オタクはイヤだし、自分がそう思われるのはもっとイヤだ。そんなフツーな人が坂道を転がるようにハマってしまったオオクワガタにはどんな魅力があるのだろうか? 自分がハマった経緯とともに、その魅力を綴ってみることにしよう。
小学生時代、噂にしか聞いていなかったオオクワガタ。図鑑にも載っておらず、友達にその存在を聞いていたものの、実在することが信じられなかった。ミヤマですら幻だと思っていたのだから当然だ。
以来、クワガタなんぞ恥ずかしいと思いながらも常に頭の片隅で憧れ続けていたオオクワガタであるが、実物を見る機会は一度もなく年を食っていった。
この頃はまだ「けっ!クワガタなんて!」などという、大人びた感覚が残っていて、そういうことに手を染めるには自分のプライドが許さなかった。オタクのイメージもあったし、クワガタのために何か行動を起こすことがとにかく恥ずかしかった。
それから数年間、悪ノリで同僚と無鉄砲に山形に行ったり、茨城でクヌギの木を探したり、全く情報のない世界でクワガタ探しを続けていたが、ほとんどクワガタ自体に巡り合うこともなく過ぎていった。片足を突っ込みたい自分と、危険を察知してクワガタに対して知らぬふりをする自分が共存していた頃だ。
その後、帰省先から帰京する際に偶然KIOSKに売っていたクワガタの本、これが自分の運命を変えてしまった。93年に買わずに後悔した本とは違ったが、その本を手にして以来、写真ではあるがオオクワガタの姿を見られることとなった。そして絶対にこの手で採集してみたいと思った。
完全に火が点いたその日に、さらに油を注いだのは、自宅に帰り着いた直後に見た番組だ。オオクワガタの採集を放送していた。体の血が全部入れ替わったような、そんな感覚があった。この1日の中で本とテレビのダブルパンチを受け、その日から狂ったように活動を始めた。
毎日オオクワを採る夢を見る。ほんとに毎日だ。
採りたい、採りたい、採りたい・・・
そんな日々を送った。
しかし、買おうなんて気持ちは一切なかった。「虫は買うもんじゃない、採るもんだ!」というポリシーはガキの頃からしっかりと頭の中に叩き込まれている。買ってもらったクワガタを見せびらかすような友達を見ると「何じゃ、こいつ?」などと子供心に思っていた。田舎なので、そんなハイカラなことをする人間はちょっと敬遠される。自分は持っていなくてもいつか採ってやる・・・などと考えていた。ノコだけど。(^^;
結局、この店にいたオオクワガタは残念ながらマットに潜っていて、見ることはできなかった。
こういった経緯を経てきたため、自分にとってオオクワガタは本当に幻の存在であった。この時点で一度も実物を見たことはなかったし、写真も2冊の本に載っているものだけであった。
それが自分の持っている情報の全てであった。
オオクワガタの採集・・・これはほんとに壮大なロマンだと思う。こんな大げさな言い方は恥ずかしいが、ほんとにそう思っている。宝探しみたいなものだ。この憧れの強さがそのまま採集欲に繋がっている。採集することに大きな意義を感じた。
ようやくここでネットの世界にたどり着く。パソコン通信のNiftyServeに入っていたくらい自分のネット歴はそれなりに古いものがあるが、クワガタをネットで調べてみようなんて思いもよらなかった。「あるはずない」とも思った。(^^;)
ところが、予想に反してクワガタのページは存在した。憧れていたオオクワガタの写真も時々掲載されている。おおおお!
そして、そこで見つけたのがr.matsudaさんの「STAG BEETLES」だ。洗練されたデザインだけで圧倒されるが、なんとこの人はオオクワガタを採集している!!
これは衝撃であった。オオクワガタを採集した採集記が掲載されている。当時はほとんどなかったはずだ。
累代飼育しているオオクワガタの親はご自分の採集品だ。なんてカッコいいんだ!!
