PART 1
 1965年といえば、前年行われた“東京オリンピック”による高景気を受け継ぎ、まさに高度成長期そのものでありました。当時小学生であった私も、不自由することなく幸せな(?)幼年期を送っていたのでありました。
 そんなとき、私を夢中にしたものがありました。それは、マンガのキャラクター物の「鉄腕アトム・シール」や「鉄人28号・ワッペン」を集めることだったり、「切手採集」であったり、または「戦闘機や戦艦のプラモデル」などを作ることであったりと、数え切れないものに夢中になっておりました。
 そうこうしているうちに、今も脳裡に強烈な印象として離れない出会いが1965年の私の誕生日に起きたのでした。それは、一大ブームとなった「モデルカー・レーシング」という“新たな世界”でありました。その後、私は、熱病に犯されたように「モデルカー・レーシング」にのめり込んでいきました。そして、1965〜73年の約9年間、わたしは数々の“モデルカー”たちと出会い、一緒に歩んでいくことができたのでありました。
 今回は、そんな思い出深い“モデルカー”たちを改めて紹介してみようと思い、誠に僭越ながら、この「モデルカー・レーシング」歴伝なるものを作る決意をしたしだいでありました。
(1)日本模型と「マンタレイ」(購入時期:1965年12月16日に、誕生日プレゼントとして父親の友人からもらい受ける)
 何を隠そうこのマシンと巡り合えなかったとしたら、きっと私の“モデルカー・レーシング”人生は、なかったのではと思えるほど思い出深いマシンでした。
 
 実車の「マンタレイ」というマシンは、もともと“カスタム・カー”として誕生したマシンであり、純粋なレーシングカーではありませんでした。
この実車“マンタレイ”の詳細については、私にとって、長年の謎の1つでしたが、ネコ・パブリッシング社発行の「カー・マガジン」誌の姉妹誌である「MODEL CARS」第38号のカスタムカー特集記事において、“マンタレイ”の存在が明らかとなりましたので、それを引用させていただきたいと思います。
「“マンタレイ”はハリウッド劇中車ビジネスにおいてジョージ・バリスと並ぶ存在の著名カスタマイザー、“ディーン・ジェフリーズ(モンキーズの“モンキー・ビートル”やグリーン・ホーネットの“ブラック・ビューティ”を生んだ)が1964年に発表したショー・ロッドで、同年のオークランド・ロードスター・ショーで“Tournament of Fame Champion”を獲得した傑作。流麗な左右非対称のアルミニウム製手作りボディと、畏れ多くもそのベースに40年代の傑作GPカー、マセラティ4CLTの主要コンポーネンツを持ち、単なる“置物”ショー・ロッドを超えた“カスタム・レーシングカー”とでも言うべき個性を放つ存在だ。」
 

 左の写真は、1964年に発表された当時の“マンタレイ”と製作者のジェフリーズ。
右は、1965年に発売された日本模型の“マンタレイ”であります。
「MODEL CARS」誌には、この日模製“マンタレイ”についても触れているので再び引用させていただきたいと思います。
「60年代のスロット・レーシング大ブームを体験した方ならご存知だと思うが、実はマンタレイには国産のスロットカー・キットが存在した。メーカーはニチモである。60年代の国産スロット・キットといえば、当然のことながら当時のモーター・スポーツで活躍していた車種が主流だったので、マンタレイのようなショー・ロッドは極めてユニークな事例である。当時を知るニチモの社員によれば、一風変わった車種がほしかったことに加え、左右非対称のフォルム故に走行特性がトリッキーで面白そうなことが製品化のポイントだったと言う。
 ニチモ製マンタレイは今や大変なプレミア価格で流通しており、おいそれと入手できるキットではないのだ。それは現在もっとも珍しいランクの“絶版”スロットカー・キットの1つであり、同じにショー・ロッドのマニアにとっては世界でただ1つのマンタレイのスケール・モデル・キットとして珍重されてもいるのだ。
なお、ニチモのマンタレイには使用モーターによって2種類のバージョンがある。1つはマブチFT−16/16Dを使用する“前期型”、そしてもう1つはマブチFT−36/36Dを使用する“後期型”と呼ばれるものである。大きな違いはなく、ただ後期型はモーターを収容するための切り欠きがコクピットに設けられている点のみが異なるらしい。シャーシーは当時最も一般的だった真鍮プレスのメイン・フレームとサブ・フレームをビスで合体するタイプで、モーターはインライン・マウントである。」
 ちなみに私が誕生日プレゼントで頂いた“マンタレイ”は“前期型”でありました。後で紹介する日本模型モデルカー発売リストによれば、数ヶ月後には、なんと“後期型”が発売されることになるのですから、私の誕生日がもっと後であればFT−36D仕様の“マンタレイ”を手に入れていた可能性もあったということになるのですが・・・。
しかし、運命とは分からないものです、考えてみれば“前期型”を手に入れていたからこそ、1966年5月3日に行われた「第1回モデルカー・グランプリ」において、“関口 徹くん”所有のレベル社製“フェラーリ250GTO”を破ることが出来たわけですから、良かったと考えるべきなのでしょう。

