2005年4月・5月・6月
2005年6月23日
プレッシャー。
処理すべき仕事と残された時間のギャップが大き過ぎて苦しむ。
計画を遂行するにはいずれかを後回しにしなければならない。今年前半、気を緩めすぎたツケが回ってきた。
この一週間、日記の更新も出来ず。
ひと休みして駄文を記す。
・
『電車男』
これも最近、流行っている。
某巨大掲示板が源泉ということらしい。だがそちらの方は疎いので、つい最近まで『電車男』がどんな内容なのか知らなかった。
某巨大掲示板のネガティブなイメージが先行するので、どうしても暗い内容を連想してしまう。
サイコホラーなのかと思っていたら全然違うようだ。むしろ正反対の爽やか純情恋愛物語だとか?
映画とかの粗筋を読んでみたのだが、荒唐無稽なストーリーで、いっそディズニー映画で作ればよいのではないかと思ったくらい。
結局、女性客目当てに作ってあるから観賞したいという意欲以前に拒絶反応が出てしまう。
電車男のような人物がノーマルな美人に好かれるということ自体、100%あり得ないことなので、まずこの時点でNG。ダメな人間は徹底的にダメを描くべきであり1ナノグラムの希望もあってはならないのだ。
欺瞞と偽善のごった煮のような映画に関心は向かない。
そんなお金と暇があったら『ヒトラー最後の12日間』の方を観に行く。
さて、そこでもし自分が『電車男』の映画を作れるとしたらこんなシナリオにしたい。
電車の中で酔っ払いに絡まれている女性を助けようとする電車男君。ところが感謝されるどころか女性から罵詈雑言を浴びせかけられる。
「きゃー。何?この腐った肉の塊は!
お前のような男は女性に近づく権利なんてないの!存在しているだけで犯罪者!さっさと埼京線に飛び込んで自殺して!このキモオタ!」
そして彼女は一瞥して女性専用車両に行ってしまう。
それでも電車男はその女性に自分を認めてもらうべく、某掲示板で助言を仰ぐ。
そして結論が出た。
電車男がその女性と結ばれるには、彼女が逃げ込んだ女性専用車両もろとも自爆して魂を一体化させるしかないと。
決行当日、掲示板からの情報で仕入れた爆弾を身体に巻いた電車男は、彼女の乗った女性専用列車に突入。
愛の告白をすると同時に自爆。100人近くの女性乗客と共に散華する。
なんとも感動的ではないか。実に男らしい結末。男の中の男だ。ラストの大爆発シーンは必見。CGなして実際の車両を爆破するのだ。
このようなストーリーならば、ちょっと映画館に足を運んでもよいかな?
2005年6月22日
『アイ アム ア ファザー』
ラジオから浜田省吾の新曲が流れてきた。なにやら親父をテーマにした曲だ。
歌詞はこんな感じ。
「・・俯いてる暇はない。前向いて進むのみ。
家の光はダイヤモンド。
アイ アム ア ファザー
命懸けで家族守る。
今日一日無事に過ごせて良かった・・
テレビでは連日危険な事件
俺は家族を守り抜く」
云々。
聞き流しただけなので正確な詩かどうかは解らない。
でも思うに昭和50年頃まで30〜40代男性の9割方は「アイアム ア ファザー」であった訳で、なにも改まってこのような歌を聴くまでもなかったろう。
ところが、今や同年代の9割方の男性にとってこの歌詞は「お伽話」の世界。
家庭を持ち、一生懸命働き、家路から見える我が家の灯りが唯一の安らぎなんて生活している30〜40代男性はもはや一部の特権階級のみ。
働く場所も意欲も目的も守るべき家族も喪失し、漂うだけの日々。
これが平均的絶望独身男性の生活だ。
浜田省吾は特権的階級にいるからこのような歌を自然と作れるのだろうが、惨めな生活に甘んじている男性からすれば「痛すぎる」歌詞。
そこで絶望独身男性のための歌を作ってみた。
題して『アイ アム ア ニート』
・
「きょうも起きたらお昼だよ。
子供の頃からテレビにタモリ。でも最近はNHKのほうがいいや。バニラムードで自家発電。
今日はいったい何曜日?13日間外出してない。風呂にも入らず身体が痒い。
アイ アム ア ニート
40過ぎてもニートっていうのかな?
教えて政府の偉い人。
仕事やる気なし。資格も免許も友達もなし。ついでに恋人40年なし。就職結婚夢の中。
親はあと何年生きるかな?親の命日。俺の命日。
アイ アム ア ニート
テレビじゃ毎日、男を責める。殺人、窃盗、痴漢に自殺。生きてく気力も失せていく。
女ばかりがいい思い。韓流ドラマがうざったい。
アイ アム ア ニート
近所の餓鬼が俺を笑う。まるで生きる屍だとさ。死んでも何にも残らない。
気がつきゃテレビで『おいしんぼ』。
これ観てコンビニ弁当だ。こうして一日過ぎていく。
アイ アム ア ニート。訳して『うんこ製造機』。
辛くて涙も出やしない」
(作詞/あびゅうきょ 無断転写禁)
如何であろうか?どちらかというと浜田省吾にはこっちの歌を唄ってほしいのだが。
ニートに応援歌を。
2005年6月15日
冷凍食品。
しとしとと雨がつづく。
すべき事がたくさんあるのにカタツムリのごとく進まない。
そろそろ秋に予定されている新刊コミックスの準備も始ねなければいけないし、その前に今やっている原稿やら、別ペンネームの仕事やら、夏コミ原稿やら・・。そう言えば、原画展企画もどうにかせねば。こちらの方は今だ白紙状態。
そろそろオーバーブースターを起動しないと今年が終わってしまう。
・
それはさておき、スーパーでたまに冷凍食品4割り引きというのをやっているのでまとめ買い。
最近の冷凍食品はおいしい。
自分が子供の頃は、冷凍食品の種類も少なく不味かった。海老フライなどコロモばかりで酷いもの。考えてみれば当時は家庭に冷凍庫など珍しかったのだ。
それに比べれば正に隔世の感。なんでもある。
先日は冷凍食品のチキンライスを久しぶりに試した。フライパンで炒めてタバスコをたっぷりかけて喰う。
なかなかいける。どんどん味が進化している。
辛いのが好きなので何にでもタバスコをかけてしまう。最近は柚子コショウもよい。
冷凍食品をもっと開拓するか。
2005年6月14日
お昼のバンド。
NHK総合お昼の番組で『バニラムード』という4人組の女性バンドが出ている。なにやら音大学生のユニットらしい。カメラ目線で軽快に楽器を操るその姿は才色兼備を得た「人生の勝利者」としての自信と喜びに満ちている。
その一方で、その『バニラムード』と日替わりで出演している男性バンドは辛い。
どうしても華やかな『バニラムード』と比べられてしまい見劣りは免れない。テレビとは残酷なものだ。
彼等は心の中で叫ぶ。
「ちくしょう。俺達は『バニラムード』の代役じゃないんだ。辛い。辛いよう」
そんな「声なき声」が聴こえてきて、むしろ『バニラムード』より好感が持てる。このまったりとした劣等感が嬉しい。
まあ実際はそんなことこれっぽっちも思ってはいないのだろうが、自分の妄想世界では彼等は『バニラムード』の下僕なのだ。
それにしても『バニラムード』はこの世の春を謳歌しているなあ。
いずれは高名な資産家かスポーツマンと結婚し、玉の輿を獲得するであろう。
彼女等にとって、このテレビ出演は単なる「花嫁修行」に過ぎないのだ。
そう言えば、NHKBSで放映されている終戦60年特集だったか、込み合った列車に優先的に乗り込める者達の情況を、ある作家が印象的に語った言葉を思い出した。
「この世に生まれてくるなら女か、あるいは刀(権力)を持った男のどちらかに限る」
男性バンド頑張れ。
辛くともこれでいいのだ。
2005年6月10日
梅雨入り。
関東地方が梅雨入りした。じめじめといかにも梅雨らしい雨が降る。気がつけばアジサイが至る所で咲いている。
例年のごとく窓にはヤモリが這い出してきた。今年は数が多い。去年の猛暑でたくさん虫が発生し食料も十分だったため子孫も多く残せたのだろうか?
