2002年10月・11月・12月


2002年12月30日

コミックマーケット63。

年末の忙しい中、スペースまで足を運んで頂き感謝。

この場を借りて御礼申し上げます。

今回はお手伝いして頂ける方の御協力が得られたので、販売等は比較的スムーズに行なう事が出来た。

一方、新刊の方だが今回は若干、印刷が濃過ぎて不満が残った。ハーフトーンが黒く潰れ、線も太ってしまった。いつも良質の印刷で問題はなかったのだが今回はどうしたのだろう?

それはさておき、りんかい線の全線開通により、会場である東京ビッグサイトへのアクセスが格段に良くなった。新宿以西のJR中央線利用者にとって新宿、大崎での2回の乗り換え(新宿でりんかい線直通乗り入れの埼京線に乗れば1回だけ。但し、直通の本数は少なく、乗り換え時間も掛かる)だけであっという間に現地に至れるというのは嬉しい(因にりんかい線ではJR切符の乗り越し清算は窓口で手間が掛かってしまうので「Suica」を買った。これだとJR、りんかい線共通なのでフリーパス状態)。今までと比べて料金も時間も大幅節約。乗り換えのストレスもない。

従来のルートと比べれば、まるでワープ航法のよう。

新橋まで行って更に30分近く掛かる「ゆりかもめ」や、東京駅から延々と歩いて京葉線に乗り継ぎ、更に新木場でりんかい線というルートがまるで馬鹿みたいだ。

さて、往路は7時代前半にりんかい線に乗ったのだが、コミケ参加者らしき客はちらほら。予想に反して混んではいない。大崎までのJR線内でも、海外旅行に出かけると思われる客の方が目立っていた。

りんかい線大井町駅でやっとコミケ参加者がどっと乗り込んで来て、それらしい雰囲気となる。どうやら神奈川方面からの利用客が多いらしい。

さて、展示場駅で下車の後、徒歩で会場に向かう(りんかい線唯一の欠点は駅と会場が離れていて、結構歩かねばならぬこと)。

この会場に至る通路広場にはすでに数万と思われる一般参加者が整然と並び、開場を待っていた。その殆どが男子。

その姿を見て連想したのは第2次世界大戦前夜、徴兵検査を受けるために集まった血気盛んな若者の姿を記録した欧州の写真だった。整然とした人の流れとスタッフの号令のような声が、まるでこれから戦場へ向かう兵士が集う駐屯地をイメージさせた。そういえばそんな雰囲気を漂わせた漫画専門店のポスターが沢山貼ってあったな。

しかし、冗談抜きに妙な一体感と高揚感があったのは確か。この催しに限らず、同じ志を持った者が集う場には不思議な力の場が発生する。それが数十万単位になると尋常ではない。いつの時代にも人はそういう場を求める生き物なのだ。

会場は相変わらず凄い人。

一時期よりも減ったという声もあるが、それほど実感はない。人気ジャンルが3日間に分散され、スタッフも一般参加者も会場に慣れてスムーズに移動出来るようになったことが一因ではないか。強いて言えば人のピークが若干午後にずれ込んで来たかなと。

余談

無料配布のペーパーが早々になくなってしまったので会場内のコンビニでコピーをとることに。

この状況下、果たしてそんなこと可能なのかと半信半疑で店に入ってみたらコピーしていたのはたったの1人。一枚20円と倍かかるという理由に加え、時間が14時近くだったということもあるのだろうか?

一方で会場内の銀行ディスペンサーには長蛇の列・・。この時間帯は作り手ではなく買い手の時間なのだろう。

今回は珍しく、本を一冊買った。

普段は自分のスペースにいるだけで精一杯なのだが、今回は少しだけ動く事が出来たのでちょっと遠出してみた。

で、買ったのは「あすなひろし」作品選集。

亡くなったあすなひろし氏が曾て「週刊少年チャンピオン」に連載していた作品を再録した本だ。

コミックスとは違いB5サイズで大きく印刷されているので、ペンの質感とかが直に感じられて興味深い。

しかしコミケの場にて買った唯一の本が過去の商業誌再録本であるのは若干問題があるかもと自戒の念。

閉会後、りんかい線展示場駅に至るエスカレーターの下で小さな集会が出来ているのをみつける。

なにやら漫画規制に反対するグループのオフ会のようだ。

端を通り過ぎただけでよく解らないが、自分達が今置かれている立場を認識して、それに対して行動しようとする動きがあることは悪い事ではなかろう。

そんなこんなで、今回のコミケも無事終了した。


2002年12月27日

 単行本情報。

幻冬舎サイト、及び漫画専門店の来年2月売りリストにも発表されているようなので、正式告知します。

幻冬舎コミックスより来年2月、あびゅうきょの久しぶりの商業単行本が発刊予定です。

タイトルは『晴れた日に絶望が見える』

「アワーズライト」に不定期連載されていた「影男シリーズ」をメインに、「ガロ」「コンバットコミック」等に掲載された作品を収録予定。

同時に幻冬舎コミックス月刊「コミック・バーズ」3月号(2/12発売)に読み切り作品が掲載される予定です。

これに関しては12/30、コミケ会場「あびゅうきょ」スペース(東3ホール"コ"50a)にてペーパーを配布しますので関心のある方は御寄り下さい。

宜しくお願いします。


2002年12月25日

『だめんず・うおーかー』

TV朝日、朝の情報番組にチャンネルを合わせると、ある漫画家がコメンテーター役で出演していることに気が付いた。

『だめんず・うおーかー』なる漫画を、某週刊誌に連載している倉田真由美という人。

前々から、この『だめんず・うおーかー』に関しては神経に触る存在だった。

この漫画家が定義するところによると「だめんず」とは、「最低の男」を意味するそうで、そういった男ばかり好きになって渡り歩く女性のことを「だめんず・うおーかー」と呼称するらしい。

で、その「最低の男」とは、すぐに暴力を振るったり、嘘ばかり付いたり、仕事しなかったり、金使いが荒かったり、ギャンブルに溺れているような男を指すらしい。

だが、どう考えてもこれがどうして「最低の男」なのか理解に苦しむ。

男として最低であれば、そもそも女性との接点などあるはずもない。女性から見て魅力のない男こそ「最低の男」であるはずなのに、なぜかこの漫画家が語る「最低の男」は「もてる」のだ。

男にとって女性から好意を寄せられ、身を預けられるということは、男として必須の条件。それを有すれば性格、人格、素行などたいした問題ではない。女性を獲得する能力こそが、男の価値を決定付ける。それを持ち得ない男はただのゴミだ。つまりそんな「女性に相手にされない男」こそが「最低の男」=「だめんず」ではないのか?

ところがこの漫画家は、上記の普遍的原則を無視して、もてる男を恰も「最低な男」に置き換え、そんな男に翻弄される女性を「可哀想だ」と説いているらしい。

聞くところによると彼女自身も、そんな「最低の男」に翻弄され続けた経験を持つという。

本気で主張しているとしたら病気だよ。

もし「もてる」男が「最低」だとしたら、そうではない男とはどういう存在なのだ?

要するにこれは「不幸ごっこ」なのだ。

結局、彼女が言いたいのは自分達が魅力ある男性と数多くの接点を作れる「選ばれし女性」である事を自慢したいが、それを露骨に言うと嫌われるので『だめんず・うおーかー』なる造語で誤魔化そうという意図があるのだろう。

もし彼女の容姿が、ナンシー関のようであったのなら、まだ説得力はあろう。ところが彼女は容姿端麗である。美人なのだ。美人が男性関係で不憫な思いをするなどと説いて誰が納得しようか。

太ってもいない女性が痩せたいと主張する感覚と同じ。

この『だめんず・うおーかー』には、本当に不幸で絶望的な「もてない」障害者たる男女は存在しない。

彼女にとってそんなモノは最初から人間扱いする対象ではないらしい。虫ケラ以下なのだろう。

もし、彼女がそれに気が付かずに『だめんず・うおーかー』を描いているとすれば、おそらく彼女は人の痛み、本当の絶望を理解出来ない気の毒な女性なのだ。

ぶくぶくに太った身体、醜い器量、不潔な着衣、コミュニケーション能力なし、無職、嘘は付けず、借金も出来ず、暴力も振るえず、自己主張も出来ない引きこもり、彼女いない30年、30才超えても童貞・・。そんな男を一度でも対象にしたことがあるか?そんな男と付き合った事あるのか?

