2001年11・12月

2001年12月30日

コミケ来場感謝。

今回はトラブル多発であった。うっかり手伝いを頼むのを忘れ一人でやり繰りすることに。たぶんお釣の間違いがいくつかあったかも知れぬ。申し訳ない。

更に会場のシャッターを全開にされたので風が吹込み、本が吹き飛ぶハプニング。本を重石で押さえなければならない・・。これじゃまるで屋外のフリーマーケットである。幸い午前中でシャッターは閉じられたがとんだ災難だった。配置によってコミケは天国にも地獄にもなることを思い知らされる。

さらにカートを持参しなかったため宅配荷を抱えて運ばねばならずヘトヘトに。

とはいえ、臨時に手伝って下さった知り合いや隣接のサークルの方の協力もありなんとか乗り切れた。

16時の閉会後、西の空には茜色に染まる積雲が流れ、東の空には煌々と照る満月が登ってきた。

とりあえず今年も終わる。積み残しいっぱいだが。


2001年12月28日

久々に夜の新宿都庁舎展望室に登る。

御用納めの金曜日。

澄み切った帝都の夜景はもうこれ以上にないくらいに煌々と地上の星のごとく輝く。

都心方面や湾岸はひっくり返した宝石箱のようだ。NTTドコモの尖塔ビルの明かりに台場の観覧車やレインボーブリッジ、羽田を発着する航空機のライト..。これが不況に喘ぐ国の首都なのかと疑うほどのゴージャスな夜景。ラピュタ王国全盛期のようだ。

新宿三井ビルに満月に近い月が映っている。

まるでモノリス。

2001年帝都の旅という映画がもしあったとしたら多分こんな風景を特撮で作ったんだろう。


2001年12月26日

もう御承知とは思うが某月刊誌の次回掲載作品を落す。

読者並び編集の方に多大なる御迷惑をおかけしてしまったことお詫びします。

コミケ原稿のせいなどではなく(というより今回はコミケ用に描下ろす時間的余裕は元々ない)、絶対的な遅筆のせい。アシスタントが使えれば臨機応変に対応出来ようが人に頼れない作画をしているともうどうしようもない。
原稿を落すというのは、売れっ子作家なら一種の箔になるかもしれぬが自分のレベルだと単なる不利益。編集や読者の方にもご迷惑をかける。
『プチアップルパイ』の頃も『モーニング』の頃も似たような事例で頭の痛い思いをしてきた。根本的に漫画の絵ではないから計算立てて作画が出来ない。白黒原稿で目算が立つのは8ページ位まで(『コンバットコミック』で連載していた頃は大凡このペースだったので比較的うまくいったが)。16ページとなるともう何時仕上がるのか皆目解らない。よくこんな情況で商業漫画を描いていられるものだと我ながら驚く。無論対応方法はあるのだが商業誌である以上、その雑誌の方針に合せなければならず自分のペースで描けるとは限らない。いつもそのギリギリのバランスで悩んでいる。
こういう時はトーンやベタや背景など分業作業が出来るノーマルな漫画の絵を描ければいいのにと思ってしまう。
それもまた無理な話なのだが。

ただ大切なことはクオリティーを保つ事。

これは守っていきたい。


2001年12月25日

TBSラジオが50周年とかで記念番組を流していた。

深夜には愛川欽也と、山本コウタロウ、白石冬美、野沢那智という30年前のパックインミュージックDJが出演してトークを繰り広げていた。

当時とまったく変わらぬ雰囲気が気を重くさせる。事あるごとに1970年代前後の深夜放送グラフティーみたいな企画が繰り返されるが新世紀になってまで引きずる意義はあるのだろうか?

