【凹作】
【2004年05月25日】
暑くなってきたのであります。
昼時の会社内は、さながら夏のようだったのです。
熱くなってきたのであります。
夜回り宣言メールを あ〜さんに打ったのでありました。
本格樹液シーズン突入を前にして、皆様が擁かれているであろう一つの疑惑に対してお答えをしておかねばならないと思う所存なのであります。
『これ程までにクワ採りの進歩のノロッチイやつが本当にいるのか?』
『凹 舳作は、ウケを狙ってワザと ぼ〜ずを採ろうとしているのではないか?』
『あ〜さんとメールをやり取りしているのだろうから、普通は少なからず知識くらいは身につくだろうに?』
こういった辺りの疑問符が全国的に沸き上がってきても然るべきと考え、今回のマエフリ(標準和名:言い訳)を書いているのであります。
上述のような状態の原因は、一重に 結果を得るということに向けての凹の向上心の無さの賜物なのであります。
といっても、クワ採りに対しての興味が薄いとか、オネツ度合いが低いとかとは違うのであります。
実は凹、大変に凝り性な部分も持っていまして、若い頃なんぞは小学校から大学まで、ずーとサッカーをやり続けていたりしているのです。
長さだけ言ったところで熱中度合いは伝わりませぬネ。
サッカーに対する『苦労』だの『労力』だのと言った概念なぞ露程もなかったと言えば伝わりますでしょうか。
スポーツの基礎の部分も含めたトレーニングに対して、チャンとそれを『猛練習』って感じ取っていられるうちは、まだまだカワユイものなのです。
チョビっと本格的にやり始めちゃいますとネ。
周りが見てて凄い練習って映るのに本人にしてみれば別にやりたくってしょうがないからやってるみたいな
手の付けられない状態になってしまう性質(タチ)なのです。(当時付けられていた仇名のひとつが、運動中毒患者(爆))
数年前まで嵌っていた海のルアー系の釣りの方は、こういう性質に加えて結果ばかりを追い求めるという悪手にノメった為に、
トンデモな醜態を晒しておりました。
結果(大きな魚)への最短距離に沿って只管に脇目も振らずに直線的に突っ走り、10数年という期間で促成栽培。
で、一介の若輩サラリーマンにはどう見ても不釣合いなドでかいブラックマーリン(←お魚界隈での大歯オオクワ級)
なんぞを釣り上げて得意になったりして。
先達の真似事をして掴んじゃった大勘違いの上に踏ん反り返って、スリット状の狭隘な視野でいい気になっていたのです(トホッ)
周りが見えなくなってしまったカタ〜いオツムは、『唯の赤っ恥』を『フィッシャーマンの誇り』と勘違いさせてくれちゃったのであります(トホホのホのホ)
田分(タワケ)でした、ハイ。せっかくの貴重なお魚を、自らの手で貶めていました、ワタクシ。
大体からして趣味を存分に楽しめてる人と、誇り様や天狗様ってのは対極に位置しているってことにすら気付いていませんでしたしね(トホッ)
関西で言うところのバカですね。関東で言うならばアホ。文語チックなら痴れ者で、口語で言うならガキんチョ大人。
単に魚を得たいってだけならば、朝早く起きて市場に赴き、小売もやってる卸さんトコにいけば、格安でキトキトのカジキ(マーリン)が手に入るし。
単に釣り上げる感触を楽しみたいってだけなら釣堀に行けば良いンだし(因みにマーリンは、自分にはデカ過ぎて釣り味云々なんてモンぢゃあ...(汗))
天然の魚を自分で釣り上げてみたいってだけならば、釣りの講師でも雇って促成栽培で上達すればいいだけのこと。
市場にも釣堀にも講氏にも金を出したくないってんなら、その辺の釣り自慢オヤジでもとっつかまえて、手取り足取り習えばいいだけのことなのです。
結果だけが欲しいのなら、先駆者に倣って、そんでもって、お金と時間と体力さえかければ、誰にでも結果(大きなお魚)は手に入れられるのです。
でも、そんなことしても、自分の性根の部分を喜ばせることにはならなかったのですねぇ〜。
まして講習会が有料だったりしようものなら、凹の性根にとっては、ワザワザお金を払って楽しみを捨てる事に他ならないのであります。
今でも、時々はタレントの松方某さんみたいな凄い釣りをしてみたいと思うこともあるのは事実ですし、
そういうテレビの世界みたいな凄い事には憧れを持ち続けています。
でも...
