RADIO DAYS 2002


5.移動運用その9/筑波山(2002.5.3)

昨年に引き続き、東京コンテストと有志クラブ員(JO1ZLM)による特定小電力無線遠距離交信実験のため移動運用を実施した。

今回、移動地に選んだのは茨城県つくば市筑波山。無線移動のメッカなのでこの機会に遠征することにした。

JR東京駅から筑波まで高速バスが出ているのだが、あえて今回は電車を使うルートを選んだ。15年くらい前までは土浦から関東鉄道筑波線が走っていて上野から筑波駅まで直通特急があったそうだが、今は筑波線が廃止され公共交通機関はバスだけ。

朝、6時に阿佐ヶ谷の自宅を出てJR中央、山手線で上野駅へ。そこから常磐線普通列車に乗り約1時間かけて土浦に向かう。普通の通勤型電車なので旅情などなし。

土浦に着いたのは午前8時頃。駅前は東京近郊の立川や八王子と似ている造り。駅バスターミナルより筑波山駅行路線バスに乗るのだがこれも古い通勤型バスで旅情の欠片もなし。田園地帯の国道をひたすら筑波山に向かって走る。幸い酷い渋滞はなかったものの何時現地に着けるのか不安であった。

約50分で終点筑波駅に到着。駅といっても廃線になった関東鉄道の筑波駅跡地をそのままにしただけで何もない。サイクリングコースとして鋪装された線路跡が物悲しい。鉄道が残されていたらどんなに楽かと思ってしまう。電車なら土浦から間違いなく30分で来れる。上野からだって特急で1時間半である。だが車やバスでは時間も計算出来ないし快適な旅も期待出来ない。以前、百里基地の航空祭があった時、石岡駅からの臨時バスが大渋滞に巻き込まれ酷い目にあった事がある。歩くよりも遅いのだ。都内に住んでいると車しか交通機関がない土地が如何に不便か思い知らされる。鉄道ほど便利なものはない。

それはさておき、筑波山へ向かうには筑波駅から更に筑波神社行きバスに乗り換えねばならない。1本乗り遅れると1時間近く待たされたりする。急いでバスを乗り換え15分かけてケーブルカー駅のある筑波神社へ。そしてやっと筑波山山頂現地に着いたのは午前10時前のことだった。約4時間弱の行程。いったい何回乗り換えたか・・。交通費だけも往復6000円は掛かる。

早速ケーブルカー山頂駅近くの「コマ展望台」という回転する展望レストランの屋上に登る。この日は好天に恵まれ、やや靄っていたものの霞ヶ浦が一望出来た。標高840m程の筑波山は高尾山などと違い、平地からいきなりそそり立つ独立峰なので非常に高度感がある。まるで飛行機から下界を観ているような錯覚にとらわれる。さて、無線を開始したのは午前10時。特小9chでCQを出してみる。さっそく「つくばF3」というコールを持った人がつくば市内より呼び掛けてきた。RS59で良好に交信。

10時30分頃より50MHzで東京コンテスト参戦。リグ・アンテナはいつものFT690MK2とミズホのDP。ただこの日は時間が限られていたので12時20分位で切り上げる。結局CW16局、SSB18局の計34局に留まった。コンテスト以外にFMモードで筑波市移動モービル局1局と交信した。

一方、特小交信実験の方だが、予め有志9名が各所に散り、定時交信をする計画を建てていた。だがロケーションの関係か、最初の11時の定時交信では何処とも繋げる事が出来なかった。ちょうど男体山が都心方面を遮っていて420MHz帯の伝播には不都合な位置。ケーブルカーの山頂駅から男体山山頂までは少々歩かねばならず更なるロケーションの移動は時間的に難しかった。