懐かしさより一度食べたモノを反芻している不快感の方が際立つ。

トークの内容も「近ごろの若い者は不可解だ」みたいな年寄りの説教が耳に残る。かつては「若者の解放区」を標榜していた人達だったのに。寄せられるリスナーメッセージも媚びた迎合文か懐古趣味に浸るものばかり。

当時のオリジナルの頃から聴いていた者にとっては「これでいいのか?」と疑問に思う事ばかり。

これでは下水の逆流と同じ。

新しい新鮮な水をラジオに注ぐ必要があるのに、もはやそれは望めぬのか?


2001年12月23日

例のごとく忘年会にはまったく縁がないのだが・・。

阿佐ヶ谷某BAR常連客のあるクリエーターさんから誘いがあってちょっとだけ顔を出してみる。

場所は西荻窪のこじんまりした画廊というか展示スペース。

そのクリエーターさんのお仲間が集まっての忘年会。ほとんどが初対面の人ばかり。

20〜30代の「自称芸術家」っぽい15人ほどの集まり。いわいる『ヲタク』とは対極にあるような軽めの男女が大半を占めていた。

最近はそういう人間集団が苦手というか(まあ大抵のコミュニティーは苦手なのだが)、自分の事をまったく知らない人達にいちいち自己紹介をしなければいけないのが面倒。名前だけ告げてあとはネットで検索してくれと言うのが一番楽だが、それでは会話にならない。

仕方なくいろいろ喋りつつも頭の中では「なんでこんなつまらんこと説明しなきゃいかんのだ」とうんざり。とにかく外交辞令的会話に時間を費やすだけ。共通の話題もなし。

軽いノリでコミュニケーションとれる天性もない。

およそ1時間もこの場にいると自分が此処ににいる理由もないなと解ってくる。居酒屋で二次会となったが何ら有益な交流もなく自分だけ先に席をはずし帰宅。

外はやたら寒かった。


2001年12月22日

クリスマスも近づいてきたが今年はどうもピンと来ない。

フライングぎみのクリスマスデコレーションやセールで食傷ぎみ。(これは去年の日記にも記した)あとサザンオールスターズのボーカルが歌っているクリスマスソングも「暑さ」をイメージさせてこの季節にはそぐわない。

毎度のことだが最近のTBSラジオを聴いていると時計が30年巻戻った気分になる。特に木曜深夜の鴻上尚史の番組構成は70年代半ばの深夜放送とそっくり。

だけど聴取者は当時のリスナーの息子娘の世代であって価値観はまったく違うはず。にもかかわらず親の時代とまったく同じ構成のラジオ番組が流されているって・・。

なんかもう何もかも行き詰まってしまった現れなのか・・。

とはいえ、当時とあきらかに違うところはインターネットの存在。当時、深夜放送が担っていた役割のほとんどはこっちに移行してしまったのだから危惧する必要もないか・・。

結局今のラジオは団塊世代のノスタルジーでしかないのか?いや、ラジオはもっと進化出来る可能性はあるはずなのだ。

あとオールナイトニッポンも久々に聴いてみる。

これも20年前と変わらぬ構成。当時と違うところは時事ネタをあえて避けているところか?特に若者向け番組にはその傾向が強い。

で、公共広告機構のCMがちょっと気になった。

「子供を叱れる大人になろう」「子供を恐れるな」とかいうキャンペーンだ。これが頻繁に流れる。

70年代と逆だな。

当時は大人に対する反抗が叫ばれていたのに。

もう若いエネルギーで社会を変えていこうなんて叫ぶ余力はこの国にないらしい。

ラジオを聴いているといろな事が「見えて」くる。


2001年12月15日

コミックガム編集部から読者プレゼント用のテレカが送られてきた(此所を参照)。

これは10月号に載ったものだがなかなかデザインがカッコよい。絵も程よく縮小されて絞まっており発色も本誌に載った時より良いような・・。

GETされた方はいらっしゃるだろうか?

東京MXテレビ噂の『テレバイダー』を観る。

土曜夜10時からの1時間生番組。

一言で言えばシュールな情報統計番組??

