2001年1・2月


2001年2月28日

ひたすら原稿。

他の諸々のことに手が回らぬ。

2月中に通販を申し込まれた方の発送が滞ってしまっており申し訳ない。なにせ全て一人で処理しなければならぬ情況。

3月初旬には順次発送の予定。

暫し待って頂きたい。


2001年2月24日

最大戦速で原稿ペン入れ。

時間との勝負・・。

朝方、NHK第一ラジオ「ラジオ深夜便」は侮りがたし。

たとえば『こころの時間』という対談番組がある。聞き手のアナウンサーに各界の著名人が自らの宗教観を訥々と語る地味な番組なのだが妙に聞き入ってしまう。このラジオ深夜便の時間帯でたまに古いラジオドラマが放送されることがあるのだが秀作揃いだ。昭和30〜40年代に作られたラジオドラマは著しく想像力を刺激する。

ラジオしかなかった時代、否応なく人々は皆想像力を養われた訳で、インターネットに慣れた今の人々の思考回路と比べるとむしろ過去の方が千差万別な価値観に満ちていたような気がする。

TBSラジオ「土曜ワイド」。

今は永六輔が司会しているが、かつて三国一郎だったか、まだ久米宏がTBSの新人アナとしてレポーターやってた頃から聴いていた者にとってはこの変わらないTBS土曜午後の雰囲気は好きだ。

この急速な時の流れの中、ラジオは自己をしっかりと留めておくことの出来る希有なメディアなんだと思うこの頃。


2001年2月22日

やっと暖かくなってきた。今年の冬は寒くてしんどかった。寒さが身にしみる年齢になったのか?

今週の『地球少女アルジュナ』。いよいよインド密教と日本神道の融合っぽくなってきた。

関西が舞台ということは大和朝廷と何らかの係わりがあるのか?

アルジュナ=卑弥呼説?

ところで樹奈って端から見ると電波系少女。

突然不思議なモノが見えたり聴こえると言って走り出す人。

こういう人は春先になって増えるが、その中の何人かは本当に未知の時空からの声が受信出来る超能力者であると昔、大槻ケンヂがラジオで語っていた。

それはさておき、『アルジュナ』放映時のスポンサーCM、特に某専門学校の・・。あのセンスには生理的に拒絶反応が起きてしまう。勘弁願いたい。どういうつもりで作ってるんだろうか?

いずれにしろ、同好の志で自己完結したCM群を観ていると冷や汗が出てくる。

だからアニメっていつまでも蔑視の対象にされてしまうんだね。

困ったものだ。

ハワイ沖の原潜衝突事故に配慮して『ゴジラ』の放映も中止になったとか。妙なことにならねばよいが。

在日米軍や自衛隊のイベントに影響が出たりするのが心配。



2001年2月15日

バレンタインデー翌日。

コンビニの店頭にあった贈答用チョコが哀れにも半額になっている。

まるで今週の『地球少女アルジュナ』に出てきた奥さんに逃げられた哀れで危ない高校数学教師のよう。必要とされない存在は救いがない。

押井守監督の『アヴァロン』を観る。

映画で仮想現実を描く場合、その世界観に没入出来ないと皆「夢落ち」に感じてしまうことも。

特にゲームをしない人間からするとなかなか感情移入出来ない恐れがある。

これだけの重量感ある戦闘シーンを「仮想世界」として描くのはもったいない。

音楽は重厚で申し分なし。


2001年2月12日

東京流通センターにて同人誌イベントに出店。

今回は知り合いが多く訪れてくれた。来て頂いた方には御礼申し上げる。

それはさておき、隣の女子二人連れのサークル。高級チョコをひたすらパクパク食べていた。バレンタインデーが近いのでそのついでに自分用として購入したものかは知らないが何か妙な光景だった。

隣なんだから一つ位くれたっていいものだが完全に無視された(笑)

あと『バトルロワイアル』の制服を着た女子もちらほら見かける。このイベントはコスプレ禁止なので普段着として来ているのだろうか?

