不正行為について

2002 09/23に理科大・分析化学1の試験を採点した後に、あまりの不正の多さに怒りにまかせて書いたもの。

不正をせずに堂々と臨んで単位がとれなかった学生のことを思うと、やはり現状は変えねばならないと思う。)

<以下の文章は、今回の試験で(特定はしないが)明らかに、しかも結構な数存在した一部の不心得者だけのために憤怒と共に書いたものです。それ以外の真っ当な学生の皆さんは、これを読む必要はありません(というか、立腹のあまりへんな文章になっているので、見なかったことにしてください)。>

試験の採点をしていると、どうにも考えにくい同じ間違いをした答案がでてくる。あるいは、正解のパターンがまったく同じ答案もある。どう考えたっておかしい。
この単位の場合、僕は自分で試験監督をしていないので、現場をおさえたわけではない。証拠はない。僕の仕事は、主観ではなく客観的評価をすることであるから、そのような形跡があっても充分な証拠がない以上、試験の得点には繰り入れず、単に答案にあらわれた結果のみを機械的に評価して単位をつけている。
しかし、そういう立場を離れて、昔化学の学生だったオッサンとして云うなら、こりゃ絶対カンニングだろうと内心では確信している。そう思いながらも、「証拠」は不充分なわけで、そしてなによりもそのそっくりな答案のどっちが自分の能力で書いてどっちが写したのかわからない以上、単位はつけている。カンニングをした学生は、「ばれなければいいじゃん」と思っているのだろうし、事実不当に高い評価をもらって「しめた」と思っているのだろう。しかし、はっきり云っておくけど、行為があったことはばれてるよ。証拠がないから放置しているだけ。そして、そういう答案を作ることを僕は非常に軽蔑している。だって、これは誰の目にも君の答案ではないではないか。他の誰かの答案を写しただけなのが明らかではないか。
勿論、およそ学生であれば単位(そしてよい成績)が欲しいに決まっている。カンニングをする心理がわからないではない。しかし、(勿論それを奨励しているわけではないが)やるなら完璧にやってほしい。シビアな試験監督がいても判らない(見逃してもらっているのではダメ。僕だって試験監督をする時には、悪質なものには黙って不可をつけている)ような技術をもってやってほしいし、なにより答案に他の誰かの匂いを残してしまうのは論外である。それは答案を見られた人にも迷惑をかけることになるのだ。不正はいけないが、他人に迷惑をかけるのはもっといけない。どうせなら他者には一切わからないカンニングを生涯続けてほしいものである(つまり、実は能力がないということを生涯他者に判らない程度に頑張るということ。そうなればもはやそれはカンニングではなく、その人の真の能力である)。
それにしても、プライドはないのだろうか。百歩譲って、専門外の科目ならばまだよいとしよう。しかし、この科目は化学の、分析という名がつくとはいえ平衡という根幹部分の講義なのである。諸君は化学科の学生ではないか。化学が好きではないのか?好きでなくても、大学生としての時間と情熱を傾ける(少なくとも建前上は)覚悟で入学したのではないのか?そして、おそらく多くの場合、その専門知識を武器の一つとして、世の中に自分を問うのではないのか?もし、その専門がなんら中身のない、不正によって得られたただの「学歴」だとしたら、その虚構のために過ごす大学生活の(少なくとも)4年間は、なんと無駄な時間だろう。君が死ぬときに、その時間に後悔をもたないだろうか?大学生なんだから勉強だけせよなどとはいわない。遊んでいけないとはいわない。分析化学1なんかより重要なことが人生にはたくさんあるだろう。そう思っていたからこそ、僕だって大学時代劣等生だったのだ。しかし、ならば堂々と不可をとれ。自分の中での優先順位の低かった科目なら、それが不可でもよいではないか。それに実力なく成績だけとっても、それを見抜けない社会だと思う?社会に出て東京理科大学の名をけがすことになるよ。

<結論>
1 カンニングは大概ばれている。やるならばれないようにやれ。
2 他人に迷惑をかけるな。誰かと同じ答案(レポート)を出すのはやめろ。
3 化学科だろ?プライドはないのか?
4 世の中に出たら、カンニングは効かないよ。
5 そういう答案を採点する身になってくれ!

追伸 不正をやっていることがいずれかの科目で摘発された場合、僕の試験の答案で「疑わしい」ことがわかっている場合には、そのことを学校側にチクります。「放校が相当である」というコメントもつけて。やるなら、そのくらいのリスクは覚悟しといてください。