本当の絶望的ダメ男を描かずして何が「だめんず」だ。

無論、彼女自身が本音の部分で何を主張したいのかは知らない。おそらく、そんなことは直接会って話を聞かない限り永遠に解らないだろうし、そんな機会は一生訪れる事もあるまい。単にメディアに乗せられて、調子のよい事を、さも事実のように描かされているのかもしれぬ。

だが、たとえそうだとしても彼女の説く『だめんず・うおーかー』は戯れ言以外の何物でもない。

単なる洒落なのだ。

公の放送の場で公のニュースに対して「真面目に」コメントさせられている彼女の姿を見て、気の毒だと思ったのは自分だけだろうか?


2002年12月24日

クリスマス・イブ

夜遅く、阿佐ヶ谷某BARに寄る。

例の謎のバイオリニストと常連男性客が数人。そして看板猫一匹(この猫は最近猫雑誌に大きく紹介されていた)。「お約束」ではあったがクリスマスケーキにロウソクの灯火で店内を飾る。

店内の照明を落すと、ロウソクのほの明るい灯火がよい雰囲気だ。不思議にロウソクの灯は心を落ち着かせる。このことに気が付くきっかけを与えてくれるだけでもクリスマスの価値はあろう。

別にクリスチャンであろうがなかろうが関係ないのだ。

因に最近は大切な人と一緒に過ごす日みたいになってしまったが、日本には古来から暗闇祭のような逢い引きが目的のイベントが年中行事としてあった訳で、その伝統が単にクリスマス・イブに受け継がれているだけと考えれば別段不自然ではなかろう。

府中の大國魂神社にはかつてそんな祀りがあったと聞く。

結局、日本人の風習は古来からあまり変わっていないのだ。


2002年12月23日

クリスティン・クルック

お昼前、NHK総合テレビで妙な海外ドラマを放映していたのでぼうっと観る。

タイトルはグリム童話『白雪姫』。

CGを駆使した構成でなかなか出来がよかった。だがこのドラマで一番気になったのは、白雪姫役の女優。

端麗な顔立、ストレートのロングへヤーと吸い込まれるような瞳に引き締まった唇。最近このようなタイプの少女は珍しい。サイトで調べてみるとその女優の名はクリスティーン・クリック。

チャイニーズと白人のハーフだそうだ。

この女優を見て思い出したのは、デビューしたばかりの頃のアグネス・チャン。

ちょうど自分が中学一年生の頃だったか、何処からともなく流れてきたアグネス・チャンの歌声が、恰も天使の囁きに感じられたのを憶えている。生まれて初めて(そして最後の)夢中になったアイドルがアグネス・チャンであった。

ストレートな黒髪のロングへヤーを靡かせてギターを弾きながら唄うその姿に思春期に入ったばかりの自分は打ちのめされてしまったのだ。あれから30年。時々テレビで観るアグネス・チャンの端麗さは今尚変わっていない。本当に当時の初々しさを保っている不思議な人だ。

そんなアグネス・チャンと、この日たまたま観た海外ドラマ『白雪姫』の主演女優クリスティーン・クリックとは何処かしら共通するものが感じられる。

因に日本語吹き替え声優は安達祐実だった・・。

それなりにシンクロしていたけれど微妙である・・。


2002年12月19日

単行本の装丁。

現在、企画段階にある自分の商業単行本装丁について一人思案中。

まだ具体的にどうするかというレベルではないが、本造りというのは難しい。

表紙等の装丁は、信頼出来る装丁デザイナーに丸投げして全部任せるのが一番楽なのだろう。新たに表紙用イラストを描くか、既存の本文中のコマから絵を選んでレイアウトしてもらうか悩むところ。

振り返ってみれば、自分の単行本では一番最初に出版した『彼女たちのカンプグルッペ』が最も完成度の高い装丁だった。装丁デザインを担当したのは神崎夢現氏という著名な装丁デザイナー。既存の本文中の絵を巧みにアレンジ、レイアウトして独特な雰囲気のハードカバー単行本に仕上がった。

今から思うとこんな「凄い」本をよく出せたものだと思う。企画編集が大塚英志氏ということもあったのだろうが、今改めて振り返ると貴重な本であった。たまにネットオークションで取り引きされているようだが、結構高値で落札されている噂を聞く。自分の手元にも数冊しか残っていない。持っている方は大切にして頂きたい。

それに比べればその後に発行された単行本装丁は比較的平凡な造りだった。新たに表紙用イラストを書下ろした割には最初の単行本ほどインパクトがない。『快晴旅団』はオールカラー作品であったので本の表紙がフルカラーであっても違和感ないのだが(この単行本表紙カバー絵は裏表紙まで繋がっているパノラマ絵だったので作画が大変だった)、『ジェットストリームミッション』はモノクロームの表紙でも良かったかなとも思う(因にこの単行本は印刷も悪く、誤植も多くて納得しがたい出来だった)。

表紙に絵を配せず、タイトル字と作家名だけが記されたデザインも一興かもしれない。

ただそれだと、一見してこれが漫画の単行本であると気付かれない恐れもあろうし、絵がない分、アピール度に欠けるか。ただ、もともと地味な絵柄故、表紙に絵を配することにこだわる理由はそれほどない。

むしろインパクトある題字だけの方が効果が得られる場合も。とはいえ、絵がない場合だと相当上手い造りをしないとボリュームに欠ける。

いずれにせよどういう装丁にするかは非常に悩むところ。

お気楽な同人誌とはステージが違うことを実感。


2002年12月15日

年賀状用ポストカードカタログ。

このシーズン、DPE店に現像プリントを依頼すると必ず年賀状用ポストカードカタログや注文書をくれる。

最近は殆ど利用しないのだが、ちょっと中身を一読してみて思う事あり。

サンプル見本の殆どが家族一同、夫婦、新婚カップル、産まれたばかりの子供の写真で埋め尽されている。自分にとってまったく縁のないものばかり。

しかしこのようなサンプルが載せられるのは、その需要があるからこそ。

若い頃は、いずれ自分もこのようなシュチエーションでポストカードを注文する時が来るのだろうと思って気にもしなかったが、歳と共にそういった世の常識が「絵空事」のように痛く感じるようになってからは、このようなカタログが滑稽に思えてきた。

自分が経てきた人生の経験上、カタログに描かれている情況を造りうる人間関係が現実に起こるとはどうしても思えない。

自分の周りの異性を垣間見る時、誰かと一生を共に暮す誓いを立て、子を産み、育て、家庭を築くなんていう情況を僅かでも伺わせる女性は記憶に存在しない。

自分にとっての「現実」はこれであり、ポストカードの風景は「幻想」に過ぎない。

かつて夢見た甘い「幻想」はやがて「現実」にとって代わり、全ては「絵空事」と化す。

ポストカードの幸せ家族と、巷に溢れる独身男性。

いったいどちらが幻想で、どちらが現実なのだろうか?

毎年届く賀状の中に必ず何枚か入っている「新婚」「子供」「家族」の愛情溢れる写真入り年賀状。

たとえ一時的にせよ、そのような「絵空事」に浸れる情況を作れた人々は幸いであろう。

そのような機会に恵まれなかった者が「幸せいっぱい」年賀を受け取ると、この世はなんと不可思議な事象で溢れているのだろうと感慨に耽ってしまう。世の常識が自分の経験上の「この世」とあまりにもかけ離れ過ぎていると悟った今、この埋めようのないギャップにただ唖然とするしかないのだ。

人生とは、いと不可思議なり。

生涯の伴侶を獲得するということは即ち「絆」を築くことだ。

人生において、「絆」を築けるウインドウが開けるのはほんの僅かの間。

早すぎれば無知に溺れ、遅すぎれば経験に阻まれる。

そのタイミングを得られなければ「人生の敗北者」として一生孤独の中で葛藤するしかないのだ。

このポストカードカタログはそれを如実に語ってくれる。これは「絆」を得た者の為だけに作られたもの。

残念ながら「人生の敗北者」用カタログは用意されていない。

なぜなら、そんなものは何の価値も利益も生まないからだ。


2002年12月14日

『惑星ソラリス』

ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの原作で、1972年にアンドレイ・タルコフスキーが映画化した名作『惑星ソラリス』が、最近アメリカのハリウッド映画としてリメイクされたという。

なぜ今このような「難解」なSFをハリウッドが改めてリメイクしたのか不思議な感じだ。

どう考えても、派手なアクションが売り物のSFX映画には成り得ない。それにこのような生命の根源や深層心理を描く本格的SF作品が、今のアメリカで需要があるとはとても思えないのだが。