11時20分頃、羽田空港移動の有志からの電波をキャッチしたものの交信には至らず。12時50分、やっと東京湾うみほたるパーキング移動の有志とRS53で交信に成功。東京湾方面はまったく障害物なく87kmほどの遠距離でも10mwで交信が可能であることを証明した。しかし、他の都内高層ビルや神奈川県大山、奥多摩等に移動していた有志との交信は最後までダメだった。やはりロケーションが都心西部に開けていなかったためと思われる(交信実験結果については別図参照)。

特定小電力無線交信実験『オペレーション・マキコハウス』

日時/2002年5月3日・時間/1100〜1500JST・周波数/422.300MHz・PWR/10mw・電波形式/F3E

主催/聖母電波教会(JO1ZLM)資料提供/東綾瀬の白ワンチャン(JO1ZLM電波傍受部部長)

交信成功区間 交信距離
筑波山頂駅−海ほたるPA  87.1km
奥多摩風張峠−海ほたるPA 81.6km
船堀−伊勢原大山 63.3km
海ほたるPA−伊勢原大山 58.2km
サンシャイン60−伊勢原大山 54.5km
三軒茶屋キャロットタワー−海ほたるPA 27.1km
三軒茶屋キャロットタワー−府中市浅間山 15.7km
三軒茶屋キャロットタワー−新宿副都心  5.7km

交信実験の合間にラジオ(SONY SRFM100)でFM放送をチェックしてみた(別図参照)。周波数リストを持参しなかったため入念なチェックが出来なかったのが痛い。圧倒的に千葉、城東方面がよい。かつしかFMなど展望レストラン屋内でもステレオで受信出来た。ちなみにレストランのBGMはBAYFMだった。

今回の移動は移動地まで時間が掛った事と滞在時間が限られた(15時迄)のに特小実験、アマ無線コンテスト、FM放送受信と欲張ったため、いずれも満足のいく結果が得られなかった。ただ好天に恵まれたことが唯一の救い。

帰りの常磐線ではJ-WAVEをBGMにして東京へ戻った。YUKIがDJをやっていた。

使用RX/YAESU FT690Mk2単体 使用アンテナ/ミズホ製簡易6mDP

筑波山におけるFM放送受信リスト

受信日/2002年5月3日・受信機/SONY SRF M100・アンテナ/付属ロッドアンテナ・受信地/茨城県つくば市筑波山ケーブルカー山頂駅前コマ展望台

周波数(MHz) 局名 信号強度(5段階)
76.1 インターFM(東京)

5
76.4 レディオベリー(宇都宮)

5
77.1 放送大学(東京)

5
77.7 (不明局)

2
78.0 BAY-FM(千葉)

5
78.6 FM富士(三ヶ峠)

4
78.8 放送大学(前橋)

2
78.9 かつしかFM(葛飾区)

4
79.3 BAY-FM(銚子)

4
79.5 NACK5(さいたま)

5
80.0 TOKYO FM(東京)

5
80.3 NHK(宇都宮)

5
80.7 NHK(千葉)

5
81.3 J-WAVE(東京)

5
81.9 NHK(横浜)

5
82.5 NHK(東京)

5
83.0 市川FM(市川)

5
83.2 NHK(水戸)

5
83.4 FMべる(木更津)?

2
83.7 NHK(勝浦)

4
84.3 FM江戸川(江戸川区)

5
84.7 横浜FM(横浜)

5
85.1 NHK(浦和)

5
86.0 NHK(三ヶ峠)

2
86.3 FM群馬(前橋)

3
87.4 BAY-FM(勝浦)

3


4.ニッポン放送足立予備送信所テスト電波の謎(2002.4.29)

実は謎というほどのことではない他愛のない話。

日曜深夜、放送休止時間にメンテナンスのために流される試験電波を聴いた時のエピソード。

4月22日早朝(21日,日曜深夜)午前2時頃、なにげなくニッポン放送1242KHzに合わせると声優っぽい可愛い女の子の唄が流されていた。信号はかなり弱く明らかに減力放送と解る。唄の合間にIDが入り、ニッポン放送足立予備送信所からのテスト電波と告げられる。

