What's New (Apr, 1997)



■1997年4月21日

 話題のインターネット・エクスプローラ4.0プレビュー版をインストールしてみたわけですよ。

 いきなりマック・ユーザーの人には関係ない話で申し訳ないけど。なんでも、今回はOSレベルに絡んでくる改版らしいし。新しもの好きとしては黙っちゃいられなくて。

 で、入れてみたら、面白いんだ、これが。確かに重いし、まだまだ不安定だけど、細かいところにけっこうワザが詰め込まれてたりして。楽しい楽しい。エクスプローラ自体がシェルになって、マシン全体を管理するという大ワザだけに、エクスプローラがコケるとシェルもろとも昇天しちゃうってのが、なんとも恐ろしいけど。やっぱりOSそのものを仕切ってる会社のやることは、ずいぶんと思い切りがいいなぁ……と、まあ、半分感心、半分呆れた。

 しかぁーし!

 でっかいグラフィック扱ったりするときにシェルもろとも逝っちゃうことが何回かあったので、こりゃいかんとアンインストールしたり、でも、少しくらい不都合があったって新鮮なほうが楽しいからともう一回インストールしたり、いろんなことごちゃごちゃやってるうちに、Windowsディレクトリの下のFavoritesフォルダがいきなりシテスム・フォルダと化してアクセス不能になっちまって。あれー、どうしたのかなぁ……と、いろいろいじくってたら、今度は「エクスプローラがイカれたのでWindows95を再インストールしろ」とかいうメッセージがやぶからぼーに出ちまって。

 その後もあれこれ奮闘はしたものの、結局、メイン・ドライブをフォーマットしてシステム再導入、と。最悪の事態を招いてしまったのでありました。日ごろからシステムに悪さをしがちなぼくだけに、メイン・ドライブに置いてあるのは基本的にはプログラムのみ。データ関係はすべて別ドライブに保存している。なもんで、それほど大ごとにはならずにすんだのが不幸中の幸いかな。ソフトだけ入れ直せばOKだから。でも、結局、前の状態に復旧するまで一日がかりだったな。シェアウェアのレジストIDとか、どこに記録しておいたかわかんなくなっちゃったりして。情けない。

 今回のエクスプローラ、まだベータ版以前の、開発者向けプレビュー版とのこと。そーゆーの、シロートがいじっちゃダメってことだよね。でも、なんだか近頃のWin95、「われわれが用意したシステムはこんなに便利なんですよ。だから、余計なことしないで、おとなしく与えられた環境の中で使いなさい」って言ってるみたい。やなムード。それって、ぼくがマックのこと嫌いな最大の理由なんだよねぇ。

 設定をがしがし変えて、マシンをだまくらかして、自分ひとりにとってのみ超便利な環境を構築することができたDOS時代がなんだか懐かしくなっちまいました。でも、こういうのって、「やっぱりアナログ盤でないと駄目だ」とか「真空管アンプでないと本当のいい音は聞けない」とか言ってるおぢさんたちと同じなのかも……。



■1997年4月10日

 久々にホームページでも更新するかな……と、ぱこぱこキーボードを打って、さあ、アップロードしようと思ってインターネットにアクセスしたら、とんでもないニュースに出くわしてしまった。

 ローラ・ニーロ、他界。ウソだろ。まだ49歳だよ。つい先日、初めての公式ベスト・アルバムがリリースされて、ここで一区切り。また新たな活動に入るんだろうな、と、漠然と期待していた矢先の出来事だけに、なんだか信じられない。コネチカット州ダンベリーの自宅で、現地時間1997年4月8日、卵巣ガンのために亡くなった。

 1950年代、ニューヨークのストリートで生まれたドゥワップ・ミュージック。60年代、サンフランシスコのコミューンに花咲いたサイケデリック・ロック。70年代、ロンドンの街角で爆発したパンク。そして80年代、やはりニューヨークのはきだめのような街路から発生したヒップホップ……。様々なストリート・ミュージックが時代時代の都会の路上を彩ってきた。そのどれとも共通し、かつ相反する魅力をはらんだ豊潤なストリート・ミュージックを奏で続けてきた歌姫、それがローラ・ニーロだった。

 「私はとても幸運だったの。ティーンエイジャーのころ、アメリカではドゥワップが流行していて。街じゅうにハーモニーが溢れていたわ。たくさんのアマチュア・グループがエコーのきいた地下鉄駅の構内とかで歌っていた。私も友達や、ときには知らない人たちと一緒にコーラスしたものよ。それがとても自然なことだったから。あのころの曲たちが私に作曲の仕方や歌い方を教えてくれたの」

 1994年2月、22年ぶり、2度目の日本公演のために来日したローラにインタビューしたとき、彼女はそんなふうに語ってくれた。ニューヨークで生まれて、66年、18歳のときにデビュー。以来30年、彼女はとてもゆっくりしたペースで自分が信じる音の世界をていねいに構築してきた。

 「ロックンロールの世界にはドゥワップがあって、ガール・グループがいて、ジャズの世界ではジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィスが活躍していて、ソウルの世界では最高の作曲家やシンガーが凌ぎを削っていて、フォークもあって……アメリカの音楽がいちばん輝いていた時代に青春を送ることができた私は本当に幸せだった。ただ、自分でも曲を作り始めた私は、だんだん恋愛以外の何かを曲の中で主張したり、ある種の意識を曲に託したいと思いはじめて。それからは、もうシンプルな歌の中にだけとどまっているわけにはいかなくなってしまったの」

 初期の作品、特に69年に発表された『ニューヨーク・テンダーベリー』などに聞かれる彼女の歌声は、本当に鋭い。触れたらこわれてしまいそうに繊細な感性で、ニューヨークという街に渦巻く喧騒や諦観や熱気や退廃を赤裸々に綴っていた。その後、結婚、出産を経て、彼女の歌の世界に変化が見られはじめた。自然、動物、母としての人生観など、より広いテーマが扱われるようになった。30年という歳月の中でローラも変わった。ぼくはそう思っていたのだけれど。

 でも、94年の来日公演を見てぼくは思い知った。彼女はちっとも変わっちゃいなかった。自ら弾くエレクトリック・ピアノ一台と、3人の女声コーラス。それだけをバックに、まったく色あせることのない深い歌声をぼくたちにプレゼントしてくれたローラは、変わらず都会の匂いを存分に漂わせていた。まるでドゥワップ。ギミックいっさいなしの肉声にこだわったパフォーマンスが、彼女の歌の根底に脈々と流れるストリート感覚をたっぷり味わわせてくれた。

 「幸せでピースフルな60年代が今もずっと続いていて、そこで歌っていることができたらと思うこともあるわ。夢の中では、ね」

 そう言って笑ったローラの瞳には、母でもなく、アーティストでもなく、まるで少女のようないたずらっぽい輝きがあった。あれからまだたった3年しかたっていないのに……。

 心から冥福を祈ります。あなたの歌声はいつまでもぼくたちの心に生き続けます。