2002年7月・8月・9月

2002年9月28日

「ちっちゃなフォトグラファ−」

NHKの「みんなのうた」で8月から放映されていた歌。それに合わせて作られた他愛のないアニメが可愛い。そこに出てくる女の子(5歳位?)が父親の一眼レフで写真を撮っているストーリーなのだが、そのシンプルな絵柄が美味しい。

女の子には名前があって「なつみ」と呼称されているらしい。

で、その父親も出てくるのだが、おそらく歳は20代後半だろうか?

自分よりずっと年下である。そちらの方が何故か気になったりする。

カプセルトイ『海洋堂新世紀エヴァンゲリオンエントリーカプセルシリーズ』第5弾。

全6種の中にアダムがあってこれがよく出来ている。

人の下半身がたくさん付いていてそれをアダムの身体に差し込むのは妙な気分。

でもロンギヌスの槍がないのは残念。


2002年9月25日

『太陽にほえろ』とプロ野球。

30年近く前の刑事ドラマ再放送をぼう〜っと観る。今では滑稽にしか思えない「純真な女心」が、このドラマ内ではちゃんと成立している。そんな時代もあったのだ。

プロ野球も何やら優勝チームが決まったようだ。これも30年近く前からずっとお馴染みのチーム。

だがこちらは再放送ではない。2002年の出来事なのだ。

川上が原に、王が松井に、長島が清原に変わっても「巨人、大鵬、卵焼き」はまだ健在ということらしい。

携帯の時代に黒電話は死なず?


2002年9月24日

錆(サビ)と黴(カビ)。

先週、靖国神社内にある「遊就館」という戦争博物館のような施設を見学する。

最近、リニューアルオープンしたらしく綺麗に整備されていた。明治維新から第二次世界大戦までの日本が如何に闘ってきたかを数多くの展示物で紹介していた。

歴史観については大局的に説明しており、それなりの説得力はある。近代日本が中国大陸への進出に固執した理由も分りやすい図表で示されている。

興味深かったのは、戦前行われていた殉職将兵の霊を呼び集める祭事「招魂祭」の実況再現。毎回NHKが靖国から実況生中継していたそうだ。

このような神秘的宗教行事が国家主催で行われていた事実は記憶に留めておく必要があるかも。

それはさておき、展示物の多くは、錆と黴と血糊に塗れたものが目立つ。高温多湿な環境下、土に還る運命である鉄や紙や木の類は朽ちるにまかせた方がよい気がした。

戦地から持ち還った数々の遺品もボロボロに錆びてセミの抜け殻のよう。

だがそれ以上に圧倒されたのは遺影と遺書の山だ。

俗世の者が触れてはならぬ、忌むべき黄泉国からのメッセージのように感じられて恐怖に囚われる。

ここは生と死が等価値である時代に生きた人々のパンドラの箱なのだ。

はたして、これらの写真、書状を閲覧する方も、させる方もその覚悟や資格はあるのだろうかと考えてしまった。

旧軍の兵器も幾つか展示されていたが、軍事的興味はあまり湧くことはなかった。やはり何かお墓のお供えものにしか思えず気持ちが沈む。

展示コースの出口付近に記帳するスペースがあり、見学した者が各々感想を記すノートが置いてあったのでちょっと読んでみる。戦中を過ごした年配者、10代の若年者、ハングル語、中国語、英語の書込み等、広範囲に渡る人々の感想で一杯だ。インターネットの掲示板とは違い、各々の筆跡から読み取れる「気」みたいなものが垣間見れて興味深い。

さて、見学を終了した後、ミュージアムショップに寄ってみた。

神道や靖国のグッズ、関連本に混じって何故か小林よしのりの著書が置いてある。

「なんか違うよなあ・・」

と心の中で呟いてしまった。

この妙な違和感はたぶんあの大量の遺影と遺書を見たせいだろう。

展示館から出ると外は清々しい秋の快晴であった。


2002年9月20日

商業誌活動再開に向けて。

『アワーズライト』休刊後、新たな商業誌での作品発表の場を捜していたが一部メドが立ちつつある。

先日、絵コンテ作業が終わり、やっと作画に入れるところまで来た。

但し、現在の段階では掲載誌、及び掲載時期について発表出来るような状況にないのでしばらくお待ち頂きたい。確定的になった段階でお知らせする。

月刊の漫画誌であることは確か。

一方、単行本化については協力いただける方々のご助力を頂き、現在も各方面で交渉中であるが、今のところ版元が決まるに至っておらず。

引き続き、この場にて単行本化に賛同して頂ける出版社、編集者の方からの情報をe-mailにてお待ちしております。

また、好評頂いている電子書籍版『快晴旅団』だが、10月にちょっとしたトピックスがある。

これも現段階では詳しく発表出来ないが許可が下り次第、ご報告する。


2002年9月17日

おはガールフルーツポンチ。

テレビ東京で平日朝放映の『おはスタ』という番組で毎回7時前に流されている妙な5人組少女のプロモビデオ。バトントワラー風の構成なのだが、あれは何なのだろう?

あのバトン棒が魔法少女っぽくもあり・・。

別にどうでもいいのであるが。


2002年9月15日

寒い。

9月上旬まで続いていた残暑が一転して寒いくらいの涼しさに。

それにしても蚊が多い。残り少なくなった活動期を逃すまいとに死物狂いで血を吸いに来る。

期限や〆きりが有ると無いとではエネルギーの集中度が違うのは人間と同じか。


2002年9月11日

『ラーゼフォン』放映終了。

フジテレビで放映されていた連続アニメ『ラーゼフォン』が全26話の放映を終えた。

とにかくも優秀なスタッフを集めて制作されたその企画意図と高水準のクオリティーに敬意を表したい。

反面、放映したテレビ局の無為無策によって、一部のアニメファンにしか受け入れられなかったのは残念である。はたして何人の者が一回も見逃す事なく全26話を鑑賞出来たか疑問だ。

夕方から深夜への放映時間移動に始まり、不規則な放映時間変更、ナイター延長による遅延、メンテナンスによるブランク・・。これでは「見るな」と言っているようなもの。

もともとこのテレビ局が肝を入れた企画ではないようなので仕方ない部分はあるが、それにしても酷いものだ。本来ならスペシャル番組とか作って盛り上げたりするものだけどね。

