親愛なる日本の第9条を愛する皆様へ
皆さんは、私の希望のとても重要な部分であります。皆さん方の憲法の戦争放棄を示した第9条の知恵を完全に亡き者にしようとする日米両政府から守っていただいて心から感謝します。 私のwriter's blockは、私たちの美しい家・母なる地球上で行われている最近の殺戮と破壊状態に、激しい苦痛、苦悩、怒りそして絶望さえ感じてしまったからおきたものです。アメリカが800以上の軍事基地を海外に張りめぐらした帝国であることが深くかかわっているのです。申し訳ないのですけど、これらの基地の80以上は日本にあります。 私は2012年メッセージをみなさんにあてて書き上げることはなかなかむずかしいと感じてきました。なぜかというと、私はみなさんと共有したい内容がとても多く、このメッセージという形でそれをやるにはスペースを越えてしまうと思ったからです。そこで私は、このメッセージを第1部と第2部に分けて、日本語に訳をする人や配布をする人たちがあまり苦労しないようにすることにしました。 私たちの本とは、オーバービー、國弘正雄そして桃井和馬の三者による共著で『地球憲法第9条』(英文タイトル"A Call for Peace")のことです。1997年版、2003年版(講談社International)か、2005年版(たちばな出版)のどれを使ってくださっても結構です。 以後、『ACFP』と省略します。 原爆投下された広島と長崎を追悼する2012年の記念式典が“writer's block"から解き放ってくれ、「アセンズ・オハイオ新聞」に、"編集者へのたより"を書くことができ、それは8月9日、「アセンズ・オハイオ新聞」に掲載されました。 2012年メッセージの第1部に、私の「アセンズ・オハイオ新聞」の"編集者へのたより"の長いほうを入れました。皆さんに私の苦悩とスランプをより深く理解していただき、第2部をより理解しやすくするためです。 あの折鶴の少女のサダコさんが、私をがんじがらめにしていたスランプからときはなってくれたのではないかと思えます。8月3日、夏の風が彼女の写真を私の机から吹き飛ばし、ハラリと床に落としました。この彼女の写真は1955年10月26日の彼女の棺に納められたもので、私が2007年6月の最後の日本訪問のとき、広島の平和ミュージアムで撮ったものでした。床へ舞い落ちたサダコさんの写真は私に、この手紙を早く仕上げて送りなさいと、促しているように思えました。 2012年メッセージの第2部では、私はみなさんに希望に満ちた提案をいたします。あなた方、第9条を愛する皆さんが、憲法第9条を名誉のバッジとして皆さんの国に働きかけ、人口増加ゼロ、物質的な消費増加ゼロの人間文化を地球上に創ること、その文化は非軍事的で非暴力的なものであり、人間が資源戦争や地球温暖化をせずに充実した建設的な生活を可能にする文化であること、そのために日本が第1級の先進的な国家になるように奨励することに力を注いでいただきたいのです。 上記のような考え方は、私が「設計によるグリーン技術」(Green Technology by Design)とよぶ 私が”編集者へのたより”で書いたように、私はGTBDを、工学的計画過程の最初から計画された技術とシステムであると規定しています。それは2つのきわめて重要な設計基準であり、次のようなシステムが必要なものです。[1] 地球の資源の消費を少なくすること、[2] 火星のように生命がなくなるような大気汚染や地球温暖化をなくすことです。さらに詳しいことは『ACFP』(173-191p)を見てください。 GTBDは「国境を越える憲法9条」への私の理想と希望とを結び付けたものなのです。私の素朴なウェブサイトwww.articl9sosiety.orgで2008年の「法の世界」(Dharma World)という論文を見てください。そのウェブサイトの最後にある論文も見てください。1980年のGTBDに関する論文で「持続可能な未来のための生産計画:倫理の問題なのか?」というタイトルのものです。残念なことに私のウェブサイトはすべて英語なのですが。 私がお話した上記の二つの新しいGTBDの設計基準は、世界中、とくにアメリカにおいては現代の技術的経済的な意思決定過程からは捨象され、組み込まれていません。これらの重要な設計基準の欠落について考えるとき私は次のようなことを言われてきました。「母なる地球は不幸にも技術的経済的決定がなされる"費用対効果"問題で適切な場を与えられていない」と。私たちは、この費用対効果決定の場に、母なる地球の場所を与えなくてはなりません。このことは、とても挑戦的なことで日本がとりくまなくてはいけない地球上でもっとも適切な国だと私は考えます。 すこし歴史的な興味ある注釈を加えてみましょう。費用対効果に関する西欧の考えは、18世紀後半から19世紀のジェレミイ・ベンサムの努力によるものであります。ベンサムはイギリス国会議員で、功利主義に基づいた思考を体系化しました。功利主義は、倫理的な決定をする際、基準とする道徳的に正しいことがらは「人類の最大多数の最大幸福」という倫理的道徳的原理を実現することです。ベンサムは彼が、喜びと苦痛−今日私たちがそれを考えると快楽と苦痛のバランス計算とでもよぶべきものを考え出しました。ベンサムの「快楽」は今日の"利益"であり、苦痛は今日で言う"損失"でありました。 ベンサムの功利計算の中に地球の環境・資源のことは考慮に入っていませんでした。