コミに向けて、誠意執筆を誓う。

さて当日、ビッグサイトは、なにやらジャニーズ系のアイドル握手会があったらしい。

自分の世代ではジャニーズといわれても「ダークダックス」、「フォーリーブス」、「ずうとるび」位しか頭に浮かばない。なにやら「V9」とかいうグループの握手会だとか。

「V9」といえば川上監督率いる読売ジャイアンツだから、柴田、黒江、末次、森、堀内とかが来ていたのだろうか?

たぶん違うと思うが。

それはさておき、この握手会目当ての恐ろしい婦女子の群れがビッグサイトの至る所に蠢いていた。ちょうど秋葉系男子の群れと対極にある「生き物」。

このような群れはひどく排他的で、その近くに寄るだけでも身体から拒絶反応が起きる。

若い女性の集団は恐怖以外の何ものでもない。

これまで散々酷い目にあわされてきたので身体が縮み上がる気分。このような婦女子集団から発せられる空気には「鳥インフルエンザ」よりも忌むべき毒素が含まれている。

そんな「毒素」がビッグサイトいっぱいに溢れていたので、息を止めるように全速力で「国際展示場駅」へと向った。

しかしそこのホームも婦女子集団で一杯。

意味不明の会話が漏れ聞こえる。どうやら彼女達は「V9」の誰かと結婚出来るらしい。

「食べちゃいたい」とかいう言葉もあったので食人の計画さえ謀っているようだ。

恐怖でガクガクブルブルしながらりんかい線で逃げるように帰る。

恐ろしい体験だった。


2005年11月3日

入間航空祭

毎年恒例、文化の日に開かれる航空自衛隊入間基地祭に今年も赴く。

あいにく雲が広がってコンディションはよくない。そんな中、観客席の最前列ギリギリの所に陣取る。

殺伐とした輩や家族連れが、かたや脚立、かたやシートを広げ所狭しと犇めく。

本当は脚立もシートも持ち込み禁止なのだが、いかにも日本的ファジー感覚で許されてしまうところがミソ。

最前列で陣取っていたヲタク風グループの所に、3〜4歳くらいの女の子が割り込む。

ヲタク風グループはそんな女の子の振る舞いを見て「親の顔が見てみたいよ!もう!」と怒り始めた。

まあそういう君達も最前列で突っ立って見物しているのだから、マナーという点ではどっちもどっち。

こういう時はしゃがみながら「さあ、お兄ちゃん達と一緒に見よう」位の余裕が欲しいが、どちらも「子供同志」みたいなもので場所の取り合いになってしまうのだから辛い。

でも、かく言う自分も、似たようなポジションで陣取っていた訳だから、人の事は余り言えぬ。

滑走路脇は確かにベストポジションなのだが、殺気立った輩が集まる地点でもあるので落ち着けない。

のんびり後方で、ぼうっとしていた方が楽しめる。

ブルーインパルスの曲芸飛行も空全体が雲に覆われてしまい、スモークを轢く航跡が映えないのは残念だった。

昨年は大空に大きく描かれたハートも今年はぼやけてしまい、何だか寂しい。

各機帰投後、出店で売っていたチョコバナナクリームクレープを食って帰る。


2005年10月27日

「神」降臨。

日本シリーズはロッテが4連勝で31年ぶりに栄冠を勝ち取ったようだ。

久しぶりにテレビの中継を観ていたのだが、このチームにはリーグプレイオフ戦あたりから「神」が降りていたように思えた。

野球、スポーツに限らず、勝負事、仕事等含めて「勝者」には常に「見えざる手」が働くもの。

今回のロッテは、太平洋戦争序盤の旧日本帝国海軍破竹の勝利と似ている。

周到に準備され、実戦経験を積み、修羅場(プレイオフ)を勝ち抜いて「勝ち癖」を身につけたチームが、今回のロッテだった。

こんなチームに「神」が降臨すれば、何をやっても上手くいく。

一方で、リーグ優勝から2週間も経ち、実戦経験も疎くなって待たされた阪神。

そんな情況で闘っては、最初から勝負は見えていた。戦意、士気からして雲泥の差があり過ぎた。

ロッテに8連続打席ヒットを放った選手がいた。これもまた「神」降臨である。

人生、時として吃驚する程上手くいく瞬間が稀にある。たまに自分でも驚く程、上手く絵が描ける時がある。普段は何時間かけても煮詰まるだけだったのに、ある瞬間、ぽっと何か閃くと突然、堰を切ったように驚く程よい絵が魔法のように描けるのだ。