それはさておき・・

シリーズ全体としての率直な感想は、ハイクオリティーな作品にも拘らず感情移入しずらいストーリーだったということか。

唯一、バーメム・チルドレンを描いた回「子供達の夜」が素晴らしい出来であったと記憶する。

とにかく何をおいても主人公がダメだ。

あれほどの容姿を誇り、数多くの女性から慕われ、何不自由なく生きる青年が何故に葛藤しているのかさっぱり解らないのである。あんな男は葛藤しない。世の中上手く渡っていける男だ。1人の女性を愛し続けるなんてこともしない。なぜならそれが愚かな行為だと解っているからだ。彼のような男にとって1人の女性に愛し続けられるというのは鬱陶しいだけなのだ。

そんな男がよく解らないことに葛藤しているのである。

もしこのストーリーで主人公の設定をするならば器量の悪いさえない気弱そうな男でないと成立しない。

そういう男なら葛藤する。現実を逃避し、仮想現実たる神との融合を願うかもしれない。それで観ている者は共感するのだ。

あと全体的に解り難い構成であったこと。

登場人物の各々の関りを知るためには何回かリピートしないと見えてこない。最終回を観終わっても人間関係がよく解らないのである。それが演出効果なのか未消化の結果なのかは解らないが。

まとめ。

この作品が『新世紀エヴァンゲリオン』を踏襲して作られているのは否定出来ない。

神話と科学技術の融合による新たなる人類の進化を身近な少年、少女の葛藤に絡めて説いていく。そしてそれが現世に生きる若年層へのメッセージとなる。

単純にこの2作品を比較するのはナンセンスであろう。作られた時期や意図、それに観る者の視点の違いもあり、優劣は付けられまい。

ただシリーズ終了時点でどれだけのヒトの心に影響力を与えたかという視点に限って言えば論を待たない。

『ラーゼフォン』は結局、従来のアニメファンという狭いマーケットの中の出来事で終わってしまった。

それは同時に、放映したTV局の冷淡さから解るように「アニメ」が大人の文化として今だ根付いていない証拠であろう。『エヴァ』放映時に盛んに論じられたアカデミズムな評価も今や皆無だ(当時は一般書店にまで「死海文書」が並び、『ウテナ』『ナデシコ』『コドチャ』などのアニメまでが謎本化されたり評論の対象になった)。今、書店にアステカ文明の書籍が並ぶ事もない。

来春、映画化やゲーム化される予定だそうだが協賛するメディアとか企業はあるのだろうか?「宮崎アニメ」をバックアップする日本テレビのように宣伝に金を掛ければヒットが期待出来るが、フジテレビにその気があるのか甚だ疑問。

以上、『ラーゼフォン』を観ていないと何が何だか解らない日記でした。


2002年9月9日

不快なCM。

TVを観ているとどうしても嫌な映像やセンスの合わないCMに遭遇する時がある。

まあCMだからすぐにチャンネルを変えれば済む事なのであるが。

最近、清涼菓子のCMでこんなのがある。女性が缶詰を開けると中から裸のカップルが出てきて息を吹き掛けるというものだが、その缶詰から半分覗くカップルが芋虫のようで気持ちが悪いのだ。大きい肌色の芋虫が2匹絡まっているようで、そんなのが缶詰の中から出てきたら悲鳴を上げてしまうだろう。

その上、そのカップルもなんかギトギトした男女で不快を煽る。清涼感の欠片もないカップル。

清涼菓子のCMとしては逆効果としかいいようがない。

おそらくリアルな実写に近いCGで表現したのが問題だったのかもしれない。可愛いアニメ調で作ればそれなりの効果が出たろうに。

少なくとも自分はあのCMで製品を買いたいという気は起きない。


2002年9月6日

百日紅(サルスベリ)。

庭の真ん中に百日紅の木があって華を咲かせているのだがやたら寿命が長い。

半月位咲いている。次々と新しい蕾みが出来ているらしい。

でもアゲハチョウは百日紅の華はあまり好みではなさそうで通り過ぎるだけ。


2002年9月3日

ナース。

9月に入ったのでトップ絵を更新してみる。

フジテレビで看護婦ドラマを放映しているのだが、最近そこに安達祐実が出ていることに気が付いた。

安達祐実みたいな看護婦さんが本当にいたらきっと人気者になるだろうな。

NHK『プロジェクトX』で日本語ワープロ開発秘話のようなエピソードを放映していた。

その中で最も手間取ったのは漢字変換だったそうだ。

考えてみると生っ粋の日本人でさえ同じ音読みの漢字を間違いなく書き出せるか疑問なのに、それを機械にさせるというのだから途方もないこと。

そもそも正しい漢字変換って何なのだろう?

時々、文章をこうして打っている時、はたしてこの漢字でよいのか迷うことが多々ある。あと正しいとずっと思い込んでいた漢字が後日になって間違って変換されている事に気が付くこともある。

更にはどちらを使っても日本語として成立する漢字もあったりするから厄介なのである。

人間でさえ間違いに気が付かない曖昧な漢字のごとき文字を機械に判別させる試みというのはある意味、狂気の沙汰に近い。

象形文字は言葉を絵に置き換えるようなものだ。

ワープロほどファジーな機械は他にあるまい。


2002年9月1日

コミティア。

この夏を締めくくるイベント。久しぶりの東京流通センター。

ご来場に感謝。

今回はいろいろ差し入れを下さる方がいて大変助かった。実にありがたい。

余談だがコミティア会場でもWTM(食玩の戦車)度が高い。いくつかのブースの中でパッケージを開けている光景を見た。

家から持ってきた訳でもなかろうから、おそらくTRC付属のコンビニで暇つぶしに購入したのであろう。

夜、湾岸に出る。150年程前、江戸の守りの為に造られた人工砲台の周りはアベックだらけ。車や電車の行き交う明かりが幻想的。

とりあえず餓えや差し迫った生命の危険がない時代であることを実感。

いったい150年後はどんな光景になっているのであろうか?

