2002年4・5月・6月

2002年6月25日

66dB。

自動車のCMに使われているyukiの曲がなんか心地よいのでBGMにしている。

さて最近「快晴旅団」で検索すると同じ名の同人誌サークルサイトがあることに気がついた。

今年の4月に出来たらしくコミティアにも参加しているようだ。

勿論まったく面識はない。かなり若い方がやっているらしいので、向こうもこちらのことはまったく知らなかったのだろう。サークルネームも偶然の一致であろうと推測する。が、向こうの方はこの事に気がついているのだろうか?ただ困った事にロゴデザインまでまったく同じなのには驚いた。最近の流行りのロゴなのか?

混同されると困ってしまうがまあこればかりは仕方あるまい。見れば全然違うサイトと気がつくであろう。

いずれにしろ一応こちらの正式サイト名称は「あびゅうきょ公式サイト」であるし、同人誌イベントでのサークル名は「あびゅうきょ」「あびゅうきょ工房」なのでサークル名称としては重複していない。但しバナ−およびトップページはこれまで通り「快晴旅団」名を置いておく。


2002年6月21日

アワーズライト休刊。

「影男」シリーズを掲載していた月刊誌「ヤングキングアワーズライト」が6月売りを最後に休刊した。

これに関してはすでに5月売りの次号予告で公表されている。また個人的には編集の方から4月末に連絡があり承知していた。但しあえてこの件を日記に記さなかったのは商業誌である以上、公にされる以前に個人のHP上でそのことを述べるのは適当ではないと考えていたからだ。

他の執筆者様の中には自分のHP上の日記等で即に4月末から公表されている方がいらっしゃったようだが。

無論、公にされる以前でも承諾を取った上であれば問題ないし、その雑誌の屋台骨を支える位の売れっ子作家であれば許されるであろう。しかし残念ながら自分はその範疇にはない。

それはさておき、自分にとって「アワーズライト」は非常にやりやすい雑誌であった。

編集からの指摘やダメ出しも納得出来る場合が多かったし掲載間隔もフレキシブルで描きたいモノが十分に出せた。印刷も綺麗だし、誤植もまったくと言ってよい程なかった(ネームが多いので結構間違いやすい場合があるのだがその点はしっかりしていた)。むしろ原稿を落したりした自分の至らなさの方に後悔が残る。

創刊してこの2年程の間に発表出来たのは僅か6作品全96Pに過ぎない。平均すれば4ヶ月に1回の掲載だ。しかし自分にとっては大きな仕事になっていた。あと3〜4話描ければ単行本化も夢ではなかったので大変に惜しい事である。結局は自分の遅筆も原因であるので単行本化出来なかったのは休刊のせいだけではないことも確か。

いずれにせよ、「アワーズライト」F編集長及び編集長を紹介して頂いたY様に深く御礼申し上げる。

ところで「影男」シリーズだが、願わくば新たな雑誌で継続連載出来ないかと考えている。残念ながら人脈に乏しく今のところメドが立っていない。更に「ガロ」「コンバットコミック」そして「アワーズライト」で執筆した作品群を合わせると既に単行本に納まる量を超えている。是が非でも商業単行本として出せる出版社を捜さねばならないと現在活動中である。

もしこの日記を御覧になっている方の中に「影男」シリーズを継続して掲載していただけるような出版社の情報を持っておられる方がいらしたらe-mailにて御一報下されば幸いである。


2002年6月19日

ワールドカップ決勝トーナメント日本敗退。

トルコ戦はこれが予選と同じチーム?と思うぐらいにあっさり負けてしまった。主催国でこれが精一杯かと思うと若干情けない。シドニーオリンピックの方がまだよかった。まあこれが日本の実力か。

それにしてもテレビやラジオの解説者やアナウンサーは負けた直後にもう4年後の事を云々言うがそんな先の事を今から説いてどうする?と突っ込みたくもなる。4年後はドイツ開催。主催国開催でベスト16止まりなのだから期待するだけ無駄である。今はどうして負けたかを冷静に分析する時なのではないか?

さて一方で共催国の韓国は伊太利に勝ってベスト8に進んだ。

テレビの解説者は「共催国として共に喜びを分かち合おう」とか述べていたけれどあの試合を観ていた日本人のどれくらいがそんな気持ちになれたろうか?

そもそも隣り合った国の仲が良い例などあった試しがない。韓国では日本代表チームが負けた瞬間飛び上がって喜こんでいたそうだ。隣り合う国がサッカーをきっかけに本物の戦争に至ったことだってあるのにサッカーの祭典を共催して仲良くしろなど無茶な話。

もし本気で共催を謳うのなら両国は一つの合同チームで闘う必要があった。

それが出来ないのなら共催する意味などなかろう。

それに事実上、韓国一国だけの主催になっている現在、別に日本人が韓国チームを応援する理由などないのだ。

露骨なナショナリズムを煽るサッカーワールドカップで友好を謳うのは現実離れしている。


2002年6月14日

電子書籍版『快晴旅団』が6/14より更に読みやすい新ebi.jブックリーダー(ウインドウズのみ)版もダウンロード出来るようになった。

6月から採用された新バージョンのebi.jブックリーダーはアドビに比べて軽く、表示も違和感なくスムーズ。国産なので日本の書籍に対応した作りになっているそうだ(アドビのブックリーダーは外国製なので左閉じの本にしか対応していない)。欠点はウインドウズ版しかないということ。

