小ネタ


【はじめに】

このページを書き始めてからアップするまでに、半年もかかった。時間の幅できてしま い、さらに追記追記で書いてきたので非常にわかりにくく脈絡もないことをご承知置きいただきたい。さらには思い込みで書いているので勘違いなどもあるかも知れない。

記録として残ればよいと思って作成したので、あんまり深く突っ込まないで下さいませ。m(__)m


【町村合併について】

テレビで山古志村の閉村式を見た。隣の長岡市に吸収されるらしい。遠征で何度か通過した村でそれなりの思い出もあり、何だか見てられない気持ちになった。

何度か触れてきた平成の大合併について、2005年初頭の状況をまとめておこう。サイト上に掲載するほどのものでもないが、あとで振り返って「こんなこともあった」ということを思い出すためのもので 、いつもの戯言と同じである。

激しさを増してきた大合併、地理オタクの自分としてはやはり平静ではいられない。従来地名に異様な執着があることと、それなりの不便さを感じていることが理由の一部である。

自分の生まれ育った場所の地名がなくなることに抵抗がある方も少なからずいらっしゃると思うのであるが、どうなんだろう?

旧××とイチイチ昔の名前に言い換えて考えなければならないというのもマヌケな話だ。

別のシュミで地図を多用する場面が多いのであるが、これがまた不便なことこの上ない。住所を入れて検索しても全くヒットしない。自分の知識も全部捨てなければならない。

大した知識でもないが、やっぱり得意分野なのだからこれが使えなくなるのも淋しいことだ。

地名というものにはそれぞれのルーツがあり、基本的には歴史の深いものが多い。言わば文化の一部だとさえ思う。そんな地名が合併によって失われていくことがたまらなく淋しい。さらには降って湧いたようにつける新市名、これは歴史に対する冒瀆だと言われる方もいらっしゃるくらいだ。某関東地方県庁所在地の平仮名市名に代表されるような命名、本当にこれでいいんだろうか?候補のひとつとして挙がるのは当然だと思うが、本当にこれに決まってしまうところが今の世の中の怖さだと思う。

すでに原形をとどめていない3県をピックアップして、今の状態をこれに照らし合わせてコメントを残しておこう。


【山梨】

何かと虫取りにも縁のあるこの山梨であるが、ここ3年ほどですっかり様子が変わってしまった。虫取りを始めた頃にあったと記憶している市は以下の通り。

・甲府、大月、山梨、塩山、都留、富士吉田、韮崎

これ以外は全て郡部であった。

ところがいつかの南アルプス市の誕生から町村合併が始まり、2004年に一気に加速した。新しく生まれた市は以下の通り。

・南アルプス、北杜、甲斐、笛吹、上野原

上野原だけは元の地名が残っているが、他の町村については木っ端微塵となってしまった。山梨の町村名はもともと自分も気に入っていたものが多く、とても残念である。

小が大の名前を名乗ることを「僭称」というらしく、これは地名の命名における禁じ手のひとつらしいが、「甲斐」はこれに該当しないのだろうか?それとやっぱり南アルプスは行き過ぎだと思う。対等合併であっても大きい方の市名、町名は残すべきという説もあるが、自分はそれに賛同する。

白根、櫛形、敷島、竜王、双葉、明野、須玉、長坂、石和、一宮、御坂などの町村名は全部失われてしまった。


【岐阜】

最も早くから町村合併を実現させてきたのが岐阜県だろう。

同じく虫取りを始めた当初にあったと記憶している市は以下の通り。

岐阜、大垣、各務ヶ原、羽島、多治見、関、美濃、美濃加茂、可児、高山、土岐、瑞浪、中津川、恵那

そして最近できた市は以下の通り。

山県、本巣、下呂、飛騨、郡上、瑞穂、海津

新しい市の数自体は多くないが、その面積はハンパではない。特に県北は全部市になってしまった。もともとあった高山市は周辺の町村を思いっきり吸収し、飛騨、下呂と共に広大な市域を形成している。それだけたくさんの町村が消滅してしまったということだ。

と書いていたが、いつの間にか地図上で白川村が復活している。何かの間違いだったのだろうか?