自分がタルコフスキーの『惑星ソラリス』を初めて観たのは17〜18歳の頃だろうか?今は無き「岩波ホール」だったと記憶する。非常に長い作品であったが、まったく退屈することなく魅入ってしまった。

それ以降、タルコフスキーの映画は、公開されるごとに足繁く映画館に赴き、かぶりつきで鑑賞した。

自分がバッハに傾倒したのも、このタルコフスキーの一連の映画が発端だった。『惑星ソラリス』には「三声のインヴェンジョン第2番(BWV788)、バッハのオルガン小曲集より「われ 汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」(Ich ruf zu dir, Herr Jesu Christ. BMV.639)」というバッハのオルガン曲がBGMに使われていた(当時、冨田勲もこの映画に影響されてシンセサイザーで編曲したバッハを発表していた記憶がある)。

またこの映画の原作であるスタニスワフ・レム著『ソラリスの陽のもとに』も何十回読み返したことか。レムの小説はこの他にも秀作『砂漠の惑星』『エデン』等があり、その独特の世界観は実に深いものがある。

いずれにせよ、同世代SFファンの間では『惑星ソラリス』は小説、映画共々キューブリックの『2001年宇宙の旅』と双璧を成すSFの金字塔として語り継がれてきた。

そんな「聖域」に、なぜ今の時期ハリウッド映画がリメイクを仕掛けるのかどうにも理解に苦しむ。たしかに最近、往年のSF映画「猿の惑星」等リメイクが流行っているが・・。

ところで1982年に発表された『ブレードランナー』以降、いわいるクリエーター達に多大なる影響を与えたSF作品がハリウッド映画にあったろうか?自分の知る限り、思い出せる作品は皆無だ。原作として素晴らしい小説は結構あると思われる。たとえば1985年に発表された故カール・セーガンの『コンタクト』は非常に完成度の高いSFだった。しかし、数年後映画化された『コンタクト』は原作とは似ても似つかぬ陳腐な安い仕上がりでがっかりしたものだ。

深い洞察も心理描写もなく、ただ派手なアクションとえげつない描写を繋げるのが主流のハリウッド映画にあって『惑星ソラリス』は最も対極にある作品。

いかにも東欧的映画をいったいどうリメイクするつもりだろう?

すでにアメリカでは公開されているらしい。サイトもあったのでちょっと覗いてみた。いくつかのサンプル画像を観たがタルコフスキーの映画をそのまま焼き直したようなシーンが見られる(主役の顔も似ている)ので、まったく新しい発想でリメイクしているのではなさそう。ただのデッドコピーでなければよいが。

実際、全編観た訳ではないので結論は言えぬ。もしかすると従来のハリウッド映画とは対照的に落ち着いた雰囲気に仕上がっている可能性もある。まあその確率は殆どないだろうが。

ただ往年の名作を果敢にもリメイクすることによって沈滞した正統派SF映画界(というものがはたしてあるのか疑問だが)の現状に一石を投じた功績は認めてよいかもしれぬ。

久しぶりにタルコフスキーの『惑星ソラリス』が観たくなった。

でもDVDプレーヤー、ないんだよね。


2002年12月10日

『新世紀エヴァンゲリオン』全面広告。

10日付け朝日新聞朝刊を読んでいたらいきなり『エヴァ』の全面広告が。

な・・なんだこれは?

来年いろいろ企画があるらしい。リメイクしたDVDとか・・。

いろいろな噂の中に今回のリニューアル企画は『エヴァ続編化』の布石という話も。ラスト2話を別のストーリーに書き換えて新たな世界観として展開する構想がないとも言えない・・。

それで思い出したのだが『エヴァ』がまだ本放送していた時期、バンダイが発行していた月刊誌「B-CLUB」96年3月号の特集「汎用人型決戦兵器秘密事項に迫る」の中に、『ADAMプロジェクト』として「ADAM」のイラストが掲載されていた記事だ。ターミナルドグマの十字架に張付けられていた「アダム(リリス)」を素体にしたような人型決戦兵器。このイラストを見たのは後にも先にもここだけだった。

おそらく、初期設定段階では、エヴァ壱号機を凌ぐような人型決戦兵器としてあの「アダム」をクライマックスに登場させる『アダム計画』があったのかもしれない。幾つもの没になったエンディング構想がきっと眠っているのであろう。

それを活用してリメイクを考えているのだろうか?

いずれにせよ、監督たる庵野氏がすでに「完結」させているこの作品を再構成したり、続編化させるのは望ましい事ではない。

それにしても、庵野氏は『彼カノ』以来、本格的アニメーションを手掛けていないようだが何故だろう?

宮崎駿氏や押井守氏のようにコンスタントに制作する能力や商業的に成功する知名度もあるはずなのだが。やはり庵野氏をプロデュースする人がいないのか?それとも壮大な企画を温存中なのか?策を練っているのか?

いずれにしろ、結局『エヴァ』という作品を引きずるしかないとしたらちょっと残念だ。宮崎駿がずっと『ナウシカ』を引きずっていたら、今のような普遍的メッセンジャーの地位は得られなかったはず。

庵野氏にとって『エヴァ』は次のステップへの橋頭堡に過ぎないはずなのだが。

それに『エヴァ』を制作したG社の『エヴァ』に対する扱いはちょっと慎重さに欠けているような気もする。エヴァキャラクターを脱衣系ゲームとかH系イラストにして商品化するのは『エヴァ』ブランドを自ら矮小化する愚ではないかな?

綾波レイを吉原で働かせているようなもの。

目先の利益にこだわらざるを得ないとしたら残念だ。

『エヴァ』に内在する壮大な理念を活用する方が桁違いの利益をこの制作会社に齎すと思うのだが。

拙速な『エヴァ』続編構想は勘弁願いたい。


2002年12月9日

大雪。

12月上旬に東京でこれだけ積雪するというのは尋常ではない。やはり季節が一ヶ月先行しているに違いない。どこかで一ヶ月抜けてしまったのだ。

そんな雪の中、コミケ用自費出版の原稿を某印刷所に入稿。

商業原稿が終わってすぐ11/28〜12/9の僅か12日間で20ページ近くのイラストを描き上げ、版下を制作。猛烈なる集中度だった。

徒然なるままに描くと不思議と筆運びもよく迅速に仕上がるものだ。一方で相変わらずプリンターが不調。紙送りトラブル多発で貴重なインクと紙を浪費。ただ版下原稿を出力する上でこのアルプスのMD5000はなくてはならないプリンターなので代わりを探す訳にもいかず。だがこのレベルのトラブルだと修理に出す程でもなし・・。次回はデータ入稿に切り替えるか?

さて、その入稿なのだが、印刷所の同人誌受付嬢が一人増えていた。社員の方が臨時でやっているのか、新人の方なのか定かでないが、受付が慣れていないらしくちょっと不安そう。まあ何とか無事入稿完了したのでほっとする。

帰り、近くの『ジョナサン』に寄り、ハーブティーで一服。

・・にしてもヘトヘト状態。この原稿作業の間、他の事が何も出来なかった。

この日記も11/28からまとめて書いてUP。


2002年12月7日

適性職業。

「上ちゃん、今何時?」

朝、久しぶりにニッポン放送に合わせると、上柳昌彦がパーソナリティーを担当していた。

上柳氏の番組は彼がアナウンサー新人時代、月曜深夜のオールナイトニッポン2部(1部は中嶋みゆきだった)を担当していた頃からよく聴いていた。

今でも印象に残っているのは、西新宿の高層ビル最上階からの生放送企画番組。

中継しているビルに向かってライトを振ってくれとリスナーに呼び掛けたところ、多方面から「光の合図」が寄せられ、その光景を上柳氏が克明に放送したのだ。そのリアリティーはラジオ放送史に残る程の出来だった。

それから同じ2部を担当していた谷山浩子の番組にもちょくちょく出演して、その絡みが妙に面白かった記憶もある。

いずれにせよ、もう16〜7年前の話。

それはさておき、この上柳氏担当朝の番組に、ある就職情報会社の元エリート営業マンがゲスト出演していてこんなことを話していた。

「適性職業のベストチョイスは、やった後に決まる」

まあ、当たり前な事ではあるが、確かにやる前にそれが自分にとって適性な職業かなんて解りはしない。

昔、自分が中学生の頃、職業適性検査みたいなテストを学年レベルで受けさせられたことがあった。テスト前に先生から「あまり参考にならないものだから真に受ける必要は無い」と言われていたが、子供ながらにいったい自分は将来どんな職業に向いているのか内心気になった。

