2001年7・8月
2001年8月29日
遅ればせながら『千と千尋の神隠し』を観に行く。
場所は新宿。水曜日の夜なのに満席だ。なんか人が人を呼ぶという情況なってしまったようだ。
全体の印象で言えば、胃痛の夜に見たヘンな夢というか、『ガロ』系漫画によくある世界観を見事に映像化したというか・・。
とにかく高度な作画技術と場面設定、演出には圧倒される。それを観るだけでも価値あり。
主人公の少女に対する宮崎監督の思い入れは一連の作品と同様だが、今を生きる少女にこれを説くというより、半世紀前に絶滅してしまった「あるべき姿の女性像」を描きたいといったほうが正しいか?
登場する諸々の神々は、学漫時代のしりあがり寿の漫画を彷彿とさせて萌える。
なんといってもカオナシはいい。
・・ってこれ自分がアワーズLITEに描いてる「影男」とキャラクターがカブってるよ・・(汗)
まあ無気味な存在を象徴するキャラクターとして黒いベールを頭からすっぽり被らせるというのは特に珍しい事ではないのだけれどね・・。
それはさておき、嘘か真か知らないがカオナシのモデルは「ジブリ」にひょっこり現れた庵野秀明であるとかないとか・・(笑)
まあ、そうなると「油屋」は当然「スタジオジブリ」になる訳で..。
いろいろ想像を巡らすと面白いので何回観ても損しない作品だ。
余談・・。最終上映時間に観たため売店が閉まっておりカオナシのグッズ買えず(泣)。
2001年8月28日
吉祥寺の西友の中に100円ショップがあるのだが先日そこで100円ラジオを購入した。
安かろう悪かろうの典型だったが取りあえず近隣のラジオ局は受信出来る。
相変わらず100円ショップは盛況のようだが今一つ常時利用する気にはなれぬ。
人は必ずしも安いものだけ選んで買う訳ではない。ブランド品なら尚更だし購入したという喜びが薄い。単純に消費されるものなら安いに越した事はないが少量づつしか売っていない100円ショップだとかえって不便だったりする。
100円ショップの品々を眺めるとなんかみんなイミテーションに見えてちょっと気分が悪くなる。自分まで模造品になった錯覚がしてしんどい。
2001年8月27日
COMICガム10月号が届く。
『学園ガム』に掲載された自分のイラストを見て・・。
やっぱり浮いている(汗)。
自分の作品が掲載誌に馴染んだことなど未だかつてないのだが、今回は輪をかけて浮いている・・。
萌え少女を描くべきだったのだろうか??まあ別の意味で「萌え」てるといえるかも(爆)。欄外の注釈もオシャレだし(核爆)。
この雑誌の読者がこのイラストテレカをほしがるとはとても思えないけど、ある意味レア(?)なので是非このアブない(?)イラストテレカをGETしてください・・。
2001年8月26日
多少残暑がぶり返したものの、この8月はぱっとしない天候がつづいた。
オホーツク高気圧からの北東気流がずっと流れ込んでいたせい。台風の速度が遅かったのもこれが原因だ。
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基本的に漫画は読まない方なのだが、送られてくる漫画雑誌はたまに目を通すことがある。
大抵はその中に自分が描きたかったテーマやストーリーに近いものがあったりする。自分と作柄が重なる人だと尚更・・。
そんなものを見つけると落ち着かなくなったり、焦ったりして自分の創作ペースが狂ってしまうのが常。とにかく筆が遅いため、あまり他の作家さんの作品は知らない方が精神衛生上好ましい。
知らぬが仏に限る。
2001年8月12日
コミケットに参加。
天候は曇りがちで気温も涼しく、比較的凌ぎやすかったが熱気は相変わらず。
今回で15回目になろうか。我がスペースに来て頂いた諸氏に感謝したい。
この場を借りて御礼申し上げる。毎度のことながら接客が苦手で応対の至らぬところ御容赦頂きたい。なかなか人の顔と名を覚えられず失礼があったかと思う。
コミケという処は実に特殊な場。普段内側に向いたベクトルがこの時だけ外に向く。あらいる階層、分野の知人、友人がこの年2回だけの祭の場でいっぺんに介する訳だから必然的に脳はヒートアップし、まるでジェットコースターに乗っているようだ。
それがある意味コミケの快感であろう。
2001年8月4日
絵コンテ作業。
いつも悩みながらやっている。毎度のことだが元絵のないジグソーパズルをやっているようなもの。自分が納得しても編集からダメだしされたらリセットし直し。
何週間も悩んでやっと完成させたものがNGだったこともあるし、数日でイージーに仕上げたものがOKになった事もあるし、これほど予測不可能な作業はない。