今日からイーブック・イニシアティブ・ジャパンのサイトのトップページで『快晴旅団』も紹介されている。よろしければ御覧あれ。

ワールドカップ日本決勝トーナメント進出。

結局、主催国が決勝トーナメント進出するのは「お約束」のようだ。日本も韓国も予選リーグ1位で通過するなんて単純に戦力比較したらありえないこと。予選リーグ最終戦を観てもあからさまに審判の判定が日韓に有利だった。

でもこの調子で行くとまずい事が起りそうな。

日韓が勝ち進んで万一3位決定戦で対戦するようなことがあったら恐ろしい事になる。(いくら主催国といえども決勝まで両国が勝ち進む事はあるまい)確か3位決定戦は韓国で行なわれるはず。

となると日本は主催国でありながらアウェイで試合をしなければならないというへんてこりんな事になろう。予選リーグでこれだけの盛り上がりなのだから、もし3位決定戦で両国が激突したら尋常ではなくなる。どっちが勝とうが日韓友好どころか紛争の火種になってしまうかもしれない。

それにしても狂喜乱舞するサポーターはマトモではない。白目をむいて叫んでいるのを見ると狂犬病の野犬のごとし。3位決定戦で日本が負けたらこんな連中が至る所で暴れ出すだろう。願わくば決勝トーナメントで早々と敗退するかいっそ決勝戦(これは日本で試合がある)まで進んでもらいたいものだ。


2002年6月9日

埼玉某所をロケハン。

乾燥した晴天下、約7キロを4時間位かけて歩く。何の変哲もない住宅街の中とかを黙々と歩くのは結構きつい。目的地を確認して折返すだけ。くたくたにはなるのだが肉体的疲労には救いがある。ある意味爽快。

ワールドカップ日本対ロシア戦を阿佐ヶ谷某BARで観る。

普段ここにはテレビがないのだが特別にプロジェクターを持ち込み大画面スクリーンに写して観戦出来るようになっていた。いつもの客12〜3人が集まる。内3組位がカップル。他は単身で来店した40代独身男性客。

やたら叫んだり解説したり一喜一憂するのは独身男性。カップルは大人しく観ているだけ。女性の方はあまり関心がなさそうだ。

自分はただ黙って観戦していたがこの客の様子を見て考え込んでしまった。

応援するチームが勝ったとて自分の人生に大きな利益が舞い込む訳ではない。ゴールを決めた選手が何かしてくれる訳ではないのだ。1週間もすれば忘れてしまうことである。ある意味空しさだけが残る。パートナーがそばにいるという満たされた人間にとってはひいきチームが勝とうが負けようがどうでもいいのである。だからカップルは落ち着いて観戦出来るのだ。一方独り身の40代独身男性は常に満たされる亊のない苦汁に塗れた生活を送っている故、スポーツ観戦になるとやたら熱くなる。見苦しいほどに。

そこに人生の勝者と敗北者の姿が投影されていた。

(単身で来ている独身男性客に本当にパートナーがいないのかは知らない。ただ連れてきていないだけかもしれないし、単身だから人生の敗北者であるとも思っていなかろうが、ここでは個々の事情は省く)

それはさておき、これほど日本中で日本チームの結果に狂喜乱舞するというのは相当鬱積したモノが溜まってる人間が多いという証拠か。

だから少し距離をおいてワールドカップを観るとひどく滑稽な行事に思えてくる。

いや、祭り事全て端からみれば滑稽なもの。参加してなんぼの世界。

要はこれが参加するに価する祭かどうかなのだ。

よく「戦争」は空しい行為と言われるがそれは普段満たされている人間が言う台詞。

普段満たされずに舌打ちばかりしている者にとっては戦争は歓迎なのだ。戦争も祭事の一つ。

サッカーワールドカップが「戦争」と称されるのも頷ける。

つまりサッカーワールドカップは「人生の敗北者」が疑似戦争を体感して自分を欺くための祭りなのかもしれない。


2002年6月5日

神風鉢巻き。

TVに映っているドイツチームのサポーターを見ると何故か特攻隊の神風鉢巻きをしている。違うのは真ん中の日の丸がドイツ国旗だということ。日本で開催されるという事であのような応援グッズを作ったのだろうね。でもちゃんと「神風」が筆書きでサマになっているところがオシャレ。

ところで結局フーリガンなる輩は来日していない様子。考えてみればいくらワールドカップといえども欧米南米人が極東の地まで足を運ぶのは大変な労力を要する。来れるのは相当なサッカーファンか時間やお金に余裕のある上流階級位だ。で、結局暴れるのは貧困層の地元民。だから一番危険なのは日本人サポーターということになろう。

一方チケットが余っているというのも同じような理由。もともとあの空席は欧米人向けのもの。最初から日本人は対象外だったのだ。冷静に考えてみればサッカー本家のサポーターにとって観戦困難な極東で開催されているのに従来通りの発券方法を採ってしまったことが問題。それで目算が外れた。反面、日本人がこんなに観戦したがるとは思っていなかったのだろう。これも騒ぎを大きくした要因。確かに例のイギリスのチケット代理店もおかしいが、6万人収容のサッカー専用スタジアムをワールドカップ開催のためだけに幾つも建設してしまう日本もヘンではある。