で、テストの結果、出てきた適性職業は

「土木作業員、警備員等」。

要するに肉体労働者にしか向いていないということであった。ところが体格、体力的に貧弱であった自分にそんな職業など就けるはずもない。更に性格が絶望的に内向きなので外の労働など絶対無理であった。

つまり、「適性職業なし=まるでだめ」ってことなのだ。

にもかかわらず、馬鹿だった自分は「警備員=ガードマン=かっこいいヒーロー」だと思い込み、ニコニコしていた。(当時『ザ・ガードマン』というテレビ番組が人気だった)

一方、クラスの中に天才肌の幼馴染みがいた。

彼はいわいる受験的な勉強が出来るだけでなく、知性発想力のパワーが飛び抜けて優秀だった。その上、絵や音楽の才能にも長けていた。本当の意味での「天才」なのだ。

彼の家柄は学者技術者家系。父は河川土木の学者。そして彼の祖父は第一次世界大戦の頃、ヨーロッパ航路の商船船長をしていたとのこと。その航海日誌を見せてもらった事があるのだが、全文英語で克明な記録が記されていた。要するにエリートなのだ。

そんな訳で、クラスメートもみんな彼のことを羨望の眼差しで崇めていた。

当然、彼の職業適性テストの結果は、希有な特別職たる「芸術家系」だった。

まさに彼は将来「芸術家」になってもおかしくない才能を有していた。

自分とは生きているステージが違っていたのである。

で、約30年後、二人はどうなったか?

自分はやっぱりマトモな職業に就く事なく、しがない「漫画家」となった。

一方「芸術家」を約束されたエリートの彼はW大学理工学部を卒業後、大手ゼネコンの技術者として世界各地を飛び回り、建設作業に従事している。

彼は優秀な技術者にはなったが、しかし「芸術家」に就く事はなかった。

なぜか?

答えは簡単である。

自分の場合、適性でいえば、あのテストの結果通り、マトモな職業に就ける能力はなかったのだ。ただ「漫画家」なんていう項目など当時の職業適性リストには存在しなかったはず。そしてそんなカタギでない職業が将来成立するなどとはテストで予測出来なかったのだろう。

一方、天才肌の彼の場合はどうか?

彼は「芸術家」に成れなかったのではなく、その道を選択しなかっただけのこと。その気になれば彼は高名な画家か音楽家に成っていても何ら不思議はなかった。その能力は十分に備わっていた。ではなぜ彼がその道を選ばなかったかといえば、職業として不安定で抽象的な「芸術家」では自分の能力を十分発揮出来ないことを解っていた。むしろ技術者を選択する方があらいる面で有利であることを知っていたのだ。あと家系の事情もあるかもしれない。いずれにしろ、彼の場合、職業の選択肢はいくらでもあった。つまり何にでも成れたのだ。

逆に言えば「漫画家」や「絵描き」「音楽家」「文筆家」の多くは、職業を選択したというより、それしか出来ないからその道しか選べなかったということかもしれぬ。無論、それで大成出来たかどうかは別の話。

おそらくその99パーセントは社会性に欠けた日陰者として絶望的人生を過ごす結果になろう。

いずれにせよ、自分に見合う職業などやってみなければ解らない。ただ、どう考えても自分の能力には及ばぬ職業というものは察しがつく。

引き算をしていけば自ずと己の職がみつかるはずだ。

無論、それが本当に自分に合った職業であったかは死ぬまで解らないだろう。

要はそこに至る過程なのだ。結局、適性職業が一生見つからなかったとしてもその過程こそが人生というものなのかもしれぬ。


2002年12月2日

「また痩せた?」

久しぶりに知人に会うと必ず言われる言葉である。

特に女性の知り合いは100%開口一番この台詞を言う。

「この前会った時も今も4●Kgだ!これ以上痩せられるかあ(汗)」と心の中で叫ぶのだが、面倒臭いので適当に相槌を打つ。

それ以上に初めて会う女性は、私の体重を知ると大抵びっくりする。「女性の立場がない」と。

ただ、自分は好きで痩せている訳ではなく体質的に太れないだけ。ここ20年45kg以上になったことがない。38kgの時もあった。だから意図的に「女性の立場」を侵害しているのではないのだ(笑)。

ふと思ったのだが体重の軽さが「女性の立場」であるとしたら「男の立場」とはなんだろう?

経済力か?体力、筋力だろうか?それを含めた包容力?

残念ながら自分にはそんな「男の立場」を主張するチカラも、それを獲得しようという意志も気力もない。当然、女性に「女の立場」である体重の軽さなど求めない。というより自分より体重が軽い女性は知らないし会いたくもない。

鶏ガラみたいな女性は御免被る。

むしろ、自分は女性にこそ「男の立場」を求めたい。体力とか経済力を十分に発揮して頂きたい。ダイエットする時間とお金があったら心身とも逞しくする方向に持っていく努力をしてはどうか?大半の若い女性はそれが出来る良い環境が備わっているよ。

正直、自分はこの期に及んで「男の立場」を堅持しようなんて更々ない。頼られるのはしんどい。中途半端な「男の立場」を発揮しても、大抵は女性に見透かされ恥をかくのがオチ。「男の立場」が発揮出来るのは桁違いの経済力やステイタス、ルックスを獲得した男の場合だけ。

そんな男性は万に一人も居まい。

その分、女の子には頑張って頂きたいのだ。


2002年12月1日

エイズデー。

誰が決めたのかは知らないがどうも馴染めない。

この日からジョン・レノンの命日の8日(だったか?)まで奇異な雰囲気。というより自分とはほぼ縁のない守備範囲外の世界なのでそれが普遍的にメディアで流される事に違和感を感じるのだが。

自分のような立場からすると「エイズデー」なんて「フリーセックス奨励の日」にしか感じられず、少々耐えられない。

避妊具を公衆の面前で配るということ(今はどうか知らないが数年前は渋谷の駅前で配っていた)は、大半の人々が不特定多数と性交渉出来るという前提なのだろうね?だが少なくとも自分や自分の世代では有り得ない話。

恥ずかしながら、自分は二十歳前後まで「婚前交渉は悪い事で、一生で一回のたった1人の女性と大恋愛して生涯を共にする」というポリシーの持ち主だった。今の常識からすると「下らない処女信仰」として一笑に附されるだけだが当時はそれが常識に近かった。彼女、彼氏を持ち、性交渉することは特別な部類に属した。少なくとも自分の周りにはそんな付き合い出来る連中は僅かしかいなかった。

かといって、今の20代の男女が「フリーセックス」状態だとはとても思えない。

宮台真司氏がたまにラジオで発言しているのだが「男女間の友達関係は大抵はセフレだ」などというのはどういう根拠から言えるのだろう?

そもそも誰もがボーダレスに男女交際出来るという前提に無理はないか。

それが望んでも出来ない男女はどうなる?それは「障害者」として除外されているのだろうか?

そんな人々に避妊具を配ると言う事は、食糧難で飢えた人に「食べ過ぎに注意しましょう」と胃薬を与えるようなもの。

「男女間の友達関係はセフレ」という言葉の根底には「フリーセックス」が前提にある訳で、そんな前提で若年層を一括りにされてはたまったものではない・・。

そこまで俗欲が思うに任せられる社会に至っているとは、当の若年層も思ってはいまい。

結局それを真に受けた者がいつも火傷を負ってしまうのだ。

勘弁願いたい。


2002年11月30日

金田朋子。

文化放送週末の夜はアニメ声優番組が目白押し。

たまにこの時間帯を聴くのだが、ある声優番組に、猛烈なるアニメ声のボイスアクターがいた。

いつの時代にも猛烈なアニメ声アクターは居るものだか、この人も凄い。普段もこんな声で会話しているのだろうか?

いや、そうあってほしい。

多少、電波が入っていても許してしまえそうだ。電車の中であの声で一人ぶつぶつ喋ってもらいたいものだ。

それでこそ誠のアニメ声優の道であろう。

使い分けは邪道だ。


2002年11月27日

原稿入稿。

コミケ用ではなく商業誌の原稿である。16ページ作品2話分、計32ページを入稿。

初冬の快晴下、落ち葉の絨毯をかき分け某編集部へ。現時点ではまだ掲載日程は未定なので雑誌名は明かせないが、おそらく来年の2月発売の号になろうか?確定的になった時点でお知らせする。

内容は『アワーズライト』で不定期連載していた影男シリーズを踏襲したものと想像してよい。

影男再起動なるか?