見上げると天頂付近にこと座のベガが輝いていた。


2002年8月31日

絵になる空。

盛夏が戻って真っ青な空に積雲が浮いている。メリハリのあるコントラストのハッキリした空だ。

実に「快晴旅団」っぽい。

人生もこんなメリハリのある空のようであってほしい。

画廊。

久しぶりに会った学生時代の知人と共に吉祥寺の画廊『ギャラリー人(jin)』に赴く。

知人は吉祥寺周辺の画廊や絵本展を観て周るのが趣味だそうで、今日はそれに同行させてもらう。

開催していたのは石川綾子展。

22歳のまだ若い女性画家の個展だ。

こじんまりとしたそのギャラリーに13点ほどの抽象画が展示されていた。

青色を基調とした透明感のある絵がBGMと程よくシンクロしていて妙に心地よい。

御本人もおられてフレンドリーに話し掛けてきた。その上ファイルにストックしてあった未展示の作品まで懇切丁寧に見せていただいた。たまたまその時、画廊内の客が我々だけだった事も幸いした。

いずれにせよなかなか感じの良い人であった。

同行の知人によれば、画廊で本人が一見のお客に積極的に話し掛けてくる例は少ないという。

今回はかなりラッキーだったようだ。


2002年8月29日

WTM第2段。

食玩の戦車シリーズ第2段。今回は潤沢に出荷されたようでどこのコンビニに行ってもたくさん置いてある。

バラバラに任意に11個買ってみたが今回はダブりが多い。スターリン戦車が4個も出てしまった。シークレットの赤いタイガー戦車も出たがあれはいったい・・。なぜかKV1が出ない。

『ラーゼフォン』

あと一回を残すのみの放映となった。

前回も書いたが登場人物が次々死んでいくというのは何と言うか・・ノスタルジーな玉砕アニメの反芻にしか感じられず創造力を減退させる。

とにかく主人公の行動が一貫していない。何で「神(ラーゼフォン)との融合」(なのか?)を決意する気なったのか観ている方としては解らない。心の葛藤をしたかと思うといきなり新興宗教の教祖みたいな語りを始めるのは支離滅裂。そこに至る下地がないので感情移入出来ないのだ。

この主人公って第一回目と何ら成長してないと思うのだが・・。

あと登場人物の数が多すぎるのは最後まで痛かった。観ている方は焦点ボケを起こしっぱなしであった。女性キャラだけを取っても10人以上いたし。その上重複して突然現れたりするものだから訳が解らない。

唯一気になったのは「○○○○○○のD」こと一色真(だったかな?)。

『エヴァンゲリオン』以降、それに影響され踏襲し再構成を試みた数々のアニメ、漫画、ゲーム等の行く末を、この一色真が代弁しているような気がする。

そこまで計算に入れて作っているとしたら興味深い。

いずれにせよ一色真だけ妙に親近感が持てる。立場が似ているからかな(爆)?


2002年8月27日

コンパス。

都内でも磁気コンパスが役に立つ事がある。初めての場所に行く場合、勘で歩くととんでもない所に出てしまう。市街地だとTVアンテナの向きで方角を探ることも出来るが、磁気コンパスの方が便利。

今回は代々木周辺で役に立ってくれた。

道案内も人生も正しき方向を示してくれるコンパスのような存在が不可欠なのだ。


2002年8月26日

晩夏の情景

庭の薮の中をクロアゲハがスイスイ飛んでいる。

柑橘系の植物が多いのでアゲハ系のチョウチョがよく集まってくるのだ。ふと見上げると庭の上空にはトンボがぐるぐる旋回しながら餌を捜している。

昔だったら当たり前の風景が今だと幻のように思えてしまう。

『アイアン・ジャイアント』

深夜、テレビを灯けたら、妙な雰囲気のアメリカ製アニメを放映していた。

しばらくしてこれが噂の『アイアン・ジャイアント』だと気がつく。

60年代東映長篇漫画の雰囲気で、何でこれが90年代後半のアメリカで作られたのか不思議である。

多分、シナリオは30年近く前に作られて、お蔵入りしていたものが何かの幸運で企画が通ってしまい、アニメ化されたのではないかと・・。

ラストは続編がありそうな終り方だったがはたして・・。

でもこういった反戦的内容の作品は今のアメリカでは受けないだろうな。続編があるとしたら星条旗を掲げたアイアン・ジャイアントがアメリカの敵、イラクやイランをこてんぱんにやっつけてニューヨークに凱旋、貿易センタービルをあっという間に再建しアメリカ市民から喝采を浴びるストーリーになろうか。

あまり観たくはないが。


2002年8月23日

今日も昔の同人イベントネタ。

自分の自費出版物を頒布する目的で、同人イベントに初参加したのは、1994年のことである。つい8年前のこと。

実はそれ以前に、自分の意思で同人イベントに赴いたことは一度も、ない。

1970年代後半〜1980年代にかけては学漫時代に数回会場に行ったことはあるが、それは部活動の一環に過ぎなかったし、昨日述べたサークル「S」が一度だけイベント参加した時も自分の意思とは言いがたかった。

所詮は部外者であり、傍観者であった。

現在のスケールと比べ、1/50にも満たない(コミケット申込書に記された1980年前後の参加者は1万人弱)20年以上前の同人イベントは「お祭り」というよりも、妙な内向きベクトルと、社会に対するアンチズムが漂っていたような気がする(基本的には今も同じなのだが)。

まだ「ヲタク」なんて言葉がなかった頃、漫画同人界はアニメファンを中心とするミーハーなサークルとそれに反発する創作系サークルで妙なバランスが出来ていた。当時は「漫画芸術論」のようなアカデミズムな議論も活発だった。商業誌では大友克洋等の「ニューウェーブ」派が台頭してくる少し前。『ヤングジャンプ』が創刊された頃だと記憶する。

そんな中、1979年頃の朝日新聞に当時の同人誌イベントについての興味深い記事があった。

「若者の風景」というコラム。タイトルは「マンガ芸術論」。

名古屋で開かれていた同人誌展示即売会の取材記事の中、記者のインタビューにこのイベント主催者はこう答えていた。

「マンガ文化興隆のためにこの即売会が何を果たせたのか。ダメですね。ただ表層的なブームを呼んだだけですよ」

「御覧の通り、15歳から23〜4歳、女の子が多いでしょ。ミーハーですよ。僕らは一流商業誌を超える漫画の質を同人誌に求めた。なのに商業誌の亜流をはびこらせる結果になってしまった。その責任を感じます」

なんとも皮肉な言葉である。

それから20年後、漫画同人展示即売会が当時の50倍以上の規模に膨らみ、商業誌にまで影響を与える程になり、その質も商業出版を凌駕する程にまで至る未来をこの主催者は予想したろうか?