相性とかタイミングの問題であろうがやはり絵コンテ作業はあまり煮詰まらない程度に仕上げるのがベターな気がする。その方がダメだしされても臨機応変に対応出来よう。
2001年8月1日
やっと暑さがぶり返す。
水着撮影のモデルになってくれる知り合いを連れ『としまえん』のプールへ行く。
遊園地のプールは実は初めて。20年程前、神宮プールに行って以来だ。入園料+プール代で大人一人3800円・・。結構高いものなのだと驚く。
女性の水着も派手になったが、いつしか男性水着もトランクス型ばかりでブリーフ型の紺水着は皆無。時代の流れを感じさせる。
とりあえず波のプール辺りで撮影を済ませ、あとは馬鹿みたいにはしゃぐ。
チューブ型の滑り台で絶叫し、流れるプールの中ではグルグル回ったり頭がおかしくなったように暴れる。
普段部屋の中で悶々としていた反動が出たようだ。
身体を激しく動かすと面倒な考え事など吹っ飛ぶのでたまには良いかもしれぬ。
ただ、やり慣れぬ運動をしたため、プールから出た後はくたくたに疲労。
20年ぶりのプールは身体に堪えた。
2001年7月29日
厚木基地航空祭に赴く。
今年はフライトショーは中止の上、曇り空のため観客も少なく地味な雰囲気。
来場機の中では見るべきものはU-2位で早々に引き上げる。
2001年7月27日
北東気流が流れ込んできて涼しいが雲が多い。悪天持続の兆し。
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このシーズンになると夕方から夜にかけて遠雷のような鈍い音が聞こえてくる。
遠い砲声にも聞こえたりもするが、実はどこかの花火大会の音。
夏の夜に屋根に登るとなんかよい。
遠くの西新宿ビル群の明かり・・。雲に反射する都心の照明・・。遥か遠くの花火・・。近所の子供が上げているロケット花火の音・・。
ここからだと小型ラジオでも近郊のコミュニティーFMが受信出来る。屋根の上から遠くに見える花火大会の実況放送なんかやっていたりすると面白い。ラジオから流れてくる花火の音が数秒遅れて聞こえてきたりして妙。
夏休み独特の雰囲気が肌で感じられる夜だ。
2001年7月26日
やっと猛暑一息。
北から寒冷前線南下と共に台風北上。梅雨に逆戻り?
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ある漫画月刊誌に掲載されるカラーイラストを仕上げる。
例によって色付けはPainterの水彩モードを使ったのだが印刷媒体としてのイラストに色をつける場合、これだけで処理するのは一寸味気なさ過ぎる。Web上だけで見せるものならよいのだが紙媒体となると問題。やや消化不良な仕上がりに。
やはり紙媒体の場合は手塗りが基本かもしれぬ。
2001年7月22日
好むと好まざるとに拘らずインターネットというものは人の消息を明らかにしてしまうもの。
先日、久しく会っていない元知人のHPにひょんなことでアクセスしてしまった。会わなくなった情況があまり好ましいものではなかったのでどうしようかと思ったのだが、多少の懐かしさに駆られ、いくつかのコンテンツを閲覧することに。
インターネットなどない時代、去った知人の消息など知る由も無く、知る手段もなかった。また知る気さえも起きなかったろう。
そしてそれが当たり前であり、人はやがてその人物の全てを忘却の彼方へ流し去るのだ。
それが人の出会いと別れの掟。
しかし、今は違う。知りたくなくともひょんなことから勝手に情報が転がり込んでくる。インターネットは人の一期一会を破壊する。想い出さえも。
その元知人は無防備な日記を記していた。プライベートなことを吐露し過ぎていたのだ。HPを開設してまだ日浅く加減の程を弁えていなかったのであろうか?それともあえてそれを目的としたのか?
いずれにしろ、そんな日記から窺える元知人の日常に様々な感慨が湧き立つのであった。
関りがあった当時とほとんど変わらぬ文体に懐かしさを憶えつつ、当時思っていた事の延長上にあることや当時出来なかった事が成就されたことなどを読むと何とも言えぬ複雑な思いに駆られる。
確かに元知人は私の関知しないところで生き続けている。
当時ならあんなこと言えないのにと苦笑しつつ、まあ頑張ってるなと・・。でもあの身勝手な性格は直っていそうもないだろうけど・・とかね。
「人は忘れる事が出来るから生きていける」
人から忘却を奪うインターネットはある意味無慈悲なものかもしれぬ。
人の消息を知って何になろう?
