8/21報告

【凹作】


>> 結果を追うのに必死な彼等に、川□殿やプロレスや心霊ビデオを上手に楽しむ余裕なぞ望むべくも無い。

>おおお!ありがとうございます。m(__)m

>壮大な伏線でしたね〜。感激です!!

>なるほど、虫取りに例えると釣りもわかりやすいですね〜。

あっ!実はですね、この『釣りと虫の対比』は、奇しくも超壮大な伏線の一つでもあるんです。

もちろん、釣りと虫の共通点の多さに面白みを感じてる凹にとっては、

この日の採集記自体にも充分に意味があるんですけど、

同時に、この先に書こうとしているテーマの露払いとしても使われる予定なのです。

 

このテーマは、ここ数ヶ月の間で、『あ〜さんのクワガタ採集記』と『あ〜さん』、そして私の心から贈られてきた波が、

私のオツムの中で共振して紡ぎ出した一つの思いつきです。

 

どういう内容かというとですねぇ...

って、一口に書き表すことができるんなら、超壮大な伏線なんか必要ないですよね(笑)。

まだ、頭の中で整理されきっていないので内容の説明が難しいのですが、

キーワードとしてダラダラと羅列すると、、、

 

●異なる価値観等への便宜的な理解

●異なる価値観等へのネイティブな感応

●新しい価値観等を真に楽しむとは?

●(心的、頭的)年齢への挑戦。限られた時間に奥行きを持たせたい

●歴然と存在する資質や価値観の違い、人の多様性

●趣味や人生を楽しむ

●などなど

こんな感じです。

心の中で、描きたい絵ははっきりと見えているんですが、それをまだ頭の中で日本語にトランスレート出来ていない状態ってとこです。

 

趣旨の一つは、この内容を整理して書き留めることによって、それを何年か先の自分へのメッセージとしたいということです。

そして、更には、それを読んだクワ好きさん達に少しでも楽しんでもらえれば、、、といったところです。

 

少なくとも、『Oh!夏休み』中には収めきれませんでした。

数日に分けて織り込んでいくつもりなので、どの日がこれに相当するのかはお分かり難くなってしまうとはおもいますが、

ボチボチと、凹採集記というキャンパスをお借りして、そこに描いていこうかなと思っています。

もしかしたら書き切る前に近所のコクワが1頭も見当たらなくなってしまうという事態になるやも?(笑)

 

 

〜中略〜

 

檜枝岐の****の写真に何を見たか?

トラウマ度、資質、価値観、怖がり度等などの差異によって、夫々に得る感覚が異なるはずですよね。

 

××さんならば、きっとそこに****的に王道な感覚を見出すのでしょうし、○○○もまたしかり。

****下手な私は、朧で稚拙ながらもネイティブな****感を半分くらいは得ることが出来るのです。

 

****感覚が皆無な方だと、自分の領域の何かにそれを置き換えて、その****の写真の価値を共有しようと図る。

例えば、釣り好きならば、「この****の写真のトラウマ度は、カンパチ級の引きの強さに相当するんだろうなぁ」

等のように、自分の感性とか資質に基づいた単位に換算してその凄さを疑似体験するのです。

 

この方法は、まぁ、言って見れば、『Thanks!』という言葉を、一旦、頭の中で日本語の『ありがと!』にトランスレートして、

その『ありがと!』に対して心で感じるのに似ているのです。

 

****下手な私のやり口だと、『Thanks!』という言葉を、稚拙な英語力ながらも自分の感覚なりに、

ダイレクトに心で『Thanks!』を捉えようとするみたいなものです。

 

日本人に生まれたのだから英語が不得意なのはあたりまえ。

私が****下手に育ったのも偶然の結果であり、卑下することじゃあないのです。

 

しかし、不得意だからといって無碍に切り捨てるのはもったいないのです。

なぜなら、同じ時間を生きたとしても、日本語と英語と双方のネイティブな心で事象を楽しめるのならば、

それは、単一言語依存の心よりも幅や深さがあるからです。

極論すれば、人生を二倍生きた(と感じる)ことにだって通じると思います。

夫々の資質が異なるのは歴然とした事実。 しかし、無碍に諦めたり切り捨てたり否定したりするのは詰まらないことだと思うのです。

 

あの檜枝岐の写真からは、クワ好きであったが故に、別の感覚も楽しむことが出来ました。

凹は檜枝岐に行った事がないので、あの写真の中に、クワのメッカである檜枝岐の空気を探したのです。

「おぉ、これが一度くらいは行ってみたいと思っている かのメッカの一場面なのかぁ〜」って。

 