『スタバ』

半年程前からJR阿佐ヶ谷駅が改修中であったが、やっと少しずつ工事の覆いが外されはじめた。

南口広場に面した所にガラス張りの壁が出現した。いったい何が此処に入るのかと思ったらなんと『スターバックス』である。

たしか杉並区にはこのシアトル系コーヒーショップはなかったはず。

杉並区初のスタバ?

それほどスタバは利用しないので特段どうということはないのだが、ついに阿佐ヶ谷にも出現したかという感じ。


2002年11月23日

落ち葉。

東京は10度にも満たない日が続く。例年に比べ紅葉が鮮やかな気がする。

ところで落ち葉を踏み締める感覚は妙に心地よい。あと落ち葉の匂い。あれは何か心を癒す成分が含まれているのかも知れぬ。

ところが最近、その落ち葉を「ゴミ」としか考えない輩が増えた。

焚き火という習慣がなくなったのも要因だろうが、ゴミ袋に落ち葉を詰めて燃えるゴミの日に出すというなんとも無粋な光景が見られる。更には「落ち葉がトユに詰まる」とかいって迷惑がる輩も多い。

こういう輩は砂漠か地下室かマンションにでも住めばよい。おそらく大地の恩恵とか、土の有難さに無縁の地で育ったのであろう。自分からすると気の毒な人間にしか思えない。

かつての阿佐ヶ谷周辺では、落ち葉はよい腐葉土になるということで有り難がれたものだ。庭が少なくなり、コンクリートむき出しの駐車場が増えた昨今では落ち葉は邪魔物にされてしまう。

世も末である。

『まんてん』

NHK朝の連続テレビ小説を何週間ぶりかに観る。

相変わらず「まんてん」の頭の弱さがくどい程描かれている。

ところでやたらこの主人公は「負けず嫌い」を連発するのだが、「負けず嫌い」の女性って優しさに欠けている気がする。

そういう女性って人を傷つけたりすることに疎いのかもしれない。

その結果、人から傷つけられる事にタフな(人を傷つけることに無頓着な)男性にしか心を吐露することが出来なくなる。これが悪循環を生んでいつも自らの行動で傷付いてしまうのだ。

本当は「負けるが勝ち」という女性こそ強くて優しいのだが、そういう感覚っておそらく子供を産んで育てる経験がないと身に付かないのだろう。

「まんてん」もすぐに結婚して子を産む女性として描かれるのであれば万事納まるのだろうが、この話「まんてん」が宇宙飛行士を目指すという妄想を抱いている「電波系少女」な訳だから尋常ではない。

彼女の「夢」を成就させるためにいったい何人の男性が傷付くのであろうか(いや命を落す事さえある)。

「まんてん」はおめでたい女性なのだ。

このままでは大変なことになろう。

だからもし自分がこの話の続きを作るとしたらこうなる。

藤井隆演ずる家庭教師は、実は地球征服を企む宇宙人。宇宙に行きたいと妄想している少女「まんてん」は彼に捕らえられ宇宙生物に改造手術されてしまう。そしてNASDAに送り込まれる。

アメリカはこの改造人間「まんてん」に興味を示し、晴れて「まんてん」はスペースシャトル搭乗が叶う。そして彼女はスペースシャトルからUFOの大群を見るのである。

如何であろう?

こうすれば誰も傷付く事なく「まんてん」の夢は成就しよう。

まあ、吉本芸人が多数出演しているのだからこれも一興だと思うのだが。


2002年11月22日

40代男子の昇天。

皇室の40代男子親王殿下が心臓マヒで逝去したというニュースを見てふと思う。

皇室に限らず、結婚して子を設け、将来に何かしら希望を持てる人生を歩んでいれば40代での死は悔やまれるものだが、さして希望も無い独身男性にとって、この年齢で死ぬというのは案外幸せではなかろうか?

この御時世、結婚や子を残す事もままならず、年金も期待出来ない40代男子にとって、それ以上長生きしたところで得るものは何であろうか?

せいぜい苦痛の類であろう。

ところで今、自分がばったり逝ったらどうなるか考えてみた。

おそらく、一週間位は気が付かれないかも。

まず自分の仕事部屋を定期的に訪れる人がいないので誰かがすぐに見つけてくれる可能性はないだろう。勤めている訳でもないので欠勤で様子がおかしいと思われる事もない。

更には自分の健康を気遣ってもらえそうな友人も思い当たらない。電話に出なかったりメールの返信がないといっても気に掛けそうな者の顔はまったく浮かんでこない。

自分の親は別としても、今自分が死んだところで誰も困らないし、誰も悲しまないのだ。

この歳まで生きていながら何とも存在観の希薄な人生であろうか(逆に言えば気楽なのだが)。

いずれにせよ、1ヶ月位経てば誰かしらが異変に気がつく可能性はある。

とりあえず放置しておく訳にもいかないだろうから、ごく少数の親族を集めて葬儀位はしてもらえるだろう。写りの悪いピンぼけ合成写真の遺影を曝され、妙な戒名を付けられて火葬場に運ばれ灰となる。

それでおしまい。

友人や知り合い、仕事関係には半年くらい経ってやっと風の便りで死んだ事が伝わるかもしれない。

「そういえば、この人どうした?」

「う〜ん、半年位前に死んだらしいって聞いたよ」

「へえ。そうなんだ。」

まあ、こんなものであろう。

最近、頻繁にお墓のセールス電話が掛かってくる。

これを見越しての事かどうかは知らぬが・・。

まあ、でもある意味あっさり逝ってしまった方が楽と言えば楽。

ただ、やり残した事がけっこうあるので、今すぐはちょっと困るのではあるが。

要は生きている内に何を成すべきかである。現世に何を残す事が出来るか?

自分の信念の下、そこに集中すればよい。

その道を全うすればいつ死んでも後悔はしない。

死んだ後の事まで関知は出来ぬ。


2002年11月20日

写真。

最近写真撮影を依頼されることが何件か重なった。

写真はあくまで個人的な趣味及び素材集めなので人から頼まれて撮るというのはどうも慣れない。

特に機材を豊富に持っている訳でもなし、腕が良い訳でもなし。アマチュアレベルで考えても大した出来ではない。まあ、周りに写真に詳しい人がいなかっただけの事だろうけれど。

誰かの要求通りに動くというのはまったくの苦手な分野。

まあ何かしら役に立ったようなのでよしとしよう。


2002年11月19日

お見合い。

何日か前の新聞に、国が自治体へ公的お見合い制度に補助をする云々という記事が載っていた。

いろいろ批判もあるようだが、考えてみれば昭和40年頃までは大半がお見合いで結婚していたはず。

だが現在では事実上自由恋愛以外で結婚する手段はない。むしろこちらの情況の方が不自然であろう。

そもそも自由恋愛とは何であろうか?

一見、誰からの干渉もない対等で自由な人間関係なのだが、それが必ずしも結婚への最善の手段とはいえまい。そもそも恋愛感情は必ずいつか冷めるものだ。

一説によると女性の恋愛感情は長く見積もっても4年程だそうだ。

かつて経済的自立が困難であった女性にとって結婚はある意味「最終就職先」。自由恋愛はその入り口の一つに過ぎない。だから恋愛感情は一時的なものでも構わないファクターだった。

しかし、今日、結婚は必ずしも「最終就職先」ではない。そうなると恋愛感情が永続的に続かない相手と一生暮す必要性もなく、自由恋愛は必ずしも結婚のための手段ではなくなってしまった。

そうなると、結局、お見合いの方が確実性がある。

そもそも結婚は恋愛の延長上にあるのではなく、子を産み、育て、共に家庭を築く処にあるのだから、むしろ一時的な恋愛感情は邪魔にさえ思える。

「住めば都」という諺があるが恋愛感情がなくとも共同生活していくうちにお互い情が深くなり、円満な家庭を築ける例が多いと聞く。期待がない分、失望もないのだ。一方、恋愛という不確定要素に縋ろうとすると逆に人間関係は壊れやすいということもある。