ヤモリは「守宮」とも書く。古くから家の守神のような存在だからいっぱい這い出してくると安心する。
遅れ気味の商業原稿やら夏コミ原稿をとにかく片付けねば。
2005年6月7日
敗残兵と虜囚。
最近、訳あって吉村昭の小説を読んでいる。
氏の作品の多くには太平洋戦争末期の無惨な日本将兵、国民の姿が描かれている。
決定的な負け戦の中、名もない戦場で無駄に屍を曝す哀れな人間達。敗残兵として虜囚の辱めを受け、惨めに生きる人間達。
無駄死、犬死の山。累々たる屍の山に更に屍を重ねる愚行の連続が心地よい。
手や首が吹っ飛んでバラバラの死体、腐乱して蛆が集った死体。
そんな魂を失った肉塊がこれでもかこれでもかと出てくる。
そしてその死は完全に無意味な死なのだ。
そしてその死が「当たり前」となると、人間の感覚はマヒして、そんな死体をみても何とも思わなくなるのは興味深い。
まだ大戦後間もない頃に書かれている作品が多く、「生き証人」たる生存帰還兵からの徹底した取材がベースにあって殆どがノンフィクションとして読む事が出来る。
これらの作品群を読んでいると、ふと自分達も似たような境遇にいるのではないかという錯覚に捕われる。
爆弾も銃弾も飛んでこず、魚雷や機雷に怯える心配もない。飢餓や渇きに悩まされることもない。
しかし、無駄死、犬死の予感は常に付きまとう。
そう、「ニート」、「引き蘢り」、「フリーター」、「パラサイトシングル」、「負け犬」等現代の非生産的若年層を翻訳すれば、当時の「虜囚」「敗残兵」と同じなのだ。
人生という戦いの場を失い、武器を喪失し、ただ生き恥だけを曝す毎日は1945年当時の日本と同じ。
いや、まだその頃の方が「生きる意欲」「未来への希望」は満ちていたかもしれない。終戦直後には「ベビーブーム」があったのだからね。
今現在は、それすらない。
結婚する意欲を失い、子を設ける事もしない現代の若者はすでに生き物としての最低条件を喪失している。
繁殖を放棄した生物に未来はない。
それを当たり前な事として考えるようになった「ニート」「負け犬」は、吉村昭の小説に描かれる無惨な死体を見ても何とも思わなくなった感覚マヒの敗残兵と同じだ。
希望も未来もない情況で、行くべき場を喪失した若者は当て所ない戦場を潰走する「パラサイトシングル」と化し、激しい砲火の中でただひたすら壕に「引き蘢る」だけ。そして敵に捕らえられた者は虜囚として日々「単純作業員(フリーター)」として使い捨てられる。
まさに総崩れした敗残兵の群れだ。
やがて彼等は累々たる腐乱した自らの死体を廃虚に曝す事になろう。
何も残さず、何の役にも立たない死。
その死が直前に迫っている。
そろそろ気がついた方がよい。
2005年6月5日
人類の偉業続報。
火星探査車『オポチュニティー』が撮った火星から見た地球。
黄昏の空に青く一筋の光が。
この光の中に我々の全てが存在している。
我思う故に我あり。
『オポチュニティー』のカメラはある意味「神の視点」でもある。
ところで『オポチュニティー』はここ一ヶ月、深い砂丘にはまり込んで身動きが取れなくなっていた。
その脱出の様子が動画で記録されている。まさに冒険実況中継だ。
一方もう一台の火星探査車『スピリット』は火星の砂漠上で起こる竜巻きを記録していた。
これもロマンだね。
無寄港世界一周を目指していたヨットマンの堀江氏もゴール間近。
人類の英知と冒険の偉業に拍手を送ろう。
ガードレールに挟まった事故車の鉄板ごときに狂奔する暇があったら、この偉業の方に時間を割け。
馬鹿メディア。
2005年6月4日
日時の感覚。
最近、日時の感覚がますますマヒしてきた。
1週間は7日であるが、それがすべて一日にしか感じられぬ。例えば金曜日が終わったと思って間もなくすると金曜日の朝になっている。一日に7回寝起きしている感覚だろうか?
