夏の終わりの出来事

【Cretaceous】


【あ〜コメント】

 Cretaceous様にクワガタの他に大きな一つの趣味をお持ちです。自然を相手にしたある趣味なのですが、虫取りとも非常に似通っていて私もそそられるところがあります。クワガタ同様、意外に身近な場所 でも手軽にできるようです。虫取りに比べれば遥かに高級な趣味ですが、別の形で自然に親しんで来られた方です。

おそらくこれで鍛え上げられたセンスは虫取りとも共通するものがあると思います。 何かと虫取りだけの視点を中心に物事を考え勝ちな人も多いこの世界ですが、全く別の角度から自然というものを見つめることもとても重要なことだと思います。

これはCretaceous様からいただいたメールを勝手に掲載させていただいたものです。


【2004年8月下旬】

この夏8月の終わり近くに東北に出かけた帰り道、某SAで子供が何やら大きめの黒い虫をエリア内のクヌギ?の木に止めようとしているところに出会いました。

彼の手には大きなプリンカップ。そうです。彼はまさにその手からクワガタを逃がそうとしていたのです。あたりを見回すと、ちょっと離れたところに両親がいて、名残り惜しそうな顔(というより、半分泣き顔)の彼に虫を逃がすように促していました。

夏休みもそろそろおしまいなので、虫を逃がしに来たのでしょう。そこでふと思ったのは、
 

「ねえ君、その虫はここで取ったのかい?」ということです。 "catch and release" は悪いことではないのですが、採集した場所(時期)と逃がす場所(時期)が違うのでは意味を失ってしまいます。

産地が遠くて返しに行けない虫、お店で買い求めた飼育品(外国産を含む)の虫などは、天寿を全うするまで面倒をみて欲しいです。

(家で虫カゴの中で死んでしまうのは)「可哀想だから」逃がしてあげる(逃がしてあげなさい)、という言葉をよく耳にしますが、これは明らかに間違っています。

「可哀想」というのであれば、虫を彼等が生まれ育ったところから取ってくること自体がすでに非常に可哀想なことです。

ですから、家族から小バエが気持ち悪いとか臭いとか言われても、一生懸命世話をするんです。それが、夏の終わりになって餌もろくにない、全然知らないところに放り出されたら、それこそ「可哀想」じゃないですか!
やみくもに外に放り出すことと自然に返すことは全く別の話です。

子供の虫遊びは8月31日でおしまい、と考えているお父さん・お母さん達にも、この辺のことを理解していただきたいと痛切に感じています。

楽しい子供時代の虫取りや飼育に「教育」を持ち込むことは本意ではありません。しかし、今の世の中夏休みの虫遊びは生き物や自然と色々な角度から楽しく接することのできる数少ないチャンスです。

できれば、今の時代に求められていること(例えば生態系や環境問題など)も話し合いながら、親子で一緒に楽しんでいただきたいと願っています。そうすればきっと、彼等がお父さん・お母さんになった時に、またその子供達と一緒に虫取りを楽しめる環境が残っているのではないかと思っています。。。

 

さてその後。

彼が泣く泣く手放したクワガタは、親子の姿が見えなくなるかならないうちに、近くでじっと様子を見ていた、次の小さな飼育者の手の中に入って行きました(^^)。(続く)
 

補足


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