“「くるま」村の映画館”
 今回の上映は、あのフランシス・レイの主題歌で有名な「男と女」の登場です。
「男と女」は、1966年カンヌ映画祭グランプリをはじめ、同年の“アカデミー賞外国映画賞・オリジナル脚本賞”、同じく“ゴールデン・グローブ賞・外国映画賞・主演女優賞”など数多くの賞を独占しました。監督は、「パリのめぐり逢い」、「白い恋人たち」などで有名な“クロード・ルルーシュ”であります。
 この映画の主演には、あの“ブリジット・バルドー”と浮名を流した“ジャン・ルイ・トランティニヤン”がしみじみとした男の孤独と激しい闘争の場に生きる男を好演しています。また相手役には、この映画でゴールデン・グローブ賞・主演女優賞に輝いた“アヌーク・エーメ”が演じています。
1966年度作品。上映時間 1時間43分。
 
 
 アヌーク・エーメ”
 「男と女」でしっとりとした女の情感をただよわせ心の陰影を見事に表現したアメーク・エーメの映画歴は非常に長いことが分かりました。以下当時のプログラムを引用させていただきました。
 
 
 “14才で映画に引っ張り込まれ、17才で「火の接吻」の主役を演じて、その清楚な気品と個性的な美しさを全世界に知られるようになったからでした。彼女はこの映画で夫婦役を演じ歌手のピエール・ルーとすっかり意気投合し4月19日に本当の夫婦になってしまったのでした。
 1932年4月27日パリに生まれました。俳優アンリ・ムーレーの娘で本名をフランソワーズ・ソリアと云います。彼女はフランスとイギリスで中等教育を受けたので美しい英語を話します。ダンスのレッスンと水泳で均等のとれた美しい少女でした。ルネ・シモンについて演技の勉強もしていました。14才の時アンリ・カレフに見出されて「密会」で小さな役に初出演、ついでマルセル・カルネ監督の「花の年頃」の主演を演じることになるのですが、これは未完成に終わってしまうのでした。翌年「火の接吻」の主演で世界的に知られるようになると、その後はイギリス、ドイツ、スペイン、アメリカ、イタリーと各国の映画に出演する国際女優の元祖となりました。最近作は「今晩おひま?」、「甘い生活」、「太陽は傷だらけ」、「8 1/2」があります。趣味は読書、デザイン、古典音楽、バレー、お料理。彼女のマスコット、2匹のウサギにオリビエとローレンスと云う名をつけているほどのローレンス・オリビエの大のファンであります。”
 
“ジャン・ルイ・トランティニヤン”
 さて、幼い息子をかかえた男やもめジャン・ルイ・デュロックを演じたジャン・ルイ・トランティニヤンについてもプログラムから引用させていただきました。
“世界的なレーサーとしてスピードに生命をかけ、女友達もいる。日曜には子供の寄宿舎を訪れて一日子供と遊ぶ中年近い男。フランス自慢の二枚目ジャン・ルイ・トランティニヤンはこの映画で実に魅力的な男性を演じています。
 1930年12月11日、南フランスのポン・サン・エスプリで生まれ、少年時代をニースやエース・エン・ブロバンスで過ごしました。1950年、20才のジャン・ルイは舞台俳優を志してパリへ進出。それからの5年間を劇団の大御所シャルル・デュランとタニア・バラコバに師事し、51年に初舞台、次第に大きな役を貰うようになり、新作、古典を含め20数本に出演して有望な新人俳優と認められるようになったのでした。映画には55年にクリスチャン・ジャックに認められ「空と海の間に」に出演し、翌56年にはロジェ・バディムの作品「素直な悪女」でブリジッド・バルドーと競演してからは、映画俳優として活躍することとなりました。テレビ、ラジオでも活躍しています。また、この作品により、さらにファンの数が増えるのは確実です。身長173cm、体重65キロ。”
 
“ストーリー”
 
 “物語は、ある日曜日主人公のジャン・ルイが真紅の“フォード・ムスタング”に乗り風のように走り去るシーンからはじまります。
事故で夫を失った女と、妻を自殺させた男とが、パリを離れた地方都市の冬景色の中で知り合った。孤独な心と心とが寄り添い逢って、やがて恋が生まれた・…。
 その日曜日もアンヌ・ゴーチェ(アヌーク・エーメ)はドービルへやってきました。この町の寄宿学校に入っている娘のフランソワーズ(スアド・アミデゥー)に会うためでありました。アンヌはそろそろ30才。夫を亡くしてパリに一人暮しの彼女にとって、毎週日曜日のフランソワーズとの面会が今では何よりの楽しみでありました。この日はつい長居してしまい、駅に着いたときには、もうパリ行きの汽車は出てしまっていたのでした。
 その時、途方にくれる彼女に、遠慮がちに声をかけてくれたのがジャン・ルイ・デュロック(ジャン・ルイ・トランティニヤン)でありました。やっぱり30才前後であった彼も寄宿学校へ息子のアントワン(アントワン・ジレ)に会いに来た帰りだったのです。
 ほっとしてジャン・ルイの運転する車に乗せてもらったアンヌは、パリへ到着するまで、ほとんど休むまもなしに夫ピエール(ピエール・バルー)のことをしゃべり続けていました。その言葉があまりに夫への手放しな愛情にあふれているので、ジャン・ルイはてっきりピエールがまだ生きているのだとばかり思っていました。
 