核家族化が進んで見合いという慣例がなくなってしまった以上、国が代わって見合い事業を支援することは決しておかしい事ではあるまい。

今の未婚男女が結婚を望んでいない訳ではなく、むしろ結婚願望は従来以上にあるといわれる。

その手段としての選択肢が自由恋愛しかないという事の方が不自然であろう。

そもそも自由恋愛は動物的に長けた者だけがその恩恵を受けるもの。だが人間は犬や猫とは違う。

もっとも、結婚に値する条件を満たさなければ見合いも恋愛もへったくれもないのだが。

いずれにせよ、漫画家などのフリーランスには無縁の話だ。特に男子の場合、超売れっ子でない限り見合いの対象にさえならない。所詮結婚はお伽話。

関係ないのである。


2002年11月17日

コミティア来場感謝。

東京ビッグサイトでのコミティア。『ゆりかもめ』から見る有明周辺は紅葉のピーク。やはり例年に比べ半月程早いか。

さて、自分の自費出版本は地域の風景を題材としたものが多い。

阿佐ヶ谷、高円寺、府中、聖蹟桜ヶ丘、池袋、入間等など。

時々、その地域に住まれている読者の方から感想を頂くことがありとても参考になる。今回も入間市在住の方から『いるま少女電波』のコメントを頂いた。この場を借りて感謝申し上げる。

実際に住んでいる方と描き手の視点が微妙に違ったりして興味深い。

さて、この日ビッグサイトでは、コミティア以外にもイベントが行われていたようで、凄い列が通路一杯に続いていた。どうやら美少女ゲームキャラクターに関するイベントらしい。列に並んでいるのは例外なく20〜30代の秋葉系男子ばかり。

夕方、そのイベント帰りの男子を見かける。両手には本日の「獲物」たる美少女キャラクターグッズが詰まった手提げ袋を大切そうに抱えていた。でも何故かその男達の表情には寂しさも漂う。

いや、美少女キャラへの思い入れに比べれば孤独など問題ではない。

きっとこれでいいのだ。

自分はギャルゲー等には全く疎いが、もしはまっていたら彼等と同じ行動をとっていたかもしれぬ。

それはさておき、いよいよ12/1より「りんかい線」がJR山手線の大崎駅と直結し、新宿方面からビッグサイトへのアクセスが格段に良くなる。料金も「ゆりかもめ」では新橋から国際展示場前まで片道370円も掛かるが「りんかい線」だと大崎から280円(キャンペーン期間中)で行けてしまう。無論所要時間は大幅短縮だ。


2002年11月16日

國府田マリ子

たまにラジオで彼女の声を聴くことがある。

なんというかアースのない強烈な電圧のかかっている「希望」というか、ある意味心地よいのだが気が付くと脚立を外されて感電しそうな「ファイル」が添付されている喋りというか・・。

まあ、そんな感じがするのである。

あのような喋りが出来るというのはやはり超越した何かがあるのだろう。

小森まなみに共通するものあり。


2002年11月11日

樹木のない山。

テレビ東京で昭和30年代に製作されたと思われる小林旭主演の日本映画を何となく観ていた時のこと。

撮影場所が伊豆の天城山辺りになったシーンを観て妙な事に気が付いた。

富士山をバックに山々の風景が映し出されるのだが、ほとんど樹木が無いのである。

低い潅木と枯れ草で覆われ、本当にここが日本?と思える程のハゲ山状態。更によく見ると植林された杉らしき小さな苗木がたくさん写っている。

つまり、戦後10年程までは日本の山々の木は殆ど伐採されて丸裸に近かったのだ。

今日の山林風景はこの頃植林された杉の木が成長して形造られたと言える。そう考えると現在の山林の殆どが樹齢50年程の人工林なのだ。当時は再び伐採される前提で杉ばかり植林したのだろうが、林業の衰退で無用の長物と化し昨今の花粉症禍をひき起こしているのだ。

それにしても、わずか半世紀弱でこんなにも日本の風景が変わってしまうとは驚きである。

古い映画は戦後史のよい資料にもなる。


2002年11月9日

春と秋がない。

11月に入ってから急に寒くなる。一ヶ月以上季節が先行した感覚。今年の3月〜5月期も同じく、季節の移り変りが早かった。

つまり、春と秋がないのだ。急に暑くなり、そして急に寒くなる。

北極を巡る偏西風の蛇行に問題があるのだろうか?

『ガンダムシード』

新ガンダムを初めてちらっと観る。

なんかキャラクターが『無限のリヴァイアス』を彷彿とさせる。印象としてはそれ位か?


2002年11月8日

新旧ドラマ。

NHK朝の連続テレビ小説『まんてん』をちょっと観てみた。

JOBK制作の朝連ドラマはどこか妙な気がする。いずれにせよ主人公の「まんてん」が変。それと藤井隆演ずる家庭教師(?)も妙。二人のやり取りが禅問答のようでおかしい。

で、この二人は宇宙飛行士になるのか?

どう考えても「まんてん」は頭の少し弱い少女。そんな彼女がどうやって夢を現実化させるのだろう?

超能力だろうか?

一方、ちょうど同じ時間帯にテレビ東京で石立テツオ主演の懐かしい約30年前ほどのドラマを再放送している。

500円札や黒電話、トランシーバーに笑い袋・・懐かしいアイテムがゴロゴロ出てくる。「ちーぼー」と呼ばれた10歳位の女の子は、今頃40歳位か?

この手のドラマはまるでタイムカプセルのような趣きがある。

遺跡の発掘と同じように知的好奇心を揺さぶって楽しい。


2002年11月7日

一人前の男。

TBSラジオ『荒川強啓デイキャッチ』で、「男は結婚してこそ一人前か?」というテーマで聴取者からアンケートを採っていた。結果は6対4の割合でYES。

これに対してゲストコメンテーターの宮台真司氏は、「一人前の定義は曖昧だから一概に結婚イコール一人前とは言えぬ。仕事が出来ても家庭生活がダメな男もいれば、仕事がダメでも家庭生活がちゃんと出来る男もいる」と・・。一人前な男は結婚が出来る出来ないに関係ないのだと。

それを聴いてふと思った。

・・では家庭生活も仕事もダメな男はどうなのだろう?

そもそも仕事がマトモに出来ない男が結婚出来るのか?そしてちゃんとした家庭生活を営めるのであろうか?

一人前云々を語る以前の問題。

そういったダメダメな男は議論の対象にさえならないらしい。

あえて無視されているのか、気が付かないのか・・。

本来ならもっとスポットライトを浴びてもよいと思うのだが。


2002年11月6日

童貞論。

書店で変な本を見つける。ラジオDJ伊集院光とみうらじゅん共著の童貞に関する考察本。

いわいる童貞期が長く、現実の女性体験よりも妄想上の「女性体験」に長けた者の生きざまを述べた内容である。

いろいろと興味深いエピソードが豊富で楽しめるのだが、この本には致命的な欠陥がある。

著者の伊集院光もみうらじゅんも結婚しているのだ。無論童貞でもない。

むしろ童貞論に述べられているような者達から「解脱」した幸せ者なのだ。特に伊集院は元アイドル少女が奥さんな訳で、夢を体現出来た「選ばれし男」である。

そのような「幸せ者」が童貞論を説いたところで、あまり説得力はない。

だから、この本の本音としては、「昔は苦汁に満ちたゴミみたいな人間だったが今はステイタスを得た幸せ者」が、「今だ苦汁に満ちた人間のクズを見下す」ところにある。

本来なら、30歳を過ぎても、童貞、恋人いない30年、毎日妄想に浸るだけのダメな男が日々の苦悩を記すほうがよりリアリティーのある本になろう。

残念ながらそんな本は売れない。

なぜなら、そんな男を世間は誰も相手にしないからだ。

だが、そういう人間こそ語るに値する人生を歩んでいるもの。

世の中とは皮肉なものである。


2002年11月3日

入間航空祭。

二年ぶりの入間航空祭。事故やテロ事件等で中止されていた『ブルーインパルス』の展示飛行がここで行われるのは1999年以来だ。

新宿、池袋から電車で一時間弱。その上駅から降りてすぐという立地条件の良さで毎年盛況の航空祭。今年も好天に恵まれ、会場は20万人以上の人出。朝、9時前に入場したのに滑走路沿いは人で一杯。なんとか二列目辺りに陣取ることは出来たが。今回は最前列でシートを敷いての場所捕りは自粛するようアナウンスされていたがあまり守られていなかった。ただ早い者勝ちという暗黙のルールはあるのだからあまり厳しくするのもどうかと思うが。

C1輸送機やT4練習機の編隊飛行等、従来以上にレベルアップしたように感じられた。『ブルーインパルス』は4機のみのエントリーだったが紺碧の空に軌跡を描く様はいつ見ても素晴らしい。15時の閉会まで存分に堪能した。


