2008.2.16

10周年記念特番

【ピイさんの小笠原採集記】

2006年6月の小笠原行きから1年半、ピイさんが小笠原へ行くことになった。これは自分にとっては実に嬉しいことで、小笠原の虫取りの話ができる人がこんなに身近にできるなんて夢にも思わなかったことだ。

今回ピイさんに採集記をいただけたので、これをサイト開設10周年の記念特番として掲載させていただきたい。

ピイさん、ありがとうございました。

以下、ピイさんの採集記です。


小笠原 その1(出発)

小笠原諸島。私にとっては全く無縁な場所であると思っていました。

旅行目的に行くにしても、甲虫採集目的に行くにしても、時間と予算の制約から、 せいぜい3日間程度が限界ですからね。

採集の集中力も同様に3日間が限界といったことも理由としてあります。

都心から1000km。約26時間の船旅。船便は1週間に1本。

台風などで欠航となれば、更に1週間の時間延長が必要。

行く可能性はその時点では0でした。

まあ、退職した後にでも時間があれば・・などと考えもしましたが、 優先順位としては南西諸島や北海道の方が時間的にも予算的にも、
何よりも虫的にも魅力が大きいですから、これらの地域を間違いなく 選択しますね。


ところがです。今夏の転勤で赴任した新しい部署の仕事の中に島嶼関係のものがあり、 真っ先に目に入ったのが「小笠原」という文字でした。

計画書を見た瞬間に、「小笠原は私が行きますよ〜」と。

まあ、3ヶ月先のことですから、現実感が無いまま気軽に立候補してしまった次第です。

そして、いよいよ暦が12月になると、1000kmの距離が現実味を帯び始め、 期待感とは裏腹に悶々とした重圧感が・・当然仕事で行くのですから仕事の重圧感ですよ。

地図を見ながらポイント?を確かめ、想像しつつ備えていました。

さて、ここで小笠原の歴史なんぞを簡単に・・・

・5000万年前〜3000万年前に火山活動開始

・15万年前〜12万年前に小笠原群島が完成

・紀元前2000年前ころに先史人が定住

・1593年 信州深志城主 小笠原長時の孫、貞頼が発見したと伝えられる

・1675年 徳川幕府が探検隊を派遣

・1727年 ケンペル医師、著書「日本史」で無人島(Bonin小笠原)を紹介

・1876年 日本政府が小笠原を日本領土であることを他国に向けて宣言。年3回の航行開始。

・1927年 昭和天皇が父島と母島を行幸

・1940年 人口は父島4302人(現1929人)、母島1905人(現440人)

・1945年 硫黄島全滅。父島母島は米軍に占領

・1968年 小笠原返還

・1972年 東京〜父島間定期船就航。電気は60Hzから50Hzに切り替わる

・2003年 世界自然遺産の候補地に

と、こんなもんですかね。

そして小笠原の自然は「東洋のガラパゴス」と言われ、固有種の宝庫です。

オガサワラオオコウモリ、オガサワラシジミ、ハハジマメグロ、・・・

そしてオガサワラネブト、チチジマネブト、オガサワラチビクワガタ。

 

は〜〜能書きはこのくらいにして、小笠原の様子を順次写真にて紹介したいと思います。


おがさわら丸。いよいよ出港です。

南房総の漁師町出身ですから、船酔いなんぞしたら恥じ?です。



お世話になる船室。

この部屋を経験してしまうと、2等では寝れないそうです。

中は2段ベッドが2組と、2畳程度のリラックススペース。



ここを通過すると外海に出るのも間近。



日が暮れるとともに揺れが激しくなってきました。まあ既に酔っ払ってますからね〜。



日の出前に目覚めました。おおお〜見えてきました。


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2008.2.16