“「くるま」村の映画館” 
  「くるま」村の映画館へようこそ!  
今日の上映は、1969年に放映された「レーサー」(洋題 WINNING)です。主演は、本物のレーサーとしても有名なポール・ニューマン、その他“マリオ・アンドレッティ”、“ダン・カーニー”など本物のレーシング・ドライバーも多数出演している本格的なレース映画であります。
 
   
 私が、この映画を見たのは今から30年前の1969年でありました。中学3年生だった私はそれまでのカーレース映画には本当に失望していました。ほとんどのカーレース映画が実際のレース映像を使い、主演俳優の登場する場面だけにせものの車を使いそれらしく運転するのがほとんどで子供ながらにもそのトリックが分かりガッカリしていたのが本音でありました。そんな中登場したのが、ポール・ニューマン主演の本格的レース映画「レーサー」でした。ポール・ニューマンは同じく俳優であるあの“スティーブ・マックイーン”同様に、レーシング・ドライバーとしての実績があり、2年前の1997年「デイトナ24時間レース」にも参加していたほどでありました。その彼が企画製作したこの「レーサー」は、アメリカのレースを主体にしたもので、あの“インディー500マイルレース”をメインにした本格的なレース映画でありました。
  
 
“監督/キャスト” 
 
監督 ジェームス・ゴールドストーン
  
役名 俳優名
フランク・キャブア ポール・ニューマン
エローア ジョアン・ウッドワード
ルー・アーディング ロバート・ワグナー
チャーリー リチャード・トーマス
クロフォード デビット・シャイナー
ボビー・アンサー ボビー・アンサー
 その他、マリオ・アンドレッティ(1969年インディ500優勝者、1978年F−1チャンピオン)、ボビー・アンサー(1968年インディ500優勝者)、A.J.フォイト(1967年インディ500優勝者)、ダン・ガーニー(A.J.フォイトと共に1967年ル・マン24時間レース優勝者コンビ)、ジェリー・グランドなど多数参加。
 
“スター・プロフィール” 
  (これについては、プログラムに記載されていましたので引用させていただきました。) 
“ポール・ニューマン” と婦人である“ジョアン・ウッドワード” 
 
 
 
 
 
 
 
1926年1月、オハイオ州クリープランドに生まれる。  
早くから演劇に興味を持ち、学校劇の常連だったが、ケニヨン大学に在学中に第二次大戦が始まり、海軍に入隊、太平洋戦線に従軍した。終戦後、再び大学に戻った彼は演劇部に籍を置き、卒業と同時にウィスコンシン州をふりだしに各地の演劇学校に学んだ。  
 その後TVからブロードウェイの舞台に進出、「ピクニック」の公演が認められてワーナーと契約した。彼がリー・ストラスバーグのアクターズ・スタジオで指導を受けたのはこのごろのことである。  
 58年、ジョアン・ウッドワードと結婚、3人の子供をもうけたが、先妻との間にも3児がある。  
 私生活での彼はスポーツ狂として知られ、オートバイをはじめ、スポーツ・カーやモーターボートを乗りまわし、近々自家用ジェット機のライセンスを取りそうな気配である。また、1980年代後半、“ニューマン/ハース レーシングチーム”のオーナーとして、インディ500マイルレースを含む当時の“CARTシリーズ”に挑戦し、1993年には前年F−1チャンピオンとなり、CARTに挑戦したあの“ナイジェル・マンセル”を見事チャンピオンにすることに成功する。  
 主な出演作に「傷だらけの栄光」「追憶」「引き裂かれたカーテン」などがあり、「熱いトタン屋根の猫」「ハスラー」「ハッド」「暴力脱獄」の4本でアカデミー・ショーにノミネートされている。  
 180センチ、79キロ、瞳はブルー、髪はブラウン。
“ロバート・ワグナー” 
 テレビ「プロ・スパイ」で粋な泥棒を演じている彼は、「動く標的」や「夜の誘惑」などの映画でがらりと変わった役どころを演じ、演技派への脱皮をはかっている。   
 1930年2月10日、ミシガン州のデトロイトに生まれる。9才の時にロサンゼルスに移り、サンタ・モニカのハイスクールを主席で卒業した。この頃から演劇に関心を持ち、51年にデビューするまで、50回以上のスクリーン・テストを受けたという。  52年ジョン・フォードの「栄光なにするものぞ」スーザン・ヘイワードとの競演の「我が心に歌えば」で人気を得、62年には女優の“ナタリー・ウッド”と結婚した。なお、ナタリー・ウッドとは1年間で別れ、元女優のマリオン・ドーネンと再婚している。   
 前記のほか主な作品に「無法の王者ジェシー・ジェイムズ」「史上最大の作戦」「ピンクの豹」「アルトナ」などがわが国で公開されており、「レーサー」は「動く標的」に続くニューマンとの競演作である。   
 183センチ、73キロ、髪はブラウン、瞳はブルー。
 