 
 ところで、日本模型製“マンタレイ”を語る上での貴重な解説書があるのをご存知でしょうか。それは、1966年当時に“日本モデルカーレーシング連盟”会長であった土方健一氏の著作である「モデルカーレーシング入門」(秋田書店発行)です。今回は、この本の「新製品キット紹介」の中から“マンタレイ”について引用させていただくことにいたしました(1965年12月25日初版発行)。
「日本模型 1/24 マンタレイ 
 これはおもしろい車をモデルに選んだものだと思います。アメリカの人は、このようなタイプのドラッグスターやホットロッドを好んで作りますが、モータースポーツを遊びとして徹底しているからでしょう。
 モデルカーの場合にも、このような遊びの面がもっと入ってきてよいと思います。
ヨーロッパ流に、やかましい規則で本格的なレースをするのも、モータースポーツとして正しいあり方ですが、一方でまた、アメリカ式に野放図に個性を伸ばしたやり方も大変楽しいものだと思うのです。モデルカーの中で、このようなホットロッドの車を取り上げたのは、アメリカでも非常に数が少ないのですが、日本で日模(日本模型の略)がこれを製品にして出したということは、その勇気と努力に敬意を表していいと思います。
 それはなぜかといいますと、このクラスの車は、今のところ正式のレースに参加する機会が少ないからです。ドラックスターのクラスか、あるいはオープンクラスのレースでないと参加できません。したがって、レースに出ることを目的とするファンは、このクラスには手を出さないからです。
 ここで一言私からいいでしょうか、土方氏の言う通り確かに“マンタレイ”は実際に組織されていた公式レースに出ることは出来ませんでした。私も、内輪のホームサーキットを使用したレースでは、“マンタレイ”を使用していましたが、実車の知識が豊富になるにしたがって実際のレースに一切出場したことがなく、全く違うジャンルだった“マンタレイ”と、徐々に離れてしまったのは、ごく自然の成り行きでありました。
 しかしこれは、参加できないというこではいけないと思います。参加出来るようにこのクラスの車をもっと増やすようにすればよいのです。現に、ストックカーのクラスは今までありませんでしたが、プラモデルを改造してストックを走らせるファンが最近増えてくると、ストックカー・レースが専門に行われるようになりました。このホットロッドのクラスも車種がたくさん出るようになれば、このクラスのレースが出来るようになるわけです。その意味で、ニチモのこのモデルはホットロッドの先鞭をつけたわけで、大変貴重な存在だと思います。
 ボディはABS樹脂で丈夫に、そしてスマートに仕上がっています。塗料を使うことなしにデカルの仕上げでも十分美しく仕上がります。シャーシーは、今までと同じ日模型ですが、このシャーシーの性能が良いことは定評があります。一見なんでも内容ですが、その性能の秘密は前部軸受けにあります。前車軸が1本のジョイントによって上下に約3mmぐらい動くようになっています。これが路面からのショックを吸収して、カーブでは絶対の強みを発揮してくれます。
 ここで再び一言いいでしょうか。私の“マンタレイ”は、当時の「モデルカー・グランプリ」において“関口徹”くん自慢のアメリカレベル社製“フェラーリ250GTO”をいとも簡単に破ってしまったのですから、日模型シャーシーがいかに性能が良かったかが分かる良い証拠でありました。未だに覚えているのは、“関口くん”フェラーリの前輪には、秘密兵器であった“アサヒ製”のヒット作(!)であった、ホイール内にボールベアリングを埋め込んだスペシャルパーツが装着されていたのでした(右の広告が、アサヒ製“スピードリング”で、当時2個で330円していました)。私の“マンタレイ”はと思えば、前輪は当時他のモデルもそうであったようにベアリングがなく、また後輪にもただの軸受けである“オイルレスメタル”が付いているだけでありました。さらに、モーターについていえば、私は、マブチFT−16という一番非力なものでありましたが、フェラーリには、同じマブチでもFT−36という大トルクのモーターを搭載していたのでした。ですから、レースに圧勝したときは本当にうれしかったことが思い出されます。
 またコレクターがスプリングによって上方に3mmぐらい動くようになっていますが、これは上方向のみなので、坂道の上下の時意外はあまり効果は期待できません。しかしピックアップのシールド線を微妙に調節して、3ミリ動く範囲のちょうど真中あたりにコレクターが止まっているように調節しておけば、車の上下に対しても、ピックアップが有効に働きます。
 もう1つ、日模のキットで優秀なのはタイヤで、現在数多く出ている中でもっとも優秀な品質の1つです。日模では、タイヤのみを売らないので、このタイヤを入手するために日模のキットを買う人があるほどで、マニアの間では貴重品になっています。
当時店頭価格 ¥800(モーター別)
*1966年には、マブチFT−36Dモーター搭載可能に改造されたモデルも登場しました。
 