こうなると、もう止めようがない。毎日毎日狂ったようにクワガタのページにアクセスして情報を取ったものだ。しかし、ポイントに関する情報などは当然掲載されているはずもなく、これが逆に自分の採集欲を増幅させることとなった。
当時、ホームページを開設している人なんて、テレビに出てる有名人のような感覚だったので、初めてメールを打つまでに随分時間がかかった。すでにその頃には自分のページを非公開で作っていた。(^^;)
誰にでもメールを打ちまくるのは気恥ずかしいので、何人にもメールを出すのはやめようと思っていたのであるが、トナさんのサイトがあまりにもおもしろく、居住地も近そうだったので思い切ってメールしてみると、すぐにお返事をいただき採集にもご一緒できることとなった。ホームページ開設の注意事項など、いろいろ教えていただいたおかげで何とか世の中に出せることになった。感謝感謝だ。
夢かと思った。
ついに憧れのオオクワガタに対面できる・・・
そして、その日はやってきた。ケースに入ったオオクワガタのペアを見た時、その太さにほんとにびっくりした。
「これがオオクワガタか!!」
ただただ感動であった。幻のオオクワガタを生まれて初めて目にし、入手した。
要するに、自分が初めてオオクワを見たのはホームページを作ってから遥かに後の話なわけだ。
ちなみに・・・
ホームページにある「counter reset」という意味不明な文言は何を表しているか?
あれは、最初にイントラネットで公開していた時のカウンターをリセットしたのが1回、その後インターネット上に公開した後にいろいろいじっててカウンターがぶっ飛んだのでリセットしたのが1回。その2度目のリセットがあの日付だ。一般的な言葉ではなく、そういう諸事情のもとで勝手に言い回した言葉だ。(^^;) 「since〜」というのは開設した日ではなくインターネット上に公開した日付である。
「Japanese Only」というのは随分舌っ足らずだが、マネをしたくなかったので勝手に短くした。めちゃくちゃだ。(^^;;;
不思議なことにその日以来、全くオオクワの夢を見なくなった。
そして最近では、オオクワガタはちゃんとした場所に行って、それなりの方法を使えば誰にでも簡単に採れる虫コロになってしまった・・・
しかし、自分にとってはオオクワガタは滅多に見られないものなのである。なんせオオクワガタを飼育していないため、見たい時に見られるブリーダーとはわけが違う。自分がオオクワガタの姿を目にできるのは採集してそれを人にあげるまでの短い時間だけだ。それくらい珍しくあって欲しいわけである。
生まれてからオオクワガタに出会うまでの一連の手順の踏み方が自分にこだわりを持たせているのだと思う。必要以上にオオクワガタを神格化しているかも知れないが、本来採集が難しいからこそオオクワガタにはロマンがあるのであって、簡単に採れてしまうのであれば、自分にとっての魅力はなくなってしまうことだろう。
ここ数年でWeb上でもオオクワガタの写真は氾濫しており、灯火採集の技術向上により採集例なんか全く珍しくなくなってしまった。自分も採った虫は見せたいし、実際に自分のページにベタベタとオオクワガタの写真を貼り付けている。しかし、こういった行為が「幻のオオクワガタ」を幻でなくしてしまった。露出度があまりにも高過ぎて、憧れでも何でもなくなってしまう。これは本当に淋しいことだ。
しかし、そんなものは防げるはずもなく、防ぐつもりもない。見せたいものは見せたいし、見たいものは見たい。ただ情報の氾濫によりロマンが削がれていくのが淋しいだけだ。憧れ続けていたくせに全く姿さえ見たことなかったという「あのオオクワガタ」でいて欲しい。ゴダイゴの歌「ガンダーラ」に出てくるユートピアのような存在であって欲しい。一生のうちでそういった存在のものにいくつ出会えるだろう?
そういった気持ちもあり、飼育をやめ、インターネットを見なくなり、有名産地に通わなくなった。
少しでも幻の存在であって欲しい・・・
今は下手クソゆえにご覧の通り毎回惨敗しながらオオクワガタ採集の難しさを身に沁みて感じている。言い換えれば、オオクワガタの魅力を存分に感じているということである。腕が上がって簡単に採れるようになったら・・・きっとまた自分に制約をつけ、ハードルを一段上げることだろう。
2003.1.9