まあそれ自体珍しい事でも何でもない。ただ、何故かこのテスト電波に使われていた女の子の唄が妙に気になった。2曲ほど使われていてそれを繰り返しフルコーラス流している。一つは坂本九の「涙くんさよなら」のカバー。もうひとつは”フォローしてちょうだい!フォローしてちょうだい!”と繰り返すヘンな唄。

最近のヒット曲でもなさそうだし、あまり聞かない唄だ。

マイナーな声優のCDから適当に抜粋して、とりあえずなんでもいいから流しているのかな?それとも担当の技術の人のお気に入りなのかなとも思ったが、やたら耳に残ったので誰の何という曲なのか知りたくなってしまった。

そこでネットで検索開始。

曲名が解らないので例のヘンな歌詞”フォローしてちょうだい!”で検索。

いろいろ調べてみるとどうやらこの曲を唄っているのは子役で有名な安達祐実らしいということが解った。曲名は『涙くんさよなら』と『どうした!安達』。4〜8年程前に出た曲らしい。

そういえば唄の中で”どうした!?安達!”と唄っているフレーズがあるのに気が付いた。

この時点では「なぜ安達祐実?やっぱり技術の人の好みなのかな?微妙な選曲だな」としか思えなかったが・・。

しばらくしてはっと気が付く。

あっ・・

安達→足立

つまり足立送信所の「アダチ」にひっかけた訳だ。

まあ気が付いてみると上手い選曲ではある。その上この『どうした!安達』の歌詞が妙にテスト電波にマッチしているのだ。

「目的地まで飛ばしてけー」とか「のってけのてけのっていけー」とか「フォローしてちょうだい!」とか、この足立予備送信所から発せられる微弱な電波への応援歌みたいなのだ。

まるで足立予備送信所のために作られたテーマ曲『どうした!?足立送信所』にさえ聞こえる。まさか本当にそのために安達祐実に唄わせてる訳ではないだろうが・・。

安達祐実自身はこのこと知っているのだろうか?何時頃からテスト電波に使われ始めたのだろう?

結構、知る人ぞ知るエピソードなのだろうか?

それにしても愉快な選曲だ。


3.コミュニティーFM一考察(2002.4.4)

さて、新年度に入りラジオ各局も新しい編成でスタートしたようだ。

ここではコミュニティーFM(CFM)について語ろうと思う。

地域密着型ラジオとして全国で150局近くを数えるコミュニティーFM。私の所でも5エレアンテナを建ててローテータ−で回せば15局以上のCFMが受かる。その中で聴取に耐えうる受信状態で、なおかつラジオリスナーとして楽しむに値する局が3局ほどある。

かつしかFM(東京都葛飾区)/78.9MHz(1997年4月開局)

FMチャッピー(埼玉県入間市)/77.7MHz(1997年2月開局)

市川FM(千葉県市川市)/83.1MHz(1998年9月開局)

いずれの局も開局以来、熱心に聴取し番組等にFAXを送り続けている。いつしかリスナーに止まらず制作側のスタッフやほかのリスナー同志とも交流を深めるに至った事もあった。

なぜそこまで熱心になれたかと言えば、その局の制作サイドがいわいる「ラジオの真骨頂」が何たるかをよく理解していたことに尽きよう。

リアルタイムの深夜生トーク、リスナーとの距離の近さ、本音トーク、リスナーからのメッセージを積極的に取り入れるスタンス等、かつてラジオの黄金期と言われた1960年代〜80年代深夜放送の手法を余すところなく取り入れた事。

更にはいわいるミニFMが持っていたゲリラ的なアンチズム、体制批判、マニュアルに捕われない構成、マニアックな嗜好などがブレンドされ、正に「ラジオ大好きっ子」にとってはうってつけの存在だった。

CFMについて私はあくまでラジオリスナーとしての立場からでしか語れない。

だから何故この3局がこのような「恵まれた」スタッフを迎え入れ、「恵まれた」番組構成が出来たのか知る由もない。ただの偶然かもしれないし、確固としたスタンスがあったのかもしれない。ただ少なくとも積極的に若いイキイキとした活性力のある聴取者を引き入れる魅力を持っていた事は確かだった。それがたとえ結果論であったとしても・・。