 1966年当時、「モデルカー」を買う場合、サーキットで買うことはもちろん可能なのですが、私たちが一番通ったのは、町のプラモデル屋さんが一番多かったと思います。なぜならば、デパートなどより断然安かったのがその大きな理由でした。それも定価の2割から3割引がほとんどであり、5台買えばもう1台買えるなどと、私などは、勝手に考えておりました。しかし、自製モデルカーを製作し出した頃には、プラモデル屋では、あまりパーツ類が売っていないということもあり、次第に専門店であるモデルカー専用サーキットへ通うようになるのでした。
 右の写真は、“マンタレイ”と同じシャーシーを使用した、日模製“ポルシェF−1”のキット内容であります。今見ますとかなりパーツ数も少なく、組み立てが簡単そうなキットに見えますが、当時小学5年から6年の少年が作るにしては、やや難しい内容だったのではないかと思われます。
 ところで、日本模型といえばもともと船舶の模型のオーソナリティーでありました。私も日模製「戦艦大和」や「戦艦長門」などを父親の力を借りながら作った思い出があります。そして、当時は戦争物のプラモデルの全盛時代であり、戦闘機では、長谷川製作所やマルサン商会(日本初のプラモデルである潜水艦“ノーチラス号”が爆発的ヒットとなり、その後「プラモデル」の商標権を取得するが、のちに放棄し、各社の製品が、全てプラモデルと呼ばれることとなる)が良いとか、戦車では、日模や田宮模型などと各社得意アイテムが決まっていたように思われました。
 少し本題からそれてしまいましたが、それでは、私が30年間考え続けても答えが見つからなかった謎である、日模の“モデルカー・レーシング謎の1台”に迫ってみたいと思います。
 

 (2)日本模型製“ロータス・レーシング・エラン”の謎!!
 左上の広告は、日本模型の広告であります。左より“モデルカー・レーシング”少年の夢であった“ホームサーキット”であります。巾1m、厚さ10cmほどの箱に収まったプラスチック製のコースとパワー・パック、そしてコントローラーと2台の“ポルシェとフェラーリ”のフォーミュラ・カーは本当に憧れのものでありました。値段は、当時9,900円と高価であり、40円で少年マガジンを買っていた私としては、夢のまた夢でありました。そして、完成された「ロータス・レーシング・エラン」がデ〜ンと新発売と書かれております。また、右上広告が載っている1965年8月発売の技術出版梶u模型と工作」誌の増刊号である「モデルカー・レーシング・ハンドブック」では、新発売で、800円と出ているのですが、同年12月号の「モデル・スピードライフ」誌の広告(中央の広告)では、「 発売が遅れて申し訳ございません。もう少しお待ち下さい、魅力あるレーサーになるよう準備中です。」と発売が何らかの理由で遅れていることが書かれているのです。しかし、それ以降の雑誌には、一切“ロータス・レーシング・エラン”についての広告は見当たらなくなってしまったのでした。本当に、“ロータス・レーシング・エラン”は、発売されたのでしょうか。ご存知の方がおいででしたら教えてください。
 ところが、不思議なことに1966年の日本模型の広告(下左広告、月刊少年の広告であったと思います)で突如「1/24BRMフォーミュラ1」が発売されたのでした。
“BRMフォーミュラ1”
ダイカストシャーシ・スイングアーム式レーシングカー1:24スケール
 どこのサーキットでもスピードとバランスで人気がある…・
 ・スイングアームの性能を最高に発揮させる板スプリング。
 ・スムーズに作動する“ナイロン製コレクター”。
 ・接地・接触に抜群の性能を発揮する“ダイカスト製スイングアーム”。
 ・すばらしいスタイルで、がっちり固定するハブナット。
 ・定評ある日模の高性能高速競技用タイヤと精密機械加工のホイルリム。
 ・強い衝撃に耐えるABS樹脂使用の美しいボディー。
モーターマブチFT−16Dまたは、FT−16使用車
¥700(モーター別)
 今になって想像するには、“ロータス・レーシング・エラン”は設計日数がかかり過ぎて、各社の技術進歩に遅れをとり、結局発売中止となったのではないでしょうか。その代わりとして、最新技術を使った“BRM”を急遽開発し、発売せざるを得なかったのが真実だったのではないでしょうか。事実、上左広告写真の“BRM”シャーシーを見てみるとアメリカCOX社製のフォーミュラ用シャーシー(同上右写真は、COX製“フェラーリF1”で、他に“BRM F1”も存在する)にそっくりであります。さらに材質までも同じダイキャスト製でありました。コピーであれば設計期間も短縮できるわけですから、容易に開発、そして発売が可能だったのではないかと想像できます(このコピーについては、大滝製「BRM」のシャーシーにも言えるのでは・・・)。
(3)日本模型製“モデルカー・レーシング”発売リスト
 日模より発売されていた“モデルカー”たちをリストにしてみたいと思います。
 