2002年10月30日

日本シリーズ。

今年のプロ野球日本シリーズは巨人が4タテで西武ライオンズを倒し優勝したとか。

それにしても歴代の巨人対西武日本シリーズは因縁めいた対戦が多く興味深い。ちょうど学園祭シーズンと重なって諸々の学園生活の記憶と、この巨人対西武日本シリーズの記憶が一緒に脳裏に焼き付いているのも印象的。

それと西武が日本シリーズに出場すると、ライオンズ応援歌が至る所から聞こえてきて晩秋の風物詩となっていたな。

でも、広岡や森が監督していた頃の西武と比べると随分小粒な球団になってしまった感じ。

かつて西武に居た選手が今現在、巨人でプレイしている情況を見るのも何か妙。

ここ3年、パ・リーグのチームはいつも似たようなゲーム運びで敗退している気がするのは自分だけだろうか?やはりFA制度がプロ野球をつまらなくしているのは否定出来まい。


2002年10月29日

PHSの電池。

6年以上前に買ったPHS。NTTパーソナル時代の機種を今もって使い続けている。

無論メール送信など出来ず、ただの電話機能しかない初期の製品だ。

さすがに電池の寿命が来たらしく、充電してもすぐにバッテリー切れ。そこでショップで電池交換を頼むが在庫がなく生産も中止しているかもしれないため、新しい機種変更を奨められる。だかこのPHSは家では自宅電話の子機としても使用しているので、その設定等を新たな機種に移植しなければならない。ところがもはや現行機種ではシステムが更新されていて移植は不可能とのこと。

別に新しい機種など欲しいと思わないので、とにかく電池を取り寄せてもらう事をお願いする。

ところでPHSを所持しているといっても殆ど外で使う事はない。月に1〜2回かける程度。もっぱら家で子機として使用するケースが大半。そんなものに月々料金を払うのも馬鹿馬鹿しいのだが、たまに重要な連絡とか待ち合わせの時に重宝するので止める訳にもいかない。かといって、新たに買い替える気も起きない。たかだか電池の在庫が無くなっただけで機種変更を迫られるのは納得がいかぬ。

使えるものは徹底的に使い倒す性分なので10年以上この機種で頑張ろうと思う。

ただ、多少ガタが来ており接触不良でノイズが入る場合もある。おそらく修理するより買った方が安いだろうが・・。というより修理するという選択肢がないのでは?

それにしても、至る所でメールを打ったり読んだりしている人間を見かけるのだが、あれも一種の中毒なのだろうか?

常にメールが来ていないと不安になってしまうという話をよく聞く。その上最近は動画まで送れるというからそのうち文字だけでは満足いかなくなるのか?

だがそれらのメッセージが本当に必要なケースって大してあるとは思えない。

結局、携帯電話、PHSって高級な玩具に過ぎないのだろうね。


2002年10月22日

小田和正と恋愛ドラマ。

例によって16時頃に放映されているドラマの再放送が目に止まる。

『恋ノチカラ』とかいうお約束トレンディ−(死語?)ドラマ。生活習慣として22時頃にこのような番組を観る事はまずないのだが何故か16時頃だと抵抗がない。

この手の恋愛ドラマは、流石にもうフィクションと解っていても観ていて辛いというか、恥ずかしさすら感じなくなってしまった。高校野球中継と同じで、ある年齢を過ぎるとかつて感動した事象もただの幻にしか思えず、何の感慨もなくなるものだ。

こういったドラマで描かれる恋愛も若年ゆえの錯覚に幻惑されて、実態のない「永遠なるもの」を勝手に異性の中に抱いているだけの事。恋が空しき戯れ言と悟った者から見ると滑稽なものにしか映らない。

だが人はそんな「青い季節」を卒業する前に恋愛を成就させ、生涯の伴侶を獲得する訳だから、伴侶を獲得出来ぬまま卒業してしまった者はある意味、人生の敗北者なんだろうなあと思ってしまう。

このドラマにも使われていたが、小田和正(オフコース)の歌も、かつて学生時代には一生懸命聴いていた。当時の楽曲の中に『YES NO』というのがあって、歌詞中に「君を抱いていいの?」とか「君の匂いがする」というフレーズがあり、そんな言葉が真実の愛を獲得する魔法の呪文なのだと本気で信じていた頃もあった。

今から考えれば、滑稽極まりない噴飯妄想だが、そういった幻を異性に抱けるエネルギーがあるうちが人生華なのであろう。

結局この『恋ノチカラ』というドラマの再放送も2、3回観たのみでいつのまにか終わったらしい。

まあ、この恋愛ドラマの結末がどうなったか知ったところで得るものは何もないだろうが・・ちょっと気になった。


2002年10月20日

17歳。

先日、ある17歳の女子高校生と会話する機会があった。

自分の現環境下では、17歳前後の少女を不特定多数の「風景」として認識することはあっても、実際1対1で会話する一人の人間として認識する情況などめったにない。それ故、新鮮であった。

年齢だけで考えると、正に「親子」の関係。

だが精神年齢、ルックス共々標準から著しく低く見られる自分からするとそんな年齢差は感じられず、端から見れば兄妹のように見えたかも。

その高校生も、いわいるメディアで流される「女子高生」とは雰囲気がまったく違い、髪も染めず、ピアスもせず、スカートも膝下。どちらかと言うと質素で知的。話す言葉も地に足が着いており、女子高生がよく使う「超〜」などという発言は一切ない。私服姿なのでルックスも大人っぽく、下手をするとこちらの精神年齢の方が下なのではと錯覚するほど「出来た17歳」であった。

もっともメディアで流される「女子高生」のイメージに毒されている方が間違っている訳で、こちらがむしろスタンダードなのかもしれぬが。

このように標準からかなりずれている者同志なのでさほど年齢差が感じられないのが奇異であった。

ただし、日常の様々なエピソードなど聞いてみると、流石に自分が過ごした頃の高校生とはステージが違う。

いろいろな意味で大人なのである。

そしてそれが別段、特殊なことではなく、今の女子高生一般の常識であることを悟ると、やはり凄いという他ない。というより今まで知らな過ぎる方がおかしいのか?

でもファミレスで美味しそうにパフェを食べる仕草はやはり17歳の少女の姿そのものであった。

彼女は言う。「私の母親、貴方と同じ歳なんです(笑)」

だがどう考えても、こんな「娘」が自分に出来る可能性は微塵もない。

想像すらつかないお伽話の世界。

むしろこちらの方に吃驚すべきか?


2002年10月16日

24年の歳月。

北朝鮮に拉致された日本人が24年ぶりに帰国したニュースを見てふと思った。

特に拉致された人達の世代が自分と比較的近いということに妙な引っ掛かりを感じているのだ。

24年前というと1978年。

ちょうど大学に進学した年だ。と同時に最も感受性の強かった年頃だからこの時期に体験した諸々の出来事が今の自分を形成したと言っても過言ではない。

その頃観たテレビ番組や映画、絵画、本、知り合った大学のサークル仲間や活動等・・おそらく大学に進学しなければこのような経験はなし得なかったであろう。

もし、この1978年に大学に進学せず、自分の意に反して強制的に就職せざるおえなかったら果たしてどんな人生になっていたろうか?

拉致ほど劇的ではないにしろ、何処かに勤めるということは著しく自由な時間を奪われるということだ。そして24年後、きっと今の自分とはまったく違う自分が存在していたろう。

運良く結婚は出来ていたかもしれない。で17歳位の娘か息子がいるだろう。家族を養うために齷齪(あくせく)働いて歳相応に「老け」顔になっていたろう。関心事も仕事や子育てに忙しく、おそらく「自分の自由な時間」など皆無であったと想像出来る。それでも一応世間体を上手く渡っていける常識的な「大人」として2002年を迎えていたろう。でなければ生きていけない筈だ。

ちょうど拉致されて24年ぶりに帰国した彼等もそれと同じではないかと思ったりする。北朝鮮では「自分の自由な時間」などなく、当局の命じられるがままに動くしかなかったろう。だが程度の差こそあれ、生きるために束縛されるという点では曾て昭和30〜40年代、田舎から集団就職で上京した青年達と立場は似ている。少なくとも帰国した5人は生存競争に生き残り、結婚して子を設け家庭を営んでいる。ある意味真っ当な「大人」になっていたのだ。

もし、彼等彼女等が拉致されず平凡にこの日本で生活していたらどうなっていたろう?結婚もせず子も設けなかったかもしれない。主婦や子育てという煩わしさを拒絶し、誰からも束縛されない自由な時間を謳歌していた可能性もあった.。コンビニで食玩を買ったり、カラオケで懐かしのアニメソングを唄ってのんびりした独身生活を送っていたかもしれぬ。部屋にはフィギュアやDVDが溢れ、仲間と携帯でメールのやりとりをして時間潰しに明け暮れる日々だったかもしれない。

確かに日本にいたら命の危険に曝されることもなく自由に生きられたはずだ。

だがしかし・・。

どちらが人生として真っ当なのであろうか?