この3局に共通していえることは、若いマニアックなボランティアスタッフを積極的に活用していることだ。そしてマニアックな番組には同好の志の固定リスナーが付き、CFMとしては稀なくらい大量のメッセージが届く。アニメ、鉄道、無線関連いずれかの専門番組が存在するのもこの3局に共通することだ。送り手にとっても聞き手にとっても本当に必要とされる番組が存在している・・。それが他のCFMとの大きな違いであろう。

だが全てのCFMがこのようにポジティブなスタッフ、リスナーの方に顔を向けた制作編成を志しているのだろうか?

答えは否である。

ある程度CFMを聴取、あるいは制作に携わった人であれば解ろうが、CFMの大方は退屈極まりない番組が並んでいる。確かに地域のラジオ放送という性格上、地域のお知らせがメインになることは致し方ないが、それを聴いている人はどれだけいるのだろう?

非常時、緊急時の告知は当然あるべきだがそれはCFMに限る事ではない。CFMが平時において必要とされる番組を積極的に編成しているとはとても思えない。ミュージックバード(衛星ラジオ)の垂れ流し、J-WAVEの無節操な中継、聴取者を多く引き込めるはずの時間帯(プライムタイム)にただ音楽を流すだけの編成・・。深夜番組編成を取り入れない愚行・・。混信を予見出来ない素人以下の周波数指定(これは個々のCFMの責任ではなく所轄官庁が問題なのだが)。

これまで数々の人がCFMを批判してきた「お題目」は改善されるどころかますます悪化の一途を辿っている。

リスナー不在の編成。それでも成り立つCFM。

昨今、ニュースを賑わせている狂牛病問題、血友病エイズ問題、外務省不祥事問題は、国民の利益を考えず、業界団体の既得権益保護、省益保護しか考えなかったツケと言えよう。放送の世界も例外ではあるまい。

CFMの現状はこれを踏襲しているようにも感じる。

昨今のCFMは聴取者よりも業界団体の利益、管轄省庁の権益のほうに顔が向いていないだろうか?いや最初からそのために作られた存在ではなかったのか?

そもそもCFMは「放送局」と言えるのか?

CFMに関するトラブルは直接人命に関る事ではないから、あまりニュースになったりはしないが、もしそこに志あるスタッフがいたとすれば、大きな軋轢、衝突が起こっても不思議ではない。現に多くのCFMで現場制作スタッフと局の経営、監督サイドとの衝突が起こっているとの噂を聞く。で、大抵は志ある現場スタッフが追放されてしまい、愚にも付かない番組が並ぶ事となる。

高齢化が進み、管理的な立場にある人が保守化してリスクのある挑戦をやらなくなる傾向が強まっている。だから「ラジオの真骨頂」たる深夜生番組、マニアックな本音トーク等が危険で不道徳なものとみなされ、削除の対象にされてしまう。

だがこんな現状でCFMが生き延びるとは思えない。

景気が後退し、少子化が進めば労働人口が減り、CFMを運用する主だった資金である自治体の補助金や地域企業の「御祝儀」も期待出来なくなろう。CFM業界がどういう経営情況にあるのか詳しくは知らないが、CFMが現状で莫大な利益を上げているという話は聞いた事がない。むしろ経営難の所が多いとの噂である。補助金等が期待出来ないとなると自分の番組の聴取率を上げ、スポンサーを募る他なくなる。だが、現状の愚にも付かぬ番組や気の滅入るCM(互助会、葬儀屋)が並ぶ編成では誰も聞いてはくれまい。

結局、葬儀の実況中継でもするつもりだろうか?「今日の御悔やみ」を一日中流すのか?