そしてその原動力が当時「ミーハー」と呼び蔑視した参加者の拡大によって成されたということを。

好むと好まざるに拘らず、「数は力」となって情況を変革してしまった。

現在、同人イベントに参加している創作系サークルも、いわいる当時で言う「ミーハー」(もう死語に近い)層に支えられている。誰も彼女、彼等を否定する者はいない。歓迎すべき「お得意様」なのだ。

先のインタビューで主催者はこうも語っている。

「商業誌にあきたらない人が一人でも出てくれれば・・。その一点のために裏方だけはやってるんです」

少なくともその願いは20年後、道筋は違ったかもしれないが成就されたような気がする。


2002年8月22日

20年前のコピー会報誌。

本棚の一角にA5サイズの古いコピー誌の束がある。

1980年代、少しだけ参加していた創作漫画同人サークル「S」(仮称)の会報だ。

参加といっても時たま会合に誘われる程度の関係で正規のメンバーでもなかった気がする。単なるオブザーバーみたいな存在に過ぎなかったが。

当時の創作同人サークルは今から考えると滑稽なほど古典的なグループも多かった。コピー誌はおろか肉筆誌(原稿をそのまま製本したもの。当然1冊しか出来ない)を会員が回覧して批評し合うのが主流だった。現在のように手軽に安くオフセット印刷が出来る環境などない時代。同人誌即売会も初期のコミケやMGM位しかなく、その規模も今の1/50以下で市場と呼べるようなものではなかったのだ。

そもそも古典的創作同人サークルが自分達の作った同人誌を部外者に売るという行為自体珍しかったのだから。

その「S」サークルもそういったグループの一つであったので活動の中心はもっぱらミーティング。当時、作品批評のため月に一度程、新宿の喫茶店で会合がが開かれていた。自分も不定期的に参加したことがある。ただその当時、自分はすでに商業誌に執筆中でこういった同人活動にはほとんど興味がなかった。

何かとても狭い領域に自分達の創作物を閉じ込める閉塞感が肌に合わなかったのだろう。創作は生活の手段であり、自己表現の手段である以上、より多くの人を対象にしなければ意味が無いと考えていたので古典的同人活動には違和感があったのだ。

それでも主宰者の強い熱意に押されて、その「S」サークルとの付き合いは10年近く続いたろうか?

年齢的にも会員は自分と同世代ばかりで親しみの持てるサークルであったが、その付き合いも1990年代前半までだったろうか?いつしか連絡も疎遠になり、会報も送られて来なくなった。風の便りではもうこのサークル「S」は休止状態だという。

女性会員はほぼ全員が結婚し、家庭に入っているようだし、男性会員は各々の道を歩んでいるようだ。プロのクリエーターも多くいらしたようだし、年代的にも第一線で活躍されている方もいるようだ。

だが自分の知る限り、今でも同人活動している会員の話は聞かない。

皮肉にも、当時、まったく同人活動に関心がなかった自分が、2002年の今、最もアクティブに活動している現実を思うと複雑だ。無論、今自分がやっている個人サークルとしての同人活動と当時の「S」サークルとでは活動の中身が根本的に違うので、単純比較しても意味はないのだが..。

にしても、サークル「S」に所属していた彼等を同人イベント等で見かけることは一切ない。たまにメールなどで(メール環境すらない同世代の仲間もいる)連絡があっても同人の話題が出る事はない。

現在、同人として接点があるのは、自分よりも優に10歳以上年下の世代ばかり。いや、下手をすると20歳年下場合もある(爆)。

そして時々、想うのだ。

「自分は正しき道を歩んでいるのだろうか?」と。

それはさておき、この「S」サークル会報を久しぶりに捲ってみる。

ゲスト原稿で描いた自分のイラストや漫画をみつけるとさすがに赤面ものである。大抵、過去に描いたものは見るに耐えなくなるものだが、ここに描いたものは格段恥かしい。逆に、当時何とも思わなかった他の会員の絵がとても上手く感じたりするのは不思議だ。

今、この会報に綴られた諸々のメッセージやイラスト、漫画を読み返していると妙な気分になる。

懐かしさというよりも、過去をこうして傍観している自分の何とも言えない不可思議さが痛いのである。

この痛みは何であろうか?


2002年8月21日

西高東低の気圧配置。

これではまるで冬の天気図である。台風13号崩れの低気圧が北海道の東で発達して大陸からの涼しい気団が日本列島に流れ込んできている。

8月に「冬」がやってきた。

『ラーゼフォン』

そろそろ終焉に向かう展開のようだが、結局自分にとって思い入れ出来るような作品にはならなかったなあ。「世界を調律」することがメインテーマらしいがそれを映像で表現するには、あまりにも設定が乱雑過ぎる。対立点も人間関係も解りずらいまま。

玉砕シーンは80年代に乱造されたロボットアニメを踏襲しているようで褪めてしまう。

何よりもこの作品を共に論じられる共有の場が最後まで出来なかったのが痛い。『ラーゼフォン』を話題にしようにも殆どの人が知らないのだ。

後でDVDで観れば良いみたいな作品では一部マニアの嗜好品で終わってしまうだろう。

それが残念である。


2002年8月19日

猛暑終わる?

台風13号が接近し、関東地方に北東気流が流れ込み、一気に涼しくなった。

先週は8月にしては珍しく澄んだ青空が広がり、都心からも富士山が眺望出来た。北海道から東北北部に掛かる前線からの下降気流が関東に晴天をもたらしたのか?