かつて古代人は寝ている時と起きている時の差がなかったという。
時の感覚というのは、その時代によって相対的に変化する。
秒を争うような時代もあれば、1年が一日のごとく流れる時代もある。
そろそろ今の日時を刻む基準が時代に合わなくなってきたのかも。
これまでの3日分をまとめて1日に数え直せばよい。3回お日さまが登ってやっと1日だ。
これでいいのだ。
夢はいつしか人を喰う。
2005年6月3日
薬局に寄る。
最近、歯を磨くと歯茎から出血する。歯磨き粉やブラシ、口内洗浄剤等を色々と試す。
従来使っているシャンプーもマッチしていないようなので新しい製品を物色。
これまでは取りあえずリーズナブルな物ばかり使っていたが多少は気を使う必要がありそうだ。
ところで薬局のお客は9割方若い女性。自分のような男性は殆ど見かけぬ。
あまり長時間店内にいるのは気が引けるためゆっくり商品選びが出来ぬ。
男が薬局にいるのは特殊な事例なのだろう。
2005年6月2日
『ほうき星』
ラジオを聞いていると『ほうき星』という曲が流れていた。
新人の女性ポップス歌手が作った曲らしいのだが、歌詞を聞いていると何かヘンなことに気がつく。
これは「ほうき星」じゃなくて「流れ星」だよなあ。
この違いが、最近の若い人は解らないのだろう。理科という教科が小中学校から原則として無くなってしまい、天文現象の基本的な知識が身につかなくなっているのだと思う。
自分達の小学校低学年の頃は、理科の宿題として月の満ち欠けとか遅くまで観測させられたものだ。そのお陰で自然と天文現象とかに興味が沸いてきた。
妙に自然科学の観察だけは率先してやるようになった。当時の観測日記やスケッチが残っているが、吃驚する程克明に記録している。
もし今、「ゆとり教育」とかいう制度の下で学校に通っていたら、このような天文観測の授業もないだろうから、登校拒否児になっていたかもしれない。
・
相変わらず、巷では、少子化のことが騒がれている。
晩婚、晩産化はどんどん進み、30歳を超えて出産する女性の方が過半数を超えるようになったとか。
もうどんな手を尽しても少子化の歯止めはかからないだろう。
何もかもが失われつつある。
後は壊滅的戦争か大地震がやってきて終焉が訪れるのをただ待つのみ。
いずれ、ほうき星と流れ星の差なんてどうでもよくなるのだ。
江戸時代の生活水準に戻ったら誰も空を見上げて歌など唄うまい。
2005年5月29日
Z旗。
戦艦三笠が保存されている三笠公園で週末にかけてまだイベントがあるというので早速赴いてみる。
JR品川駅から京浜急行で1時間弱。横須賀中央駅から徒歩で15分程の場所。
戦艦三笠は吃水下を埋め立ててあるので、実質船舶としての価値は失っているが、それでも艦上の構造物等、当時の雰囲気をよく再現している。
イベント『いきいき横須賀日本海海戦100周年』自体はこじんまりした町内会のお祭りという感じで拍子抜けだったが、このイベント期間中は入場無料ということで艦内は家族連れで賑わっていた。
艦橋の最上デッキに登り、かつて100年前、東郷平八郎が日本海海戦時に指揮をとったという場所に立ってみる。
思ったより狭いデッキから見える風景は、無味乾燥な公園とその周辺に林立するマンション。
それは魂を失った抜け殻の戦艦に抱く空虚感と似ている。
60年前、敗戦によってこの記念艦三笠も荒廃し、一時はスクラップ寸前だったそうな。
ここまで復興されたとはいえ、寂しい限り。
思えば小中学校時代、「反戦平和教育」を徹底的に受けていた頃はこのような「戦争記念物」は忌むべきモノと教え込まれ、その存在すら知らされる事はなかった。
アナクロイズムの遺産として排除の対象だったのだ。
もしあのような敗戦がなく、GHQによる去勢政策がなかったならば、日本海海戦100周年は壮大な祭典になっていたであろう。
東京湾には日本海軍の超スーパーキャリア原子力空母『アカギ』『カガ』『ソウリュウ』『ヒリュウ』を始めとする平成連合艦隊300隻が集合し、お台場沖を遊弋。満艦飾の艦隊はまるで海に浮かぶ銀河のごとく輝く。
新聞、テレビは全ての紙面、時間を使って終日この偉大なる祝典を全世界に向けて報道するだろう。
お台場には数百万の群集が詰め掛け「バンザイ」「バンザイ」の嵐。
そして旗艦である原子力戦艦『ニューヤマト』には、海軍服に身を包んだ皇太子殿下が御臨席し、群集の歓喜に応える。
嗚呼、なんと感動的な光景であろうか!
その祝典に妻子連れて参加した私はこう囁く。
「ごらん!僕らは偉大な國、誇りある大日本帝国に生まれたんだ。素晴らしき未来が約束されているんだよ。」
そして妻子共々、この幸福に目を輝かせるのだ。
これが正しき2005年、日本海海戦100周年式典なのだ。
しかし現実は、いかにも寂しい。
マスコミは殆どこの歴史的偉業を伝えず、相変わらずどうでもよい戯れ言に終始する。
かつて、帝国の存亡を賭けて闘った偉大な史実は、若い婦女子の破廉恥極まる夏服の淫猥によって汚される。
100年前、戦艦三笠に掲げられたZ旗。
「皇国の興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」
もはや、この意味を知る日本人は殆どいない。
横須賀からの帰り、電車の中で破廉恥な服装で幅を利かす婦女子から見隠れする下着からはこんな信号が発せられている。
「皇国ノ滅亡コノ破廉恥ニアリ。各員一層堕落セヨ」
もうこの国も終りである。
2005年5月28日
退屈な若手芸人。
最近、たまにテレビで観る若手芸人出演番組。
味のないガムを噛むのごとく辛い。
当たり障りのないネタばかりで、やたらテンションが高いだけ。テレビの「健全な基準」に媚び「テレビ局の使い捨て玩具」に甘んじている。
もっとも、今の地上波テレビに出演するには、そんな「小心者」しか登場が許されない訳で致し方ない部分もあろうが、あまりの陳腐さに気の毒ですらある。
どうせ「使い捨て」なのだから、この一瞬に芸人魂を爆発させ玉砕したら如何だろう?
収録番組ではカットされるから生番組が勝負だ。
事前に当たり障りのない「芝居」をして本番で実力を発揮するのだ。
たとえばこうだ。
いきなり、身体に巻いたダイナマイトに火を付け自爆。
本人を含めスタッフ、芸人共々吹っ飛ぶが、歴史に名を刻める。イラクでは毎日同世代の若者が実践しているのだから大丈夫。
あるいは、日本刀を振り回し、ばったばったとスタッフやコメンテーターを斬り倒す。警察が来るまでの数十分は自分の天下だ。
ギター侍などこのパフォーマンスに比べれば子供の遊び。
更にサブマシンガンの乱射とか、幾らでも手はある。
これくらいやってこそ、真の芸人なのだ。その屍を乗り越え乗り越え、後の芸人が突撃を繰り返す。
これこそが人々を感動させ、希望を与える。
彼等玉砕自決芸人が活躍すれば「誠の健全なテレビ番組」として文部科学省から推薦されよう。
どうせ長生きしたって何も良い事はない。
だったら芸人として芸に死ぬべきだ。
身の保全ばかり考える「小心者」の若手芸人に未来はない。
2005年5月27日
戦艦三笠。
朝日新聞に戦艦三笠の話題が載っていた。
日露戦争時、日本帝国の存亡を賭けた日本海海戦。きょうはその100周年。かつては「海軍記念日」として祝日だったと記憶している。
横須賀に保存されている連合艦隊旗艦三笠でそのイベントがあったらしい。
最近、こういうイベントに参加してみたい衝動に駆られる。
偶然にも、作家吉村明が日本海海戦を描いた『海の史劇』を読んでいたところだ。
数に勝る大ロシア艦隊を完膚なきまでに殲滅した日本連合艦隊。
敵は殲滅され、味方の損害は殆どないという希有なる完璧なる勝利。勝負事というのはある時点で決定的になるもの。
勝利の女神は残酷だ。
それはさておき、最近の「靖国参拝」にしろ、何かわくわくする。
首相が参拝する時は、自分も巨大な日の丸を掲げ靖国に赴きたい。首相の主張が正しいとか、歴史観云々そんな理由ではない。そんなことはどうでもよいのだ。
とにかく、真っ当な死地がほしいだけだ。
結婚も望めず、子も残せぬ絶望の時代に生きるよりは、誇りある死地を見つけたい。
で、とりあえずそのような場所は靖国神社位しか思い当たらないと。
魂を鼓舞させ、男らしく死ねる場所。
絶望独身男性が逝くべき場は結局、半世紀以上前に殉職した「英霊」と呼ばれる彷徨いし魂と合流するしか選択肢はないのだろう。
日本海海戦時に、虜囚になることをよしとせず、自沈していったロシア海軍軍人ごとく、圧倒的敗北下にある日本絶望独身男性も潔く死を選ぶべきだ。
こんなフェミニストが支配する世界に生きて何になろう?
