このページは1998年夏に自費出版した「朝焼けの中で」のWebバージョンです。東京都下聖蹟桜ヶ丘帝京大学周辺のイラスト・エッセイ集です。随時追加していく予定です。


野猿街道中和田近く/帝京大学舎図書館/帝京大学正門前/御手観世音前/帝京大学バス停前/大塚帝京大入口


野猿街道中和田近く

17年前に見たあの日の朝焼け。

東京都下八王子市と多摩市の境近く。堰場という場所だった。京王線聖蹟桜ヶ丘駅よりバスで野猿街道を経て、学舎へと通った4年間。その堰場近くに下宿するサークルの後輩のアパートに何泊もした、あの無意味な時間の中に蓄積された幾つかの残像を並べてみる。

あの頃に帰るための断片的な記憶を整理して見えてくるもの。

なんだろう?

はじめて朝焼けに感動した夏。すべての始まりの希望に満ちた輝き。誰もいない朝。

永遠を感じた朝。


帝京大学舎図書館

1978年から1982年の間、通い続けた帝京大学は、多摩丘陵の小高い丘の上に建っていた。

今でこそ拠点都市化された聖蹟桜ヶ丘周辺であるが、当時はまるで何もない秘境。まさに帝京大学舎は謎の山岳寺院のごときであった。

しかしその謎深き伽藍たる学舎から遥か遠くを眺めているといつしか心地よい瞑想の時空間に浸っていることに気ずく。

「聖」と「不浄」を結ぶ京王帝都の拠点、聖蹟桜ヶ丘。

その「聖地」を見下ろす台地にそびえる帝京の青き伽藍はやはり神聖なエネルギーを発していたのかもしれない。


帝京大学正門前

帝京大伽藍への道は野猿街道帝京大バス停前から更に歩まねばならぬほど遠いものだった。

いま思えばこの苦行を経て我が心は成就したのかもしれぬ。

いわば修行僧の聖地巡礼のごとしであった。

真夏の猛暑の中、喘ぎながら9号館の最上階まで登頂したあの日。真冬の真っ白になった霜の坂を凍えながら登ったあの日。

そして、その成果のひとつが、学舎の中庭で見上げた初春の紺碧の中に埋められた成層圏を往く飛行体。正に未来への啓示。

その神々しき儀式の凱旋門が、この正門前であるのだ。


御手観世音前

伽藍へのルートは一つではない。御手観世音の近くを登るルートと大学正門から登るルートなど。

教典を唱え、その坂を一歩一歩踏みしめ、遂に聖地帝京大学舎の青き塔にたどり着くのだ。そして一日、伽藍の神聖なるエネルギーに身をゆだね、心身を浄めるのだった。

もしかすると、この帝京大伽藍の丘は遥か先人の者にとっても聖なる霊山ではなかったのか。

その証拠に中和田天神をはじめとして、この御手観世音を含め、聖なる御神仏が周辺を取り囲んでいる。


帝京大学バス停前

やがて多摩丘陵に日が沈み、聖なる学舎が闇に包まれる頃、帝京大バス停近くの「亜実」という小さな喫茶店に三々五々さえない学徒達が集まって来る。

その中に我姿もあった。当時、そこは帝京大学漫画研究会の聖なる礼拝堂として運命の糸に導かれた若き聖人達が集う場だった。備え付けの「亜実ノート」に書かれし無数のメッセージはもはや戻ることのない永遠を感じた日々の残骸で一杯だ。この何万字の文章の羅列が今の自分を維持しているとすれば、我という存在は正に「亜実」という子宮で覚醒した胎児のようなものではなかろうか。

今頃、子育てに追われているはずの同志達はこの「亜実」の時間をどう思っているのだろう。


大塚帝京大入口

夜が更けていく。

「亜実」では相変わらずエンドレスな禅問答のような会話。記号化された笑い話。

しかし、そんなどうでもよい時間が無限の安らぎを我々にもたらしていた。

ミルクティー一杯で永遠の安らぎが続くのだ。

いつのまにか外は雨。

その「亜実」の大きな硝子窓から眺める外界はとても暗く、不安な未来を予感させた。

走り去る車。水たまりを跳ね上げる音。バイクのシルエット。

そう、永遠の安らぎなど存在しない。いつかは終わるのだ。

そうこうするうちに帰りのバスがなくなる。暗闇の野猿街道をサークルの後輩が住む堰場のアパートへ向かってとぼとぼ歩き出す。

時々、今でもそれを繰り返している夢を見る。


HOME