【凹作】
あ〜さん、 おはようございます。凹作です。
〜中略〜
同じ好みの人ばかりだったらとても楽チンなんですけど、色んな好みや『派』の人達がいる訳で、誰が正解手とも言い難いからむずかしいっす。
でも、どんな好みや主張を持つにせよ、あまりにブシツケ無遠慮にやっちゃうとペケのような気がしますけどね。
それぞれの派が『 (^^;;; 』の姿勢を持ってくれるのがいいのかな。
>まさに空テン状態の採集でしたね〜、あれは。
>でも、あの♂は結局採れたのでオッケーなんです。(^o^)
あ〜さんの結果をメールで聞くとワクワクするわけですよ。 人対人としてのフツーのやり取りとしてフツーに楽しいわけですね。
一方、その数日後に あ〜さんHP上で同じ事象を読ませていただくんですよね。 この時には、凹作の感情としては、人対人とはチョッと違うんですよね。
今度は『やりとり』とか『キャッチボール』を楽しむのではなくて、 純粋に受け手として楽しむんですよね。
あ〜さん自身を見ているというよりは あ〜さんが作った結果(HP自体とか文章とか)を楽しむんですね。
とてもお得なような妙な感じ(笑)。
単に、お得といった感じだけではなくて、今まで味わったことのなかった新種の楽しさを感じています。
先週金曜日と土曜日の採集記を下述いたしますので、よろしくおねがいします。
時間:13:10〜13:20
場所:市ヶ谷・会社横の緑地帯
方法:ルッキング
トンボが4頭飛んでいた。
=結果=
ボーズ
我がファミリーのクワ好き化は着々と進行中であります。
ナイタークワ採行へ行こうと言ったときの子供達の目の輝きを見るにつけ、 本当にコヤツらのオヤジで良かったと嬉しく思う次第であります。
それなのに!我が家のチビ達は二人とも、あまりオオクワに憧れを示さないのであります。 ペットショップの店頭で売られるF個体を何度も見せて、刷り込み教育も万全だったはずなのにであります。
頼れるパパに全幅の信頼を寄せ、「パパがそのうちWildモノを採ってくれるさ」とタカを括っているのでしょうか?
否、それならば、クワパパ冥利に尽きるというものですが、どうやらそうでもないようです。
たぶん、頻繁に「これを見なさい」ってやられ過ぎて飽きちゃったからなのでしょう。(笑)
やられ過ぎちゃったから、FだろうがWだろうが、山梨産だろうが神奈川産だろうが、 もう全部一緒くたにして『飽きちゃった』。
『よく見かける黒くて動くキチン質(但しちょっと大き目)』くらいに認識しているのでありましょう。
大失敗であります。
凹作パパは『オオクワ採りたい病』という煉獄に何十年も嵌っていると言うのに。
いかにも容易くヒョイとまたいで超えて行きやがったな。> 聡明な我が子達
口惜しいけれど、仕方が無いのであります。
子供時代から連綿と憧れ続けたオオクワ殿は、 小遣い銭でF個体を買える世の中になった今でも、私にとっては『殿づけ』をする対象であり続けるのです。
これはもう運命(サダメ)として諦めるしかないことでありまして、 我が子達を羨んでみたところでどうしようも無いと言うものであります。
飢餓感?トラウマ?劣等感? 一体何が原因でこんな大人になってしまったというのだぁ〜!
今更F型ワクチンを投与しても後の祀りというものである。 ワクチンとは患う前の子供時代等に投与するものであって、 罹患後に投与しても病状の悪化こそあれ好転はないのだ。
しからば、W型稀少薬を採るか?
否、これとて、あくまで対症療法薬。苦労して手に入れたところでせいぜいが一時的な症状緩和。 次にはもっと採りたくなる。 延々と採りたくなる。 麻薬そのものなのだ。
根治薬は?
無い。
だからこそ、『オオクワ採りたい病』は不治の病として恐れられているのだ。
不治ならば、取り得る手段は唯一つ。
『病気を病気として扱わず』である。 趣味、若しくは人生のパートナーなどといった程度に捉え、ケンカせずに仲良く楽しんでいけば良いのだ。
しかし、カラ元気を言っていられるのも、それを患っているのが本人自身であればこそである。 心配な事に、一見聡明に見える我が子達、なにやら別の病気に罹りかけているのだ。
『ノコ採りたい病』だ。
年に1〜2頭しか見せてやれないばっかりに、、、不憫でならない。
(本当に不憫なのは、自分のクワ採り技量の方だけどな)
クワ採り名人のパパ(←我が家基準)だからこそGETできる『有り難いクワ』だと思い込んでしまっているようなのだ。
(高学年になったら、『パパは よそのパパよりも格段にクワが採れないんだ』って、気づいちゃうんだろうなぁ。)
ここはひとつ、パパが重い腰をあげてノコGET倍増計画に踏み出さねばなるまい。
(心は軽いけどな)
パパはやると言ったら必ずやり遂げる人間なのだ。
(但し、らくちんなこと限定でね)
パパの本気が如何に凄いか、トラウマ化する程に見せつけてあげようではないか。
(ホントは常に本気100%なのにコクワしか採れね〜んだけどな)
苦情のメールが殺到する前に釘を刺しておくが、
「1〜2頭の増加が凄いことなのか?」とか、
「そもそも、例え千頭採ってもノコはノコだよね?」とか、
