2001年5・6月

2001年6月21日

先月、少しだけ取材を受けた月刊誌『散歩の達人』を買う。

今月は阿佐ヶ谷特集ということでJR阿佐ヶ谷駅前の本屋には『散歩の達人』が堆く平積みされており、しかも先着200名にはおまけ(ボールペンかハンカチ)まで付くというサービスあり。

特集された街の本屋は皆こんなキャンペーンするのだろうか?

それはさておき、巻頭の「平成の大文士が語る堕落的散歩論」の文章はなかなか面白かった。

古典的表現ながら阿佐ヶ谷に住む自由業者の的を得た散文。

死ぬ死ぬって言いながらなかなか死なないモラトリアムなところが阿佐ヶ谷的なんだろうか??(笑)

ところで取材を受けた部分なのだが某クロッキーワークショップの記述で自分が「講師」として参加していたとなっているがこれは誤りで正しくは「一般受講者」として参加していたのである。それもちゃんと受講料を払ってね。

講師なんて偉い立場で参加していたなどと誤解しないように(汗)

ただ、受講者といってもプロの漫画家、イラストレーターの方が多く参加していたので誰が講師で受講者かなんてあまり関係なかったのであるが。

そういう意味では参加者全員が講師みたいなものかもしれなかったな。

またあんな集まりがあると面白いのだけれどね。

二日ほど部屋を開けていたら飼い猫が扉を自分で開けて入り込んでいた。
勝手に歩き回ったらしく電話の留守電応答録音ボタンが押されており、なんと応答メッセージがネコがごそごそ家捜しする音に変換されていた。その上目一杯録音されていたので相手のメッセージがまったく記録出来ないモードになっていた。
電話かけてきた人はさぞ無気味だったでしょう。
というより仕事の依頼電話がもしきてたらどうするんだ??
ネコには罪はないけれど、こんな悪戯されるとは・・。

なので6/19〜6/21の間にこちらへ電話して留守電応答メッセージが変だったと思われた方、原因は上記のような理由です。

御容赦を。


2001年6月20日

お好み焼き。

知り合いが『じゃりんこチエ』風(?)お好み焼きを御馳走してくれた。

なかなかの味。食べごたえ十分。淡白な味に慣れていたのでこんなお好み焼きもあるのかと感動。

レパートリーとしてゲーム『バロック』風カレーもあるというのでぜひ次回はそれを食してみたいものだ。

ごちそうさま。


2001年6月19日

次回作が載る『アワーズライト』8月号の刷り出しが来る。

先月号あたりから印刷方法が変わったのだろうか、非常に良い印刷の出になっていた。

仕上がり次第で作品に対する反響も大きく左右されることもあるからやはり良い印刷に越した事はない。

なぜだかほっとする。


2001年6月15日

テレビを何となく灯していたら加藤登紀子の青春期みたいなものをやっていた。

学生運動華やかなりし1960年代、活動家の男性と知り合い、結婚まで至るエピソードは人生の文(あや)というか運命というか・・。本人も語っていたが人の出会いというのは河の流れのようなもので自分の意思に関係なく行き着く処に至ってしまうという。

その活動家が獄中にいる時に彼女がその男性の子を身籠ったことを知り、産むか産まぬかの葛藤は痛烈だし、結婚後、出所して収入のない夫の夢の実践のために子供を自分の収入だけで養っていったエピソードなどは尋常な人間では到底乗り越えられない事象だ。

まあ当時から有名歌手だった彼女だから成し得たことなのかもしれぬし、お昼のワイドショー内の特集だったので多少の脚色はあろうと思うが・・。。

それにしてもこの夫はある意味、冷酷というか自分の夢(無農薬有機農場を設立すること)のためなら子供の養育やら生計なんかを全て妻に託してしまえるんだからね。絶大なる自信というか、身勝手というか・・古い言葉でいえば亭主関白というか。まあそれだけ人望が厚かったからこそ妻も就いて行けたんだなと思うが。

