THE HISTORY OF 
RACE QUEEN IN FUJI 

 
 


MINORU KAWAI AND ROZA !
 当時を知る人がまず思い出す“レース・クイーン”といえば「小川ローザ」ではないでしょうか。
左の写真は、レースクイーン時代の“小川ローザ”とこの後すぐに結婚した川合稔とのツーショットです。
ROZA ! ROZA ! ROZA !
 OH !! MOU LET'S( !?)

 OH!! モーレツ! などでテレビCMをにぎわせた超ミニスカートのお姉さんであります。(写真右が当時“丸善石油”のテレビCMです) 
そんな中、トヨタワークスのエースドライバーであった川合稔との電撃結婚は衝撃でありました。そしてレーサー川合の事故死と小川ローザの逃避行。すべてが一瞬の出来事でありました。 
 さて当時の“富士グランチャンピオンシリーズ”のレースクイーンはというと、下記の通りであります。

“1971年シリーズ” 

1. 富士マスターズ250キロレースの場合 

 なんと「プレイガール」(当時人気のテレビお色気番組だった)に出演中の3人でありました。ちなみに、左から八代万智子、西尾三枝子、浜かおるのお色気3人組みでありました。「プレイガール」は、当時東京12チャンネルより毎週月曜夜9時から放映されておりました。しかし、高校生の私は、両親の前ではなかなか恥ずかしくてプレイガールが見たいなどという事が言えなかった記憶があります。

2. 富士500キロレースの場合 

 覚えている人がいるでしょうか? 沢チエ という歌手を……! 
“恋のブガッティ”などと訳の分からない曲を歌っていました。
 プロフィールによりますと、趣味はレコード鑑賞、リズムダンス。スポーツは、アイススケートが得意。年齢21才(1971年当時)。身長161cm、バスト85cm、ウエスト60cm、ヒップ80cm。ということでした。 
 

“1972年シリーズ”  

 この年よりシーズン通して1人のレースクイーンがこなすこととなりました。 
選ばれたのは、当時の人気女優 江夏夕子 であリました。 “ヘアピンサーカス”なんて映画に出ていたのですが皆さん覚えているでしょうか? 
レースクイーンといっても今と違いパドックでポーズを取るわけでもなく、スタート前の「あと何分」というプラカードをコース上で掲げたり、フィニッシュ後の表彰式でトロフィーを渡すのが仕事でした。
 上の写真は、1972年当時発売されていた映画「ヘアピン・サーカス」のサントラ盤レコードであります。 
主演は、現役トヨタ・ワークス・ドライバーであった“見崎清志”が甘いマスクを生かしレーシングドライバーだった過去を秘めながら教習所教官役につとめ、“江夏夕子”は、暴走族の女リーダーとして見崎と絡むという内容でありました。ちなみに、ジャズ・シンガーの“笠井紀美子”も役柄は覚えておりませんが出演していました。なお、音楽は、ジャズ界のスターであった“菊地雅章”が担当していました。

“1973年シリーズ”  

 
 レースクイーンがレースクイーンらしくなってきたのはこの年からではないでしょうか。 
モデル自体も、スポンサー色が強くなりハーフ系や外人を多く使い出し、タレントとモデルがはっきりと別れたといってもいいのではないでしょうか。 今回のモデル名は、瀬南ユキで、ブリジストンタイヤ専属モデルでありました。 
プロフィールによりますと、身長165cm、体重51kg、バスト86cm、ウエスト63cm、ヒップ91cm。 好きな食べ物は、フレンチサラダ(ユキが作ったサラダは最高よ!とのことです。)。好きな色は、赤と紫。好きな時は、お部屋でひとりでサイモンとガーファンクルを聞いているときだそうです。 
 当時、パドックでは、油まみれのメカニックばかりで、今のようなパラソルを持ったレースクイーンなどどこにもいないし、まさに1960年代のままでありました。 
 私の印象は、当時レース以外の楽しみがサーキットにはまったくなく、レースが雨などでつまらなかった場合は最悪でありました。今のように、カーグッズを売っているオートジャンブルもなくわずかにメーカーの展示車両があったと記憶しています。数年後、ワラシナ自動車が昔のスロットカーなどを売るショップを出店し、タミヤのスロットカー ロータス40 を2000円ぐらいで買ったと友人Bから聞いたときは、本当に悔しおもいがしました。
 レース・クイーンがもてはやされるのは、この後10数年先のことでありました。
 ご意見ご感想をお待ちしています。


 
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