まさにサッカー狂想曲。

『ラーゼフォン』

しばらく話題にしなかったが先週の第15話「子供達の夜」は秀作だった。あの一話だけでも独立したストーリーとして成立するし作画も卓越していた。

泥人形とか音障壁とかSF心をくすぐるアイテムや設定で溢れていた。

とにかく放映する時間帯がよく変動するしフォローするのが大変ではあるが。


2002年6月4日

日本対ベルギー戦。

皇太子殿下御臨席の下、スタジアム上空にブルーインパルスが飛来するという荘厳な舞台と演出。

対称的に日本代表選手の髪が安物のイミテーション玩具のように見え滑稽。対戦相手には虚勢を張ってるだけのイメージを与えてしまいそうで逆効果と思うのだが。

試合の印象は太平洋戦争時のガダルカナル戦役。

互角に渡り合うも基礎戦力に乏しい日本はすぐ反撃を食らって戦果と同じ位の損害を被ってしまう。欧米人との体格差に組織力をもって対抗するも限界がある。たとえ勝っていても安心して観ていられない。

開催国というアドバンテージが唯一の望みに感じるが・・。


2002年6月3日

空席。

サッカーワールドカップ会場でのチケット問題。観たい人が沢山いるのに空席があるとはなんぞや・・と怒るサッカーファン。これで連想したのはコミケでのダミー申し込みや欠席で空となったままのスペース。

実にもったいない。

だがコミケスペース空席の原因は参加者にあって主催者にはないのだ。そう考えるとチケットを抱え込んだまま放置したサッカーワールドカップ主催者のいい加減さはアマチュア以下ということか?

それはさておき、最近のワールドワイドなイベントの例に漏れず、開幕した途端に盛り上がってきたワールドカップ。長野オリンピックの時と同じく開幕前はテンション低かったが始まるとお祭り騒ぎ。寸前まで見向きもされなかったマスコット「スノーレッツ」の縫いぐるみが終了間際には全て売り切れてしまったのを思い出す。

まあ4年に一度。ましてや自国開催なのだから無理して無関心を装うのも野暮であろう。

それに各国代表の試合を観ていると露骨なナショナリズムが其所此所に見て取れて興味深い。そんな場は今やサッカーぐらいしかない。ドイツ対サウジアラビアの試合など執拗に得点を重ねるドイツの完全主義みたいなものが肌で感じられ勉強になる。

しかし日本代表の印象は前回、前々回と比べて今一つ。予選がないから活躍する選手のインパクトが薄い。本大会初戦を観るまで何とも言えず。


2002年5月31日

サッカーワールドカップ。

開会式をNHK総合で観る。

セレモニーの代わりにジャニーズのタレントばかりが画面に出ていたので何の中継だか解らず。その上余計な解説が被ってせっかくのオープニング中継が台無し。

ちらっと映った開会式セレモニーを観た限りでは日韓共催というより完全に韓国主導の大会というイメージ。

いずれにせよTV中継でしか試合を見られないのだから日本でやろうが南米でやろうが同じ事。

最近気がついたのだが東京では一試合も組まれていないのだね。

今一つ盛り上がらないのはそのせいだろうか?


2002年5月29日

害虫駆除CM。

このシーズンになるとTVで頻繁に害虫駆除CMが流される。それを見る度いやな気分になる。

アリの群落殲滅とかナメクジやゴキブリの一家を騙して一網打尽とか非常に排他的で残酷なのだ。

少しは虫達の身になって考えたらどうだと怒ってしまう。

蚊、ノミなどの吸血性昆虫やシロアリ等、自分の健康や財産が著しく脅かされる害虫駆除なら致し方ないが、たまに出現して見た目が気持ち悪いだけの虫を血眼となって駆除する必要があるのだろうか?逆にゴキブリやナメクジが一匹もいない部屋の方が無気味である。潔癖症を煽って殺虫剤を買わせる意図の方にこそ嫌悪感を感じるのである。多少不潔な方が人間として健全だと思うのだが。

自分の部屋は網戸がなく、夏の夜になると蛾やらウスバカゲロウやらカメムシやら蚊トンボやら名も知らぬ羽虫がたくさん飛び込んで来る。しかし決して殺さない。スタンドの周りをぶんぶん飛んで多少うざったいが放っておくのだ。自分の身に害を及ぼさない虫を殺す権利はない。部屋のガラス窓にはヤモリが住着いていて、明かりに集まる小さい虫を補食している。それをほのぼのと眺めるのも好きだ。