強引な位の行動力と存在感、そして人望の厚さ。

今も昔も慕われる男の条件というのはそう変わるものではない。

陳腐な言い回しだが『男はタフでなければならぬ。やさしくなければ男ではない』のかもしれぬ。

でも男らしさ、女らしさを人生の軸に出来た時代は1960年代が最後だったのかもしれないなあ。

今、これを実践しても誤解される場合の方が多いような。

みんな賢くなりすぎたのかも。


2001年6月9日

阿佐ヶ谷某BARにて例の謎の天才バイオリニストによるミニ・コンサートがあったので観劇す。

黒いシックなドレスが似合う。

曲目はJ.S.Bach/Partita。 Partita BWV1004

フレンドリーな雰囲気で畏まったものはなく、技を見せつけるというよりその場を和ませるための演奏と感じる。幼年期から愛用しているというバイオリンはもう身体の一部のようだ。

スコアなしで一時間弱のバッハを完奏してしまうのを見るとやはり尋常ではないと思う。脳のステージが根本的に違うのだろう。更にその才能を生活の糧にしないという彼女の姿勢がまた神秘でもある。

コンサート後の宴席でも彼女は臆する事なく客に接し、客が引いた後はごろんとその場に寝転がってしまう。こんな様をみると、つくづく大物の貫禄ありと感心してしまう。

某国の国賓の前だろうと場末の居酒屋だろうと分け隔てなくこなせる奥深さはどこから来るのか?

やはり謎の人である。


2001年6月7日

きょうも健康の話。

といっても自分のことではなく、知り合いのこと。

最近、注目されはじめた若年層女性にみられる症候群。

「月経症候群(PMS)」と「月経前不機嫌性障害(PMDD)」

PMSとは女性の月経時における様々な不快な症状の総称で排卵期から月経が始まる数日前にかけて発現し、月経開始後2日ほどで消失するものが一般的らしい。

PMDDは更に日常生活に支障をきたすほどの重度の症状を指す。

これらの症状は個人差が激しく、症状も様々で原因も単純ではない故、なかなか周りから理解されず、悩んでいる女性が多いそうだ。

一因として脳内セロトニン分泌が不正常で自律神経が阻害を受けることが原因ともいわれるがはっきりしない。

ただ黄体ホルモンの分泌に何らかの因果関係があるそうで妊娠すると症状が治るともいわれる。もしかすると女性の初産年齢の高齢化がこのような症候群を一般化させているのかもしれぬ。一種の文明病だろうか?

総論はさておき・・

で、その知り合いもこの症候群に悩むひとり。

ある時期、突然情緒不安定になったり怒りっぽくなったりする。そんな時は非常にデリケートに接しなければならない。ひどくなると自傷行為までに至る場合もあって(実際私の前ではそんなことまでしないが)、目の前で食器なんかを投げ付けられるとこちらまでパニックになりどうしてよいか解らなくなる。

こういう時、異性として出来ることは陳腐な言い回しになるが「察しと思いやり」しかない。

そんな時決め手になるのは度量と経験、懐の深さとか。親父の持つ父性愛みたいなね。

それが総称として「優しさ」というのだろう。だがそれが自分にどれだけあるか・・悩むところ。

男としてというのではなく人間として度量や懐の深さ(経済力も含めて)がないと優しさって実践出来ない・・

とつくづく思う日々である。

(「思う前に行動しろよ」という突っ込みがきそうだが)


2001年6月6日

東京地方も梅雨入り。

健康についての話。

仕事柄、ここ20年、定期的な健康診断を受けた事がない。

無論体調を壊して医者に掛かったことはあるし、尿管結石で一週間ほど入院したこともある。

だが周期的な健康診断はしていない。故に自分の血圧とか血糖値とかまったく知らないのだ。「知らぬが仏」という諺もあるし、あえて診断受ける程、慢性的な体調不良もないのでまあいいやという感じ。

ただ、年齢的にいろいろ気をつける頃ではある。

最近、急にふらふらして、猛烈な空腹感と甘いものが欲しくなる事がある。甘味な菓子を摂取するとすぐに治るのだが、どうやら一時的な「低血糖」らしい。

糖尿病なんかに罹りたくはないなあ。

あいかわらず、体重は40Kg前半で食事も一日1食という時もあり、まずいなあとは思うが・・。

睡眠は十分過ぎる程寝ているので健康は保たれてはいるが。

最近、つくづく思う事は

「健康であれば何だって出来る」

である。
2001年6月4日

東京真夏日。

某月刊誌の次回作UP。今回は紙や画材を従来のものと変えて作画。10年ぶり位に丸ペンを使ってみたりする。でも仕上がりはそれほど変わらず。

また、作画行程で新たな方法を試してみたが一長一短で飛躍的効果は期待した程表れなかった。

手先の技術よりスピリッツの問題か?