だがもしそこに何か意味があるとすれば、それは自分を振り返るよい機会なのかも。
元知人の健闘を祈る。
2001年7月20日
暑い日が続く。7月に入ってまともな雨は18日夜の夕立ち位のもの。なんか熱帯の気候に近づいているかのよう。
先日、幼少の頃より馴染みの散髪屋で主人から聞いた話。
大阪で有名な○○興行のスタッフがこの店を訪れて、是非ここで映画のロケをさせてほしと依頼されたそうだ。聞くところによると、昭和30年代の雰囲気のある年季の入った山の手の散髪屋を捜していたそうでこの店がその条件にぴったりだったという。
しかしここの主人は近所の迷惑にもなるし、ロケの間営業が出来なくなるのは困るということで映画撮影の依頼は断ったそうだ。それでもスタッフはここを相当気に入ったらしく、その後も何回もアプローチしてきたという。
たしかに店構えは昭和30年代の雰囲気のまま。看板も色褪せているが趣がある。近郊の散髪屋は皆新装改築されて当時の面影はない。映画スタッフが粘ったのも頷ける。
時に委ね、ありのままで過ごすというのはある意味、貴重なことかもしれぬ。
2001年7月19日
学研に「大人の科学シリーズ」というのがある。
かつて昭和40年代から50年代、学研の「科学と学習」が毎月小学校を通して販売されていた時があった。その付録として数多くの科学教材を手にした記憶がある方も多かろう。
今、思い返せば、学校の授業よりもこちらの教材の方が知的好奇心を刺激して有益だった気がする。教科書よりも最新の科学情報に溢れていて、地殻のプレート理論や宇宙のスケール認識はすべてこの学研の科学で養われたといっても過言ではない。当時は学校のクラス単位で毎月決まった日に授業終了後有料で配付されていて、その日がとても楽しみだった。
それはさておき、この「大人の科学シリーズ」はそんな「科学と学習」に慣れ親しんだ大人達のために作られた大人のための科学教材だ。
その最新版に磁界検知式鉱石ラジオというのがあって電源無しでラジオが受信出来るという優れもの。
検波に4種の鉱石を使っていろいろと実験出来るらしい。ラジオや無線に興味ある者ならちょっと試してみたい。デジタル全盛の今、あえてこれに挑戦するのも一興だろう。
2001年7月18日
コミケ用新作入稿。
パソコンでの版下作業に慣れてくると作業も効率化。この部分だけは「夢の西暦2001年」を実感。
今回の版下原稿はグレースケールで出力したものを使用。はたしてどんな仕上がりになるであろうか?
さて、出力された原稿を版下(漫画原稿用紙)に貼るのだが、その時使用するスプレー糊がすこぶる不調。暑さのせいかは不明だが糊が均等に噴射されずボタボタ大きな固まりになってしまい閉口した。
手作業の部分は気候とかに左右されてしまうところがネック。もっともパソコンもクラッシュしてしまえば全てお釈迦なのだから一長一短である。
入稿はいつものK印刷。受け付けはお馴染みの人なので入稿手続きはいたってスムーズ。
入稿後、近くの書泉グランデでコミケカタログ購入して帰宅。
2001年7月13日
猛暑続く。熊谷では39度を突破したとか。
夏といえばリプトンのアイスティー。コンビニでパックで売っているがこの夏はなぜかピーチティーがない。代わりにパイナップルティーがあるがいまいち不満。
2001年7月11日
スティーブン・スピルバーグ監督『A.I』を観る。
場所は渋谷東急会館。平日だというのに凄い人の列。人気映画を旬の頃に観るのは久しぶり。
出来は大いに満足するレベルだった。
いわいる正統派SF。サイエンスフィクションと銘打って恥ずかしくない作品。
それもそのはず。構想自体は20年前にスタンリー・キューブリックが温めていたもの。それをスピルバーグが具現化したものだから。
1960年代〜1970年代後半には優れたSF作品が数多く造られていたけれど、ここ15年は真っ当なSF映画は皆無といってよい。
『A.I』は、ある意味その「良き時代」の残照なのかも。
1970年代後半に最も感受性豊かな時代を過ごした世代にとってはツボにはまる作品だ。
昭和30年代っぽい日本の家を彷彿とさせる屋内セット、『ブレードランナー』を連想させる車と退廃した歓楽街シーン、『未来少年コナン』に出てきたような水没したマンハッタンの廃虚などは実に「おいしい」。
ロボットと人間の葛藤というテーマはすでに手塚治虫などが描き尽してはいるがそれを改めてこの2001年に映像化出来た事は称賛に値する。
但し、一緒に観た知り合いは「とても今の子供達には見せられない恐い映画。R15指定もの」という感想をもったという。
たしかにある意味恐い映画でもある。
作品の雰囲気はタルコフスキーに通ずるものさえ感じられた。
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観賞後、恵比須ガーデンプレイスの39階レストランで食事。