原稿の上を這いずっている小さい虫をよく観察すると微細な構造に感嘆する。実によく出来ているのだ。

いずれにせよ、やたら殺虫剤を使う行為はどうかと思う。むしろ自分の健康に害を及ぼしかねないと思うのだが。一種の毒ガスなのだから。


2002年5月15日

蕎麦。

JR大森駅で深夜、あるクリエーターさんと久しぶりに会って蕎麦を食う。

蕎麦湯を飲み、煙草を吸いつつ近況などを話す。パソコントラブル等で煮詰まっていたのでよい気晴らしとなる。

なんとかパソコンの方も現状復帰してほっとする。

何だかんだいっても現状の維持が最も大切である事を思い知らされた。


2002年5月14日

ハードディスクを初期化。

パソコン(MACG3)のハードディスクの調子がますます悪化し、『ノートン』でも対処しきれなくなった。いろいろ手は尽したが情況は悪くなるばかり。ディスクエラーが多発して仕事にならず。これ以上ユーティリティーソフトを試しても無駄と判断し、初期化に踏み切る。全てのファイルは外付けハードディスクとMOにバックアップしたが、初期化して現状に戻す自信はまったくない。

といってもこれしか方法はない。とにかく作業に取りかかる。

初期化した結果、ハードディスクは正常化したが、元の状態に復帰させるのが思ったより難航。パソコンを買った当時の苦労が蘇る。アプリケーションソフトのCDを再び引っぱり出してインストールし直す。数々の設定やファイルも元通りの位置に戻したが何か雰囲気が違う。微妙なカスタマイズの差があるのだ。もはやこのパソコンは初期化以前のパソコンとは違う。今だ復帰出来ない機能があって困り果てる。EPSON TWAINのスキャナーがどうしてもフォトショップで認識しない。これは購入当時も苦労した箇所。

丸一日掛っても元の機能に復帰出来ない。

いつのまにかパソコンが身体の一部になってしまっているのに困ったものだ。


2002年5月11日

『快晴旅団』

HPのトップを御覧になれば解る通り、1989年に発刊された『快晴旅団』が電子書籍として復刊する。

詳しくはこちらを見てほしい。

現在の情況ではフルカラーのハードカバー本が紙媒体で再版される可能性は皆無に近い。故に電子書籍化は唯一の復刊手段であろう。

電子書籍はまだ歴史も浅く、オンライン上で閲覧するものは基本的にタダという慣習が身に付いている。だからなかなかお金を払ってダウンロードという行為はピンと来ないかもしれない。だがいずれ閲覧ソフトの充実によって徐々に普及していくだろうと思う。

いずれにしろ現状での電子出版は発展途上段階。大した収入は期待出来ない。紙媒体だと仮に1万部刷ったら売れようが売れまいが1万部分の初版印税が入るが、電子書籍では実売分の印税しか入ってこない。更に電子書籍の低い普及度を考えると紙媒体での売り上げを超すことはあり得まい。反面、余剰在庫や返品の心配はなく余分な経費が掛からないので短期間の絶版もない。少部数しか発行出来ない作品には有利かもしれない。

なによりも絶版作品が再び世に出るのだからよしとしなければなるまい。

この場を借りて関係各位に感謝を申し上げると共に、是非、電子書籍版『快晴旅団』をダウンロードして一読願えればと思う。

余談だがこのHPの名称も『快晴旅団』と呼称することにした。

電子書籍の宣伝用にHPのトップ絵を描いていたらなんとなくこのままタイトルにしちゃえという気分になった。

勢いで決めたのですぐ変更するかもしれないが(笑)

ついでに新たなバナーも作ったのでリンクする時にでも使ってください。

にしても、最近やっとCGらしい絵が描けるようになった。「ぺインター」の手描きの感覚も捨てがたいが「フォトショップ」で処理するいかにもCGっぽい「抜けのよい空の絵」もインパクトがある。といってもまだまだ熟れた絵にはなっていないが。


2002年5月8日

夢の卵

TVアニメーション『ラーゼフォン』のサントラが出たので購入。

エンディング曲の「夢の卵」をずっとリピートさせている。

「おしえて。愛は今、どこにあるの?

教えて、人は何時目覚める?」

青い鳥が羽搏く脇でヒロインの久遠(くおん)が正面を向いて唄っているシーンがなかなか好きだ。

本編の方は全編の半分を終えたが、主人公の綾人の存在感がいまひとつのまま。久遠との関係も絆が見えにくい。1回見のがしてしまったのも痛い。あえて愚行と知りながら『エヴァ』と比較するならば、現実社会とのリンクが希薄ということだろうか?

『エヴァ』が放映された頃は「オウム事件」覚めやらぬ時期。カルトっぽい雰囲気漂う中、『エヴァ』は見事に現実社会と共鳴していたから、あらいるサブカルチャーに波及していったけれど『ラーゼフォン』にはそれがない。まあそれを今現在の『ラーゼフォン』に求める事自体無茶なのだが。でも明らかに『エヴァ』正統踏襲派SFアニメであることは否定出来ないのだから、とことん『エヴァ』的リリシズムを追求してほしい。

今の迷える若人に覚醒と解放を呼び掛けるのが『ラーゼフォン』というアニメの使命なのだから。

「答えて・・。幻は何処に?」

ワールド・タンク・ミュージアム

海洋堂とタカラが組んだミニタンク模型食玩。

5月の頭にセブンイレブンの店頭に並んで数日で消えた幻の食玩。

結局、自分で入手できたのは二箱。後に戴いたものが一つの計三つ。シャーマン二つ(冬期迷彩とノーマルタイプ)にタイガー1型(冬期迷彩仕様)。

自分の周りは結構このミニタンクの話題で盛り上がっているが・・すでにどこにも売ってない。


2002年5月5日

コミティア60。

東京ビッグサイト東4ホールにて。

真夏のような陽気の中、来場感謝。例によって一人参加なのでずっと座りっぱなし。

アンケート用紙に意味不明な落書きを綴って時間を潰す。

今回もお釣トラブル約一件。

お客さんから代金として新札の千円札一枚を渡される。しばらくした後、それが2枚であることに気が付く。新札なのでぴったり重なっていたのだ。気が付いた時にはお客さんは去った後。相変わらずお金の扱いは苦手。