秋葉原に寄る。

いわいる秋葉系男子でごった返していた。凄い人並み。団塊Jr.が中心世代。数は力なりとはよく言ったもの。

「ヲタク」という蔑視言葉もここでは通用しない。それが大多数を占めた時、異端ではなくなるのだ。

チタン合金製マックパワーブックG4を見る。

薄くて軽量でソニーのバイオに対抗したというだけのことはある。

ただ量販店に行くとマック製品の扱いは地味で折角の画期的パワーブックG4も銀色の板が放置されているみたいで寂しい。量販店にとってマックはあまり利潤は生まないのだろう。それに比べてソニーとかの製品は綺麗に展示され、いかにも買いたい気をそそる扱い。

ソニーがマックを買収するとかの噂があったらしいがそれはそれで日本のユーザーにとっては良いかもしれぬと思った。

ところで『地球少女アルジュナ』のCDがどこの店に行ってもない。

なぜ?


2001年2月9日

ここ最近、オンライン上で仕事を済ます機会が何件かあった。

1MB級のデータをメールで送ったりするのだがこんなアナログ回線でも案外やろうと思えば出来るものだ。

今だパソコンの基礎中の基礎を知らない事がある。

「づ」のローマ字変換がやっと解ったのはパソコン買って約一年2ヶ月後だったし、コピー&ペーストもしばらく解らず一々文字を打っていた。文字を打つよりもタブレットで絵を描く方を会得したかったので実を言うと今だ常識的なことが分かっていなかったりする。

それでもなんとなく使えてしまうのはマックだからか?


2001年2月6日

『地球少女アルジュナ』第5話を観る。

ファーストフード店がスポンサーでなくて良かった!?やはり民放で放映する作品ではないな。

ところで関西弁って本場の声優がやらないと嘘っぽいというか・・。正しい関西弁という概念もよく解らないのだが、どうもこのようなシリアスな作品に「疑似」関西弁は合わない気がする。慣れの問題かも。

イカレた感じの科学者が出てきたが『マクロスプラス』にもそんなキャラクターがいたような。スタッフが同じということをどこかで耳にしたので何となく気になった。


2001年2月5日

テープライブラリーから10年位前のラジオ番組の録音テープを再生。

伊集院光のオーデカナイト、大槻ケンヂのANN、奥山佳恵と松村邦彦がやってたニッポン放送の番組とか・・。

結構FAXを送って読まれたものだ。まだ葉書が主体でFAXがそれほどメインでなかった頃、メールでネタ募集なんてなかった時代。競争率もそれほどではなかったから読まれる確率は結構高かった。

ジュリマリとか古内東子とかまだメジャーになる前のラジオ番組にも採用されたことがあったな。

これまで合計するとFAX1000通はラジオ番組に送ったか・・。

気が付けばヘビーラジオリスナー歴25年・・。

先日、TBSラジオ日曜昼の伊集院光の番組で『ちょこべえ』というチョコのCMが話題になっていた。

妙に印象深かったことを思い出す。

あのCMはぜひもう一度見てみたい。


2001年1月31日

テレビ東京18時放映『地球少女アルジュナ』第四話を観る。

カルトっぽい説教さが小気味よい。

はたしてこの作品、陳腐に言い古された環境問題を終始テーマに貫くのか?それとも何か隠された真のテーマの伏線に過ぎぬのか?

緻密で巧妙な演出とCGが画面に妙な説得力を持たせている。

アルジュナはナウシカか?

TVシリーズで本気でそれを実践するとしたらそれなりに価値ある作品に成ろうが・・。

はたして今後どうなる?