 アンヌが夫の非業の死を打ち明けたのは、それからしばらくたってからでした。映画の撮影中、ピエールは思わぬ事故で命を落したと云うのです。うって変わった悲しみの色にあふれるアンヌの横顔を、その時ジャン・ルイは美しいと思ったのでした。
 その後ジャン・ルイは、アンヌを一時も忘れることが出来ず、ついにこらえきれずに、次ぎの日曜のドービル行きも自分の車で、とアンヌへ誘いの電話までかけてしまったのでした。
 ドービルの日曜日の肌寒い午後。ジャン・ルイとアンヌとそれにアントワンとフランソワーズの4人は仲良く連れだって食事をしたり、まるで一つの家族のようでありました。
 子供たちの明るい笑いに囲まれながら、アンヌとジャン・ルイは、お互いの愛を感じ始めていました。
パリへ帰る車の中で、ためらっていたジャン・ルイの手がアンヌの手に触れたとき、アンヌも今までためらっていたジャン・ルイの妻のことを尋ねたのでした。ジャン・ルイが重い口をはじめて開きアンヌに話し始めたのでした。ジャン・ルイの職業は“レーシング・ドライバー”であり、それも世界屈指のトップ・ドライバーでありました。1963年、“ル・マン24時間レース”で大事故にみまわれたジャン・ルイにショックを受けた妻のバレリー(バレリー・ラグランジュ)は、ノイローゼとなりついに自殺してしまったというのです。
 アンヌの家の前の暗がりに止めた車の中で2人は身動き一つせずにじっとしていました。もはやお互いの愛は隠すすべもなかったのでした。
しかし、その愛が、果たして2人にとって幸せなのかお互い悩んでいたのでした。激情だけで身をまかせるには、2人とも年を取り過ぎていました。
 アンヌはジャンを忘れようと、またジャン・ルイはレースに集中することで忘れようとしました。
ジャン・ルイが“モンテカルロ・ラリー”が終わった時、アンヌからの電報を受け取りました。「愛しています」。急激に膨れ上がるアンヌへの慕情をもはや押さえきれずジャン・ルイは、ラリーで使っていたレースカーに飛び乗りアンヌのいるパリへ向かったのでした。しかし、アンヌはドービルに発った後だったのでした。すぐにジャン・ルイは6000キロ離れたドービルに向かうのでした。
そして、アンヌは浜辺にいたのでした。2人はお互いを確認すると全力で駆けより抱き合うのでありました。
そして、愛を確かめる瞬間アンヌは亡き夫のことが脳裏をよぎり2人の間に悲愁だけが尾を引くのでした。アンヌはその場を逃げ出すようにパリ行きの汽車に乗り込むのでした。
 人気のないプラット・ホームでジャン・ルイはアンヌと別れ、車に乗り、パリへの道を走りつづけるうち、彼女への慕情が再び燃え上がるのを押さえることが出来ないのでした。
乗換駅へ先回りしたジャン・ルイはホームでアンヌが乗る列車を待つのでありました。止まった列車から、驚きと喜びを隠し切れないアンヌが駆け下りてきます。そして2人は再びひしと抱き合うのでした。
ジャン・ルイとアンヌにとって、これからのことなど考える必要はないのです。どうなるかなどは誰にも分からないことなのだから・・・・。”
 この「男と女」が上映された頃、私はまだ中学1年生でありまして、まだまだ“男と女”などと云う難しい関係について描かれたこの映画はとても難しい映画に思えたものでした。また、“くるま”についてこれほどまでにストーリーの中に描かれていたなどとはまったく知らなかったのも事実でありました。しかし、フランシス・レイが奏でる哀愁漂う“男と女のテーマ”はとても印象深く中学生だった私の心にも強くしみこんでおりました。とにかく、1967〜70年当時は、「白い恋人たち」、「ある愛の歌」などフランシス・レイは絶大な人気を誇っておりましたし、私にとって、フランスがとても身近に感じたのはこれが最初であったのではと思ってしまいました。
 今振り返ってみると、私にとっての映画「男と女」は、青春時代の恥じらいがあった頃においての“性”への憧れが詰め込まれた“バイブル”のようなものだったのではと思えてなりません。

 ご意見・ご感想をお待ちしています。



 
GO TO TOP
GO TO MENU
E-MAIL

 このホームページで使用しました「文献」および「写真」については、著作権法で守られています、本ホームページにおいては、趣味範囲でのみ使用し、営利目的に使用しないという主旨で作成しておりますので特に著作者には届出はいたしておりません。よって、「文献」、「写真」等のコピーでの使用にはご注意ください。
 著作権所持者や関係者の方は、何かございましたら即刻対応しますのでご連絡下さい。
 連絡先:h-makino@mac.email.ne.jp