つまり人間は、自らの実力と才能を修練させ集中させると、あるタイミングでそれが臨界に達し、自分でも吃驚する程の成果が上がる瞬間が稀に出現するのだ。

それが「神」降臨である。

そういった「神」降臨の瞬間を檜舞台で得られるかどうかで、その人の人生が決定する。

各界の栄冠を勝ち取った者はすべてその瞬間を人生の決定的な場面で獲たのだ。

今回のロッテ選手も、これが日本シリーズではなく、オープン戦であったとしたら何ら人生のステージアップに関与しなかったであろう。

だがこういった「神」降臨の瞬間は、歳と共に少なくなり持続性も短くなってゆく。

才能が華開き、栄光を手にする確率は若い人ほど高いのはこういった理由だろう。

如何に若い時に「神」降臨の瞬間を迎えるべく、日々自らを鍛えるかで人生が決まる。

何もしない人間に「神」は降りてこないのだ。


2005年10月24日

あびゅうきょ最新刊『絶望期の終り』発売。

お陰様で新刊『絶望期の終り』正式発売日を迎える事が出来た。

発刊にあたり、購入して頂いた読者、及びお世話になったすべての方に御礼申し上げる。

ただ、今回は既刊二作に比べ、印刷が期待通りの出来ではなくクオリティー度はやや低い仕上がり。

ラインにシャープさがなく、細かい描画線が太ってしまい全体的に濃くてベタッとした画調になってしまった。

既刊二作の印刷が大変よい仕上がりだったので、とても残念である。

これまで商業単行本は今回のを含め、自分が納得のいく印刷に仕上がったのは全6著書のうち2著書しかない。

いかに自分の絵が漫画という媒体の印刷に向いていないか、つくづく思い知らされる。微妙なさじ加減で完成度が左右されてしまう細かな絵を描き続けている限り、逃れる事の出来ない宿命だ。

もっとも、読者からすれば印刷の仕上がりは描いた本人程、気にならないかもしれない。人によっては「こちらの印刷の方がよい」と思う方もいるはずだ。

評価は読者各々に委ねるべき事かもしれない。

いずれにせよ、本文印刷以外の面に関しては大凡満足している。誤植も殆どなく、表紙カバー絵印刷も満足のいく出来。

是非、購入して一読して頂きたい。また、感想などありましたらe-mailにて頂けると有り難い。

宜しくお願いします。


2005年10月23日

プロ野球日本シリーズ「ロッテ対阪神戦」。

このところ久しく観戦していなかったプロ野球が面白い。

パ・リーグのプレーオフ辺りから興味が湧く情況になってきた。まあ元々パ・リーグはテレビ放映に恵まれずに地元のファンだけが楽しむだけだったのだが、実際コンテンツとしては悪くないはずだ。

巨人戦一辺倒で硬直した球界やテレビ局が、その面白さに着目しなかっただけかもしれない。

昔、千葉ロッテマリーンズは東京オリオンズという名称だった。小学生の頃、「東京」という名に親近感を持ち、応援していた時期があった。セ・リーグはジャイアンツ、パ・リーグはオリオンズだったのだ。

