大昔の採集記


5,000カウントとクワ道さんのHPオープンを記念して、大昔の採集記を掲載させていただきます。昔のものをダラダラ書いても読む人も辛いでしょうから、特筆すべき点などをピックアップして書きたいとは思っています.....が.............
【孵化〜初令幼虫時代】

あ〜は1966年、山口県にて孵化した。幼少期はみなさんと同じように昆虫少年で、家の畑でチョウ・コガネムシ・テントウムシ・カマキリなどを捕まえて遊んでいた。小学校2年生で早くも「昆虫博士」の称号をもらい、図鑑レベルの昆虫の名前はほとんど記憶していた。


夏になると同じ山口県内にある祖母の郷里に毎年行くのだが、そこで初めてカブトムシと対面。小学校の低学年のことであったが、はっきりは覚えていない。中学校脇の大クヌギが必ず樹液を出す。
クワガタとの出会いはもっと遅かったと思う。もちろん存在は知っていたが、実際に採ったのはいつだっただろう?通学途中に街灯の下に落ちていたり、
イネにつかまっていたりするヒラタの♀をよく拾っていたと思う。当時は家の近くでクヌギの木なんて見たことなかったし、山口のクヌギは祖母の郷里にしかないと思っていた。なぜイネについているか、よくわからないが、街灯のポイントに近かったので、街灯を目指して飛んできたものがイネについたものであろう。10回近くイネでヒラタの♀を採集している。なぜか必ずヒラタの♀だ。 クワガタの♀の見分けのような感覚は大事にしたいものだ。

また、この頃から図鑑の知恵で「朽木」が大変気に入っており、よく足で蹴飛ばして壊していた。壊すのが楽しくて仕方なかった。当然幼虫も数匹叩き出している。大きさから考えるとコクワだと思うが、コガネムシの幼虫に比べて随分「きれいだなあ」と思った。

家の近くにクヌギがないので、夏には専らセミ取りに走っていた。ニイニイゼミやアブラゼミが非常に多いが見た目がよろしくない。やはり翅の透明なセミでなければ。翅の透明なセミと言えば、しばらくはツクツクボウシしか見たことなかった。ミンミンゼミは我々の住んでいる場所では見たことない。クマゼミは高いところにいて姿が見えない。初めてクマゼミを手にしたときの感動は忘れられない。大きさ、美しさ。完全に魅了されてしまった。このあと、クマゼミを求めて走り回るのだが、高いところにしかいなく、さらにすばしっこいので、ほとんど成果をあげることはできなかった。

さらにあこがれがつよかったのはエゾゼミだ。美しい姿は図鑑でいつも見ていたが、実際には鳴き声を聞いたこともなかった。「エゾゼミが見たい」長い間のテーマであった。

図鑑をベースにして、自分が採ってみたい昆虫はいろいろいたが、その中でも特に強い希望があったのが、エゾゼミ、オオクワガタ、アカアシクワガタ、シロスジカミキリ、タガメ、ナナフシである。シロスジカミキリとナナフシはかなり早い時期に希望をかなえることができた。オオクワ、タガメはいまだに夢をかなえることができない。タイコウチやミズカマキリなどは家の近くでも簡単に採集できた。


小学校4年生に進級したときに、一人の男子が転入してきた。家も近く、すぐに仲よくなったのだが、夏になると「クワガタ採りに行こう」と誘われた。大喜びで返事をすると、彼は何と次の日の朝4時に迎えに来た。当時、うちの小学校は「自転車禁止」。自転車に乗れる道路が限定されていた。朝の4時なら誰も見てないだろうということで、罪悪感と闘いながら自転車を走らせること10分、ある山の麓に到着した。

山といってもほとんど丘に近いもので、懐中電灯を照らしながら徒歩で登っていく。道の脇の木を蹴ると、10頭ほどのノコ、ヒラタ、カブトが落ちてきた。ちゃんと家の近くにもクヌギの木があるのだ。それもハンパではない。広い山ではないのだが、今思えばこの山にあるクヌギの本数は強烈である。ポイントと呼ばれる箇所だけでも1つの狭い山に20はあった。一回りすれば簡単に3ケタだ。これが初の本格的な樹液採集であった。なぜ転校生がこの場所を知っていたか???ナゾである。