もっといい絵を描かねば。

『JEANS MATE』にてズボン購入。

それにしてもなぜ吊りズボンがないのだろう?サスペンダーも大抵の店にはない。お腹を締め付けない吊りズボンはとても楽で愛用しているのだが、需要がないのだろうか?

不思議である。


2001年5月28日

NHK『みんなのうた』で、最近「アキストゼネコ」とかいうパラパラ調の曲が流されているのに気付く。

「アキストゼネコ」とは恋占いの呪文の一種らしい。

CGの女の子2人組が画面上で踊りながら歌うのだ。

妙に気になる。CDも出ているそうだが・・。

『新世紀エヴァンゲリオン・オンラインCG補完計画』の本が送られてきた。

考えてみると自分の作品が商業誌の付録CD-ROMに収められるのはこれが初めて。

それが『エヴァ』のイラストになるとは・・。

何か複雑な心境である。


2001年5月26日

阿佐ヶ谷の某BARで某雑誌の取材を受ける。

阿佐ヶ谷についての印象、在住の漫画家さんのことなど諸々話す・・。

約1時間程のシンプルな取材。その某雑誌は次号で阿佐ヶ谷を特集するということです。


2001年5月21日

日曜深夜、ふとTBSラジオにチューニングしたら『TBSキンヤパック』と称する生放送をやっていた。

かつての『パックインミュージック』のリバイバルのような番組。DJは愛川欽也。コーナーもジングルも昔のまま。懐かしいというか何というか・・。

最近、TBSラジオはやたらトークラジオっぽいものを目指しているようだ。月曜夜にやってる『アクセス』という番組も聴取者参加型社会派プログラム。確かに聴きごたえはある。それだけ聴取者年齢層が高くなったということか?しかし、逆に言えば若い年齢層が減って新しい発想力に欠けてきたとも言える。

たとえば『パックイン』をはじめ、深夜放送全盛期の1970年頃に30年前のラジオ放送をリバイバルする発想があったか?つまり、1940年代の番組をだ。まずありえない。間に戦争があった訳だからね。

そう考えると2001年に30年近く前の番組を復活させても違和感ないということはある意味不健全なのかもしれぬ。価値観の変革がほとんど無かったってことになるのだから。新陳代謝がないんだね。このままではラジオは老いに任せるしかない代物になる。

ところでTBSラジオは次週5/28にラジオの未来を論ずる2時間の特番をやるそうだ。

興味深いのでぜひ聴いてみようと思う。


2001年5月15日

先日、NHK総合TVで『ロズウェル』という海外ドラマシリーズが始まったのでちらっと観る。

UFOの不時着したアメリカの田舎街で繰り広げられる青春ミステリードラマらしい。

特にUFOにも興味ないのだがアメリカ合衆国の中西部の片田舎という場所には妙な関心がある。西部開拓時代の面影が残っていて、すごく閉鎖的で、部外者は殆ど立ち寄る事が無く、そこの保安官は何代も同じファミリーが継いでいて・・。そんな街のAMラジオ局『WT・・』とかいう放送を聴いてみたいと思ったりする。

『ロズウェル』は何となくそんな雰囲気を持っているドラマだ。
2001年5月4日

東京ビッグサイトで開かれた同人誌イベントに参加。

隣のブースが一本木○女史のサークルで御本人が売り子をされていた。手慣れた接客で流石年期が入っている。最近はこういったイベントに結構メジャーなクリエーターが顔を出すようになった。同人誌がもはやアマチュアからプロへの一過程の存在であった時代は終わったのかも知れない。

帰り、お台場に寄る。

GWで物凄い人の波。お台場全体がテーマパークのよう。・・にしてもあの「自由の女神」とフジテレビの変な犬のマスコット。あれを恥と思わぬ感覚は理解出来ない。ニューヨークの猿真似とスヌーピーを青く塗り替えただけの犬。せっかくの雄大なパノラマ風景があれで台無しだ。

行列が出来た「ゆりかもめ」に乗るのを諦め、りんかい線で天王洲アイルまで出て帰宅。
homeostasisTOPへ戻る