今の自分の立場を考える時、1978年からの24年間ははたして正しかったのかと時々解らなくなる時がある。

それともこの24年間は単なる「幻」だったのではないかと?

あの24年ぶりに還って来た人々を見ると「別の生き方を選択したもう一人の自分」を見るようで妙な感覚に囚われてしまう。

大槻ケンヂの曲にこんなフレーズがある。

『これでいいのだ。人生いろいろ

いわれなき罪によって 無実の僕は13年間

オリの中に閉じ込められていたのであった。

星の夜 散歩の途中、黒い服の人々によって手錠をかけられてしまったのだ。

どんな夢も不思議じゃない。

僕はいつも思うんだ。いくら辛いことがあったって

これでいいのだ これでいいのだ・・』


2002年10月12日

10/26発売予定のSONY VAIO-U最新モデルPCG-U3に電子書籍『快晴旅団』がバンドル決定。

最新情報等のページでも告知したがソニーのノートパソコンVAIOシリーズで最もコンパクトな機種「VAIO-U」の最新モデルに電子書籍『快晴旅団』がバンドルされる予定だ。

すでに数カ月前から内定していたが、やっと発表出来る情況になった。

VAIO-Uオリジナル電子ブックのお試しコンテンツ13種類の中にエントリーされているようだ。

興味ある方はチェックしてみて下さい。


2002年10月10日

祭日

本来ならば「体育の日」で休日なのだが「ハッピーマンデー」云々で14日の月曜日が休みになるため、この日は普通の木曜日。確か東京オリンピックが開幕した日を記念して設定された祭日だったと思うが。

晴れの特異日でもあったはず。それを無理矢理三連休にするために祭日をずらす発想が不純。

案の定、今日は澄み切った快晴で「休日」日和。

これで振り替えられた14日が雨だったりしたら誰が責任取るんだ?

そもそも土日が休みっていう人ばかりじゃないはずだが。

いっそ365日間全部「休日」にしたら如何か?


2002年10月6日

リメイク漫画。その2。

そもそもリメイク漫画とは何ぞや?

同人のパロディー漫画やアンソロジーだってリメイク漫画と言えないこともない。

では、いわいる商業誌のリメイク漫画と大きく違う所はどこか?

それは本人が好きで描いているかどうかということに尽きよう。

創作の原動力がそのリメイクするオリジナル作品にあるのなら同人だろうとプロだろうと面白いモノが描ける可能性は大きい。モノによってはオリジナルを凌ぐ作品も出来よう。

但し、商業誌のリメイク漫画の場合、依頼された時点で描き手の創作意欲の対象が必ずしもそのオリジナル作品にある訳ではない。むしろそんなケースは稀であろう。大抵は仕事として割り切る技量が必要となる。

結局、リメイク漫画が仕事として成立するには下記の二点が必須条件になろうか?

1.対象となるオリジナル作品にある程度思い入れと知識がある。

2.臨機応変に何でも描ける幅広い洞察力と技術力を持っている。

そういう意味からすると、リメイク作品を描くというのは、実はオリジナルよりも結構難しい仕事なのだ。

例えで適切かどうか解らないが、モンキーパンチ原作の「ルパン三世」は数多くの漫画家によってリメイクされている。オリジナルの世界観を壊す事なく、各々作家の個性によって一味違う「ルパン」が描かれている。

ただ、それが出来るのも上記の2要素を持ち合わせている漫画家だからであろう。

そうでないと中途半端なものしか描く事が出来ず、オリジナル作品のファンからも不評を買う可能性がある。

リメイクは思った以上に困難な仕事なのだ。


2002年10月5日

リメイク漫画

最近、過去に流行った漫画をリメイクさせた作品を載せている漫画雑誌が多いと聞く。

個人的には今更20年前の漫画を読みたいとは思わぬが、世の中閉塞しているのでそんな漫画しか売れないのだろう。

でも描き手からするとどうなのか?過去にその作品で売れた作家からすると「二匹目のドジョウ」みたいに美味しいかもしれぬが、本音としては今更過去の作品をリメイクしても面白くないだろう。一種の反芻みたいなものだからね。

新しいモノが描けないというのはクリエーターとして不幸だ。

あくまで仕事と割り切り、効率よく処理していくしかなかろうが、それはもう「創作」ではなく、一種の「下請け」に近い。

漫画という創作物は仮想現実を通じて何が出来るかを現実社会に訴える媒体でもある。漫画家は夢を売る商売であって、過去に流行ったモノをシュミレートする骨董品のレプリカ職人ではない。

新人漫画家がもしそんなものばかり描かされる世の中になったら、商業漫画はとても退屈極まりない斜陽の場になろう。

寂しい話ではある。


2002年10月1日

971mb

手元の気圧計が本日の20時30分頃に記録した最低気圧の数値。

ちょうど東京23区上空を台風21号が通過していった時間だ。

誰が言ったか知らないが「戦後最大級の台風」と呼称された台風21号。

60km/h以上のスピードで関東地方を北上していったのは確かに異色な台風と言えようか。僅か3時間半の間に気圧が24mbも下がったのは吃驚した。風速も千葉勝浦市で50.5m/sを記録したのだから決して弱い台風ではなかった。

でも、いままで経験した台風と比べてみると強烈な印象はない。

憶い返すと昭和30〜40年代の台風は猛烈なのが多かったと記憶する。

子供の頃、真夜中にやってきた台風は正に恐怖だった。猛烈な風と雨。電線の鳴る音。木々の軋む音。時々停電して真っ暗になる闇。当時は気象衛星画像に基づく正確な台風情報などなく、段々と強くなる風雨をひたすら家の中でやり過ごすしかなかった。今では想像も出来ないが、東京23区内の山の手でも台風の度に避難の準備をしたものだった。

台風が抜けた翌朝、外に出てみると巨木が倒れたり、傾いたりしているのを見て、家の下敷きにならなくてよかったと胸をなで下ろした程だ。当時は本当に台風で何百人も死ぬ時代だったし、その位犠牲者が出る程の強烈な台風が続けざまにやって来たのだ。

それに比べ、最近の台風は恐いという印象がない。やはり小粒になったのだろうか?

確かに家屋が万単位で倒壊したり、車や電車、飛行機が吹き飛ばされて甚大な被害が出るような風台風は近年、関東地方に上陸していない。

最後に記憶に残っているのは、1979年(昭和54年)10月末に日本を縦断した台風20号だろうか?

一時、870mbという観測史上最低の中心気圧を記録した巨大超駑級台風。上陸時なおも960mbの勢力を維持し時速80km近くの高速で列島を駆抜けたため、大きな被害が出た。

当時、自分は八王子の大学に通っていたのだが、運悪く下校時の京王線内でこの台風の直撃を受け、8時間程車内に閉じ込められてしまった記憶がある。この時は都内の全鉄道がストップするほどの事態になった。首都高を走っていた車も横倒しになる程の暴風が吹き荒れたのだ。ちょうど首都圏のすぐ西側を台風が通過したため、危険半円に入り、暴風の洗礼を受けた形となった。

それ以来、首都圏には猛烈台風が来襲していない。

ただ、台風は例年、似たような経路を辿るクセがあるため、もし今回の台風21号と同じような経路で更に強力な台風が10月末にやってくる可能性もある。事実、1979年の台風20号の時もそのパターンだったのだ。

それはさておき、昨今のマスコミが取り上げる台風情報はどこか余興っぽいところがある。報道する方も観る方もどこか「楽しんでいる」気がしてならない。

最近、よくJR新宿駅南口から中継する場合があるが、アナウンサーの背後で携帯片手に騒いでいる輩が多い。ほとんどお祭り状態だ。台風情報として何の意味も成していない。

これはみんな「洒落」・・戯れ言で台風情報を扱っているのだろう。

実際、強烈な台風が本当に首都圏に来襲したら、そんな形骸化された台風情報などやっている暇はない。

それ以前に停電して誰もテレビを観る事もないだろうが。


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