Oct. 2000


ver. 00.10.8

 というわけで、ロサンゼルス行ってきました。ブライアン・ウィルソンの“ペット・サウンズ・シンフォニック・ツアー”、ハリウッド・ボウル公演見てきました。もう、すんげえよくて。泣けて。行ってよかった。

 すでにあちこちで伝えられている通り、3部構成のステージ、冒頭でオーケストラによって演奏される『ウィルソン組曲』の編曲者であるヴァン・ダイク・パークスが、この日は特別に指揮者としても登場。会場のどこかにはトニー・アッシャーもいたそうで。ロサンゼルス、ブライアン、『ペット・サウンズ』、トニー・アッシャー、ヴァン・ダイク…。何か、こう、時代の流れとともにちりぢりになってしまっていたものたちがあの夜のハリウッド・ボウルにほんの一瞬だけとはいえ勢揃いしていたような感じ。

 ごくごくプライベートな観賞旅行だったもんで。今んとこ、このライヴの模様をどこかの雑誌で詳しくレビューするとか、そういうつもりもないのだけれど。レビューを期待していますというメールもたくさんいただいてしまいました。なので、気が向いたら、このホームページでそのうちちゃんとレビューするかもしれません。気が向かないかもしれないことを前提に、気長に待っていてください。

 さすがにフル・オーケストラ付きってことで、「ユー・スティル・ビリーヴ・イン・ミー」のイントロが流れてきた瞬間とか、「ドント・トーク」の "Listen, listen, listen..." のあとストリングスによる間奏が流れ込んでくる瞬間とか、「アイム・ウェイティング・フォー・ザ・デイ」のエンディング近くのストリングス・タグからティンパニーがカットインしてくる瞬間とか、時空を超えて涙腺を刺激する局面多数。

 だけど、個人的にいちばん盛り上がった瞬間は、『ペット・サウンズ』全曲演奏のパートを終えてアンコールに入ったところで、ブライアンがベースを抱えて「サーファー・ガール」を披露したときかな。ベースを持ったってことにも感動はあったけれど、それよりも、「サーファー・ガール」のエンディングが去年のソロ・ツアーのときとは変えられていて。 "Do you love me do you surfer..." とリットしたあと "girl" だけのアカペラ・コーラスで終わる近年のパターンではなく、再びベースがイントロと同じピックアップ・タグを弾いて "girl, surfer girl, my little surfer girl..." ってコーラス・パートへと突入して、最後、チャッチャッチャッチャーンで終わる往年のパターンに戻っていて。これにぼくは異常に感動してしまいましたよ。

 ヴァン・ダイクによる組曲も、あちこちで不満げに言われているほど長くは感じなかったし。ヴァン・ダイク得意のヴォイシングのくせも存分に楽しめてよかったです。ヴァン・ダイク、アンコール最後の「ラヴ・アンド・マーシー」ではコーラスにも参加していたし。そうそう。同じくファースト・ソロから「レット・イット・シャイン」も披露されたし。

 そんなふうに、存分に楽しんで帰ってきたハギワラは、10月、けっこういろんなところに顔を出しますよ。まずは14日(土)、テケテケ・エレキ・バンド、ダディ&サーフビーツの一員として東京倶楽部(tel: 03-3293-6056)ってライヴハウスに出ます。水道橋からお茶の水に向かう線路沿いの坂道の中腹。東京にむかってJRの右側の駿河台です。茶色い「さいかち坂ビル」というのがあって、そこの地下だとか。そこで7時半から、30分ぐらいずつ、4ステージやります。いつもやっている高田馬場フィドラーと違って、ここはチャージとか取られるみたいなんだけど、もし気が向いた方、いらっしゃったら遊びにきてください。お店と相談してチャージに関しては抑えてもらうようにがんばりますので(笑)。

 そして、19日(木)には新宿ロフトプラスワンで毎月恒例のCRT&レココレ主催のトーク/レコード・コンサート。今回のテーマはぼくの相方、レココレ寺田編集長炸裂間違いなしのローリング・ストーンズです。題して“テラさんのストーンズ秘宝館”。詳しくはCRTのページで。ゲストとして、ソロ・アルバムのリリースも間近いカーネーションの直枝政広さんが再登場してくれます。これも楽しみ! イベントに向けて掲示板ではストーンズ話も募集ちゅうです。

 さらに21日には茅ヶ崎のブランディンで店主の宮治とともにビートルズ話に花を咲かせる予定。でも、げっ、この日ってON日本選手権の初戦の日じゃないすかっ! こりゃ忙しいね。

 あと、ここのホームページにぼくのインタビューが掲載されてます。とりとめもなくいろいろな話をしていますので、おヒマがありましたら見てやってください。

 ところで、去る10月5日、作家の永倉万治さんが亡くなりました。52歳という若さでした。10年くらい前、一度脳溢血で倒れて。でも、そのあと破格の生命力で奇跡の回復を見せ、病気のあともたくさんの素晴らしい小説やエッセイでぼくたちを楽しませたり、泣かせたりしてくれて。これからもどんどん良くなっていくばかりなんだろうな、これからも面白い文章をたくさん読ませてくれるんだろうな…と思っていたのに。

 ぼくは、80年代の半ば、まだ音楽の仕事だけしていたわけじゃないころ、講談社のホットドッグプレスのレギュラー執筆者仲間として永倉さんと知り合って。仕事だけじゃなく、たくさん遊んでももらって。仲人までやってもらって。本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。文章の書き手としても、人間としても、心から尊敬していました。

 亡くなってから、お宅にお別れをしに行ったとき、永倉さんはとてもすっきりした顔で横になっていました。以前、一度倒れたあとも、「ケンちゃん、俺は100まで生きるよ」って笑いながら話してくれていた永倉さん。でも、目の前の永倉さんのすっきりした顔を見て、100歳まで生きたようなものだな、とも思いました。人よりもパワーとスピードがありすぎただけか、と。

 仲人と言えば親も同然…とか、永倉さんともよく話したものだけれど。今年のぼくは“親”との別ればかりだったなぁ。永倉さん、お疲れでした。のんびりしてください。冥福をお祈りします。




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