生まれる時代を間違えた。
2005年5月26日
アブラムシ。
最近、小さな虫がたくさん飛び交っているという。家の周りでは気がつかないが、どうやらアブラムシが大発生しているらしい。
渋谷ハチ公前でアブラムシに集られイヤイヤ振払っている女性の映像がテレビから流れていた。
なにかそのアブラムシが「いらない人間」たる独身絶望男性の群れに見えてきた。
アブラムシの大発生はその年の気候によって左右されるそうだ。ということは絶望独身男性も何らかの歴史の気紛れによって大発生したのかもしれない。
大発生したアブラムシの99%はその日の内に死に絶えて、累々たる屍を地上に曝すのだろう。だがそんな虫達の死に気を巡らす者はいない。邪魔物が去ってホッとするだけだ。
独身絶望男性もまた同じ運命だろう。
因にこの話題で嬉しそうに解説していたのは殺虫剤会社の若い女性だった。
お陰で殺虫剤の売り上げが伸びたとか。
よかったね。
2005年5月18日
山椒の実。
寒冷前線が幾度か通り過ぎて、風が強い日が続く。
先日、庭に自生している山椒から実を摘み取る。
この時期になると毎年収穫出来る木の実の一つだ。春にはフキも採れる。
まだ蚊とか発生しないシーズンなので庭に出ても虫に刺される心配は薄い。鬱蒼と茂りつつある庭の中で「農作業」は新鮮だ。ただ山椒にはトゲがあるので気を付けないと怪我をするし、毛虫もいる。山椒はアゲハチョウの幼虫の好物だ。
摘み取った山椒の実は水炊きして灰汁を抜き、出汁で煮込む。するとぴりっと辛い煮物が出来る。
酒の肴に最適なので、たまに阿佐ヶ谷某BARに差し入れする。
・
吉祥寺の「ユザワヤ」にて画材を物色。
何種類もの画用紙をひたすらチェック。これまで愛用していた紙の規格が微妙に変わってしまい、従来の感覚に近い原稿用紙を捜しているのだがなかなか見つからない。一番リーズナブルな汎用画用紙がよかったりなんかするが、微妙に厚さとか粗さが違うのだ。
原稿用紙以外にも、愛用の使い捨て筆ペンの筆の長さが僅かに短くなってしまい、思った通りのタッチが再現出来ない等、頭が痛い。
画材が増えるのは良いが、従来の画材の規格が変わるのは困る。
もっとも、あまり画材の規格に振り回されるような描き方に頼っていては、まだまだ未熟ということか?
昔は、ケント紙と付けペン、墨汁だけで描いていたのだからね。
2005年5月13日
13日の金曜日。
夕方、JR駅に来てみると、なにやら改札前で婦人警官等がビラ配りをしている。
それは「痴漢、盗撮撲滅キャンペーン」のチラシだった。
ビラ配りに留まらず、スピーカーでメッセージをがなりたてている。
ただでさえ最近、精神的に不調なのにこういうキャンペーンを所かまわず展開されると、生きる気力すら失う。
このような「運動」を推進している者達は、おそらく自分達が「正義」と信じ疑っていないのだろう。
痴漢、盗撮が犯罪であるとしても、その割り合いや確率が全利用者のどの程度か考えてみれば、このような大袈裟なキャンペーンが何の落ち度もない男性利用客に精神的ダメージを与える影響力の方が余程問題だと思わないのか?
思わないからやっているのだろうな。あるいは、そちらの方が真の目的なのかもしれぬ。
「世の中を善くしよう」という意志が純粋な程、恐ろしいものはない。
今回のキャンペーンの場合、痴漢、盗撮撲滅のためなら一般男性の最低限の尊厳すら切り捨てても構わないと。全ての男性の行動、所持品に対し制限を加えて自由を剥奪する。その一方で、女性の破廉恥極まる服装は野放し状態。
もはやこれは「精神的暴力」だ。
これが、国家レベルまでエスカレートすると、かつての中国「文化大革命」や、旧カンボジアポルポト政権下の「クメールルージュ」みたいな惨状をひき起こしてしまうのだな。
先日の日記にも記したように「女性の権利」など権力者の身の保全に使われる欺瞞の道具でしかない。
その「欺瞞の道具」で、罪のない男達が毎日傷付いている。
本当に嫌な世の中になった。
2005年5月12日
うとうとする日々。
季節外れの寒気でストーブをつける。
ふと、今は何月か解らなくなった。これから夏に向うのか、秋になるのか暫く戸惑う。
それぐらい時間の流れの感覚がぼやけている。
・
東京湾で遊弋していた鯨が定置網に引っ掛かって死んだというニュースがあった。
鯨や海豚が定置網に掛かるというのは珍しい事ではないようだが、哀れなり。
でももしかするとあの鯨は死ぬために東京湾にやってきたのかもしれない。
あの鯨にとって、ここは墓所だったのだ。
そんな事も知らずに人間達はワイワイ喜んで見物していたのである。
鯨は想う。
「次はお前達の番だ」
・
最近、珍しくCDを買う。
YUKI『長い夢』。
CMで流れていた曲だ。たまにこの人の曲を仕事中のBGMにしている。
人間の一生なんて長い夢みたいなものだ。
寝ぼけてうとうとしている間に一生が終わる。
儚きかな。
2005年5月11日
性の尊厳。
寝ても醒めても憂鬱な日々だ。
先日、あるバイキング形式のファミレスでのこと。
メニューを選んでいると、いきなり自分の前に白人男性が横入り。弾みで自分の後ろに居た若い女性の足を踏んでしまった。たいして強く踏んだ訳でもないのに、その女性は大袈裟に「イタタタ」と叫ぶ。
すべてはこちらの責任とでも言いたげそうに。
原因を作った白人の方には何にも言わない。
最近の若い女性の増長ぶりは我慢の限界を超している。
部屋に居てテレビをつければ、フェミニズム一辺倒の番組と普遍的男性を罵倒し犯罪者扱いするニュースの洪水。外へ出れば女子の破廉恥な服装と身勝手な行動。「男性お断り」の女性専門店鋪街。
果ては「女性専用車両」である。
これほど男性が差別抑圧される時代は未だかつてなかったろう。
何をしても男が悪いのだ。
その煽りで真に抑圧されるのは、経済力を持たぬニート、引き蘢り、絶望独身低所得男性だ。そんな男達はこの状況下、ますます差別弾圧の対象とされ、マトモな基本的人権すら守れない。
対照的に、破廉恥極まる肢体を公共の場で曝し捲る女性に対しては、誰も批判の声を上げぬ。
女子高生のあんなミニスカート、犯罪以外の何ものでもなかろう。娼婦ですらまだ控えめだ。
いったいどういう世界なのだ?