そのときは、今日、指数関数的に増えつつある70億人の消費者と比較して、地球には10億人しか人口はいなかったので、母なる地球の存在を問題にしてはいませんでした。 快楽と苦痛の計算は、母なる地球ということを意思決定の場から除外するだけではなく、多くの分野で矛盾を生じさせています。さらに2つの深刻な欠陥を指摘しましょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――― アセンズ・オハイオ新聞の編集者へ 8月6日と9日の原爆投下は母なる地球のすべての生命へのハイテクノロジーの脅威という巨大なパンドラの箱を開けてしまいました。 驚くべきことですが、その蓋を閉めることはほとんど不可能な箱なのです。パンドラの箱の中で、もろもろの体制が大量殺戮と破壊の命令を下しています。その体制下で、われわれ科学者は、上司が「それをやれ」と言えば、ほとんど疑問を呈することもなく、やってしまうのです。 このジレンマに加えて、私たちが人類として対処しなければならない課題については、どんな問題であれ、軍事的な解決策はありません。2つの例をあげましょう。 私たちアメリカは徹底して武装しており、地球上のどの国よりも多い800もの海外での軍事基地をもつ帝国で、地球を取り囲むために毎年4月15日
の所得税の半分を使っているのです。 おそらくそれは私たちがアメリカで不必要に放埓な生活スタイルを維持するために必要な石油と、減少しつつある天然資源を手に入れようとし続けるからでしょう。私たちは、優先させるべきものを変え、科学技術者にたいして私が40年以上もGTBDと呼んできたものへと、彼らの能力をもっと優先的に活用するように要請する必要があります。 GTBDとは、次のような二つの新しい用件をそなえた、工学的設計過程の最初から設計に組み込まれるべき技術であり、システムであるのです。第1は、地球の資源の消費を最小限にすること、第2は、われわれを火星のような生命のない世界へ導かないよう、汚染や地球温暖化をさせないようにすることです。 地球上に今、70億の人々がおり、しかも急激に増加している中で、私たちはまたわれわれ人間の生殖力−−それは驚くべきことであり、その調節は多くの文化的・宗教的障害に満ちているそれ−−を早急に調節する必要があります。 私の冒頭のパラグラフに戻って、広島・長崎について、再び考えるとき、私はあのすばらしい73語の英知−−日本国憲法第9条を想起させられます。憲法9条はアメリカが1947年に日本が自国憲法に挿入するのを手伝いました。 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 私の友人のダグラス・ラミスの「第2次大戦以後、地球上のなんびとも、戦争行為によって日本人に殺されたことはない」という言葉を思い出します。 平和を願って チャック オーバービー オハイオ大学工学部名誉教授 上記のような思考と関心をなぜもつようになったか−−私の経歴 オーバービー注 2012年の希望をこめたメッセージPt. 親愛なる日本の第9条を愛する皆様へ このメッセージの最初の部分で、私は地球上でもっとも緊急な21世紀の問題の一つは−−何であろうと軍事的な解決ではいけないのですが−−人類として次のようなことを考えていくべきだろうと書きました。 こうしたことに関して私は、私たちが地球上で私たちの生命を守るために新しい文化的なパターンを創造する必要があると主張してきました。私はこれらの新しい文化を「人口増加ゼロと資源消費拡大ゼロ」(ZPG & ZMCG)と特徴づけています。これは人間が資源戦争や母なる地球の温暖化をなくして充実した建設的な生活を見出すことができるようにさせる持続可能な文化であります。私はさらに〔GTBD〕を地球上での持続可能な未来を目指す私たちの運動に重要な役割を果たすものとして位置づけました。〔GTBD〕はまた多くの意味深く実現可能な自然保護的な仕事を可能にするのです。 Pt.で私は今、希望に満ちた私の提案について少し説明をしましょう。あなた方が地球上でもっとも重要な経済的な力をもった国の一つとして、このもっとも必要な持続可能なZPG&ZMCG文化のモデルになるように世界の第一級の先進国となるようにしてほしいのです。 とても重要なことでありますが、私は、日本が非暴力的で非軍事的にZPG&ZMCG文化へ向かって進むことの出来る国だと思うのです。そして他方、憲法9条を名誉のバッジとして世界平和と正義への最も重要な貢献をする努力をしていることを高らかに宣言するのです。 なぜ私は日本が独自にこのAPG&ZMCG文化を作り出す道を突き進むことが出来ると考えているのでしょうか。 私の答えは、ただこういうことです。すなわち、あなた方は日本の人口を調節すること−−すなわち地球をがつがつ食ってしまう多くの新たな小さい人間をつくりださずに性を楽しむということ−−でZPG(人口増加ゼロ成長)を実践できる能力を表現しました。あなた方の国の出生率は地球上で最も低いのです。 第二に、日本は1970年代と80年代に技術的、科学的、経営的な能力を駆使して、アメリカの自動車産業や他のハイテク産業を、その優れた高品質、高信頼性の自動車や他の科学技術をもって圧倒しました。私は、日本が高品質、高信頼性のシステムで世界第一級の優れたものであった日本の過去の歴史を、『設計による高品質で高信頼度の技術』を示したものであると考えています。