What's New (Oct, 1996)



■1996年10月23日

 いや、別に言い訳するわけじゃないけど。

 最近はねー、ぼくがデザインしているノージのページがアメリカのドメインにお引越ししたりですね、なおかつあいつがとんでもない突撃レポートをむちゃくちゃ頻繁にアップデートしてたりですね。自分のとこをアップデートするヒマもないという(笑)。なんともはやなインターネット・ライフを送っているわけですが。

 でも、前から思っていたんだけど。ハギワラはですね、HTML書いたりとか、そういうテクニカルな作業そのものが好きみたいなのね。ページのデザインしたりとか。何かを伝えたいからHTML書く……って側面も当然あるんだけど。ヘタすりゃそれと同じの割合で、ページをデザインしたりすること、そのものも楽しい、と。

 なもんだから、ノージのページとか、大滝さんのページとか、デザインしているだけでそれなりに満足しちゃったりする面があって。最近はすっかり自分のところをないがしろにしておりました。落とし穴だなぁ、これ。

 コンピュータをいじっていて、ときどき、そういう感じになるときがある。ソフトのアップデートのためにインターネットを含む通信環境を利用していて。その環境をよりよくするためのソフトを、やはりネット上からゲットして、インストールして。でもって、よりよくなった環境を使って、またまたそのソフトをアップデートするためのファイルをまたゲットして……みたいな。おいおい、何が目的なんだ、って状況。パソコン通信時代から、そのキライはありました、わたし。

 考えてみりゃ、コンピュータ使って普段何をやっているのかといえば、原稿書いて、それを出版社にEメールなりFAXなりで送って、音楽に関する最新の情報をあちこちからゲットして、それを蓄積して……って、それだけだからなぁ。DOSの時代と何ひとつ変わってない。だったら別にDOSでもいいのにさ。いや、ヘタすりゃワープロでもかまわないのかも。なのにWindows入れたり、NT走らせたり、OS/2に手を出してみたり、あげくLinuxまで導入したり。何やってんだかねー。

 でも、ちょくちょくインターネット関連の雑誌とかメディアの取材を受けて、“ホームページを立ちあげた理由は?”とか聞かれたときに答えていることなんだけど。高校生のころとかに、友達の家に遊びに行ったり、友達が遊びに来たりしたとき、最近買ったレコードをかけながら、「これ、最高なんだよー。聞いてよ。な? いいだろー?」とかみんなで盛り上がってた感じをやりたくて、ホームページをやっているってのも、まじに本音です。日々、CDを買いまくっているぼくとしましては、どんどんお気に入りの盤が増えてしまって。この喜びを高校生のような気分のもと、趣味の共通する人と分かち合いたくて、またまたレビュー・ページをアップデートしましたよ。なんで世の中にはこんなにたくさんいい音楽があるんだろう。うれしいなぁ。

 ちなみに今回は新譜関連の更新だけど。再発ものでもうれしいやつが目白押し。あまり間を置かずに、オールディーズ関連のレビューか、パーソナル・チャートも更新しようと、意欲だけには燃えてます。



■1996年10月9日

 やー、楽しいなぁ。

 いろんなものが発売されますよ。まずぶっとびものとしては、ライノ・レコードが編纂した『Doo Wop Box II』かな。その名の通り、以前リリースされたCD4枚組ボックス・セット『Doo Wop Box』の続編で。もちろん今回も4枚組。全101曲。いいね。うれしさのあまりぼーっと聞き続けていたら、全部聞き終わったところで5時間が過ぎていた。

 前のボックスでもかなり全体像を押さえてくれていたのだけれど、今回はさらに充実。1951年から55年までがディスク1、55年から57年までがディスク2、57年から60年までがディスク3、そして60年から63年までがディスク4。特にぼくはディスク4に好きな曲が詰まっているので、うれしいうれしい。ペンギンズの素晴らしいドゥワップ賛歌「メモリーズ・オヴ・エル・モンティ」も聞ける。最高ですよ。

 で、充実の曲解説は、またまたビリー・ヴェラなんだけど。今回のブックレットには、マンハッタン・トランスファーのドゥワップ好きオヤジ、ティム・ハウザーも文章を寄せていたりして、楽しい。こりゃパーソナル・チャートの1位候補としては絶好です。

 とともに、その座をおびやかしそうなのが、ついに出ました、エルヴィス・プレスリーのCDロム『Virtual Graceland』だ。ちょっと今んとこ忙しすぎてコンピュータをこいつに明け渡す時間がほとんどないんだけど。これもすごそう。エルヴィスのおうちであるところのグレースランドの中を探検しながら、まあ、いろんなことができるという(笑)、ナニみたいです。資料性もばっちしだし。

 時間ができたらハマってみようと思ってるんだけど。しかし、こないだ知人のコネでプレイステーションもらっちゃってさぁ(笑)。ソフトも付けてくれたりしたもんだから、こっちにハマっちゃったら、なかなかグレースランドの旅にも出られそうにないなぁ。へへへ。

 ただ、プレイステーションのソフトとかって、今や基本的に格闘ものか、レースものなんだねー。こういうのになると太刀打ちできませんよ、おぢさんには。先に進まない進まない。やっぱ、秋の夜長はじっくりとグレースランド散策ですかね。そっちのほうが現実的かもしんない(笑)。


■1996年10月3日

 ほら、今、HMVとかに行くとどかっとセールみたいのやってて。

 たとえばイーグルスとかのオリジナル・アルバムだったらフランス盤CDで1160円で売ってるわけですよ。キンクスのオリジナル・アルバムのイギリス盤CDなんか800円くらいだし。