男性の「性の尊厳」を否定するのが民主主義か?
もう、この社会は自分のような男性がマトモに生活する場として適さなくなった。
まるでナチス政権下のユダヤ人並の扱いだ。
アパルトヘイト同様の「女性専用車両」が認められている事自体、それを証明しているではないか。
家に居ても、外出しても常に差別と弾圧の対象に曝される絶望独身男性。
・
だがおそらく、一部の社会的地位を得ている男にとっては、このような情況は痛くも痒くもなかろう。
彼等からすれば、フェミニズム一辺倒のテレビも女性優先の街も「絵空事」。
なぜならこのような情況は所詮「似非フェミニズム」に過ぎないから。
「女性の権利」というのは過去も現在も、そして将来も権力者の身の保全に使われる欺瞞の道具でしかない。
いつの時代にも優秀な遺伝子を有するほんの一握りの男達が「全人類の女性」を支配しているのだ。
その絶対的掟の下に「女性の権利」など存在しない。
・
イラクでレジスタンスの捕虜になったという元傭兵の日本人がいたが、彼の方がよほど人間として男として尊厳ある生き方をしている。
いまさら自分が安全と引き換えてまで武器の扱いとか戦闘に耐えうる強靱な精神力、体力を得る事など不可能だが、それでも彼が羨ましい。
去勢され、女性ばかりが優遇されるかつての南アフリカのような東京に居るより、銃弾飛び交う「男の戦い」の場イラクの方がよい死に方が出来そうである。
そこまで考える程、この社会は異常なのだ。
結局は「いらない人間」独身絶望男性は、やがて戦場に駆り出され、無惨な死を遂げるのだ。
そんな不要な男達に「性の尊厳」などあったものでもないか。
まったく憂鬱な毎日である。
2005年5月9日
ゴールデンウイーク終了。
曜日の巡り合わせと天候に恵まれた今年のゴールデンウイーク。
勤め人ではないにも拘らず、最近は連休とかが妙に気になる。
今年のゴールデンウイークも行楽地で楽しそうに戯れる子連れの家族を凝視するのが日課となった。
すべて自分よりも年下の父親が、ツインテールの娘と一緒にいるのを眺めながら対照的な自分の空虚感を味わうのが自虐的に快感である。
「父親」という肩書きを一生得られないであろう自分のダメさ加減と、幸せそうな親子という「人生の勝利者」との格差をしみじみと味わい、まったりとする。
そして、深くため息をつくのだ。
それだけでゴールデンウイークは終わってしまった。
こんな連休の過ごし方もあるので試してみるのも一興かも。
お金もかからないし。
2005年5月6日
コミティア来場感謝。
晴天に恵まれたゴールデンウイーク。東京ビッグサイトで行われたコミティア72に参加。
当ブースに来て頂いた参加者にこの場を借りて御礼申し上げる。
晴天の連休とあって来場者も多く、わざわざ遠方から訪れて頂いた方もいて大変恐縮。またティアスマガジン「プッシュ&レビュー」に読者の方が投稿した当サークル発行本が紹介されていたので、それを見た方もいらしたようだ。
差し入れも御茶や和菓子等感謝の極。
更に突発的に作ったコピー本も完売。充実した一日となった。
夏コミに向けて、またいろいろ企画を進行中。
今後ともあびゅうきょ自費出版活動を宜しく。
2005年4月30日
「大団円」
先日、NHK教育テレビで再々・・放映していた『未来少年コナン』の最終回を虚ろな気分で観ていた。
ラナが幽体離脱してアジサシのティキーと共にコナンを捜しに行くシーン・・。
27年前の本放送時、確かに自分はこのシーンを観ていた。
あの浮遊感覚というか、極度に精錬された穢れ無き信念というか、当時18歳の心に深く突き刺さった印象深い場面だ。
ストーリー設定では、コナンとラナは確か12歳。
計算上は27年経ったから、今年で39歳か。きっと息子や娘が当時のコナンとラナと同じ年頃になる。「のこされ大陸」では今年も麦は豊作か(そういえば、昔、漫画家のふくやまけいこが未来の「のこされ大陸」を描いた『未来中年レプカ』っていうへんな漫画があった)。
そんな妄想をしている自分は、あれから27年経っても息子や娘はいない。守るべき家庭や妻もいない。
今でも、この作品に描かれた世界はテレビ画面の遥か向こう側にあって、こちらにはやってこない。
旧世界を精算し、新たな理想郷へと希望に満ちて旅立っていったコナンとラナ。
その「世界」では更に次世代の希望が育まれているというのに、こっちの世界では今尚テレビの前に佇み、人生のロウソクが短くなるのをただ傍観しているだけの自分がいる。
27年後も同じように『未来少年コナン』100回目の再放送を虚ろな気分で観ているのだろうか?