これではいずれ、バブル期に各地に雨後のタケノコのごとく作られたテーマパークと同じ運命を辿ろう。残ったのは莫大な負債と廃虚だけ。真に愛される客(リピーター)作らずしてテーマパークは生き残れない。

同様に真の聴取者なくしてCFMは生き残れない。

これは唯一の真実であり失敗から学んだ教訓である。

だが現実はこの真実に逆行していると言わざるおえない。

この4月の編成で、かつて24時間自主制作番組を並べ、深夜にはマニアックな生放送を実施して「ラジオの真骨頂」を実践していた「かつしかFM」がそのかなりの部分を削り、悪しき風習にもとずいた編成に近づいてしまった。深夜24時以降は音楽の垂れ流しである。すでに創設当時の編成責任者は数年前、この局を去っていたのでいずれはこうなってしまうと危惧していたが、残念なことである。鉄道やアニメなど真のリスナーを呼び込める番組は僅かに30分番組としてその残滓を止めるのみだ。もはや風前の灯火。

また入間市のFMチャッピーも一昨年辺りから局のスタンスが変わったらしく、有能なDJの何人かが去ってしまった。

唯一、市川FMのみが開局当時のスタンスを維持し、この4月からも深夜の生放送を堅持、マニアックな番組を継続させていることが僅かの救いになろうか?

インターネット時代。もうラジオは過去のメディアと言われる事がある。

だがそれは違う。

ラジオの良さは、聴覚のみに訴えかけ、想像力を養ってくれる。インターネットはその逆だ。視覚に不要な刺激を与え、想像力を削ぐ。PCが起動している存在感も鬱陶しい。オンラインラジオが今一つ伸びないのもそこに原因があるのかもしれぬ。

CFMはそういう意味からしても限りない可能性を秘めた媒体だ。だが、誰かの権益の手段にされている現状ではCFMに未来はなかろう。

この衰退していく時代にCFMが真のリスナーの元に戻ってくる日はあるのだろうか?


2.移動運用その8.京王平山緑地(2002.3.21)

春分の日。

去年に引き続いて移動運用。今回は東京都下日野市の京王平山緑地。京王線平山城祉公園駅の南側に位置する多摩丘陵北斜面。標高は150mほどだろうか。平山城祉公園に接した八王子市との境。

この日は平年より半月も早く桜が満開になった。

この辺りの桜も満開状態。しかし猛烈な南風が吹込んで砂埃が酷く御花見どころではない天候。

13時頃京王線平山城祉公園駅に到着。徒歩で南側丘陵地帯へ向かう。住宅街を抜け遊歩道へ。結構急な斜面。息が切れる。ほどなく平山城祉公園の入り口に。東側には多摩テックの観覧車が見える。尾根沿いの遊歩道に出て少しだけ西に進む。このままずっと尾根伝いに行けば、昨年8月に移動運用した長沼公園に至る。1分ほど歩くと脇に木陰があったのでそこから無線運用することにする。眺望が開け、眼下には浅川沿いの谷と八王子の市街。その向こうには奥多摩の山並が砂埃に霞んで見える。

無線機はいつものFT690MK2+簡易GP。

50MHzバンド内は祭日なのに静か。移動局が2〜3局のんびりとラグジューしている位。この状態ではCQを出してもダメであろう。坂戸市の固定局と君津市移動局のCQに呼び掛けなんとかSSBで交信する。

15時からは大都市コンテストが始まった。

しかし聞こえてくる局は僅か。CWは誰もいない。神奈川中郡と小金井市の局とSSBでシグナル交換が精一杯。結局15時半で運用を終える。交信局は全部で5局のみ。強風と砂埃でこれが限界だった。

早々と片付けて遊歩道を降りる。丘陵地帯の山林と住宅街が隣接している感覚は何か妙である。ハイキング気分で獣道みたいな坂を下っていくといきなり見慣れた住宅街のアスファルト舗装道路に出てしまう。それも密集した住宅街の真ん中である。

いわいるその中間の農村風の風景がない。山林からいきなり新興住宅街であるから心の切り替えが難しい。

帰路は京王線で八王子に出る。JR八王子駅前は都心と変わらぬ賑わい。ただどちらかというと若年層が目立つような。都心部よりも子供の割合が多いのだろうか?