今年は世界的に見ても大雨と干ばつの両極端な気候が目立つ。

蝉時雨に混じって秋の虫の音が聞こえてきた。

ある要素に関しては時は早く、また遅くにも感じられる。

時とは何ぞや?


2002年8月14日

同人。

同人とは何ぞや?と思う事がある。

アマチュア漫画家と称するのは奇妙だし、プロ予備軍とも言えない。

また文学でいう同人とも違う。

コミケ等で言う同人とは、いわいる漫画の同人誌を自費で作ってイベントで売るのを趣味としている人達の事。ただその9割近くは既存のアニメや漫画、ゲーム、芸能人をパロディーにした漫画。オリジナルを描いている人は少数派だ。

さて、そもそもプロ漫画家が同人誌を描くという情況はちょっと説明しがたいものがあろう。ひと昔前なら、同人誌はプロになる前のアマチュアが作るものと相場が決まっていた。プロは同人誌を作らないのが一般的だった。なぜならそんな時間もメリットも大してなかったからであろう。オフの時まで漫画を描く理由はなかった。

ところが今はどうだ?

結構有名な売れっ子漫画家までが自費出版で同人誌を発行しているほどの盛況ぶり。

言うまでもなく、そこにメリットが発生したから作るのである。

通常、自分が自費で作ったものを売買する場はフリーマーケットと称されるイベント。だがこの規模のイベントで利潤が上がる事はまずない。精々身内が買っていく位。

ところがコミケットクラスの漫画同人誌イベントになると情況が一変する。人の数と規模が違うからだ。

中間に何も介さず、自由な表現が出来、直接ファンと交流し、その上ある程度の利潤が見込める。

プロ漫画家にとっては、コミケクラスのイベントはレッキとした市場であり、アピール、宣伝の場なのだ。だからこの情況が続く限り、プロ漫画家の参入は今後とも増えていくだろう。

だがプロ漫画家はあくまで漫画を職業とする者であって同人ではない。

一方でこういったイベントを支えている大半の参加者は、先に述べたパロディー創作同人だ。彼等は趣味としてパロディー漫画を描いているだけで、プロ作家のように市場を求めている訳ではない。だから同人活動に興味がなくなればそこから去って行くだろう。

同人が減り、イベントの規模が縮小すれば、プロ漫画家が自費出版するメリットもなくなる。

プロが同人誌イベントに参入しているのは、この巨大な同人人口の規模が維持されているからこそであろう。

はたして今後、同人人口が増え続けるかは解らない。ただコミケットが今後とも延べ30〜50万人の集客力を維持出来たら、きっとこの情況は変わらないと思う。

無論、儲けなど求めず、静かに自費出版を続けたいプロ漫画家もいる。

彼等にとっては同人イベントの規模など問題ではないのだ。

ある意味、そういった人々が「真の同人」と言えるかもしれない。


2002年8月13日

宴の後。

今回も盛況だったコミケット。

参加し始めてから今回で8年目になろうか?

いろいろな意味でインパクトの大きいイベントである事には変わりなかろう。3日間で延べ45万人近くが参加すると言うのだから尋常ではない。

「数は力」である。どんな奇異なものでも、ある程度のレベルを突破すると立派な文化となる。メディアがほとんど取り上げないのにこれだけ人が人を呼ぶ情況を維持出来たのは何故だろう?

この情況に加速を付けたのは、おそらく1995年〜97年にかけて起こった『新世紀エヴァンゲリオン』ムーブメントに他ならない。今までコミケとは無縁だった人達までも巻き込み、このイベントのステージアップが計られた。ある意味、壁が崩れたのだ。

その高揚感の中でコミケはあらいる人を引き付けた。当時は本当にコミケに興味なさそうな人まで参加の意思を示した例が多かった。オリジナルしか描かなかった自分さえ『エヴァ』だけは別格だった。あの時の盛り上がりは本当に凄かった。創作環境にしろ人間関係にしろ『エヴァ』を話題にするだけで全てが好転したのだから。

『エヴァ』を拠として一種の核融合が起こったのかもしれない。

臨界点を突破したのだ。

あれから5年。

情況は随分と落ち着いているように感じる。万人を取り込むような作品はあれ以来出現せず、若干また閉鎖ぎみの感もある。熱気はまだ維持されているものの、新しい血が当時のようには注がれなくなった気もする。

一方で、参加年齢層が幅広くなって妙な落ち着きもある。親子連れとか高校生の制服(コスプレではない)なんかを会場内でちらほら見かけるようになると、以前のような特異なイベントという印象がやや薄れてきたような感もある。

そういう意味では、あの『エヴァ』で盛り上がった高揚感が懐かしい。

特にあの高揚の中で完全なる成就を得られなかった者にとって、次なる怒涛を期待せずにはいられないのだ。


2002年8月11日

コミックマーケット本番。

まずはスペースへ御来場頂いたファンの皆様にこの場を借りて御礼申し上げる。

36C猛暑の中、わざわざ足を運んで頂き感謝。

でもこの暑さ、昔の晴海を思い出して気合いが入る。

新刊の出来もまずまず。(でも誤字が・・)。

それはさておき、自分にとってはかなり無茶な情況で参加してしまったことを反省しなければならない。

昨年の冬に続き、売り子がいない。

事前にいろいろ手配したのだが全滅。個人サークルの場合、「堅気」の友人や同業者、創作ユニットの相方に売り子をお願いするのが通例。しかし御盆も重なり友人関係は尽く帰郷か旅行、あるいは仕事で都合がつかず。更に今回はユニットを組んではないので相方もいない。こんなパーフェクトな年も珍しい・・。

結局、2回連続の単身参加。正に無謀であった。

前回は幸いにも知人が別のサークルに参加していたお陰でお手伝いに来てくれたが、今回はそれもなし。猛烈な暑さの中、ペットボトルのドリンク1本だけで朝9時から夕方4時までずっと自分のスペース内に座りっぱなし。無論トイレにも行けず一切食事無し。こんな状況下、独りで本の販売、訪問者への応対、スケブ等をやるのだからパニックにもなる。