そこから眺望出来る地上の星のような夜景を眺めて、これが1960〜80年代近未来SF映画の舞台となった2001年の東京なのかと複雑な思いに駆られたのであった。
余談だが『A.I』に出てきたテディベア。関連グッズとして劇場で販売すれば結構売れるんじゃないかな。
2001年7月6日
梅雨前線が南下してやっと猛暑から開放されそう。
仕事部屋はトタン屋根の2階なのでここ数日屋内は体温以上に暑くなった。だからといって極力クーラーはつけない。猛烈に暑い中で原稿描きというのは結構気合いが入ってよい。寒い場合は手がかじかんで暖房なしでは仕事にならないが、暑い場合はなんとか我慢出来るもの。とはいえ、さすがに夜の蒸し暑さには耐えきれずクーラーを入れる。35度を超える部屋では眠る事は出来ない・・。
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TVで放映していた『魔女の宅急便』を観る。
先日の『カリオストロの城』も久々に観た。『カリ城』は確か22年前の作品。『魔女宅』も10年以上前の作品だが、特に『魔女宅』の画像の美しさと作画の完成度は宮崎作品の中では一番ではないか?CGが全盛になる前だったから正に手工芸品のようだ。
公開当時は絵の美しさとキキの凛々しさとかに心を動かされたものだが、今見ると「ああ、一人暮らしって大変だよね」とか「パン屋のおやじっていろいろ苦労してるんだろうな」とか「森に籠って絵を描いてる姉ちゃん、ホントに絵で食ってくのかな?」とか「キキの両親って典型的な幸せ家族だなあ。あの親父は今の俺より年下だぞ?洒落にならん」とかやたら現実臭い感想ばかり・・。
それはさておき放映中、黒猫ヤマト宅急便CMで黒猫縫いぐるみプレゼントみたいなのがあったが、タイアップだったのかな?
2001年7月1日
東京猛暑36C。
気象衛星『ひまわり』画像を見ると日本列島を中心に時計回りに大きく弧を描く気流の流れがあってその内側は高圧帯で晴天域になっている。台風はその外側を大きく大陸側に迂回するので日本列島には南からの暑い風が流れ込む。
まるで盛夏のような気圧配置。梅雨前線など影も形もない。
6月から7月にかけてこんな真夏日が続くのは稀。干ばつの予感?
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そんな猛暑の中、米空軍横田基地祭に赴く。
毎年夏に開かれる基地開放行事。米軍機の展示と離着陸が直に見られる他,アメリカンスタイルの祭りが体験出来る。
晴天に恵まれたため大勢の来場者が押し寄せていた。しかしこの炎天下。飛行場の照り返しで日干し状態。(毎年、日焼けで痛い思いをしていたので今回は日焼け止めクリームを処した。お陰でほとんど焼けずに済む。)ペットボトルの水もあっという間にお湯に。展示されている米軍輸送機の主翼の影はさながら避難所。でもこれが航空祭の醍醐味の一つ。強烈な陽射しと真っ青な空。その空を切り裂くジェット戦闘機。日常の狭い空間での悶々を解消するにはもってこいだ。
展示されていた米軍機は例年並。時折、離着陸する米軍機やチャーター便を眺める程度。横田では派手なアクロバット展示飛行とかはないので被写体には乏しいが地上展示機が帰投する時とかは俄にシャッターチャンス。でもあんまりカメラのファインダーばかり覗き込む作業は不健康。ほどほどにする。滑走路際には相変わらず航空ファンのカメラボーイたちが陣取っているが、以前程カップルや家族連れの客とのギャップは大きくないかも。子連れの航空ファンもちらほら見かけるようになった。
余談だが家族連れにやたら女児が目立つ。服装も大人の女性と差程違いがなくみんなお人形さんのよう。因みにこのようなイベントでは携帯電話はもう必須アイテムで待ち合わせの概念が一変。何処にいても瞬時に連絡とれてしまうのだからね(但しPHSとかは施設内にアンテナがないため使用範囲が限られる)。逆にいえば携帯を持っていないとお荷物にされ肩身が狭いかも。今回、連れがひとりいたのだが携帯持っておらず、仕方なく特定小電力無線機(ライセンスフリー)を渡し連絡を取り合った。
夕方には風も心地よく乾燥した暑さだったので気温の割には快適となる。とはいえ、ペットボトル3本分の飲料水は消費したか。服装も全身黒(一見クメ−ルル−ジュかベトコン)だったので熱を相当吸収した。(でも黒のほうが紫外線を遮断する効果大)。
航空機も飛ばなくなった18時頃に帰路につく。基地祭は21時頃までやっており花火大会もあるのだが体力も使い果たしたし、客層も変わってくる(ギャル風のおねーちゃんとか・・)ので早々に退散。
夕日が奥多摩の山陰に沈む光景が美しかった。
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