生放送でリアルタイムに他チャンネルの途中経過を入れたり、フジTV『笑っていいとも』の今週のゲストを解説してみたり(バックの絵がサングラス・・)、占いのラッキーアイテムだけを集めたりと、地方テレビではあまりやれそうもないネタが盛り沢山。

ちょうど裏番組のフジテレビで『続・猿の惑星』をやっており、その途中経過で

「全身タイツのおもしろ地底人が怪光線を・・猿の惑星なのに猿が出ていません」

というどうでもよいコメントを入れていたのは何というか・・。

それはさておき、『続・猿の惑星』に出てきた地底人。地下の礼拝堂で核ミサイルを聖なる神として崇めるシーンはなかなか萌える。

みんながICBMに向かって合唱するシーンは感動もの。

20年以上前に、最初に観た時は「とんでもない連中だ」と思ったものだが、今観ると野蛮な猿から身を守らんと必死な故、核ミサイルを崇めるに至ったと考えると痛く同情する。

今のアメリカ人みたいだ。頑張ってほしい。

ゴールデンシアターの解説やってる竹中直人も地底人にこだわっていたな。


2001年12月14日

冬至近くになると陽射しが部屋の奥まで射し込んでくる。

陽が部屋のあらいるモノに反射して輝き出し眩しい位だ。

こんな時BGMとしてシンクロするのは冨田勲のシンセサイザー曲。ドビッシーの『月の光』とか『ベルガマスク組曲』とか。

理由は解らぬが妙に魂を揺さぶられる気分になる。

トミタのシンセサイザー曲を初めて聴いたのは高校生の時。やはりその時期が影響しているのだろうか?

阿佐ヶ谷の某バーにて。

例の謎の天才バイオリニストが店の新メニューをホワイトボードに記していた。

余白に店の看板ネコの絵を描けと命令されたのでとりあえず描いてみる。

アルコールが入っていたのであまり上手く描けず。

ここの看板ネコは去勢されたオスネコ。だから額の部分に冗談半分に「絶望」と入れてみたがあっさり消されてしまう。

彼女曰く「絶望はあんただけでいいの!」

ネコ以下の扱われようだ。


2001年12月6日

コミケ用新刊原稿入稿。

今回は商業誌の原稿が多忙で書下ろしする余裕なく学生時代に描いた未発表のスケッチをまとめたもの。初期作品集第三集になるか。

雨の中、竹橋の印刷所へ。いつも通りの入稿を済ませすぐに帰る。寄り道する余裕無し。

すぐに商業誌原稿に取りかかる。


2001年11月28日

自分の所属していた大学サークルOBHPの掲示板には同世代前後が記した子煩悩な書込みが幾つも見られる。娘の七五三の話題などだ。皇太子夫妻の子息誕生の話題も相まって気にしない訳にもいかぬ。

この歳になると生理的に子育てモードになり、身体がそれに順応するようになっている。おそらくそれは性別に関係なく遺伝子の中に組み込まれた時計みたいなものがあるのだろう。

結婚し、子を設けるともう自分の事をあれこれ考える暇などなくなる。日々の子育てに精一杯。人生の選択肢は限られてしまう。だがそれが正常な歳の取り方なのだ。少なくとも自分の遺伝子を継承した子供はどんどん育っていく。それだけで十分ではないか。自分がくたばったって子供は残るのだから。