2001年1月30日

先日、NHK総合TVで『みんなのうた』40周年だったか、その回顧録みたいな番組をやっていて初期のモノクロ作品が流されていた。

まだ物心付かぬ幼い頃、確か観た記憶があるような・・。

それに附随してその頃の回りの情況も蘇ってきた。妙な体験。

先週末、首都圏に大雪が降ったが、かつてまだNHKTVが終夜放送していなかった頃、台風とか大雪の時に限って臨時放送として天気図、気象衛星画像、屋外のライブ映像を交互に流していた。

バロックなどのBGMが妙にその映像にシンクロしてよかった。画面の上に「次の大雪情報は3時からお送りします」というテロップがずっと出ていたのもよいアクセントだ。

随分前の話だが大雪の日、NHKの定点カメラが映し出す場所を知った閑人がカメラに向かってパフォーマンスを始めたのを見た事がある。画面はすぐに切り替わってしまったが・・。

それはさておき、公共放送は必要な情報だけを生のまま粉飾せずに流しておけばよいのではないか?最近の意味不明な終夜放送の意義がよく解らない。

今日の伊集院光のラジオネタのヒット。

椎名林檎の次回新曲タイトル

『浜松オートレース』


2001年1月29日

「深夜に書いた手紙は出すな。」

誰が言ったか知らないが、この時間帯に書いた文章は大抵朝読み返すと赤面モノ。

インターネット上のメール、BBS、チャット、日記の類は殆どこの時間帯に書かれている訳だからある意味恐ろしいものがある。
2001年1月25日

最近、コンビニで甘いものばかり買う。

キットカットのストロベリー味とか。干しプレーンとか。

食事の前にモリモリ食べてしまい健康には良くない。

だが相変わらず体重は増えない。40kg前後のまま。甘いものが甘いものを呼び、このままでは糖尿病になってしまう。

某イラストコミッククリエーター紹介雑誌に知人の記事が載っていて気になるコメントがあった。

「描き込みが説明的になってはいけない」

絵が説明的になると想像の幅が限定されてつまらない絵になると。

確かにその通り。

反面、漫画の絵というのは、まず説明的でないと成り立たない要素がある。一種の記号なのだね。

キャラクターも背景も読む者に対して出来る限り解りやすい記号であるべきで、ニュートラルな曖昧な絵ってまず受け入れられない。

だから説明的でない絵を描ける情況はとても羨ましい。

最近、無理に説明的作画ばかりしてきた気がする。これは自分の本義ではない。

表現者はまず自分の本義に忠実でなければならぬ。
2001年1月22日

HP上の掲示板。

少し安易に作り過ぎていないか?

公衆の場にランダムにボードを建てて、任意に書込んでくれと言っているようなものだから必ずしも管理人の意に沿うものばかり書かれる訳ではない。公序良俗に反するものや個人情報等は論外としても

微妙な書込みはどうするのだ?

何が管理人の意に沿って何がそうではないかを書込む側は入念に調べることは出来ない。精々注意書きを読む程度。

大抵はこの位は良いであろうと。その許容範囲は結構難しい。相手の顔が見えないネット上だとそれを推し量るのは至難の技だ。それにその日の管理人の感情によっても変化するだろう。

何が削除の対象で何がそうではないかは書込んだ時点では解らない。

まったく顔を合わした事のない者同志であればさほど問題はないであろうが、知った仲同志だと削除するしないで人間関係を壊す事になりかねぬ。ネット上では生身の身体を通さない分、本音の人間関係が出てしまう恐ろしい場所だ。

つまり管理人の資格としては相当寛容性のある人物でないと無用の混乱を招く危険性がある。

日によって許容範囲が変わったり、書込み可能な情報の範囲が極端に狭かったり、あからさまに特定の人の書込みに限って削除したりするようでは掲示版の管理資格はないと。

限定的な情報交換したければメールなりメーリングリストで行うのが妥当であろう。

書込む側のネチケットは無論だが管理者側の対応も責任は重い。相当気を使う覚悟がないと掲示板は作っちゃいけないのじゃないか?基本的には誰もが自由に書き込める訳だからそれを前提にしないと。