その頃はコナンも「おじい」と呼ばれているのだろうな。
2005年4月28日
希有なる現象。
兵庫県での列車事故のニュースの中で、一つ奇妙なレポートがあった。
夕方の民放ニュースで紹介されたエピソード。それは完全に粉砕された一両目に乗っていたという女性の電話インタビューである。
彼女は飄々とその時の情況を話す。マンションに激突するまでの描写が摩訶不思議なのだ。遠心力で空中に浮遊し、周りの乗客や連れの友達が飛ばされていったのになぜか自分だけはその位置に留まり続けることが出来たと。
そして彼女は、あのぐしゃぐしゃに潰れた一両目に乗っていたのにも拘わらず、僅かなかすり傷程度で済んだらしい。事故直後に自力で脱出し、担架に乗せられる必要もなかったと。
本人も何故、自分が助かったのか不思議でならないという。
世の中には常識では考えられぬ超越的な現象が間々ある。大惨事から奇蹟的生還をする理由を物理的な法則で説明することも出来なくは無い。しかしその確率は限り無く小さい。
列車事故に遭遇し、生命の危機に瀕する確率はあらいる乗り物の中でもっとも小さい。そして尚かつ、100km/h以上の速度でコンクリートの壁にぶつかってそこから生還する確率も遥かに小さい。
しかし、現実には起きた。
考えうるにそこには、何か未知のエネルギーの存在があると推測出来ないか?
たとえば「結界」だ。
前途した女性は、無意識の内に結界を張り巡らす超能力があったのかもしれぬ。
あるいは、別の時空間からの何らかの干渉が行われた可能性もある。なぜ彼女があの惨状の中で僅かな傷だけで生還したのか?
この事故での最大の関心事だ。
生死を分ける何らかの力。禍を避ける未知の力。必ずそれは存在する。
「見えざる神の手」
神の意志の介在を知る事は、真理の探究でもある。
それにしても何故、神戸周辺でここ10年、巨大な禍が発生するのであろうか?阪神大震災にしろ、今回の列車事故にしろ一世紀に一度あるかないかのカタストロフが非常に狭い領域で連続して発生している。
おそらく、この周辺に魔界からの侵攻が起こっているのではなかろうか?天使と悪魔の決戦場が、この神戸周辺で展開されているとすれば・・。
我々の目には見えない「神々の闘い」がきっとある。
2005年4月25日
リニューアル秋葉原。
久しぶりに秋葉原に立ち寄る。
JR中央線の車窓から見る外堀の新緑が輝いている。去年と違い、初夏のような4月ではないので穏やかな快適さだ。
さて、秋葉原駅の改札を抜けると、かつて青物市場があった駅前広場には近代的なビルが林立し、以前と様相が激変していた。まともな食事処がなかった秋葉原だが、新しいビルにはオシャレな飲食店が入居していて賑わっていた。
だが、従来の立ち食い蕎麦屋と目と鼻の先にあるのであまりのギャップに目眩がする。人力車の隣にエアカーが止まっているのごとく。
とりあえず、開店したばかりのベーカリー軽食店『ヴィドフランス』という店に入ってみる。秋葉原とは対極の広々として綺麗な店内。ゆったりと座れる。
しかし、やはりそこは秋葉原。なにやら隣の席が騒がしい。
見ると二人の女性客が机の上に丸っぽいモノを置いてギャハギャハ騒いでいる。
「ガンダム」の「ハロ」だ。
時々「ハロ」に触ってなんか喋らせていた。「ハロ」の無機質な声と女性のかん高い声が店内に響く。
痛い風景だ。
いわいる「腐女子」客であろうか。外見は一般の女性と変わらないので店側も安心しているらしい。
女性は得だ。もしこれが男性の「ヲタク」だったら追い出されていたろうに。
さて、それにしても最近の秋葉原は店鋪の入れ代わりが激しくて、もはや把握出来ない。
荒んだ業種の店鋪も増殖し、かつて好奇心を沸せた「聖地」というイメージはもはやない。再開発ビルとの落差が極端で、これは日本の将来をよく暗示している。
かつて「中産階級」が嗜んだ趣味の店や家電街は滅んで、貧困層の「ドヤ街」的店鋪とハイソサエティーの情報拠点とに完全に2分されてしまった。
なんだかもうこの街には自分の居場所がない。
2005年4月22日
アクロバットパイロットの死。
昨日、お昼のニュースを観ていたら、ある空港で小型機墜落のニュースが入ってきた。
暫くして、それが高名な日本のアクロバットパイロットが操縦する機体である事が伝えられた。
自衛隊や在日米軍の航空祭でお馴染みの人だ。よくお昼休みの時間帯にアクロバット飛行を披露していた。元F15のパイロット。航空ファンで知らない人は居まい。
命懸けの「仕事」であるから、いつ何時、ああいった形で命を失ってもおかしくなかった。
自分の信じる道を極め、自分の技を信じ、それで死んだのだから男として最高の人生だったのかもしれない。
この日本では、軍や民間のアクロバット飛行に光が当てられる事は殆どない。
神業を有する天才的パイロットも、その存在すらメディアは伝えようとしない。今回の事故報道も扱いは粗雑で僅かなもの。
命懸けの技で人に勇気と感動を与え、そして散っていった尊い者の死。
しかしこの国のメディアにとっては、それはホームレスの死よりも軽い。
人間のクズが起こす戯れ言ばかりに終始するこの日本メディア。誇り高き賢者はこの国では報われないのだ。
御冥福をお祈りする。
2005年4月18日
戦争が始まる。
昨今の中国での反日デモ報道を見ていると、日本の近未来が暗澹たる闇で覆われた気分になる。
おそらく、中国と日本との戦争は不可避だろう。
遅かれ早かれ、この20年以内に戦端が開かれる。それもかなり大規模な戦争だ。双方で100万人以上の犠牲者が出ると予想出来る。歯止めが掛けられる有能な政治家は不在、反日で染まった中国指導部は、諸問題の解決をすべて日本との全面戦争に求めるであろう。
東シナ海のガス田や、海洋の権益領土を廻って血で血を洗う闘争が始まる。核兵器も使用されるかもしれない。欧米列強はこの戦争でかなりの「漁夫の利」を得られるだろうから、新日中戦争に反対する理由はない。
結局、この戦争で日本は大打撃を受けてアジアの小国か、中国の属国に成り下がるかもしれない。70年前と違い、日本には強力な軍隊は存在しないし、合衆国も本気で日本を救おうなんて考えてはいないだろう。経済的にも完全に破たんし、日本という名も残らないかもしれない。
酷い未来が待っていそうだ。
悪い事は重なるもので、日中戦争最中に東海地震等の巨大震災が発生する可能性がある。確率的に起こっても不思議はなかろう。
考えてみると、戦後この60年間、日本にとって「国難」と言うべき出来事は何一つなかった。順調な経済成長を遂げ、戦争もなく災害も僅かなもの。精々、1959年の伊勢湾台風と1994年の阪神大震災位。
だが、そんな平安が生涯を通じてまったくないなんて考えにくい。
特に昭和30年代後半〜平成元年位にかけて生まれた世代にとっては受難の晩期を迎えそう。
老年期に入っての戦争や大震災はきつい。
今、70歳より上の世代も「戦争体験世代」である。だが彼等は、心身共に柔軟性や復元力がある若年期に戦争を体験している。むしろ戦争という高揚感をその頃に得られた事は生きる意欲を増大させる。受難ではあっても抵抗力は養われた。
そして戦後は右肩上がりの経済成長下で生きる事が出来た。年金も充実だ。ある意味「幸せ」だったのだ。
一方で、昭和30年代後半〜平成元年代生まれの世代は、壮年老年期に入ってから受難の時代が来る。
この世代、生まれた時から青年期の間、日本経済は安定的に維持されていたから衣食住等何の不足もなく生活出来た。それが当たり前であり、生命の危険も飢餓も想像の世界にしかなかった。
ところが、日中戦争や東海大地震によって、日本が壊滅的打撃を受けた後の社会では、もはや日々の最低限の生活は誰も保障してくれない。特に「社会のお荷物」老齢者は真っ先に切り捨てられる。
現在のような社会福祉システムは遠に崩壊しているから、相当な高収入の老人でない限り生きて行けない。なにせ若い頃は飽食の中で生きてきた世代だから、いきなり飢餓や身の危険と対峙する社会に変貌した中で生活していくのは至難の技。それも心身共に弱った老年期にだ。
想像を絶する悲惨な末路しか想像出来ない。
大量の孤独老人は打ち捨てられ瓦礫の中を彷徨い、飢餓と病でばたばた倒れていく。若い人々は自分が生きるのに精一杯。役立たずな上に贅沢が身に付いた老人のことなど一切相手にしない。
死体は放置され、マトモに埋葬されることもなく「燃えるゴミ」の日にゴミ集積場に積み上げられよう。残された財産は、進駐した中国人か華僑に略奪されてしまい、何一つ残りはしない。無論、この世代の老人は大半が独身であろうから遺伝子すら残せない。
臨終の時に脳裏に浮かぶのは、若い頃コンビニでよく買った食玩の数々だろうか?