「ノコ採りごときに、どうして50行以上も費やしたあげくに前フリまでしか終わってないんだ?」
なぞといった屁理屈まがいの質問には、パパは尻尾を巻いて逃げ出すつもりでいるから、 そんなささいなことを突っ込んじゃあいけないぞ。
と言う訳で、ノコすら年に1〜2頭しか採れないスーパー父ちゃん・凹作。 頑張って参りましたので下に報告を申し上げます。
この日は、申し訳ないという気持ちを一杯込めて、ゴメンナサイをしたら、なんとか許してもらえました。
というよりも、結婚十数年目にして、ようやく凹作の特性・・・結婚記念日とか誕生日とかの記念日をすぐ忘れちゃう体質・・・を悟って諦めの境地に達したといったところ。
カミサンが悟りの境地に達したのが夜の11時半を回った辺り。
『一緒に行ってあげたいけど、体力的にダウン』とのことで、結局単独行となってしまいました。
出発したのは日付が変わる直前の深夜。
ます目指したのは、昔住んでいたアパートの裏山。 ここは、先日早朝、クワ幼虫を割り出しをしていて、通りがかった犬の散歩のおばちゃんに、 「カブトを採りにきました」とヘンテコリンな宣言をしてしまった曰く付きの場所。
しかし、幼虫3連続一刀目割り出し(クワ、クワ、カミキリ)をやった場所でもあるので、 内心はホンのチョッピリだけ余計な期待・・・あわよくばヒラタなぞ・・・を持っておりました。
さて、当地へ着いたはいいが、ここは下界の雑踏から完全に隔絶されたとっても寂しいロケーション。 不気味さで足がすくんでなかなか前へ進めません。
頭の中に書き込んだ あ〜さん採集記を黙読し、無理に自分を焚き付けます。
すると、アドレナリンは完全沸騰とまではいかないまでもプツプツとたぎり始め、 なんとか闇の恐怖を麻痺させる程の温度にまで上昇していきます。
怖くない怖くないと自分に言い聞かせながらクワを探し続け、コクワすら見ることができずに早一時間が経過。 ムキになって探していた気持ちに諦めの色が差し始める。
敗色濃厚となった気配に気持ちもトーンダウン。
闇への怖さがぶり返してスゴスゴと退散となりました。
車へ戻って人心地が着き、冷静に戻った心にクワガミサマ(鍬神様)の囁きが聞こえてくる。
『このまま帰ったら悔し過ぎるぢゃろう?』
闇への怖さに少し慣れた凹作が目指した次の場所は、昨年ヒラタをゲットしたお墓に隣接したポイント。
一本目に見た樹。何にも居ない。かなりヤバイ雰囲気だ。
二本目に見た樹。何も居ない。半ば諦めの境地だ。
三本目はこの時期一番樹液が出ている木だ。
「ふぅ〜」。
アベレージサイズのコクワ♂を摘んでようやく一息。
ありがたやアリガタヤと念じつつ、ルアーケースに仕舞い込み、少し心に余裕が出てます。
同じ樹でさらに数匹の小さいコクワをチマチマと摘んでいたら...
『ぶんっ』と、三本目の樹の地上4m程の地点から『!』な音が聞こえてきた。
なぜか直感したのが小さ目のカブト♀。
ライトでその方向を照らし上げてみる。
何かが飛んだ。
いや、飛んだというよりも、羽ばたきながら落下している。
『ぱさっ』
三本目の樹の足元の茂みに不時着したようだ。
ぬぉがすものかぁ〜〜〜!と気合をいれて茂みを照らす。
居ない。シツコク探す。居ない。シツコク照らす。居ない。1分経過。居ない。居ない。あぁ、無情。
...。
『ぶぶん。ポフッ』
しめた! 地面の枯葉に落ちた音だ!
探す、サガス、さが、、、『緋!』
ノコギリクワガタとひと目で判る赤く鋭い歯が此方を向いている。
嬉しくって、泣きべそかきながら枯葉に半分埋まったヤツを掴む。
うふっ、なんて綺麗な赤い色をした個体なんでしょ。
(添付ファイル030620IroHikaku.jpgの左右が今回の個体。中央は既☆アマミノコギリクワガタ )
ルアーケースをひっくり返し、さっきまでアリガタヤと崇めていたコクワをパラリと地面に払い落とします。
替わりに大事なお宝を収め、心でガッツポーズを執った凹作でありました。
林のもっと奥にはさらに優良樹が控えているのですが、なんだか妖しげで気味が悪い(お墓も有るしね)。
当日はこれにて採集終了といたしました。
とって付けたワザとらしい前振りとは裏腹に、実際には、どうせコクワしか取れねーだろと思いつつ臨んだ採集でありました。
58mmノコ♂をGETして、自己採点としては銀星クラスの高得点採集行となった夜でした。
(添付ファイル030620_58mm.jpgは凹作親指との大きさ比べ)
=結果=
ノコギリクワガタ♂、コクワ数頭
『オオクワ採りたい病根治薬としてのW型稀少薬』(凹戯0001号言抜粋)
観察者と被験者の思惑を完全に排除した長期臨床(サンプル数:∞)では、その有意は早くから完全に否定されている。
また、○〜(1966年−)の文献によると、自らをサンプルとした追試においても、その結果が確認されている。
本病態を拡大解釈し、症候群(オオクワ病シンドローム)と捉えるならば、W型投与による完治の報告がある。
特筆すべきは、症候群では、本来ワクチンであるF型においても治療薬としての転用が可能であるという点である。
だが残念ながら、本病態の根幹的本態である『採りたい』に関してのW型による完治報告は見つけることが出来ていない。