「私では?」と思った方は次回イベントで申し出で下さい。


2002年5月4日

御芝居。

某コミュニティーFM元DJさんが所属する劇団の新作公演を観に大塚ジェルスホールへ。

ますます表現力に磨きが掛ったようだ。まだ二十歳ゆえ無限の可能性が秘められている。

ところで客席に居てふと思ったのだが、お客さんとしての自分の立場っていったい何だろうと・・。

私はラジオを通じて彼女の才能を知った訳だけれども、はたして自分が此所に居る意義はあるのだろうか?。高校演劇の延長である彼女等の活動と自分の今ある立場を社会常識に照らし合わせるならば、年相応の経済力を発揮してそれなりの御祝儀を贈るとかなのだろう。にも拘らず、ただ観劇して感想を述べて帰る事しか出来ないとは実に情けないことではないか。

「大人」としての能力に欠ける存在。

JR大塚駅に向かう道で独り自分の至らなさに恥じ入るのであった。


2002年5月2日

20周年。

漫画家プロデビューしてからこの5月でちょうど20年を迎えた。

最初の商業誌に自分の作品が載ったのは1982年の徳間書店別冊アニメ−ジュ『リュウ』5月号。大学卒業直後、描きためた原稿片手に都内の漫画雑誌編集部に持ち込みを繰り返していた。そんな最中、上手い具合に代用原稿(連載していた人が落した代わり)として採用されたのだ。

タイトルは「火山観測所」。10ページ程の短編だ。

当時の『リュウ』には安彦良和の「アリオン」を筆頭として、夢野一子、道原かつみ、聖悠紀、山田ミネコ、吾妻ひでお、吉田秋生、細野不二彦、山岸涼子、そしてデビューしたばかりのふくやまけいこなど錚々(そうそう)たる作家陣が執筆していた。たまたまこの編集部に契約エディターとして大塚英志さんがおられて、その方の目に止まったのが幸いだったのかもしれない。もし大塚英志氏と出会わなければ、後の「プチ・アップルパイ」連載や最初の単行本「彼女達のカンプグルッペ」刊行もなかったろう。

いや、プロデビューさえなかったかもしれぬ。そういう意味では大塚英志氏に足を向けて眠れない。

いずれにせよ、あれから20年・・。

複雑な思いである。細く長く現役で商業誌に描いていられたことを喜ぶべきか、はたまた20年やってこの程度なのかと嘆くべきか・・。

振り返ると超メジャーな雑誌、週刊「コミックモーニング」の巻頭カラーもやったし(今から考えると吃驚する)、マイナーの雄「ガロ」にも描いた。

クリエーターとして考えるならば僅かながら光を獲たのかもしれない。しかし商売として漫画家として考えるならば言葉を失う。

なにせ16ページに3ヶ月も掛かっていたんじゃ・・(爆)

無論、全ての16P作品に3ヶ月掛かる訳ではない。複数の仕事を同時平行でやる場合、分業が不可能(アシスタントが使えない)でありどうしても効率良く仕事が処理出来ないのだ。そういう意味での3ヶ月である。やろうと思えばその半分の時間で描く事も可能。それでも遅い事に変わりはないが・・。

商業漫画というものはとにかく量産が原則・・。16ページなどアシスタントを加えて1週間程度で仕上げるのが当たり前。それをしこしこ工芸品のごとく何ヶ月もかけて描く方がどうかしているのだ。当然ながら単価の高い一枚絵で仕事出来れば理想的ではある。そういう仕事もいくつかしてきたし、そうでなければいけないのだが・・。それでもストーリー性のある漫画の魅力に優るものはないのだ。

久しく出していない商業誌での単行本をまとめてみたいとは思っている。だがこの調子ゆえチャンスは巡ってこない。いわいる一般の漫画掲載のペースとかけ離れ過ぎているのだ。4年くらい描きつづけてやっと単行本にまとめる量になるというのでは編集の方も計算出来ないだろう。だからこちらからもあまり強くは言えない。売るという戦略をいかにして練るかが難しいのだ。

とはいえ、この20年、私ごときヘンな漫画家を応援して頂けたファンと開拓精神溢れる編集の方に感謝を申し上げたい。ここまで出来たのもその方達の支援、激励あってこそである。ここ数年は自費出版という分野も開拓し、かなり視野は広くなった。幸いにも創作に対する感性はそれほど衰えていないし身体も動く。精神年齢はおそらくまだ15歳位であろう(それも問題だが)。