当時はノウニン監督(漢字が解らない)以下、アルトマン、ロペス、有藤等がメイン選手だった記憶がある。

『アストロ球団』でもお馴染みだ。

そんなロッテが31年ぶりに日本シリーズに出ているという事も観戦理由だろうか。

野球は選手個人が個別に競うスポーツではない。

野球はチームプレーだ。選手1人1人が所属チームの一員となり勝利に向って闘う。

これが本来の野球の姿であり、それが観客の熱狂を誘うのだ。

昨今のフリーエージェント制という野球本来の興味を著しく削ぐシステムが横行した結果、日本のプロ野球は瀕死の情況に陥ったかに見える。

実際最近はプロ野球中継(実質巨人戦中継)に全く興味が失せていた。

一方で大リーグ情報や中継は、「日本人選手の活躍」だけに焦点が合わされ、本来のプロ野球にあるべきチームの勝敗は「蚊屋の外」。

もはや野球ではない。これじゃゴルフやマラソンと同じだ。

大リーグと日本のプロ野球は「似て異なるもの」。

日本人選手がニューヨークやシアトルの球団に所属したとしても、その球団を応援する気になんてなれない。

野球もサッカーも地元を代表するから熱く応援出来るのであって、縁も所縁もない土地のチームに思い入れなど土台無理な話。一部のマニアだけではプロスポーツとして成立しないのだ。

千葉ロッテマリーンズの応援を観ていると、あるべき日本プロ野球の姿が垣間見れる。

少なくとも大リーグ中継よりロッテ戦のほうが断然面白い。


2005年10月22日

『地獄少女』

先日の土曜日、何となくテレビのチャンネルをザッピングしていたら奇妙なアニメに遭遇した。

ストレート過ぎるタイトルが美味しい。

「地獄通信」というサイトに恨みを晴らしたいと書込みすると叶えてくれるというお話。例えてみれば『魔太郎がくる!』少女版みたいなものか?

主人公の少女はこう呟く。

「人を呪わば穴二つ。相手を地獄に送る代わりにあなたの魂も死後、地獄に行く事になるわ。それでもいいの?」

そして決め文句は、こうだ。

「いっぺん、死んでみる?」

これまたストレート。

気が付くと最後まで観ていた。

最近、この手のアニメは全国ネットの地上波テレビでは放映されない。自分が観たのも東京MXテレビだ。自主規制に抵触するのかは知らぬが、こういう作品がNHK総合日曜19時半から放映されると楽しいのだが。オリジナル版のどぎつい『魔太郎がくる!』がアニメ化されたら面白いだろうなあと考えていたので『地獄少女』は期待大。絵も綺麗だ。

さて、まあ偶然に垣間見たアニメなのだからそのままスルーしてもよい話題だったのだが、実は視聴中奇妙な事があった。

藁人形に結ばれた赤いヒモを解くと恨みを晴らす事が出来るというシーンで、今まさにそのヒモを解こうとする瞬間、突然テレビの脇に置かれた電話が鳴ったのだ・・・。

普段めったにかかってこない電話が何故このシーンで!?

あまりのグッドタイミングだったので、その電話は取りませんでしたとさ。

恐ろしい。


2005年10月21日

パチンコ『未来少年コナン』

最近、知ったのだが、あの宮崎アニメの金字塔『未来少年コナン』が、なんとパチンコ台になってしまうとか。

昨今、人気アニメをパチンコ台に採用するのが流行しているらしいが、ここまで来ると狂気の沙汰だ。

『未来少年コナン』は監督の宮崎駿氏自身に版権がないので、過去にも散々辱めを受けてきた。

テレビ放映直後にも、ぶつ切りの映画版が製作されたが、宮崎氏はある雑誌(某愛蔵本)に公然と「3日でお蔵入りになればよい」と言い放っていた。

その後も『未来少年コナン』は宮崎氏の意に反するように続編等が製作されたようだが、大して話題になることもなくオリジナル作品を汚すだけ汚して消えていった。まるでファンからの顰蹙を買うためだけに作られたようなもの。

日本アニメーションという会社はこの作品の資産価値がまったく解っていないと思う。

唯一の方策は、この『未来少年コナン』の全ての版権をスタジオジブリに無償譲渡すること。それが、生みの親である宮崎氏、及びこの作品のファンに対する最大の誠意であろう。

