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ドキュメント ノーマ・フィールドさん講演会
いま多喜二を語る意味──新たな戦争と貧困の時代に

 2009年3月6日 北海道クリスチャンセンターホールにて
主催:第9条の会・オーバー北海道

 3月6日(金)、札幌はあいにくの暴風雪で大荒れ。それにもかかわらず遠くは旭川、富良野、釧路、室蘭からも、200人もの方が参加しました。会場は満席。ノーマさんはまるで既知の友人に語りかけるようにときに優しく、そしてときに「こんな世界でたまるものか、変えなきゃいけない」と熱く、私たちに語りかけてくれました。コーディネーターの加藤多一さんが「今日はコタエを得て満足する集会ではなく、共同思考する場にしたい」と言いましたが、まさにそのような会になりました。「多喜二をよみがえらせる」とはどういうことなのか、新たな戦争と貧困の時代に私たちはどう立ち向かうのか、どのような力をつくっていったらよいのか等々、多くの問いが私たちに投げかけられました。ノーマさんのよびかけにこたえるように参加者が身をのりだしてきいた講演。閉塞状況にある現代社会を覆すために何をなすべきかの思いがあふれた質疑応答。時間がまだまだほしいくらいでした。ノーマさんの講演を通し、私たちは「生きた多喜二」を感じ、たくさんの解決すべき「課題」を見いだし、大きな励ましと力を得ました。

講演会に先だって「ノーマさんの新しい著書『小林多喜二──21世紀にどう読むか』を読んだ方、どれくらいいますか?」という司会の質問に一斉に100人くらいの方が挙手。ノーマさんも加藤さんも「ずいぶんいるねえ!」


開会挨拶:谷内武雄さん(当会共同代表、カトリック司祭)
「私の実家は、多喜二のおじさんのパン屋の隣でした」とご自身と多喜二の「出会い」を語りました。

ノーマさんの紹介:加藤多一さん(童話作家)
ノーマさんと親しい加藤さんは「一般的な紹介はしません」と前置き。「今日はコタエを求める人は失望するでしょう。むしろ問いをもらって帰る、そこでわれわれは共同思考する、そういう会にしましょう」と訴えました。ノーマさん講演会を実りあるものにしようという加藤さんの提起に参加者も大きくうなずきます。


講演:ノーマ・フィールドさん
まずは「Article9(憲法9条)」と書かれたTシャツをご披露。「2年前にシカゴ大学の学生たちがつくりました」。アメリカで憲法9条が広がっていることに驚きと共感の声がわきあがりました。

☆多喜二を研究しようと思ったのは
 一つ目は、小樽文学館に偶然立ち寄り、多喜二によるタキさんへの手紙を見た。「自尊心を持って」と何度も呼びかけている。多喜二はタキさんを対等な人間と思うから恋に落ちたと感じ、それまでのプロレタリア作家のイメージが覆った。
 二つ目は、当時、政治にかかわるプロレタリア文学がまわりからバカにされるのを承知で、多喜二はプロレタリア文学を追究した。バブル期以降生きづらさを感じている私自身の孤独感を越えるため多喜二を研究したいと思った。

☆戦争と貧困の時代に多喜二が生きていたら
 日本は2005年9月11日の郵政選挙以降、小泉政権による「聖域なき構造改革」が進められてきた。人間の存在すらも「聖域」がない。日本もアメリカと同じように軍隊に入らないと教育を受けられなくなりつつある。戦争に参加しないと基本的人権が得られないのは、文明社会ではない。現在の戦争を阻止するためには貧困の問題とも向き合うべき。多喜二の『党生活者』はまさに戦争と貧困をとりあげている。

☆「平和」ということ
 多喜二の作品の中に「平和」という言葉は出てこない。私も「平和」という言葉に違和感を持つ。もちろん憲法9条は絶対に守りぬかねばならない。しかし同時に、今日のような場に来ない人たちにどうやって「平和」を訴えていくのか、も考える必要がある。「平和」は自明であるかのようでなかなかわからない。夫婦げんかや兄弟げんかができるのは余裕があるから。空爆から逃げている人たちはけんかする余裕もない。そういうことも考えていかねば。

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