ヒメオオを求めて

−千葉のマスター−


期日:8月25日   

場所:東京〜山梨

実は、ヒメオオにはちょっとした思い出がありまして・・・。今からちょうど20年前、当時高校1年生だった私は何の気なしに船橋西武の書籍売り場で生物学のコーナーを見ていました。本の名は覚えていませんが、昆虫採集案内の本がたまたま目にとまり、ページをめくっているとそこには「ヒメオオクワガタ」という文字がありました。

当時の私はクワガタ好きではありましたが、地元の梨畑周辺でコクワを中心に採っていた程度でヒメオオクワガタという種類がいることすら知りませんでした。オオクワガタに対する憧れは相当なものだったので、ヒメオオクワガタという虫も少し小さめのオオクワガタに違いないと勝手に思い込み、そのページをじっくりと読みました。すると、蝶や他の甲虫についてばかり書いてあり、肝心のヒメオオクワガタについては「S山に生息する」といった内容が1・2行あるだけでした。

具体的にどんな場所で、いつ頃、どうやって採集するかなど何一つ書いてありませんでした。でも、そこは若さゆえの行動、早速地図で場所を調べ、民宿の手配をして友達を誘っていました。当時の私が考えついたのは、クワガタならば樹液採集もしくは街灯の下を見て回ることで、何とか捕まえられるだろうというごく自然な考えでした。


電車とバスを乗り継ぎ奥多摩湖畔まで行き、その夜はダムにかかる橋のライトの下を歩いて見て回りました。結果は当然ぼうずでした。

次の日、S山登山をしブナの林で樹液を探し回りました。しかし、ブナに樹液などそうそう出ているものではなく結果はまたぼうず、唯一生まれて初めて見たルリボシカミキリの美しさが収穫でした。今思えば、その当時(1979年)はまだヒメオオクワガタの生態がはっきりとわかっていない時代です。それを16歳の子供が、たった数文字の情報だけを頼りに採集しようというのですから無謀といえば無謀です。でも、そのエネルギーは自分で言うのも変ですが素晴らしかったと思います。


そんないきさつがあって、私にとってヒメオオは特別な存在です。2年前に福島県の某所で採集して以来、夏も終わりに近づくと林道へ行きたくなってうずうずしてきます。

ヤナギの細枝を青い空にすかしてみる気持ちよさ、そこにヒメオオを発見した瞬間の快感、ヒメオオのルッキング採集は楽しいですね。実は、桧枝岐周辺でもヒメオオを狙ったのですが、地図で目星をつけておいた林道が軒並み工事中で進入できず欲求不満で帰ってきたのです。

私は割と休みが取れるのですが、いつもの相棒が休みが少ないもので今年の林道採集はあきらめていました。でも、日々欲求不満は募るばかり、そこで何とか相棒に休みを調整してもらい、今年最後の採集に出かけたのでした。


休みが1日だけなので、そう遠くへも行けないので近場で産地を探すことにしました。そこで思いついたのが、20年前のリターンマッチでした。

まずは、A地点へ。当時は山深く人もほとんどいなかったのに、20年も経つとすっかり変わっていました。周辺を1時間ほど歩いてみましたが、まったくお話にならない状況でした。

時間が惜しいので、次の林道へ車を走らせました。そこは、標高1,000メートル付近を走っている林道で、ブナがありヤナギもしっかりと生えていました。少し気に入らないのが、山側が崩壊防止のため固められていたり、そうでなくても斜面が急過ぎるたりすることでした。

車で走りながらヤナギを見つけては降りてチェックを繰り返しましたが、ヒメオオは発見できませんでした。やはり、山側と谷川の落差がありすぎてヒメオオが歩いて移動できない地形なのが敗北の原因でしょう。

ただ、一匹だけですが川沿いのヤナギでアカアシの♂47mmをゲットしたので、ぼうずは免れました。アカアシの産地を発見できただけでも良かったと思います。


続いてB地点に入りました。ここは、非常に良い感じで、以前ヒメオオを採集した林道と条件が一致していました。ヤナギにも何やらかじられた痕があり、思わず「くさい。」と叫んでしまいました。標高も1,200メートル前後でヤナギも若い木が多く、ヒメオオがいないのが不思議なくらいです。

ルッキングをしていく途中、ここにいなかったらどこにいるのという絶好のポイントがありました。早速、歩いてヤナギを片っ端から見ていきました。十分に見た後、念の為蹴りも入れてみましたが何もいませんでした。

道路から脇に延びる細い道にもヤナギがいっぱいありましたが、そちらも空振り。気になったのが、見ようと思うヤナギの下草が踏み倒されていることです。それもまだ倒されて間もない様子でした。もしかしたら、先客が来て何かを採集していったのか、それとも先客もぼうずだったのか、それはわかりません。


今回は、午後になってしまいましたし、林道の入り口付近のバス停には大きな捕虫網を持った高校の生物部らしき団体がいましたので、彼らが採集した後だったのかもしれません。機会があったら、またあの近辺を探してみたいと思っています。
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