にも拘らず、またもやこの会社は情けない愚行を繰り返す。

この名作を賭博遊戯台企業に売り渡して、日銭を稼ごうとしているのは許しがたい犯罪行為に等しい。

ラナが陵辱される画面で玉がじゃらじゃら出てくる様を想像すると反吐が出る。

賭博に対する感覚がマヒして、このような「名作」すらその素材にされる日本に救いはない。

まあ2008年に超磁力兵器によって日本も海底に沈む訳だから、あと3年の我慢だ。

おじいもこう叫んでいるだろう。

「その考えが世界を滅ぼしたんじゃ!」


2005年10月16日

『新世紀エヴァンゲリオン』10周年

ふと、気が付くと『新世紀エヴァンゲリオン』がテレビ東京で初放映されてから、この10月でちょうど10周年だ。

当時、自分は自費出版活動と同人誌イベント、そして近くの某出版社で開催されていた『クロッキーワークショップ』に参加するなど妙に積極的に動き始めた頃だった。大学卒業後、15年近くずっと籠って漫画原稿だけ描いていた日々から大きく変動する節目だったといえようか。

そんな時に、この『新世紀エヴァンゲリオン』と出会う。

当時は特段、一生懸命アニメを観ていた訳でもなく、年齢的にテレビアニメから激しく影響を受ける情況にもなかったはず。

では何故に、このアニメにはまったか。

結局それも自費出版活動等、新たな人との交流が始まるタイミングと絶妙にシンクロしたからだろう。当時は「オウム真理教」事件で新旧理念の軋轢が露骨に現われた時代。20〜40代の人々が宗教や生命倫理に敏感に反応しやすかったことも影響したのかもしれぬ。

いずれにせよ、この『新世紀エヴァンゲリオン』が世代間の共通の話題となり、奇妙な同族意識が生まれた。

『エヴァ』を語れば初めて会う者でもすぐに「同志」だ。

特に庵野秀明世代はその渦の中心にいた。

そんな庵野世代と同じ自分が『新世紀エヴァンゲリオン』レボリューションと無縁でいられる訳がなかった。

あれは「テレビアニメ」という枠では到底納める事の出来ない歴史的事件だったのだ。

あれから10年。

この作品自体は尚もメディアミックスされ、生き残ってはいる。

しかしそれは、あの当時とは違い、激しく人々を引き付けた「理念の象徴」としてではなく、ありふれた娯楽、遊具のひとつとして存在しているに過ぎない。

だから当時わくわくした、あの独特な組み文字が街中で視野に入ったとしても、それがパチンコ屋の前だったりして虚しさが募る。

単なる賭博遊具に堕ちた『エヴァ』。

それが2005年の現実だとは嘆かわしい。

先日、『R25』という無料配布雑誌に庵野秀明氏のインタビュー記事が載っていた。

その中で、庵野氏はこう語る。

「人の仕事の旬は35〜40歳に訪れる」

庵野氏が『エヴァ』を手掛けたのも35歳の時であった。そして今は「滑空」の時であると。

この辺りが庵野世代の厳しい現実を象徴している気がする。

本来なら35歳でブレイクしたならば、その後次々と話題作、ヒット作、問題作を世に送り出し、時代の寵児として映像メディア界を席巻してもおかしくない。それだけの器を持ったクリエーターが45歳という油の乗った時期に「滑空」とは哀しい。