これがもし、釣りが好きなだけの人だと、メッカの風景写真の価値を共有するためにはトランスレートが必要になる。

「檜枝岐はクワのメッカということらしい。 さしずめ釣人の聖地・奄美大島みたいなもんだな」

「おお、それならば、その道の人ならば憧れるだろう」

みたいに捉えるのだろうと思うのです。

 

ナンマイダー・凹作という部分では、あの写真から、心霊的恐怖感を得ることも出来ます。

きっとこの感覚は××さんには無い『楽しみ』であり、ナンマイダーであるが故のアドバンスなのだと思うし、、、

カメラ好きならば、アングルとか露光とかの観点で何らかの感動を得られるのかもしれない、、、

ネイティブな感覚の数分だけ、そこに何かがあるのです。

 

 

ダラダラと書いてしまいましたが、檜枝岐の写真を見るという事ひとつにしても、

稚拙でもいいからネイティブ感の角度を多様に持っているということで、同じ道を歩いていても、

そこから得ることが出来る感情は豊かになるかな?って感じのことを書いてみたつもりです。

 

『夫々のネイティブ感情をより深く磨いていけば、もっと豊かで楽しみ多い道程になるけれど、

やはり、ひとつの角度(ネイティブ感)について『語る』資格があるのは、身をもって経験を積んだ者だけ。』

 

↑こういう部分も今後の凹採集記に盛り込んでいきたいなって思っています。

 

今はまだ、頭の中で絵としてあるものをシッカリと日本語にトランスレートせずに書いてしまいましたので

『なにがなにやら?』状態です(笑)。

 

 

体育会系バリバリだった凹は、ついこの前まで、市ヶ谷から横浜まで走って帰ったりなぞといった無謀なチャレンジを繰り返したりもしていました(笑)。

これは、自分への肉体的挑戦。 自分に対して自分の肉体的若さを証明するための儀式だったのであります。

 

採集記に出会ってからコッチの数ヶ月で、こんどは精神的(オツム的?)若さに対する挑戦をハッキリと意識したのです!

 

ボーリングの投げ方を変えるというのは、肉体的挑戦と精神的挑戦の中間的な事象だったと思います。

凹採集記を書くという新領域に対して多大な楽しさを見出せているというのは精神的部分でひとつ金星を手にしたかな?といったところです。

 

凹の人生に与えられた時間なんて一定ですし、体も一つですから、何もかにも実際に体験できる訳ではありません。

でも、これからもドンドン新領域のネイティブ感を獲得するってのは意味のある事だと思っています。

 

凹という自分は歴然と存在しています。

その自分に、新たなるネイティブ感をドンドン付け加えて行って進化していきたいってな所です。

 

柔軟な子供の頃ならば、ネイティブに近い外国語の習得が容易でしょうけれど、大人になってからでは容易ではありません。

大人の外国語の習得方法は、どうしても『日本語トランスレート型』です。

同じように、大人になってから新たなるネイティブ感を付け加えるということは難しいことなのだと思います。

 

だからこそ、これは、精神的若さへの挑戦なのであります。

 

『トランスレート型』ではなく『ネイティブ型』の柔軟性。であります。

やることが無くって世の中をつまらながるボケ老人になってしまうよりは、

色々な実体験をしてみたいのに時間が足りなくて困っているオジイチャンになりたいのであります。

 

抽象画のようなメールにて大変失礼致しました。

 

8/21分の採集記を下述いたしますのでよろしくお願いいたします。


【2003年8月21日】

前日の海釣りで体がガタガタ。

子供達も富士山に登ってきたらチョイお疲れ気味。

 

こんな時には、近所の公営温水プールへGo。なのです。

 

ぬくいジャグジーでタランとしながら海を眺める。

東京湾を渡っていくタンカーの動きをユルリと目で追う。

子供達は、平日貸切状態な滑り台で、リフレイン滑走状態だ。

あぁ、元気回復!

 

この施設には眺望抜群の休憩所までついている。

これで無料スペースというのだから、貧乏一家にとっては強い見方だ。

あぁ、鋭気回復!

 

採集道具も万端整えてあるし、、、

後は、カブ殿さえいらっしゃれば、この一日は完璧だ!

 

 

さて、夜になり近所の林へ突撃ぃ〜。

 

居た、居た!

ここかしこに、秋の気配がいっぱい居たぞ。

 

はぁ〜。

 

主要な樹のひとつはコオロギ様が独占しているし、

気が付けば、BGMも秋の虫の音に変わっている。

 

おぉ!

 

ようやく甲羅を被ったヤツを発見!

けど、コメツキ虫では、嬉しがるにはチト無理がある。

 

 

「さぁ、ママが飯作ってるから帰ろうぜ」

 

ボーズ軍団を癒してくれたのは、秋の味覚・カンパチ大根(ブリ大根のカンパチ版)だったのでありました。

 

=結果=

ボーズ


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