にもかかわらず、結婚もせず子供も設けていないと、身体と現実のギャップが激しくなってバランスがとれなくなる。

そしていろいろ自分について考えはじめる。

だが考えるだけ無駄なことに気がつくのだ。もうこの歳に至って考えても仕方ない事に。

独身は自由と言われるが、ある時点を過ぎるとその自由が苦痛に変わってくる。あれこれ考えても自分に寿命がくればそれまで。

そして何も残らない。

人の寿命には限りがある。

だから健康な心身を有していれば結婚し子を設けるのはごく自然な欲求なのだ。

何事にも限界はあるもの。

自然な欲求に負荷をかけ過ぎることは建設的な人生ではない。

正直もう考えることにはうんざりである。


2001年11月27日

コミックガムのカラーイラスト入稿。

今回は色付けも手描きで処理した。久しぶりに絵の具が紙に染み込む感覚。

パソコンで色付けした場合、モニター上でみる色と印刷された色との感じがどうも一致せず、ぱっとしない。現状では紙媒体に印刷を前提とする場合、手塗りのほうが仕上がりが良い。とはいえ、手塗りは時間もかかる上、やり直しが出来ず緊張する作業になる。データ入稿の場合、いくらでも劣化しないコピーやバックアップが作成出来るが、紙原稿はその一枚しか存在しない。パソコン導入以前はそれが当たり前だったのだが、データ入稿に慣れると紙原稿がいかに貴重なものかが解る。紙原稿をスキャンしてデータ入稿も考えたのだが(デジタル化すれば細かな修正や汚れも画面上で補正出来て完成度は高まるのだが)紙原稿独特の質感が失われてしまう。もっとも印刷所の方でスキャンされてしまえば同じ事なのだが・・。

このあたりの処理の仕方も難しい。


2001年11月21日

先日、TBSラジオ『 鴻上尚史の博愛ライダー!』にて電話ゲスト出演の庵野秀明氏が宮崎駿氏について感想を述べていたのを聴いたのだが、なんか自分が思っている事と殆ど同じであることに気が付いて妙な気分になる。

考えてみれば世代も同じ、影響を受けたタイミングも同じであるから当然といえばそうなのだが・・。

やっぱりこの世代にとって宮崎駿は『未来少年コナン』に尽きるのだね。


2001年11月19日

コミティアに参加。

来場感謝。最近、同人誌イベント会場でよく見かけるようになった服の中に、ゴスロリというのがある。

ゴシックロリータというファッションだそうだ。

ピンクハウスより上品な雰囲気で興味をそそられた。でも高そうな服。

獅子座流星群。

見てしまった。数百年にあるかないかの大流星雨。

でも一生分の流れ星をいっぺんに浴びてしまったとも言える訳で・・。

なにか特別なエネルギーを得る事が出来たろうか?

それはさておき、こういった太古の時代より永々と繰り返されてきた壮大な天文現象を自らの裸眼で確かめることは、人として生きる上で必須条件なのかもしれぬ。

今回の流星雨は誰かの都合によって予定調和に作り上げられた虚像ではないのだ。人が居ようといるまいと流星雨は降ったのだ。

それを目撃した者としない者とでは、おそらく人生観は変わってくるのではないだろうか?


2001年11月10日

NHKテレビで放映されたドラマ『聖徳太子』を観る。

ストーリーは別として飛鳥時代の衣裳、武具、祭事などリアルに造り込んであり、なかなか見るべきものがあった。音楽も冨田勲で好みだったし。

『日出ずる処の天子』として大河ドラマ化してみるのも面白かろう。でも3時間ドラマだからこそハイレベルで制作出来たのかもしれぬ訳で一年通し56話だとこの水準を保つのは無理か?だが聖徳太子の半生を3時間で描くのはいささか無理があったらしく後半ちょっと苦しかったか・・。

とはいえ久しぶりにマトモに観れた歴史ドラマであった。

いずれにしろ飛鳥時代の衣裳や祭事って絵になるね。


2001年11月2日

新宿御苑にて写真撮影。

この季節は紅葉の少し手前。まだ木枯らしも吹かず、晴れた日などは心地よさが一番感じられる。

僅かに色付いた落葉樹からの木漏れ日が絵になってくれる。

うっすらと靄ががかかったような東京の午後。あと少し経てば寒い北風に支配されてしまう日々が待っていると思うと一寸しんどい。

暑さ寒さが身体にこたえる年齢にはまだ早いが木漏れ日のベンチに佇むと30年後の自分を想像してしまう。

こんなふうにぼう〜っとしていられれば案外真っ当な人生なのだろう。


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