NO
車名
クラス
モーター
特徴
価格
発売年
フェラーリF1 1/24F1 FT−16D FT−16 前輪部可動 700 1965
ポルシェF1 1/24F1 FT−16D FT−16 同上 700 1965
マンタレイ 1/24
オープン
FT−16D FT−16 同上 800 1965.11頃
フォードムスタング・ファーストバック 1/32GT FT−16 スイングアーム 700 1965.10頃
シボレーコルベットスティングレイGT 1/32GT FT−16 スイングアーム 700 1965
フェラーリF1 1/24F1 FT−36D ベアリング付
車高5mm低
700 1966.1頃
ポルシェF1 1/24F1 FT−36D 同上 700 1966.1頃
マンタレイ 1/24
オープン
FT−36D 同上 800 1966.1頃
BRM 1/24F1 FT−16D FT−16 ダイキャスト
シャーシー
700 1966
10 ロータス
レーシング
エラン
1/24GT FT−36D FT−16DFT−36, FT−16 スイングアーム 800 ????!
11 モデルカー
レーシング
セット
1/24
1/32
ーーー 2レーン
8の字コース
9,900 1965
12 ホームサーキット用
マシーンセット
1/32GT
コルベット
ムスタング
ーーー 1/32GT
新パワーパック、コントローラーETC
4,500 1966.3頃
13 コーストラックセット 1/24
1/32
ーーー コーストラック 3,900 1966.3頃
14 ホームサーキット用
マシーンセット
1/24F1
フェラーリ
ポルシェ
ーーー 1/24F1
新パワーパック、コントローラーETC
3,900 1966.3頃
15 コースレール ーーー ーーー レール単品 200 1966.3頃
16 ホームサーキット  セット 1/24
フェラーリ
ランボルギーニ
ーーー 2レーン
8の字コース
??? 1970〜73頃
17 ホームサーキット  セット 1/24
ポルシェ
962C
ーーー 2レーン
8の字バンク付
ジャック式
コントローラー
38.800 1990頃
 
 以上を持ちまして、日本模型と“マンタレイ”を終わらせていただきます。 
1966年に“BRMフォーミュラ1”を発売してからの日模は、モデルカー・レーシングの衰退と共に本来のプラモデルの世界に移っていくのでした。しかし、私も大変お世話になった“ホームサーキット”は、それ以後も発売を続けて、何回かの再販の後、現在は廃盤状態だと思われます。私などは、1990年前後に、東京巣鴨で「スロットカーシャーシー」を製造販売している“さかつう”に大変影響を受けて1973年以来の“モデルカーレーシング”に再び没頭し、再販されていた日模製“ホームサーキット”を購入までして大変盛り上がったものでした。この時の、ホームサーキットは、38,800円の値段で売られておりまして、1966年当時と同じ8の字コースでありながら、コーナーはバンク付となり、コーナートラックは幅広くなり、より幅広いモデルカーを走らせやすく設計し直されていたのには、大変びっくりし、またいつまでも“モデルカー・レーシング”にこだわり続ける“日本模型”という会社に敬意を表さずにはいられませんでした。またいつか、再販されることを信じ、末永くこの傑作“ホームサーキット”を作りつづけてもらいたいものであります。
(つづく)
 ご意見・ご感想をお待ちしています。

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