とにかく迷っていても仕方ないのである。

描くしかない。

余談だが近日中に電子出版にて復刊予定の単行本がある。

明細は後日。


2002年5月1日

パソコントラブル。

マックG3を使い始めてから約2年半。

いくつかのトラブルはあったが大抵は再起動で回復した。やや問題があってもCDから起動させ亊なきを得ていた。

だが今日のトラブルはちょっと深刻。

起動するとすぐに空白のダイヤログ(爆弾マークらしい)が出てフリーズ。何回再起動させても同じ。

トラブル解消のテキストを引っ張りだしてあれこれやってみる。PRAMクリアというのを試してみるもダメ。今度は画面に「?」マークのフォルダーが点滅し始めた。

なんだかへんなことになってきた。仕方なくCDで起動、「Disk firast Aid」で修復を試みるが「問題箇所はこのソフトでは修復不可能」とか表示される。

困った。パソコンのハードに関してはさっぱり解らず。

かといってこのままほったらかす訳にもいかない。いつしかパソコンのない生活には戻れない事にことに気が付き愕然。ここは落ち着いてなんとかせねば。

とりあえずユーティリティーソフトを試す事に。

大枚を叩いて「ノートンユーティリティーズ」を購入する。とんだ散財だがいつかはお世話になるソフトだと思っていたので割り切る。

「ノートンディスクドクター」をCDから起動させ、修復を試みた。いくつか修復を指示するダイヤログが出るが・・そのうち「重度な問題があり修復不能」というのが出てしまう。ノートンでもだめかいな。

最近インストールした新バージョンの「アクロバットリーダー」がまずかったのかなとも思いつつも途方に暮れる。

ハードディスクになんらかの障害があるらしいが原因など解るはずもない。

それでも何回かノートンCDで再起動させると、それまで認識しなかった外付けハードディスクがデスクトップに現れたので、とりあえずデータをバックアップ。

もう一度トラブっているHDから再起動してダメだったら初期化もやむおえまいと思いつつ、再起動。

すると、ちゃんと起動した。

回復理由は解らない。ただこのマックはいろいろ試してみると急に何でもなかったように治ってしまう場合が多々ある、妙に人間的なのだ。慌てて初期化とかしなくてよかった。こういうモノは素人がごちゃごちゃいじくったって情況を悪化させるのがオチ。結局はユーティリティーソフトを使って再起動を繰り返したり、一日放置しておくしかない。

とはいえHDは消耗品といわれる(心臓部が消耗品って・・)からいろんな問題が蓄積されているのだろう。

バックアップを頻繁に行い、騙し騙し使うしかあるまい。


2002年4月25日

季節の異常。

庭の草木がまるで真夏時のように生い茂ってしまった。更に例年なら5月下旬頃、夜中に「ジー」と鳴き出す虫がもう出現。ビワの実もかなり膨らんできた。季節は半月どころか1ヶ月以上先行している。だからうっかりしていると今は5月か?と錯覚してしまう。

ちょっと尋常ではない。

気象衛星の画像をみると昨年の暮れ頃より偏西風の蛇行がなく、東西に気流がストレートに流れ、寒気が溜まらない傾向があるように見えるが・・。中国大陸より飛来する黄砂の量が例年の数倍に昇る理由もこれか?

コンビニの駄菓子屋化。

最近のコンビニは食玩を取り扱う割合が増えたため、まるで駄菓子屋のようだ。カプセル・トイが剥き身のまま売っていたりして妙である。

相変わらず注目度の高い食玩が次々と発表されているが、近頃は模型屋でもよく見かけるようになった。

だが食玩はあくまで「おまけ」。

「おまけ」であるにも拘らずよく出来ているから感心する訳で、「おまけ」がメインになったら意味がない。模型屋で食玩をみかけてもあまり買いたいと思わないのはそういう理由だろう。

それはさておき、例の海洋堂のミニタンクの食玩はもう発売されているのだろうか?近所のコンビニでは今だ発見出来ず。


2002年4月17日

漫画、アニメ、ゲーム。

最近の日記が漫画やアニメの話題に偏ってしまったが、実はそれほど熱心な訳ではない。漫画本の蔵書やアニメ、ゲームソフトはあまり持っていないのだ。むしろ少ない方だと思う。

まともに揃っている単行本といえば宮崎駿の『風の谷のナウシカ』、あすなひろしの『青い空を白い雲が〜』、あと諸星大二郎の短編集いくつか・・それと昔「COM」で描いていた岡田史子の短編集にさべあのまの初期の作品集位。

全部合わせても30册に満たない。

漫画雑誌も掲載誌が送られてくるもの以外、まったく目を通さない。だからどの作家が何に描いているのか全然知らない。同人誌も殆ど買わない。イベントで知り合いの方から頂く本以外、ほとんど読まない。

結局、本は仕事の素材になるような科学、無線、軍事系の雑誌ばかり。ただ学生時代は『ぱふ』『だっくす』という漫画評論誌を貪るように読んでいた。今も本棚に当時のまま残っている。

アニメソフトは『未来少年コナン』と『新世紀エヴァンゲリオン』のLDBOXが一通り揃っているだけ。但しLDプレーヤーはない(爆)。10年前にプレーヤーを買ったのだが殆ど動かす事もなく、いつのまにか壊れてしまったので廃棄してしまった。

実は買ったLDの大半は開封さえしていないのだ。

DVDに至ってはディスクもプレイヤーもない。

たまに偶然TVで観て気に入ったアニメをビデオに3倍モードで録画する程度。

特に傾倒したアニメ作品は音声だけすべてカセットテープに録音し、繰り返し聴く。印象に残ったシーンは残像として脳の中に残っているのであえて再度観る必要はない。上記の2作も音声だけなら100回近くリピートして聴いた。

