2001年9・10月

2001年10月26日

あまり盛り上がらなかったというプロ野球日本シリーズ。

ヤクルトスワローズが優勝したのをラジオで聴く。

思い出すのは1978年、スワローズが初優勝した時だ。当時大学生でサークル仲間もプロ野球ファンが多く結構盛り上がっていた。自分もスワローズファンだった記憶がある。広岡監督の下、若松、大杉、杉浦、ヒルトン、マニエル、船田、八重樫、大谷、永尾、松岡などなど懐かしい名を思い出す。この年は確かNHKで『未来少年コナン』が放映されていたはず。いろんな意味で記憶に残る年だった。

今年のシリーズの第4戦だったか、文化放送の解説ゲストでたけし軍団の一人が当時の頃を感慨深く話していた。同世代の人間なのでいろいろ同感することあり。日本シリーズはデーゲームに戻すべきとか、夕日に傾くスタジアムの影が情緒を生むんだとかの話は頷けるものあり・・。

今はもう自分の周りにプロ野球愛好者もおらず、興味も薄れ、ほとんど関心を寄せることはなくなったがひいきチームの勝敗で一喜一憂していたあのエネルギーって何だったのだろう?


2001年10月23日

次号『アワーズライト』原稿仕上がる。

今回も難航。馴染みの原稿用紙がなくなったせいでリズムよく作業が出来ない。

仕方なく表面がつるつるの漫画用原稿用紙を使ったのだが、この場合、三種類ほどの種類の違うペンを使わねばならない。HI-TEC-Cという0、3mm極細ボールペンにピグマ0.05mm。特に微細な線を引く時は丸ペンを使うのだがこれが扱いにくい。つけペンなので定規で線を引く時は気を使うし、なかなか乾かないし、思ったような方向に線が引けないので原稿用紙を一々動かさねばならぬ。はるか昔はこれ一本で描いていた頃があったのだが、今思えば気の遠くなるような作業だった。更にHI-TEC-Cは水性インクなのでホワイト修正がやりにくく、乾きが遅いので消しゴムかけは半日待たないとダメである。その上、ピグマペンはこの用紙だと線が太って細い線が引けず、消しゴムをかけると薄くなってしまう。効率が悪く、仕上がりも納得いかず。

まったく精神衛生上よろしくない。

馴染みの用紙ならばピグマペンの0.1mm一本でスムーズに作業が出来たのに。この用紙だと練りゴムを使えるのでピグマで描いた線も薄まらないし印刷の出もイメージに近い。いろいろ紙を試しているのだがなかなか馴染みのものに代わる原稿用紙がみつからない。ざらざらし過ぎたり、つるつるし過ぎたり微妙なところでマッチしない。

まったくもって困ったことだ。


2001年10月20日

18年程前の日記が出てきたので一読してみる。

日記といっても一行コメント程度のものなのだが、意外に思える事を発見する。

当時はバイトをしながら原稿も描いていたのだが、当時のほうが早く描いている(爆)。仕事量も多いのではないか??

もっとも今とは描き方も作画密度もレベルが違っていたのではあるが、進歩の程があまりない現実を再確認して暗澹たる気分に。

当時と明確に違うところは蓄積された作品の量と諸々の経験があるかないかということ。

だがそういう蓄積されたものが有効に活用されているかというと疑問だ。

ただの代謝物の山なのかも知れぬな。

活用次第で宝の山にもなってくれようが・・。


2001年10月13日

久しぶりにクロッキー会に参加する。

美術出版社『コミッカーズ』編集部が主催したもので有志10人程が集まった。

といっても以前某阿佐ヶ谷でやっていたクロッキー会メンバーとほとんど重なるのでその延長みたいなものだ。

一年以上やっていなかったので感覚つかめず苦労する。その上、この様子を記事にするということで写真撮影や取材も入り妙に緊張してしまった。

参加者は知る人ぞ知るというイラストレーターや絵描き、漫画家さんばかりで皆自分の絵というものを持っており、それぞれ独特のタッチでクロッキーを仕上げていた。

後で参加者の描いたCGやイラストなど見せて頂いたのだが猛烈に上手い。こんなに才能ある人が実はついこの前までプロではなかったとかの話を聞かされるとため息が出る。

この日本には才能ある若いアニメ、コミック、ゲーム関連クリエーターで溢れているのだね。その一方でこういった才能あるクリエーターをプロデュースする人材には欠けていることも確かだろう。

なにかとても勿体無い気がする。


2001年10月5日

最近、時間をかけてもうまくいかない事が多い。

ばたばたやって結局たいした結果が残らない。雑誌の読者プレゼント用色紙というものを描いたのだがどうにもサマになってくれず・・。著名なキャラクターがあるわけでもなし、上手いサインが書けるでもなし。なんだか訳の解らないモノになってしまった。書き直したいけど時間もない。そもそも色紙なんて数分で書き上げるもの。それを4,5時間かけても出来ないということ自体、おかしいんだね。

とにかく、空回りする日々。

今、ペン入れしている原稿だって絵コンテ描いたのが6月・・。4ヶ月たってもまだ仕上がらない。

なんだかなあ・・。


2001年9月30日

しばらく秋晴れが続いていたがきょうは雨。

最近、朝に窓を開けるとキンモクセイの香りが漂ってくる。何時頃からこの香りを意識するようになったのだろうか?

