1997.10.17

Brown Eyed
Soul:

The Sound Of East L.A.
vol.1-3

Various Artists
(Rhino)


 こりゃー、うれしい。

 東のブルー・アイド・ソウル、西のブラウン・アイド・ソウル。東のイタロ・アメリカン、西のチカーノ……つーわけで、アメリカ東海岸のホワイト・ドゥワップに対する西海岸の動きとしておなじみ、イーストLAのラティーノ・ロックをはじめ、そうしたチカーノ系の若者たちに好まれているヴィンテージR&Bやスウィート・ソウルをコンパイルしまくったごきげんなオムニバスがライノから出た。

 ラティーノ・ロックという一連のムーヴメントは、ホワイト・ドゥワップほど全米チャート上に大きな足跡は残していないけれど、これは、まじ、見逃せないものだ。かっこいい。ローライダーたちのバリオ・クルージングに欠かせないBGMというか。やばい感じがなんとも言えない。

 戦後、メキシコから流れ込んできた若者たちがLA周辺でブラック・ミュージック局を愛聴するようになって、その独特の感覚でとてつもなく魅力的な混合音楽を作り上げるようになったと言われているけれど。そうしたラティーノ・ロック興隆のキッカケを作ったのは、のちに映画にも描かれおなじみになったリッチー・ヴァレンスだ。58年、彼の「ラ・バンバ」のヒットに触発され、多くのラティーノたちがトラディッショナルなラテン・リズムとR&Bとを融合した独特のサウンドをクリエイトしはじめた。

 R&B界の首領、ジョニー・オーティスのプロデュースで「ロンリー・ロンリー・ナイツ」をローカル・ヒットさせたリル・ジュリアン・エレーラ。のちにスインギン・ブルージーンズが有名にした「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」を自作自演したチャン・ロメロ。「クイーン・オヴ・マイ・ハート」のレネ&レイ。「ラ・ラ・ラ・ラ・ラ」のザ・ブレンデルズ。「ダンス天国」のカヴァーで当てたキャニバル&ザ・ヘッドハンターズやジー・ミッドナイターズなどなど。50年代から60年代にかけて、多くのチカーノ系ラティーノ・ロッカーがシーンを賑わした。

 ピークは、ビートルズが全世界を震撼させていた63年から65年ごろだと言われている。パノマ地区にあるザ・レインボウというクラブから放映されていた『ストンピン・アット・ザ・レインボウ』というテレビ番組には、前述したようなアーティストたちが続々と出演。南カリフォルニア周辺の音楽ファンにラティーノR&Bの勢いを見せつけていたそうだ。でもって、このムーヴメントはやがてサンタナ、エル・チカーノ、ティエラなどに受け継がれ、ロス・ロボスへと至るわけだ。

 そういうムードを存分に味わえる3枚のオムニバス。年代順でも何でもなく、雑多にラティーノ・ロックが飛び出したり、ヴィンテージR&Bが出てきたりするツクリになっているので、アカデミックに聞こうと思うと少々混乱しそうな仕上がりだけれど、むしろLAのそのテのラジオ局を聞いている気分で楽しむべき3枚。チカーノ・シーンの珠玉のテイストが肌で感じられるぞ。

 この感覚は間違いなく90年代のラティーノ・ヒップホップにまで通底する独特のストリート・センスだね。

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