アメリカ オハイオ州のお宅まで

オーバービーさんを訪ねて
(『あーてぃくる9』37号より転載)

 「第9条の会・オーバー東京」設立の立役者であるチャールス・オーバビーさんとルース夫人ご夫妻を去る9月10日にオハイオ州アセンスのご自宅に訪ねました。
  私はオーバー東京の会員として今年5月の「9条世界会議」に参加出来なかったご夫妻を勇気付けることが出来れば、との思いを込めた会員の皆さんの激励メッセージを届けるのが目的の訪問でした。ニューヨークを前日の夜10時過ぎに出発し長距離バスに13時間以上揺られて翌日午後1時過ぎにお住まいの在るアセンスに到着しました。
 メールの行き違いがあり、こちらからアセンスに着いたら到着連絡をするつもりでしたが、バスから荷物を降ろしていると背中をたたく人があり振り返るとなんとオーバビーさんでした。ご自宅からかなりの距離のバス停迄、運転して迎えに来てくれていたのでした。
 2週間ほど前にミネアポリスでの退役軍人平和集会に私と同様、長距離バスで往復された為に腰を痛めたそうで少し不自由にお見受けしましたが、滞在中、とても80歳を越えているとは思えないエネルギッシュな姿をその後幾度と無く見せ付けられ安心しました。
 アセンスは1804年創立のアメリカ中西部で最古の大学であるオハイオ大学を中心とする大学街で人口3万人のうち2万人が大学関係者です。早速オハイオ大学のキャンパスをドライブして案内してもらい次いでアセンス市内も案内してもらいましたがその説明のなんとも精力的なこと。
 自然に囲まれた御宅に着くと敷地内の道路を横切る野生の鹿3頭が最初に我々を出迎えてくれました。オ−バビーさんは翌朝ご自宅の森の樹木を薪にする為、しばらく使っていなかったチェーンソーのエンジンのイグニッション・ロープを10回以上も力一杯、引っ張って何とかスタートさせたのですが腰痛を物ともしない力強い体力を見せ付け私を又もや圧倒しました。
 到着当日は夕方夕食に出かける迄、陽射しの強い中、テラスの椅子に座り「9条世界会議」に対する思いや1989年のハーグ平和会議の思い出やその真相などをお聞きしました。(写真)
 市内のレストランでの夕食後には大学キャンパス近くにあるオバマ大統領候補の応援事務所に立ち寄ったりして帰宅し、本類で埋め尽くされた居間で午前1時までオーバビーさんが最近読んで印象に残った書物を何冊も紹介されたり大詰めの大統領選挙や大量消費社会アメリカの直面する問題、公共交通機関廃止の背後に自動車産業の動きがあった等を倦むことなく語り、こちらが眠くなり、そろそろ休まれたら?と進めてもなかなか動こうとされないのでこちらが参ったほどでした。正味24時間余りの滞在期間でしたが、オーバビーさんの、平和運動に身を挺し、出来る事は何でも実践し、幾つもの挫折を味わいながらもめげずに活動を続けて来られた体験を直接聞かされて知るにつけ我々の活動はまだまだ至らない、との思いを更に強くしました。
翌11日は朝食をともにした後、一緒にオハイオ大学のコンピュータールームで文献の調査などしてしばらく過ごした後、バス停まで見送ってもらい、お昼過ぎに再会を約してお別れしました。
 何事にも強い関心を持ち1点の邪心なく、ひたすら日本国憲法第9条を護り世界の憲法にとりいれて行こうとの運動に情熱を燃やすオーバビーさんのひたむきさに触れ、改めてそのような至上の憲法を戴く私達日本人が憲法改悪に直面しているのは自分たちの非力の所為というより情熱と行動力の足りなさによるのではないかとさえ思われました。
 今回の訪問でこれまでの我々の切なる思いを見つめ直し、今後は事実上ずたずたにされている第9条をただ護るだけでなく一切の軍事力の放棄を実現する為の運動に発展させて行くべきではないか、と痛感させられた旅となりました。(立岡譲)

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