本の販売中に知り合いが訪問してくれた事も多かった。だが気が回らず顔と名前が一致しない。やっと思い出した頃には、もうその知人は別の所へ。それを気にしていると今度はお客さんへの応対が散漫になる。更に同時に頼まれたスケブや色紙に絵を描いているからもう何がなんだか解らない。そのうちペットボトルが空になる。お菓子やドリンクの差し入れ位はあるだろうと淡い期待もあったが(笑)それもない。然りとて補充する手段も時間もない。激しい喉の乾きに悩まされながら熱気に耐えるしかなかった。

もう一杯一杯だったそんな時、いつも愛聴しているラジオ番組のDJアシスタントがセーラー服姿のコスプレでやってきた。恥も外聞もなくちょっと手伝ってくれないかと哀願してみるが・・あっさり拒絶される。薄情である(笑)。

そう、結構ラジオ関連(コミュニティーFM)のスタッフやリスナーの訪問者は多い。マメに交流しているからだが、なかなか手伝いを頼めるような情況にはならない。売り子の場合は長時間ブースの中でやり取りしたり、お金を扱うので、ある程度の信頼感が必要。ラジオの場合、マメに交流といってもエアー上のことでオフエアー(ネットでのオフラインに相当)で交流することはめったにない(特にスタッフの場合)。だからこういった頼みごとは難しい。

いずれにせよ最後はへとへとに。

次回は慎重に売り子を手配しなければと心に誓ったのであった。

余談だがイタリア人のコミックファンが『聖処女13騎士団』を手に取り、何か呟きながら買っていった。

喜んでいいのかな?


2002年8月10日

3日間だけの社交場。

連日、抜けるような晴天の下、東京ビッグサイトに赴く。

今日は知り合いがスペースにいるので陣中見舞い。実はその知り合いはすぐ近くに住んでいる。歩いて20分もかからないだろう。

でも普段はほとんど会うことはない。知り合いは勤め人なので生活パターンも違うし、常時連絡を取り合う仲でもない。時たまメールのやり取りをする位。でもコミケという場ではなぜか自然に会えてしまう。妙な社交場である。

おそらく、お互い近郊に住んではいるのに会うのはコミケの年2回だけという例は意外と多いのではないだろうか?

ポストカードなどを刷ってみる(TOP絵参照)。MD-5000は画質は良いが刷るのに時間がかかりすぎる。

大した数は刷れないが明日のコミケと9/1のコミティアで販売予定。


2002年8月7日

森永エールチョコレート。

テレビでちらっとこのCMが流されていた。もう30年近く前のCMだが、今でもあのインパクトは凄いモノがあった。あっという間に蘇ってくる。

有名な指揮者が陳腐な気球のセットの中で大袈裟にタクトを振りながら唄うのだ。

「大きいことはいいことだ!50円ならいいことだ!ドーン」

すると群集がこのチョコレートを高く掲げるのだ。

たかが板チョコにこれほど馬鹿騒ぎするCMも珍しい。というよりそういう時代だったのだろう。

当時、このTVCM以外にも巨大な吹き流しに商品名を書いたものを航空機に曳航させたキャンペーンまであった。実はそれも見た事がある。

森永エールチョコレートCMは本当に凄かった。そこまでして宣伝するあのエネルギーは何だったのだろう?


2002年8月6日

鰯(イワシ)。

NHK総合で夜、BBCが製作した海洋ドキュメントシリーズのような番組をやっていたので観る。

この日は「海のハンター」と題し、大形魚や海豚、海鳥が如何にして小型魚を補食するかを迫真の映像で紹介していた。なかなか説得力のある映像で、いったいどうやって撮ったのだろうと感心する。

なかでもイワシの大群を次々と大形魚が補食する映像は凄いものがある。イワシにとっては逃げ隠れ出来ない大洋の中、巨大なボール状の集団となるしか生き残る手段はない。猛烈に回転するイワシの大群はそれだけで一つの巨大生物のようだ。が結局は全部食べられてしまう。

イワシは大形魚や海鳥、クジラ、そして人間の栄養源になるためにのみ生きているがごとし。

イワシという漢字が魚偏に「弱い」と書く理由が解ったようなような気がする。

人間の大半も人偏に「弱い」と書かれる「人間イワシ」みたいなものなのかも・・。

誰かの栄養源にされるだけに生きているのだ。

『ラーゼフォン』

久しぶりに観る。これほど放送時間が不規則ではチェックしきれない。そろそろクライマックスのようだが情況が複雑過ぎて把握出来ず。把握出来なくとも流れだけで楽しめる場合もあるのだが、どうもそういう感じでもなし。

劇中、主人公が必死になって絵を仕上げているシーンがあるのだが、写実的な絵をあんなふうには描かないだろう。もっと岡本太郎風な抽象画なら説得力あるが。それにどうも主人公とその恋仲の女性に感情移入が出来ない。安っぽいトレンディ−ドラマを連想してしまうのだ。

一方、作画は相変わらず高水準。アングルとかも気持ちがよい。駐車場に捨てられたファーストフードの空き箱が夕日に影を引いている絵はナイスだ。

それはさておき、テレビ東京で『ROBIN』とかいうアニメを放映しているのを見つける。

これまた高水準の作画。

こういう作品が大した宣伝もされず、人知れず深夜放映されている情況ってやはりヘンだ。


2002年8月4日

阿佐ヶ谷たなばた祭。

飾り付けられたアーケード(パールセンター)を何年かぶりに全部観て回る。

日曜とあって凄い人出。浴衣姿多し。やはり祭りの場には浴衣姿の女の子が似合う。なんかほっとするのだ。茶髪に浴衣はどうかと思うが派手な露出系ファッションよりはマシ。

アーケードにはお約束の流行りのアニメキャラクターが吊り下がっている。各々の店独自の飾り物も昔から変わっていない。

夜の10時頃、雷雨の上がった濡れた道に反射する電飾光が、まるで映画のセットのようだった。


2002年8月3日

亜麻色の髪の乙女。

阿佐ヶ谷某BARで恒例となった謎のバイオリニストコンサート。

この日初めて彼女の奏でるドビッシーを聴く。この曲は冨田勲のシンセサイザーで聴いて以来、お気に入りだ。

ところで彼女はいわいるプロ演奏家として365日活動している訳ではない(と思う)。むしろ生活のために日々雑多な用事に追われていることが多いようだ。彼女に限らずそういう環境に置かれたクリエーターは自分の創作演奏活動を発表する場を維持するために様々な努力と手間を要せざるを得ない。

