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1932年4月27日パリに生まれました。俳優アンリ・ムーレーの娘で本名をフランソワーズ・ソリアと云います。彼女はフランスとイギリスで中等教育を受けたので美しい英語を話します。ダンスのレッスンと水泳で均等のとれた美しい少女でした。ルネ・シモンについて演技の勉強もしていました。14才の時アンリ・カレフに見出されて「密会」で小さな役に初出演、ついでマルセル・カルネ監督の「花の年頃」の主演を演じることになるのですが、これは未完成に終わってしまうのでした。翌年「火の接吻」の主演で世界的に知られるようになると、その後はイギリス、ドイツ、スペイン、アメリカ、イタリーと各国の映画に出演する国際女優の元祖となりました。最近作は「今晩おひま?」、「甘い生活」、「太陽は傷だらけ」、「8 1/2」があります。趣味は読書、デザイン、古典音楽、バレー、お料理。彼女のマスコット、2匹のウサギにオリビエとローレンスと云う名をつけているほどのローレンス・オリビエの大のファンであります。” |
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“ストーリー”
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アンヌが夫の非業の死を打ち明けたのは、それからしばらくたってからでした。映画の撮影中、ピエールは思わぬ事故で命を落したと云うのです。うって変わった悲しみの色にあふれるアンヌの横顔を、その時ジャン・ルイは美しいと思ったのでした。
その後ジャン・ルイは、アンヌを一時も忘れることが出来ず、ついにこらえきれずに、次ぎの日曜のドービル行きも自分の車で、とアンヌへ誘いの電話までかけてしまったのでした。 ドービルの日曜日の肌寒い午後。ジャン・ルイとアンヌとそれにアントワンとフランソワーズの4人は仲良く連れだって食事をしたり、まるで一つの家族のようでありました。 子供たちの明るい笑いに囲まれながら、アンヌとジャン・ルイは、お互いの愛を感じ始めていました。 パリへ帰る車の中で、ためらっていたジャン・ルイの手がアンヌの手に触れたとき、アンヌも今までためらっていたジャン・ルイの妻のことを尋ねたのでした。ジャン・ルイが重い口をはじめて開きアンヌに話し始めたのでした。ジャン・ルイの職業は“レーシング・ドライバー”であり、それも世界屈指のトップ・ドライバーでありました。1963年、“ル・マン24時間レース”で大事故にみまわれたジャン・ルイにショックを受けた妻のバレリー(バレリー・ラグランジュ)は、ノイローゼとなりついに自殺してしまったというのです。 アンヌの家の前の暗がりに止めた車の中で2人は身動き一つせずにじっとしていました。もはやお互いの愛は隠すすべもなかったのでした。 しかし、その愛が、果たして2人にとって幸せなのかお互い悩んでいたのでした。激情だけで身をまかせるには、2人とも年を取り過ぎていました。 アンヌはジャンを忘れようと、またジャン・ルイはレースに集中することで忘れようとしました。 ジャン・ルイが“モンテカルロ・ラリー”が終わった時、アンヌからの電報を受け取りました。「愛しています」。急激に膨れ上がるアンヌへの慕情をもはや押さえきれずジャン・ルイは、ラリーで使っていたレースカーに飛び乗りアンヌのいるパリへ向かったのでした。しかし、アンヌはドービルに発った後だったのでした。すぐにジャン・ルイは6000キロ離れたドービルに向かうのでした。 そして、アンヌは浜辺にいたのでした。2人はお互いを確認すると全力で駆けより抱き合うのでありました。 そして、愛を確かめる瞬間アンヌは亡き夫のことが脳裏をよぎり2人の間に悲愁だけが尾を引くのでした。アンヌはその場を逃げ出すようにパリ行きの汽車に乗り込むのでした。 人気のないプラット・ホームでジャン・ルイはアンヌと別れ、車に乗り、パリへの道を走りつづけるうち、彼女への慕情が再び燃え上がるのを押さえることが出来ないのでした。 乗換駅へ先回りしたジャン・ルイはホームでアンヌが乗る列車を待つのでありました。止まった列車から、驚きと喜びを隠し切れないアンヌが駆け下りてきます。そして2人は再びひしと抱き合うのでした。 ジャン・ルイとアンヌにとって、これからのことなど考える必要はないのです。どうなるかなどは誰にも分からないことなのだから・・・・。” この「男と女」が上映された頃、私はまだ中学1年生でありまして、まだまだ“男と女”などと云う難しい関係について描かれたこの映画はとても難しい映画に思えたものでした。また、“くるま”についてこれほどまでにストーリーの中に描かれていたなどとはまったく知らなかったのも事実でありました。しかし、フランシス・レイが奏でる哀愁漂う“男と女のテーマ”はとても印象深く中学生だった私の心にも強くしみこんでおりました。とにかく、1967〜70年当時は、「白い恋人たち」、「ある愛の歌」などフランシス・レイは絶大な人気を誇っておりましたし、私にとって、フランスがとても身近に感じたのはこれが最初であったのではと思ってしまいました。 今振り返ってみると、私にとっての映画「男と女」は、青春時代の恥じらいがあった頃においての“性”への憧れが詰め込まれた“バイブル”のようなものだったのではと思えてなりません。 |
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