ここで採れるクワガタの数であるが、ノコ>ヒラタ>コクワの順である。ここでは3種類しか採集できない。カブちんも入れて4目だ。当時の興味は、「いかにデカいカブトとノコを採るか」というところにあった。ノコよりもはるかにデカいヒラタなぞ、ゴロゴロいたのであるが、「ヒラタはヒラタ」ということで見向きもされなかった。もったいない話だ。ヒラタは山口では完全に普通種。あ〜の経験上、コクワよりよく採れる。

それ以来、毎年夏中この場所に通い詰めたことは言うまでもない。


ここでヒラタに関する経験を2つ。これは以前、採集記にも簡単に記した。

【1】田んぼ脇の駐車場で遊んでいると、ふと気になるイチジクがあって、そこにある洞を覗いてみると、ヒラタのペアが入っていた。これは町中である。サイズとしては大したことなく、40mm台の前半だっただろう。この洞から、以後3ペアほど採集した。

【2】とある冬の日、線路脇に生えているイチジクの木の根元の砂利を掘っていると、十数頭のヒラタの成虫が出てきた。そのイチジクでクワガタを採った記憶はなく、なぜその木の根元を掘ったかは自分でもわからない。これもサイズは大したことなく、30mm台の後半から40mm台の前半だっただろう。ただ、状況が状況だけに大変驚いた。集団越冬だろうか???

この感性が今でもあれば、オオクワなんか簡単に採れそうである。

感性で思い出したが、モンシロチョウを取りに行った帰り道で畑に何か感じるものがあり、立ち寄ったことがあった。畑を掘ってみると、竹が埋まっていて、その竹を割ってみると、中からカブトの幼虫が一列になって転がり出てきた。1本に20頭は入っており、10本くらいの竹を掘り出したので、幼虫はすごい数になった。バケツを取りに帰って幼虫を全部持ち帰った記憶がある。

ミヤマと出会ったのもこの頃だ。ミヤマに対する憧れもやはり強かった。親戚の人に声をかけられミヤマを採らせてやると言われた。親戚宅から歩いて行ける場所にポイントがあった。シイタケ栽培をやっており、クヌギの木が川沿いに並んでいる。蹴飛ばすとポタポタとミヤマが落ちてきた。しかし、図鑑で見るような立派なものではなく、一様に大アゴは小さく、ケツだけがデカかった。失望した記憶がある。モリアオガエルもゲンジボタルも生息する素晴らしい場所であった。

あ〜の場合、車酔いがひどかったので極力車には乗らないようにしていた。自ずと行動範囲は限定される。小学校の規則に「校区外には出てはいけない」というのがあり、父兄同伴でないと校区外にも出ることができなかった。自転車にも乗ってはいけないし、その範囲での昆虫採集に限られた。それでもこれだけ採れたというのは恵まれた環境だったのだろう。そしてこんな状態だから、「オオクワ・アカアシを採りたい」などとは考えたことがなかった。


【2令幼虫時代】

中学生になってからは、虫取りとも縁がなくなった。実は生物部にも入ったのだが、研究テーマはヨシノボリ(ハゼみたいな淡水魚)に決まっており、全くおもしろくない。退部して別の運動部に入った。学校が遠かったのと、部活が忙しかったことで、虫取りに行くような余裕はまったくなかった。

かろうじて例の祖母の郷里で大きなヒラタ♂やヒグラシを捕まえたのをうっすらと覚えている程度だ。


【終令幼虫時代】

高校時代の採集経験はわずかに1度だけだ。高校は山の上にあったのだが、その山を登る途中を脇道に入り、「こんなところにいるんだよなぁ」と思って歩いていると、ノコのペアを発見。この頃までは感性があった。クマゼミは手づかみで採っていた。