事務所に所属している訳でもなく、マネージャーが付いている訳でもないから、場の確保や宣伝、チケット販売もすべて自分でやらねばならない。コンサートに来てもらうために日々社交的に飛び回らなければ客は呼べないのだ。だからお客さん一人一人の名前や職業、性格なんかもちゃんと把握し、どんな客でも好意的に接する事が要求される。

その積み重ねによって自分の「崇拝者」「信者」を増やしていくのだ。

それ全て含めて初めて創作活動が成り立つ。

彼女は海外生活が長かったという経験もあり高度の社交術が身に付いているらしく、その要件を難なくこなしている。

でも練習時間とかは足りているのだろうか?

いや、そんなことは噫(おくび)にも出さないところが彼女のタフさであろう。

とても真似は出来ない。やっぱり生きてるステージが違う。


2002年8月2日

大雷雨。

午後から激しい雷雨。

ちょうどラジオのチューナーを操作していた時、近くに落雷。手にビリッときた。屋根には結構高いアンテナが建っているので直撃されたらアウトだったろう。

地球エネルギーを感じた瞬間である。

たまたま同時刻、MXテレビがお台場の風景をライブで流していたのでモニターする。ラジオから聞こえる空電ノイズとお台場カメラが映し出す稲妻の映像がシンクロして興味深かった。16時前には激しい雨でお台場観覧車の姿も見えなくなってしまった。

ライブ映像に優るモノはない。


2002年8月1日

今時(イマドキ)の高校生。

NHK総合TVを観ていたら高校総体(総合体育大会)の開会式を放映していたのでなんとなく鑑賞。

それが実に不思議な光景だった。

皇太子殿下御臨席の下、繰り広げられた式典はとても今の日本とは思えない画一的なパフォーマンスだった。北朝鮮のマスゲーム程ではないにしろ、このような行事が毎年この日本で行われているとは知らなかった。

参加高校生たちは統一されたジャージを着て素直に行進する。今時の高校生を象徴する茶髪や流行りの髪型、お洒落等は皆無に近い。

皆黒髪なのだ!

それがすごい新鮮に映る。さすがに坊主刈り、おかっぱ姿は少ないがそれでも渋谷や原宿ではまずお目にかかれない、純朴で素直すぎる表情の高校生ばかり。

無論、体育系の高校生であるから多少保守的な格好になろうが、それにしてもこの画一性は凄い。

指導教員もこの日のためにいろいろ規則を設けて生徒に派手な格好を控えさせているとは思うが、これはある意味芸術の域に達している。袴姿の女子高校生が長刀を模した棒を使って演ずるマスゲームも「いったいこれはどこの国のいつの時代の高校生?」と吃驚する。

が、しかし、よく考えてみると高校総体に出ているような高校生の方が実はスタンダードだったりする。

メディアが取り上げる「今時の高校生」は実はマトモな高校生ではない。特異な存在を恰も標準的な高校生として脚色しているだけ。

そうするといかにも脚色されたように見える高校総体の高校生の方が実は本当の高校生の姿なのではないかと?

まあいずれにせよ、茶髪よりも黒髪の高校生の方が美しく見えたのは確か。

結局、指導された結果とはいえ、高校総体に出てくるような「純朴そうな」高校生の方が人生上手くやっていけるのであろう。

メディアに唆(そそのか)されて「今時の高校生」をやっていると結局利用されるだけの人生になってしまうのだろうな。

遠雷。

某BARからの帰り道。遠くで稲妻が何回も走っているのを見る。

雲をシルエットに稲妻の形がハッキリ解る。

何億年もの昔からこの地球上で繰り返されたありふれた光景。そう思うと、まあ世の中の諸々のことなどどうでもよくなるのだ。


2002年7月31日

猛暑。

気象衛星の動画を見ると日本列島を中心に時計回りの気流が見て取れる。

大平洋高気圧だけでなくチベット高気圧まで張り出しているらしい。

この情況から急に冷夏になる要素は窺えない。結局今年は暑い夏になるようだ。

夜、久しぶりに屋根の上で夕涼み。

結構風があって涼しい。例によってどこか遠くの花火大会の音が聞こえる。天頂を見上げると僅かに星空が覗く。真上だけが永遠の空間に繋がっているようだ。

それはさておき、これだけ暑いとヨーグルトやゼリーの消費が増える。まとめていくつも買ってしまう。ところで以前コンビニで売っていた半円形の容器に入っていたピーチやグレープフルーツの果肉入りゼリーが見当たらない。結構好みだったのだが・・。

先日、阿佐ヶ谷の某BARに寄ったら、珍しく例の謎のバイオリニストがマスターの手伝いをしていた。

黒いシックなノースリーブにエプロン姿。

なぜか小さいじゃがいもを食べていて、それが妙に美味しそうだった。


2002年7月23日

マンガレポート。

コミケカタログの巻末にコミケでの出来事を小さく絵と文で紹介する参加者投稿欄がある。通称「マンレポ」というらしい。少し読んでみると解るのだが掲載者のほとんどが女性。これは女性ばかりが投稿している結果なのか、編集の都合で女性ばかりの作品になってしまうのかはよく解らない。

確かに女性参加者の心の内が垣間見れて興味深いとは思う。同人を続けつつ、結婚の時期や友人や家族、恋人との関係をどうやり繰りするとか等・・。この辺りを見ると同人女性たちは何処かで現実との折り合いを探りつつ、同人活動をやっているのだなと・・。多分、生涯を賭けて漫画創作に打ち込もうと思っている同人女性はほんの僅かしかいないだろう。だからといって結婚等であっさり同人を引退するという訳でもなさそうだ。近年、コミケ会場では親子連れが目立つようになってきたが、これも同人女性の同人活動永続化の現れだろうか?