この辺りが宮崎駿世代と好対照なのだ。時代を突き動かす才能を持っていながら、その才能を活かすチャンスも舞台も資金も、庵野世代には与えられないのだ。

これは今の若い世代が、マトモな仕事に就けないのと同じ理由であろう。

その荒んだ時代の象徴が、あのパチンコ屋の前に貼られた『エヴァ』ポスターなのだ。

せっかくの「戦力」が有効に行使されることなく、朽ちていく。

いつの時代にも、悪い兵隊というものはいない。悪いのは将軍であり、指導者なのだ。

それはさておき、自分の35歳前後の事を考えてみる。

人として仕事の旬がそこに存在するならば、自分は何をやっていたのだろうか。

たしかその頃は『モーニング』というメジャーな雑誌で思うような作品が描けず、試行錯誤して澱んでいた時期だった気がする。

むしろ30代前半の『風の中央鉄道』や『ジェットストリームミッション』を描いていた頃の方がエネルギッシュだった。自分の中では勝負賭けていた意識があったし。

その反動だろうか、35歳前後は沈滞ぎみでかなりの迷いがあった。自費出版という選択肢もそれが理由だったと思う。ある意味、再出発を模索していたのだ。

旬の時に再出発とは何ともダメダメである。

その後は『エヴァ』によって自分の創作活動は大きく変革していった。よい意味でも悪い意味でも。

そして10年。

あの『エヴァ』ムーブメントの中で出会った仲間や同志、そしてあの頃のエネルギーは少しづつ潮が退くように時の彼方へと消えつつある。

これから自分は、何を描くべきなのだろう?

『エヴァ』的なモノから離れて新たな分野を開拓すべきか?

実際、まったく別ジャンルの原稿依頼は結構来ていたりする。しかし、今の自分の力量を考えるとそのジャンルにエネルギーを注ぐべきか非常に迷うのだ。超遅筆が創作の選択肢を限り無く狭める。

もっと早く描けて割切った仕事が出来れば何も迷う事などないのだが。

『新世紀エヴァンゲリオン』の出会いから10年。

再び逡巡の時期が来たのかもしれない。


2005年10月13日

火星と「終着駅」。

久しぶりに晴天になった関東地方。

半月が南中する深夜。ふと天頂を見上げると、煌々と赤き火星が輝いている。

前回の大接近から、2年2ヶ月。再び地球に接近した火星。

だが、秋空に登るこの赤い星の事を知る者は限り無く少ない。

これ以上堕ちようもない程愚劣に塗れたメディアが放つ腐臭によって、人々は天空に思いを巡らすことすらしなくなった。

中国の2度めの有人宇宙飛行よりも、サラ金CMの合間に流れる胡散臭い相場師の戯れ言が優先される「この時代」とはいったい何なのだ?

最近、電車に乗っていると「終点」とか「終着駅」とか「最終」という文字やアナウンスに敏感に反応するようになった。

そう、自分のような人間にとって最も大きな関心事は、如何にこの忌々しい「糞世界」が綺麗さっぱり終ってくれるかのみである。

なぜ、自分達の住む国にはプライドの欠片すらないのか。

なぜ、人間のクズばかりが大きく扱われるのか?

なぜ我々は、ニート、引き蘢り、犯罪者予備軍と抑圧され続けられるのか?

この屈辱と憤怒に満ちた「糞世界日本」に未来など必要ない。

頭の弱そうなミニスカートの女子高生が、きょうも高飛車な態度で公共の場を闊歩する。こんなのが誰にも糾弾されずに「この世の春」を謳歌出来る世界など尋常ではない。

これは間違った世界であり、存在してはいけないのだ。

さっさと何処かの国の核ミサイルで焼き尽されればよいのである。

煌々と照る火星は「戦争の神」の象徴だ。

だが、戦争すらも出来ないこの哀れな国に、火星は似合わない。

精々、汲取り便所の裸電球がよいところ。

その裸電球に照らされた、和式便所にしゃがむ惨めな様が今の日本人だ。中国人から嘲笑され、アメリカ人には飽きられ、それでも半分パンツをずりおろしながら、ぼっとん便所しがみつく。

この2年2ヶ月の間、いったい自分は、この日本は何をしてきたのだ?