岐阜の好ましいところは後先考えずにつけたような「ひらがな市名」や「カタカナ市名」がないことだろう。旧土地名を踏襲した命名で何とか助かっていると思う。


【滋賀】

見るたびに地図が変わっているのがこの滋賀県である。

虫取りを始めた時に存在していたと記憶している市は以下の通り。

・大津、彦根、草津、守山、近江八幡、八日市、長浜

栗東はいつの間にか市になっていたが、虫取りの頃にあったかどうかは微妙。(調べろっつの!)少なくとも栗東の市制に気づいたのは虫取りを始めた後である。なので下に記すことにしよう。

後で誕生した市は以下の通り。

・栗東、野洲、高島、甲賀、湖南、東近江、米原

市の数だけでもほぼ倍増であるが、八日市は周辺町村との合併で東近江になった。この東近江はさらに周辺町村との合併を検討している模様。八日市という市名はこれで消えてしまった。

東近江などという単純な命名はどうしても好きになれない。「何とかどこそこ」という武蔵野線にありがちなオリジナリティのない名前・・・確かにどこにあるかは判りやすいが、それによって由緒ある地名まで消してしまうことには疑問を感じてしまう。 すでに溶け込んだ北九州、東大阪なども西東京同様どうも違和感を覚えるのである。


【その他】

そんな町村合併、ちょっと目を離した隙に市だけではなく町にもなっているので要注意だ。あとは大きな市への吸収というのもある。不自然に面積の広い市があったら疑ってみる価値はある。

例えば広島。安芸高田市というでかい市が誕生しているが、安芸太田町なる町もできている。このため戸河内や筒賀といった町村が消えた。三次市ってこんなに広かったっけ?などと思い見てみたら、周辺町村を吸収していた。呉市も知らない間に川尻町や下蒲刈町を吸収していたが、さらに蒲刈町や音戸町、倉橋町も吸収してしまうらしい。

 

清水を静岡が吸収したり、長野市、むつ市、上越市がいつの間にか大きくなっていたり、全く気の抜けない日々を送っている。

鬼無里村なんて地名も好きだったんだけど・・・

田舎の山口でもうちの隣の徳山市、新南陽市、熊毛町、鹿野町などが合併して周南市となったことは記憶に新しいが、大島郡の4町がいつの間にか合併して周防大島町となっていた。宇部市や光市もそれぞれ隣の楠木町、大和町を吸収してマイナーチェーンジしている。楠木町などは我家のルーツがある場所なので、やはりフクザツな心境だ。

うちの市は合併を免れて周囲を周南市に囲まれた不気味な配置となってしまったが、今度は岩国市が玖珂郡を吸収する動きがあるらしい。和木町以外は全部岩国市となってしまうのだろうか。

・・・なんて文章を書いて1ヶ月が経過したが、改めて山口の地図を見てびっくりした。下関、萩、長門が異様にでかくなっている。下関は豊浦郡の4町を吸収した模様。長門市も三隅郡などを取り込み、萩は阿武郡の一部を吸収したようだ。そして山陽町と小野田市が合併していた。郡部が一気に減り、こちらも原形がなくなってきた。

広島はさらに三次市と東広島市と呉市が巨大化した。そんなことを書いているといつの間にか北広島町なるものが誕生している。

茨城もびっくりだ。

十王町がなくなったくらいだと思っていた茨城は、常陸大宮市ができただけでなく、ここ数ヶ月で目覚しく変化している。水府などが常陸太田に吸収され、那珂町と瓜連町が合併して那珂市となった。岩井と猿島が合併して坂東市となり、稲敷郡の3町が合併して稲敷市となっている。

虫取りを始めた頃は東村だったのに、東町となり今は稲敷市となった。すごい変化だ。

・水戸、日立、土浦、つくば、取手、下館、結城、古河、岩井、下妻、笠間、勝田那珂湊、水海道、常陸太田、高萩、北茨城、石岡

            ↓

・水戸、日立、土浦、つくば、取手、下館、結城、古河、坂東、下妻、笠間、ひたちなか、水海道、常陸太田、高萩、北茨城、石岡、常陸大宮鹿嶋潮来稲敷

合併によって消えてしまった市の名前を忘れないよう、思いつくまま書いておこうと思う。リストなどがあるわけではなく、思いつくままなのできっと抜けもあると思う。

・石川、具志川、川内、福江、中村、北条、川之江、伊予三島、東予、小野田、徳山、新南陽、平田、八日市、上野、松任、新井、両津、更埴、清水、保谷、田無、秋川、黒磯、大宮、与野、浦和、下館、勝田、那珂湊、岩井、 泉、本荘、大曲

これは、80年代に自分が覚えた市名なので、もっと以前に消滅した小倉、門司、八幡、若松、戸畑、児島、玉島、伏見、直江津、高田、平、勿来、内郷、湯本、大湊田名部などの市名は割愛している。