映画『火垂るの墓』の老人版が至るところで展開されるのだ。
悲惨な未来がやってくるのは必至。
今から、安楽死の方法でも考えておく必要があろう。
2005年4月14日
エキストラ出演。
先日、お知り合いの映画監督からエキストラ出演のお誘いがあったので参加してみる。
見聞を広げるためにもよい経験だ。
ロケの場所は府中の某公園。この日は4月にしてはとても寒くて真冬のよう。小雨もぱらつく生憎の天候。朝9時からだったが前日の仕事が押して、結局徹夜。かなりきつい。
以前Vシネマの撮影には立ち会ったことがあるが、本格的な映画撮影の現場は初体験。
スタッフ、役者さん、裏方さん、エキストラ含めて30人近いか?
映画は共同作業で大変だ。それに、ヘリや飛行機の音待ちや天候待ち等、待ちの時間が多く忍耐を要する。
それはさておき、自分の役は、「広場でスケッチする人」。
なんとなくそれらしくやってみた。
ところで、この映画にはある高名な方が役者で出演している。
自分を含めたいわいる「ヲタク」の世界では「神」みたいな人だから、後光のようなA・Tフィールドが展開されていて、最初は遠慮がちにその存在を眺めるだけであった。
現場には役者さんが出番待ちで待機するテントがあるのだが、昼過ぎたまたまその方と隣り合わせになってしまった。自分も社交的ではないから話し掛けるきっかけがない。心中ドキマキの沈黙がつづく。
暫くして監督がテントにやってきて、運良く紹介して頂く機会に恵まれる。
とりあえず、あたふたしながら自己紹介。
するとなんとその方は、当方を知っていて本まで買って頂けているとか。
正に恐縮。外交辞令でも嬉しい限り。
こちらは、この方が世に送り出した偉大な作品で大いに「お世話」になっているから、もう頭を上げられない。
出番待ちの間、アニメ界の今後や次回作の抱負など貴重なお話を承る事が出来て誠に有意義であった。
逆に「次の単行本はいつ頃出るのですか?」とまで尋ねられてしまい、こりゃ頑張らなきゃなと焦るやら嬉しいやら。
「雲の上の人」とはいえ、世代が同じなのでシンクロ率は高く、気兼ねなくお話できた。
サインまで頂いてしまい恐縮の限り。
このような貴重な機会を設けて頂いたO監督にこの場を借りて御礼申し上げる。
・
帰路、府中駅前の大國魂神社に続くケヤキ並木を通る。ケヤキの新緑が雨に濡れ、神々しい。
喫茶屋『マロコ』に寄り、店特製のブレンド紅茶をオーダーし身体を温める。
24時間以上寝ていなかったが心地よい疲労感だ。
2005年4月9日
『ほんの少しの水』
先日、ふとしたきっかけから、岡田史子の単行本『ほんの少しの水』(朝日ソノラマ版)を久しぶりに本棚から出した。
10年ぶりだろうか?
自分が漫画を描き始めた学生時代の1981年、自ら買おうと思い立った数少ない漫画本の一つ。結構深く影響された記憶がある。
改めて読んでみると、非常に新鮮でリズミカル。
暫く忘れていた感覚だった。
はたして偶然の一致か、はたまた何かの予感でもあったのだろうか、その岡田史子の訃報が土曜日の新聞に載っていた。55歳だという。
ここ20年近くは新作を発表していなかったようなので、実質的にはもう筆を折っていた人。
『COM』なんていう1960年代のアカデミックな漫画誌の代表格的漫画家だった。若き時に完全燃焼してあえてもう描く必要はなかったのであろう。
・
漫画に限らず、創作しつづけるとは何か?
生活のためか?
自分の存在を知らしめることか?