強風のためJR中央線に遅れが出ていたもののたいした遅れではなく18時頃JR阿佐ヶ谷駅に着く。

東京都下日野市京王平山緑地におけるFM放送受信リスト(コミュニティーFMのみ)

受信日/2002年3月21日・受信機/SONY SRF M100・アンテナ/付属ロッドアンテナ・受信地/日野市京王平山緑地

周波数(MHz) 局名 信号強度(5段階)
77.6 FM多摩

4
77.7 FMいるま

4(ST)
79.1 川崎FM

2
83.4 FM世田谷

2
83.8 調布FM

4(ST)

使用RX/YAESU FT690Mk2単体 使用アンテナ/ミズホ製簡易6mDP


1.移動運用その7.2002NEW YEAR PARTY. 高尾山からの眺望(2002.1.3)

数年ぶりにニューイヤーパーティーに移動運用する。

場所はお約束の八王子市高尾山ケーブルカー頂上駅付近。

この日は典型的な冬型の気圧配置で天気が良く視界も開けていたので一眼レフカメラ(PENTAX MZ-7)+望遠レンズも持っていくことに。

普段の移動運用では荷物になるため、コンパクトカメラしか携帯しないのだが、運用場所からの眺望を収めておくのも一興だろうと思い、多少無理をして担いでいく。

JR中央線で高尾駅へ。そこから京王線で高尾山口駅へといういつものルート。高尾山麓付近は初詣客で混雑しており、ケーブルカーは整理券を発行していた。

現地に着いたのは13時前。

予想通り視界は抜群。頂上駅近くの展望ラウンジからは眼下の八王子、相模原を含め、遠く新宿副都心超高層ビルや横浜みなとみらい地区が見渡せる。

早速望遠レンズ(210mm)で撮影を開始。

やはり一番目立つのは新宿高層ビル群(写真2)。

いつのまにやらこんなに高層ビルが建て込んだのか・・。

その手前に東京都下の区市が広がっているのだがあまり目立つ建物がなく、場所を特定するのが難しい。

こんもりと緑の丘になっているところが多摩丘陵であろう。

写真3は新宿の拡大写真。

都庁舎をはじめとして個々のビルが見分けられる程視界が良い。午後の陽を正面から浴びている。

この写真を見ると特定小電力無線で都庁舎展望室と高尾山が楽に交信出来るのも頷ける。

写真4は南東方面の眺望。

手前は相模原や町田の街並。そして遥か向こうに横浜みなとみらい地区の高層ビル群が見える。

ここから50MHz帯で運用すると最も多く交信出来るのが町田、横浜、川崎の無線局。

東京都心よりもこちらの方角が電波の飛びはいいようだ。

コミュニティーFMも在京局より神奈川の方が信号は強い。考えてみると高尾山は東京都といっても神奈川県境に近い訳で当然といえば当然のこと。

写真5は横浜みなとみらい地区の拡大写真。

ランドマークタワー他、観覧車や横浜ベイブリッジの橋脚も見える。

更には、遠く、東京湾対岸の房総半島の山並まで見通せる。

さて、無線の方だが、13時頃から15時過ぎまで運用して50MHzで18局(SSB14局、CW4局)のみ。

日や時間帯、運用時間にも因るが今から10年前の1992年、ここからほぼ同じ無線機とアンテナでニューイヤーパーティーを運用した時は午前10時から午後15時半まで50MHzで123局、平均すれば2時間で約50局弱交信出来た。

それから比べると寂しい限り。

16時以降は風も強く寒くなったので下山する。

今回は無線運用より写真撮影がメインの移動になってしまった。

使用RX/YAESU FT690Mk2単体 使用アンテナ/ミズホ製簡易6mDP


HOME/DAYS