 
“解説” 
 (当時のプログラムを引用させていただきました。)  
 世界最大の自動車レースといわれるアメリカのインディアナポリス500マイルレース(インディ500)の激突をクライマックスに、スピードに命をかけ、死の壁に挑むレーサーたちの斗魂を空前の迫力で描いたダイナミック巨編でありました。 
 最近わが国でもレース・ドライバーに対する関心が高まりつつありますが、この作品は、最新型のフォーミュラやストックカーによるスピード・レースを描くのみでなく、現代の英雄といわれる彼等レーサーの華やかな栄光の陰に隠された私生活の面にも鋭いカメラを向けています。 
 愛に苦悩し、孤独なマシンとの闘いに打ち勝って宿願のインディ500に優勝する主人公のフランク・キャブアには「暴力脱獄」のポール・ニューマンが扮していますが、彼はこの映画の製作者でもあります。 
 ニューマンはアメリカではスティーブ・マックイーン以上のスピード狂として知られ、4年前にレース・カーに乗り出した当時からこの映画の企画を練っていたといわれます。 
 共演者はニューマン夫人で「レーチェル・レーチェル」のジョアンヌ・ウッドワード、TV「プロ・スパイ」のロバート・ワグナー、「おかしな二人」のデビッド・シャイナー、「殺人者たち」のクルー・ギャラガー、それにブロードウェイ出身の名子役リチャード・トーマスなどの他、昨年度の優勝者マリオ・アンドレッティや2位のダン・ガーニーなど30数名の一流レーサーが特別出演しています。 
 監督のジェームス・ゴールドストーン(ルート66)、撮影のリチャード・ムーア、原作のハワード・ロッドマンはTV出身の俊英トリオでありました。 
 1969年度作品、スーパー・シネラマ方式。テクニカラー。 
 主題歌(サウンドトラック盤)コロムビア・レコード
 
“ストーリー” 
“プロローグ” 
 “ストーリー” についても、プログラムに詳しく書かれていましたので、それを引用させていただきますと、合衆国で第一流のレース・ドライバー、フランク・キャブア(ポール・ニューマン)は、アメリカでも最も重要なレースの1つであるレッドバーン・200に優勝しました。そして2位はルー・アーディング(ロバート・ワグナー)でありました。この2人は、トラックでは最も激しいライバルでしたが、レースを離れると無二の親友で、いつも揃って国内名地のレースに出場し、スポーツ・カー、ストック・カー、インディ・カーなどの最優秀ドライバーとして名を知られていました。 
“出会い” 
 レースが終わるとその晩は例によって、レッドバーンの町でも盛大な祝賀会が催されました。フランクは祝いに集まった大勢の人々につかまり、追いまわされてへとへとになり、パーティの席を抜け出して静まり返った夜の街に出ていったのでした。 
 彼は車を借りようと思って、あるレンタカーの事務所に入っていきました。そこでレッドバーンの町でも一番の美人といわれるエローラ(ジョアン・ウッドワード)に会うことになります。彼女は頼まれるままに彼を乗せてドライブに出かけるのでした。話し合ううちに、彼女は離婚して、今は16才の息子チャーリー(リチャード・トーマス)と、彼女の母親と3人きりで暮らしていることが分かり、孤独な2人は互いに好意を感じ合い、フランクが住んでいるカリフォルニアへ行って結婚することになるのでした。 
 次ぎのレースはリバーサイドで行われました。これはストック・カー・レースでしたが、フランクの車はスピンして激突してしまうのでした。次ぎのレースはミネアポリス。これもストック・カー・レースでしたが、この時はアーディングに押されてフランクはまたも敗れることになりました。フランクはどこへ行ってもついていませんでした。サンフランシスコのストック・カー・レースでは、エンジンが故障を起こして、リタイヤせざるを得なくなりました。次ぎはトレンドでのストック・カー・レース。この時は、車のリンゲージのナットが破損して、みすみすアーディングに名をなさしめてしまうのでした。 
“別離” 
 インディアナポリス500マイルレースが近づいた頃、レース・カーの製作者レオ・クロフォード(デビッド・シャイナー)がフランクとアーディングに、特別に設計したレース・カーで、インディに出場してほしいと申し入れてきました。2人は喜んで引き受けることにしました。長いスランプに落ち込んだフランクは、これまでの汚名をインディでそそぐべく、日夜、昼食を忘れて製作工場に通いつめ、エローラの元に帰らぬような日が何日も続きました。 
 ある日、レース場内のモーテルに帰ってきたフランクは、ドアを開けたとたん信じられない光景に一瞬目を疑ったのです。ベッドにエローラとアーディングが横たわっていたのです。フランクは一言も云わずに荷物をまとめエローラの元を立ち去るのでした。 
 アーディングは予選でポール・ポジションを獲得する決意をし、基準をはるかに超えた猛烈なスピードでマシンをとばします。ところが、マシンは1周目に突然火を吹き出しクラッシュしてしまうのです。すぐ消火班が駆けつけて火を消し止め、大事故は免れました。。クロフォードはフランクに向かって、彼の車をアーディングに運転させ、出場資格を取りたいという言い出したのです。最近フランクは負けぐせがついており、アーディングは勝ち運に乗っているからというのがその理由でした。
 