それで充分。想像力を養うのに映像は邪魔になる場合もある。だからサウンドトラックは結構持っているほうかもしれない。

ゲームはインベーダーゲームが流行った頃からあのディスプレイに映る光と音が生理的に合わないので、一切していない。当然、ソフトもハードも何一つない。

プレステって何?という世界。

まあこんな調子なので逆にアニメ、漫画、ゲームには疎いほうかもしれない。


2002年4月15日

正確な時刻。

電波時計を購入。標準電波を受信し一秒も狂わない時刻表示をしてくれる。

しかし・・。

実生活にはあまり役立つ事は少なそう。


2002年4月14日

『パトレイバーW13』

『パトレイバー』の新作映画を新宿で観る。土曜の午前中の時間帯だったが結構客は入っていた。

入館前に窓口で茶封筒に入った景品(?)を貰う。中にはセル画と紙人形の台紙。セル画とは懐かしい。という事は・・。

それはさておき、内容は期待以上の出来。作画もストーリーも申し分ない。画面の薄暗さのリアリティーというか、描き込んだ絵と物語の緻密さがバロック的リリシズムを呼び起こす。

でもこの映画、『パトレイバー』なんだよね。

実は『パトレイバー』は原作もTV版も観ておらず登場人物や背景も知らないし、『パトレイバー』原典に対しての関心が元々薄い。観たのは劇場版三作のみ。それも『パトレイバー2』の世界観に傾倒出来たのが最初で、むしろ何でこの一連の映画に「ロボットアニメ」的要素が入るのか疑問に思っている位だ。

だから今回の3作目にしても、なぜこの映画に『パトレイバー』の面々が出てくるのかよく解らない。むしろ出てこないほうが映画としてリアリティーは高かったはず。

でもこの映画は『パトレイバー』である。観客も『パトレイバー』ファンと思われる若い男子が殆どを占めていた。同時上映の押井守が作った「紙人形版パトレイバー」に観客は大いに反応していたようだが自分のようなファン以外が観てもなにがなにやらさっぱり。

そもそも「特車2課」って?

これ程のハイクオリティーの作品が『パトレイバー』ファンという限られた人達のためにのみにしか作られていない不可思議さがどうにも納得がいかない。そうしないと商売として成立しないのだろうか?

普遍的テーマを扱っているにも拘らず、『パトレイバー』に関心を持っている者でないと観るきっかけさえないのだ。

この作品の内容を語る以前にアニメーション映画を取り巻く諸々の情況の方が気になってしまった。


2002年4月12日

『クレヨンしんちゃん』

何気なく灯けたテレビで『クレヨンしんちゃん』の映画をやっていた。

いつの作品かは知らないが妙に興味深い内容。思わず最後まで観てしまう。

(実は『クレヨンしんちゃん』は今までマトモに観たことがなかった)

1960〜1970年代日本に子供時代を過ごした大人達が当時の郷愁に駆られ、その旧き良き時代を取り戻さんと画策する野心家の罠に嵌められていく・・みたいなストーリー。

なぜ『クレヨンしんちゃん』でこのような題材の映画が作られるのか不条理を感じるが、不思議になぜか上手い具合にマッチしている。今の子供よりもその親の世代に訴えかける意図があるのだろう。以前から『クレヨンしんちゃん』の映画は「深い」との噂を聞いていたが何となく解るような気がした。

それはさておき、その「親」の世代である自分からすると、誰しもが『クレヨンしんちゃん』に描かれている父親のごとく就職、結婚、子育てという「通過儀礼」が約束される訳ではない。むしろそれはこの世代において例外に近い。逆に60〜70年代の古き良き時代を復活させようとした野心家の方に現実を見てしまう。

もしかすると「クレヨンしんちゃん」の平凡な家庭こそ、古き良き時代の郷愁から来た妄想ではないだろうか?

子供の為に一生懸命働く父親、家庭を守る母親。

それこそが、古き良き1960〜70年代に置いてきた家族の姿なのではないかな?

今の時代、子育てはおろか、結婚も覚束ない時代なのだから。


2002年4月11日

北東気流が入って気温平年並みに・・。

「タダほど高いモノはなし」

ネットを始めて2年と半年弱。毎日一時間以上繋げる日々が続いたが、9割方は無駄に時間を浪費した気がする。

検索エンジンを利用している時にうっかり『2ちゃんねる』という掲示板にアクセスしてしまうことがある。スレッドにもよるがほとんど9割以上が「トイレの落書き」。一種の情報の汚物入れみたいなものだから読み書きしないのが身のためかもしれない。出所不明の匿名書込みに翻弄されたくなければ一切アクセスしないに限る。

『2ちゃんねる』に限らず、日記、掲示板の書込みの大半はネガティブである。

情報、思考の排泄物の山といってもよいかも知れぬ。

どうしてそうなるかと言えばネットが基本的にタダ(通話料やプロバイダ−料金はかかるとしても個々のHPにアクセスする限りにおいては大半が無料)であり、匿名で書込む事が可能だからだろう。

