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反改憲・反核・反貧困の運動を強め、連帯の輪を広げよう!

 多喜二の時代には地獄の労働現場があり、糞壷の労働者の生活がありました。今、秋葉事件のK青年の“仲間たち”は、地獄や糞壷にある種の憧れをさえ抱いていると思います。労働現場でのむき出しの暴力は陰湿なパワハラに、糞壷の集団生活はネットカフェや寮の個室に置き換わり、人間的交わりの喪失は底なしに進みました。ネットカフェの個室から見た糞壷の“不衛生と人いきれ”でさえ、カフェの住人たちにとってはある種の人間的ぬくもりを呼び起こすものであり、自らの孤独の深さを絶望的に感じさせるものであろうことは、容易に想像できます。

 私たちは現在、多喜二の描いた世界をノスタルジックに追憶しなければならないほど、それほど非人間的で過酷な労働の中におかれているのではないでしょうか。K君の絶望と自暴自棄は「蟹工船」労働者の自然発生的闘いの紆余曲折の果てに生み出されたものだと言わなければなりません。だから、今日の反貧困の闘いは、ワーキングプアの救済運動でもなければ、「蟹工船」の“みずみずしい闘い”の単なる復活でもありません。そうではなくて、「蟹工船」労働者の闘いのその後の紆余曲折を、はっきりのりこえていく闘いでなければならないのだと思います。


 今日、麻生政府は、労働者賃金の引き下げ、ワーキングプア、失業者の大量創出を容認し、巨大独占体救済のために莫大な血税を注ぎ込んでいます。また、他面で、MDシステムの構築、米軍海兵隊グァム移転費用などの軍事費に巨額の国家財政を投じています。そして、米軍に追随して戦争を遂行する日本への道を鮮明にしています。この8月4日には、すでに命脈尽きた麻生首相の私的諮問会議「安全保障と防衛力に関する懇談会」が、年末に予定されている「防衛大綱」の改定にむけて“専守防衛原則の放棄”“集団的自衛権の容認”“武器輸出三原則の緩和”を提言しました。

 なんと恥知らずなことでしょうか。すでに実質上死んでいる機関が戦後日本の平和主義の原則に死の宣告をするとは。しかし、これはけっしてブラック・ジョークではありません。なぜなら、民主党内の前原らタカ派グループは自民党以上にこの「懇談会報告」と気持ちを一つにしているからです。総選挙の結果いかんにかかわらず、日本自衛隊が米軍とともに軍事的国際貢献に踏み出していく危険性はいっそう高まっています。“国連の枠組み下で…”という言葉に惑わされること無く、こうした動きに私たちはきっぱり反対していかなければならないと思います。


 8月6日、秋葉広島市長は“戦争と平和”の20世紀を生きてきた者の責任において全世界の市民に対して2020年までの核兵器廃絶の具体的道筋を提案し訴えかけました。そのために、オバマ大統領のプラハ核廃絶演説を大いに活用すべきことも。たしかに被爆者の64年が苦しければ苦しいほど秋葉市長の言うオバマジョリティーが、「Yes,we can」 に呼応したくなるのも事実だと思います。

 もちろん核兵器は直ちに廃絶されるべきです。しかしオバマ大統領の核廃絶はMD配備・アフガン戦争の強化と表裏一体のものではないではないでしょうか。そして、6年にわたって原爆症患者の訴えをはねつけ原告の実に2割の人を死に追いやりながら、選挙目当てにしぶしぶ「原告の全員救済」に踏みきったことを自分の成果として押し出す麻生首相の姿は、憐れであり、なんと卑しく哀しいものでしょうか。


 今、未曽有の経済危機に陥ったG8の権力者たちは、一方で「核軍縮」に合意しながら、他方では「反テロ戦争」を強化しています。残念ながらそれが偽らざる現実です。だから、私たちは、核兵器廃絶を戦争反対とともに掲げ、それをオーバー・マジョリティーの声にしていかなければなりません。権力者と対峙する市民の創意溢れる運動の輪で、憲法改悪反対!反戦!反核!反貧困!を闘いとりましょう。


 「つくる会教科書」の採択に反対して戦っている杉並の皆さんと連帯しましょう。

2009年8月8日


第9条の会・日本ネット全国交流会参加者一同

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