(cf『.ACFP』pp189-199) 工学的な品質と信頼性に専門的な資格を持つ工学部の教授として、私は、1970年と80年の間、アメリカの製品とシステムが、低い質と低い信頼性しか持たないことと比較して、日本の優れた高品質と高度な信頼性ある技術システムを精査しました。私の、日本とアメリカのQuality & Reliable technology by Design" -[Q&RTBD]についての詳細な調査は、私が日本の多くの製造工場へたびたび訪れることで内容が高められました。それは私が、中部大学とオハイオ大学の交換プログラムによって1981年に客員教授として滞在していた時に行った名古屋近くのトヨタ本社工場への訪問も含みます。 このQ&Rの比較研究の結果、私はこの時代のアメリカと比較して日本の優れた品質と信頼性の重要な根拠の一つは、あの時代にアメリカがやったよりも日本が生産計画と創造過程の当初に、相当多くの工学的、科学的、経営的資源を投資したことがわかりました。 かくして私は技術的な設計過程の当初から、これらの製造とシステム設計が組み込まれることによって高度な品質と信頼性が得られていくのだということが分かりました。それは私が技術上の設計過程のごく当初からデザインされるとした〔GTBD〕の特徴を考えることと同じことであると思います。 高品質で信頼性の高いグリーン技術とシステムは、低品質で信頼性の低いガラクタや資源浪費や地球温暖化をさせるガラクタを使ってみて、それから、(製造業を例に取れば)生産ラインから欠落しているものを後から治すということでは達成できるものではありません。 このような意見をご理解いただければ、もし、あなた方の国の政府と企業を説得して日本をこうした方向に進ませる英知と効果を理解させる事が出来るならば、私がなぜ地球上で、日本がZDG&ZMCGによる持続可能な文化を築くことの出来る最もふさわしい国であると考えているかをお分かりいただけると思います。 残念なことに私は、アメリカが平和、正義そして持続可能性のために世界第一級のリーダーシップを発揮出来るとは思われないのです。なぜなら、軍事的な殺戮、破壊システムに莫大な出費をし、工学、科学、経営学上の力をもった人々を戦争と暴力のゲームに沢山関わらせてしまうからです。 私たちはどうやってそこに到達できるでしょうか。 私は出生率がゼロである日本が高出生率の国々が出生率をコントロールするための手助けをどのようにすれば良いか詳しくはわかりません。しかしながら、あなた方が、アメリカでよりも日本においてZPGに国際的に重要な貢献をする方が確実で容易であります。アメリカでは例え出生率が低くても国際的な人口抑制(運動)で重要な役割を果たすことは困難です。 私がPt.1で引用した、トーマス・マルサスは、人口問題について、“人口と消費に関する論文”の中で、おもしろい展開をしています。彼は両性間の情熱について言及しました。マルサスが1798年の論文を書くにあたって二つの興味深い前提を紹介します。彼はこう書いています−「私は二つのことを前提にします。第一は、食物は人間の存在にとって必要なことである。第二に、両性の間の熱情は必然なことであり、今後も変わらないであろうと。 興味深いことは、私は1977〜78年アメリカ連邦議会の環境評価部門で調査員をしていた時「マルサス」の存在に気づきました。そこでは私はアメリカの莫大な資源消費とその結果について研究をし、アメリカと全世界の増大しつつある過剰な消費がひきおこす災害について対処できるための公的な政策手段をもつという見解をとるようになっていました。アメリカの消費の具体的な事実を知った上で、私は地球のハーフライフ計算と呼ぶ工学的試算をしました。私は地球上の40億の人が私達がアメリカでやっているような資源消費を始めたら、地球の容積と重量の半分を消費してしまうのには、どのくらいの期間を要するだろうかと問いました。答えはおよそ450年ほどでした。 この計算は、私を奮い立たせ私にアメリカのような消費をするのは、地球にとってあってはならないことであると認識させました。だが大抵の人々はこの浪費のモデルをとても魅力的だと思っているのです。『ACFP』p175の地球のハーフライフ計算について私はとくにこの西欧の浪費のモデルが経済的に極めて貧しい中国人にとっていかに魅力的かということを知りました。私は1986年6ヶ月間、中国の上海機械工学大学で客員教授をしていたのです。この時は、_小平が中国の経済成長―先進国への経済的飛躍―を強く望んでいたときでありました。 こうした中国人は彼等が隣近所の人が持っている主に日本のテレビ受像機を見たり、彼等がもっていないような良い物を見た時、そうしたものをいくらかでも手に入れたいと、かなり強く思っていました。今回中国は13億以上の人口を持ち、インドは12億以上でさらに増えつつあり、アフリカは10億以上でさらに増加し、そうした人達は自分達がテレビでみる「良い物」に餓えているのです。従ってアメリカや日本をモデルとするような消費は母なる地球を殺してしまうことなしに不可能だと理解することは難しいことではありません。 〔ZMCG〕の方向へ進むということはまた複雑で挑戦的で困難な過程でしょう。詳しくは良くわかりませんが、あなた方が〔ZMCG〕の世界第一級の国になるために、政府や産業界に重要性と可能性を理解させることをやってもいいのではないでしょうか。