18世紀後半から19世紀前半に活躍した画家 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは、今なお英国最大巨匠として絶大な人気を誇る。
その影響は日本でも夏目漱石が小説「坊っちゃん」でターナーに言及するなど、時代や文化を超えて多くの人を魅了し続けている。
ターナーが生涯を通じて描いた作品の多くは風景画。その最大の特色は、光・大気・水の表現。薄いベールを透かして見るような光、鮮やかな色彩が重なり輝く幻想的な海や山の光景。それはターナー独自にテクニックで生み出されたものであった。
当時、歴史画や肖像画に比べて地位が低かった風景画を押し上げ、若くして成功する。
しかし、後半生は作品が大きく変化する。雪崩や吹雪、葬儀など謎に満ちた作品を次々と発表。当時誰も見たことのない抽象画のような作風も多数描く。
ターナーの名声は、生存中からイギリスにとどまらず、ヨーロッパ大陸に鳴り響いていた。それは、彼が本の挿絵として描いた版画を通じて、人々に知られたためでもあった。
1794年、19歳の時初めて彼の絵に基づく銅版画が出版されたが、それ以来、みずから風景版画集を企画したり(「研鑚の書」)、パイロンの詩集の挿絵や、「イングランド南海岸のピクチヤレスクな景観」、「イングランドの港」、「フランスの川」等の銅版画挿絵入り出版物のために、原画を制作した。
ターナーは、これらのための原画を主に水彩画で制作し、それを自分で選んだ何人かの彫版師に版画に写させている。
原画の効果を忠実に再現するために、彫版師に対するターナーの注文は口やかましく、もめごとのもとになっていたとのこと。なかでも、中期の出版物の彫版を手がけたW.B.クック(1778〜1855)と画家の関係がもっとも典型的なものであった。
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