1997.10.9

Time Out Of Mind

Bob Dylan
(Columbia)


 『ミュージック・マガジン』誌のアルバム・ピックアップで宇田和弘さんが、“プロデューサーとの相性が良くない”といった感じの、なんとも煮え切らないレヴューをしていたので、ちょっと心配していたんだけど。

 なんだよ。全然オーケーじゃん。すごいじゃん。このアルバムは見事です。ごきげんです。75年の名盤『ブラッド・オン・ザ・トラックス』以来の傑作です。ほんと、ディランはすごいよ。今さらながらに思い知る。

 確かに、ここ数年のディランはもはや歌うべきことを失ってしまったかのようにも見えた。最後に出したオリジナル・フル・アルバムは、90年の『アンダー・ザ・レッド・スカイ』。以降、ディランは古いフォークやブルースのカヴァーによるアルバムを2枚出して、MTVアンプラグドのためのライヴ盤を出して、過去の活動の集大成的なCDロムを出して、ブートレグ・シリーズとかベスト盤とかを出して……。

 あとは、日本を含む各国を精力的にツアーして周っていたわけで。つまり、この7年くらい、新曲をほとんど作らずに過去の活動の総決算をしているかのようだった。その間、ツアー中のヨーロッパで倒れて急遽入院したり、息子を中心に結成されたウォールフラワーズが大活躍し、皮肉にも“新世代のディラン”などと呼ばれるようになったり……。ディランの歴史が終わりに向かっているのかもしれないと胸を痛めたファンも多かったはずだ。ぼくもそうだった。

 いや、確かにディランもすでに56歳。ある意味での“終わり”は以前に比べれば当然近づいてきている。60年代を激走していたころの現役感を、今、彼に求めるのは間違いなのだろうけど。

 でも、ディランはそれでもやっぱりすごかった。89年の『オー・マーシー』で組んだダニエル・ラノワを再びプロデューサーに迎えた本盤で、ディランは56歳の彼にしか表現しえない、深遠なディランズ・ワールドを作り上げてみせた。前述した『ミュージック・マガジン』での宇田さんのレヴューでは“ディランの意図をほとんど活かしていない”と酷評されたラノワのプロデュース・ワークも、しかし、ぼくには適切に思える。

 92年の『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』や93年の『ワールド・ゴーン・ロング』でカヴァーしていたような、たとえばロバート・ジョンソンやブラインド・ウィリー・マクテルといった往年の偉大なフォーク/ブルース・シンガーたちが当時なしとげていたのと同じストーリーテリングを、今、ディランはありのままの姿で実現しようとしている。もちろん、ディランはいつだってそうした姿勢で活動してきたのだろうけれど。今回はそんな意欲がいつになく、というか、全盛期と匹敵するくらい、というか、とにかく強く感じられるのだ。そしてラノワは、ブルース、ゴスペル、賛美歌、ロカビリーなど、様々なアメリカン・ルーツ・ミュージックのフォーマットと、独特のエコー感をともなった“オルタナティヴな”音像とで、見事にディランの意志をバックアップしている。ジム・ケルトナー、ジム・ディッキンソン、デューク・ロビラード、オーギー・メイヤーズら、曲者ミュージシャンがバックを固めるなか、ディランとラノワががっちりとタッグを組み、ルーツ帰りしながらも確実に90年代に生きる素晴らしい音楽を作り上げている。

 テックス・メックス風味もまぶされたロカビリーのような、ブルースのような「ダード・ロード」、ツイン・ピークスの世界を思わせる美しい「スタンディング・イン・ザ・ドアウェイ」、往年のザ・バンドにカヴァーしてもらいたい「トライン・トゥ・ゲット・トゥ・ヘヴン」や「ノット・ダーク・イェット」、ビリー・ジョエルがいち早くカヴァーした「メイク・ユー・フィール・マイ・ラヴ」など、名曲も多い。

 輸入盤を買ってしまったので、今ひとつ歌詞の世界を理解できずじまい。とはいえ、おぼろげに聞こえてくる歌詞の断片だけでも、なかなか胸にくる。“近づこうとしているのに、まだ何百万マイルも遠くにいる”とか“たくさんの人が俺のことを1日か2日の間、持ち上げてくれたものさ”と投げやりに歌う曲もある。“昨日は何もかもがとてつもなく速く過ぎ去っていったのに、今日は遅くてかなわない”なんてのもあった。“まだ暗くない。でも、やがてすべてが暗闇に包まれてしまうだろう”ってのもある。“汚れた道を歩き続けるんだ。両目から血が噴き出すまで。何も見えなくなるまで。鎖が切れて解放されるまで……”みたいなことも歌っているものもある。

 大ざっぱに言えば、全体的に暗いイメージの言葉が耳に飛び込んでくるのだけれど。

 でも、淡々とラストを飾る16分以上の長尺曲「ハイランズ」で、“丘の向こうに高地がある。どうにかしてそこへたどり着く道を探しているんだ。でも、俺の心はもうその高地にいる。今はそれで十分さ”というようなことを歌っていて。きっと、これこそが今のディランの偽らざる心境なんじゃないかと思うのだ。

 かつて若き日のディランのように、シーンど真ん中でいきいきと自らのクリエイティヴィティを炸裂させる勢いは本盤にないかもしれない。けれども、若き日のディランにさえも絶対になしえなかったはずの、56歳ならではの切実な表現がたっぷり詰まった1枚だ。まだまだ父ちゃん、息子に負けてません。まじ。


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