興味深いことに最近の福島原発の核惨事は―それはアメリカのGE社製のものですが―広範囲に高度に問題意識をもった人々を創造したように思います。その人々は、原発のシステムをたくさんの太陽光に関連した脱原発の代替エネルギーシステムにとりかえるという重要なGTBDを日本にさせようと強く望んでいます。 おそらくあなた方は、福島の原発問題で活動している方々と共に活動し、代替エネルギーシステムと非核の日本を作るためにGTBDへのリーダーシップをとろうと努力していらっしゃることでしょう。どうぞ、『ACFP』p191~199を見て、私の代替エネルギーシステムと原発のない日本−それは福島の核惨事よりはるか以前に考えたことですが−への問題意識を理解して下さい。 私たちの種としての存続にとって母なる地球の全ての生命体の存続にとって、こうしたリーダーシップが今こそ必要です。勿論、この事の全ては地球上の消費物質の不公正な分配によって悪化させられており、その事もまた取り組まれなければならない事です。数十年も前からGTBD、ZPG そしてZMCGとそれに関連した事がらについての懸念や考察をはじめて、ずっと孤独でありました。 事実私は時々「社会ののけ者」みたいに感じてしまう事があります。でも、今はそんなに孤独とは感じていません。この長い2部作の2012年メッセージを終了するにあたりメッセージの内容に深く関係した最新の短い関係書目を紹介させて下さい。 残念なことに、『ACFP』を除いてこれらは英語で出版されています。タイトルは総じて本の内容の説明にとても役立つものです。 私のリストが示しているように、私達が種として地球上に生き続けるためにしなくてはいけない事についての認識が広がっています。それは〔ZPG,ZMCG〕そして〔GTBD〕に深く関係した認識であります。 Some books, mostly new ones, on themes related to topics
in my メ2012 messageモ. Gilding, Paul, The Great Disruption: Why the Climate Crisis Will Bring On the End of Shopping and the Birth of a New World, Bloomsbury 2011. Hansen, James, Storms of my Grandchildren: The Truth About the Coming Climate Catastrophe and Our Last Chance to Save Humanity, Bloomsbury, USA 2009. Jackson, Tim, Prosperity Without Growth: Economics for
a Finite Planet, Earthscan, 2011 Klare, Michael T., The Race For What's Left: The Global Scramble For The World's Last Resources, Henry Holt 2012. Korten, David C., Agenda For A New Economy: From Phantom Wealth to Real Wealth, Berrett Koehler Pub., 2009. Heinberg, Richard, The End of Growth: Adapting to Our New Economic Realty, The New Society, 2011. O'Connor, Martin, editor, Is Capitalism Sustainable?: Political Economy and the Politics of Ecology, The Guilford Press, 1994. Overby, Kunihiro, and Momoi, A Call For Peace: The Implications
of Japan's War-Renouncing Constitution, Kodansha [1997 and
2003] or Tachibana 2005. Overby, one of several authors, ECASTAR -- Energy Conservation: An Assessment of Systems, Technologies, and Requirements, Final Report of the NASA/ASEE Auburn University Summer Program at the Marshall Space Flight Center, Huntsville, Alabama, 1975. Victor, Peter, A., Managing Without Growth: Slower by Design, Not Disaster, Edward Elgar Publishing, 2008. Worldwatch Institute, State of the World 2012, Moving Toward
Sustainable Prosperity, Island Press, 2011. |