“1971年富士グランチャンピオンシリーズ” 
 日産、トヨタ、タキレーシングなどが、しのぎを削っていた1960年代後半、私はあまりにも速い“マシン”の進化に戸惑いながら熱狂していたあの時代は、もう過去のものになろうとしていました。フォーミュラカーによる“日本グランプリ”は、なにか盛り上がりに欠け、やはり、“ビッグ・マシン”の激突を私は見たかったのです。そんな気持ちが通じたのか、69年日本グランプリから、2年後の1971年4月25日、富士スピードウェイで「富士グランチャンピオンシリーズ」が開幕したのでした。主催は、富士スピードウェイ単独の“フィスコクラブ”が行い、グループ4から、グループ7(今でいうマツダRX−7から、マクラーレンGT−R、ニッサンR−390の混走レースのようなもの)までのマシンによるレースで、優勝者には100万円の賞金がつく今までにないビックなレースシリーズでありました。また、日本に現存する日産、トヨタのファクトリーマシンを除く主なレーシングカーがほとんど出場するということで、前人気も上々でした。
出場予想マシンとしては、1969年日本グランプリに酒井正のドライブで走った“ローラT160・シボレー7リッター”、黒沢レーシングから出場していた“マクラーレンM12・シボレー7リッター”、そして、なんと「69年日本CAN−AM」で、鮒子田 寛が乗って出場していたあの“マクラーレン・トヨタ”の“マクラーレンM12”を酒井正が買取ってシボレー7リッターエンジンで出場するということでした。また、昨年から“ポルシェ908−2”で国内レースを出走している風戸裕が、同マシンで出場します(写真の車がポルシェ908―2)。今年風戸は、アメリカの人気レース「CAN−AMシリーズ」に“ローラT222・シボレー8リッター”で出場する予定であり、「富士グランチャン」と掛け持ちとなるハードなスケジュールをこなすこととなりました。私のわがままを言わせていただければ、風戸は、絶対“ローラT−222”で出るべきだと言いたいです!!これが当時の私の本音でありました。
 1971年シリーズ全5戦のスケジュールは、下記の通りであり、熱戦が期待されます。
 
第1戦 富士300kmレース (4月25日) 50周
第2戦 富士グラン300マイルレース (6月6日) 2ヒート制各40周
第3戦 富士500キロスピードレース (8月15日) 2ヒート制各41周
第4戦 富士インター200マイルレース (9月5日) 53周
第5戦 富士マスターズ250キロレース  (10月10日) 41周
 
 ここだけの話しですが、私と友人“ハマ”は、全てのグランチャンレースを、「AUTO SPORT」誌の“御招待券”で通ったのでありました。ちなみに、抽選で、25名御招待という割には、1971年から、1973年までの10数戦に渡り100%の確立で当たっていたのは今考えても驚異的であったと思います。写真参照!!クリックしてください
初年度に見に行ったレースは、第3戦と第5戦だけでしたが、特に最終戦では、われらの“生沢徹”があの“ポルシェ917K”で出場とあって多いに感激したのが忘れられません。
[第1戦 富士300kmレース]および[第2戦 富士グラン300マイルレース]
  私は、残念ながらこの記念すべき開幕戦を見ていません。高校2年生であった私は、まだ自分で観戦することに不安をおぼえており、親友の“ハマ”とAUTO SPORTの招待券が当たったら行こうか?!などと言っておりました。実際免許も取れない17才ですし、電車で行くことにどこか旅行にでも行くかのような感覚があったのを覚えています。では、記念すべき第1戦の模様は、当時の「オートテクニック」誌の関連記事から引用させてもらいました。 
“グループ4からグループ7までのマシンによるレースであり、優勝者には100万円が賞金がつくという、ドライバーにウエイトのかかったビッグなレースとして、富士スピードウェイが自ら企画したレースでした。そんな中、記念すべき富士グランチャンピオンシリーズの第1戦、富士300キロレースは4月25日6kmフルコースで行われました。 
 日本に現存するニッサン、トヨタのファクトリーマシンを除く主なレーシングカーがほとんど出場するということで、前人気も上々で、当日は天気もよく、多くの観客が集まりました。 
予選を走ったのは24台、トヨタにあったマクラーレンには酒井正が、69年日本グランプリでモッチェンバッハの乗ったマクラーレンには鮒子田 寛が、また68年日本CAN−AMでペドロ・ロドリゲスが乗っていた安田銀治所有だったローラT160には田中健二郎が、それぞれ7リッターシボレーエンジンを搭載して出場しています。これに対抗できるのは、風戸裕のポルシェ908−2しかないようで、パワーでは劣るが、信頼性は抜群であった。よって優勝はこの4台の中から出ると思われました。このほかの主なマシンとしては、GT−Rエンジン搭載の国産グループ7カーのベルコ72D、さらに当初は予定されていなかったニッサンチームから、パワーがまたも大幅に上がったフェアレディ240Zで高橋国光が出場します。その他、桑島正美らの3リッターフェアレディZスペシャルが2台、ポルシェ906に高原敬武、910に川口吉正などが大挙出場するビッグレースでした。 
 レースは前座としてGTレース、ツーリングチャンピオンレースA、Bとメインの富士300キロの4レースが行われました。300キロレースでは風戸裕のポルシェ908−2がトップを走っていましたが、クラッチの調整でピットインして、次いで36周を終わったところでリタイヤしてしまったため、ベテランの田中健二郎が老体マシンであるローラT160をいたわりながら走りきり、見事優勝したのでした。また、途中まで240Zの高橋国光と激しく争っていたこのレースがデビュー戦となるベルコ72Dの津々見友彦は、ビッグマシンのリタイヤによって、2リッターながら総合2位となることが出来ました。なお、第2戦は6月6日に行われますが、招待マシンとしてオーストラリアからマクラーレンM6Bが来日する予定であるとのことでした。” 