エネルギーのベクトルは限り無くマイナスの方向に振れ、あらゆるものが、冷却、縮小、減衰に向っている。

だから全ての分野において、未来の事象が過去の事象を上回る事はない。

今日より昨日、昨日より一昨日のほうが輝いている。

10年経てばこの今の「糞世界」すら「まだマシだった時代」となるであろう。

かつて人々は火星に立てると信じていた。

少なくとも21世紀初頭には何とかなると。そしてそのプロジェクトには日本も大いに関っているだろうとね。

ところがそんな未来はやってこなかった。

仮に今後、人類が火星に立つことがあったとしても、日本人にその栄光は輝かない。

中国、アメリカ、ロシア、ユーロ人が火星で固い握手を交わす頃、日本人はマンションの廃虚の狭間で借金塗れになってパチンコ台にへばりついて、糞でもたれているのだろう。

きっとそんな時代にも、火星は煌々と地平から登ってくる。

栄光を勝ち取った国々の民は、その赤き星を自らのプライドと重ね合わせ、感動を持って見上げる事だろう。

しかし、日本人にはその資格はない。

資格どころか、自分達の頭上に火星が輝いている事すら気付かないだろう。

哀れの極みである。

電車の車内表示板に「終点」の電光文字が流れる。

さっきまでパンツの見えそうな女子高生がメールを打っていた座席に人影はない。

終点に着いたその電車は、無人のまま永遠に停車だ。

この国も「終点」が近い。


2005年10月8日

10/24発売予定の単行本『絶望期の終り』予告編ページをアップ。

単行本準備作業終了。後はベストな本に仕上がるのを祈るのみ。

今年もまた、キンモクセイの花の香り漂う季節となった。

このシーズンになると秋雨前線が出来て梅雨時よりもやっかいな長雨になる時がある。

そういえば今年は10月10日が暦通りに祭日として休みになっている。最近は忌々しい『ハッピーマンデー』制度のせいで「体育の日」の晴天率が一挙に落ちたとか?

歴史的な記念日や暦を「経済効果」なる欺瞞で改ざんする感覚が今だ理解に苦しむが、昨今の国会議員の顔ぶれをみていると、これからはもっと酷いことになろう事が容易に予想出来る。

そのうち「女男均衡の日」とか「主夫の日」とかが制定されるんじゃないか?

但し仕事や学業を休めるのは女性のみだが。


2005年10月3日

『キャッチボール屋』

以前、この日記で映画のエキストラに出た事を記したが、その作品が来る第18回東京国際映画祭(10/22〜10/30)の「日本映画・ある視点」部門にて上映される事になった。

題名は『キャッチボール屋』

監督/大崎 章

キャスト/大森南朋、寺島進、松重豊、キタキマユ、庵野秀明

音楽/sakerock

先日、その試写会を観たが、独特な渋さが醸し出た良作に仕上がっていた。

幸い(?)にもエキストラ出演の部分はカットされずに残っており、数十秒間だけだが映画初出演となった。

モブシーンではなく、単独で背景に佇んでいるので観ればすぐ解る。上映日時、場所は映画祭のサイト『キャッチボール屋』に案内されている。

興味ある人は第18回東京国際映画祭へ。


2005年10月2日

3分120円。

先日、遠隔地にいる人に連絡するため、家にある電々公社の一般加入電話から、先方が持っていた携帯に電話した。

てっきり、3分10円と思っていたので安心していたらとんでもなかった。

なんと、3分120円も掛かったのである!驚愕の料金だ。

自分は殆ど電話をしない。

そもそも電話で人と話すのは大の苦手であるので必要最小限の事務的連絡以外使わない。よって電話料金そのものに関心がない。

だから今でも一律3分10円と思っていたのだ。

ところがこの件もあって、電々公社の料金表を見てみたら訳が解らない。

なんだこれは?

電車の時刻表か!

会社、プラン、機種別に無数に料金が違う。こんなシステムになっているなんて思いも寄らなかったのだ。

何より吃驚したのは携帯電話会社が複数あること。

てっきり、au云々は全て電々公社のブランド名かと思っていた。

電話会社別に料金も違い、携帯電話も別の会社にものにかけるとこれも料金が変わってくる。で、いろいろプランがあって、云々・・。とにかくこんなめんどくさい料金システムなど考えたくもない。

たかが電話である。

一律3分10円のどこが悪いのだ?

一般加入電話から携帯に電話することがこんなに金が掛かるとは夢にも思わず、まるで振り込み詐欺に合った気分。

そう!これは電話会社による組織的詐欺以外の何ものでもない!

久しぶりに頭に来た出来事だった。

電話会社など電々公社ひとつでよい。再統一して一律3分10円にしろ。

まったく忌々しい。


2005年10月1日

著作物とは何ぞや?