 むちゃくちゃうれしくて、アナログ→CDの移り変わり時期に、つい買いそびれていた盤とかを漁りまくっちゃいがちな昨今のケンタなのではありますが。

 でも、一方でキンクスの英盤オリジナル・アナログとかになったら、これがヘーキでン万円ついてたりしてね。同じ音が入っているのに、この価格差。もうわかりきったこととはいえ、今さらながら考えさせられるよねぇ。

 ぼくは、コレクター系の雑誌とかに原稿を書いたりしているせいか、けっこうレコード・マニアというか、いわゆるヴィニール・ジャンキーみたいに思われていたりもするんだけど。実はそんなこと全然なくて。オリジナル盤には全然こだわらない。音源がオリジナルならば音質のいい再発盤のほうが好き……ってタイプ。もちろん、オリジナル・カッティングのアメリカ盤初版とかね、むちゃくちゃ音がいい盤もあるし。そういうのにはけっこう惹かれたりすることもあるし。ジャケットの質感とか、確かにオリジナル盤ならではの風合いみたいなものもあったりして。こだわる人がこだわる気持ちもわからないではないものの。

 でも、やっぱりなぁ。なんか、レコード一枚に5000円以上出すのって、ちょっと抵抗がある。どんな盤も、基本的には新譜のうちに買っておくってのがやっぱり鉄則だと思う。

 もう、これまでに何度もあちこちのメディアで言いまくってきたことだけど。ぼくがこよなく愛するロックンロール以降のポップ・ミュージックってやつは、もともと50年代初盤、“ラジオを通して”“レコード(それも当時一般化し始めた安価で扱いやすい45回転EP盤)によって”広まっていった新種の間接情報型若者文化だったわけで。

 この辺については、以前執筆した『ロックンロールの時代』って本であれこれ書いている。ちょっと引用しちゃおうかな。長いものなんで、フォントサイズ落とします(笑)。別に読まなくてもいいすよ。

 かつてのポピュラー音楽は、まず楽譜として世の中に足を踏み出し、主にブロードウェイの舞台や、ナイトクラブでの生演奏によって一般の人々のもとへと広まっていった。もちろんすでにレコードはあったし、レコードをかけるラジオの音楽番組も人気を博してはいたけれど、そうした番組にしてもあくまで生演奏の現場を再現するような作りになっていることが多かった。往年のDJたちは番組自体を架空のダンス・ホールから放送しているように描写し、曲をかけた。あるいは、これはテレビ番組だが、『ザ・ヒット・パレード』という人気プログラムでは、毎週毎週、その時点での人気曲を番組のレギュラー歌手たちがフル・バンドをバックに生で歌っていた。

 けれども、これらの番組はロックンロールの隆盛とともに姿を消した。あくまでもレコードというメディアを通して完成品が作られるロックンロールの場合、それを他の歌手が真似して歌うことはほとんど無意味、無価値だった。エルヴィス・プレスリーの「ジェイルハウス・ロック(監獄ロック)」はエルヴィスが歌っていなければ意味がなかったし、それもレコードに記録されたドライヴ感あふれるサウンドにこそ最高の価値があった。だから、前述したような、架空のダンス・ホールからの実況的な古いDJスタイルが姿を消し、アラン・フリードに代表される、レコードをレコードとしてかけながらスピード感に満ちたトークを聞かせるラジオ番組が人気を獲得し、すべてレコードでその週の人気曲を発表する『アメリカン・トップ40』のようなヒット・パレード番組が登場し、さらにテレビでもレコードをかけながらティーンエイジャーたちが踊りまくる様子をオンエアする『アメリカン・バンドスタンド』のような番組が大当たりした。

 『アメリカン・バンドスタンド』には実際にシンガーが出演して自分のヒット曲を披露することも多かったが、大方の場合、彼らはレコードの音に合わせて口を合わせる、いわゆるリップ・シンク=口パクを行なっていた。そのため、“やっぱりロックンロールの連中はごまかしている。レコードではうまく歌えても生ではまともに歌えないんだ。そんなもの音楽じゃない”という大人たちの批判が相次いだ。が、この指摘も基本的には的外れなのだ。ロックンロールにとってオリジナルはあくまでもレコード。実際の番組に登場してそれを再演するシンガーたちは、生で演奏していようが、口パクしていようが、オリジナルであるレコードを自ら模倣していただけ。この成り立ちを理解できているかどうかは、ロックンロールを楽しむうえで実はかなり重要なポイントとなる。

 ロックンロールはライヴを見なきゃ、という意見も、なるほど、聞くべきところはある。ロック・アーティストはコマーシャルなものに背を向けなけりゃ本物じゃない、という耳タコの意見にも、まあ、それなりの理はある。けれども。繰り返すが、ロックンロールにとってのオリジナルというのは、そのレコード盤なり、CDなり。そういう大量生産/大量頒布される商品なのだ。あらかじめ大量生産/大量頒布という商業的要素を不可欠のものとしてはらんだうえで誕生し、成長してきた文化なのだ。この点もまた、ロックンロールという音楽に強く現われている特長のひとつだろう。だからこそ、ぼくたちは今、ちっぽけなヘッドホン・ステレオをポケットに突っ込んだだけでロック的な体験を存分に味わうことができる。

 だからね。音源さえオリジナルなら、もうなんでもいいわけです、ぼくは。そういう意味でも、本当にいい音質できっちりオリジナル音源を再発し続けてくれるライノ・レコードみたいなところが大好きなんだなぁ。

 ああ、ライノに就職したいっ(笑)。