(山梨県の旧板垣塾関係者のMLに板垣雄三さんが出されたご意見をいただいたので、紹介します。なお、表題は当会がつけました。)

報道されないイスラエル

                     板垣雄三     

米国はイスラエルの自衛権を擁護すると言いつつ、抑圧に対するパレスチナ人の抵抗権については知らぬふりです。抵抗権によって独立を獲得した米国自身の歴史を忘れ果てたのてす。

ガザの状況を見れば、日本でも、私たちにとって大事なのは、[満州事変でも日中戦争でも太平洋戦争でもその欺瞞のカラクリが世界に知れわたっている]国の「自衛権」などより、民衆の抵抗権だということが再認識されるのです。


イスラエルのハアレツ紙にGideon Levyが、ハマースとジハード・イスラーミー連名で出されている停戦のための要求条件(イスラエル政府や米国はもちろん国連も「国際社会」もマスメディアも無視している)を紹介し、非難されるべき1項目も見当たらないとして、ガザの人々を悪魔化する認識を改め、殺戮の軍事作戦を止めるよう訴えています。


そこで伝えられているハマースとジハード・イスラーミーが要求する条件項目は、


イスラエル国防軍の撤退、境界線フェンスまで農作業を許すこと、

ジラード・シャリット軍曹と引き換えに再逮捕されている囚人たち全員の釈放、

封鎖の解除と通過ゲートの開放、

国連の管轄下で港と空港の再開、漁業の操業範囲の拡張、

[エジプトとの]ラファー通過ゲートの国際管理、

10年間の停戦とイスラエルの航空機がガザ空域に進入しないことについてのイスラエルの保証、

ガザ住民にエルサレム訪問とアクサー・モスクでの礼拝を許可すること、

イスラエルがファタハ・ハマース等の統一政府に口を出すなどパレスチナ人内部の政治には干渉しないことの保証、

ガザの工業ゾーンの活動再開。


日本のメディアは、欧米のそれと歩調を合わせ、イスラエルの戦争犯罪に目を向けるよりはハマースが無辜の罪なき市民を人間の盾として利用しているという非難の宣伝係になっています。

上のように、ガザの人々のがわに立ち、ハマースの要求を世界に知らせようとする少数のイスラエル人もいますが、しかし、イスラエル社会の圧倒的主流は、驚くべき狂気の方向に押し流されつつあります。

そのような状況への警告として、次のような論調が人気を博していることも指摘されています(ナザレに駐在する英国人ジャーナリストJonathan Cook「ジェノサイドの呼びかけが主流となりつつある」)。

以下が、その問題の論調。


蔵相を出している「ユダヤの家」党の政治家アエレット・シャーケド(女性)は、フェースブックで、テロリストのパレスチナ人たちにこれ以上小さな蛇どもを増やさせないためには、むしろ母親たちをこそ殺すべきだと訴えている。

バルイラン大学アラブ文学講師のモルデハイ・ケダルは、テロリストのパレスチナ人どもに少年を誘拐して殺すのを思いとどまらせるには、彼らの姉たち妹たち、あるいは母親たちを捕えてレープしてやって思い知らせるしかない、それが我々の生きている世界の文化だ、と呼びかけ、大学当局はこれを譴責するどころか、ケダル博士はテロ組織の死の文化を問題にしているのであり、近代的法治国家が自爆テロとの闘いに苦労する中東の苛酷な現実を示そうとしたのだと弁護している。

また、国会副議長で政権の中枢リクード党党員のモシェー・フェーグリンは、ガザでパレスチナ人を無差別に殺し、あらゆる可能な方法を使って彼らをガザから立ち去らせるようにすべきだ、ということを公然と訴えている。


このような議論が罷り通っている状況を放置して、泥沼の紛争とか、報復の暴力の応酬とか、どちらも譲り合って、とか言っているわけにいきません。私たちは、いま、ナチズムや日本軍国主義の二番煎じを目撃しているのです。


問題の本質は、植民地主義・人種主義・軍国主義の戦争衝動とその根柢にあるオトコ中心主義であり、

新しいホロコーストであり、

軍事占領と土地占取といのちの否定であり、

そのような支配・抑圧・人間と自然の抹殺に対してガザの市民たちの立ち位置はいのちの尊厳をまもるための人間的抵抗なのです。


ロシアがウクライナのロシア人にミサイルを渡したのでは?と厳しく責めている米国やEUが、イスラエルに供給した自分たちの武器がパレスチナ人を殺していることには口を閉ざして反省もせず、封鎖に加担するエジプトが出した停戦案を拒否してハマースはパレスチナ人を見殺しにしていると非難してみせる、幾重にも人間的破滅の状態が無残に露呈されています。

日本国は、そんな米欧にひたすらすり寄り、自衛隊員の命を差し出す用意を固め、イスラエルへの武器供給への協力を決めています。ガザの抵抗は、ガザでだけ孤立してなされていてはならないでしょう。