“決戦” 
その晩、チャーリーがひょっこりインディアナポリスに現れました。レッドバーンからヒッチハイクでやってきたのでした。彼はフランクを友達のように慕い、また英雄として崇拝していたので、フランクとエローラのトラブルに心を痛めていたのでありました。チャーリーはそれがアーディングのせいだと思っていて、フランクが今度の大レースでアーディングを負かすところを見たくてやって来たのだというのです。 
 フランクはいろいろ考えた末、アーディングが最初に試乗した車を作り直す気になりました。クロフォードは喜んで、主任メカニックのラリー(クルー・ギャラガー)に手伝わせてくれました。改造作業は意外に早くはかどり、次ぎの土曜日、フランクはその車で16位には入り、出場資格を得ることが出来たのでした。 
 5月30日、いよいよ大レースの日がやって来ました。自分のあやまちを悔い、離婚を決意したエローラは、立ちきれぬフランクへの恩慕からチャーリーと共にレース場にかけつけたのでした。 
 インディを埋め尽くした大観衆の面前で、33台のフォーミュラがものすごい排気音をたてながら一斉にスタートしました。ところがスタート直後に17台の車が連続衝突するという大事故が起こるのです。幸い死者は出なかったが、多数の車が戦列を離れてしまいました。数十分後、ペース・カーが先導し、再びレースが始まりました。 
 アーディングははじめから快調に飛ばし優勝するかに思われましたが、残すところ25周余りになった時、突然エンジンがストップして無念にもリタイヤとなってしまいました。 
 フランクは走りに走りました。そしてついに彼に先行する車は、旧友のボティーノ1人になりました。2人は車輪と車輪が触れ合うばかりにくっついてものすごいデッド・ヒートを演じるのでした。
 
“エピローグ” 
 一瞬ボティーノがひるんだすきに、フランクの車はトップに踊り出しそのままばく進して、ついに念願の優勝をなしとげたのでした。 
 翌日、フランクがモーテルを引き払おうとした時にアーディングが尋ねてきたのです。彼はエローラとトラブルを起こしたことをフランクに詫びるのでした。フランクは黙って聞いていたが、やがて今までの怒りを爆発させて、アーディングを殴り倒しました。 
 今やフランクの住む世界は荒涼たるものとなってしまいました。勝利の栄光さえ空虚に思えるのです。山と積まれた賞品の中でいい知れない孤独感が彼の心を締めつけるのです。 
 意を決したフランクは、すでにレッドバーンに帰ったエローラの後を追うことにしました。彼はエローラに、今までのことは水に流してもう一度出直そうと説得するのです。寂漠とした彼の心を癒してくれるのがエローラの愛しかないのです。 
 フランクの真情を知ったエローラは、改めて夫の胸に抱かれるのでした。(完) 

 この映画を見たとき、私は中学生であり、多分母親と見に行ったのではと思います。私の母親はポール・ニューマンのファンであり、何度となくポール・ニューマンは性格俳優であると言っていたことが思い出されます。この映画は、レース映画でありながら“男と女”の“愛”を描いたものであり、当時はベッド・シーンやキス・シーンではとにかく照れてしまった記憶がありました。 
 ところで、この映画の元となった映像は、1966年と1968年のインディ500であり、スタート直後の多重衝突事故は、1966年に実際に起きた事故の映像でありました。その時優勝したのが、当時のF−1ドライバーでBRMに乗り1962年のF−1チャンピオンとなった“グラハム・ヒル”です。ヒルはその後、1968年にもロータスでチャンピオンをとり、1972年には、あの“ル・マン24時間レース”をも制覇するのでした。今だかつて世界3大レースである“インディ500”、“F―1モナコ・グランプリ”、“ル・マン24時間レース”全て制覇したドライバーはいないのです。ちなみに、“グラハム・ヒル”は、現F−1ドライバーで1996年チャンピオンである“デーモン・ヒル”の父親であります。また、映画で登場するカーNo3の車は、ポール・ニューマンが、事故をまぬがれて優勝するのですが、このNo3の車は1968年度インディ500に、“ボビー・アンサー”がのって優勝した“イーグル・オッフィー(レーシング・ドライバーであり、レーシング・カー製造も行っている“ダン・ガーニー”の作っているレーシングカー“イーグル”に“オッフィー・エンジン”を組んだマシン)”そのものであり、ポール・ニューマン自身が同車をドライブし撮影していました。同じくロバート・ワグナードライブのNo42は、1968年インディ500で4位に入ったデニス・ハルム(1967年度F−1チャンピオン)のイーグル・フォード車そのものでありました。その他この映画には、1967〜68年に行われたストック・カーレースや“CAN−AMレース”も収録されておりレースファンにはこたえられない内容でありました。(68年CAN−AMマシンであった“マッキー・スペシャル”がニューマンのドライブで出てきた時には感激しました!写真参照)近年までレースに参加し続けた主演のポール・ニューマンが、1997年の“デイトナ24時間レース”で完走し、レーシング・ドライバーとしての引退を表明した時は思わず感激してしまいました。 
 では、次回の「くるま」村の映画館をお楽しみに!! 

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