本当は採集記に市町村名まで明記して残したい気持ちがとても強いのであるが、それも叶わぬ夢である。


【夜行の話】

こんな話をしていると、夜行列車の数が減ったという話題が飛び込んできた。地名もそうであるが、夜行列車についてもやはり消えると淋しい。今追いかけている琺瑯看板や別のシュミにしても、全部早くしないと消滅してしまうものばかりだ。

夜行列車については世の鉄道ファンがいろんな形で記録に残してくれるはずなので、今さら自分のところで取り上げても仕方がないのであるが、今の自分の記憶と照らし合わせて2005年現在の心境を語っておくことにしよう。

いわゆる「ブルートレイン」に代表される寝台特急に自分は小学生〜高校生の頃までトチ狂っていた。山陽新幹線が開通した昭和50年以降にも寝台列車は数多く残っており、東京始発の「さくら」「はやぶさ」「富士」「みずほ」「あさかぜ×2往復」に加え、名古屋始発の「金星」、京都・新大阪始発の「なは」「あかつき」「明星×7往復」「彗星×3往復」が走っていた。

これに加えて関西〜九州間の急行「雲仙・西海」「阿蘇・くにさき」まであったのだからすごい話だ。

20本を越える夜行列車が毎晩毎晩うちの田舎を走っていたのである。上下線で考えると40本を越える。

休みの日や、チャンスがあった時には何かと早起きしてこれらの列車を見に行った。時には徹夜して一晩中見ていたこともある。

まず、まだ日のある夕方のうちから「あさかぜ」が東京目指して走り過ぎる。この「あさかぜ2号」は下関発なので、対象顧客は主に山口県の人間だ。それから21時台までに東京行きと名古屋行きの各列車が全て行ってしまう。

しばらく間を空けて、23時台になると今度は関西行きの各列車が頻繁に通り過ぎ、さらに関西発の列車も入り乱れてやってくる。この時間帯は圧巻だ。貨物列車や荷物列車も頻繁に走っており、踏切も 上がるヒマがない。

この状態が4時過ぎまで続き、今度は5時台の「さくら」を筆頭に、東京発の列車が8時台までやってくるのである。いい時代であった。

さすがに年齢的に深夜の時間は家にいたため、特に関西発着の列車は滅多に見られず憧れの的であった。

九州で枝分かれする各列車が山口では全部集中して走っているのである。九州に近いため、実用的な時間に近い時刻で見られるものも多かった。

山口県は寝台特急の停車駅が最も多かった県である。

岩国、柳井、光、下松、徳山、防府、小郡、宇部、小野田、厚狭、下関

これらの駅に東京発着の列車を中心に停車する。しかし、その停まり方が非常におもしろい。まず全列車が停車するのは下関のみ。山口県最大都市の中心駅でもあるが、関門トンネルの機関車交換の都合もあり、停まらざるを得ないわけだ。

その下関以外は本当にバラバラで、例えば「さくら」の停車駅は岩国、徳山、小郡、下関。「はやぶさ」は岩国、小郡、厚狭、下関。「富士」は柳井、防府、宇部、下関。「金星」は下松、 小野田、下関・・・という感じ。全く同じ停車駅をたどるものは一組もなかった。

このバラバラ加減が何ともいえず好きであった。

そんな夜行列車もダイヤ改正のたびに数が減っていくこととなった。急行は臨時列車になり、関西始発の列車も極端に減った。金星がなくなり、みずほも消えた。

ダイヤ改正で列車が削られても、削られた列車が停まっていた駅は別の列車を停まらせるという手立てが成され、上に列記した駅はずっと寝台特急が停車するという地位を保ってきた。

 

当然何度かこれらの列車に乗ったこともあった。

最も最近では6〜7年ほど前に乗った「さくら」であった。A寝台で東京まで帰ってきたのであるが、乗客はほとんどいなかった。連結部分の近くでギコギコなる音が社内に響き渡り、振動も大きい。決して快適ではなかった。

合理化や経費節減を第一とする現在の世の中では、こういった列車というのはある意味とっても贅沢な存在だと思った。たっぷり時間をかけて移動し、乗客もいないのに長い編成で走らせる。あの時、すでにこの列車が近い将来消えてしまうということを確信した。

そんな列車たちはオトナの頭で考えると消滅して当然の存在であるが、なんせ青春をともにした列車たちである。存在自体が自分にとってはとても大事だ。「生きてさえいてくれればそれでいい」という感じ。

こいつらが消えてしまうことは淋しくて仕方がない。

思い入れは誰よりも強い。

・・・と、たぶん同じように思っている人も多いのだろう。

記憶の彼方に飛び去っていく前に自分としてはこうやって記録に残しておこう。


2005.5.27 up