第1戦 富士300キロレース予選結果 
 
1位 酒井 正 マクラーレンM12 1’49”20
2位 風戸 裕  ポルシェ908−2 1’49”97
3位 田中健二郎  ローラT16 0 1’52”52 
4位 高橋国光  フェアレディ240Z 1’59”16
5位 津々見友彦 ベルコ72D 1’59”55
6位 川口吉正  ポルシェ910 1’59”66
7位 桑島正美 フェアレディZSPL 2’02”37
8位 高原敬武 ポルシェ906 2’02”59
24位 鮒子田 寛  マクラーレンM12 ノータイム
  

富士300キロレース 結果(上位3位まで)
1位 田中健二郎 ローラT160 50周 1時間36分37秒05
2位 津々見友彦 ベルコ72D 47周 1時間36分52秒33
3位 高原敬武 ポルシェ906 47周 1時間36分53秒90
リタイヤ車両              
 高橋国光 フェアレディ240Z             39周目 
 風戸 裕 ポルシェ908−2            36周目 
 桑島正美 フェアレディZSPL             28周目 
 酒井 正 マクラーレンM12             6周目 
 鮒子田 寛 マクラーレンM12            5周目            
               
総括して、プライベートチームがまだビッグマシンのメンテナンスをこなしきれていないことが分かるレースでありました。

 第2戦も私は、見ておりません。大雨のレースであり、これ以後“雨のグランチャン”などと呼ばれるようになるのでありました。ところで、このレースには、あの“マクラーレンM6B”が出場したのでありました。同型車が、1968年の「日本CAN−AM」で、ピーター・レブソン(アメリカのレブロン社社長の御曹司)によって優勝したことは、記憶に新しいところです。(写真は、CMに登場したジョン・ハーベイのマクラーレン) しかし、このレースの主役は、酒井のマクラーレンでも、ジョン・ハーベイのマクラーレンM6Bでも、また、風戸のポルシェでもなかったのです。なんと、ニッサンワークスが送りこんだ北野元のドライブする“フェアレディ240Z”でした。北野のドライブするス−パーZは、大雨の富士スピードウェイを席巻したのでありました。このレースは、各30周の2ヒート制で行われ、両方の結果の合計で勝敗が決まるのでした。結果は下記の通りになりました。
ヒート1結果(上位5台)
 
順位 ドライバー マシン 時間 周回
1位 北野 元 ダットサン240Z 1”23’11”44 30
2位 千代間由親 フェアレディZ 28
3位 柳田春人 ダットサン240Z 28
4位 風戸 裕 ポルシェ908−2 27
5位 高原敬武 ポルシェ906 27
ヒート2結果(上位5台)
 
順位 ドライバー マシン 時間 周回
1位 風戸 裕 ポルシェ908−2 1”06’17”55 30
2位 北野 元 ダットサン240Z 1”07’22”70 30
3位 米村太刀夫 いすゞR7 29
4位 P.Bellamy ポルシェ906 29
5位 柳田春人 ダットサン240Z 28
総合結果
 
順位 ドライバー マシン
優勝 北野 元 ダットサン240Z
2位 風戸 裕 ポルシェ908―2
3位 柳田春人 ダットサン240Z
4位 米村太刀夫 いすゞR7
5位 P.Billamy ポルシェ906
(つづく)
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1999.6.28 by hirofumi makino