【蛹時代】

山口を離れ、京都の大学へ行った。幸い?なことに、この大学は山の上にある。高校〜大学と弓を引いていたのだが、大学の3回生が終わる頃に弓道場がさらに山奥へ移転した。その道場の近くを探索してみると、道端のクヌギの木についているコクワ♀を発見。これが学生時代唯一の採集経験である。普通の学生と違って体育会にいたので部活動に明け暮れる非常に忙しい生活であった。

1回生の時、帰省したときに、友人の車で三瓶山へドライブに行ったが、そこで聞いた耳慣れないセミの鳴き声。エゾゼミだとすぐわかった。何としてでも姿を見たい。かなり時間をかけて探し、ようやく1匹落ちているのを発見した。嬉しくて家まで持ち帰った。アカアシは依然として見たことがない。


【成虫】

平成元年に卒業&就職。大阪に配属になる。思えばもったいない時代であった。この頃ハマっていれば、今とは全然違うクワガタ人生になっていたに違いない。住んでいたのは西宮と吹田。当時は能勢にも親戚があった。ただ、ドライブに行く度にクヌギの木は探していたので、火が完全に消えていたわけではないようだ。


平成3年に東京へ転勤。クワガタ採りに行きたいという話はちょくちょくしていたが、初めて実現したのは平成5年頃だっただろう。3人で1泊2日の山形旅へ出かけた。あこがれのアカアシがいるかも知れないと、期待に胸を膨らませての旅であったが、情報皆無であまりにも無謀であった。当然ボーズ。ただし、コエゾゼミを採ることはできた。

この頃に本屋で立ち読みしたクワガタの本にオオクワが数ページにわたり掲載されていた。これがあ〜の心を大きく揺り動かしたことは言うまでもない。車もあり、自由に動き回れる今となってはオオクワ採集だって夢ではないのだ。しかし、まだ炎は燃え上がっていない。この時は本を買わずに店を出た。(その後、何度も後悔した)

相も変らずドライブに行くたびにクヌギの木を探すということはしていたが、成果はなし。しかし、それ以上のことはしなかった。ある年の夏の終わりのこと、帰省からUターンする際に広島駅で時間があったので、本屋に寄ってみると、そこに1冊のクワガタの本があった。今度こそ買ってやろうと思い、冗談半分ではあったが購入して新幹線で読んだ。もちろんオオクワも載っていて、冬でも採集可能だという。朽木割り採集だ。これがあ〜の心に点火してしまった。完全にスイッチオンである。

追い打ちをかけるようにテレビで材割でオオクワを採る場面を偶然見た。その日のうちに車を走らせ、なぜかつくばへ。新規開拓でコクワを数匹ゲットして有頂天に。ここから先は採集記にある通りだ。

さらに追い打ちをかけたのはインターネットだ。まさか自分より本格的にハマっている人達がいるとは思わなかった。飼育や販売には全く興味がなく、ひたすら採集記を追い求めた。採集記は本当に楽しい。更新が楽しみで楽しみで仕方がない。しかし残念ながら、なかなかどこも更新されない。あ〜にはメールを出す勇気もなく、ただひたすら待つのみであった。

やがて耐えきれなくなり、とうとう自分で採集記を作ることにした。だが、あ〜には全く人に自慢できるような実績がない。とても恥ずかしくて世間には出せない。とりあえずイントラネット上に公開して自己満足に浸ることにした。そんな時代がしばらく続いた。

なぜ世間に公開したか、はっきりした理由は覚えていない。血迷ったのだろう。しかし、はっきり言えることは、公開して本当によかったということである。同じ趣味を持つ沢山の仲間を作ることができた。この仲間たちは自分の財産だと思っている。そしてこれからも素晴らしい出逢いが待っているに違いない。

最近は採集記がどんどん増えてきた。元来あった松田さんをはじめ、タカさん、コンちゃん、LAwinさん、Go-2さん、かずっきーさん、クワ道さんと目白押しである。こんなに喜ばしいことはない。これからもガンガン更新して欲しいし、ガンガン増えて欲しい。もちろんあ〜もガンガン更新するつもりだ。

1999.02.15