所詮はトイレの落書き版という覚悟で開設せよ。

因に此所のHPのオーナーは極端に寛容性がないので掲示板を設置する資格はない。

掲示板書込みに対する寛容性は結構重要な設置条件かもしれぬ。


2001年1月20日

雪が積もった。

昔のフォークグループ『ねこ』が歌っていた「雪」という曲をなんとなく思い出してしまう。

たまに今でもAMラジオでこの季節流されているのを聞く。

東京の雪は妙にうきうきする。

街の喧噪が積雪に吸収され不思議な沈黙が支配する。

東京にとって雪の日は祭事だ。

困っている者よりも喜んでいる者の方が多いに決まっている。

いっそのこと積雪の日は東京だけ休日にすればよい。


2001年1月18日

三軒茶屋にあるキャロットタワーの展望室に登る。

老人と子供ばかりが佇むフロアに世田ヶ谷のコミュニティーラジオのサテライトがある。

夕日が沈まんとする中、頭を垂れる老人と泣きわめく乳児のシルエットがこの国の行く末を想像させた。

ラジオのDJも退屈そうに夕景を実況するだけ。

猛烈な寒気の中、西の山陰に太陽が沈んでいった。

帰り、世田ヶ谷線に乗る。

なにやら旧車両がもう見納めとかでマニアが線路に入って困ってるらしい。

午後6時、沿線真っ暗の中、世田ヶ谷線はごとごと進む。へんな夢を見ているようだ。

とにかく暗い。黄泉の国へ向かっているよう。

下高井戸で京王線に乗り換え、更に明大前より井の頭線で浜田山へ。

そこから最近開設された阿佐ヶ谷駅行きの区営バス『すぎまる』に乗る。

住宅街を縫うようにとろとろ行く様はまるで『トトロ』のネコバス。

見慣れた中杉通りに出た時はほっとした。


2001年1月16日

久しぶりにエヴァアンソロジーイラストの原稿依頼が某所からあり、とりあえず片付ける。

TVをぼやっと見ていて「おや?」と思った事二題。

どこかの学習塾のCMで人型巨大ロボットに搭乗した少年が街を彷徨するというもの。

まるで実写版エヴァ。カメラアングルとか凝った作りに思わず見入ってしまう。

もう一つはTV東京火曜午後6時からのアニメ『アルジュナ』(?)。

なんだこれは?

作画もストーリーもやたらクオリティーが高い。実写も交えた構成が凝っている。OVAの焼き直し作品か?予備知識まったくなく不明。

今日観たのは第2話だったので今年に入ってから始まったらしい。

額に勾玉が光っている少女。かなりくるものがあったが一回だけ観ただけでは判断つかず。

『トライゼノン』もそうだったが連続して観ると凡作なのに一部だけやたらクオリティーの高い回があったりして思わず騙されてしまう場合があり要注意。全話通してどうなんだ?っていうTV連続アニメは最近お目にかかることが少ない。

『アルジュナ』はどうなんだろうね。


2001年1月15日

HPを開設してから1年が過ぎた。

どれほど意義あることだったかは解らない。

だが、プロのクリエーターとして言える事は、自分自身の日々のエネルギーをこのようなことに消費してしまう情況はあってはならないことだ。

本来、プロならば、HP上で行う広報活動、作品発表などは誰かが代わってやってもらう立場になければならぬ。

それは出版社であったり、アシスタントであったり、信頼できる知人であったり、恋人、妻であったり・・。

それを自分一人でやっているということは、つまりプロ失格なのである。誰もやってくれないから自分でやるしかない。恥ずべきことと認識すべきなのだ。

所詮HPなど戯れ事の類に過ぎぬ。

カウンターを付け、やれ切り番プレゼントとか、掲示板で知り合いだけの情報交換に終始して悦に入っているとか、自己満足の日記をだらだら書くとか、そんな暇があったら創作活動にもっと全力を注ぐべきなのである。こんなことは素人の分野だと自覚せよ。