愛聴しているコミュニティーFMのDJさんから芝居の招待状が届いた。

彼女が所属している劇団の第2回公演。きょうはその公演最終日。

場所は阿佐ヶ谷の「スタジオはるか」という小劇場。『ししゅう』という人間の生と死を題材にしたオリジナル劇。

彼女はその劇の中で女の本音と建前を演じていた。無理なく自然に表現出来る才能はたいしたもの。回を重ねるごとに芝居に磨きがかかってきた。屈託のない笑顔が眩しい。

この10月で二十歳を迎える彼女には永遠の可能性があるように感じる。

やっぱり若さは財産なんだね。


2001年9月26日

次回作資料写真撮影のため、靖国通りを市ヶ谷方面に歩く。

新設された市ヶ谷防衛庁外観を見て回る。あいにくテロ対策のため内部見学は出来ず。完全装備の自衛官が表門に立っている。それを望遠レンズで撮影。あまりうろうろすると怪しまれるので早々に退散。

にしても、この都心のど真ん中、小銃を持って警備する自衛官の姿を見ると妙な滑稽感に襲われる。米軍基地の米兵はいかにも戦闘員というイメージだが都心の自衛官は道路工事の作業員と同じポジションに見えてしまう。

目的、使命感が希薄だからだろうか?

外堀沿いに歩いて周辺も撮影。逓信病院、法政大学辺りを回り、靖国神社を経てJR市ヶ谷駅に出る。今日も好天で西日が眩しい。ラジオからは相変わらずテロ関連のニュースばかりが流れ、いささか食傷ぎみ。全然聴いていなかったプロ野球中継のほうが新鮮に感じられてしまう。


2001年9月24日

10月売り『COMICガム』のカラーイラストを仕上げる。

はじめて本格的に「フォトショップ」を使って着色に挑戦。アルファーチャンネル等未体験ツールを試してみる。選択範囲を保存してちまちま塗りつぶしていく。「ぺインター」とは違い、塗るというよりカラートーンを張り付けていくような感覚。ただレイヤーが何層にもなりファイル容量が大きくなりすぎるのが難。あとレイヤーマスクの原理がよく解らず誤魔化しつつ仕上げる。まだ慣れないせいか手塗りよりも時間を食ってしまった。

「フォトショップ」は絵を描くという感覚ではなく切り絵に近いか?ただやはり「ぺインター」のほうが直感的に着色出来るのでフォトショップでの着色は違和感を感じてしまう。

臨機応変に使い分けていこう。


2001年9月22日

この季節には珍しい寒気が流入して11月頃の寒さ。朝などはストーブが欲しい程。まだ残暑の頃なのに。

ある知人に連れられて『Zepp Tokyo』とかいうライブハウスで行なわれた"Oblivion Dust"のコンサートへ行く。

正直な話、このようなロックコンサートは初めてだしグループのことも知らない。ただ単に知人がたまたまそのグループのファンであるという理由だけ。

大音量の演奏。飛び跳ねて頭を揺すっている女の子の大群。自分はただ鼓膜を保護するためにずっと耳を塞いで我慢するだけ。

この歳になって新しい領域の見聞を広めるのはいささか無理があった。ただの我慢大会。

今、するべきことは今まで自分が蓄積してきたモノをいかに維持発展させるかであり、新しいことに首を突っ込む余裕はどこにもない。そして理解する余裕もない。

それを再確認出来ただけでも収穫かも。


2001年9月13日

「米連続テロ」事件。

なんか、現実のほうがフィクションよりインパクトのある情況になってしまい、漫画家としては非常に困る。漫画に限らず近未来的社会派シュミレーション作品の類は、こんな事件が起こってしまうと途端に色褪せてしまう。

この情況が更にエスカレートすると創作環境も悪化するかも。規制とか入って思い通りのものが描けなくなる恐れも無いとはいえない。

そういう意味ではこのテロを企画立案した者は皮肉にも最高のパフォーマ−と認めざるを得ない。

戦争は何時の世も最高のエンターテイメントなのだね。


2001年9月11日

台風15号は正午前、首都圏を通過していった。

先日の11号は南から雨が吹込んできたが今度は北側。いずれの台風も動きが遅かった。今年の8月よりオホーツク高気圧がずっと居座って東よりの風が卓越し偏西風が阻害され、澱んだ天気が続いている。

こういう気圧配置だと台風の動きも相殺され風は弱くなるが雨は長く続く傾向あり。

それはさておき、夕方より晴れ間広がり、雄大な夕焼け空が広がる。富士山がシルエットになって美しい。

早速屋根に上って写真を撮るが、最近、近所の家が改築して目の前にその家の窓が出来てしまい、落ち着いて写真も撮れなくなってしまった。西に開けていた眺望も狭くなってしまい残念な限りだ。


2001年9月2日

東京流通センターで開かれたコミティアに参加。

開会前に事前にアポイントしていた漫画評論同人誌のスタッフからインタビューを受ける。今までの漫画家生活を振り返るような質問にはなかなか答えづらい。別に振り返るほど何かやってきた訳でもなし・・。考えてみるとたいした事はやってないのだなとつくづく思う。

自分の代表作っていったい何だろう?いや、結局、代表作なんてまだ「ない」のだ。これから何を造り出すかが問題なのだ。


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