そろそろこのネットの「常識」も変わる時に来たような気がする。

これだけネットが普及したらいつまでも「お遊び」感覚が通用するものでもあるまい。

もしすべてのサイトが有料化されたら「汚物」のようなネガティブな書込みはほとんど姿を消すだろう。少なくとも気紛れな憂さ晴らし的書込みはなくなる。HPを立ち上げる方も金を取るのだからそれ相応のクオリティーを保たなければ誰も見てくれまい。音楽や画像も今より効率良く有料でネット配信が可能になろう。

なによりもネットで無駄な時間を浪費することが無くなる。必要な情報を「汚物」の山の中から苦労して探し出す手間も省ける。必要最小限な効率のよい利用が出来るようになろう。

「タダより高いモノ」はない。

ネットが課金されて誰も見なくなったとしたら・・それは元々必要のないモノだったのだろう。


2002年4月6日

新緑。

季節が半月先行したような陽気で庭の新緑が眩しいほどになる。

庭に出てみると山椒の花に蜜蜂が群れて花粉を集めている。こういう光景を間近で見たのは久しぶりだ。

考えてみると昆虫も植物も気候に合わせて活動している訳で半月のズレを意識しているのは人間位かもしれぬ。

にしても、あと一ヶ月でGW・・。


2002年4月5日

『御先祖様万々歳』

友人から譲り受けたビデオの中に押井守監督OVA『御先祖様万々歳』があったので全6巻一気に観る。

実はOVAはまったく観ない性分。ビデオを借りるという習慣がないので縁がないのだ。更にはビデオやDVDだけの媒体で発表される作品は何か閉鎖的で高揚感を得られないのがいやである。テレビでの連続放映作品や映画は同時に多くの者がリアルタイムな実体験として感動を共有出来るが、OVAはそれがない。借りたい(買いたい)者だけが不特定の時間に観る訳だから、たとえその作品に感動したとしてもその気持ちを他者と共有する事は難しい。だからこの作品も今まで観る機会がなかったのだ。

それはさておき・・この『御先祖様万々歳』

舞台劇仕立ての演出や劇中歌なんてなかなかイカしている。オープニングの雰囲気や主題歌も好み。それに後の名作『パトレイバー2』のエッセンスが一杯詰まっているのも興味深い。

この手のアニメをNHK総合で週末深夜辺りに連続放映していたら面白いのに・・と思ってしまった。

やっぱり観る者を限定するOVAでは勿体無い。


2002年4月4日

昔のドラマその2。

今度は日本テレビで朝10時半頃より松田憂作主演『探偵物語』を再放送しているのに気が付く。もう何十回も再放送されて見飽きているはずなのに何故か観てしまう。エンディングのセンスは何度観てもかっこいい。昔の新宿高層ビル街などが出てくるといろいろチェックしてみたくなる。なによりも今と違うのは携帯電話がないということ。携帯があるとないとでは、まるでドラマの構成が変わってしまうだろう。その部分が一番時代を感じさせる。

それにしても・

このドラマの本放送時、まさか24年後こうして遅い朝に起きて、ぼうっと同じドラマの再放送を観ている自分の光景を想像出来ただろうか?

2002年・・21世紀になってまで『探偵物語』の再放送を朝っぱらから観ているとは・・。

結婚もせず子供もいない情況がこの歳まで続いていたなど誰が予想したか?

当然、いろいろな通過儀礼があって然るべきで、こんな平日の午前中にぼうっとテレビを観ている「未来予想図」などあるはずはなかった・・。

これは何かの冗談だろうか?

やはりどこかで時間が止まってしまったのかも知れない。

ちょっと尋常ではない情況を再確認して動揺してしまった。


2002年4月1日

コーヒーショップ。

JR三鷹駅近くを流れる玉川上水辺里を写真撮影を兼ねて散策。

まだ僅かに桜が散り残っていた。水面に桜の花弁が舞う。

20度近くの陽気。もう新緑がだいぶ芽吹き始めた。完全に季節が半月先を走っている。

昼過ぎ、駅ビルの『スターバックス』で休憩。

あまりこのコーヒーショップには入らないのだが・・。その理由はこの店のメニューがよく解らないのだ。

独自のステイタスを保ちたいのは解るが注文する方は困る。

とにかくメニューに書かれてあるドリンクがどんなものか解らずいちいち店員に聞かねばならぬ事が煩わしい。店員の接客にしても妙に意識的で身構えてしまう。因に店に備え付けてあるアンケート用紙を読んでみると店員のことを「バリスタ」と呼称している。もうこの時点で敷居が高い・・。

サービス云々以前に意味が通じる言葉で統一すればいいことなのだが・・。

で、面倒くさかったので「抹茶・・」と書かれたモノをオーダーする。取りあえず日本茶風のものが出てくるのだろうと思ったら、抹茶のマックシェイクみたいなものだった。解けかけたアイスのようなドリンク。失敗した。

『スターバックス』にはティードリンクはないんだな・・。

とにかく気疲れするコーヒーショップだ。自分には『ドト−ルコーヒー』の方が性に合う。最近は『サンマルクコーヒー』(だったか?)というのも進出してきたがどうなのだろう?

余談。

グリコから出ている「朝食バナナヨーグルト」は結構いける。


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