2001年3・4月
2001年4月23日

新聞の訃報欄にふと目を止めると「あすなひろし」という名が。

1970年代後半、週刊少年チャンピオンに『青い空を白い雲がかけてった』という作品が連載されていたことがある。ちょうど、17〜8才頃、最も感受性が強かった時代、唯一、単行本をリアルタイムで買って読んだ作品だった。今でも時々本棚から出して読む事がある。第2巻に『8月のツトム』というエピソードがある。担任の先生の里にクラスメート数人で遊びに行くストーリー。夏も終わり、いよいよ帰宅の日、ガールフレンドのよしべえが「来年も来れるといいのにね」という問いかけに対して主人公のツトムが夏の空を見上げながら「あ・・ああ」と呟くシーンが何故か深く印象に残っている。

いずれにしろ、自分の人生でのなかで純粋に傾倒できた少年漫画はこの作品だけである。

あすなひろし氏の御冥福をお祈りする。


2001年4月21日

今週初旬、某コミュニティーFMのDJさんがまたまたお芝居をやるというので観覧。池袋東京芸術劇場小ホール。

瞳ナナというマジシャン(?)が主演のセーラームーンを彷彿させるミュージカル仕立てのお芝居。というよりマジックショーだ。このようなジャンルの芝居をみたのは初めてなので新鮮。いろんな世界があるものだ。

特に風水などは信じないのだが池袋はどうも鬼門だ。この翌日も池袋で映画を観たのだがちょっとしたトラブル発生。幾つもの選択肢がある中で最も悪い情況に陥るのは決まって池袋なのだ。

出来れば避けたい場所ではある。
2001年4月14日

原稿用紙に悩む。

愛用していた原稿用紙の仕様が微妙に変わってしまい、馴染めなくて難義する。

原稿用紙といっても画材店で売っているような「漫画用原稿用紙」ではなく、表面が多少ざらついた紙なのだがそれが若干仕様変更してどうもペンの走りが悪い。線も微妙に違う。我慢して使い続けるか、新たな紙を捜すか難しい所。一般のケント紙を使った漫画用原稿用紙だと表面がつるつるで微細な描き込みが出来ない。とはいえ扱いやすさを考えれば専門の用紙に優るものはない訳でどうしたものか。


2001年4月4日

靖国神社にてお花見。

少し風が強かったが晴天。桜はまだ満開を保っている。

白い鳩と桜が妙にシンクロする。

お堀端の桜の淡い桃色と菜の花の黄色、そしてハナダイコンの紫色が混然一体となって360度見渡せるというのは壮観だ。

夕刻、半月が南中し、桜はますます怪し気に闇に浮かぶ。桜の下には人が埋まっていると言われる由縁がよく解る。

同行の知り合いが満開の夜桜を見て「目を瞑った時の網膜の模様」と表現したのは可笑しかった。


2001年4月3日

電話は苦手である。

直接相手と接している時は身ぶり手ぶりで意志疎通を補完出来るが電話の場合、相手が見えないため会話のみでコミュニケーションしなければならず難義だ。

事務的な会話なら問題ないが、いわいるプライベートな意思疎通を電話でするというのは自分にとっては苦痛に近い。そのあたり脳の伝達機能がショートしているのかもしれぬ。

だから電話だけの会話で明解良好な意思疎通をすることは希有である。


2001年3月28日

今週で『地球少女アルジュナ』放映終了。

「いただきます」で締めたということは、これは究極のグルメ作品??

8話までは作画もストーリーもクオリティー高かったが残り3話でトーンダウンした印象。

やはり全12話では無理があったのか?但し、異色なテーマで現実世界の矛盾に迫った姿勢は評価に値する気がする。ボーダーラインすれすれなストーリーもあったし。ただ『エヴァ』みたいなムーブメントを起こす迄には至らないのは残念。バックボーンの力不足?

いずれにしろ、絵と音楽は創作意欲の良い肥になってくれそうだ。

宮崎駿の新作制作発表があったとのこと。ちらっと観たラッシュフィルムから思う事あり。

最近、庵野氏や押井氏が実写映画に進出しているが、やはりセル・アニメで制作するべきが常道ではないかと思う。

いくら実写で独特の世界観を描いたとしてもそれは実写映画という大きな流れの延長上に組み込まれてしまうだけ。現実の俳優では到底、アニメの持つダイナミックなイマジネーションを表現することは不可能だし、映像としての世界観もたとえ現実世界を扱ったとしても、一度絵に描き起こすことによってその作家性が生まれるのであって、そのセルアニメで表現された世界観を実写映画で体現しようという試み自体、おかしなことではないか?たとえCGを多用したとしても基本はセルアニメでいくべきだ。

絵と写真は全く別物。

実写のクオリティーを高めれば高める程、ハリウッドのSFX作品と比較されるだけ。

日本のセルアニメというブランドをもっと高く評価する努力の方が重要なのじゃないか?

