嗚呼! 
 船橋サーキットよ永遠に!!  
  
 その昔、千葉県船橋市の“船橋ヘルスセンター”敷地内に「船橋サーキット」というレーシング・サーキットがあったのをご存知でしょうか。このサーキットは、「鈴鹿サーキット」に継ぐサーキットとして1965年7月にオープンした唯一関東近郊にある観客席から全てコースを見渡せるショート・サーキットでありました。  
 オープン2年後の1967年5月28日、「船橋サーキット」において、一大イベントが開催されました。  
「第4回日本グランプリ」後、初のレースとなる酒井正の“デイトナ・コブラ”をはじめ、日産・ワークス・チームである黒沢元治、高橋国光、北野元、そして鈴木誠一などが出場するビッグなレースでした。  
そのレースは、日本オートクラブが主催する「全日本スポーツカーレース大会」第2戦であり、確か私の記憶では、テレビ放映されていたはずであります。  
  
左のコース図は、またまたS.Sさんより提供していただいた「船橋サーキット」の正式コース図です。本当にありがとうございました。  
1周3,100m(イン・フィールド使用時)と2,400m、そして1,800mのコースを使い分けて行うことが出来、右のメインストレートから左に曲がるレイアウトで600mの直線を持つ、テクニカルコースでありました。
  
 
予選結果(アウト・コース1周1,800m使用)  
 
順位 ドライバー マシン タイム
1位 酒井 正 デイトナ・コブラ 57”06
2位 高野ルイ ロータス・エラン 57”32
3位 安田銀治 ジャガーEタイプ 57”43
4位 高橋国光 フェアレディ2000 57”55
5位 北野 元 フェアレディ2000 57”70
6位 黒沢元治 フェアレディ2000 58”36
7位 相馬哲夫 ロータス・エラン 58”70
8位 大石秀夫 フェアレディ2000 58”89
9位 鈴木誠一 フェアレディ2000 59”04
10位 滝進太郎 ロータス・エラン 59”75
 
 
恐るべし!北野元!! 
 レースは、アメリカのナスカー形式である“ローリング・スタート”で行われました。 
まずトップに立ったのは安田のジャガーでした。酒井のコブラは2番手でピタリと安田をマークして第1コーナーへ。その後少し遅れてフェアレディ勢が追う展開となりました。レースはこのまま60周レースの半分にさしかかった時、高橋のフェアレディがエンジントラブルでリタイヤ。そして、トップを守っていた安田のジャガーも29周目ブレーキトラブルでクラッシュし戦列を離れたのでした。その後トップの酒井は安定したドライブで必死にくいさがる北野のフェアレディを振りきり念願の優勝を飾るのでした。酒井にとっては「第4回日本グランプリ」でのあの大クラッシュを忘れさせるような快心のレースでありました。  

レース結果(60周) 
 
順位 ドライバー マシン 時間 周回
優勝 酒井 正 デイトナ・コブラ 58’39”59 60
2位 北野 元 フェアレディ2000 58’40”70 60
3位 黒沢元治 フェアレディ2000 58’44”93 60
4位 大石秀夫 フェアレディ2000 58’51”76 60
5位 相馬哲夫 ロータス・エラン 59’00”04 60
6位 宮内隆行 ロータス・エラン 59
8位 木倉義文 ホンダS800 57
10位 見崎清志 トヨタS800 56
11位 高橋晴邦 ホンダS800 56
 