自分をクリエーターとしてダメにしたくなければHP活動は最少限の情報だけ掲示するに止めよ。

インターネットは創作の本質的な部分には何一つ役に立たぬのだから。


2001年1月13日

例の某BARに来ている謎のバイオリニストと少しだけ話す機会があった。

自信家で自己愛が強く、コンプレックスを感じる事が馬鹿馬鹿しいという。

他人の目を気にするより自分で自分を計ることの方が重要という。

誰に対してもそのような気概で臨む傾向があると話す。

理屈では判るような気がしたが、所詮生きているステージが違い過ぎる。

その自覚がないことが人をネガティブな情況に追い込むのだろう。

神秘的な装飾が「謎」めいていて興味深かったが、(創作の素材としては大変興味深いのだが・・)

ステイタスが高い分、格下と判断した人物に対してはあからさまに見下す傾向があると感じた。

やはり彼女の今の居場所は間違っている。

こんな場末の酒場に集う独身男性相手に戯れてはいけない。

彼女自身の行動で彼等が傷つくことに気がついていないところに彼女の罪がある。

彼等は玩具ではない。

彼女の生きる場は高級官僚のサロンか旧華族の社交場であろう。

身分相応であれ。


2001年1月11日

映画『バトルロワイヤル』を観る。

大袈裟にマスコミが取り上げていたけれど、なんのことはない。平成版『ハレンチ学園死闘編』というイメージ。B級アクションとして観ればとても楽しめる映画。

最近の日本映画は小道具の扱いやガンアクションが上手くなっていると感じた。映画パンフも凝ってるし。やっとアニメ以外で観るに耐えうる作品が出てきたということか?


2001年1月5日

遂にドールに手を染める。

実は少し前から『聖処女十三騎士団』のキャラクターをドールに出来ないかと思案中で、また作画用のポーズモデルとして活用が出来ないものかと考えていたのだ。

時たま模型屋なんかで軍装をしたドールを見かける事があり興味をそそられていたのだ。

意を決して吉祥寺の「ボークス」というドールを扱う専門店に入る。

どうやら新装開店したばかりらしく、諸々のドールが綺麗に陳列されている。

『スーパードルフィ』と称するシリーズなどはもはや芸術品並。

このような品が売れる時代っていったい・・。

とにかくこの手のものは初めてなので店員に聞いて回ったのだがよく解らない。いろいろ物色の末、カスタマイズ出来る1/6スケール素体とカスタムへヤーヘッド、瞳のデカール、それにミリタリーアクションフィギュア用のドイツ軍軍装などを購入。約9千円ほどの出費。

帰宅してから諸々組み立てに入る。30年近く前のGIジョー以来だ。

なんともリアルで自然なポーズが作れるドール素体(ボークス製のNEOEBという製品)。

顔とか髪型は自分でカスタマイズしなければならぬので面倒。とりあえず、瞳のシールを顔の目の位置に貼り、髪を三つ編みに纏める。

軍装はスケールがやや大きく、この素体にはだぶだぶ。

この中国製軍装はよく出来てはいるが材質はあまり良くなく、不良品ぽいのもある。なんとブーツは両方とも右用が入っていた。

悪戦苦闘の末、なんとかドールに軍装させる。あまりフィットしなかったがそこそこイメージしていたものに近い仕上がり。

思った以上に自然なポーズを取らせる事が出来たので参考に何枚か写真に撮る。

凝れば凝る程おもしろそうなドールだが金も掛かりそうだな。

それにしても最近、自分の回りにドールにはまっている知り合いが増えた。


2001年1月1日

年が明けた。

実際、21世紀になったって結局例年と変わらぬ正月である。

大晦日から某BARで毎年恒例の蕎麦打ち大会に参加。

零時少し過ぎ、 阿佐ヶ谷の神明宮に初詣。某BARの客数人と行く。

ところが参道に長い行列。こんなのは初めてだ。

なぜか若い人が多い。

破魔矢を買う。

お焚き火をしばらく見つめるのがいい。最近は焚き火にあたると言う事自体珍しくなった。


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