最近、気になるCM。

グリコの牛のお乳のカルシウムヨーグルトに出てくる牧場の女の子。ラストで前屈みになって何か言ってる。あれは妙に残る。


2001年3月25日

次回作絵コンテ作業。早めに上がったら外出しようかと考えていたら雨が降ってきた。

このところやたら暖かいのでつい遊びに出たくなってしまう。

高畑勲演出アニメ『赤毛のアン』のガチャポンフィギュアの出来がなかなか良い。

ここまで出来が良いと芸術品並?


2001年3月18日

21日発売月刊誌に載る作品の刷り出しが上がってきた。

今回は前回並とはいかず、インクが乗り過ぎたのか線が太ってしまい全体的に潰れたシャープさの欠けた印刷になっていた。

まあ印刷に泣かされるのは慣れているので割り切るしかない。

そもそも漫画雑誌の印刷に多くを求めてはいけない。大量消費を前提とした再生紙と活版印刷で緻密に書込んだペン画みたいな原画を忠実に再現するなどそもそも無理がある。

無理を承知でこれまであの絵でやってきたのだから苦労は報われていなくとも仕方ないのだ。

短期間に何万部も全国に配本される商業誌。

自費出版とは創作ステージが根本的に違うもの。

にしても、自分で印刷条件を調整出来ないのは辛いものがある。デジタル化が規格化されてスムーズなデジタル入稿が商業誌にも一般化すればこのようなギャップも埋まるのだが。

とはいえ、それはそれで新たな手間がかかる訳で・・。


2001年3月14日

新宿御苑で次回作品のための参考資料撮影。

ここからだと最近、代々木に建った巨大高層ビルが妙にインパクトがある。

あれは帝都に結界を張るエネルギー収束装置ではないかと疑っているのだが・・。

ファーストフード屋で人と待ち合わせている時などに女子高生の団体が隣に居合わせたりすると災難だ。

制服姿で煙草は吸うわ、氷の投げっこはするわ、口汚ない会話にふけるわ、迷惑極まりない。その上無意味に短いスカート。反面、ポテトをむしゃむしゃ食って幼児のよう。

まあ、そもそもファーストフード屋というものはそんな輩が集う処。諦めるしかないか。


2001年3月10日

久しぶりに吉祥寺の「ユザワヤ」に行ってみたら4フロア分が丸ごと「トイタウン」とかいう玩具売り場に変身していた。

なんというかいわいる今流行りの懐古的マニアックなスタンスではない。昭和40年代、子供が溢れていた頃のデパート玩具売り場的な重厚長大玩具を片っ端から集めてきたという感じだ。

少子化の今にあたってこういった幼児向け玩具がそれほど売れるとは思えない。このような巨大玩具フロアはどうにもミスマッチに思えるのだが。売り場というより昭和40年代をイメージした大掛かりな映画のセットみたいだった。

土曜だったので結構親子連れの客は比較的多かったのだが、なんか昔のような大人が子供に買え与えるという雰囲気ではなく親子の差が良く解らないというか・・。それに妙に女児ばかりが目立つ。

10歳位の男の子を連れた夫婦がプラモ売り場で『エヴァ』の模型を物色している光景に遭遇。

「壱号機もいいけど弐号機もかっこいいね」と子供そっちのけで商品を選んでいるその若夫婦。

まあ『エヴァ』だから解らないでもないが・・(汗)(ミサトの車の模型も売ってたし・・)

もはや子供と大人の差を求める事自体無意味な時代になったのかも?

10分ほどいると何か堪え難いものが込み上げてきて早々に退散。


2001年3月9日

HPを一部改装する。無線のコンテンツは別に独立させるなど。

ところでこのHPはページミルというソフトで作っているのだが、変更したファイルをアップロードしても更新されない時がたまたまある。何が原因かはっきりしないのだが僅かの更新では認識しない時があるようだ。そんな時は焦っても仕方ないので放っておく。いい加減なものでそのうち何回かアップロードしているうちにちゃんと更新されていたりする。

あまり神経質にならないことが基本かも。


2001年3月7日

某月刊誌の原稿やっとのことでUP。

一月半ぶっ続けの仕事。ただ、これが真っ当な創作者の日常なのかもしれぬ。

で、仕上がった原稿をスキャンしてデーター化しているのだがこれが結構しんどい。フォトショップで画像処理する時、トーンカーブやらで調整するのだが、その度合いがはたしてこれで良いのか悩む。一度変更すると元に戻す事が出来ないので落とし所が難しい。調整レイヤーというのは便利だがファイル容量を食うのでキリがない。

9GBあったハードディスクも残り4GBを切った。外付けHDDを購入せねばなるまい。

さて、そろそろ新年度なのでこのHPもいろいろ整理してみようかとも考えている。

「あびゅうきょ」というコンセプトとして考えるとちょっと疑問なコンテンツがあるのでそれは分離独立させたいとも思っている。

無線、仮想現実日記等はこのHPから切り離し、あくまで「あびゅうきょ」情報に限ったシンプル化を考えている。

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