否
人生を闘う事だ。
その闘いの為に人は創作する。
『ほんの少しの水』のあとがきで岡田史子氏はこう記している。
「この本は私の青春の苦難の記念碑です」
青春の苦難が終われば、人は大人になっていく。大人になれば創作は「目的」から「手段」へと変化する。それが真っ当なクリエーターだ。
だが、ここに青春を過ぎても成就せず、いい歳して今だ創作が「目的」のままの自分がいる。
気が付くと「青春の記念碑」どころか、そろそろ自分の人生の後始末を考える必要性に迫られているのだ。
新聞の訃報覧には、愈々自分の世代にも馴染みある人々の名前が目立つようになってきた。
与えられた時間は、もう残り少ない。
にも拘らず、創作に割り当てられる日々の時間は歳と共に失われつつある。
「青春の記念碑」を建てる前に、自分の墓標が建ちそうだ。
2005年4月8日
空想力。
1月末に仕上がる予定の原稿がやっと完成。
慣れないジャンルだったため試行錯誤の連続。結構疲れた。普段とは違うエネルギーを必要としたので精神的にしんどかった。
一方であまり力まず作画出来たので、比較的に新鮮なものに仕上がった感じ。
ここ最近は、空想力よりも写実に力点を置いた作品ばかりだったから、ある意味垢抜けた気分だ。
写実を重視すると、細かな資料が必要になる。そのため入念な取材と写真撮影、いわいるロケハンをする。実際、リアリズムを追求していくとその作業が必要不可欠だ。最近の作品の8割以上はすべて自分が現地で撮影した写真、スケッチ、資料を参考にして作画していた。
だが一方で、そればかりに頼ると漫画的面白さに欠けて、なんだか平板な絵ばかり並んでしまう。
空想力を駆使してこそリズミカルでインパクトのある絵が描けるというもの。写実性の追求は絵を畏縮させてしまうのだ。
最近は、空想と写実のバランスが崩れてしまった。
資料に頼る事なく、空想力を今一度養うべき時だ。
「空想するぞ!空想するぞ!空想するぞ!」
2005年4月4日
「MONOKO」
3ヶ月位前だったろうか?所用で東京モノレール浜松町駅に立ち寄った時の事。
ふとエスカレーターの壁に奇妙なチラシが貼ってあるのに気が付いた。そこにはいかにも同人「萌え」系キャラクターが描かれている。
いわいる「ネコミミ」イラストだ。
そのチラシにはこう記されていた。
「東京モノレールキャラクター愛称募集」。
一瞬、自分はこのチラシが秋葉系の人の「悪戯」ではないかと疑ってしまった。
なぜならそれがいかにも手書きっぽくて、とても公の会社が公示しているポスターとは思えなかったからだ。
考えてみれば東京モノレール程の「公共性」の高い企業が、これ程の「萌え」キャラクターを採用するとは思えなかったし、たとえ採用するとしても広告代理店を通した「Suika」みたいなプロの描いたデザインでポスターを作ってもよさそうなものなのに。
実に摩訶不思議。
ところが最近、ある掲示板にこの件が話題になっており、更に公式ホームページを見て驚いた。
例のあの手描き風「ネコミミ萌え」キャラがちゃんと載っているではないか。名称も決定し、この子は晴れて「MONOKO」ちゃんとなった。
素晴らしい。
調べてみると、どうやらこれを描いた人は現役の東京モノレールの駅員さんらしい。チラシは数年前より出回っているらしく車内にも貼ってあるとか。
要するに駅員さんが手弁当で告知のチラシを作っていたのだ。
でも、本当にこの「MONOKO」が東京モノレールの公式(?)キャラクターとして採用され、先頭車両に描かれて走っている様を想像すると何やら凄いものがある。
ひと昔前なら妄想の領域で終わっていた「手描き風萌えキャラ」が現実の世界で通用する時代となったのだ。何事も運とタイミングである。普通に考えても、この「キャラクター」がお堅い会社のお偉いさんに気に入られるなんて絶対あり得ない。
反面、何億円もかけて広告代理店が企画するプロデザイナーが描くキャラクターより新鮮であることは確か。
この余勢を駆って、りんかい線やゆりかもめ、京浜急行なんかもチープな「ネコミミ」キャラクターを採用してほしい。
ありがちなディズニー系お子さまキャラクターはお断りだ。妄想たっぷりなネコミミ少女を電車の先頭にでっかく描くのだ。そして声優の金田朋子あたりに叫ばせたアニメ声を汽笛に採用すれば無敵であろう。
日本の未来は明るい。
「MONOKO」萌え〜。
2005年4月3日
コミックマーケット30’ファイル
3/21のコミケットスペシャルでサークル参加者に配付された「コミックマーケット30’ファイル」を読破した。
隅から隅まで読んだ訳ではないが、30年間の変貌が興味深い。
世代的には、最初から参加してもおかしくない年齢だし、事実コミケ黎明期に活動していた人達は自分の歳と殆ど変わらない。
にも拘らず、自分が参加し始めたのは、ほんの10年前。随分世代的にずれている。
たいした理由はない。単に自費出版するタイミングが1995年だったということ。もっと早くにそんな機会が訪れていれば、コミケ黎明期から参加していただろうし、むしろそのほうが自然だったかも。
実際のところ、1980年代前半には学漫のクラブ活動や、知人の手伝い、ゲスト参加した同人誌の関係で、消極的にコミケに行った事はあった。その頃は異質なモノを外から眺めるという雰囲気で、なにか近寄りがたい奇妙な集団としか思えなかった印象がある。やたら騒いでいるお客さんと高圧的なスタッフ。そんなネガティブな情況だけが記憶に残った。
自分から積極的に本を造り、個人サークルとして申し込みしなかったら、今でもコミケとは距離を置いていたかもしれない。
自分は「遅れてきたコミケ参加者」だ。
商業誌デビューより12年近く遅れて同人誌デビューし、それがたまたま『新世紀エヴァンゲリオン』ムーブメントに乗っかって、あっと言う間に同人界に射出された感じだろうか?コミケに参加する歳としては遅すぎたのかなあと思う事があるが、タイミングとしては悪くなかったのかも。
だからコミケ黎明期「同志」世代であるにも拘わらず、「遅れてきたコミケ参加者」たる自分は『エヴァ』ブームに乗った20代前後の同人年齢層の方にシンクロ率が高い。
そんな理由からか、同人イベントでの関りが深い人達は総じて自分より10〜20才若い。同世代の人達は殆ど居ない。そんな関係性が許されるのも同人イベント界の特殊性故だろうか?
今のコミケは質も参加の動機付けも規模も、創設期とはまったく変わってしまった。
間口はどんどん広がり、かつてコミケが持っていた「近寄りがたい特殊性」は薄れてきたような気がする。
名ばかりだったコミックマーケットが本当に「市場」になってしまったから、敢えて「理念」とか「動機付け」も不要になってきたのかもしれない。
でも黎明期が持っていた70年代後半〜80年代前半の漫画に対する熱い想い(当時は「マンガニューウェーブ」とか言われた。既成の商業マンガに対する新しいアカデミックな活動)が、今の活況に繋がっている事は疑いがない。
当時の「学生運動」に似た青臭いアピールなんかは、今読むと気恥ずかしいのだが、巨大イベントに成長した現コミケの基礎にはそんな「気概の化石」が埋まっている事を忘れてはならないだろう。
2005年4月2日
新年度。
気が付くと4月だ。
昨年に比べ、桜の開花が遅れ気味とか?
そういえば、ここ数年3月中旬には開花して今頃は散っている頃だ。
昨年の12月が暖かかったため、桜の冬眠が遅れ、ずれ込んでいるらしい。
つまり寝坊みたいなものか?
自分も昨年度中に仕上げる予定の仕事が未だ進行中。
寝ぼけを通り越して、本当にボケてきたのかもしれない。
春眠暁を覚えず。
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