外を散歩していたら、小さな子供が何やら流行歌らしき唄をハミングしていた。

「マイヤヒ〜」

よく解らないが、最近、某ネット掲示板を賑わしている「ネコキャラクタ」云々の歌であろう。

そのキャラクターが朝日新聞に載っていた。

一見しただけでは、それが某掲示板のアスキーアートと酷似しているとは感じなかったが、たぶん色々と経緯が絡んで揉めているのだろう。

最近、著作権に関するニュースが多い。

著作権保護期間延長やパソコンソフトの著作権を廻る裁判等。

著作権保護期間延長などは一見、クリエーターにとってよい話に思えるが、実はそうでもない。

そもそも、オリジナルとはなにか?

この日記でも、度々話題にするが、純粋なオリジナルなど存在しない。

ほぼ、全ての創作物は既存の著作物の再構成から成り立っていると言っても過言ではなかろう。

一説によると、人が感動出来るストーリーのパターンは数十種類位しかないらしい。

仮に、その数十種類のパターンを誰かが「著作物」として主張したらどうなるだろう?

何かの創作物が作られる度に、そのパターンの著作権を得ている者にお伺いを立て、ロイヤリティ−を支払わねばならなくなる。

その作品には必ずそのパターンの権利を持った者の丸Cマークが表れる。パソコンCMの最後に必ず流される半導体メーカーのジングルみたいに。

極端な話、パソコンディスプレイ上の1ドットすら、誰かの「著作物」として言い張る者が現れるかもしれない。それが認められれば、すべてのCG、その他デジタルソフトは、1ドットごとに使用料を払わねばならなくなる。

そうなったら、もう「著作物」と言われるもの全て、ほんの一握りの権利者の独占物に成り果ててしまうだろう。

著作権利の極端な濫用は、創作の世界を不毛にする。

特に昨今のネット社会では、情報のタイムラグが極端に狭まって特定の著作物が固有の形を維持する事が困難になってきた。元になった著作物の情報が容易に広まり、その情報過多が独創性を否定してしまう。

某掲示板のアスキーアートに似たと言われるネコグッズも、それがネット上になかったり、ネットが普及していない時代であったら、誰も騒がず「オリジナル商品」として流通していただろう。

だからこれからは「画期的な独創作」と称されるモノは決して生まれない。

「伝説」として語られる数々の著作物も然り。

少し前、NHK大河ドラマの一シーンが著名な映画監督の作品に酷似していると騒がれたニュースを聞いた事がある。しかし、その著名監督だって、もしかすると既存の無名映画に影響されてそのシーンを撮ったのかもしれない。

当時は、既存著作物保護よりも怒濤のように新しく生まれる著作物を優先した時代。

いちいち過去の著作物を気にする暇はなかったのだ。

だが今はその逆。

有象無象の情報は新たな創造を虚無するための武器としてネット中を駆け巡る。

某ネット掲示板はその典型であろう。あらいる著作物を、その匿名の情報によって破壊、解体していく「場」としては、人類史上最強だ。

「神話」を否定し「無」を拡散する精神の更地として。

そのような「場」に生まれたアスキーアートを皮肉にも「固有の著作物」として権利保護を主張している光景は、ある意味、なんとも滑稽だ。

もっともこの某巨大掲示板は、キメラ生物のように特定の意志を持たない細胞の集合体みたいなものであるから「権利を主張」という表現は間違っているのかもしれない。

穿った見方をすれば、これはもしかすると最初からシナリオのある「茶番劇」かもしれぬ。こういったことが騒ぎになれば知名度が上がり、お互いの利益に合致する。

『電車男』もそういった「掲示板発」のブームだった。

このキャラクターグッズ化も「著作権」騒動に見せ掛けた一種の商品戦略かもしれない。

考えてみれば、この騒動で誰も損はしていないのだ(と思うが)。

いずれにせよ、これからのクリエーターは自らの著作物が「ネットの海」の中で、これまで以上に翻弄される覚悟をしなければならないだろう。

ネットの利便性と共に、弊害もまた気になってきた昨今である。


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