「第2回東京レーシングカー・ショー」
(会期1969年2月22〜23日) 
1969年の「第2回東京レーシングカーショー」から、わたしと親友“ハマ”とは第5回同ショーまで見に行きつづけるのでした。 
この第2回ショーのカタログは、それ以後のカタログに比べかなり頑丈に出来ており、当時の力の入れようがうかがえる。右の写真は、瀧進太郎氏がタキ・レーシングチームのメンバーを紹介している所であり、我が生沢徹も参加している。このあと行われたサイン会では、ファンが殺到し、将棋倒しになるくらいの盛況ぶりであった。
1968年度の日本レース界は、日本グランプリにおけるニッサン、トヨタ、タキ・レーシングの3つ巴の争いが一番の話題であったが、ニッサンの参加はもちろんだが、今回は、タキ・レーシングなどのプライベートチームの展示が目立った内容であった。それから、世界に挑戦している本田技研も空冷マシン“ホンダRA−302”を出品しており、私としては、十分納得のいくレーシングカーショーであったと記憶しています。
“オリジナル・フォトによる出品車紹介”
 私は、友人“ハマ”と共に当時写真現像に凝っており、浜ちゃんは宅を使って暗室を作り、グランチャンからレーシングカーショーなどをすすんで白黒撮影し、現像しておりました。では、当時のオリジナルフォトを使い出品車を紹介いたしましょう。 
 左の写真のホンダRA−302は、1968年度F−1世界選手権用に開発した世界初の空冷エンジン搭載のマシン。しかし、デビュー戦のフランス・グランプリでは、クラッシュ炎上し、ドライバーのジョー・シュレッサーが絶命するという最悪のデビュー戦となってしまった。その後、レースには、もっぱら水冷エンジン搭載のホンダRA−301(第2回東京レーシングカーショーカタログの表紙に写っている白地に赤のストライプのマシン)で出場し、RA−302は、2度とレースに出ることはなかった。しかし、その技術は、のちの市販車“ホンダ1300”に受け継がれていくのでした。 
 右写真のブラバム・ホンダF−3(直列4気筒DOHC791cc)は、英国のブラバム車のシャーシにホンダS800のエンジンをチューンして搭載したもので、鈴鹿でのフォーミュラ・リブレのレースでは、無敵を誇ったマシンである。 
 今回日産は、1968年日本グランプリウィナーであったR−381の展示はなく、従来からある現役マシンR−380−2を展示した。1967年に生沢徹のポルシェカレラ6に完敗したあと、国際スピード記録に挑戦したときのカラーリングであり、さらに、第5回日本グランプリで横山達のドライブで、4位に入ったときもこのカラーリングであった。 
自動車メーカーからは、トヨタこそ出なかったもののダイハツから1300ccクラスのトップマシンであるダイハツP−5が出品された。ダイハツとしては、レース活動最後を飾るマシンであった。また、いすゞベレットのエンジンを積んだアロー・ベレットF−2も出品されていた。
さて、今回最大の注目を浴びていたタキ・レーシングチームは、ウイング付きローラT70MK3をはじめ、生沢のドライブで日本グランプリ2位に入賞したポルシェ910などを出展して観客の視線を釘付けにした。
ポルシェ910とデイトナ・コブラも実物を見ると見ないとでは大違いであり、とにかく私は、そのスタイルに感銘を受けずにはいられなかった。デイトナ・コブラは言わずと知れた1964年度マニファクチャラーズ世界選手権においてあのフェラーリ250GTOを破りチャンピオンとなったマシンである。そのコブラを1966年日本グランプリにおいて酒井正のドライブで参加したことは当時話題になったことであった。(写真左がデイトナ・コブラ) 
 このショーにおいて、特筆すべきことは、プライベート・コンストラクターが誕生したことではないでしょうか。 
特に、当時盛んに行われたホンダN360のエンジンを使用したレース用のマシンを開発した“エバ・カーズ”は目立っていた。写真のオープン・モデルが“エバ・アンティアンスタイプ2A”であり、当時人気だあったCAN−AMカーを意識したスタイルであった。そしてもう1つは、マニファクチャラーズ世界選手権用マシンとして開発したクローズド・マシン“エバ・アンティアンスタイプ1A”である。流線型のロングのーズ、ロングテールの美しいマシンであった。結局、“エバ2A”のみが市販され、FLレースにおいては同車の1メイクスレースといわんばかりの売れ行きとなった人気車であった。製作者の三村健治は、のちの“マキF−1”という幻のF−1マシンを作ったデザイナーであり、1971年にエバ・カーズを解散し、1972年からは、“MANA”として活動し始める。有名なところでは、当時のF−2マシンとしてデビューした“MANA08”であり、あの鮒子田 寛がドライブしてJAFグランプリに出場したことであろうか。 
 以上で、第2回東京レーシングカーショーの会場からの解説は終わらせていただきます。 
では、「第3回東京レーシングカーショー」でお会いしましょう。


 
GO TO TOP
GO TO MENU
E-MAIL
 ご意見・ご感想をお待ちしています。
C 1999.6.29 By Hirofumi Makino