本当の自分の嗜好は 『結果』 にはあらずって感じでありまして。
言ってみれば、凹にとっての釣りの本態は、本当はプロセス自体に有ったって感じなのであります。
結果が、1本ウン十万円とかウン百万円にもなるブラックマーリンだったとしてもこれは同じ事なのであります。
こんな貧乏人に与えられた人生の持ち時間だって、金額には代え難いのであります。
釣りに費やした一年一年は、確実に凹の人生の中の時間なのであります。
ウン百万円の腐れ魚(結果)よりも、市場価値ゼロ円の充実した楽しい ひと時の方が、どんなに重要なことか!
ある日、家の前の海で、チッチャなハゼを5〜6匹釣って大っ〜〜〜〜〜変に喜ばれてらっしゃるファミリー釣行の方たちを目にした訳です。
痴れ者さんは、やっっっとココに来て気づいたんスね。
「フィッシャーメーンを気取っていたワタクシ、彼等に惨敗してんぢゃん」って。
というか、勝負にすら成っていなかったッス。 Out of the 土俵。 足元の12,000,000m下方を通り越してひっくり返ってやがる。
自分の性根とは余りにもかけ離れた方向に釣り糸を垂れていた事にやっと気が付いたのでございます。
この性質は、凹にとってのクワ採集にも言えることなのです。
自分の仕出かしているクワ採集の中で、プロセスを本当の意味で苦に感じるようであれば、ゼンゼン自分にとっては意味のないことなのです。
辛いと感じるような努力とかの類に感じてしまうようだったら、(結果が重んじられる)お仕事やお受験等と一緒になってしまいますからね(笑)
趣味の中での労力ってのは、人様がハッパをかけられるような概念のものではゼンゼンなくって、勝手に自分でやりたくなっちゃうって部類のモンでもありますしね。
たかが趣味、たかがお遊びだからこそ、反対に その辺の按配ってのはセンスをぶち込むのに足る部分だと思うのです。
仕事やお受験の際のプロセスとは著しく異なるアプローチっすね。
問題を解き、ある一つの答えや結果に辿り着くという日本の学校方式な試験問題とは正反対。
答や結果(オオクワだったり、凹で言えばノコギリだったり)を生み出す為の問題を作成するっていう感じですかね。
如何に楽しい問題を作成して、如何に楽しい思いを味わえるか。
(日本の学校だって、理想的には、『教える』ではなくて、『エデュケーション(育てる、引き出す、自発的な萌芽を促す)』を実現したいトコですケド...)
結果を得んとするが為に、余りにも無理に情報を掻き集めたりするのも凹の自己満足の妨げになってしまふのです。
採集のHPを楽しく見たりとか、会話やメールのキャッチボールを楽しむ過程の中で、なんとなく自然に身に染みていった知識とか、
採集の上手な方のやり方を眺めているうちに自然にその振る舞いを真似してとか、そういう事の総体が最終的に結果に結びついたってのならば、非常に自己満足がゆくのですけどね。
凹の中では、同じノコギリクワガタであっても、それが天にも昇る思いの一頭にもなれば、「ふ〜ん」って程度の一匹にも成り下がることもあるのです。
大きなマーリンを釣り上げたのに、プアなプロセスや稚拙な扱い方故にその魚の真価を充分に享受できなかった馬鹿チンは、
この辺りの自分の性質(タチ)にモウちょっと早く気付くべきだったのです。
と、まぁ、こういう馬鹿チン経路を辿ってしまったが故に、こんなショボクワ野朗になってしまったのであります。
決して、ワザととかウケ狙いで ぼ〜ず を採っている訳でもないので御座います。
と、底を割ったウルトラ負け惜しみ言い訳をテンコ盛っておかないと、この日のアーバンしょぼクワ野朗の結果に対しては、
流石に同情の目で見てもらえませぬので...
で、結果...
=結果=
昼間の気候と打って変わって寒風の吹きすさぶ近所の林にて、外道すら居ない こんぷりーとぼ〜ず を採ってみました。