 
船橋サーキットの危機!! 
 電車で行けるサーキットなどなかなかあるものじゃありません。そんな庶民的なこのサーキットに経営危機が訪れたのが1967年頃からでありました。それを物語る記事が1967年7月号の「CAR・グラフィック」誌に書かれているので抜粋し引用させていただきました。 
“船橋サーキットの危機  
 船橋サーキットが経営困難のため身売りするのではないかという噂を最近しきりに耳にする。ギャンブルのオートレース場となって、大部分は改修され、残りの小部分を従来通り一般に開放し、ジムカーナなどを行えるようにするというのがその内容だが、本誌編集部の調査では、あるサーキット側責任者は5月18日現在、身売りの話しは決定されたものではなく、したがってJAFスポーツ・カレンダーに予定されていると言明している。しかしながら、経営が非常に苦しい状態にあるのは事実であり、何らかの手が打たれるのはもはや時間の問題であろう。  
(中略)  
 船橋サーキットは、わが国では鈴鹿についで2番目に出来たサーキットだが、他の2社と異なり、海岸の埋立地に建設された比較的小規模なテクニカル・コースで、東京からも極めて近く、その有利な立地条件から大いに発展を期待されたのである。ところが、その有利な立地条件が逆に災いしたことも拒めない。 
サーキット側の話しによれば、例えば、鈴鹿や富士では、大きなイベントには近況近在の老若男女がこぞって観に来、一つのお祭りのような高まりを見せ、観客動員数もかなりの数にのぼるのだが、施設の都合上、日本GPのようなビッグ・イベントを開催できない船橋では、そうはいかないという。 
(中略) 
 企業目論見が甘かったのも確かに原因の一つに違いない。ピエロ・タルフィに依頼したサーキットの原案では、それは大変豪華なもので、その全部を建設するとしたら何十億円あっても足りないといわれたほどのものであったらしい。諸所の事情から、建設されたものは原案をかなり変更したもので、諸施設も必要最小限にしぼったという。それでも埋立地のため、コースの基礎工事には思いのほか金がかかり約20億円の総工費がかかった。 
(中略) 
 現在の船橋サーキットの利用状況が今後もコンスタントに続くとすれば、それは少数には違いないがモーター・スポーツの真の愛好者たちであり、それほど豪華な施設がなくとも、走れさえすれば満足できる人々が多いはずである。 
(中略) 
 ここで大切なことは、船橋救済のためには、単にサーキットだけにその努力を任せていては駄目で、この際、今までばらばらだったJAF傘下の各クラブが、お互いの共通の利益の為に1つの連合体となって運動を起こす必要がある。 
(中略) 
 このためにはJAFにも一役買ってもらわねばならない。広く一般にモーター・スポーツを普及させ、振興させることを仕事とするJAFスポーツ委員会が、サーキットがなくなるかどうかという大問題に知らん顔では道理に合わないではないか。 
(中略) 
 最後に船橋サーキットへの願いだが、船橋を利用する人々は、富士や鈴鹿とは違った別の意味を船橋に発見しているのである。例えば、富士や鈴鹿は、そこでイベントを開くとすれば、弱小クラブには到底負いきれないほどの経済負担が問題になるのであり、その点船橋ならウイーク・デイや早朝割引などを利用すれば、どうにかまかなえる範囲だし、クラブ員個人の負担も多くはない。 
(中略) 
 こうした多くの無名のアマチュアによってささえられるものであり、船橋サーキットの存在には大いなる期待を持っているのであるから、この点を忘れることなく、最善の処置をとってもらいたいものである。” 

 しかし、結局は救済努力も空しく、1967年8月、「船橋サーキット」は、全日本ジュニア・チャンピオンレース大会を最後に閉鎖されることとなってしまいました。その後はご存知ようにオート・ギャンブル場となリ現在にいたっているのであります。 
(右のチラシは、OLD CAR CULB 船橋サーキット代表 S.Sさんより頂戴した、1967年1月15日に行われた「全日本自動車クラブ対抗レース大会」のものであります。船橋サーキットの1967年度の初頭を飾ったレースであり、チラシの内容を見ると主宰が、JAF公認クラブである“NAC(日本オート・クラブ)”、“KSCC(関西スポーツカー・クラブ)”、“TMSC(トヨタ・モータースポーツ・クラブ)”、“SCCN(ニッサン・スポーツカー・クラブ)”、“NDC.東京”でありました。当時の入場料は、このチラシを見ると、一般席大人400円、小人200円、特別席1,000円、A席700円となっており、当時の物価を考えると(ラーメン50円、少年マガジン50〜60円、国鉄最低運賃小人5円など)まあまあの値段だったのではと思われます。ちなみに、以前S.Sさんに頂いた1966年に富士スピードウェイで開催された「第3回日本グランプリ」のチラシを見ると入場料が、S席4,000円、A席3,500円、B席2,500円、C席1,500円となっており、これを考えると国際級のレースの出来ない船橋サーキットの入場料は妥当かと思われます(というより日本GPが高すぎるようにも感じますが…?!)。また、このチラシを見て面白いと思ったのは、“レースを見てサニーを当てよう!!入場の方にダットサン1000が当たります”という懸賞(?)が書かれていたことです。入場券番号で抽選だったのでしょうか?  
 ところで、このチラシのレースはと調べてみると、チラシの写真“ポルシェ・カレラ6”の滝進太郎はおろか、有名スポーツカーは出場しておらず5つのクラスの優勝者は次ぎの通りでありました。これはまさしくクラブ対抗レースという内容そのままでした。)  
クラブ対抗レース結果 
 
ツーリング2レース 蟹江光正 コロナ1600S
ツーリング1レース ロバート・ダンハム コンテッサ・クーペ
グランド・ツーリング 宮内隆行 ロータス・エラン
スペシャル・ツーリング 北野 元 ブルーバードSSS
スポーツカーレース 長谷見昌弘 フェアレディ2000
 

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