まあ、その前に数少ないこの夏の実績だけ簡単に列記しておきましょう。
・長野でオオクワの新規開拓に成功した
・新潟でオオクワの新規開拓に成功した
・山梨でヒメオオを採った
これくらいのものでしょう。ヒメオオは新規開拓をしたものの、既に採集している県なので特には大きな感激もなく、オオクワも去年より数は増えたものの、単独採集が多かったので印象には残っていません。
では、実にくだらない文章を以下に書きます。クワガタとは全く関係ないことなので、読み飛ばしていただいて結構です。
あ〜が生まれ育ったのは山口の下松(くだまつ)というところだ。瀬戸内海に面している人口約55,000人の小さな市で、周南コンビナートの一角である。買物は専ら隣の徳山市へ出かけることが当時は多かったのだが、近年は大型のショッピングモール等が進出してきて、自動車社会の発展とともに田舎にありがちな郊外型の都市形成へと変革を遂げているようだ。
自分が暮らしていた頃は、庭にもホタルが飛んできて、家の横の用水路でも魚がいた。もちろんメダカもたくさん棲息していた。その頃の光景を思い出すと、ふと頭をよぎるのが琺瑯看板なのである。当時は全く気に留めていなかった看板たちだが、さすがに看板だけあって、無意識のうちに頭の中にインプットされていたのだろう。あらためて考えてみると、とても懐かしく、興味深いものであったと思う。
そもそも琺瑯看板ってなんだ?
その名の通り、琺瑯でできた看板だ。あの、国道沿いや線路沿いの古い家や小屋に貼り付けられた看板のことである。琺瑯看板の歴史は知らないが、昔ながらのデザインのものがいっぱいあって、見ただけで懐かしい思いにひたることができる。
この琺瑯看板をあるタイミングで一度意識したことがある。それは高校3年の時であった。悪友2〜3人と、
「こんな看板あるっちゃぁのぉ〜?」
「それっちゃぁ。こんなんもあるでお」
「ぶちおかしいっちゃあ。わし今度探してきちゃろう」
とか言いながら、教室の黒板にその看板の絵を描きながら笑っていたことがきっかけで、ウケ狙いで看板を見直すことになった。そしてかなりの興味を持ったことがひとつのポイントになった。これがなければ看板の存在なんて、今はすっかり忘れていたかも知れない。しっかし汚いなあ、山口弁。(^^;)
看板には全国版とローカル版があるようだ。実はこの看板の調査のために一人旅をしたことがある。もちろん専門家でもないし、企業に調査をかけたわけでもないので正確なデータではない。自分が全国版だと考えているのは、
金鳥、キンチョール、アース、オロナミンC、ボンカレー、菅公学生服、菅公シャツ、富士ヨット学生服
などだ。もちろん最近のヤツは除いている。自分が興味があるのは古いものだけだ。
全国版は、まあそれなりに味があるのだが、とにかく自分が大好きなのはローカル系、それも「わた」だ。
ここでいう看板の種類とは、商品の種類のことである。
上に出たキンチョールや肥料・薬品などの化学系、わたやシャツなどの繊維系、ミシンなどの機械系、食品系・・いろいろある。
そして上でも述べたように、自分が大好きなのが「わた」だ。
自分の住んでいた場所で確認できた「わた」の種類はいくつかあって、代表的なものでは、
不二わた、だるまわた、おたふくわた、天使綿、ニコホン綿
などだが、何と言っても「カクイわた」だと思う。
これが「カクイわた」の看板だ
幼少の頃、旧国道や山陽本線沿いの家や小屋にベタベタ貼ってあった「カクイわた」の看板が全てを語り尽くしていると言っても過言ではない。少なくとも山口の人はこの「カクイわた」の看板とともに過ごしてきたのだ。この看板を見つけたとき、誰でも懐かしい気分にひたることができるはずだ。
もちろん、ニコホン綿も捨てがたいものがある。このニコホンの顔は一度見たら絶対に忘れられない。
この顔!
カクイわたと同じくらい思い入れがある。
そんな「カクイわた」の看板は、一体どこからどこまで貼ってあるのだろう?などという疑問が高校在学中に浮かんできた。そして受験中〜卒業の期間に看板探しの旅に出ることにしたのだ。
まずは受験の時に、山陽本線で東に向かって走った。窓の外を目を凝らしてチェックする。新しい建物の影に隠れた古い小屋の壁についているのを発見して嬉しくなったりする。(^^;)
このバージョン、最高だ
それまでに看板探しのコツも何となく掴んでいたので、だいたい想像した場所には看板がついている。リッカーミシン、白ダイ、赤玉フトン袋、カクイわた・・色んな看板が貼り付いていたが、広島を過ぎた頃、とうとうカクイわたの姿が見えなくなってしまった。東は広島までか・・・
京都や東京で受験したのだが、それなりに看板も見つけて一旦実家に帰った。
それからしばらくヒマな時期を迎えた。一回、山陰を全部回ってみたかったので、当時の最長距離鈍行列車に乗ってみることにした。門司〜福智山を走る列車だ。自宅を出てから九州の門司に到着するまでに、とうとう「カクイわた」は切れることなく続いていた!(^o^)いいぞ〜!
それから山陰をずっと走ったのだが、「カクイわた」がどこまで続いていたかは覚えていない。山陰には「金杯」という酒の看板が妙に多かったのを覚えている。帰りは京都に抜けて再び山陽本線を戻ってきた。
そして、それから数日後、今度は九州1周を企てた。そして企てたその日に出発してしまった。(^^;)
下関に入るあたりから、だんだん「わた」系の看板が増えてくる。もちろん「カクイわた」も健在だ。(^o^)
福岡に向けて鹿児島本線を行く。あるある。(^o^)嬉しくなってくる。
博多を出た。これからが難関かと思ったのだが、予想に反して心なしか「カクイわた」は増えているようだ。
熊本・・・あるぞ〜!!!(^o^)
とってもいい!
そして、鹿児島に近づくにつれ、目に見えて「カクイわた」が増えてきた。こんなところにまであったのか!!などと思っていたのだが、西鹿児島駅に到着したときに、ホームの看板に角井なんとかという企業名を発見した。こいつが「カクイわた」の正体だったのか!!本拠地に近づくにつれて看板が増えるのは当たり前だったのだ。
帰りは日豊本線経由で北上し、帰り着いてから鬼の首を取ったように悪友に報告して旅は終了した。
高校卒業後も特に本格的に写真を撮ったり、集めたりということはなかったものの、それなりの興味を持ちつつ過ごしてきた。これはクワガタと一緒である。
大学時代、信州で見つけた看板3つが懐かしい。「トクタケノーキ(徳竹農機)」「山室家具」「おもちゃの国フクちゃん」なのだが、前者2つは今年の虫取りの時にも健在であるのを確認した。しかし、「おもちゃ〜」はここ数年見ていないので心配だ。
今、とにかく気になるのが、この看板たちの存続である。看板が取り付けられた時代の家は、今は一気に立て替えられたりなくなったりして看板たちは消えていく。国道なども、道路拡張で周辺の家自体が消滅したりするのでほんとに看板は風前の灯だ。
実は帰省するたびにデジカメを持ち歩いて、何とか「カクイわた」だけでも撮ろうと思っているのだが、残念ながら見つけることができないでいる。それほど時代が変わってしまったということだ。あれだけあった琺瑯看板はどこへ行ってしまったのだろう?
古い家の勲章をなくさないで欲しいものだ。