一方でこの「マンレポ」を見る限り、男性参加者の姿はまったく見えてこない。紹介されるのは「男性向け」同人誌に群がる欲望に塗れた不潔で無礼な一般男子参加者の顰蹙(ひんしゅく)ばかり。肝心の描き手である同人男性創作者の心の内を記す投稿は皆無に近い。

将来プロになる云々は別としても創作活動に生涯を賭ける意思を持つ同人男性は女性参加者よりもずっと多いはずだ。だが彼等の声は「マンレポ」にはまったく紹介されていない。同人男性は社会との繋がりをどうバランスとって創作活動してるのか等、家族や恋人(なぜか同人男性恋愛記事も皆無に等しい)との関係等・・。そんな心の内を吐露する投稿など来ていないのだろうか?それとも紹介するに足る内容ではないのか?

まあ男の場合、創作にまつわる葛藤や現実(世間)との折り合いは洒落にならぬ場合が多いので読んで面白くないのは確かだが・・。

そんな投稿ばかりになったら「マンレポ」は「同人残酷物語」コーナーになってしまうか。


2002年7月19日

「アワーズライト」誌のF編集長と会う。

原稿を返却して頂くと共に今後、新たな場でどう仕事を進めていくべきかいろいろお話を伺う。

とにかくも「自分から動き出さなければ何も変わらない」ということ。

現状のペースで進めるもよし。いずれ結果が出る時も来よう。しかし何百ページ描き上げようとも読者のニーズに合わなければ商業ベースでの作品発表は困難の連続であろうと。

先日、単行本未収録の作品を整理してみたらなんと全部で250ページ以上あった。

はたしてこれらの作品群が陽を見る時は来るのであろうか?

それも今後の活動次第か。

実はある出版社からオファーが来てはいる。しかしそこで具体的にどういった仕事が出来るかはまったくの未定。だが従来のやり方を踏襲したところで現状のステージアップは望めまい。さりとて色気を出し奇を衒(てら)って大衆迎合を狙ったとしても結果が出せるのか?

でもひとつだけはっきりしている事がある。

「自分から動き出さなければ何も変わらない」

「アワーズライト」での2年間は決して無駄ではないし、ある意味次のステップへの橋頭堡に成りうる作品群だと自負している。

それをどう活かしていくかは自分の意志次第なのだ。


2002年7月18日

夏コミ用自費出版原稿上がる。

しばらく商業誌での作品発表がなかったので普段よりページ数を若干増やしてオリジナル作品を執筆。

今回はプリンター(アルプスMD5000/熱転写式)のメカニカルトラブルで苦労する。電源を入れると「ジャギ」っと音をたてて止まってしまいエラーランプが点灯。なかなか印刷してくれない。モニターには「カール矯正メカニズムが不正常」と出る。最近はこの熱転写式プリンターを使ってグレイスケール設定で出力したものを版下に利用する場合がほとんどなので、このプリンターが動いてくれないと版下が作れないのだ。一時は出力を諦め、データ入稿することも考えたが何度が電源オンオフを繰り返すうちになんとか正常に戻ってくれた。パソコンに頼る本制作はこのようなトラブルにいつも怯えていなければならない。

あとゲスト原稿を数人の方から賜ったのだが、その中にインクジェットプリンターで出力した原稿があった。インクジェットの場合、通常の印刷では綺麗に出ないのでその処理に手間取った。

だが版下作業が終わっても今一つ充実感がない。

プロ漫画家にとって自費出版はひとつの嗜みであり、余興のひとつ。決してメインの表現活動ではないのだ。商業誌でのめざましい活動あってこそ自費出版の面白みが出るというもの。自費出版に力点の重心が傾いたらそれはもうプロとして恥ずかしい事だ。

なにはともあれ、いつものK印刷に入稿。

大抵、この頃が梅雨明けになる場合が多い。いよいよ夏本番である。


2002年7月10日

台風一過。

猛烈なる青空。もう梅雨明けにしてもよいような感じ。

夕方、東京MXテレビを観ていると妙な番組をやっていた。「5時の魔法使い」とかなんとかいうタイトル。安っぽいサテライトスタジオを使った昔の「ギンザナウ」を陳腐にしたような内容。たまに通りすがりのサラリーマンや女子高生が覗いているのだが人集りが出来る訳でもない。テンションの高い司会のトークがヘン。

サテライトスタジオの後方に映っている電機量販店の商品棚がもの悲しい。


2002年7月7日

今年の夏の予想。

台風5号が日本海を東進。

こういう気圧配置になると大平洋高気圧が張り出して盛夏に移行するもの。

天気予報ではまたオホーツク高気圧が発達して梅雨寒に戻るというがはたしてどうか?台風6号も5号と似たような進路を取りそうだし、もしかするとこの晴天が10日位続きそうな予感。で猛暑の夏。

逆に予報通り梅雨寒に戻ったら今年の夏は冷夏のまま終わりそうだが。


2002年7月3日

箱買い。

WTM(ワールドタンクミュージアム)という食玩ミニタンクをまとめて1カートン(10個入り)買ってみる。あまりこういう買い方は好きではないので躊躇したが、コンビニではあまり売っておらず仕方なく模型屋(吉祥寺のイエローサブマリン)でまとめ買いする。ダブりもなくある程度集まったがそれほど充実感はない。

模型を組む訳でもなくすぐにタンスの肥やしにしてしまっては充実感を得られるはずもないか。学生時代、1/72スケールの模型戦車をよく作った頃が懐かしい。


2002年7月1日

サッカーワールドカップ終わる。

人並み程度にTV観戦した方であろうか。

個人的にはコストパフォーマンスの悪い情況が続いたのでその影響もありこの一ヶ月妙に長く感じた。

緊張感ある仕事をやっている最中だとサッカーTV観戦にしろ諸々の娯楽にもメリハリがつく。逆に仕事がオフになってしまうとTVを観ていても集中力に欠ける。

「忙しい時ほど遊びたくなる」とはよく言ったもの。

仕事をしないとテレビを観る気も遊ぶ気も起きないのだ。

人生メリハリである。

最近、コンビニで買った「ココナッツミルクプリン」は旨い。


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